武蔵国分寺跡は公園のようになっていて気持の良い場所です。よく車で行ってのんびりしてきます。何度も行っていると国分寺は何時建設され、そして何時焼けて無くなったかが気になります。
建立は741年の聖武天皇の詔に始まり、20年ほど後に完成したようです。大体760年前後です。この時、七重の塔も完成していたようです。しかしこの七重の塔は続日本書紀に明記されているように835年に雷に打たれて焼失します。その10年後、現在の埼玉県のある郡長が朝廷に願出でて再建します。数年かかったとして大体850年頃には完成したと想定されます。
この再建された七重の塔は200年位は立っていたと言い伝えられています。この想定が正しければ、1050年頃までは存在していたに違いありません。しかしこの七重の塔に関する記録は一切見つかっていません。文字通り歴史の闇の中へ消えてしまったのです。現在は下の写真にあるように礎石しか残っていません。このように記録の残っていないお寺の建造物が沢山あるようです。何か不思議な気分になります。
国分寺の伽藍の全てが焼失したのは1333年です。新田義貞が北条氏を府中の分倍河原で破り、鎌倉幕府を倒したときに新田軍に焼かれたと分かっています。新田義貞は1334年に国分寺の跡地に薬師堂をたてたと記録に残っています。
その後、1776年に至る440年間は国分寺は存在していませんでした。江戸中期に現在ある場所に国分寺が再建されたのです。
一つのお寺の歴史を見ると、創建され、焼失され、長い間を置いて再建され、また焼失するという繰り返しが多いようです。お寺の記録は本堂についてが多く、付属の建物の歴史的記録はあまり無いようです。下の写真を見ながら悠久の昔へ思いを馳せ、色々な想像をお楽しみください。(終わり)