沖縄へは家内と一緒に3回ほど行きました。糸満、宜野湾、名護、古宇利島、万座ビーチ、沖縄本島はくまなくレンタカーで走りました。それから石垣島や西表島へも渡りました。
沖縄は何処へ行ってもサンゴ礁に囲まれた海岸の景観が美しく、またその海水が他では見られない魅惑的な色合いで、あくまでも透明です。
しかし少し沖縄の歴史を調べてから行ったので、薩摩藩の琉球王朝の圧迫や明治維新後の琉球処分を考えながらの旅になりました。
その上、家内も私も戦前生まれなので昭和20年3月26日から6月20日間まで3ケ月続いた壮絶な沖縄戦の地上戦のことが頭から離れません。猛烈なアメリカ軍の攻撃で軍人はもとより多数の民間人が殺されたのです。
男子中学生や師範学校の男子学生は動員され戦闘に参加し、多数が犠牲になりました。その慰霊碑は「健児の塔」として多くの参拝者が訪れています。
そして女子師範学校や女学校の生徒が戦場看護婦として動員され、多くの犠牲者が出たのです。その慰霊塔は粗末な石で、「ひめゆりの塔」と刻んであります。
この刻文と同じ題名の映画や本が戦後出来ました。ある年代以上のほとんどの日本人がその映画を見ました。
そのようなわけで、沖縄旅行は単純に楽しいものではなく、何処へ行っても胸が痛む旅でした。
1番目の写真はに沖縄本島南端の糸満市にある「ひめゆりの塔」の写真です。
この写真の出典は、http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%B2%E3%82%81%E3%82%86%E3%82%8A%E3%81%AE%E5%A1%94です。この出典の文章の抜粋を示します。
・・・・1945年3月24日、沖縄師範学校女子部と沖縄県立第一高等女学校の女子生徒及び職員総計240名(教師18名・生徒222名)は、南風原にある沖縄陸軍病院に看護要員として従軍しました。しかしその後激しい戦闘が続き、日本軍の防衛戦が前田高地附近に撤退した4月24日頃には山容が変わるほどの激しい砲撃にさらされるようになったため、5月25日には陸軍病院そのものが回復の見込みのない負傷兵・学徒を置き去りにして南部の伊原・山城周辺に撤退し、分散して地下壕に潜んだのです。・・・・
慰霊碑の名称は、当時第三外科壕に学徒隊として従軍していたひめゆり学徒隊にちなみます。「ひめゆり」は学徒隊員の母校、沖縄県立第一高等女学校の校誌名「乙姫」と沖縄師範学校女子部の校誌名「白百合」とを組み合わせた言葉で、もとは「姫百合」であったが、戦後ひらがなで記載されるようになりました。
「塔」と名はついていますが、実物は高さ数十センチメートルでそれほど高くないのです。
これは、終戦直後の物資難な時代に建立された事と、アメリカ軍統治下に建立されたという事情によるものです。
しかし、1949年に石野径一郎によって碑に関する逸話が小説化されると、直後に戯曲化され、さらに同名の映画が作られ有名となりました。沖縄戦の過酷さ、悲惨さを象徴するものとして大変有名になり、現在でも参拝する人が絶えません。
映画作品:
『ひめゆりの塔』 - 東映・1953年作品。今井正監督。
『太平洋戦争とひめゆり部隊』 - 大蔵・1962年作品。小森白監督。
『あゝひめゆりの塔』 - 日活・1968年作品。舛田利雄監督。
『ひめゆりの塔』 - 芸苑社/東宝・1982年作品。今井正監督。
『ひめゆりの塔』 - 東宝・1995年作品。神山征二郎監督。
『ひめゆり』 - プロダクション・エイシア・2007年作品。柴田昌平監督。
2番目の写真は「ひめゆりの塔」のある摩文仁の丘からの風景です。
この地域は沖縄戦跡国定公園に指定され保護、管理されています。
この中には「平和の礎」など100程の慰霊碑があります。
「平和の礎」は、世界の恒久平和を願い、国籍や軍人・民間人の区別なく、沖縄戦などで亡くなった全ての人々の氏名を刻んだ祈念碑です。1995年(平成7年)6月に太平洋戦争・沖縄戦終結50周年を記念して建立されました。海岸線を見渡す平和の広場に建てられ、屏風型の花崗岩に銘が刻まれています。現在も追加刻銘を受け付けており、刻銘者数は2009年(平成21年)6月21日時点で24万856人に達しているそうです。
3番目の写真は「平和の礎」と100程の慰霊碑です。写真の出典は、http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%96%E7%B8%84%E6%88%A6%E8%B7%A1%E5%9B%BD%E5%AE%9A%E5%85%AC%E5%9C%92です。
沖縄戦では「ひめゆりの塔」だけが突出して有名になりましたが、実際には数多くの民間人が軍人から自決を強要されたり、想像を絶する悲劇が起きたのです。
それは悪夢のような悲惨な地上戦でした。
犠牲者は約25万人でした。その詳細は、http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%96%E7%B8%84%E6%88%A6 にあります。この25万人の中にはアメリカ側の死者12520人も含まれています。
是非、このWikipedea「沖縄戦」をお読みになって全ての死者のご冥福を祈ってあげて下さい。そして平和の貴さをもう一度噛みしみて頂きたいと祈っています。
最後に私が撮った平和な沖縄の風景写真を3点お送りいたします。
4番目の写真は万座ビーチです。
5番目の写真はは宜野湾マリーナです。
6番目の写真は名護市のシンボル的なガジュマルの大樹です。
ひめゆりの塔の沖縄への旅は悲しい旅です。鎮魂の旅です。