マーシャル諸島共和国のビキニ環礁核実験場は2010年に世界文化遺産として認定され登録されました。
1946年から1958年にかけてアメリカが67回の核実験を実施した場所です。
世界文化遺産に認定された理由は、核爆発の威力を伝える重要な証拠であり、人類が核の時代に入った象徴であるという理由です。
ビキニ環礁で行なわれた最初の核実験は、1946年7月1日と7月25日のクロスロード作戦です。
これは1945年のニューメキシコ、ヒロシマ、ナガサキに続く史上4番目と5番目の核爆発であったのです。
大小71隻の艦艇を標的とする原子爆弾の実験であり、アメリカ軍が接収した日本海軍の戦艦長門、軽巡洋艦酒匂やドイツ海軍の重巡洋艦プリンツ・オイゲンなども標的にして破壊したのです。
その他、老朽化したアメリカ海軍の、戦艦ネバダ、アーカンソー、ニューヨーク、ペンシルベニア、空母サラトガなども一緒に破壊されました。
第二次世界大戦が終了したので要らなくなった艦艇を一挙に沈めてしまうという実に荒っぽい実験をしたのです。その時の写真を下に示します。
上の写真の巨大なキノコ雲の足元の海上に点々と黒く見えるのが日本海軍の戦艦長門、軽巡洋艦酒匂やドイツ海軍の重巡洋艦プリンツ・オイゲンなどです。
下は現在の美しいビキニ環礁の写真です。
この美しい海域で1954年には第五福竜丸が水爆実験の死の灰を浴びたのです。
現地の人々も64人が被爆しました。そして多くの島民が強制的に移住させられたのです。
このビキニ環礁の核実験は、その後の原水爆禁止運動の出発点になったのです。
この世界文化遺産は、負の世界遺産(1)人類の愚かな悲劇を忘れないようにと認定された世界遺産の一覧表 で示した19件の負の遺産に含まれています。
そして、洋泉社発行の「負の世界遺産」(佐倉由美子、常井宏平、長谷川大の共同編集)に取り上げられた45件の負の文化遺産のなかにも含まれています。
しかし人類が核エネルギーを制仰し、利用する技術を得た最初の記念すべき場所です。そのお蔭でガンなどの病気の放射線治療も可能になりましたし、原子力発電も発達したのです。
この事実は見る人の立場によって世界遺産は負の遺産になったり、正の遺産なったりすることを明快に示しています。
原爆実験は人類に良いことをもたらしたのか?反対に悪いことをもたらしたのか?
それは貴方が判断することです。
一般的に世界文化遺産は政治的な立場によって負の遺産になったり、正の遺産なったりするのです。
ですからこそ、国連のユネスコは絶対に「負の遺産」という言葉を使いません。
どちらでもとれるような曖昧模糊とした認定理由を公表しているのです。
この曖昧さの問題は、この記事の続編で考えてみることにします。(続く)