後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「東京都薬用植物園の花々の写真」

2020年09月30日 | 日記・エッセイ・コラム
東京都薬用植物園は私の家から車で30分くらいの小平市の西端にあります。敷地1万坪の花園です。入場無料、駐車料無料の植物園です。四季折々に訪れては花々の写真を撮って来ます。
写真を撮るのは家内です。園内を気ままに歩いたり走ったりして自分の気に入った花の写真を自由に写しています。私は花々を眺め、裏の雑木林から吹いてくる秋風を胸いっぱいに吸い込んで幸せな気分になります。一昨日撮って来た写真をお送りします。

1番目の写真は園内の風景です。左半分は武蔵野の雑木林になっていて中に遊歩道がついています。

2番目の写真は丁度満開になっていた萩の花です。萩の花は小さくて地味な花なので写真に撮るのが難しい花です。これは比較的に良く撮れた写真です。

3番目の写真は秋の花の代表のようなオミナエシです。漢字で書くと女郎花となります。

4番目の写真はシオン(紫苑)です。秋になるとこんなに背丈が高くなります。

5番目の写真はイヌサフランの花床です。

6番目の写真はウコンです。

7番目の写真は彼岸花です。
ここは単なる花園ではありません。薬用植物を分類してそれぞれの畑に植えてあるのです。植物園は主に日本の薬局方で使用されている植物を 1671種以上を栽培してるそうです。
薬用植物は用途に応じて14のセクションに分類されて植えてあります。
この植物園の歴史は古く、終戦の翌年の昭和21年に創設されています。ここでは薬草を植えているだけでなく、次のような調査研究をしているのです。
1、違法薬物として使用される植物の定義
2、有毒植物の研究
3、植物が健康に与える影響
4、医薬品製造のための植物の性質の研究
園内を見渡すとも物々しい頑丈な金網で覆われた畑があります。猛毒のケシを植え有毒植物の研究をしている畑です。
この植物園は小石川植物園の300年の歴史に繋がっています。
その歴史の詳細は、「小石川植物園前史」、http://umdb.um.u-tokyo.ac.jp/DKankoub/Publish_db/1996Koishikawa300/01/0102.html にあります。ご興味のある方は是非ご覧ください。立派な研究報告書です。

さて東京都薬用植物園の中央には売店があります。いろいろな花の鉢植えを売っています。そしてどういう訳か焼きたてのパンも売っていて1度買ってみました。花の鉢植えは良いのですがパンの味は花々ほどは魅力的ではありません。パンが好きな家内へ一昨日も薦めましたがニヤニヤするだけで買いません。
この植物園の詳細は、http://www.tokyo-eiken.go.jp/lb_iyaku/plant/ に出ています。秋晴れの日にはお出かけ下さい。のんびりして幸せな気分になります。小さな温室もあります。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。後藤和弘(藤山杜人)

「年間第26主日のミサと菊地功大司教のお話」

2020年09月27日 | 日記・エッセイ・コラム
今日の日曜日は年間第26主日です。動画配信で主日のミサにあずかりました。
ミサの動画は、https://www.youtube.com/watch?v=fCdR9tVKyIE にあります。

そして今日の菊地功神父さまのお話と説教は以下にあります。
https://bishopkikuchi.cocolog-nifty.com/?fbclid=IwAR2inAKWRhjhCKtwN0sKQY_8-LTkQCbwJ1UtJNE68qWLhVaQwQpYdEdpw1E
東京大司教の菊地功神父さまは動画配信のミサで毎週お会いし説教を聞いています。揺るぎない信仰の持ち主です。その上非常に優しいご性格です。声も良くミサの司式も明瞭です。感動的なお方です。
今日の菊地功神父さまのお話を掲載いたします。

年間第26主日(世界難民移住移動者の日)@東京カテドラル
9月最後の主日は、世界難民移住移動者の日と定められています。この日にあたって教皇様もメッセージを発表されています。(教皇メッセージは、こちらのリンクから、中央協議会のサイトでご覧ください)

残念なお知らせですが、東京教区司祭、フランシスコ・ザベリオ岸忠雄神父様が、9月24日(木)午後2時5分、老衰のために、入居先のベタニアホームにて帰天されました。享年87歳でした。 ベテラン司祭をまたひとり失いました。岸神父様の永遠の安息のためにお祈りください。

岸神父様の通夜は9月27日(日)午後6時から、葬儀ミサは9月28日(月)午前11時から、東京カテドラル聖マリア大聖堂で行われます。聖マリア大聖堂は現在、感染症対策のため入場制限をしておりますので、葬儀ミサ前にお別れの祈りをささげる時間を設けます。

9月28日月曜日、午前9時半から10時半まで、岸神父様のご遺体を大聖堂に安置いたしますので、お別れの祈りの時としていただければと思います。

以下、年間第26主日ミサの説教原稿です。

年間第26主日A(公開配信ミサ)
東京カテドラル聖マリア大聖堂
世界難民移住移動者の日

「最高の福音宣教者であり、ご自身が福音そのものであるイエスは、もっとも小さい人と特別に同じ者となりました。(「福音の喜び」209)」

「福音の喜び」にそのように記された教皇フランシスコは、2013年の教皇就任直後に、地中海に浮かぶイタリア領の島ランペドゥーザに赴かれ、アフリカから逃れてきた難民の人たちと出会い、彼らのために、また海の上で生命を落とした多くの人たちのために、祈りをささげられました。さらには、助けを求めている人たちの悲しみや苦しみに気がつくことのなかった怠りの罪を認め、ゆるしを願われました。それ以来、助けを必要としている人、社会の主流から忘れ去られている人、法的に困難な状況の中でいのちをつないでる人たちへの心配りを最優先とする姿勢は、教皇フランシスコの言葉と行いを通じて明確に現されてきました。

以下は、https://bishopkikuchi.cocolog-nifty.com/?fbclid=IwAR2Haw1tHJN8jnQp5qjISWqJPKFyoabYR6nYYZ3nrXkyqFdUwubO6lzSgX4 に御座います。

「中国共産党員の親友のこと、胸が熱くなる彼との思い出」

2020年09月26日 | 日記・エッセイ・コラム
私には中国共産党員の親友がいました。2004年に亡くなった周栄章さんという人でした。亡くなって16年たちましたが彼の温かい友情を思い出す度に胸が熱くなります。今日はこの周栄章さんの思い出を書かせて下さい。
彼と知り合いになったのは1979年のことでした。フランスのベルサイユ宮殿前の国際会議場で初めて会いました。彼は当時、北京鉄鋼学院の教授でした。そして共産党の有力な党員でした。
周栄章氏は共産軍ととも国民党軍と戦い、天津市を占領し、民生行政に参加した人でした。
この周氏との出会いのお陰で、その後に私は何度も中国へ行くことになったのです。
時々、周栄章教授の優しい話し方や笑顔を思い出して懐かしく思っています。
中国人は信義に篤いと言います。一旦親密になると生涯その関係を信じて良いのです。絶対に裏切らないのです。一生安心して付き合えます。周栄章さんはまさしくそんな人でした。
中国政府の幹部が周恩来や鄧小平だった時代から、江沢民の時代になってから日本と中国は激しい抗争の時代になりました。国家主席が胡錦濤、さらに習近平と交代しても抗争の厳しさは変わりません。
しかし周栄章さんは以前と全く変わらぬ信義をもって付き合ってくれました。そして個人的な付き合いの中では共産党員らしさが微塵も無いのです。一度も共産主義の話をしませんでした。
中国人は権力者には従いますが、心の中では個人的な信義を一番大切にしている民族なのです。

そんな周栄章さんとの付き合いの中で、楽しかったこと、感銘を受けたことをもう少し書いて置きたいと思います。
(1)周栄章さんに連れて行ってもらった北海公園~仿膳飯荘
あれは確か、1980年のある秋の夜でした。北京の北海公園の石の回廊を、夜風に吹かれながら、周さんと2人だけで歩いていました。その先にある仿膳飯荘で北京鋼鉄学院の学長が私の歓迎会をしてくれるというのです。

1番目の写真は北京の北海公園の石の回廊です。写真の出典:http://www.chinatrip.jp/beijing/album-57.htm です。
歓迎会で当時あった「茅台酒(マオタイシュ)」の乾杯の応酬で、私もいささか酔いました。
学長さんたちに感謝の言葉を述べました。すると学長は中国への旅の感想を聞きます。私はつぎのような話をしました。
「中国は良い国です。しかし共産主義は独裁政治を生むので好きではありません。しかし中国が欧米の植民地にならないためには共産主義を選ぶ他は無かったと思います。中国が欧米列強の植民地にならなくて本当に良かったです。私も嬉しいのです。」
このような内容のことを、一気にしゃべりました。英語で喋りました。
これを聞いて学長さんは深くうなずいて、「あなたは中国について何を喋っても良いです。自由にこの国を楽しんで下さい」と言ったのです。この一言で私は途端に楽しくなったのです。中国の全てが楽しくなったのです。

2番目の写真は仿膳飯荘の入り口です。写真の出典は、http://www.chinatrip.jp/beijing/album-655.htm です。
出された料理は女性権力者の西大后の好きそうな小さく綺麗に盛り付けた、いわゆる宮廷料理でした。
周栄章さんの招きで後に行った家内はその精妙さと美味しさに感激していました。

3番目の写真は仿膳飯荘の宮廷料理です。写真の出典は、http://www.chinatrip.jp/beijing/album-655.htm です。

(2)北京の一般の人々の食文化
周栄章さんは北京鴨の有名店でなく裏町の小さな北京鴨店へ何度も連れて行ってくれました。
冷蔵庫が無いのか、あまり冷えていない五星ビールが出ます。前菜でビールを飲んでいるとやがて見事に焼きあがった鴨が出てきます。

4番目の写真は北京ダックの写真です。写真の出典は、http://imagenavi.jp/search/#!/ です。
うす暗い北京鴨の店でいろいろな話をしました。お互いに英語で話し合いました。
北京鴨は自分で皮を切り取って、白い餅に乗せ、ネギと味噌を塗って、餅でくるりと巻いて食べるのです。
皮を全て食べ終わると料理人が出て来て、皮の無い鴨を下げます。調理場で肉を取って、2種類くらいの料理に仕上げて、又持ってきます。それを食べ終わる頃に鴨の骨でダシを取ったスープが出て来ます。これで終わりです。

(3)周栄章さんから教わった周恩来の魅力と人間的偉さ
裏町の北京鴨の店で周栄章さんは、文化大革命で農村へ下放された経験を話しました。毎日、毎日、豚の餌やりと豚小屋の掃除にあけくれたそうです。1976年の秋に、毛沢東が死に、四人組が逮捕されて、やっと自由の身になったそうです。
そして周恩来を絶賛するのです。中国人が一番好きな人は周恩来ですと断言します。何度も断言します。毛沢東の発動した文化大革命で内戦状態になった中国で人民は塗炭の苦しみの底にあったのです。それを少しでも救おうとしたのが周恩来首相だったのです。当然、毛沢東は周恩来を亡き者にしようとします。
これは周栄章さんから聞いた話です。
周恩来がチベット視察から帰るとき乗った旅客機を、毛沢東が空軍に命じて撃ち落とそうとしたのです。その命令に従って空軍のジェット戦闘機が2機、飛び立ったのです。周恩来の乗った旅客機を挟むように両側に並んだ戦闘機は発砲しません。翼を上下に揺らして歓迎しています。コックピットを覗き込むと、操縦士が周恩来へ敬礼をしていたそうです。
後で毛沢東へは霧で視界が悪く、周恩来機が発見出来なかったと報告したそうです。
1976年の2月に周恩来が病死し、4月の清明節のとき天安門広場で群衆が追悼の大集会をしました。それを毛沢東は軍隊をつかって解散させたのです。兵隊も周恩来が好きだったので群衆へ同情、手荒なことをしなかったそうです。
周栄章さんの話は何時までも尽きませんでした。

(4)周栄章さんは私を中国の観光地に案内してくれました。
北京原人の周口店、明の13陵、頤和園、天壇、大鐘の寺、長城、承徳、そして西安の秦の始皇帝の墓、兵馬俑、などなどへ案内してくれたのです。しかし話が長くなるので、ここでは北京郊外の離宮の頤和園の写真を3枚だけ示します。

5番目の写真は頤和園の前に堀って作った湖です。

6番目の写真は美しく伸びた長い回廊です。左手に湖の風景が広がっているのです。

7番目の写真は奥にある眺めの良い宮殿です。頤和園は私の好きな離宮なので3枚の写真を示しました。3枚の写真は「頤和園の写真」を検索してネット上にあるものからお借りしました。

その周栄章さんを私も日本に招びました。自宅にも泊まってもらい、いろいろな観光地へも案内しました。
周栄章さんは2004年に亡くなりました。亡くなって16年たちましたが彼の温かい友情を思い出す度に胸が熱くなります。今日はこの周栄章さんの思い出を書かせて頂きました。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

「日本民族とは?(3)精神文化の基調をなす神道と仏教の混淆」

2020年09月25日 | 日記・エッセイ・コラム
日本民族とは何なんでしょうか?どのような精神文化の特徴を持っているのでしょうか?
その精神文化の特徴は隣の中国や朝鮮の民族とはどのように違うのでしょうか?
今日はこの疑問について思いつくままに書いてみようと思います。

さて日本民族の文化的基調は神道と仏教にあることには異論が無いと存じます。これが日本の精神文化の特徴です。
神道は旧石器時代や縄文時代の自然信仰が次第に鳥居を有する神社に発展してきました。
出雲神社から派生した諏訪大社には縄文時代の信仰の巨大な御柱が現在でも祀られています。
その一方、仏教は538年に中国から伝来しました。
はじめは華厳宗、法相宗、律宗などでしたがその後は玄奘三蔵法師による漢訳経にもとずく宗派、真言宗や天台宗が優勢になりました。
唐の玄奘三蔵法師はインドに渡り16年後の645年に、657部の経典を長安に持ち帰ったのです。
日本の現在の仏教は全て玄奘三蔵法師が漢文に翻訳した教典によっているのです。
この玄奘三蔵法師の教典はかなりお釈迦さまの教えを忠実に伝えています。

しかしながら日本には古来から神道があったのです。ですから新しく入ってきた仏教は神道と混淆したのです。それは良し悪しの問題ではなく、極く自然な現象でした。
その後、神道と仏教が混淆して日本独特なものになりました。
それこそが日本民族の精神文化の基調になっているのです。ですから日本の仏教は神道の影響もあって多神教的な信仰になっているのです。

日本の仏教では観音菩薩信仰や大日如来信仰や薬師如来信仰があります。
その上、弘法大師信仰や伝教大師信仰もあります。信仰の対象が沢山あってヒンズー教の多神教信仰に似ているのです。
それに対して仏教学者は信仰の対象が違っても唱える教典は同じお釈迦さまの教えを唱えているのだから一神教的な性質を持っていると主張します。しかし大日如来や弘法大師が祀ってあるお寺にお参りする人々にとっては、お経の内容は理解していません。そんなことはどうでも良いのです。
お稲荷さんや神道の神々に無病息災、家内安全を祈るように大日如来さまや弘法大師様にお祈りしているのです。
そして仏教の色即是空、空即是空という深甚な教えが日本民族の無常観に大きな影響を与えているのです。
一方、韓国の佛教を見てみましょう。その佛教の90%は曹渓宗です。日本の曹洞宗のような禅宗ですが日本より戒律が厳しい宗派です。僧侶は絶対に妻帯しません。その厳格な曹渓宗に朝鮮古来の原始宗教が混淆したのが韓国の佛教です。同じ仏教でも日本とは非常に違う信仰なのです。
中国では紀元3世紀頃よりサンスクリット仏典の漢訳が開始されます。この時代は華北のみならず江南地方でも訳経が始まり中国全土に仏教が伝えられました。
しかしその仏教は古来の道教と混淆し多神教的な宗教に変貌するのです。

以上のように日本の仏教を韓国や中国の仏教と比較すると「神道との混淆」という特徴があるのです。これが日本の精神文化の特徴なのです。
しかし私は地球上のどんな民族にも絶対に優劣は無いと信じています。勿論、どんな宗教にも優劣は絶対に無いのです。

以上の議論ではキリスト教やイスラム教に言及しませんでした。日本の仏教や神道との違いが歴然としているので割愛しました。

今日の挿絵代わりの写真は北海道の摩周湖、オンネトー、阿寒湖、大沼国定公園、屈斜路湖などの紅葉風景です。


それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)


1番目の写真はオンネトーの紅葉です。写真の出典は、https://hokkaido-koyo.blog.ss-blog.jp/onneto です。

2番目の写真もオンネトーの紅葉です。写真の出典は、https://photoin.exblog.jp/19121491/ です。

3番目の写真は阿寒湖の紅葉です。写真の出典は、https://www.tabido.jp/ja/article/1159/ です。

4番目の写真は大沼国定公園の紅葉と駒ケ岳です。写真の出典は、https://www.tabido.jp/ja/article/1159/ です。

5番目の写真は屈斜路湖の紅葉です。屈斜路湖は日本最大のカルデラ湖です。写真の出典は、https://tripeditor.com/359970 です。

「日本民族とは?(2)特攻隊を組織した残忍性」

2020年09月22日 | 日記・エッセイ・コラム
全ての民族には良い面と悪い面があります。ある民族の良い面だけを描いたら客観的でなくなります。
一昨日は「日本民族とは?(1)自然の風景や花々を愛する民族」という記事で日本民族の良さを書きました。
今日は日本民族の残忍性について書きます。特攻隊を組織的に使い自殺攻撃で敵に打撃を与えた事実を記述しなければ客観的でなくなります。
しかし特攻隊は日本人が忘れたい歴史です。今更読みたくない人は写真の美しい秋の風景だけをご覧になってその先を読まないで下さい。これらの秋の空と紅葉の風景は甲斐駒岳と八ヶ岳の麓で撮影しました。最後の写真は昇仙峡の上のダム湖の紅葉です。









さて特攻隊とはどのようなものだったのでしょうか?
75年前に神風特攻隊の攻撃を受けたマッカーサー太平洋戦域連合軍総司令官は次のような感想を述べています。
(出典は、https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13128680533 です。)
「沖縄では、特攻の日本軍機による攻撃で我が軍は艦船36隻沈没、破壊368隻、航空機損失800機の損害を出した。これらの損害は米海軍がメルボルンから東京までの間に受けたそれまでの損害を遥かに超えるものである。」
そして太平洋艦隊司令長官のニミッツ元帥はもう少し具体的に語っています。
(4ヵ月にわたった沖縄戦で)「我が海軍が被った損害は、戦争中のどの海戦より遥かに大きかった。沈没30隻以上、損傷300隻以上、9000人以上が死傷もしくは行方不明になった。この損害は主として日本軍の航空攻撃、主に特攻によってなされた。」
特攻が開始された1944年10月から終戦までのわずか10ヶ月間に、米海軍史上最大の損害を与えたのです。

さて沖縄戦だけで艦船36隻沈没、破壊368隻、航空機損失800機の損害を与えた特攻隊の戦死者は如何ほどだったのでしょうか?以下にいろいろな資料からまとめてた特攻隊の14009名の戦死者の内訳を示します。
(1)海軍
海軍航空特攻隊員:2,531名
特殊潜航艇(甲標的・海竜)隊員:440名
回天特攻隊員:104名
震洋特攻隊員:1,081名
合計:4,156名
(2)陸軍
陸軍航空特攻隊員:1,417名
丹羽戦車特攻隊員:9名
陸軍海上挺身隊員(マルレ):263名
合計:1,689名
(3)この他
この他に第二艦隊戦没者、回天を搭載して出撃し未帰還となった母艦潜水艦搭乗員、移動中の乗船海没などにより地上戦に参加した戦没者等の特攻作戦関連戦没者が、
第二艦隊戦没者:3,751名
回天部隊関連戦没者:1,083名
震洋部隊関連戦没者:1,446名
陸軍航空関連戦没者:177名
海上挺身隊関連戦没者:1,573名
空挺部隊関連戦没者:100名
その他(終戦時自決・神州不滅特攻隊、大分702空等)戦没者:34名
合計:8,164名
以上合計14,009名を数えるのです。(Wikipediaの特別攻撃隊より)

以上の特攻隊の犠牲によって日本軍が沈めた連合国軍の艦船と損害の概略は以下の通りです。
(出典は、http://kokoteikoku.web.fc2.com/Zakki/Senka.html です。)
戦艦4隻
空母4隻
軽空母2隻
護衛空母(軽装備の空母)5隻
重巡洋艦11隻
軽巡洋艦6隻
駆逐艦74隻
護衛駆逐艦(軽装備の駆逐艦)4隻
潜水艦60隻
日本の潜水艦が撃沈した連合国商船184隻(907000総トン)
爆撃や砲撃などで沈めたものは不明です。
これ以上はあまり長くなりますのでここで止めます。

多くの戦後教育を受けた日本人は太平洋地域で連合国側のアメリカとイギリスが、オランダを含めて、これだけ数多くの損害を与えたことを知りません。アメリカ占領軍が極秘にしていたからです。

さて表題の「日本民族とは?(2)特攻隊を組織した残忍性」の意味をここで説明します。
戦争が起きれば人間は残虐になります。アメリカは日本全国の都市を無差別空襲をして焼き尽くしました。広島や長崎に原爆を落とし市民を悲惨な死に追いやりました。しかしアメリカ軍は自殺攻撃をしませんでした。
一方日本は味方の将兵による自殺攻撃を組織的に実行したのです。私はこの事実を日本民族の残虐性と理解しています。世界中で自殺攻撃を組織的に実行した民族は他に存在したでしょうか?
幸運にも日本は戦後75年間平和でした。日本民族は世界一優しい民族と言われるようになりました。このことは嬉しいかぎりです。全ての民族には良い面と悪い面がありますが、日本民族の悪い面には伝統文化の武士道の影響もあるのかも知れません。
しかしかつて自殺攻撃を組織的に実行した歴史を永遠に忘れないようにすべきと思います。それが日本が平和であるための鍵となるからです。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。後藤和弘(藤山杜人)
====参考資料=======================
以下は私が書いた関連の記事です。
(1)「日本の攻撃で沈んだ連合軍の60隻の潜水艦、嗚呼、戦争の悲劇!」
      2017年09月25日の掲載記事です。
(2)「特攻隊による400隻艦船の損害に関する米海軍からの公開一覧表」
      2017年09月22日の掲載記事です。
(3)「何故多くの人は特攻は無駄だったと信じているのか?」
      2017年9月12日の掲載記事です。
(4)沖縄沖で特攻で大破した空母、駆逐艦など404艦艇と航空機763機に対する評価
      2017年08月20日の掲載記事です。
(5)特攻攻撃が与えた意外に大きい連合国側の損害の一覧
      2017年08月14日の掲載記事です。
(6)日本文化と武士道が特攻隊の悲劇を生んだ
      2017年08月14日の掲載記事です。

「墓参りをすると過去とのことを思い出す」

2020年09月22日 | 日記・エッセイ・コラム
昨日は秋のお彼岸なので墓参りに行きました。毎年、春と秋のお彼岸とお正月とお盆には家内の家の墓参りに行きます。行くお寺は日野市の大昌寺という浄土宗のお寺です。
私自身の父母の墓は仙台にあるのでめったに墓参りには行けません。ある曹洞宗の寺の住職をしている弟が供養しています。祖父も叔父も父も曹洞宗のお寺の住職でした。
森閑とした墓地のなかで家人が持参して来た花を一心に供えています。線香にも火を着けます。静かな時間がゆっくりと流れています。
そんな折には家内の両親と祖父母のことをいろいろ思い出します。私自身の父母や祖父母のことも思い出します。そして感謝してあの世での幸せを祈ります。冥福を祈ります。
4枚の写真は秋の花と家内の実家のお墓です。







昨日もいつものように墓参りをしました。そして墓参りをすると過去とのこともいろいろ思い出しました。
私の中学校時代の友人に大川君というのがいました。彼は60歳代から「俺はせめて80まで生きるから、後藤も生きろよ!」としきりに言ってました。この「せめて80まで、、、」を呪文のようにして、すでに84歳まで来ました。そんな愚にもつかないことを思い出しました。昨日は他に何故か故郷の蔵王山ことを思い出しました。
宮城県と山形県にまたがる大きな火山です。火山ですのでその中腹や麓に幾つかの温泉が湧き出しています。宮城県側には遠刈田温泉、青根温泉、峩々温泉、そして山形県側には上山温泉、蔵王温泉(昔の高湯温泉)などです。
仙台や山形の人々はこの温泉へ湯治に行きます。四季折々賑わう温泉地ですが特に秋の紅葉の時期にはとても賑わいます。その一方蔵王山は登山やスキーを楽しむ山でもあります。
刈田岳や熊野岳が登山者をさそいます。刈田岳の噴火口、お釜の景観が登山の疲れを癒してくれます。そして冬は樹氷に輝くスキー場になるのです。
1960年に仙台を離れるまで何度も蔵王に行きました。遠刈田温泉や青根温泉に浸かりました。そして山奥の峩々温泉に泊まり夏の刈田岳に登ったこともあります。
冬になれば山形側の高湯の広大なスキー場でスキーを楽しみました。大学生になると高湯から懺悔坂の樹氷の間を登り地蔵岳まで上がって帰りのコースを楽しむようになりました。そんな折には中腹にあるドッコ沼の山小屋に逗留したものです。
昨日はこのドッコ沼のことを懐かしく思い出しました。

5番目の写真は透き通ったエメラルドグリーンの水を湛えているドッコ沼です。写真の出典は、https://yamahack.com/1891 です。
この湖畔にスキー客用の小屋がありました。数日泊まってこの上の地蔵岳まで登り、帰りは懺悔坂の樹氷の間を滑り下りるのです。一緒に泊まったH君はもう何年も前に旅立ってしまいました。
仙台を離れてから茫々60年。蔵王山は私にとって大切な故郷の山なのです。
昨日は日野の大昌寺に墓参りに行き、故人の冥福を祈ってから何故か故郷の蔵王山のことを思い出しました。思い出いっぱいの蔵王山なのでつい長くなりました。
故郷の山は一生私の心に中にあり我が人生を豊かにしてくれます。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。後藤和弘(藤山杜人)

「日本民族とは?(1)自然の風景や花々を愛する民族」

2020年09月21日 | 日記・エッセイ・コラム
最近しきりに考えています。日本民族とは一体どういう民族なのでしょうか?他の民族と比較するとどんな特徴があるのでしょうか?
そんなことを考えているので、「日本民族とは?」と題する連載記事を書きたいと思います。
世界にいる民族はみな自然を愛しています。日本人だけが愛しているわけではありませんが日本人の愛し方は少し違っているように思われます。気候や風土も違うように愛し方も違います。自然と一体化して馴染んでいるのです。
日本の自然は四季折々美しい姿を見せてくれます。そしてその山野には可憐な花々が季節のうつろいとともに次々と咲いてくれます。早春の梅の花に始まり、絢爛な櫻花、そして梅雨時になればアヤメやアジサイが野山を飾ります。
そんな花々や美しい自然の風景を日本民族は昔から愛してきたのです。

万葉集には自然の美ししさや花々の華麗な姿を歌った和歌が沢山あります。

「春の野に すみれつみにと 来しわれぞ 野をなつかしみ 一夜ねにけり」 山部赤人

さて自然の風景と言ってもいろいろです。
春霞にかすんだ田園風景、梅雨雲が中腹にかかった山々の遠景、長閑な春の海などなどいろいろな景観が楽しめるのです。そしてそれらの風景が季節の流れにともなってまた別な美しさを見せてくれるのです。それが日本の気候や風土なのです。
暑い夏が過ぎれば、秋が喨々と空に鳴るのです。その空に魂が吸われます。山々の紅葉にも心が奪われます。
静かな山の湖の碧さとそれを縁取る紅葉した木々の様子も息を止めて眺めてしまいます。高原の湖も良いものですが、豪快な滝の風景も良いものです。
ここで2015年の11月14日に撮った茨城県の袋田の滝の写真を示します。









冒頭にも書きましたが、自然の風景や花々を愛するのは日本民族にかぎったことではありません。
しかし緑豊かな山々に囲まれ、花々が溢れるように咲いている国はそんなに多くはないのです。
その上、緑に覆われた列島は美しい海にかこまれているのです。
それは幸運なことです。日本民族はその美しい風景に魂を吸いとられ、一層強く自然を愛し、崇敬していると思います。
その一つの証左が小堀遠州が作った庭です。小堀遠州流派の庭です。
その庭には自然の風景が凝縮して再現されているのです。小さな池が石の置き方で大きな海に見えるのです。巧妙に作った小さな滝が雄大な滝を連想させるのです。大自然が家の前に持ち込んであるのです。
その上、人によっては、そんな庭を前にして静かに坐っていると日本文化の特徴の「わび」や「さび」を感じるのです。小堀遠州流派の庭にはそのような連想をさせる庭園があります。
自然の風景を愛して、それを庭に写すという独特さがあるのです。そして庭には日本文化の精神性も込められているのです。
ひるがえって西洋の庭を比較して見ると、自然と精神文化を凝縮した日本の庭の特徴が明瞭に理解されます。
西洋の庭は草木を幾何学の形に刈込ます。庭全体を対称美で飾ろうとしています。
ベルサイユ宮殿の広大な庭を思い出して下さい。美しい池や樹木がありますが、全て左右対称的に配置されています。自然を人間が屈服させて「美」に作り上げているのです。嗚呼、これが合理的な西洋文化だと感銘を受けます。
しかし日本の庭は自然そのままなのです。人と自然が穏やかに融合しているのです。

日本民族は自然の風景や花々をそのまま見て楽しみます。その上自然の美しい風景を庭に凝縮して愛する民族だと思います。そして庭には日本文化の特徴の「わび」や「さび」の精神性も込められているのです。
これが日本民族の自然の愛し方の特徴ではないでしょうか?

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

「菊地功大司教の今日のお話」

2020年09月20日 | 日記・エッセイ・コラム
菊地功大司教の今日の年間第二十五主日のお話をお送りいたします。
年間第二十五主日@東京カテドラル、https://bishopkikuchi.cocolog-nifty.com/?fbclid=IwAR3GqI4jtTMYd7_4q8TbkkvkLYeNVjVx9syaTpU6GNsmnH5qzsg8IGzVxKU

本日から、ミサに参加される方の年齢制限を解除いたしました。これまでは75歳以上の方には自宅からお祈りくださるようにお願いしていましたが、現在の対策を忠実に行う限り当面は大丈夫であろうと判断しました。もっとも不安のある方や健康に課題のある方にあっては、これまで通り自宅でお祈りすることを勧めます。また主日のミサ参加義務を、今後も当分の間、免除しております。

ただ慎重な対応はまだまだ必要ですし、これから冬に向かってどのように状況が変化するか分かりませんので、状況に応じて判断をしていくように心掛けます。皆様のご理解と協力を、お願いいたします。

9月20日からの一週間は、叙階の秘跡に関わる週間です。まず20日がわたし自身の司教叙階16年目の記念日であり、なおかつ22日は新潟教区において私の後任となる成井司教の司教叙階式があります。さらに26日の土曜日には、イエズス会の村山師の司祭叙階式も控えています。さらに昨年2月に秋津教会で助祭叙階式を行った御受難修道会の稲葉師の司祭叙階式も、関西で26日に行われるとうかがっています。それぞれ叙階を受けられる皆さんのために、お祈りください。その後、10月3日は、東京教区のホルヘ師の司祭叙階と古市師の助祭叙階も控えております。

以下、本日午後6時からの主日ミサ(公開配信ミサ)の説教の原稿です。

年間第25主日A(公開配信ミサ)
東京カテドラル聖マリア大聖堂
2020年9月19日



「パンデミックは、特に不平等という社会問題を浮かび上がらせ、それを大きくしました」

8月26日にバチカンで行われた一般謁見での、教皇フランシスコの言葉です。

「パンデミックは、特に不平等という社会問題を浮かび上がらせ、それを大きくしました」

教皇の言葉を待つまでもなく、今回の新型コロナウイルスによる感染症は、世界各地で、病気そのものとしてもいのちへの脅威となっていますが、同時に経済の側面からも、いのちへの脅威となっています。

未知の病気に直面して感染症対策をとるにあたり、社会全体が立ち止まらざるを得なかった中で、勢い経済活動は停滞し、特に不安定な雇用状況にある人たちや、援助を必要とする人たちに、いのちへの脅威が襲いかかりました。

教皇は一般謁見で、こう続けています。
「ある人々は家から仕事ができる一方で、他の多くの人にはそれができません。ある子どもたちは、困難にも関わらず、学校教育を受け続けることができますが、他の非常に多くの子どもたちにとっては、その教育はいきなり中断されました。一部の力のある国々は、この危機のために貨幣を発行できますが、他の国々にとって、それは未来を抵当に入れることを意味します。」

途上国などの開発や発展を見守る国連開発計画は、2015年から2030年までの15年間で、持続可能な発展のためのさまざまな目標を掲げ、とりわけ過酷な環境の中でいのちをつないでいる世界の多くの人たちの生活改善に取り組んでいます。

その国連開発計画は、ホームページ上で、今回の事態に直面する中で、「世界の教育、健康、生活水準を総合した尺度である人間開発指数が、今年、測定を開始した1990年以来、初めて減少する可能性があると予測」していると記しています。

2000年からの15年の指針であったミレニアム開発目標と、2015年以降の15年の指針である持続可能な開発目標(SDGs)を実現し、すべての人がそれぞれの人間としての幸福を実感できる世界を目指そうとしていた国際社会は、ゆっくりではあるものの、確実に前進を続けていました。それが、1990年以来はじめて、前進を止め後退する危機に直面しているというのです。

国連開発計画は、「新型コロナウイルスには国境は関係なく、もっとも弱い立場にある人々がもっとも大きな打撃を受け続ける」と警告を発しています。

8月19日の一般謁見で、教皇フランシスコは、今回の感染症への対策には、まず治療法を見つけることと、さらに「社会の不正義、機会の不平等、疎外、もっとも貧しい人の保護」への取り組みという二つのいやしの対応が必要だと指摘し、こう言われました。

「この二つのいやしの対応において、福音書は、不可欠な一つの選択を示しています。それは、貧しい人々への優先的配慮という選択です」

もちろん教会は、これまで長年にわたって、さまざまなレベルでの援助活動や社会福祉に関わる事業を行ってきました。信徒の皆さんにも、教会内外で、積極的に社会貢献の活動をしておられる方が少なくありません。特に近年は、災害などが起こったときに、ボランティアとして現場に駆けつける人も増えてきていますし、そういったボランティア活動自体が、当たり前のこととして社会的に認知されるようになりました。

ただ今回のコロナ禍の事態による影響は、社会のさまざまな方面に及んでおり、日本においても、社会的に、経済的に、また法的に、弱い立場に置かれた多くの人たちを直撃しているという事例を耳にいたします。

本日の福音は、ぶどう園の主人と労働者の話でありますが、実に理解が難しい話でもあり、さまざまな側面から、それを解説することが出来る話でもあります。

そこには、いのちをつなぐために雇ってほしいと願う労働者が描かれ、また一日に5回も広場に出かけていって、そのたびに労働者を雇用するぶどう園の主人が描かれています。

客観的に見るならば、主人が5回も広場に出かけていくことによって多くの労働者が雇われたのですから、喜ぶべき出来事であります。しかしながら、世の常識から言えば、賃金は労働への対価ですから、長く働く方がより多く報いを受けて当然となりますので、なんとも釈然としない話でもあります。ただ単に、この主人のように優しくありなさいと諭す話でもないように思います。

わたしはこのたとえ話は、人間の価値はどこにあるのかを教えている話であると思います。すなわち、どれほど働けるか、どれほど稼いでいるか、どれほど役に立つかと言った価値基準ではないところに、神は人間の価値を見いだしていることを示す話であります。

確かにわたしたちが生きているいまの社会では、どれほど社会に貢献するかが、その人のいのちの価値であるかのように理解されるきらいがあります。

それは障害と共に生きている方々に生きている価値はないと断言していのちを奪った事件のような極端な事例に限らず、例えば、感染症が収束しない中で、感染した人を攻撃するような価値判断にも現されています。病気になって周囲への脅威だからという判断ではなく、社会に対する脅威となったいのちには価値がないという判断を、如実に表している行動です。今回の事態に伴って発生する個人への攻撃や差別的言動の根源には、単なる優しさや思いやりの欠如ではなく、社会を支配する人間のいのちへの価値観が反映されているようにわたしは思います。

「主に立ち帰るならば、主は憐れんでくださる」と記すイザヤ書は、自らが創造されたいのちを決して見捨てようとはしない、神のあわれみ深さを教えています。

「なぜなにもしないで一日中ここに立っているのか」というぶどう園の主人の言葉は、雇われることのなかった労働者が、一日中必死になって働く場所を求めている姿を、「一日中ここに立って」という言い回しから想起させてくれます。必死になっていのちをつなごうと努力する人間のいのちを、無条件に豊かにあわれみで包もうとする父である神の姿勢が、労働の時間に関係なく、おなじように報いを与えるぶどう園の主人の姿に投影されています。いのちを創造し与えられた神は、そのいのちが存在するというその事実だけを持って、すべてのいのちをおなじように愛され、守ろうとされています。そこから離れていくのは神の側ではなく、わたしたちであります。

いのちの危機を肌で感じたこの時だからこそ、わたしたちはあらためて、神の視点から見た人間のいのちの価値を思い起こしたいと思います。わたしたちにいのちを与えられた神が、条件なしにすべてのいのちを愛おしく思うように、わたしたちも、困難に直面する多くのいのちに思いを馳せ、手を差し伸べ、支え合って生きたいと思います。共にいてくださる主に導かれ、すべてのいのちを守るための行動をとり続けたいと思います。(終わり)

写真は帰天された駐日教皇大使ジョゼフ・チェノットゥ大司教の追悼ミサです。
9月8日に、ちょうど四ヶ月の闘病生活の後に帰天された駐日教皇大使ジョゼフ・チェノットゥ大司教の追悼ミサが、教皇庁大使館の主催で東京カテドラル聖マリア大聖堂で捧げられました。司式は司教協議会会長の高見大司教で、日本の多くの司教が参加されました。また東京在住の外交団や、政府関係者からもご参列いただきました。感染症対策のため、カテドラルは入場制限をせざるを得ず、信徒の方々の参列はお断りせざるをえず、残念でありました。

「今日の日記、人と馬が遊んでいる様子を見てくつろいで来ました」

2020年09月16日 | 日記
埼玉県の新座乗馬クラブは雑木林に隣接した広い乗馬クラブです。午後に人と馬が遊んでいる様子を見てくつろいで来ました。
始めの3枚の写真は女の人が馬と遊んでいる風景です。馬が楽しそうに走り回っていました。
4番目の写真は女の人が馬の足を洗っている光景です。馬が気持ち良さそうな表情をして洗っている人を見降ろしています。
5番目の写真は馬と女の人が仔細ありげに話し合っている光景です。
こんな人と馬が一緒になって楽し気にしている光景を見るとくつろいで来ます。
なお新座乗馬クラブの詳細は、http://nojimagroup.sakura.ne.jp/jouba.htm に出ています。
新座乗馬クラブの動画も是非ご覧下さい。https://www.youtube.com/watch?v=SqD2Lns6Agg にあります。









「徒手空拳で総理大臣になる菅 義偉さんの偉さ」

2020年09月16日 | 日記・エッセイ・コラム
世の中には徒手空拳で偉くなった人が沢山います。今日、総理大臣になる菅 義偉さんもそうです。
農家に生まれ、大学への入学金や学費や生活費は自分で働いて得ました。菅 義偉さんは派閥も作らず総理大臣になるのです。私はこのように徒手空拳で偉くなる人が好きです。尊敬します。
そこで今日は菅 義偉さんの育ちと経歴をご紹介したいと思います。

菅 義偉さんは1948年〈昭和23年〉に生まれました。秋田県の湯沢市郊外のイチゴ農家の長男として生まれるたのです。家族は父、母、姉2人、弟1人でした。父の菅和三郎氏は満鉄職員として通化市で日本の降伏を迎えます。引き揚げ郷里の秋ノ宮で農業をします。
長男の義偉(よしひで)さんは戦後生まれで雄勝町立秋ノ宮小学校、秋ノ宮中学校を経て秋田県立湯沢高等学校を卒業しました。高校へは2時間かけて通学しました
父から農業大学校への進学を勧められたが断り、高校卒業後に何のつても無い東京へ行きます。「東京へ行けば何かが変わる」という夢だけが道づれでした。
板橋区の段ボール工場で働きましたが、その労働の厳しさで2ヶ月で工場を辞めます。
その後は大学進学を志し、朝は築地市場、夜は新宿の飲食店でアルバイトをして生活し学費を貯めます。そして上京から2年後に「授業料が最も安かった」という理由で法政大学法学部政治学科へ入学しました。
1973年に大学を卒業し、建電設備株式会社(現・株式会社ケーネス)に入社します。
ところが1975年に政治家になる決心をします。そして法政大学の縁で衆議院議員小此木彦三郎の秘書となったのです。以後11年にわたり秘書を務めたのです。
1987年に横浜市会議員選挙に西区選挙区から出馬し、初当選します。その後市議を2期務めたのです。横浜市政に大きな影響力を持ち、高秀秀信市長から人事案などの相談を頻繁に受けるなどして「影の横浜市長」と呼ばれたそうです。この横浜市での活躍が今日の総理大臣指名の礎になったのです。

この頃から菅 義偉さんの政治家としての非凡な才能が輝き出したのです。
中央政界は菅 義偉さんの活躍を見逃しませんでした。中央政界では自由民主党所属の衆議院議員の8期で、自由民主党総裁(第26代)になったのです。
皆様ご承知のように菅 義偉さんは次のような要職を歴任したのです。
総務副大臣(第3次小泉改造内閣)、総務大臣(第7代)、内閣府特命担当大臣(地方分権改革)、郵政民営化担当大臣(第3代)、自民党幹事長代行(第2代)、内閣官房長官(第79代・第80代・第81代)、沖縄基地負担軽減担当大臣、拉致問題担当大臣などを歴任したのです。
今日の記事は、https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8F%85%E7%BE%A9%E5%81%89 を参考にいたしました。

私は派閥も作らず徒手空拳で総理大臣になる菅 義偉さんが好きです。尊敬しています。今後はコロナ問題と経済問題に力強く取り組むと期待しています。それにしてもトランプ大統領とは相性が合うのでしょうか?
皆様は菅 義偉さんをどのように評価されていらっしゃいますか?

今日の挿絵代わりの写真は甲斐駒岳の麓で撮ったコスモスの花です。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。後藤和弘(藤山杜人)





「芸術の秋(7)山里の小さな美術館 清春白樺美術館」

2020年09月15日 | 日記・エッセイ・コラム
清春白樺美術館はパリの芸術の香りのする山里の小さな美術館です。私の山小屋の近くにあるので何十回も訪れました。それは本当に小さな美術館です。
南には白い花崗岩が輝く甲斐駒岳が美しく見え、北には八ヶ岳連峰が見える高台にあります。その高台は少しだけ平地になっていて美術館があります。
門を入るとパリから移築したラ・ルーシュという大きなアトリエの建物があるのです。エッフェルが設計した画家たちの集合アトリエです。そしてエッフェル塔の階段が庭に移築し展示してあります。パリの芸術的な香りが漂ってくるのです。
美術館にはジョルジュ・ルオーの油彩画や白樺派の作家達の作品を多数展示してあります。谷口吉生設計の小さいけれども美術館らしい雰囲気の漂う清楚な建物です。
白樺林の中にはルオー記念礼拝堂もあります。ステンドグラスは彼が作りました。十字架像は17世紀のものをルオーが彩色しました。
敷地の奥にはパリでルノアールに師事していた梅原龍三郎のアトリエも移築され展示されています。
この一画を清春白樺芸術村と言います。銀座の画廊の主の吉井長三が1983年に作りました。
この清春白樺芸術村の写真を示します。

1番目の写真は清春白樺美術館の門です。古めかしい鉄門がヨーロッパの雰囲気を出しています。この門を入ると集合アトリエのラ・ルーシュがあります。パリの雰囲気を感じます。

2番目の写真は白樺林に隠れた静かな美術館です。ルオーの油彩画多数と、梅原龍三郎、岸田劉生、有島生馬、髙村光太郎、高村智恵子などの白樺派の作品が展示してあります。

3番目の写真は敷地内にある美術館の入り口です。

4番目の写真は美術館の向こうに見えるのは南アルプスの稜線です。写真の右端に見えるのが甲斐駒岳の主峰です。

5番目の写真はルオー記念礼拝堂です。

6番目の写真はルオー記念礼拝堂の内部です。

7番目の写真は多数展示してあるルオーの作品の一例です。

8番目の写真も展示してあるルオーの作品の一例です。

9番目の写真もルオーの作品の一例です。
大都会には規模の大きな美術館があります。多数の絵画や彫刻が展示されているので見ていくと作風がみな違うので気が落ち着きません。しかし清春白樺美術館にはルオーの絵だけ何十枚もあるのです。落ち着いて絵画が楽しめます。山里の小さな美術館も実に良いものです。
JR中央線の山梨の長坂駅からタクシーで10分です。秋晴れの日に気軽に新宿駅から中央線の電車に乗って見ませんか。車の場合は中央高速道路で長坂インターで出ると10分で行けます。美術館にはレストランもあり、近所には美味しい蕎麦で有名な「翁(おきな)」という店もあります。 

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。後藤和弘(藤山杜人)

「今日の日記、馬の姿を見に行ってくつろぎました」

2020年09月13日 | 日記
午後からは馬の姿を見に行ってくつろぎました。
始めの2枚の写真は日の出乗馬倶楽部で後の2枚は再び訪ねた八王子乗馬倶楽部です。馬の姿を見ると何故かくつろいで幸せな気分になります。そんなこともあるのですね。







「年間第24主日のミサと菊地功大司教のお話」

2020年09月13日 | 日記・エッセイ・コラム
今日の日曜日は年間第24主日です。動画配信で主日のミサにあずかりました。
ミサの動画は、https://www.youtube.com/channel/UCc2LbUPcHohKUgO2dYhrCvw/videos にあります。

そして今日の菊地功神父さまのお話と説教は以下にあります。
https://bishopkikuchi.cocolog-nifty.com/?fbclid=IwAR2inAKWRhjhCKtwN0sKQY_8-LTkQCbwJ1UtJNE68qWLhVaQwQpYdEdpw1E
東京大司教は動画配信のミサで毎週お会いし説教を聞いています。揺るぎない信仰の持ち主です。その上非常に優しいご性格です。声も良くミサの司式も明瞭です。感動的なお方です。

今日の菊地功神父さまのお話を掲載いたします。

年間第24主日となりました。

9月8日に駐日教皇大使ジョゼフ・チェノットゥ大司教様が帰天されました。76歳でした。大使は、すでに昨年役職の定年を過ぎておられましたが、教皇訪日の準備にあたるために延長されておられ、2011年10月に来日されてからほぼ9年という、長い在任となりました。教皇訪日の準備には心身共に疲れられたことと思いますが、年明けには楽しみにしておられた休暇での故郷インド訪問も、新型コロナ感染症のために取りやめとなり、東京の大使館で自粛生活が続いておりました。そのなか、5月8日早朝に自室で倒れられ、駿河台日大病院で緊急手術を受けられました。・・・・

以下、本日の東京カテドラルにおける公開配信ミサの説教原稿です。

年間第24主日A
東京カテドラル聖マリア大聖堂(公開配信ミサ)
2020年9月13日
被造物を大切にする世界祈願日

「あわれみ豊かな神をイエス・キリストは父として現してくださいました」
教皇ヨハネパウロ二世の回勅「いつくしみ深い神」は、この言葉で始まります。

その上で教皇は、社会をさらに人間的にすることが教会の任務であるとして、こう指摘します。
「社会がもっと人間的になれるのは、多くの要素を持った人間関係、社会関係の中に、正義だけでなく、福音の救世的メッセージを構成しているいつくしみ深い神を持ち込むときです。(14)」

本日の第一朗読であるシラ書も、マタイ福音も、ゆるしと和解について記しています。

自分と他者とのかかわりの中で、どうしても起こってしまう対立。互いを理解することが出来ないときに裁きが起こり、裁きは怒りを生み、対立を導き出してしまいます。シラ書は、人間関係における無理解によって発生する怒りや対立は、自分と神との関係にも深く影響するのだと指摘します。他者に対して裁きと怒りの思いを抱いたままで、今度は自分自身が神との関係の中でゆるしをいただくことは出来ない。

当然わたしたちは、神の目においては足りない存在であり、神が望まれる道をしばしば外れ、繰り返し罪を犯してしまいます。そのたびごとに神に許しを請うのですが、神はまず、自分と他者との関係を正しくせよと求めます。ゆるしと和解を実現しなければ、どうして神にゆるしを求めることが出来るだろうかと、シラ書は指摘します。

以下は省略します。続きは、https://bishopkikuchi.cocolog-nifty.com/ をご覧下さい。

「キリスト教は何故『愛の宗教』というのでしょうか?」

2020年09月13日 | 日記・エッセイ・コラム
今日は日曜日なので宗教に関する文章を書きたいと思います。
日本の人々は意識していませんが仏教の影響を深く受けています。日本は正真正銘の仏教国です。
しかしその一方で、明治維新以来、日本は西洋に学び、富国強兵をしてきました。その結果、ヨーロッパの文化も日本に入って来ました。江戸時代は禁教だったキリスト教も入って来ました。
しかしキリスト教は仏教とあまりにも違います。仏教と非常に違うので理解出来ません。当然、信じることも不可能です。
こんなに欧米と交流のある現在でも日本のキリスト教徒は人口の3%以上になりません。増える傾向もありません。

キリスト教が理解出来ないのは、それが愛の宗教だからです。愛という言葉は明治維新以前には現在のように広く使われている言葉では無かったのです。
神が人間を愛しています。イエス様も人々を愛しています。人間は神やイエス様を愛します。
キリスト教では神やイエスや人間の絆は愛で結ばれているのです。このようなことを信じられますか?
このような考えは仏教にはまったく存在しません。仏教国の日本人に理解出来ないのは当然ではないでしょうか。

ここで愛という言葉の意味を考えてみましょう。愛とは相手を大切にする心です。相手の苦しみや悲しみに心を寄せ、その苦しみを担ってあげることです。相手が好ましいと思う心です。
キリスト教では神が人間を愛するのでイエス・キリストという人間を地上に送り、人々を救けようとしました。キリストはいろいろな教えを説いた後で、人間の罪を担って十字架についたのです。
死んで3日目にふたたび生き返り、弟子たちに会ったのです。そして天上に上がり全知全能の神の右の座についたのです。
そして天上から神とイエスは地上の人々を愛し続けているのです。

私はカトリック信者です。毎週、日曜日には教会のミサに行きます。
それでは私は神やイエス様が愛して下さっているという実感を何時も持っているのでしょうか?
答は、否!です。
しかしイエス様に愛されているという感じは時々持てます。例えばミサの中で、神父さんが「イエスの体」と言いながらパン片を私の手にくれる時に感じます。
その上、神父さんが私を信じ、大切にしてくれると、私は「イエス様が私を愛している」と感じます。
愛してくれれば、当然自分もイエス様を愛し、その教えに心を寄せます。

そして私の場合は洗礼を受けたカトリック立川教会の主任司祭をしていた塚本金明神父さまを忘れられません。そしてカトリック小金井教会の初代主任司祭だったムニ神父さまの愛を忘れられません。そしてその後、主任司祭になった山本量太郎神父さまの愛を忘れません。
現在の主任司祭の神父さまからも愛を感じます。
こうしてカトリックでは神父さんを通うしてイエス様の愛を実感するのです。神の愛を感じるのです。
愛されていると感じれば人間は相手を愛します。
これがキリスト教が「愛の宗教」と言われる理由なのです。

しかし元来、人間は疑い深い性格を持っています。イエス様や神の愛など信じられないのです。
しかし1日、24時間のうち数秒でもイエス様や神の愛を感じられば、それが決定的に重要になります。信者になれるのです。

まあ一般的に言えばイエス様や神の愛は荒唐無稽な話です。
多くの日本人がそれを信じないのも自然なことではないでしょうか?
宗教は無理に信じてはいけません。他人に無理強いしてはいけません。自然体で考え、信じられる人が信じれば良いことです。
私は絶対にキリスト教を他人へお薦めしません。
そして私は信じて初めて「キリスト教は愛の宗教だ」という意味が理解出来たような気がします。
世の中には信じないと理解出来ないものもあるのですね。

今日の挿し絵代わりの写真は神代植物公園の秋のバラの花です。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)





「今日の日記、秋の花の写真を撮りに行く」

2020年09月12日 | 日記・エッセイ・コラム
今日は気温が低く涼しい日です。午後から久し振りに三鷹の「花と緑の広場」へ秋の花の写真を撮りに行きました。
驟雨が降ったり止んだりです。しかし八重の百日草が華やかに咲いています。車を花畑にピタリと寄せ車上から写真を撮りました。百日草の花の写真をお楽しみ下さい。