======伊万里さんという方からの鑑定結果です==============
お皿3枚すべて 初期伊万里ですね。
吹墨2枚(鷺図と蔦図でしょうか)多分7寸皿だと思われます。
今から約350~400年くらい前 肥前有田で焼かれた 国産初めての磁器だと思われます。
最後の お品物も初期伊万里で 時代は 同じ頃。
絵付けをし 釉薬を生掛けした物です。
おおらかで 堂々として 温かみがある良いお品と思います。
しかし この手のものは 非常に人気があり お値段も 高値です。
ですから アブナイ物も 山のように出ております。嘆かわしいです。
実際は 手に取り裏の高台等 見ませんと 分かりません。
しかし 国立駅前の「弧董館」様ののお品でしたら 言わずもがなですね。
香炉は分かりません。一見 画像では 判断しかねます。
唐物のようでもあり 日本のものでもあるような・・・
温かみのある 小気味の良いお品だと思います。
飴釉の黒釉の対比がモダンで 茶事などに使ってみたい香炉ですね。
私の好みを言えば 吹き墨の蔦図です。
さりげなさ中の「粋」が 素適です。
多分鷺図の皿より小振りでしょうか。ただ 世間的には 鷺図の方が人気もあり 高値だと思います。
最後のお品も素晴らしいですが 初期伊万里の特徴である ジカンが気になります。しかし 良いお品であること 間違いないと思います。
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以上、伊万里さんより頂いた鑑定結果です。
正解は、皿3枚の上から順に、初期伊万里吹墨さぎ紋皿、直径18.8cm、初期伊万里吹墨つる草文中皿、山下朔郎著 古伊万里染付皿 所載、径 19.5cm、そして一番下の皿の詳細情報はまだ入手していません。香炉は吸坂千筋紋香炉です。
この4点の写真は国立市にある「弧董館」のHPから許可を得て転載したものです。(終わり)
私の所属するカトリック小金井教会の主任司祭の山本量太郎神父様は小金井市内の宗派の異なる10のキリスト教会の交流をすすめています。今日は独立運営の貫井南町キリスト教会の橋本牧師様を訪問していろいろお話を聞いて参りました。橋本牧師様と貫井南町教会のことは稿を改めてご報告します。
実はこのブログで、2007年11月24日に掲載した「アーミッシュ村探訪記」のアーミッシュ派はこの貫井南町教会のメノナイトという宗派と親類のようなものです。そのような宗派が厳然として日本に存在しているのです。そこで今日はとりあえず橋本牧師に教わった、メノナイト派とアーミッシュ派の関係を書いておきます。
1546年マルチン・ルターが宗教改革をしました。その頃、オランダの農民一揆を深く考えた神学者のメノー・シモンズが、幼児洗礼などの旧カトリックの典礼中心主義を否定した新しいキリスト教を作りました。この新らしい神学にもとづいた一派が後にメノナイト派とよばれ、アメリカで発展しました。国家や王制によって虐げられた農民の側に立った神学なので、徴兵拒否など戦争反対を教義の重要な部分にしています。従って貫井南町教会も「Peace Church」(平和の教会)と称しています。
このメノー・シモンズの一派から1730年頃に別れたのがJ.アマンでその一派がアマンの名を取ってアーミッシュ派としてアメリカに現在でも存在しています。
このアーミッシュの村を訪問したときの旅日記を以下に再掲載し、貫井南町キリスト教会の紹介の導入にしたいと思います。
メノナイトはアーミッシュ程、保守的では有りませんがその精神をご理解頂く参考になると信じています。下にオハイオ州のアーミッシュ村の風景写真をしめします。原典は、http://kayshi.hp.infoseek.co.jp/amish/amish01.htm です。
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「現存する中世の村人たち」
@アーミッシュ村の風景
アーミッシュの村に入ると、「路上で黒塗り箱型の馬車が近付いたら徐行すべし」という意味の絵看板が増えてくる。周りは一面の実り豊かな麦畑。その間に牛馬がのんびり草を食む牧場が散在し、素朴な木造一階建ての農家が栃の大樹の木陰に見え隠れしている。
看板通り、黒塗りの箱形馬車が近付いて来る。慌ててブレーキをかけ、徐行しながらすれ違う。手を挙げて挨拶をすると、黒いシルクハットをかぶり、襟の小さな黒い背広を着た老人が目を上げないで、手をわずかに振って挨拶を返す。
麦畑では刈り取った麦束を馬車に積み上げている。農夫はさすがに上着を脱ぎ、黒いチョッキ姿で汗を流しながら一心に働いている。
アーミッシュに車で観光に行った場合のマナーを大学の同僚が教えてくれた。
「御土産店、喫茶店、民宿の前以外の道端に絶対車を停めないこと。馬車が見えたら急いで減速し徐行せよ。必ず挨拶をすること。しかし相手の目を見たりしない。もちろん話し掛けてはいけない。女性は黒い長い服を着ているが、車と馬車がすれ違う時、前から覗き込んではいけない。アーミッシュ専用のスーパーマッケットがあり、黒い馬車がたくさん止まっているが、スーパー店内へ入ってはいけない。ソーッと遠方から眺めるだけにすること」「御土産店では村への入場料のつもりで多めにチーズやヨーグルトを買って上げなさい」
@人生の豊かさの質とは
夜は木造2階建ての民宿に泊まる。部屋にはローソクしかないが、外の方が明るい。窓から見ると、満天の星空。星明りで外が明るい。「夕食ですよ」と呼びに来る。食堂には電気がついている。新鮮なホーレン草のサラダと鶏肉のソテーのみだが、自然栽培なので実に美味しい。もちろんビールや酒類は一切ない。
布に包んだ温かい焼きたてのパンが籠に入って出てくる。そばに座ってくれている女主人にいろいろ聞いた。電気は来ている。冷蔵庫、洗濯機、井戸水汲み上げポンプ、食堂と調理場の電燈に限って電気を使っているそうである。アーミッシュの人の職業は農牧業しか許されていないので、民宿やスーパーマーケット、御土産店などの経営者は普通のアメリカ人である。
「ところで、あすアーミッシュの人々の生活を見たいし話も聞きたいので、誰か紹介してくれませんか」「泊り客はそういうことをよく頼みます。でも丁重にお断りしています。アーミッシュの信仰中心の日常生活を邪魔しない。それが人として正しい接し方と思いますよ。」「日本にもキリスト教徒がいるのですか」
五島列島の隠れキリシタン二百六十年の歴史や現在のキリスト教信者の話をしながら、ふと気が付いたらもう十時を過ぎていた。ローソクの炎の揺れる暗い部屋へ引き揚げ、星明りの窓の外をもう一度見てベッドへ潜り込む。アーミッシュの村は静けさに満ち、時がゆっくり流れている。ここには間違いなくクオーリテー・オブ・ライフの一つのタイプがある。しばらく帰っていない日本の人々の生活を想い、日本の「人生の豊かさの質」を考えている。
2日前に古伊万里の2枚の皿の写真を掲載しました。そうしましたら下記のようなコメントを頂きました。
---「すばらしい初期伊万里のお皿二枚ですね。ただただ 見惚れるばかりです。
素朴で温かみがあり 力強くて・・・吹き墨の初期伊万里は憧れです。鉄釉の口紅が いいです。陶片 残欠であっても いいお値段いたします。私 驚きました。国立市の「弧董館」さん お邪魔したことあります。すばらしいお品を 見せていただきました。世間は狭いですね。私 古いもの 大好きなんです。良いもの 見せていただきました。感謝です。ありがとうございました。」--ーー
陶磁器の写真だけでもこんなに楽しんで頂ける方がいらっしゃるのですね。そこで、今日は4枚の陶磁器の写真を掲載することにしました。貴方は4枚の写真のうちどれが一番お好きでしょうか?そして、これら4個の焼き物のは何処で何時頃作られたものでしょうか?貴方の鑑定結果をコメントとしてお送り頂ければ嬉しく思います。正解は後で公開したいと思います。
下の写真は国立市にある「弧董館」のHPから許可を得て転載したものです。(終わり)
今日も皆様のご健康と平和をお祈り致します。 藤山杜人
愛という言葉を多くの女性が好きです。この言葉は文明開花の折に、Loveという言葉が輸入され、広がりました。昔の日本では、愛する人を「好きな人」と言いました。愛というとなにか胡散臭く、嘘っぽい感じが否めません。しかし、キリスト教の根本は愛とよく言われます。何か胡散臭い感じまします。
この言葉につまずいてキリスト教を避ける人が居ると思います。少なくとも以前の私がそうでした。「愛」なんてバタ臭くて口に合いませんでした。しかし「愛」を「好き」と置き換えると全てが自然に納得できます。
天におられる神様は地上にいる全ての人間が好きなのです。本物の神父様は近づいて来る全ての人々が大好きなのです。宗派も洗礼にも関係なく大好きなのです。ですから私はそのような神父様が大好きです。その上にいるローマ法王もその上にいる神様も大好きです。これがカトリックの信仰というものです。自分の通っている教会の神父様は山本量太郎様です。人々を分け隔てなく大好きな様子です。西洋の言葉を用いれば、山本神父様に「愛されている」と確信出来るのです。
ですから本物の神父様は洗礼の有無に関係なく全ての人々に優しく、親切です。
洗礼を受けてない人々を差別する神父さんが居たら、それは本物では有りません。
信者は神父様の知識の広さは問題にしません。神父様が初対面の人をどれだけ大切にしているかを注意深く見ています。初対面の人をどれだけ好きになっているかを見ています。それだけが信仰の深さの尺度なのです。
皆様は、マザーテレサがインドの都会の街路で孤独に死にそうにしている人々を屋内へ運びこんで優しく見とってあげていたことをご存じと思います。その崇高な働きはヒンズー教徒からも支援されて来ました。ノーベル平和賞も受賞しました。
マザーテレサはインドの貧民も大好きなのです。好きでなければ出来ないことです。
いきなりお釈迦様の話に飛んで済みませんが、仏教の根本も「慈悲の心」です。欧米の言葉で言えば「愛」に対応します。お釈迦さまは一切の衆生が大好きだったのです。大好きだったので救ってくれたのです。ですから人々がお釈迦様が大好きなのです。
もう少し分かりやすい一例をあげます。弘法大師は全国をめぐり歩き、井戸を掘ったり、温泉を見つけたりしました。全ての人々が大好きなので助けようとしたのです。大師様の「慈悲の心」を我々は忘れません。
ですから宗教の根本は全ての人々がお互いに大好きになることなのです。少なくとも私はそのようにしたいと思います。出来る出来ないは別にして。
今日も皆様のご健康と平和をお祈り致します。 藤山杜人
人々が大切に持っているお宝を出して、鑑定団が市場価格を判定する。他人の持ち物の値段をうんぬんするのは決して上品な行いではない。従って値段のことは抜きにして、この番組が何故面白くて、長年続いてきたのか考えてみたい。
(1)出品された書画、陶磁器を本物か偽物かを鑑定する専門家の意見が愉快である。
例えば古い陶磁器の判定のとき、専門知識を振り回し、製作年代、窯の名前、作者などを説明する。専門家なのでそれは当然である。特に感動はしない。
しかし「これは本物です!見た途端その品の良さに圧倒されますね。私は好きです。欲しいです」。専門家の人間性が楽しいのです。それぞれの鑑定者の個性的な人間性が面白くてついつい見てしまいます。
(2)あまり有名でない画家や芸術家の作品を紹介し、鑑定者がその地味な経歴や一連の作品の芸術的価値を、情熱的に説明するときがあります。こんな場面があるとつい身を乗り出して見てしまいます。かの有名なゴッホでさえ死ぬ前には絵が一枚しか売れなかったことを思い出します。埋もれた芸術作品は必ず有る。その不思議さに魅了されます。この番組の深さが面白いのです。
(3)家族を思う愛や友情の深さに思わず感動する。
祖父や父が愛する子供や孫に大切にしているお宝を与える。借金に苦しんでいる友人のために書画骨董を買ってあげる。それが偽物で二束三文の判定結果でも家族愛や美しい友情に感動する。
その他にもこの番組が面白い理由が色々あります。最後に小生が好きな伊万里焼の皿の写真を2枚ご紹介します。素朴にして上品は皿です。昨日、ご紹介した弧董館のHP(http://www.kotoukan.com/ )から転載しました。皿の説明はHPに御座います。
今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。 藤山杜人
上の写真は初期伊万里、山家紋皿、山下朔郎著 古伊万里染付皿 所載、直径 21cm
下の写真は初期伊万里大皿、径 41.5cm
今日は久しぶりにJR中央線国立駅前で40年くらい古美術店をしている義弟を訪ねてみました。味わい深い、品のよい古陶磁器が展示してあり、しばし鑑賞をして楽しんできました。
孤董館という店で、そのHPにはこれらの品の写真が出ています。URL、http://www.kotoukan.com/ をクリックし、「商品」の項目をクリックすると古い陶磁器の鮮明な写真とその実寸、窯元、製作年代などが書いてあります。お楽しみ頂ければ嬉しく思います。下に店の写真を添付します。
古い焼き物の鑑定は店までご持参下されば無料でいたします。お宅のお宝の焼き物を詳しくお知りになりたい方はご遠慮なくご相談下さい。(続く)
同窓会について一文を書きました。反響が多くありましたが、転校が多かったので同窓会の連絡がこないという方も居ます。いろいろな事情で転校の多かった人々は決して少なくありません。せっかく仲良くなった友人と別れる悲しさ、新しい学校へ慣れる難しさなども含めて転校は大変なことです。同情を禁じ得ません。その上同窓会へ招ばれない。悲しいことです。しかし、ものは考えようです。同窓会は決して楽しいことばかりでは有りません。不愉快な思いや悲しい思いも致します。そんなわずらしさから解放されているのです。そのような例を幾つか書きます。きっと思い当たる方々も多いと思います。 (1)学校が強制的に同窓会へ加入させ、そして会費や寄附を強要する。 日本の高校や大学では卒業生を半ば強制的に同窓会組織へ入会させ、毎年会費を徴収しようとします。また、体育系の部活動の遠征費などへの寄付をしつこく呼びかけて来ます。また、どこで入手するのか、同窓会名簿を使って投資や商品購入の勧誘の電話が来ます。 それを歓迎する人も居ると思いますが、不愉快に思う人も少なくないと思います。 アメリカの同窓会も経験しましたが、そんなものは一切ありません。 学校制度の考え方の違いです。本来、どこの学校に入学するかは個人の自由です。同窓会組織に入会するか否かも個人の自由です。師弟関係を重視する儒教の影響のある東洋との違いはアメリカの同窓会に出席してみるよく分かります。 (2)同窓会へでると厭な同級生や先生に会う恐れがある 学校生活は決して良い思い出だけでは有りません。いくら努力しても成績が最低だったり、運動音痴で運動会が悲しかったり、思い出したくないことも多くあります。その上先生に誤解され酷く叱られたり、顔も見たくない同級生が居たりします。同窓会へ出席するとそのような悪い思い出が蘇ってくます。不愉快な思いや、悲しい思いをします。それで出席しません。それは人間としてごく自然なことです。前の記事で「同窓会は無理して出席する必要はありません」と書いた背景にこのようなことを考えていたからです。現役の間の同窓会が楽しくないのは、この様なことに自分がこだわっているからです。しかし引退後は何故か全てが許されるという心境になります。ですから引退後の同窓会が楽しくなったのだと自分で納得しています。しかし、アメリカの学校の同窓会は現役の間でも楽しいものでした。その理由を以下に書いてみます。 (3)アメリカの大学の日本での同窓会 戦後六十年以上にもなると、日本の高校を卒業してアメリカの大学へ入学、卒業する人の数も多くなります。従って、有名アメリカ大学にはたいてい同窓会の日本支部が組織化されています。ある有名大学はその日本支部を利用して大企業から研究費や寄付金を集めています。何かアメリカ文化の良さを歪曲しているようで悲しい感じがします。しかし、それはボストンにある一つの有名大学だけですが。 オハイオ州立大学の同窓会にも日本支部があります。第二次大戦以前に卒業したある大手乳業会社の社長が名誉会長です。社長になった人がなんとなく交代で世話係の会長になり、毎年一回、夕食会の開催を連絡して来ます。参加者は受付で夕食代を支払って、傍らに立っている会長に挨拶し入場し、アメリカ流に三々五々飲み始めます。偉い人の退屈な長い挨拶や話が一切ありません。最後に参加者の健康を祝し乾杯をして終わりとなります。 同じくらいの年配の卒業生がかたまってテーブルに着き、オハイオの昔話を楽しみます。 西暦何年の卒業かはお互いに言いますが、日本流の先輩後輩の上下関係は有りません。 アメリカの同窓会が楽しい理由は、誰も威張って演説なぞしない、寄附を強制しない、仲の悪かった人と和解の場にしようとする、こんな暗黙の約束が厳然と存在しているからと思います。少しアメリカ贔屓すぎたでしょうか? 同窓会に出るも出ないも個人の自由です。そんなに重要なことでは有りません。でも出る以上大いいに楽しみましょう!自分のためにも他の出席者の為にも。(終わり)
写真のお上手な方のブログを発見すると「お気に入り」欄に入れて時々みます。しかし見るたびに新鮮な感動を覚えるものは多くありません。Shoさんのブログは写真が到密で美しいだけでなく、写している人の静かな心を感じさせます。なにか神々しい感じさえします。
多くの写真の中から一例として鷺と亀の写真をご紹介します。水面に映った鷺の白い形が一層深い静かさを感じさせます。他の多くの風景写真も静かな写真です。撮影技術が非常に高いだけでなく写し手の品性の良さを暗示しています。是非、Shoさんのブログを開けて多くの写真をお楽しみ頂ければ嬉しくおもいます。
Shoさんの自己紹介:「ようこそ!Shoは自分のことを日曜カメラマンと称しています。
写真歴は長いのに一向にうまくならない男です。人を感動させる写真が撮れるように…と、思ってます。よろしく。」(http://shophoto.blog70.fc2.com/ )
タイやネパールに住み着いているHikarunoさんが昨年に続けて 『アジアの布展~ラオスからブータン』という展示会を東京で4月20日から26日までの1週間開催されます。
正確な開場日時や場所は追ってお知らせ致します。
ひかるのさんのブログはhttp://asiancloth.blog69.fc2.com/ で、「インド ブータン アジアの染織」というブログです。
是非ブログもご覧の上、展示会へのお出かけをお願い申し上げます。
(続く)
同窓会は現役の間も引退後も出席している。しかし現役の間はあまり楽しくない。引退後は同窓会が急に楽しくなる。昨日は仙台一高の関東地区の同窓会があった。関東地区といっても沖縄や秋田からも来た人もいる。昭和29年に卒業した同じ学年の者が40名エビス・ビアガーデンで痛飲し、語りあった。高校は旧制仙台一中の校風のままの弊衣破帽、バンカラな男子高校であった。白線の入った帽子を被り、マントと高下駄で通学した。旧制高校の真似をした服装である。7クラス有った同学年の者が一緒に集まるので知らない顔も多い。昨日はU君、O君と小生の3人が幹事として準備をした。現役の間は幹事役を逃げ切っが、引退後はその仕事が楽しくなる。事務能力抜群のU君が手紙の発送から名簿の作成など全てをしてくれた。小生は40名の名札の準備と二次会の世話をした。
同窓会には新制の仙台市立愛宕中学校と向山小学校の同窓会もある。東北大学の金属工学科のもある。いずれも同窓会が楽しくて仕方のない人だけが集まるので毎回愉快な会になる。しかし同窓会へは絶対に出ないという人もいる。それも各々の自由だ。自由だから楽しいのだ。
引退後の同窓会では職業や政治の話は一切出ない。肩から力が抜けているのでクラスが違って、知らない者同士でも何やら楽しそうに話している。昨日も知らない者が話しかけてきて、当時の私の挙動を話してくれる。自分が忘れたことを実に鮮明に覚えていてくれる。その一方、一緒に忍者遊びをし、仲の良かった仲間が悪戯をしかけてくる。昔の冗談を何度も言う。一気に年齢を忘れ、大声で話す。なにせエビスの生ビールが滅法美味しい。
仙台一高では放課後に桜が満開の土手の下に全員が集められ応援部の指導で応援歌一番から三番まで何度も歌わされる。昨日も会の終わりに三番まで蛮声を上げて歌った。歌の指揮者は東宝映画で監督やプロデューサーをしてきたH君である。隣席で物静かに喋っていた紳士が、指揮を始めた途端に、野蛮な大声を挙げ、長い腕を振り回すので吃驚した。
卒業した仙台の学校を訪問することは無い。東京で同窓会をしているだけである。しかし仙台にある小学校も中学校も高校も廃校にならずに存続している。それが嬉しい。しかし卒業した学校が無くなる場合もある。旧満州や台湾にあった学校は敗戦と同時に霧散した。過疎地の学校は生徒数が少なくなり廃校する。想像しただけでも同情を禁じえない。しかしその反面、廃校になった場合の同窓会は一層楽しいに違いない。心の中に悲しみがあるから逆に楽しいのだ。
廃校という悲しみがなくても、学校時代には苦しい思い出や悲しいことが沢山ある。歓喜の青春という言い方は青春時代の灰色を隠すための言葉だ。同窓会では悲しいことは話さない。人生の楽しさは、その何倍もの悲しさによって光り輝くのだ。そんなことを考えながらビールを飲んできた。皆様は同窓会を心から楽しんでいらっしゃいますでしょうか?
今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。 藤山杜人
先日、「陽気な孤独死」という題目の文章を発表しました。駒が岳や八ヶ岳の見える山荘に独りで住んでいる友人との会話にもとづいて書いたものでした。
それに対して色々な方から実に暖かい反響がありました。それぞれのご意見は内容が違いますが、深い意味と、他人への惜気もない愛情に満ちています。
BYOOLと趣味人倶楽部というSNSで頂いたご意見です。どれも一切の訂正無しで、以下にお送りいたします。コメントを下さいました方々へ改めて深甚の感謝の意を表します。
ネット上での交流で、このような真摯な心の交流が出来ることを心から嬉しく思っています。
有難う御座いました。
今日も皆様のご健康と平和をお祈り致します。 藤山杜人
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(1)鬼家さんという方は心から山がすきなのでしょうね。
山に暮らし、自然に接することで、鬼家さんは生きている喜びと実感を味わっているのでしょうか。
死は誰にでも必ず訪れるもの、孤独死とは大変寂しいですが、鬼家さんにとって好きな美しい自然の中で生涯を終えることは本望なのかもしれませんね。
(2)いつも自然の中で生きていらっしゃると、自然から無言の教えのようなものを学ばれるのかもしれませんね。
人間も生物ですから、ある意味で自然の一部です。
ですから死も当然自然なことなのですよね。
文明の中で暮らしているとその感覚が鈍ってくるのかもしれません。
一人で死んで行くことの覚悟のようなものが自然と備われば人間も自然と一体になれるのかもしれません。
(3)作家 五木寛之氏は著書で 人間の一生の中で 林住期の後に来る遊行期こそを充実して過ごすべきだと 書いておられます。
まさに その言葉通りに 日々を送っておられる先輩なのですね。
羨ましいことです。
精神を自由に開放なさって 大らかに生ききる、理想だと思います。
晴耕雨読の日々 いいですね。
(4)人間いたるところ青山あり」ですね。
親鸞の言葉に「朝に紅顔ありて、夕べに白骨と成れり」ってのものですね。毎日充実した悔いのない人生をおくりたいものです。
(5)友人の中でも社会での役目を終えたら山で静かに暮らしたいと話す人がいます
反対に孤独死は私の場合怖いです
考え方の違いが何処で枝分かれするのか知りたいです
人それぞれかもしれませんが
同じ人間としてどうして此処まで考え方が違っていくのかわからないのです
いつかこの私にも、達観出来る心境が理解出来る様になるのでしょうか。
(6)孤独死の実感は涌いてきませんが、人間生まれてくる時も一人、そして死ぬ時も一人、この世に生を受けてから死への旅が始まる、というのが私の考え方です。その旅をどのようなものにするかは人それぞれ、白いカンバスにどんな絵を描くのか、それが人生だと思います
(7)皆さん素晴らしい名言、勉強になります。
私も一つ、ゲーテの言葉が信条になっています。
『自分の一生の終わりを初めと結びつけることのできる人は最も幸福である』
こんな話も聞いたこともありますが、死を迎えたある癌患者さんがベッドの上で経営学の勉強をしていたので、お孫さんがなんで?と聞いたらその方は
「わしはあの世でこの勉強を高めて次生まれたときに、大きな会社を経営するためじゃよ・・・」
それを聞いたお孫さんもお爺さんにならって立派な経営者になったそうです。
(8)孤独死、寂しい言葉ですね~。
年を重ねても一人で暮らせるのはすばらしいことです。人の世話にならぬようにです。わたしもそう願ってます。絵本作家のターシャチューダーのような老後を送るのが夢です。それで畑に果樹を植えました。実がなるのが楽しみです。
(9)こんにちは。
私は今話題の「おくりびと」の映画も原作となった作品も知りません。
ただ、本木 雅弘君が、語った一言が気になっています。
「おくりびと」の原点は、インドのガンジス川にあると、言っておられたと思います。
それで、私が感じたことは、「おくりびと」は、必ず人でないといけないのかということです。
かの一人暮らしの人の周りには、これまで彼が育てた草花がある。
すくなくとも、私にはそう思えるのですが・・・。
(10)人は死を恐れなくなったとき、平和な仙人のような静かな生き方が出るのではないでしょうか。
60才を過ぎて、後の人生は儲けものと思うようになってから、私は健康になりました。
昨日までの一週間の私のタフ振りは、誰もが驚くのですが、この心境が年以上の健康に恵まれるのだと思っています。
(11)はじめまして、
たくさんの友人や家族に囲まれていても
孤独な人はいると思います。
自然の中のひとりぼっちが楽しいという人もいると思います。
孤独というのは、自分自身の心だと思います。
山で暮らしても、都会で暮らしても、孤独を感じる人は孤独です。
でも、孤独死はつらいです。 死んでゆく人は達観しているかもしれないけれど、残される人間にとってはつらいです。
死に対しては、私はもうしばらくじたばたとしていたいと思います。
(終わり)