東京には江戸幕府の初期に作られた玉川上水が残っています。多摩川の羽村の堰から江戸の四谷まで30Km以上の長さです。その上流の方は樹木が繁り大きな緑地になっています。小平市は玉川上水の両側に遊歩道を整備しました。よく散歩に行くところで、昨日は久しぶりに6Kmほど歩いて来ました。遊歩道に沿って公園がありツツジや藤の花が咲いています。花壇もあります。そんな玉川上水の風景の写真を下に示します。
緑深い遊歩道を歩きながら老人の孤独感というものを考えていました。家族がみんないなくなって一人になってしまったという方からメールを頂いたからです。そして山林の中で独りで暮らしている老人を2、3人知っています。先日の記事に書いた「ひかるの」さんも天涯孤独でした。世の中には案外独りで暮らしているひとが多いのです。
老人の孤独感は若者の孤独感と違います。自分が70歳、80歳になると両親はもとより可愛がってくれた叔父や伯母がみんな亡くなってしまいます。仕事場で自分を大切にしてくれた恩人達もみんな亡くなってしまいます。先輩後輩の絆も消えてしまいます。昔の学校の同級会に行っても櫛の歯が抜けるように親しかった友人たちが亡くなっています。
老人の孤独感は自分だけが残り、自分を知っている人が皆いなくなったという寂寥感です。この境地は若者の孤独感とはすこし異質のものです。
それではこの孤独感や寂寥感を解消する方法はあるのでしょうか?
先に結論を言えば無いのです。そんな便利な方法などあるはずがありません。
お釈迦様は人はみな無常です。親兄弟や恩人や友人もみな無常なのです。こだわりを捨てて悟りを開きなさいと教えました。そしてイエス・キリストは神は全ての人を愛しています。そしてイエス・キリストも個人個人を大切にして愛しています。
このような有難い教えは百も承知です。しかし老人は孤独です。淋しいものです。そこで老人は孤独感や寂寥感と仲良くして、楽しく暮らすのが良いのです。無理に解消するのではなく、それ快くうけいれて気楽に生きることです。
老人は孤独なものだと諦めて楽しいことを探して気楽に生きることです。楽しいことを探しても見つからないと言う人もいます。しかし食事を作る、食器にもって食べることは間違いなく楽しいことです。近所の山に入ってタラの芽や山菜を少しだけ採って料理に使います。すると季節感が溢れて楽しいのです。庭の柿の若葉も天麩羅にします。
老人が生活を楽しくするためにはちょっとした工夫をすることが重要なのです。近所付き合いも楽しい雰囲気で行えば暮らしが楽しくなります。そして老人は暇ですから好きなことを何時までもして良いのです。これこそ老人の喜びではないでしょうか?
こうして楽しいことをしていても老人の孤独感は絶対に消えません。それを宿命と思い、孤独感と一緒に仲良く暮らすのが良いと信じています。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)
緑深い遊歩道を歩きながら老人の孤独感というものを考えていました。家族がみんないなくなって一人になってしまったという方からメールを頂いたからです。そして山林の中で独りで暮らしている老人を2、3人知っています。先日の記事に書いた「ひかるの」さんも天涯孤独でした。世の中には案外独りで暮らしているひとが多いのです。
老人の孤独感は若者の孤独感と違います。自分が70歳、80歳になると両親はもとより可愛がってくれた叔父や伯母がみんな亡くなってしまいます。仕事場で自分を大切にしてくれた恩人達もみんな亡くなってしまいます。先輩後輩の絆も消えてしまいます。昔の学校の同級会に行っても櫛の歯が抜けるように親しかった友人たちが亡くなっています。
老人の孤独感は自分だけが残り、自分を知っている人が皆いなくなったという寂寥感です。この境地は若者の孤独感とはすこし異質のものです。
それではこの孤独感や寂寥感を解消する方法はあるのでしょうか?
先に結論を言えば無いのです。そんな便利な方法などあるはずがありません。
お釈迦様は人はみな無常です。親兄弟や恩人や友人もみな無常なのです。こだわりを捨てて悟りを開きなさいと教えました。そしてイエス・キリストは神は全ての人を愛しています。そしてイエス・キリストも個人個人を大切にして愛しています。
このような有難い教えは百も承知です。しかし老人は孤独です。淋しいものです。そこで老人は孤独感や寂寥感と仲良くして、楽しく暮らすのが良いのです。無理に解消するのではなく、それ快くうけいれて気楽に生きることです。
老人は孤独なものだと諦めて楽しいことを探して気楽に生きることです。楽しいことを探しても見つからないと言う人もいます。しかし食事を作る、食器にもって食べることは間違いなく楽しいことです。近所の山に入ってタラの芽や山菜を少しだけ採って料理に使います。すると季節感が溢れて楽しいのです。庭の柿の若葉も天麩羅にします。
老人が生活を楽しくするためにはちょっとした工夫をすることが重要なのです。近所付き合いも楽しい雰囲気で行えば暮らしが楽しくなります。そして老人は暇ですから好きなことを何時までもして良いのです。これこそ老人の喜びではないでしょうか?
こうして楽しいことをしていても老人の孤独感は絶対に消えません。それを宿命と思い、孤独感と一緒に仲良く暮らすのが良いと信じています。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)