後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

日本は仏教徒が90%、キリスト教徒5%、その他の宗教信者5%位になるのが良いと信じています

2011年07月31日 | 日記・エッセイ・コラム
私のブログでは明治時代へのかなり厳しい見方を書いて来ました。 そして仏教についても誤解されそうな書き方をして来ました。ここでその理由について明快な説明をしたいと思います。

(1)明治維新以降の先人達へ厳しい評価をしている事について。

日本が明治維新を敢行し、欧米の植民地になることを防止出来た事は素晴らしい大成果です。勇気と迅速な決断で薩長土肥のグループが近代国家を作り上げたことは日本民族にとって画期的な大貢献です。

この大成功に目が眩んで明治時代の陰の部分を忘れ、欠点が皆無であったとすれば、それは客観的歴史観とは言えないと思います。

例えば何故、自由民権運動が起きたのかという問題もその一つです。その後に起きた、幸徳秋水ら24名を死刑にした大逆事件なども、明治政府の行き過ぎた明治天皇中心主義の暗黒史です。

明治時代は大局的に見れば日本民族にとって大変良い時代であったと私は信じています。しかしその影の部分を忘れるのではなくキチンと書き残す事も非常に重要なことと信じています。明治の先人達を尊敬しつつも、暗黒な歴史を書くのも義務と信じています。

(2)日本から仏教の影響を排除する事の是非について。

私はカトリック信者ですと何度も書きました。

しかし、私は日本人の全てがクリスチャンになってしまえば良いと思っていません。

私のカトリック信仰はそのように狂信的ではありませんし排他的でもありません。

むしろ私は仏教が大好きです。日本は天平、飛鳥時代から佛教国になったのです。日本中には10万以上のお寺があります。お釈迦さまの教えを日本人はよく知っています。今回の大震災で日本人が動揺することなく静かに運命を受け入れた態度を外国人が称賛しています。

その態度は日本人が仏教の影響を深く受けていた証拠と思います。私はその事を大変嬉しく思いますし、誇りに思います。

西洋の個人を尊重する考えや民主主義は、お釈迦様の教えになんら矛盾しません。お釈迦様は人間の一人一人を大切にし、その無限な慈悲の心を示して下さいます。貧富や年齢や男女による差別をお釈迦様は悲しんでいます。

日本人の90%くらいの人々が善い仏教徒になればとても平穏で幸多い国になると思います。あとの5%くらいがキリスト教徒で残りの5%位がイスラム教やユダヤ教などのその他の宗教の信者になれば最良と思っています。そして違う宗教の日本人がみんな仲良くして、世界に模範を示すのが良いと信じています。

そして全ての宗教の日本人は古来からある神社に敬意を表し、神道を支援するようにする事も大切ではないかと思います。

違った宗教を習合するのでは無く、お互いに尊敬しあって仲良く生活をする事こそ一番良い事と信じています。

そのようになる事を祈っています。


流れ行く日々・・・老後の楽しみと悲しみ

2011年07月31日 | 日記・エッセイ・コラム

仕事を全然しない老後の日々は想像以上に楽しい日々です。しかし社会とのつながりが次第、次第に薄くなって行き、なんとなく悲しい気分になります。

そんな流れ行く日々の様子を写真で示しながら書いて行うと思います。

今年は節電で冷房装置をなるべく使わないと家内が言い出しました。そして夕日が暑く射し込む西窓をゴーヤの葉で覆うという計画を発表しました。私の役目はホームセンターから農業用の網を買って来て、窓の外に取りつけることです。

本当にゴーヤの弦が登って来るのか心配でしたが、下の写真のようになりました。ゴーヤの実も4個なっています。もう少し大きくなればゴーヤチャンプルを家内が作ってくれると言います。こんな詰まらない事がめっぽう楽しいのです。そして夏の日々が静かに流れて行きます。

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年をとるに従って確実に体力が無くなって行きます。もう山登りや激しいセイリングは出来なくなりました。それは悲しい事です。

しかしあまり体力の要らない散歩はいくらでもでもできます。なにせ時間だけはたっぷりとあります。住んで居る小金井市の地図を見て散歩のルートを決めます。

見ると武蔵野公園の西に「薬師通り」とか「七軒家通り」という江戸時代の名前のような通りがあります。一度も行った事の無い通りです。

早速行ってみました。大変ガッカリしてしまいました。江戸時代どころか昭和の面影もありません。小さな新築の家々が延々と並んでいて、狭い道を車が苦しそうに走ってるだけです。狭い道幅だけが江戸時代の農道を暗示しているだけです。

あまりばかばかしいので道のそばに咲いている花々の写真を撮って自分を慰めました。下にそのような花の写真を2枚示します。

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七軒家通りが突き当たった所に下のような武蔵野公園の入り口がありました。すかして見ると奥の方まで見事な雑木林になっています。その奥行きの深い感じを写真に撮ろうとしました。その一枚の写真が下のものです。ほの暗い林の感じを写したつもりです。

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暗い林の中へ魂が吸い込まれるような気分です。何故かそれが快感と感じます。「こずかたのお城の草に寝ころびて 空に吸われし十五のこころ」という啄木のうたを思い出していました。

そして、先日、贈呈された寺島博之さんの詩集、「西瓜を食べた後で」の書評をどの様に書こうかと考えながら歩いていました。

こうして静かな日々が今日も流れて行きます。

それはそれとして、

今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。藤山杜人


原子力安全保安院の世論操作と冷戦時代のソ連の平和攻勢

2011年07月30日 | 日記・エッセイ・コラム

自民党の政権時代に経済産業省の原子力安全保安院が、原子力発電の安全を宣伝する集会で、反対意見が出ないように工作したというニュースが盛んに流れています。

各地の電力会社の社員を動員して集会の質問の時間に原発安全と原発推進賛成の発言を集中して、反対意見の発表を封じ込めようとしたのです。

戦後えいえいと努力して守って来た言論の自由をいとも簡単に踏みにじったのです。その上、原発の安全神話を国民に植え付けようとして平気で世論操作をしていたのです。何年も平気でして来たのです。

この経済産業省の行為は政権党の自民党の指導のもとに行われてたと考えるのが自然です。

良識ある官僚が平気で言論の自由を踏みにじったのです。政権党の指導がある時は官僚は勢い良く実行します。

しかしどのような世論操作も絶対に許される事ではありません。

何故このような非常識な事が何年も続けて行なわれて来たのでしょうか?

それは革新系の社会党や共産党が原発を政治運動の手段に利用してきたからです。原発に反対すれは票が集まり、議員の数を増やすことが出来るのです。これは一見民主主義の原理にかなっているから善であると考える人もいます。いても当然です。

しかしソ連との冷戦が厳しかった時代に、ソ連は日本へ「平和攻勢」をかけて来たのです。ベトナム戦争反対!平和が良い!戦争につなる安保反対!核弾頭につながる原発反対!という叫びが冷戦時代の日本中にこだましていました。

ソ連の「平和攻勢」とは日本の国内の平和運動を支援して日本とアメリカの仲を悪くさせようとする政治運動なのです。

それに対抗して安保体制維持の自民党はいろいろな運動を展開しました。その中の一つに、原発の安全を宣伝し、アメリカから原発を輸入して日米関係を強固なものにしようとしたのです。

1990年のソ連の崩壊で冷戦は終了したのです。しかし自民党や中央省庁は相変わらず原発の安全宣伝を政治運動の一つとして継続してきました。

政治運動には汚い方法も平気で行います。電力会社の社員の動員など当たり前のような風土があったのです。それを冷戦終了後20年たっても断ち切れない官僚文化に国民が呆れかえっています。それが昨今の状況です。

ソ連との冷戦が終わった時点で日本の外交方針やエイネルギー政策をキチンと考え直すことをしなかった事が大きな負債として現れて来たのです。それが今回の経済産業省の世論操作事件なのだと信じています。

時代が変われば日本の政策もドンドン変えて行くべきと信じています。それを怠ったのが今回の不祥事の原因と思います。

皆さんのご意見は如何でしょうか?コメントを頂ければ嬉しく思います。(終り)


あなたは流行歌、民謡、クラシック、のどれが一番お好きですか?

2011年07月30日 | 日記・エッセイ・コラム

日本の流行歌や民謡は大好きだがクラシックは退屈ですと言う人もいます。あるいは日本の民謡は低俗だから嫌いだという人もいるでしょう。そして美空ひばりの歌を聴こうともしない人もいます。

そんな面倒なことを言わないで全て好きという人もいます。どうしてこのように分かれるのでしょうか?

以下にクダクダしい理屈を書きますが、面倒なので始めに結論を書きます。

・・・ある種類の音楽が好きになった原因はその種類の音楽を何百回、何千回も聞いたからなのです。すなわち「訓練」が人間の趣向を決めているのです。・・・

人間の文化にとって「訓練」が非常に重要だと主張するのがこの記事の目的です。

お暇の方は以下を是非お読み下さい。お忙しい方はここでお止め下さい。

私の育った戦中、戦後はテレビも民間放送も無く、あるのはNHKのラジオだけでした。朝起きるとラジオのスイッチを入れ、夜寝る時に消します。その間は大きな音でラジオが鳴っています。空襲警報を聞くためにもつけっ放ししておく必要がありました。

NHKは健全な歌謡曲やクラシックを四六時中流しています。日本各地の民謡もよく放送していました。現在はほとんど絶滅した浪花節や講談もありました。戦争中には軍歌がいつも聞こえていました。戦後はラジオ歌謡という穏やかなメロディーが流れていました。

そんな環境に育った私は歌謡曲とクラシックが好きになりました。そして現在は聞くことも無くなった軍歌も好きでした。

どういう訳かNHKはクラシックをよく流していました。大学生になってからはよく名曲喫茶店にも行きました。その結果クラシック音楽が何となく好きになってしまいました。ついでにヴァイオリンを少し習いましたが、あまりにも才能の無いことに気づき止めてしまいました。その訓練のお陰で、オーケストラのヴァイオリンやヴィオラを弾いている人の上手さがしみじみと分かります。

NHKのラジオでは美空ひばりの歌も流れていました。歌が抜群に上手です。それで、この天才少女を尊敬していました。亡くなった現在も尊敬しています。

NHKのラジオでは流れていなかったのはオペラです。時々アリアだけ歌われていましたが、オペラ全体のイメージは判りませんでした。

後年、ドイツに住んで居たとき、ベートーベンのオペラ「レオノーレ」を何回も観る機会がありました。モーツアルトのオペラにも行きました。それ以来オペラの素晴らしさが判るようになりました。

音楽の分野は広くて、邦楽や雅楽もありますし、中国には京劇の美しい歌もあります。ジャズやポップスも素晴らしい分野です。どの分野も何度も何度も聞いているとその魅力が理解されるようになります。

このような訓練効果は絵画鑑賞でも同じことです。印象派の良い絵だけを何度も何度も見ると印象派が好きになります。南画の傑作を何度も見ると南画が好きになります。ある時、南画の大きな個展の手伝いをしたことがありました。その迫力、美しさに圧倒されて以来南画や中国の水墨画が好きになりました。

同じようにある宗教が好きになり、信者になるのもその宗教に接する機会が多かったからです。別にその宗教が優れているからではないのです。

あまり長くなるので「宗教と訓練」の関係は別の記事で書くことにします。

それはそれとして、

今日も皆さまのご健康と平和をお祈り申し上げます。藤山杜人

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削除するコメントの種類・・・正論かもさんへの答えです

2011年07月29日 | 日記・エッセイ・コラム

このブログでは、なるべくいろいろな立場の人々の人格を傷つけないで、実行している政策のみのを評価するようにしています。

しかし私の言葉が足りなくて個人攻撃をしているように誤解される事があります。そのような場合には後に訂正記事を書いて充分に説明致すようにしています。

しかし時々とても感情的なコメントを頂きます。感情的なコメントには真実の感じ方が語られている場合があり、とても貴重な事があります。

例えば赤ちゃんを持っている母親が放射能は強弱に関係なく絶対にあってはならないというコメントを頂きます。そこで止まっていれば一つの感じ方として貴重なコメントです。削除はしません。ところがその先に原子力関係者の全ての人々を呪い、悪魔のような存在だという感想も書いてあります。こういうコメントは削除します。

他人を呪ったり、全ての人を悪者呼ばわりする文章は出来ることならこのブログには掲載したくないという編集方針なのです。しかし、そのような母親の前半分の感じ方は大変重要だと信じています。ですから私は何度も「科学的ではない感情論」の重要性を指摘して来ました。そのような感情を拾い集めて原子力政策へ反映すべきだと信じています。

勿論、全くの非建設的な誹謗や中傷のコメントをたまには頂きます。それは即刻削除して忘れてしまいます。

一方、丁寧な言葉使いで、私の記事に真っ向から反対するコメントも頂きます。こういうコメントは大歓迎です。ブログ本文でも再度、ご紹介致します。

このブログは私の持論を主張する目的もありますが、反対の立場の方々と誠意のある議論もしたいと思っています。

そして、これは不思議な事ですが、言葉使いの丁寧は反論の場合は、その内容も手堅く、頭が下がる思いを致します。

そういう場合は大体において私の考えが浅すぎたり、狭量過ぎたりしています。あるいは全く私が間違っています。大変参考になりますし、勉強にもなります。

以下に示した正論かもさんからのコメントは言葉使いが丁寧で、内容に何時も考えねばならない問題が含まれています。

「感情論も削除しないで何故そのような感じ方になったかを考えよ!」というご指摘と受け止めました。まったく同感です。

私の言葉が足りませんでした。心から謝ります。如何でしょうか?まだご疑問があれば気軽にご指摘下さい。有難う御座いました。    敬具、藤山杜人

=====正論かもさんからのコメント=========

藤山さん。 今晩は。

いつも勉強させて頂きまして有難う御座います。

今回の記事の中に<あまり感情的な意見が多いので削除してしまいました。> とあります。

<私、個人は無視すべきではないと信じています。> とお書きです。

少し、違和感覚えました。 勘違いかもしれませんので、説明して頂ければ有り難いです。

 全くの非建設的な誹謗・中傷は人の目に触れる必要は無いと思いますが、何かを守ろうとか、どうしても納得が出来ないが故の疑問・質問、ある程度の批判は抹消されるべきでは無いと考えております。

 どんなに自分にとって不都合な意見でも、正面から見据えることは、とっても大事なことだと考えております。 よろしくお願い申し上げます。投稿 正論かも | 2011/07/28 19:57

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こういう記事は噴飯もの!・・・「全原発停止で失業20万人」

2011年07月29日 | 日記・エッセイ・コラム

来年の春に全ての原発を廃止したとしたら、失業者が20万人出るそうです。2012年のGDPが3.6%低下します。2012年の夏には火力発電のみでは7.8%の電力供給不足が起きます。

このような計算が「日本エネルギー経済研究所」が発表しましたという新聞記事に私は怒りを覚えました。今朝の読売新聞の9ページ目に、「全原発停止で失業20万人」という見出しの記事のことです。この記事にはまったく公憤を覚えます。

私かカッカとして怒っている理由は2つです。

まず読売新聞は試算結果を発表した「日本エネルギー経済研究所」が、経済産業省の外郭団体の財団法人で、その予算は経済産業省から支出されている事を一切報道していません。

その上、研究所員の大部分は経済産業の理屈っぽい役人が飛ばされたり(ちょっと下品な表現で御免なさい!)、天下りして行った人々なのです。

原発推進を強力におし進めて来た経済産業省の肩を持って、予算増大の運動をしたと誤解される行為と私は感じました。

「日本エネルギー経済研究所」は経済産業省のの外郭団体の財団法人でその予算は経済産業省から支出されている事を一切報道しいない読売新聞を糾弾します。

もう一つの怒りの原因は、この試算をした人の雑な仮定です。誰も来年3月に全原発を停止して下さいとは言っていません。定期検査で全て止まる可能性は少しはありますが、再稼働する原発もあるのです。

失業が20万人出ると言って国民を脅しにかかっているような発表のしかたは噴飯ものです。脅しておいて、だから原発は絶対必要だという世論操作が見え見えなので怒りを感じるのです。

こういう計算があってもそれは研究の自由で結構なのです。それをマスコミ発表すれば世論操作になるという効果を考えているのかも知れません。

研究者からの反論をお待ちしています。(終り)


鉄道事故・埋めてしまえ・無かったことにしよう!

2011年07月29日 | 日記・エッセイ・コラム

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中国の新幹線が衝突して4輌の客車が河川敷へ落下しました。遺体を収容するやいなや河川敷に大穴を掘り、落下した客車を埋めてしまいました。埋めてしまえば何も見えず、何も無かった事として忘れる事が出来ます。その気持は分かります。けれど遺族の感情を完全に無視した行為は絶対に許されませんが。

それを命令した共産党幹部は1945年に蒋介石の国民党軍と戦争をしていた当時の気分で居るのです。戦場では戦死した仲間の死体を塹壕に埋めて、屍を踏み越えて突撃していたのです。ですからこそ蒋介石一派を台湾へ追い落とすことが出来たのです。

あまりの乱暴なやりかたに愕然とした私はすぐにブログで非難記事を書こうとしました。しかし、2、3日様子をみてから非難記事を書くことにしました。

待ってて良かったです。私が好きな温家宝首相が現場の河川敷へ行き、花束を供え、3回の最敬礼をしたのです。上の写真をご覧下さい。温首相の後の左の4人の白いワイシャツ姿の男たちは随行した役人でしょう。右側の黒いシャツの3人は新華社通信の記者とカメラマンでしょう。ですからこの場面は演出された光景です。

しかし温家宝首相の偉さは、続いて炎天下の河川敷で内外の100名前後の記者と本音の会話をしたことです。その会話は60分にもわたって行われたのです。

当局の事故処理の失態を認め、新幹線はスピードより安全が第一だと言明したのです。事故の原因を早急に調査し、責任者を法律と法規にのとって処罰するとも言いました。

その処罰には日本人には分からない暗示も含まれていました。

新幹線建設には中央からお金が湯水のように地方へ流れます。当然、大小さまざまな汚職が起きます。汚職の程度が度を越さないかぎり、それは中国の伝統文化の一光景として許される事です。

しかし汚職で抜いたお金が大きすぎて安全運航装置が劣悪になってしまった疑いもあるのです。ですから汚職の程度も徹底的に調べ上げ、法律と法規に従って処罰すると言明しました。

法律と法規という表現にある暗示が含まれていたと私は理解しました。汚職は法規で処罰する場合が多いと聞いています。ですから中国人には、この際汚職の程度も調べ上げると分かったと思います。

このように中国人の気持ちを和らげるような記者会見をした温家宝さんは民衆の気持ちへ届く話をする人なのです。

余談ながら、彼は東日本大震災の後で瓦礫の広がる被災地を訪問し、被災者を慰めました。彼の穏和そうに見える顔や仕草が印象的でした。その時の話し方も誠意がこもったものでした。

炎天下の河川敷で、病後にもかかわらず1時間も記者会見をしたときの印象は東日本を訪問した時の印象と重なり、私は、何故かテレビで見た今は亡き周恩来の表情を思い出していました。

政治的な権力者は権力闘争のみを考えて、民衆の悲しみを一切考えないとよく言います。そんな事は中国では絶対にありません(これは日本の政治家への皮肉です)。

民衆の悲しみを深く考える政治家と軽く考える政治家が居ます。周恩来も温家宝も深く考える政治家です。と書いたら温家宝を褒めすぎでしょうか?2,3年してからこの問題をもう一度取上げてこのブログで記事に書いて見たいと思います。

それはそれとして、

今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。藤山杜人


心暖まるワン コイン レストラン・・・小金井駅北口近くの「ソルト館」

2011年07月28日 | 日記・エッセイ・コラム

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JR小金井駅の北口を出て、左方向(西の方向)へバス通りを50mほど歩くと右手に上に示したような「ソルト館」という立派なレストランが現れて来ます。

内部も広々として清潔です。このレストランで驚くべきことは全ての定食や食事が税込みで500円なのです。(http://www.salt-kan.com/

以下に示すようないろいろな定食に御飯、味噌汁、おでん(食べ放題)がついて、全てまとめての料金が500円なのですから感動的です。豚カツ定食、チキンカツ定食、チキングリル定食、お刺身定食(海老天付)、鯛の兜煮定食、鮭フライ定食、ミックスフライ定食、が全て500円です。その他にカレー、オムライス、カレーうどん、ざるそば、とろろそば、冷し中華、もあります。デザートのアイスクリーム100円、ソフトクリーム200円、ケーキ250円、コーヒー、紅茶100円と格安です。勿論ビールもワインもあります。

いつも広いお店にお客さんがいっぱいです。サラダや季節の野菜料理が何種類も大皿に盛り付けてあり、ご自由に召しあがって下さいと書いてあります。

この「ソルト館」は地元の竹馬商工株式会社の社長の久我順子さんが、気軽に集まり、寛ぎながら食事も出来る場所を作りたいと考えて11年前に作ったものです。2階と地下1階にパーティ用の大きな部屋もあります。そして3階には会議室や礼拝堂があります。

地域活性化にも大きく貢献しています。竹馬商工株式会社は家の建築や建物設備が本業の会社で、もう何十年も仕事を順調に業績を伸ばしています。兎に角、その社長さんの気風が良くて有名な会社です。本業で得た利潤を地元へ還元しているのです。

「ソルト館」へ来るお客さんは小金井の人に限らず、駅から近いので、JR中央線沿線の町々からも来ます。

尚、社長の久我順子さんのお嬢さんはお医者さんで、近所で内科の病院を経営しています。

下に久我順子社長さんと、料理を作っている菊池克己さん、兼平和美さん、フロアー担当の田中一 さんの写真を掲載いたします。

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ここ数日天気が悪いので晴天の日の写真をお送りいたします

2011年07月28日 | 写真

このところ曇天の上、蒸し暑く、気分の悪い日々が続いています。

そこで気が晴れるように碧い空に輝く山並みの写真をお送りいたします。7月16日に山梨県、甲斐駒岳の麓から八ヶ岳を撮りました。

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東京電力は現在の火力発電所、水力発電所の発電状況を公表すべきである

2011年07月28日 | 日記・エッセイ・コラム

Iso000011_21 (左の写真は磯子石炭火力発電所です)

福島原発の大事故のあった直後の東京電力の供給可能な電力は4500万kワット位という発表がありました。それが最近では5310万キロワットと増加しています。使用電力は梅雨明け以来、80%前後で、まだまだ余裕があります。この様子では電力不足による停電はありません。

しかし一体、800万キロワットもの電力が何故一気に増産されたのでしょうか?それは今まで休んでいた火力発電所と水力発電所を運転させ始めたからとしか考えられません。

末尾に示したの東京電力の発電所の一覧表は2005年のものです。その現在の情報を公開すべきではないでしょうか?

公開すると福島原発はもともと必要が無かったという証明になるから経済産業省が情報公開を抑えているのでしょうか?

2005年の火力発電所の発電量は3637万キロワットで、水力発電は852キロワットです。それに柏崎刈羽原発だけで821万キロワットを発電していました。

これら火力と水力と刈羽原発だけの合計で5310万キロワットになります。2005年に既にこれだけの発電量があれば6年後の現在は、5310万キリワットよりもさらに10%から20%の増加があるのが当然です。

勿論、広野火力発電所のように地震で損害を受けたところもあります。しかし、どれだけの損害が生じ、復旧には何日かかるかという情報も一切公表していません。

その上、末尾に示した一覧表に含まれていない休眠中の火力発電所の情報の公開も必要になって来ます。休眠中の火力発電所の再稼働は技術的に容易なことなのです。

臆測にもとずいた結論を言います。現在日本中に燃料のコスト高から休止中の火力発電所を再稼働すれば原発は不要になります。

不要になるか否かの情報が皆無なのでです。

それを公開すると原発廃止論に勢いがつくから経済産業省も全ての電力会社も休眠中の火力発電所の情報を公開しません。火力よりも原子力のほうが儲かるからです。困ったものです。

どなたか東京電力の休眠中の火力発電所と水力発電所の情報をお教えいただけませんでしょうか?

======参考資料===============

火力のよる3637万kWと水力による852万kWと柏崎刈羽原発の821万kWの合計だけで5310万キロワットの発電能力になります。

東京電力の発電所20043月末現在)

水力発電所:160箇所(852kW

揚水式50kW以上の発電所) 安曇発電所 62.3kW 新高瀬川発電所 128.0kW 玉原発電所 120.0kW 原発電所 90.0kW 今市発電所 105.0kW 葛野川発電所 80kW(建設中・160.0kW予定) - 714mという世界最大の有効落差を誇る。 神流川発電所 47kW(建設中・282.0kW予定) - 全機稼動すれば国内最大、世界最大級の揚水発電所。

火力発電所:26箇所(3,637.1kW

神奈川県 横須賀火力発電所 213kW - 計画停止中 川崎火力発電所 150kW(建設中・300kW予定) 横浜火力発電所 332.5kW 南横浜火力発電所 115kW 東扇島火力発電所 200kW 東京都 品川火力発電所 114kW 大井火力発電所 105kW 千葉県 千葉火力発電所 288kW 五井火力発電所 188.6kW 袖ケ浦火力発電所 360kW 姉崎火力発電所 360kW 富津火力発電所 504kW 茨城県 鹿島火力発電所 440kW 常陸那珂火力発電所 100kW(建設中・300kW予定) - 2号機建設中 福島県 広野火力発電所 380kW

原子力発電所:4箇所:青森県 東通原子力発電所 (建設中) 福島県福島第一原子力発電所 470.6kW 福島第二原子力発電所 440.0kW 新潟県 柏崎刈羽原子力発電所 821.2kW

風力発電所:1箇所(500kW八丈島風力発電所 

地熱発電所:1箇所(3,500kW八丈島地熱発電所 


日本の繁栄と栄光の犠牲になった福島県の人々

2011年07月28日 | 日記・エッセイ・コラム

福島原発の爆発による大事故から4ケ月以上になります。そろそろ落ち着いて、いろいろな視点から原子力発電の事故の原因やその社会的なインパクトについて冷静に考える時期になって来たと思います。

大事故の直接的な原因は大津波で原発の冷却施設が洗い流されてしまった上、完全に電源が喪失したことになります。

間接的な原因は原発推進の政策を推進した中曽根康弘氏を中心とした政権担当者、それに同調した通産省の官僚、そして全ての電力会社の幹部達にあります。

しかし原発建設で大きな利潤を上げた日立、東芝、三菱重工、そしてその数知れぬ下受け中小企業も原発推進に賛成し、強力に建設に協力したのです。

アメリカから原発施設や技術を輸入した伊藤忠などの大商社も原発推進派でした。

原発を持つことはプルトニュームの保有につながり核弾頭生産技術の潜在能力となりますので自衛隊関係者や右翼の人々は賛成です。

さらに原発施設を過疎地に建設すると、地元の自治体へ莫大な税収が入り、雇用が増大するのです。

原発開発の政策は1950年代の日本が貧困に喘いでいた時代に中曽根康弘氏の提唱と政策実行によって切り開かれたのです。そして上記のように官民挙げての強力な支持があったのです。

日本の経済が豊かになって皆が余裕のある生活をしている現在の日本人は、1950年代の貧困な時代の生活の実際を知りません。その頃はまだ食料も不足がちで、中学生の集団就職が当たり前だった時代でした。原子力発電は日本人の甘い、甘い夢だったのです。

現在の若者は貧しい時代を知りません。知らないで原発を推進した過去の人々は馬鹿だったと言います。愚かな政策だったと批判します。政治家の宣伝に踊らされて喜々として原子量の平和利用の研究に一生を捧げた科学者や技術者は愚かな操り人形に過ぎなかったと批判します。

しかしそのような批判をしている人々の親はどうやって収入を得ていたのでしょうか?日本の高度成長の国策の恩恵を受けていたに違いありません。

ですから原発を推進して来た過去の人々の批判や非難は止めた方が良いと思います。それは建設的な結果になりません。

さて、過去は過去としてこれからどうしますか?

原発のお陰で日本は繁栄し、栄光を得ることが出来ました。しかしその結果として福島県の人々が犠牲になったのです。それは原子力発電技術の特徴です。

このように一国の栄光のためにある県が酷い犠牲を強いられる特徴のある原発は段階的に止めるべきだと私、個人は信じています。経済繁栄と栄光よりも人々、個人の安全と平穏な生活の方が重要だと私は信じています。

もう一つの事実を記述しておきます。このブログで原発の問題を取上げると赤ちゃんを持っている女性から狂おしい程に感情的な反論が投稿されます。自分の子供のためなら放射能は絶対にあってはならないという意見です。放射能の強弱など眼中にありません。兎に角検知できる放射能があれば絶対に反対なのです。原発は即時撤廃するべきという強烈な意見が多いのです。あまり感情的な意見が多いので削除してしまいました。

そのような感情的な反対意見は政策決定者に無視されがちですが、私、個人は無視すべきではないと信じています。科学的でない意見を無視すると、多くの人々の平和のためにはなりません。(続く)

それはそれとして、

今日も皆様の健康と平和の為にお祈り致します。藤山杜人

下に電気も自動車も拒否して昔の生活を守っているアーミッシュの馬車の写真をしめします。

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宗教の違いによる争いや戦争を防止する方法(2)欧米人へ死者悉皆成仏の話をしよう!

2011年07月27日 | 日記・エッセイ・コラム

宗教が原因になった戦争はおもにイスラム教、キリスト教そしてユダヤ教が関係しています。仏教が戦争の原因になった例は数が多くありません。

イスラム教、キリスト教そしてユダヤ教も中近東の砂漠で生まれた一神教で教義は似ている部分が多いのです。聖典も共通の部分が多く、現在のイスラエル国のエルサレムも3つの一神教の聖地になっているのです。キリスト教はもともとユダヤ教の一宗派でした。キリスト教が西洋に普及したのは強大なローマ帝国の国教になったためです。

この3つの一神教は善と悪の戦いを強調します。聖地奪回と称してお互いに大規模な戦争もします。他の小さな民族の宗教を異教として武力で抹殺して来ました。

キリスト教は愛の宗教で「汝の隣人を愛せ」と教えます。「汝の敵を愛せ」とも言います。戦争をしなさいとは言いません。しかし「善と悪の精神的な戦い」が出て来るので、その「戦い」の部分にだけ注目し、武力戦争をしてしまいます。

人間の他民族を支配したいという根源的な欲望と、聖戦という概念が合体したものです。世の中には正しい戦争も聖戦も存在しません。人間の欲望が裏に潜んでいます。左の頬が打たれたら、右の頬を出しなさいとイエス様は教えました。自衛の為の武力行使も慎重にしなさいという教えです。

さて上のような一神教の宗教が原因の戦争を止めさせるのは日本人に一体何が出来るでしょうか?

一つの方法は親しくなった欧米人へ静かに、「戦争すればイエス様が悲しみますよ」とゆっくり語りかける事です。

もう一つは平和的な教えの仏教の考え方を静かに説明する事です。人間は国籍、性別、年齢に関係なく死んだら必ず成仏するのです。全ての人々が悟りを開いた仏さんになるのです。敵も味方も死んでしまえば仏になるのです。これが死者悉皆成仏という考え方です。従って戦争で亡くなった敵への慰霊を日本人は行うのです。

鎌倉時代の元寇の時、北条時宗は戦いが終わった後、鎌倉に敵味方双方一緒のの菩提寺を建て、1000体の仏像を作って、全ての死者の冥福を祈ったのです。

また日露戦争の時、戦死したロシア兵の慰霊塔も建てたのです。

この死者悉皆成仏という考え方は日本古来の自然宗教の神道と仏教が習合して自然に出来あがった考えです。

自然の木々や山々に神が宿り、神様になるのが神道の考えの一部です。山川草木に皆神が宿るなら、それは仏と同じことです。ですから山川草木悉皆成仏という考えになるのです。

一神教は人間中心主義で自然は人間が開墾し、征服する相手です。

仏教では共に存在するもので人間は征服しないものです。

同じようにキリスト教やイスラム教は異教の民族を武力で改宗させようとする傾向が強いのです。

佛教では他の宗教を信じている異民族を改宗させなさいとは教えていません。

キリスト教圏の国々とイスラム教圏の国々がどちらの神が本物か、命を賭けて戦争をします。しかし、どちらの神も戦争を悲しんでいますよ。決着をつける事ではなく、仏教の教えるように寛容な気持ちで共に存在すれば良いのです。と、話ましょう。

このようにゆっくり話して見ましょう。早急な効果を期待してはいけません。

それにしても本来人々を幸福にする筈の宗教が戦争の原因になっているのです。これほど大きな悲劇はありません。私も含めて人間の愚かさは一向に治りません。いくら科学技術が発達しても人間は進歩しません。困ったものです。(続く)

下の写真は宇治の平等院です。

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詩人、寺島博之さんと菅原克己さんのこと・・・そして「ブラザー軒」

2011年07月27日 | 日記・エッセイ・コラム

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それは騒がしい酒席のことでした。余興の時間に寺島さんがシャンソンを唄っています。とても心惹かれる見事なシャンソンです。しかし酔った人々はガヤガヤして誰も真面目に聴こうとしません。ところが唄っている本人はその騒がしさを全く意に介しません。楽しそうに、そして悲しそうに唄っています。折角良い歌なのに誰も聞いていなかったので慰める言葉をかけました。その時私は名刺を渡しました。もう2、3年ほど前の事でした。その事は小さすぎるエピソードとしてすっかり忘れていました。

ところが昨日、突然彼から小包みが届きました。寺島博之著、「西瓜を食べた後で」という詩集です。花神社から出版された装丁の立派な本です。

もう一冊ありました。寺島さんが世話をして発刊している「サークルP」という詩人の会の機関誌です。

その中に仙台出身の詩人、菅原克己さんの22忌会のことがいろいろ書いてありました。私も仙台出身です。詩の愛好家の間では有名な菅原克己さんのことを知りませんでした。自分の視野の狭さに顔が赤くなります。

本来なら本を贈呈してくれた寺島さんの詩集、「西瓜を食べた後で」の内容をご紹介すべきですが、まず菅原さんの「ブラザー軒」という詩を全文ご紹介いたします。

寺島さんの詩集、「西瓜を食べた後で」は丁寧に全て読んで、少し考えてからご紹介致します。

なおブラザー軒は昔、仙台の繁華街の東一番丁にあった有名な食堂でした。現在は無くなってしまいましたが、昭和11年生まれの私にとっては懐かしい名前です。この七夕の夜のブラザー軒での一こまです。七夕の夜はいろいろな想いを誘う幻想的なお祭りです。

========菅原克己作、「ブラザー軒」===========

東一番丁、

ブラザー軒。

硝子簾がキラキラ波うち、

あたりいちめん氷を噛む音。

死んだおやじが入って来る。

死んだ妹をつれて

氷水食べに、

ぼくのわきへ。

色あせたメリンスの着物。

おできいっぱいつけた妹。

ミルクセーキの音に、

びっくりしながら

細い脛(すね)だして

椅子にずり上がる。

外は濃藍色のたなばたの夜。

肥ったおやじは

小さい妹をながめ、

満足気に氷を噛み、

ひげを拭く。

妹は匙ですくう

氷のかけら。

ぼくも噛む。

白い氷のかけら。

ふたりには声がない。

ふたりにはぼくが見えない。

おやじはひげを拭く。

妹は氷をこぼす。

簾はキラキラ、

風鈴の音、

あたりいちめん氷を噛む音。

死者ふたり、

つれだって帰る。

僕のまえを。

小さい妹がさきに立ち、

おやじはゆったりと。

東一番町、

ブラザー軒。

たなばたの夜。

キラキラ波うつ

硝子簾の向こうの闇に。

===================終り======

なお詩人、菅原克己さんと寺島博之さんの他の出版本は検索するといろいろあります。


3分の1が離婚・・・問題は結婚生活を継続した平均年数

2011年07月27日 | 日記・エッセイ・コラム

昨日の記事で2005年の一年間に日本で提出された結婚届の件数の36%に相当する数の離婚届の提出があったと報告しました。

そうしたところ以下のように2つのコメントがありました。私の感想を書く前に、是非知りたい事があります。

結婚届の件数の36%に相当する数の離婚届の提出があったという統計では想像が困難な事実です。

それは結婚届を提出して、何年間一応円満な結婚生活を続けた上で離婚を決心したかという統計資料が知りたいのです。

2005年一年間で36%が離婚というと2005年に結婚したカップルの36%が別れてしまったと誤解されがちな表現になっています。

離婚の原因はいろいろあります。生活の不一致、経済問題、子育て方針の相違、親や親類の干渉、病気、などなどが単独に原因になる事はまれでそれらが複合されて起きる複雑な現象です。その分析をする事はあまりにも困難ですので、これ以上の検討は止めます。

しかし平均の結婚生活継続年数は一つの社会現象の風景として是非知りたいと思います。

どなたかご存知に方は是非お教え下さい。

それはそれとして、

今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。藤山杜人

=====ある若い方からのコメント==========

正直、わたしは、まだこの程度なのかと思いました。従来の若い世代ではなく、熟年世代、子育てが終わった方達の離婚が多くなっているからです。女性の経済力、社会進出のお陰で日本はさらに離婚が増えるだろうと思います。2分の1弱まで増えた後、日本はヨーロッパのような結婚にとらわれない同居生活化するのか、あくまでも婚姻にこだわる米国型になるのか、それとも「お一人さま路線」を歩むのか興味深いところです。投稿 なかた | 2011/07/27 03:30 

=======ある高齢の方からのコメント============

驚きです。女性の主張が大きくなっているのは事実ですね。それと、二人で苦労してゼロから出発、良い家庭を作る努力と辛抱が足りないのではないでしょうか。

我が家の娘夫婦も結婚して10年未満まで、「分かれる。切れる」の喧嘩が絶えませんでした。それが最近、なくなりました。子育てに真剣に担うという共通の目的ができたのだと思います。幸せすぎて、夢のような新婚生活は長く続く訳はありません。そこまで至らぬうちに分かれるのでしょうか。投稿 yuyu | 2011/07/26 11:09

=====================終わり===========


奥が深い車の趣味・・・アルファロメオ156GTAの世界

2011年07月26日 | 写真

私の若い友人にアルファリメオ156GTAでドライブする趣味を持っている人がいます。南ヨーロッパの文化の香り高い趣味の車です。5人乗りのセダンながらサスペンションが高級スポーツカーと同じに作り上げていて、路面に吸いつくような走りは日本の車と随分と味わいが違います。

内装の皮張も優雅でいかにもイタリア車という感じです。走行中にエンジンオイルをオイル冷却専用のラジエーターで冷やすのでエンジン温度は高速運転をしても常に一定です。走り方が繊細で、姿が優雅なのです。

このような車の良さが分かる感性の持ち主が先日、Cafe GT 軽井沢 までドライブを楽しみ、交流を深めたそうです。

その時の写真が美しいので下にご紹介いたします。車を実用にだけ使うのも良いですが、このように趣味として楽しむものも良いものですね。

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