後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「日本の大量消費文化を示す無数の商店の写真」

2023年05月31日 | 日記・エッセイ・コラム
先週久しぶりに、隣り町の国分寺に買い物に行きました。国分寺駅の高層ビルの商店群を訪れて吃驚してしまいました。アメリカ留学から帰ってきて、1963年に国分寺のアパート住みました。その頃の国分寺駅は侘しい木造の駅舎があるだけでした。高層ビルの商店群なんて影も形がありません。貧し気なくすんだ色の電車が走っているだけです。あれから茫々60年です。変れば変わったものです。今日撮って来た写真を示します。
1番目の写真はJR国分寺駅の上に建っている高層ビルです。このビルの地下から9階までが商店になっているのです。それは巨大な商店群です。都心のデパートの売り場面積より何倍も大きいのです。嗚呼、デパートが華やかだった時代は過ぎ去ったのです。国分寺駅の上に建っている高層ビルには都心の有名店が沢山入っているのです。その写真を示します。


これらの写真のような商店群はJR中央線の新宿駅、中野駅、荻窪駅、吉祥寺駅、国分寺駅、立川駅などなどにあるのです。
写真に示したような商店群は日本の大量消費文化を示すものだと思います。日本の大量消費文化の中を泳いでいるのです。
今日、買い物をしながら何故か怖ろしくなりました。今朝、「国連の持続可能な開発目標(SDGs)と世界の貧困国の飢餓」という記事を書いたばかりなので余計感じました。老人の繰り言です。

「庭のビヨウヤナギが満開です」

2023年05月31日 | 写真
ビヨウヤナギ(未央柳、美容柳)はオトギリソウ科オトギリソウ属の半落葉低木です。
中国原産で約300年前に日本に渡来しました。

うちの庭のビヨウヤナギが満開です。
インターネットからお借りした美しい写真をお送りいたします。


「国連の持続可能な開発目標(SDGs)と世界の貧困国の飢餓」

2023年05月31日 | 日記・エッセイ・コラム
持続可能な開発目標とはSustainable Development Goalsの訳でSDGsと短く表現されます。SDGsは社会問題を論ずるときの一種の流行です。数年前から国連が事業の柱にしてからSDGsは日本でも流行ることにになったのです。その内容は国民一人一人が努力し持続的な経済発展をし飢餓を無くそうという目標です。一種の社会運動です。
このSDGsは個人や株式会社の活動によって世界から貧困や飢餓を無くそうという新しい思想です。新しい文化です。
今日はこのSDGsによって世界の飢餓問題が解決出来るのか考えてみたいと思います。
国連の2018年版「世界の食料安全保障と栄養の現状」報告書によると世界の飢餓人口の増加は続いており、2017年には8億2100万人が飢餓に苦しんでいます。
世界の人口の9人に1人が飢えているのです。そして「飢え」が原因となって死んでいく人は毎年2000万人という報告もあります。
最近は飢餓が増加を続け、10年前の状況に逆戻りしました。 この後退は、2030年までに飢餓をゼロにするという国連のSDGsが失敗する可能性を示しています。
南米およびアフリカのほとんどの地域で状況が悪化している一方、アジアで特徴的であった栄養不良の改善傾向さえも著しく減速しています。
国連の年次報告書によると、気候の変動や、干ばや洪水が、武力紛争や景気後退とともに飢餓増加の主要因の一つとなっています。
飢餓をなくし、食料安全保障を確保し、栄養改善を実現しますという国連のSDGsは失敗する危機に瀕しているのです。
この現状に果敢に立ち向かっている日本人もいます。以下に一人の例をご紹介します。
それはNPO法人ハンガー・フリー・ワールドの理事で事務局長の渡邉 清孝さんです。(https://sdgs.tv/tg_mov/goal2 )
このNPO法人は、SDGs目標2の「飢餓撲滅」に向けて、途上国の人たちが自力で食料を確保できるよう農業技術指導や栄養改善などを通じて支援している団体です。
世界では約8億人が飢餓状態にあるのが現状です。その一方で、先進国ではサハラ砂漠以南の地域の年間農業生産量に匹敵する食品が捨てられているといういびつな現実があります。
この渡邉 清孝さんが事務局長をしているNPOは30年以上にわたって飢餓撲滅の現場で活動してきました。

もう一つの例は民間会社のSDGsの取り組みです。味の素会社の例です。(https://www.ajinomoto.com/jp/activity/csr/pdf/2018/SDB2018_all.pdf )
この会社は以下の問題の解決に努力します。
1、栄養情報不足による栄養バランスの崩れがもたらす「不足栄養・過剰栄養」
2、都市への一極集中や急速に進む高齢化などライフスタイルの変化による多忙化、孤食化がもたらす「こ ころの健康問題」
3、「食資源の枯渇とフードロス」の食資源課題
4、製品ライフサイクル全体での地球との共生(カーボンニュートラル、フードロスの半減、持続可能な調達、 持続的な水資源保全、廃棄物のゼロエミッションの実現)

このように従来の利潤追求だけの株式会社の活動にいろいろなSDGsの運動を組み込んでいるのです。成果は遅遅としてますがこの新しい運動は社会を明るくします。希望の灯火です。

今日はSDGsによって世界の飢餓問題が解決出来るのか考えてみました。
写真は世界の貧困国の例として  中央アフリカ 、 モザンビーク、ニジェールの写真を示します。4番目の写真は貧困国の住宅です。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)
1番目の写真は貧困国4位の中央アフリカです。国民1人あたりのGDPは 425ドルです。
2番目の写真は貧困国6位のモザンビークです。国民1人あたりのGDPは472ドルです。
3番目の写真は貧困国11位のニジェールです。国民1人あたりのGDPは510ドルです。

4番目の写真は世界の貧困国の住宅です。国連がSDGs運動をしている国の様子です。写真の出典は、https://gooddo.jp/magazine/sdgs_2030/decent_work_sdgs/6505/ です。

「この季節に美しく咲くアジサイの花の写真」

2023年05月30日 | 写真
間も無く梅雨に入ります。雨や曇りの日が続き、鬱陶しい気持ちになります。

しかしこの季節には色とりどりのアジサイの花々が咲き人々の心を明るくしてくれます。その上、白、青、紫、赤などの花の色も時間とともに変化していきます。

このアジサイは日本古来の花で万葉集にも和歌があります。そしてアジサイは漢字で紫陽花と書きますが、それは白居易の紫陽花の漢詩に由来しています。

この紫陽花の原産地は日本と言われています。ヨーロッパで品種改良されアジア、ヨーロッパ、アメリカなどで観賞用に広く栽培されている花です。


「豊かな食品売り場を見て戦後の食糧難を思い出した」

2023年05月30日 | 日記・エッセイ・コラム
今日は我が町、小金井で何時も食料品を買う店をご紹介致したいと思います。JR中央線の小金井駅の南口にある商店街です。
三浦屋、トンカツの和幸、西城石井、魚の山助、スーパーのFoodway 、イトーヨーカ堂の食品売り場などです。それらの写真をお送りいたします。
1番目の写真は三浦屋の小金井店です。
2番目の写真はトンカツの和幸の小金井店です。
3番目の写真は西城石井の小金井店です。

4番目の写真は魚の専門店の山助です。
5番目の写真はスーパーのFoodway です。
日常の買い物は小金井でしますが、たまには立川のデパートの高島屋まで行きます。
6番目の写真は高島屋の地下にある美濃吉のいろいろな京料理のショウケースです。綺麗な弁当を買って、家で食べながら以前に訪ねた京都の街を思い出し家内としゃべります。

7番目の写真は京料理 をつめた美濃吉の弁当です。美濃吉は 300年前の享保元年1716年に創業しています。

写真を示したような豊かで綺麗な食品売り場を見ていると戦後の食料難の時代を思い出します。ひどい食料難の時代でした。餓死する人も絶えませんでした。飢餓の時代だったのです。
その飢餓の時代には不味いカラス以外は野鳥も捕って食べました。鴨や雉や山鳥は勿論、罰当たりの人は神社の鳩まで捕って食べました。鳩はフランス料理で使われるくらい美味しいそうです。
美しい白鷺が全国で見られるようになったのは食料難の時代が過ぎてからです。
私もシジュウカラやメジロやスズメを焼き鳥にして食べた強烈な経験そのがあるのです。少しそのいきさつを話しましょう。
戦後すぐの頃、少年だった私は近所の「不良のあんちゃん」に可愛がられていました。不良のあんちゃんの子分だったのです。そのあんちゃんは私より年上で背が高く敏捷でした。いろいろ悪戯をし、大人の言うことを聞かないので「不良のあんちゃん」と呼ばれていたのです。
この「あんちゃん」は裏山でシジュウカラやメジロやスズメを捕る名人でした。
棒の先に強いねばり気のある「とりもち」を巻きつけて裏山の雑木の枝に取り付けるのです。そしてそばに囮の鳥を入れた鳥籠をつるすのです。そうするとシジュウカラやメジロやスズメが簡単に沢山捕れるのです。
小鳥の羽を取り去って、割いて、竹串に刺してイロリの火で醤油をつけながら焼くのです。それは実に美味しいものでした。特にスズメは美味しかったのです。
私を可愛がってくれた「不良のあんちゃん」は美味しい焼き鳥を食べさせた後、何処かに消えてしまいました。それ以来、杳として消息がわかりません。器用で、その上子分を可愛がる性格ですから、それなりに幸せな一生だったと信じています。

豊かで綺麗な食品売り場を見るたびに「不良のあんちゃん」に可愛がられた少年の頃を思い出します。イロリの火で醤油をつけながら焼いた小鳥の美味しかったことを思い出すのです。
その経験は私に不良少年に対する暖かい気持を持たせたのです。この世の不良少年は必ず優しい気持ちを持っていると信じているのです。

親鸞は歎異抄のなかで、「善人なおもって往生を遂ぐ いわんや悪人をや」と書いています。
不良少年は学校の成績が悪くて非行をするものです。先生の敵です。しかし私は不良少年に恩義を感じています。この世に元来悪い人などいないのです。
不良のあんちゃんの一生が幸多かれと祈っています。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)
===参考資料==========================
「1000万人が餓死するといわれた終戦直後の日本」

終戦直後の食料難である。このとき、供給面では、米は大凶作だといわれた。東京・深川の農林省の倉庫には、東京都民の3日分の米しかなかった。多くの人が海外から引き揚げてくるので、需要は増加する。輸入はゼロである。戦前は、朝鮮や台湾という植民地からの米輸入があったが、それもなくなった。巷間こうかんでは1000万人が餓死するといわれた。
米、麦、イモなど多くの食料は政府の管理下に置かれ、国民は配給通帳と引き換えに配給公団から食料を買った。配給制度である。ただし、このときは、アメリカからの穀物援助で糊口ここうをしのいだ。また、1945年は、農林省の統計が予測したほどの不作ではなかった。



「はるばる潮来から引っ越して来たアヤメ」

2023年05月29日 | 写真
はるばる潮来から引っ越して来たアヤメが今年も庭に咲きます。
2008年の6月17日に茨木県の潮来のアヤメ祭りに行きました。お祭りなので、あやめの咲いている湿地の周りには露天が沢山出ています。いろいろな土産物を売っていましたが、根のついたアヤメの株も売っています。買って来て庭に植えたら翌年、見事な花が咲きました。それ以来、14年になりますが、毎年、毎年、我が家の庭に潮来のアヤメが咲いています。

そんなアヤメの花の写真をお楽しみ頂ければ嬉しく存じます。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)







「バルビゾン派の精神は印象派に引き継がれ、そして「新印象派」「後期印象派」になる」

2023年05月28日 | うんちく・小ネタ
近代の西洋画にはバルビゾン派や印象派や新印象派や後期印象派があると言われています。これらの違いや関係はどうなっているでしょうか?
いろいろ調べてみましたら、「西洋美術史を流れで学ぶ(第20回)~バルビゾン派編~」(https://irohani.art/study/6885/ )という資料がありました。
実に明快に説明しています。そこで抜粋を以下にお送り致します。

(1)バルビゾン派
この派はバルビゾン村のフォンテーヌブローの森に住み着いた「自然主義」の絵描きの集団です。
メンバーは次の通りです。
● ジャン=バティスト・カミーユ・コロー
● テオドール・ルソー
● コンスタン・トロワイヨン
● ジャン・フランソワ・ミレー
● シャルル・フランソワ・ドービニーな
● ナルシス・ディアズ・ド・ラ・ペーニャ
● ジュール・デュプレ、などです。
「自然主義」とは「あるがままの自然や風俗」を描くことです。
例えばミレーは日本でも「落穂拾い」で有名な画家です。バルビゾン派は「風景」を書く人が多いのですが、「農民」をはじめとした風俗画も描きました。有名な「晩鐘」もその例です。

(2)印象派
実はバルビゾン村で戸外制作をしていた画家のなかに「モネ」「ルノワール」「シスレー」などが含まれていました。
彼等がのちに印象派として風景画の地位を大幅に高めたのです。
「自然主義」から発展した「印象派」はバルビゾン派よりもっと「実際の風景」を重視したのです。
1863年、印象派のリーダー的存在だったエドゥアール・マネの「草上の昼食」がサロンで落とされました。
マネは印象派のリーダー的指導者でした。
印象派の画家たちには、マネやモネやルノワールのほか、シスレー、ドガ、ピサロ、セザール、セザンヌなどがいました。
彼らはもちろん、古典主義的な絵は描きません。
古典主義とは「歴史画」「肖像画」「風俗画」「風景画」「静物画」などで、実際に見える世界よりも文学性の高い神話の世界を描こうとする考え方です。
そんな斬新な手法を生み出した印象派ですが、サロン・ド・パリ(通称・サロン)ではまったく評価を受けませんでした。
サロンというのは古典主義の国立の美術大学が運営していたのです。

(3)印象派から「新印象派」「後期印象派」への流れ
印象派の表現は「新印象派」とか「後期印象派」に引き継がれていきます。
印象派の手法をヒントにして、スーラ、ゴーギャン、セザンヌ、ゴッホといった面々へ多様化させて行ったのです。
詳しくは、新印象派・後期印象派編~https://irohani.art/study/7160/ をご覧下さい。しかしこの資料の重要な部分を下に紹介します。
印象派が自分たちで開催した「印象派展」は1874年から1886年に開かれました。
印象派たちが世間で有名になります。一方で、国営のサロン・ド・パリは衰退します。そして「サロン第一主義」は壊滅したのです。
結局サロンは1881年から民営化されます。また同時期から1890年代にかけて「サロン以外の民営展覧会」がたくさん出てきました。
そんな背景で、新印象派や後期印象派が出来たのです。
スーラやシニャックらによって「新印象派が登場します。
スーラの点描は、印象派が目指す筆触分割の完成形ともいえるものでした。
そして印象派の絵を「永久のもの」にしようとしたポール・セザンヌの新しい絵画世界が展開します。
セザンヌの影響を受けたゴーギャン、ゴッホなどのアーティストたちも独自の独創的な絵を描きます。
国立のサロンの壊滅後の自由な個人の独創性が羽ばたいた時代になったのです。
この「新印象派」や「後期印象派」にはスーラやシニャック の他にゴーギャン、セザンヌ、ムンク、ルドンなどの画家がいました。

今日は近代の西洋画のバルビゾン派や印象派や新印象派や後期印象派の違いや関係を説明しました。

挿絵代わりの写真はバルビゾン派の住んだバルビゾン村の風景です。



今日の聖霊降臨の主日ミサの動画配信」

2023年05月28日 | 日記
関口教会の動画配信、
https://www.youtube.com/watch?v=P4aU-_0Odx8

イグナチオ教会のミサ動画配信、
https://www.ignatius.gr.jp/news/streaming.html

広島のカトリック幟町教会
https://www.youtube.com/watch?v=-0p2ZzHVrE0

 カトリック幟町教会、世界平和記念聖堂は,広島市中区幟町に所在し,昭和20年8月6日の原爆犠牲者を弔い,世界平和の実現を祈念する場として企図された教会堂である。設計は村野藤吾で,昭和29年8月6日に献堂された。

写真は広島のカトリック幟町教会です。


「今日は遠方の野川公園まで散歩しました」

2023年05月27日 | 写真
今日は少し遠方の都立野川公園まで散歩しました。都立野川公園はやはり都立の武蔵野公園の東に隣接して広がっています。
野川公園と武蔵野公園を合わせて広大な緑地になっております。

1番目の写真は都立野川公園の北門を入ったところの風景です。
2番目の写真は野川公園に来る30種類の野鳥の説明です。
3,4,5番の写真は野川公園からの帰り道です。武蔵野公園の中を通ります。