世界中に美しい風景があります。自然の風景は人生を豊かにします。心が洗われます。山や川だけの景色も良いものですが自然と建物の調和した景色も良いものです。例えば雪が降っているお寺の風景などは良いものです。心が静まります。師走は忙しいものですが静かな心で過ごすことも大切です。
そこで今日は雪の日の善光寺の写真とお寺にまつわる話をお送り致します。
善光寺は善光さんが建立したお寺です。仏教のどの宗派にも属せず、人々の素朴な信仰だけで存続してきたお寺です。善光寺から東へ一直線に伸びた参道を歩いて行くとその先に長野駅があります。この町は善光寺のおかげで出来た町なのです。
その善光寺の雪の日の写真をお送りいたします。
1番目の写真は雪の夜の善光寺です。写真の出典は、https://mstdn.tokyocameraclub.com/@sigmist810/101190669478412063 です。
2番目の写真は朝早く御朝事から帰る大僧正様の姿です。写真の出典は、http://yamataikoku.naganoblog.jp/e673512.html です。
3番目の写真は善光寺の三重塔です。写真の出典は、http://www.imamiya.jp/haruhanakyoko/she/fuyutabi2019b/photograph13.htm です。
4番目の写真は雪の善光寺六地蔵です。写真の出典は、https://amanaimages.com/info/infoRM.aspx?SearchKey=25184012610 です。
5番目の写真は雪の日の善光寺の参道と門前町です。写真の出典は、https://4travel.jp/travelogue/10972318 です。
さて善光さんが建てた善光寺は現在三つあります。長野県の飯田市と長野市と山梨県の甲府市にあるのです。私は何故か善光寺が好きなのでこれら三つの善光寺には全て行きました。
そして知った善光寺の歴史をかいつまんでご紹介します。
今から1400年ほど前、現在の飯田市郊外(信州麻績の里)に本多善光(よしみつ)さんという人が住んでいたのです。
善光さんは国司に仕える有力者でした。ですから国司が大和に帰る時に送っていきます。そして現在の大阪の難波の堀の中から一光三尊の像を見つけて、それを拾い上げます。そして信州麻績の里に持ち帰ったのです。
自宅の臼の上に像を祀り、拝んでいたところ、台座の臼が光り輝き出したのです。それで善光さんは座光寺(善光寺)を作ったと言い伝えられています。真偽のほどは別にして美しい言い伝えです。
飯田に善光寺が出来たのは推古天皇の10年(西暦602年)でした。
それから41年ほどして皇極天皇元年(西暦643年頃)に勅命によりご本尊を長野へ移し、現在の長野市に善光寺を作りました。
移転した善光寺のあとには以前のご本尊と同じ形の木像をつくり、座光寺を存続させました。そのような経緯から、飯田市の座光寺は元善光寺とも呼ばれるようになったのです。長野へ引っ越したご本尊は毎月15日には飯田の元善光寺へ帰り、麻績の里人を守ると信じられています。
ところが甲府市にも立派な本堂を誇る善光寺があります。この三つ目の善光寺は長野の善光寺が出来てから、約800年位後に武田信玄が長野を攻略、占領したときに権力を用いて善光寺をご本尊とともに甲府に持ってきたものです。甲斐善光寺は永禄元年(1558年)に武田信玄によって創建されました。
そして武田家の滅亡後、ご本尊や数々の寺宝は長野の善光寺へ返されてしまったのです。
しかしその後、甲府の善光寺は甲州の人々の仏様を信仰する篤い気持ちによって立派に存続しています。
三つの寺とも善光さんの木像が安置されていますが、珍しいことはどれにも夫人の像が善光さんと同じ大きさで並べられていることです。
素朴な信仰心の美しさが三つの善光寺を支えてきたのです。宗派にも属せず人々の信仰だけで存続してきたのです。そういうお寺もあるのです。
今日は曾遊の地の善光寺の雪の日の写真をお送りいたしました。そして現在飯田市と長野市と甲府市にある3つの善光寺の関係を説明いたしました。
今日はこれから花を買いに行きます。お世話になった近所のおばさんとおじさんの墓に供える花と家内の先祖代々の墓に供える花です。そして暮れからお正月にかけて家に飾る花々です。毎年の暮れの買い物の一つです。楽しい行事です。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)