世の中には凄い人がいらっしゃいます。最近、見つけた「「満州写真館」という写真集には感動しました。そのアドレスは、http://www.geocities.jp/ramopcommand/page035.html です。
何が凄いかというと満州に関する昔の貴重な映像が数千枚蒐集してあって分野別に分類整理されて公開してあるのです。
その画像は歴史研究に欠かせない貴重なものです。これをプリントし、製本し全国の公共図書館に保存すれば後世の人々の満州に関する研究に大いに貢献すると信じています。
その写真の収集の仕方が公平で、日本軍のしたことを正当化しようとか、平和が重要だと説教しようとしていません。ただあるがままの満州の平和な時代の市民の生活が写し出されているのです。
終戦後の、ソ連軍による蹂躙と、シベリア抑留、そして悲惨な引揚げの歴史によって日本人は満州のことを忘れたいと思っています。
しかし虚心坦懐にこの「満州写真館」を見て行くと一般人の幸せと悲しみが透けて見えるような気分になります。是非ご覧になって深くお考え下さいますように祈っております。
なお満州という言葉は使わない方が良いのです。日本が中国東北地方を支配下に置いていた1930年ころから1945年までのその地方の日本人の呼び方なのです。
中国人は「偽満州」とか「偽満州国」と呼んでいるそうです。しかし単に「東北地方」と呼ぶのが国際礼儀なのです。
その事は「満州写真館」の管理人も充分ご存知と信じています。しかし、それしか呼びようがありません。そんな心の痛みを感じながら私はこの貴重な写真集を皆様へ心から推薦いたします。
管理人のお許しを頂きましたので下に数枚の写真を例示します。
まず昔の大連の町の写真を2枚お送りします。
歩いている人の雰囲気が平和です。
上は大連の一番の繁華街だそうです。
次は瀋陽です。満州時代は奉天と呼ばれていた市です。
ロシア風の落ち着いた街でした。
上は奉天の駅前風景です。
さて満鉄の「あじあ号」の写真も以下にお送りいたします。
下は当時の食堂車の日本人の食事風景です。
そして下は最後尾の展望車の風景です。ヨーロッパ人乗客も満鉄を愛用していたようすが伺えます。
この「満州写真館」の写真は無断使用禁止です。お借りしたい時は、「みに・ミーの部屋」http://www.geocities.jp/ramopcommand/index.htmlの中の「掲示板」をクリックしますと、管理人の方へのメールを開けます。
この写真館の写真はテレビ局なども時々借りていますので、版権には慎重にしましょう。
さてくどくなりますが、それでは現在の大連と瀋陽の写真を掲載してみます。比較すると70年、80年の時の流れを感じます。感慨深いものがあります。
上と下の写真の出典は、http://www.tripadvisor.jp/LocationPhotos-g297452-Dalian_Liaoning.html#26043437 です。
下の2枚は瀋陽です。私ごとですが、1981年に、ここにある東北工学院へ集中講義に行ったことがあります。1981年当時は満州時代の街並みがそのまま残っていました。
中国の経済成長の早さにただ驚くばかりです。
上と下の写真の出典は、http://www.tripadvisor.jp/LocationPhotos-g297454-w4-Shenyang_Liaoning.html です。
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後藤様、初めまして。
シナーラ号で検索していたら辿り着きました。
シナーラ号は、最近まで船検切れだったようですが、今年のG.W.に整備されて船検も取り直し、今でもシーボニアに係留されております。
先週末に写真を撮ってきたばかりなので、現在のシナーラを撮影したデータを差し上げます。