インドやタイの仏教寺院の写真を見ると、石造なので、ウーッと拒否反応が先に来ます。木造の日本の寺を見なれた私にとっては、とても佛教寺院とは思えません。しかし、いつも感動的な写真をお借りしているGakuさんの「Wooたんのチェンマイ通信(http://gaku404.exblog.jp/)」にタイのお寺の写真が出ていました。お寺全体の様子が分かる写真もあります。日本のお寺では三門、仏堂、五重の塔、本堂、講堂などが時代によっていろいろな配置で建てられています。一番上の写真では佛塔(五重の塔に対応する塔)と本堂、仏堂らしきものが見えます。その下の写真には塔の窓の中にそれぞれ表情の違う像が立っています。親しめるような穏やかな顔です。最後の写真は仏塔全体の写真です。南国の抜けるような青空に聳えている仏塔がお釈迦様への祈りの深さを示しているようです。タイは現在でも仏教が盛んで、男子は全て一生の間一度は僧院に入って托鉢の修業をするそうです。
そんなことを考えながら写真をお楽しみ頂ければ嬉しく思います。
私が好きで無い言葉に温故知新というものがあります。古いことを知ると、新しいことが分かるという意味らしいです。校長先生がこの額の前に立って、偉そうに長々と演説をする光景を思い出すからです。大体、自分が生まれる前のことなど知るもんか!という感じで現役の時代を過ごして来ました。もっとも歴史小説や教養としての歴史書は沢山読みました。しかし興味本位の読み方でしたので現在の事と深く関連づけて考えることはありませんでした。
しかし仕事を辞めて、老境の心理状態になると、自分の生まれる前のことでも現在のことに深く関係していることが実感出来るようになったのです。驚きです。そして初めて「温故知新」が身近に感じられるようになったのです。
例えば日露戦争で勝ったので日本は道を誤り、真珠湾攻撃をして完膚無きまでに叩きのめされたのです。こういう文脈は老人になってから初めて真理だと感じることが出来ました。
もう一つ例を書きます。1549年にイエズス会のザビエルが日本へ初めてキリスト教を伝えました。1520年頃からマルチン・ルターによる宗教改革が始まりますが、まだまだ旧教であるカトリック宗派の勢力が大きかったのです。その上、当時の航海術はスペインが一番すぐれていたのです。従ってスペインのバスク地方のザビエル城出身のザビエルの持ってきたものはカトリックでした。
そのイエズス会の日本での活動はどうなっているのでしょうか?
江戸時代の近況の後、明治時代になってイエズス会日本管区が出来たようです。そして明治末期の1906年にローマ法王、ピウス10世の指示で上智学院を開設し、後に上智大学になりました。イエズス会は現在日本に4つの学校を開設しています。そしてイエズス会の属する修道院が数ヶ所あります。
イエズス会日本管区の本部は東京の四谷駅前の上智大学の構内にあります。
このように1549年、ザビエルが日本に来たと言う古い話が、現在の上智大学へ深く関係しているのです。
しかしイエズス会が明治維新後、しばらくしてから日本で活動を始めたのは何故でしょうか?
それも歴史的に考えると簡単に解答がでるのです。カトリック教会組織の中でイエズス会男子修道会は一番大きな修道会で、ローマ法王の精鋭部隊とも言われています。しかし、その本部はイタリアのローマにあるのです。
江戸末期に日本の開国を迫った国はアメリカ、イギリス、ロシア、フランスなどでした。イタリアは後発国だったのです。
幕末から入ってきたキリスト教諸派はアメリカのプロテスタント宗派、イギリスの聖公会、ロシア正教、などが有力でした。フランスのカトリックも長崎に教会を建て、隠れキリシタンと再会したのです。日本のカトリック組織はその後もフランスのカトリック教会の指導を受けていたのです。
アメリカ、イギリス、ロシア、フランスの国力の発展の歴史を知ると日本の現在のキリスト教の勢力分布が理解できるのです。勢力分布は俗っぽい考えで、信仰生活の上では重要ではありません。しかし古いことを、少し歴史的に考えると簡単に現在のことが分かるのです。まさしく温故知新ですね。
これこそ老境の知恵です。幸せです。以上は愚かな自分個人の体験です。知的に優れた方々は若い時から温故知新を実践していることと思います。
今日も皆様のご健康と平和をお祈り致します。藤山杜人
今朝、日本人の西洋文化輸入の大間違い という記事を書きました。その中で哲学と宗教の関係と、2者の間の明確な違いを書かなかったので補足いたします。
哲学は宇宙で起きるあらゆる現象の法則性を考え、いろいろな宇宙観を提案します。
一方宗教では、神が宇宙をどの様にして作ったかとか、神と人間のあいだの契約や宇宙の法則を教えます。仏教でも宇宙の全ての物体は、人間も含めて「空」であると教えます。従って高等宗教はそれぞれ独自の宇宙観を提示しています。
それぞれの教義は哲学の一種と分類出来ます。キリスト教的哲学とか佛教的哲学と呼べば分かり易いですね。そのような宗教的哲学を信仰の対象にすれば、その哲学は宗教に変わります。従って、宗教書は信仰を強める方法の教えも、祈り方も、儀式の方法も含んで書いてあります。
結論を簡単に言ってしまえば、宗教の教義は哲学の一種類と分類出来ます。宗教はその哲学を信仰することです。信仰が有るか否かでその哲学の一種が宗教に変化するのです。
それでは富士山の頂上からご来光を拝むのは哲学でしょうか?宗教でしょうか?
拝むかぎりにおいて、それは宗教です。富士山に登らないで、そして自宅からも朝日を拝まない人もいます。しかしその人が太陽が地上を照らすお陰で生物が生きて行けると考えていたら、それは哲学の一種ですね。あまり緻密ではありませんが、それは一つの宇宙観になっています。
神社を参拝するのも宗教行為です。しかし神道は普遍的な宇宙観を完全な形では提案していません。哲学的な考えがあまり含まれていません。
高等宗教と原始宗教の違いは普遍的な宇宙観を提示しているか否かによって分類します。神道は原始宗教、そして仏教は高等宗教と呼ぶのはこのような理由によりますね。
哲学と宗教の違いを何時も明確にして置いた方が混乱が起きなくて良いと思いますが。貴方のご意見はいかがでしょうか?
水戸にお住まいの玲さんはいつも素晴らしい写真を発表していらっしゃいます。そのブログは「日々の思いをカメラに・こころのままに」という名前です(http://blog.goo.ne.jp/koiredawa)。その中から今日は猫好きの方々のために3枚の写真をお送りします。いつもは鮮明かつ緻密な傑作写真が多いのですが、この3枚は携帯で撮ったので画素数が少なくいつものとは少し趣が違います。是非、彼女のブログの写真もご覧下さい。玲さん、転載許可を下さいまして、有難う御座います。
江戸時代は鎖国でした。ヨーロッパ文化はオランダだけから細々と入って来ました。しかし明治維新でいきなり開国し、西欧文化を遮二無二に輸入し、富国強兵を進めました。
西洋文化の中から、富国強兵にすぐに役に立つ分野だけを集中的に取り入れたのです。従って西洋文化の各分野をバランス良く取り入れることはありませんでした。バランスが悪いだけでなく、とんでもない間違いをしているのです。
昔の話で恐縮ですが、アメリカの大学へ留学したとき、この間違いを体験的に理解しました。日本の大学では学問を教えるところだと散々聞いていました。ところがアメリカへ行ってみると、学問という英語が存在していません。大学という学校では「哲学」を教える所だと言うのです。
明治政府が大学を作る時、ヨーロッパの大学を形式的に真似をしましたが、教える内容を富国強兵にすぐ役に立つように変えてしまったのです。
「哲学」という言葉を見ると多くの日本人は顔をしかめます。難しくて理解できない。何の役にも立たない。厭な分野だ。厭な事は考えないで、気楽に生きよう。
アメリカの大学では、まず「哲学は簡単なもの」という事から教えます。自然界で起きる現象の法則性を考えるのが哲学ですと。人間の行動も自然現象ですと教えます。
例えば、近所の八百屋のおかみさんも、季節によって売れる野菜が違うことを知っています。お客さんの買う態度に、季節によって違う法則性を、体験的に知っています。この法則が哲学の一種なのです。商売現象の法則性だけが哲学ではありません。科学は自然界の現象の因果関係の法則性を明らかにする分野なので、科学の全ての分野は哲学の一部です。
これは自分の自慢話です。私は哲学書を一冊も読んだことが有りませんが、アメリカで哲学博士の称号を貰いました。ごく狭い科学の分野の研究をしただけです。その体験を得てから、目から鱗が落ちるように欧米の大学と日本の大学では存在目的が大きく違うことを理解出来たのです。
欧米では哲学を研究して教える為に大学が存在するのです。日本では富国強兵のためにすぐに役に立つ知識だけを教授が欧米から輸入して学生へ教えるのです。
現在の日本では、「富国強兵」の強兵は無くなりましたが、富国が残りました。日本の経済的発展の為にすぐに役に立つ技術を教える工学部や経営学部や経済学部がやたらと学生定員が大きいのです。
そうかと思うと哲学とは無関係な文化系の学部の学生も多いのです。
大体、Philosophyや、Scienseや、Technoplogyを哲学、科学、工学と翻訳したのが間違いのもとです。3つとも「学」の字がついていて並列にならぶ分野の違いという意味になってしまいます。哲学がすべてを含み、一番上にして考えると体系的に分かります。日本人は学問というと深遠で立派なものだと思います。しかしその一方で学問は知識を多く暗記する事とも理解しています。そのような理解で欧米の知識を現在でも輸入しています。日本が欧米から買っている特許の金額が、売っている金額の10倍なのです。
この日本と欧米との文化の質の大きな相違に気がついて居ない人々が多すぎる。そんな思いは老境になった現在でも一向に変わりません。
書いてはいけないと封印してきた思いを書いてしまいました。心に詰まっていたシコリです。シコリは忘れて、気楽に生きることが出来るような気分になりました。
あなたも心にシコリを抱えていたら、公表してしまうと楽になりますよ。
今日も皆様のご健康と平和をお祈り致します。藤山杜人
昨日、転載許可のメールを頂きました。現在86才の、めいこさんの絵は以前にもご紹介しました。少しご無沙汰してしまいましたので以下に久しぶりにご紹介します。平成16年かからブログ( http://hyoutannjima.hp.infoseek.co.jp/ )を始め、絵画を毎月のように掲載しています。ほのぼのとした楽しい絵です。疲れた時に見ると、ホッとして疲れが飛んでゆきます。
裕福な家庭に育ち、素直で優しいご性格です。絵も良いのですが、ブログの文章が伸び伸びとしていて楽しいのです。昭和の良き時代の東京の生活が感じられ、興味深い内容の文章です。それにしても86歳というご年齢でも、こんなに新鮮な絵や文章が書けるのは驚きです。若々しい精神の持ち主と以前から尊敬していました。私は74歳ですから、もっと若々しい記事を書くべきだと反省をしています。
下の絵は上から順に、学徒動員前に友人達と浜辺で遊んだ折の風景、浜離宮へ行ったときのスケッチ、白州次郎の屋敷、今年の花見の様子、の4枚です。めいこさんのブログにはもっと、もっと多くの絵と文章がありますので、是非、お楽しみ下さい。
とにかく、そこは深い、深い森の中です。上の写真のような雨雲で暗い山道を根気よく登って行きます。猿やイノシシが棲んでいて、時々眼前を鹿が横切ります。
車を松林の入り口に停めて、50mほど笹道を分け入ると下のような鬼家(オニイエ)さんの家が見えてきます。
この家まで到達するのが一つの冒険です。暗い林は人間の手が入っていないので、荒々しく、恐いようです。都会に住んで居る人々はきっとこんなに奥深い自然林の中に入った経験が少ないと思います。松蝉が神秘的な声で鳴いています。人間世界とは遠く離れた別世界です。やっとの思いで、玄関に着き、大声で鬼家さあーんと呼びます。家が大きいので大声でないと聞こえないのです。彼がニコニコと出てきます。モリアオガエルを見に来ました。今、飼育箱を出して来ますから、まあ、上がって下さい。モリアオガエルの飼育箱を挟んで、座り、蛙の話だけをします。モリアオガエルは眼がぱっちりとして実に可愛いカエルです。触ると絹織物のようにスベスベした肌です。冷たい肌です。手の上に乗ります。木の枝へ登ります。可愛いモリアオガエルの写真を下に示します。
このモリアオガエルは昨年の春に、卵塊からオタマジャクシを育て、餌の虫を根気よく与え大きく成長させ、冬眠に成功したのです。
鬼家さんの苦労を見てきましたので可愛い眼を見ると私まで嬉しくなります。
青い金網を張った小屋も出来ています。まだ体が小さいので網目を抜けるので家の中の飼育箱で飼っています。
家の周りの林の中に幾つか池が作ってあります。その池の一つに今年もモリアオガエルの卵塊があります。特別な泡で出来た直径15cmくらいの卵塊のなかに小さなオタマジャクシが沢山動いています。10日位経つと下の池に落ちて、やがて足が出て、手が出ます。
今年も数十匹のモリアオガエルが育つような勢いです。
鬼家さんとは20年近い交友です。始めは野草の草花やキノコの栽培を楽しんでいましたが、2年前からモリアオガエルの飼育も始めました。
梅雨の季節の山林は暗い緑です。毎日、雨です。しかし湿ったこの季節こそモリアオガエルにとって最高の季節なのです。カエルが幸せなら、こちらも幸せになります。そんなことを考えながら雨の林の細い道を歩いて帰ってきました。昨日の話です。なおカエルの写真はhttp://sizen068.blog95.fc2.com/ から借りました。
今日も皆様のご健康と平和をお祈り致します。藤山杜人
私はマスコミの商業主義的な報道姿勢へ対して厳しい意見を、このブログで度々書いてきました。しかし今日の読売新聞、38ページの訃報報道には深く感謝いたします。
その訃報は,無教会主義者、内村鑑三の流れをくむ第三世代の重鎮、高橋三郎氏が89歳で亡くなり、東京港区赤坂1の14の3の霊南坂教会で、28日午後1時30分からお別れの会があるというお知らせです。喪主は、妻の美佐子さんです。
私のように世界的な固い組織のあるカトリックの信者にとっては、無教会主義は常に考えねばならないことです。
その上、内村鑑三の第三世代の重鎮とは興味深い報道ぶりです。
内村鑑三は明治時代にキリスト教を日本人独自の信念で、咀嚼、理解し、血肉化した偉大なキリスト教徒です。日露戦争に賛成したと批判する人々も多いのですが、私の大好きな日本人的な本物のクリスチャンです。
その流れを汲む人が居て、第三世代だという報道なのです。その人は89才で天に召された高橋三郎さんです。
天にまします我らの父よ、そしてイエス様、どうぞ高橋三郎様を天国へお迎え下さい。
今日は山小屋へ家内と日帰りで行ってきました。
鬼家(オニイエ)さんの山荘により、モリアオガエルの成長ぶりを見てきました。眼がパッチリとして、人相がとても可愛くなって来ました。
その姿の写真は明日掲載します。梅雨空の下の雑木林はほの暗く、静かでした。遠方で松蝉とミンミン蝉が小さな声で鳴いていました。
おやすみなさい。
このブログは国際政治から科学、源氏物語、旅行記などなどとりとめも無い雑多なことが書いてあります。本当をいうと話題を幅広くして、読者層を老人だけにならないように努力しているつもりです。そこで、少女小説を取り上げました。前回の記事;携帯小説を見る方法をご紹介致します に続けて、その先を転載しました。
少女小説を読むのは初めてです。根気良く読みましたら2つの感心すべきことがありました。まず、美しい日本語で書かれていることです。そして少女のみずみずしい感じ方が分かり易く書かれていることです。内容は老人にとっては退屈なものが多いと想像できました。感心すべきことが2つもあったので、続きを以下に掲載します。転載許可を下さいました、チルさんへ感謝致します。
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SUNと同じ発音で違う意味の単語知ってますか?」
と先生は続けてタカシに質問した。
若い女の先生は、いたずらっ子っぽいタカシを面白がっているようだった。
「知りません!」
タカシは即答した。
・・・誰でも知っているでしょ・・・
私は可笑しくなって、一緒に来ている友達の顔を見ようとした。
彼女達は下を向いており、首を上げた私だけが、先生の視線に捕まった。
「ユリさん、知ってるでしょ?」
「ハイ・・・息子・・・SON」
「そうよ!
タカシ君!
君はお父さんの息子でしょ?」
「たぶん・・・」とタカシが答え、みんながドッと笑った。
授業が終わり、友達と3人で話をしながら校庭に下りていくと、タカシと友達がサッカーボールでリフティングをしていた。
私達は女子高に行っていたので、サッカー部はなかった。
リフティングはまるで、曲芸のようで、目を奪われた。
見物していると彼らは調子に乗って、肩や頭でもリフティングをやってみせた。
ボールがそれて、タカシが受け損なった時、私は思わずそのボールに手を伸ばした。
「足で取らなきゃ!」
タカシにボールを手渡すと、彼は白い歯を見せて笑った。
「頭いいよな~私立なの?」
褒められたせいか、見つめられたせいか、私は一瞬にして顔に血が昇り真っ赤になった。
・・・やだやだ!見られたくない!・・・
タイミングよく先生が後ろから
「授業が終ったら、早く帰りなさ~~~い!」
と叫んだ。
「うるせ~な~先公!」
タカシが小さな声でつぶやいた。
そんな言い方をして、不良っぽいなと思った。
ちょっと怖くなった。
4ページ目から24ページまで省略します。そして以下は25ページ目です。
「男でないこと」
15歳で母を亡くした。
愛情に飢え死にしそうな私はさぞや物ほしそうな目をしていたことだろう。
道を歩くだけで、男達から次々に声がかかった。
始めは道を聞かれるのかと思って立ち止まった。
すぐにある一定の速度で歩かなければ、手を引かれることに気付いた。
通りすがりに1万円札を握らされることもあった。
自分が、そのような対象に見えることが15歳の私には不潔に感じた。
大人が嫌い・・・
男の人が怖い・・・
同じ年頃のボーイフレンドに守って欲しかった・・・
でも、彼も男だった・・・