2012年に井の頭公園のそばのLa forteというレストランで仙台第一高等学校の同期会がありました。1954年卒業のかつての少年達が58年後に会って談笑したのです。いろいろな思い出が走馬灯のように廻ります。この同期会は東京近辺に住んでいる新制高校6回生の会なので六高会と言い、毎年春に開催します。
今回は日本の旧制中学校の教育内容と雰囲気と新制高校について教育論的な視点から一文を記述したいと思います。
まず始めに明治政府が旧制中学校を全国に配置した頃のことを書きます。
維新後の廃藩置県で、明治政府は各県に県令(県知事)を派遣し、そしてすぐに数多くの尋常小学校を全国に作りました。暫くたって明治20年代になって全国の各県に4年間あるいは5年間の尋常中学校(旧制の中学校)を作りました。
仙台第一高等学校は明治25年に出来たのです。その初代校長は有名な国語辞典「言海」を作った大槻文彦(上の写真)でした。そして彼は校歌を作詞し、現在の仙台一高へ続く質実剛健な校風をつくりあげたのです。余談ながら、この大槻校長の2人の兄弟も傑出した文学者だったので、その出身地の宮城県一関駅前に銅像(上の右の写真)があります。
さて日本の旧制中学校の教育内容の特徴をかいつまんで言えば、漢文、英独語、数学、物理、化学に重点が置かれていたのです。漢学は江戸時代の藩校の伝統を受け継いだものです。英語、ドイツ語、フランス語は文明開花の西洋文化を取り入れるたものものです。数学、物理、化学は富国強兵のための工業技術の発展のためです。この方針に合致しないスペイン語、中国語、韓国語などは無視されました。客観的な歴史や比較文化人類学は欠落していました。富国強兵に役に立たないイスラム文化圏のことは無視です。
さて学校の雰囲気や校風はどのようなものだったのでしょう?
旧制中学校関連の学校を体験していない皆様に判り易く言えば、それは有名な漱石の小説の「坊ちゃん」に書いてあるような野蛮なものでした。言い方を変えれば質実剛健です。
私共の通った1951年から1954年の仙台第一高校はまさしく「坊ちゃん」に描かれている松山中学校の雰囲気と同じだったのです。
しかし教育論的に言えば「坊ちゃん」には2つの大きな欠点があります。
第一は、夏目漱石は旧制中学校の教育の善い面に全く触れていないという事実です。
第二に、坊ちゃんが田舎者を徹底的に見下して、軽蔑していることです。これは日本人の田舎者を軽蔑し、差別する文化を支援、補強したのです。
仙台尋常中学校の初代校長は人格者で有名な大槻文彦でした。夏目漱石がもし松山中学でなく仙台の中学へ勤務しても同じことが起きたと思います。田舎者でも大事にし、愛して、育て上げるという気概の無い教師は追い返されるのが自然です。
誤解しないで下さい。漱石の書いた「坊ちゃん」は近代日本文学の金字塔です。傑作です。しかしその欠点をみると旧制中学校の校風や雰囲気が判り易いので借りただけです。夏目漱石は偉大なことにいささかも疑問の余地はありませんん。
さて話はそれましたが、では明治時代の校風、蛮風がみなぎっていました。校歌や応援歌を蛮声はりあげて歌のですからどうしようもありません。
そのような質実剛健な校風は旧制が新制に変わっても変わらなかったのです。それが変わり始めたのは1966年頃から始まった中国の文化革命に端を発する学園闘争の頃からです。教育現場の雰囲気の時代変化については別の記事で書きたいと思います。
写真に仙台一高の同期会の様子の写真を示して終わりといたします。
それはそれとして、今日も皆さまのご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)