後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「北極圏に住むイヌイット民族の家と捕鯨」

2024年08月30日 | うんちく・小ネタ
現在、カナダで生活をする「イヌイット」は北極地方、特に北米大陸の北端と北極諸島沿岸部で生活している。地球上で最も寒冷な地域に太古の昔より居住、生活し続けて来た稀有な民族である。
その民族の家は2種類あり狩猟用の簡単な雪の家と定住用の集落にある立派な家があります。

1番目の写真は狩猟用の簡単な雪の家、イグルーとスノーモービルの写真でし。

2番目の写真は定住用の集落にある立派な家です。
イヌイット民族の伝統的な食生活は主に肉食で、主にオットセイやセイウチ、クジラ等を捕まえて食べていました。また、トナカイを狩る事もあります。ワシントン条約などで狩猟が規制されているイッカクなどの動物についても、イヌイットは狩猟が認められているのです。
近年は都市化が進み、スーパーマーケット等で食品を購入して食べています。
また、衣服や靴は古くは獣の皮を剥いで作った毛皮製の物でしたが、現在は洋服店や靴屋、ネット通販等で購入した市販の洋服や靴が一般的です。
さて北極海は栄養分が豊富なので、アザラシ、セイウチ、クジラなどが多く生息しています。イヌイットが多数の生活する地域はカナダのヌナブット準州です。
日本の面積の5.5倍の広大な土地にイヌイット民族が3万2000人しか生活していないのです。
捕鯨活動の食文化の特徴は生食が中心であり料理といわれるものはほとんどありません。
脂肪を多く摂取し、植物繊維はあまりとらずに高タンパク質、高カロリー食です。狩猟した鯨の生肉もをみんなで分かち合うことも特徴です。捕鯨に関連した写真を4枚お送り致します。 

以上に北極圏に住むイヌイット民族の家と捕鯨をご紹介いたしました。

「アジサイの原産地は日本」

2024年07月18日 | うんちく・小ネタ

アジサイの原産地は日本で、その元はガクアジサイです。 アジサイは日本から中国にわたり、シルクロードを伝わってヨーロッパへと伝わっていき、イギリスなどで東洋の花として人気が出て、品種改良が進んだのです。
写真はアジサイの原産地、日本のガクアジサイです。


「カトリック」と「プロテスタント」の違いの明解な説明

2024年07月11日 | うんちく・小ネタ
「カトリック」と「プロテスタント」の違いの明解な説明を見つけましました。感動したので転写致します。
上馬キリスト教会ツイッター、https://diamond.jp/articles/-/305015 よりの転写です。
 
「カトリック」と「プロテスタント」の違い
「キリスト教」には、じつに多くの「教派」があります。
 最も多くの方が知っている教派は、何といっても「プロテスタント」と「カトリック」でしょう(もう一つ、日本ではあまり知られていませんが「正教会」という大きな教派もあります)。
 
「教派」はこうして分かれていった
 始まりは、イエス様とその弟子たちがつくった「キリスト教」です。
 後にキリスト教はローマ帝国の国教になりましたが、このローマ帝国が東西に分裂。そのため、教会も東西に分かれることになりました。
 やがて東西の教会は別々の教義を持つようになり、1054年にそれぞれの教会のトップがお互いに「君らはキリスト教じゃない」とケンカ(相互破門)して、「東方教会」と「西方教会」に決定的に分裂しました。
 この「東方教会」が今の「正教会」で、ロシア正教・ギリシア正教などの「◯◯正教」と呼ばれる教派です。
「西方教会」はその後、有名なマルティン・ルターさんの宗教改革により、「カトリック」から「プロテスタント」が分かれました。
 まとめれば「東が正教会、西がさらに分かれてカトリックとプロテスタント」ということです。
「カトリック」と「プロテスタント」の違い
 まず大きな違いがローマ教皇の扱いです。
 カトリックではローマ教皇を教会のトップであり、特別な存在であると扱いますが、プロテスタントでは「人間は神様以外みんな同じ」と考えるのでローマ教皇を特別な存在として扱うことはありません。
 イエスの母マリアについても、同じ理由でプロテスタントでは「イエス様を産んだとはいえ、一人の人間でしかない」と捉えるのに対し、カトリックでは「聖母マリア」という特別な存在として捉えます。ですから教会に行ってみて、マリア像があったらカトリックの教会、なかったらプロテスタントの教会と判断することもできます。
 しかし、両者の最も簡単な判別方法は、聖職者の呼び方です。カトリックでは「神父」とか「司祭」と呼ぶのに対し、プロテスタントでは「牧師」と呼びます。
 また日曜日にカトリックでは「ミサ」を行いますが、プロテスタントでは「礼拝」をします。ですから教会の看板に「ミサ」と書いてあるか「礼拝」と書いてあるかでも、ほぼ100%見分けることができます。
 
写真は函館のカトリック元町教会の写真です。
最初の教会堂は1859(安政6)年創建。現在の建物は1923(大正12)年に再建。大聖堂内の祭壇一式はローマ教皇から贈られたものです。

「全国の津々浦々にある日蓮宗のお寺」

2024年07月09日 | うんちく・小ネタ
「全国の津々浦々にある日蓮宗のお寺」
日蓮宗のお寺は全国の津々浦々にあります。日蓮宗の寺院は全国に4600を超え、身延山久遠寺を総本山として、北は北海道から南は沖縄まで全国に散在しております。
例えば長崎には次のようなお寺があります。
霜田寺 〒811-5154 長崎県壱岐市郷ノ浦町渡良東触216
国昌寺 〒817-0024 長崎県対馬市厳原町大手橋1128
妙光寺 〒850-0011 長崎県長崎市鳴滝3-420
本蓮寺 〒850-0052 長崎県長崎市筑後町2-10
昭徳寺 〒850-0063 長崎県長崎市飽の浦町8-18
長照寺 の写真を示します。長照寺は、東京都大田区にある日蓮宗の寺です。

アーネスト・ヘミングウェイの「老人と海」

2024年07月08日 | うんちく・小ネタ

『老人と海』はアメリカの作家アーネスト・ヘミングウェイ(Ernest Miller Hemingway)による中編小説で、出版は1952年でした。

ヘミングウェイは1899年7月21日に生まれ 1961年7月2日に亡くなりました。
この作品により、ヘミングウェイは1953年にピューリッツァー賞、1954年にはノーベル文学賞を受賞しました。

あらすじです。
キューバの老漁夫サンチャゴは、長い不漁にもめげず、小舟に乗り、たった一人で出漁する。残りわずかな餌に想像を絶する巨大なカジキマグロがかかった。4日にわたる死闘ののち老人は勝ったが、帰途サメに襲われ、舟にくくりつけた獲物はみるみる食いちぎられてゆく……。

徹底した外面描写を用い、大魚を相手に雄々しく闘う老人の姿を通して自然の厳粛さと人間の勇気を謳う名作です。


「200年前に全国を測量した伊能忠敬の日本地図」

2024年07月07日 | うんちく・小ネタ

上総の佐原の商人、伊能忠敬が隠居後、幕府の許可と支援を得て、自費で北海道から始めて、全国を測量したのです。歩いた距離は約五千万歩と言われています。

測量は1800年から17年かかりました。作成した大図、中図、小図を精密に復元し、2010年の5月3日に東京都小金井市総合体育館に展示しました。靴下を履いた足で踏みながら地図を見れるのです。

展示会には驚きました。感動しました。凄い探検旅行です。55歳で引退した後の、伊能忠敬の情熱に圧倒されました。いろいろな理由で衝撃をうけました。

(1)自分が実際に測量した所だけを精密に描いています。想像したことは絶対に描いていません。実験実証主義の権化のような人です。私は職業として実験科学を30年以上して来ましたので彼の実験科学者としての天才的才能が少し分かります。まずその事に感動してしまいました。

(2)文明開花以前の日本の風景が歴然と見えてくるのです。都市も自働車も新幹線も無かった時代です。全国によく手入れされた田園風景が広がり農村や漁村が散在していたのです。このことは当たり前で皆が良く知っていることです。しかし伊能忠敬が歩いて測量して、地名を克明に書き込んでいるのです。それを見ると、自分がその測量隊に参加しているような錯覚を覚えるのです。そして地名から当時の農村や漁村の風景が彷彿としてくるのです。

(3)1800年の頃の地名は現在へ繋がっています。漢字が少し変わっている所もありますが全て理解できます。現在重要な都市や町があった所が単なる雑木林だったり淋しい海岸だったりしているのを見てその変化に驚きます。例えば現在自分の住んでいる小金井市は武蔵野の林だったらしく何も描いてありません。府中、日野などの宿場は明記してあります。自分の山小屋のある北杜市の武川やその牧原や小高い山になっている中山などは地名も明瞭に描いてあります。

江戸時代の東海道、中山道、甲州街道の宿場の付近は詳細に描いてあります。

(4)蝦夷地の地図が驚きです。松前の近辺だけに漢字の地名がありますが、他は全てアイヌ語をカタカナ表示で書いてあります。上の写真にあるように国後島も踏破して、海岸の地名が克明に書いてあります。これを見ると1800年当時は北海道は完全にアイヌ民族のものだったと理解できます。現在ある札幌も旭川も釧路も存在していないのです。

(5)国破れて山河あり、という唐詩があります。幾ら戦乱があっても自然の風景は変わらないと言います。しかし文明開化後の日本の風景は激変したのです。

富士山の風景は変化しませんが、手前に高圧電線が見えます。新幹線の列車が遠方にみえます。東名高速道路が見えます。静岡市のビルも見えます。風景をそのようなもの全てを含めると日本の風景は激変してしまったのです。当然住んでいる人々の心も変ったに違いありません。そん事まで考えさせる感動的な展示会でした。入場料金は500円です。「完全復元伊能図全国巡回フロア展」は各地で開催されました。

その写真をお送り致します。

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「長崎の大浦天主堂にまつわる話」

2024年05月26日 | うんちく・小ネタ
大浦天主堂は建立まもない頃は「フランス寺」と呼ばれ、美しさと物珍しさから付近の住民たちが多数見物に訪れていた。プティジャン神父には「今でも何処かでカトリック教徒が密かに信仰を伝えているのではないか」という僅かな期待があった。
1865年3月17日(元治2年2月12日)、浦上(長崎市)の住民十数名が天主堂を訪れた。そのうちの40~50歳くらいの女性がひとり、祈っていたプティジャンに近づき、「私どもは神父様と同じ心であります」(宗旨が同じです)と囁き、自分たちがカトリック教徒であることを告白した (この女性の名は、イザベリナ杉本百合だったと言われている)。
彼らは聖母像があること、神父が独身であることから間違いなくカトリックの教会であると確信し、自分たちが迫害に耐えながらカトリックの信仰を代々守り続けてきたいわゆる隠れキリシタンである事実を話し、プティジャン神父を喜ばせた[12]。
その後、プティジャン神父は密かに浦上や五島などに布教を兼ねて訪れ、隠れた信者の発見に努めた。浦上だけでなく長崎周辺の各地で多くのカトリック教徒が秘密裏に信仰を守り続けていたことがわかった。この「信徒発見」のニュースはやがて当時の教皇ピオ9世のもとにもたらされた。教皇は感激して、これを「東洋の奇蹟」と呼んだという。この日は現在カトリック教会では任意の記念日(祝日)となっている。
 
 
 

「泥鰌はどんな魚?」

2024年05月13日 | うんちく・小ネタ

泥鰌はコイ目ドジョウ科の淡水魚です。小川や田などにすみ、冬は泥に潜ります。全長約20センチにもなり、体は細長い筒形で尾部は側扁し、背側は緑褐色、腹側は淡黄褐色で、口ひげは五対です。うろこは細かく、厚い粘液層で覆われ、補助的に腸呼吸を行います。柳川鍋やどじょう汁などにして食べます。
分布:
日本列島(伊豆・小笠原諸島、琉球列島を除く)、朝鮮半島、アムール川、中国中南部からベトナム北部、台湾、海南島。移植として、ヨーロッパ、北アメリカ、北海道などです。
雑食性で、ユスリカの幼虫、イトミミズなどを主に摂食する。主に用水路や田などに生息しており、冬に水温約7℃を下回ると、泥の中で冬眠を始める。
口ひげは上顎に3対下顎2対で合計10本ある。
このひげには味蕾(みらい)があり、食物を探すのに使われる。えらで呼吸するほか、水中の酸素が不足すると、水面まで上がってきて空気を吸い肛門から排出する、腸呼吸も行うが、腸呼吸は補助的な酸素取り込み手段であり腸呼吸だけでは生存のための必要量を摂取できず死亡する。
 条件が良ければ1年で成熟し、水田域での寿命は1 - 2年と考えられている。山間の池沼などでは、より長寿と考えられる大型の個体もみられる。

 ドジョウは水田に多く見られ、古くから農村地帯で食用に用いられていた。江戸時代から戦前にかけては東京郊外の水田でいくらでも獲れ、低湿地で水田が多かった東京の北東部地域の郷土料理となっている。 

以上は、https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%82%A6#%E6%96%87%E5%8C%96 から抜粋致しました。

「日本のカトリックにとって五島列島は巡礼地」

2024年05月12日 | うんちく・小ネタ
日本のカトリックにとって五島列島は巡礼地と私は思っています。
日本の全てのカトリック教会はローマ法王へ直属していますので「日本本山」というものはありません。
しかし私は長崎の大浦天主堂が「日本本山」だと思っています。日本を訪問したフランシスコ教皇も長崎へ巡礼の旅をなさいました。

五島列島には江戸時代に隠れキリシタン達が沢山住んでいたのです。明治時代になって禁教が解けた以後に隠れキリシタン達が美しい教会をたくさん作ったのです。
数年前、私は家内とともにこれらの美しい教会を巡る旅に行ったのです。それは隠れキリシタン達を偲ぶ巡礼の旅でした。

写真は家内とともに訪れた五島列島の教会の写真です。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)


「鯉のぼりと端午の節句は元々は女の節句だった」

2024年05月01日 | うんちく・小ネタ
間もなく麗しの皐月がやって来ます。そして青空に鯉のぼりが泳ぐ端午の節句になります。
青空に鯉のぼりが舞う写真をお送りし、端午の節句はもともとは女の節句だったというお話しをしたいと思います。
昭和の初めころの鯉のぼりは真鯉と緋鯉と吹き流しの三つが普通だったような記憶があります。昭和11年生まれの私の家の庭には太い丸太の棒を立て、真鯉と緋鯉と吹き流しが五月の風に青空を泳いでいました。それは戦前のつかの間の平和な時代でした。その頃は鯉のぼりは男の子のいる家で上げるという風習でした。
1番目の写真はそのような時代の吹き流しと鯉のぼりです。写真の出典はhttp://nobrin7.exblog.jp/11057098/ です。

2番目の写真は長野県阿智村の鯉のぼりです。
出典は、https://jp.zekkeijapan.com/article/index/938/ です。
 
さて端午の節句にまつわるお話しをしたいと思います。端午の節句は時代によって随分と変化したようです。
端午(たんご)は五節句の一つです。端午の節句は菖蒲の節句とも呼ばれます。日本では端午の節句に男子の健やかな成長を祈願し各種の行事を行う風習がありました。
現在ではグレゴリオ暦(新暦)の5月5日に行われ国民の祝日「こどもの日」になっています。地方では旧暦や月遅れの6月5日に祝う地域もあります。

旧暦では午の月は5月にあたり、5月の最初の午の日を節句として祝っていたものが、後に5が重なる5月5日が「端午の節句」の日になったのです。
ところが端午の節句はもともと女の節句だったのです。
昔、中国では五月は悪い月とされ、薬草をとって悪い気をはらう行事がありました。かおりの強いアオイや菖蒲には、魔よけの力があると信じられていたのです。
また、このころは、ちょうど田植えのシーズンでした。田植えは、昔、女性の仕事だったので、この日は女性が大切にされ、女性だけが菖蒲をふいた屋根のある小屋に集まり、そこで過ごし悪い気をはらう行事がありました。
これが「菖蒲の節句」でもともとは女の節句だったのです。
中国の「女の節句」が日本の鎌倉時代ごろから、菖蒲が「尚武(武を重んじること)」に変わり、男の子の節句となったのです。
鎌倉時代ごろから、「菖蒲」が「尚武」と同じ読みであること、また、菖蒲の葉の形が剣を連想させることなどから、端午は男の子の節句となったのです。
端午の節句では鯉のぼりだけでなく、鎧、兜、刀、武者人形や金太郎・武蔵坊弁慶を模した五月人形などを室内の飾り段に飾ります。
ただし「こいのぼり」が一般に広まったのは江戸時代になってからで、関東の風習として一般的となりました。
しかし京都を含む上方では、当時は見られない風習であったようです。
また端午の日には柏餅(かしわもち)を食べる風習があります。
柏餅を食べる風習は日本独自のもので、柏は、新芽が出るまで古い葉が落ちないことから「家系が絶えない」縁起物として広まりました。 以上は、https://ja.wikipedia.org/wiki/端午 からの抜粋です。

それにしても端午は元々女性の節句だったとは面白いですね。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)

「花々が咲く季節、日本人が好きな花のランキング」

2024年04月29日 | うんちく・小ネタ

花々が咲く季節になりました。良い季節です。うちの狭い庭にも10種以上の花が咲いています。花の好きな家内が植えた草花や木です。

そこで日本人が好きな花は何か考えてみました。日本人が好きな花のランキングを調べてみました。そしたらNHKの放送文化研究所の調査を見つけました。
2007年に全国300地点、16歳以上の国民3,600人を対象に今の日本人が好きだと感じているものの調査です。
好きな花ベスト20のランクです。ランクの高い順に示します。
桜、チューリップ、ばら、コスモス、ひまわり、梅、らん、すずらん、ゆり、あじさい、カーネーション、すみれ、朝顔、菊、シクラメン、つつじ、すいせん、菜の花、ふじ、桃でした。
こういう統計では桜が必ず1位になるのが特徴です。前の1983年と比較すると順位の変化もさることながら、桜以外の花が好きだと回答した人の比率がいずれも低下しているのがまず目立っています。
 順位の変化としては、「花」では、らんやすみれなどの上昇と菊やつつじなどの低下が目立ちます。要するに昔流行った菊やつつじなどに代わって洋花が人気なのです。

1番目の写真はNHKの放送文化研究所の調査結果です。花々の他に好きな木の調査結果も示してあります。

さて考えてみるとこのような調査結果は年齢層や男女によって大きく変ると思います。そこでいろいろな組織が行った調査結果を調べてみました。そうしたらどれも櫻の花が1位でした。しかしその他の花は順位が入れ替わっています。一つだけ例として示します。

2番目の写真は日本リサーチセンターの調査結果です。(https://www.nrc.co.jp/report/191119.html#:~:text=1%E4%BD%8D%E3%80%・・・)

櫻の花が1位ですが他の花の順位は変わっています。

どの調査でも櫻の花が1位という事実は驚きです。日本人は桜に関する歌や物語を幼少の頃から知っています。第二次世界大戦の時は特攻隊は桜が散るように自分の命を犠牲にしたのです。小学校に初めて入学する頃は桜が咲いています。桜花はいろいろと日本人の心に深く刻みこんでいるのです。

他の花々は庭や家の中の花瓶にある身近な花です。好きな花です。それでは美しい花々の写真を示します。写真は順順にチューリップ、ばら、コスモス、らん、すずらん、ゆり、すみれの花々です。

今日は日本人が好きな花のランキングをご紹介致しました。

それにしても花々が咲く季節になりましたね。良い季節になったのです。嬉しいです。 

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。後藤和弘(藤山杜人)


「鈴木牧之著、「北越雪譜」より」

2024年02月09日 | うんちく・小ネタ
越後塩沢(いまの南魚沼市塩沢)の文人鈴木牧之が、天保8年(1837年)江戸文渓堂から出版した本「北越雪譜」は大評判になった。
越後のくらし、自然、生物、仕事、伝承、民俗行事、遊びなどが取り上げられ、なかでも、江戸の人間の想像をはるかに超える越後の豪雪が生々しく描かれていたからである。

・・・雪中の洪水・・・
(塩沢では)大かたは初冬と仲春に雪中の洪水が起こることがある。
魚野川に注ぐ流れが、大雪でせき止められ、普段はしっかり雪を除きながら井戸の代わりとして便利に使っていたものの、一気に堰(せき)が切れて流水がみなぎり、なおも溢れて人家に入り、水難に会うこと多し。家財を流し、溺死することもある。・・・
写真の出典は、https://nafu.ac.jp/magazine/22450/ です。
 

「キリスト教を簡単に理解する方法」

2024年01月15日 | うんちく・小ネタ
キリスト教を簡単至極に説明したいと思います。
さて、ユダヤ民族だけの民族宗教として旧約聖書が前 900年頃に出来ました。それから、長い年代にわたって改正が続きましたが、ユダヤ民族がバビロニアに捕囚されていた時代に大部分が編集されたそうです。

この旧約聖書は長い間、ユダヤ教の基本でしたが2000年前にイエス・キリストが改正をして世界の全ての民族に通用するキリスト教を作ってしまったのです。
この宗教の特徴は『神はヤハウエ神だけである。偶像崇拝は行わないこと』ということにあります。

キリスト教では「この世のことに執着しないで天の神様やイエス様のことを愛せ」と教えます。
佛教もキリスト教も、この世の全てのことに執着するなと教えている点は全く同じなのです。
キリスト教では「神やイエスさまを愛せ」、そうすれば「神やイエスさまが貴方を愛します」と教えます。

人間が神の愛、イエスさまの愛を信じ、確信出来れば、この世のことには執着しなくなります。いろいろな悪い欲望が消えるので心が平和になります。幸福になれます。
ここで一休みしてユダヤ民族だけのためにあったユダヤ教が全ての民族へも普遍的に通用するようにしたのがイエスさまでした。
その改革の重要な部分を考えて見ましょう。
それはは「神は全ての人を、異民族も平等に愛す」と言い出したのです。異教徒のサマリア人も愛したのです。取税人も愛したのです。
イエスさまは弟子たちに全ての言語が話せるようにして外国へ派遣したのです。

これは神は人種、職業、金持ち、貧しい人を問わず全ての人を愛しているという、当時としては衝撃的な教えでした。
これはユダヤ教徒だったイエスさまの大きな宗教改革だったのです。
キリスト教で毎週一回教会に集まり、神やイエスさまにお祈りをささげます。そして驚くべきことにイエスさまの肉体の一片に模したパン片をたべる宗派もあるのです。カトリックがその宗派です。

この宗教的儀式はミサと言いす。そしてその儀式の概略は以下のようになっているのです。
まず簡単に言えばミサは次の4部分から成り立っています。
1、開  祭
2、ことばの典礼(旧約聖書、新約聖書の朗読)
3、感謝の典礼
4、交わりの儀と閉祭。
この4つの部分で一番重要なのが、4、交わりの儀なのです。
この時、信者一人一人が神父の前に行って、イエスさまの肉体の一片に模したパン片(聖体)を拝領します。

キリスト教では神がこの世に派遣したイエスさまを非常に大切にします。
キリスト教はどんな国々の人にも普遍的に通用するのです。
如何でしょうか?キリスト教の内容がご理解頂けたでしょうか?

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)


「アメリカでのお正月の過ごし方」

2024年01月02日 | うんちく・小ネタ
1月1日を英語では「New Year’s Day」と呼び祝日にはなっていますが、日本のように初詣に行く習慣はありませんし、日本でいう凧あげなどのお正月ならではの遊びもありません。

おせち料理に代わる料理もありませんし、大晦日にパーティーで大勢での飲食を楽しんだあとなので、ゆっくりと過ごす人が多いです。
アメリカではクリスマス前後に長期の休みをとるので、お正月は2日から通常勤務に戻るのが大半です。


「小金井小次郎が流された三宅島の風景」

2023年12月28日 | うんちく・小ネタ
三宅島は江戸時代は流刑地でした。江島生島事件の役者生島新五郎などの墓がああります。そして小金井小次も流されました。
噴火島で最近500年間では、平均50年の間隔で13回の噴火が起き、明治時代以降だけでも5回を数えます。中でも直近の2回、1983年、2000年の噴火は大きかったの」です。
しかし住民が住み続け令和5年6月 時点での人口は2,285人でした。
詳しくは、https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E5%AE%85%E5%B3%B6 をご覧ください。