近代の西洋画にはバルビゾン派や印象派や新印象派や後期印象派があると言われています。これらの違いや関係はどうなっているでしょうか?
いろいろ調べてみましたら、「西洋美術史を流れで学ぶ(第20回)~バルビゾン派編~」(https://irohani.art/study/6885/ )という資料がありました。
実に明快に説明しています。そこで抜粋を以下にお送り致します。
(1)バルビゾン派
この派はバルビゾン村のフォンテーヌブローの森に住み着いた「自然主義」の絵描きの集団です。
メンバーは次の通りです。
● ジャン=バティスト・カミーユ・コロー
● テオドール・ルソー
● コンスタン・トロワイヨン
● ジャン・フランソワ・ミレー
● シャルル・フランソワ・ドービニーな
● ナルシス・ディアズ・ド・ラ・ペーニャ
● ジュール・デュプレ、などです。
「自然主義」とは「あるがままの自然や風俗」を描くことです。
例えばミレーは日本でも「落穂拾い」で有名な画家です。バルビゾン派は「風景」を書く人が多いのですが、「農民」をはじめとした風俗画も描きました。有名な「晩鐘」もその例です。
(2)印象派
実はバルビゾン村で戸外制作をしていた画家のなかに「モネ」「ルノワール」「シスレー」などが含まれていました。
彼等がのちに印象派として風景画の地位を大幅に高めたのです。
「自然主義」から発展した「印象派」はバルビゾン派よりもっと「実際の風景」を重視したのです。
1863年、印象派のリーダー的存在だったエドゥアール・マネの「草上の昼食」がサロンで落とされました。
マネは印象派のリーダー的指導者でした。
印象派の画家たちには、マネやモネやルノワールのほか、シスレー、ドガ、ピサロ、セザール、セザンヌなどがいました。
彼らはもちろん、古典主義的な絵は描きません。
古典主義とは「歴史画」「肖像画」「風俗画」「風景画」「静物画」などで、実際に見える世界よりも文学性の高い神話の世界を描こうとする考え方です。
そんな斬新な手法を生み出した印象派ですが、サロン・ド・パリ(通称・サロン)ではまったく評価を受けませんでした。
サロンというのは古典主義の国立の美術大学が運営していたのです。
(3)印象派から「新印象派」「後期印象派」への流れ
印象派の表現は「新印象派」とか「後期印象派」に引き継がれていきます。
印象派の手法をヒントにして、スーラ、ゴーギャン、セザンヌ、ゴッホといった面々へ多様化させて行ったのです。
詳しくは、新印象派・後期印象派編~https://irohani.art/study/7160/ をご覧下さい。しかしこの資料の重要な部分を下に紹介します。
印象派が自分たちで開催した「印象派展」は1874年から1886年に開かれました。
印象派たちが世間で有名になります。一方で、国営のサロン・ド・パリは衰退します。そして「サロン第一主義」は壊滅したのです。
結局サロンは1881年から民営化されます。また同時期から1890年代にかけて「サロン以外の民営展覧会」がたくさん出てきました。
そんな背景で、新印象派や後期印象派が出来たのです。
スーラやシニャックらによって「新印象派が登場します。
スーラの点描は、印象派が目指す筆触分割の完成形ともいえるものでした。
そして印象派の絵を「永久のもの」にしようとしたポール・セザンヌの新しい絵画世界が展開します。
セザンヌの影響を受けたゴーギャン、ゴッホなどのアーティストたちも独自の独創的な絵を描きます。
国立のサロンの壊滅後の自由な個人の独創性が羽ばたいた時代になったのです。
この「新印象派」や「後期印象派」にはスーラやシニャック の他にゴーギャン、セザンヌ、ムンク、ルドンなどの画家がいました。
今日は近代の西洋画のバルビゾン派や印象派や新印象派や後期印象派の違いや関係を説明しました。
挿絵代わりの写真はバルビゾン派の住んだバルビゾン村の風景です。