後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

国民の支持を得た安倍政権を高く評価する

2014年12月31日 | 日記・エッセイ・コラム
12月14日の衆議院選挙で自民と公明党の与党の議員数が躍進し安倍政権が国民から支持されていることが明確になりました。
この安倍政権は2年前の12月に成立し経済再建と国際外交を大いに展開したのです。下の写真は2年前に衆議院で総理大臣に選出された時の写真です。

さてこの2年間の安倍首相の仕事ぶりとその成果はどのように評価すべきでしょうか?
私自身の評価は5点満点で表せば4.2点位(100点満点では84点)と高い評価です。
何故かと言えば安倍総理の前の歴代の総理大臣がいずれも1年くらいで辞職に追い込まれたことに比較して、久しぶりに長い期間、政権を維持したからです。
森総理、小泉総理まではまあ良かったのです。その後がいけません。第一次安倍、福田、麻生、鳩山、菅、野田と実に短期間で辞職に追い込まれた総理大臣が続き、日本の国際的な信用が大きく損なわれたのです。その上、国内の経済活性化には無力過ぎました。
しかし2012年12月に発足した第二次安倍内閣は2年も安定していて、その上解散、総選挙で国民の支持を得たのです。こんな総理大臣は珍しい存在です。
そしてその精力的な仕事ぶりに私は満足しています。
経済政策を実行して株価が大幅に上がりました。景気も少し良くなりました。外国訪問を参考資料につけたように2年間で30回くらいも実行し、首相としては珍しく大きな外交成果を上げました。この二つを取り上げただけでも80点は差し上げたと思います。
その上、災害が起きれば被災地を訪問し、被害者を見舞うこともしています。
下の写真は株式会社が認可を受けて経営している保育院を訪問し、幼児たちと遊んでいる様子の写真です。安倍政権は全国の保育院の数を増加させる政策を進め、株式会社が経営する保育院も認可し、支援しているのです。
保育園訪問の写真の出典は、http://www.kantei.go.jp/jp/96_abe/actions/201305/です。
この12月14日の総選挙の勝利を受けて、下の写真のような第三次安倍内閣が成立したのです。

第三次安倍内閣の写真の出典は、http://www.yomuradio.com/archives/6314です。
さて安倍政権の専門家たちの評価はどのようになっているでしょうか?
下の参考資料につけたように5点満点法で2・5となっています。
分野ごとの評価点もありますので是非ご覧ください。
外交・安保の分野の評価が高く3.9点となっています。そして経済再生は2.8点となっていて外交・安保よりは低い評価です。政治・行政改革も3.0点と高くなっています。
その上、教育が3.0点、農林水産が3.2点となっています。このように地味な分野で得点が高いことは安倍総理のまんべん無い努力の現れです。好感を感じます。
最後に参考資料に示した評価をした専門家の顔ぶれをご覧ください。いずれも政治家に批判的な立場の方々です。総合平均が2.5(100点満点法で50点)とかなり厳しいようです。しかし相対的には納得出来る評価結果だと思います。この様な専門家の評価もマスコミはもっと報道して貰いたいと思います。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。後藤和弘(藤山杜人)
====参考資料======================
(1)安倍政権の通信簿
http://www.genron-npo.net/politics/genre/generaltheory/111255.html?gclid=CNSEzp_L7sICFcOXvQodl5YA5A より。(2014年12月1日の評価です。)
安倍政権2年の11政策分野の実績評価は2.5点(5点満点)
各分野の点数一覧:
経済再生:    2.8
財政:      2.0
復興・防災:   2.8
教育:      2.9
外交・安保:   3.9
社会保障:    2.0
エネルギー:   2.0
地方再生:    2.0
農林水産:    3.2(農業も3.2点と高く、減反政策を含めて、農業の自立に向けた首相の取り組みを評価しています。)
政治・行政改革: 3.0
憲法改正:    2.0
解説:
言論NPOは12月14日の衆議院選挙を前に、2012年衆議院選挙でのマニフェスト、安倍首相の所信表明や施政方針演説などで、国民に対して約束した安倍政権の中心的な政策67項目を抽出し、2年間でどのような成果を出したのかを検証しました。この結果を、安倍政権2年の通信簿として、12月1日に公表しました。
 その結果は、5点満点で2.5点となり、昨年の12月26日時点で行った安倍政権1年の評価結果(2.7点)から微減するという結果でした。
 まず、安倍政権が最も重要視したのは経済政策で、目玉は「大胆な金融政策」「機動的な財政政策」「成長戦略」の三本の矢からなるアベノミクスです。昨年は3.2点でしたが、今回は2.8点と0.4ポイント下がりました。アベノミクスの最終的な目的は、第一の矢である金融政策によって円安・株高を実現し、これを契機とする企業業績の回復が民間設備投資の拡大、賃金上昇による持続的な個人消費の拡大に結び付く好循環を実現することです。この点からは、未だ十分な効果が発揮されたとは判断できません。数字でも鉱工業生産や輸出の数量などいろいろな数字で改善が見られています。そのため、改善のきっかけはつくっていますが、それが大きな力になり循環が確実に始まったとは言えないからです。しかし、好循環が今後起きないかと言うと、現時点では判断できません。そこで私たちの評価では大部分の経済政策の項目が3点、あるいは2点となりました。また、第三の矢である成長戦略は打ち出しているものの、なお不十分でした。
 財政再建については、安倍首相は消費税引き上げを見送ることを表明した記者会見で、プライマリーバランスの2020年黒字化は堅持すると発言し、そのためのプランを来年の夏に策定すると説明しています。ただし、内閣府の試算(14年7月25日)によれば、仮に15年10月に消費税率を10%に引き上げ、10年間の平均成長率は名目3%程度、実質2%程度で計算しても、20年度は11兆円の赤字が生じることとなり、目標達成は現時点で難しいと判断せざるをえず、評価は低いものとなりました。
 外交・安全保障については、これまで対立を続けてきた中国との対話を一応成功させ、韓国との関係改善の動きを進めています。地球儀を俯瞰する外交ということで、首相自身が世界を積極的に動いていることや、民主党時代に悪化した日米関係の改善も評価されました。それで昨年(3.1点)を上回る3.2点になりました。農業も3.2点と高く、減反政策を含めて、農業の自立に向けた首相の取り組みを評価しています。しかし、減反政策や農協改革には党内合意を得ていないものもあり、実現には今後の動きを見ていく必要があります。
 エネルギー分野については。これからの日本のエネルギー政策の基本となるエネルギーのベストミックスについては、原発への判断が実質的に先送りされていることからまだ出せていません。審議会の状況を見ても、来年の統一地方選後に、なるべく選挙を避けて判断するような状況が垣間見られます。それに連動して、地球環境に対する目標設定ができなくなり、世界から遅れています。
 社会保障について、今年は年金の財政検証も行われましたが、これまでの制度に問題があることが明らかなのに、持続的な制度をつくるための取り組みが遅れており、低い評価となりました。
 ただ全体的に評価の対象となった2012年衆議院選、13年参議院選の自民党マニフェスト自体が約束として不完全で、それぞれの分野で将来像や理念に基づいた政策体系がまとまっていないことが、実績評価にも負の影響を与えています。また国民への説明が不足していることを理由に、福島原発の汚染水問題、特定秘密保護法など6つの政策で減点評価を行いました。特に、公約に書かれていない問題については国民に対する説明責任が問われています。
 以上のように、全体的に各分野で低調な評価となった。各分野の詳細な評価結果は、下記の表の点数をクリックしてご確認ください。
 なお、今回の評価には、言論NPOのマニフェスト評価会議から、湯元健治(日本総合研究所副理事長)、西沢和彦(同上席主任研究員)、池本美香(同主任研究員)、鈴木準(大和総研主席研究員)、内田和人(三菱東京UFJ銀行執行役員)、神保謙(慶應義塾大学准教授)、田中弥生(大学評価・学位授与機構教授)、山地憲治(地球環境産業技術研究機構(RITE)理事)、松下和夫(京都大学名誉教授)、小黒一正(法政大学准教授)等40氏にご協力いただきました。

(2)安倍総理の外国訪問一覧表(外務省HPより)
安倍総理 2014年 11月9日-17日 APEC首脳会議,ASEAN関連首脳会議及びG20首脳会合出席
10月15日-18日 第10回アジア欧州会合(ASEM)首脳会合出席
9月22日-26日 第69回国連総会出席
9月6日-8日 バングラデシュ及びスリランカ訪問
7月25日-8月2日 中南米(メキシコ,トリニダード・トバゴ,コロンビア,チリ,ブラジル)訪問
7月6日-12日 ニュージーランド,豪州及びパプアニューギニア訪問
6月3日-7日 ベルギー及びイタリア訪問
5月30日-31日 シンガポール訪問
4月29日-5月8日 ドイツ・英国・ポルトガル・スペイン・フランス及びベルギー訪問
3月23日-26日 核セキュリティサミット出席等(オランダ)
2月7日-9日 ソチ・オリンピック開会式出席等
1月25日-27日 インド訪問
1月21日-23日 ダボス会議出席(スイス)
1月9日-15日 オマーン・コートジボワール・モザンビーク・エチオピア訪問
2013年 11月16日-17日 カンボジア・ラオス訪問
10月28日-30日 トルコ訪問
10月6日-10日 APEC首脳会議等(バリ)及びASEAN関連首脳会議(ブルネイ)出席
9月23日-28日 カナダ訪問及び国連総会出席(ニューヨーク)
9月4日-9日 G20サンクトペテルブルク・サミット及びIOC総会出席(ロシア・アルゼンチン)
8月24日-29日 中東・アフリカ諸国訪問(バーレーン・クウェート・ジブチ・カタール)
7月25日-27日 マレーシア・シンガポール・フィリピン訪問
6月15日-20日 G8ロック・アーン・サミット出席及び欧州諸国訪問(ポーランド・アイルランド・英国)
5月24日-26日 ミャンマー訪問
4月28日-5月4日 ロシア及び中東諸国(サウジアラビア・アラブ首長国連邦・トルコ)訪問
3月30日-31日 モンゴル訪問
2月21日-24日 米国訪問
1月16日-19日 東南アジア訪問(ベトナム・タイ・インドネシア)

皆様への感謝、そして幸多い新年をお迎えください!

2014年12月30日 | 日記・エッセイ・コラム
今日はもう12月30日です。いろいろなことのあった2014年、平成26年も暮れようとしています。新聞では今年の十大ニュースなどを取り上げています。どれも感慨深いものでした。
そして昭和という時代に活躍された方々も旅立っていきました。高倉健さん、菅原文太さん、山口淑子さん、土井たか子さん、呉清源さん、まど・みちおさん、などなど。これで戦後も終わったような気がいたします。
悲しい自然災害も置きました。広島の大規模な土石流で多数の方々が被害に遭いました。そして突然の御岳山の噴火で多数の貴い命が失われたのです。
世界中をかえりみると数多くの悲劇が起きました。粛然とします。

その一方、小さな自分のことを振り返ると無事平穏に78歳の年も過ぎようとしています。
そしとて何よりもインターネットを通じて皆々様から頂いたご厚情へ深く感謝いたします。
私は2007年から毎日ブログを書いています。アドレスは、http://blog.goo.ne.jp/yamansi-satoyamaです。このブログは毎日多くの方々に読んで頂いています。
そしてブログと同じ内容の記事をFace Book,https://www.facebook.com/kazu.s.goto にも掲載しています。このFace Bookの方では毎日、多くの心暖まるコメントを頂いています。ああ人間の善意の世界がここにあると感じ入るお付き合いをさせて頂いております。有難くて自然と頭が下がります。
これらの他に趣味人倶楽部(http://smcb.jp/_mp00)とBYOOL(http://sns.prtls.jp/byool2/home.html)という2つのSNSにも毎日記事を掲載しています。お付き合いしている方は数少ないのですが何時も大変好意的なコメントを頂いています。
そのような事情ですので、この年の暮れにあたり、

皆々さまへ日頃のご厚情を感謝し、幸多い新年をお迎えになるように心からお祈りいたします。皆様のご健康と平穏をお祈り申し上げます。有難う御座いました。後藤和弘

間もなく春も来ます。そこで長崎のハウステンボスで2013年の4月16日に撮った春の花々の写真をお送りします。









暗い寒い日なので心が暖まるような写真をお送り致します。

2014年12月29日 | 写真
今日は全国的に悪天候で日本海側は雪、太平洋側は冷たい雨が降り続いています。気温も低く暗い気分になります。
そこで心が暖まるような花々の写真を昨年の12月のブログで見つけましたので再度お送りいたします。近所の花屋さんで撮った写真です。









古刹に参り、祖父母、両親の冥福を祈る

2014年12月29日 | 日記・エッセイ・コラム
祖父母や両親のお墓が遠くにあり、私はなかなか墓参りが出来ないのです。そような方々にご参考になるかも知れないと思い書いてみます。
私の祖父は兵庫県の山郷にある曹洞宗の正林寺の住職でした。父も大学が定年になってから島根県の山郷の曹洞宗の宗安寺の住職になりました。父の死後は弟が宗安寺の住職をしています。仙台に住んでいて、時々仏事を執り行うために通っています。
祖父の墓は正林寺にあり、父の墓は仙台の墓地と宗安寺の両方にあります。どちらも遠方でなかなか墓参りは出来ません。そこで昨日、府中市にある同じ曹洞宗の高安寺の本堂と歴代住職のお墓に家内と参り祖父母、両親の冥福を祈りました。
この行為は厳密に言えば先祖の墓参りになりません。しかし三門の脇にある曹洞宗の開祖の道元禅師さんのお像が「まあ墓参りと同じと認めて上げよう」と言っているようです。
先祖の墓が遠方にあってなかなか墓参りも出来ない人も多いと思います。
先日、テレビで見たのですが、遠方の先祖の墓にライブカメラを設置して、その墓の映像を拝み、墓参りをしている人の映像がありました。そのお寺にメールで花をお願いすると住職さんが花束をその先祖の墓に供えてくれるのです。その様子もライブカメラで見ることが出来るのです。これは一つの方法です。
それから先祖の墓を近所に移転する方法もあります。
それも出来なかったら先祖の墓のあるお寺の宗派と同じ宗派の近所のお寺さんを訪問してご本尊さまに先祖の冥福を祈るのも良いと思います。
さて墓参りははたしてどんな意味があるのでしょうか?
無意味だから一切しないと言う人もいます。そうですね、私も時々無意味だと思うこともあります。しかし私はそれが好きだからするのです。もっとはっきり言えば楽しいからするのです。
先日も家内と一緒に非常にお世話になった塚本金明神父さまとヨゼフ・ムニ神父様の墓参りをして来ました。昨日は祖父母と両親の墓参りの代用品をしてきました。
そして暮れには家内の祖父母、両親の墓参りをし、お正月の花を供えてくる予定です。
何故、墓参りが楽しのでしょうか?
私には二つの理由があります。一つは墓参りをすると故人との楽しかった場面、場面がよみがえってきて幸せな気分になるからです。そうして二つ目はその故人たちへの感謝の気持ちが自然に湧いてくるからです。感謝すると気分が良くなり楽しくなるのです。
この様に考えると墓参りは宗教とは無関係の行為かもしれません。しかし死んでしまった故人たちがあの世で幸せに生きていてくれると思いたくなります。そうあることを祈ります。冥福とは冥界の幸せのことです。冥界は宗教の違いや宗派の違いに関係なくあるのです。私はそのように信じています。
年の暮れが近づくと故人たちのことをいろいろと思い出します。それで私は墓参りに行くのです。下に昨日お参りした高安寺の参道や、三門や、本堂や、本堂の内部、や歴代住職のお墓の写真を順々にお送り致します。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。後藤和弘(藤山杜人)









====参考資料========================
(1)高安寺の歴史:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E5%AE%89%E5%AF%BA
平安時代に藤原秀郷が武蔵国府近郊に置いた居館を市川山見性寺に改めたのが始まりとされる。平家滅亡後に鎌倉入りを許されなかった源義経もこの寺に立ち寄って武蔵坊弁慶が大般若経を書き写したと言われている。ここは武蔵国府の近くにあり国衙荒廃後にはここが重要拠点と見なされるようになり、南北朝時代には、新田義貞が分倍河原の合戦で本陣を構えている。これら一連の戦乱によって寺が炎上するなどして見性寺は荒廃してしまった。
そこで暦応年間(北朝、1340年前後)に入ると、足利尊氏が建長寺の大徹禅師を開山として招き臨済宗の禅寺に改めて再興した。この際、尊氏が進めていた安国寺の一つとしてこの寺を位置づけ、名称も尊氏の旧名(高氏)から龍門山高安護国禅寺と命名された。これによって高安寺は室町幕府の保護を手厚く受けて、一時は塔頭10・末寺75と称されるほどの大寺院となった。以下書略。
(2)分倍河原の合戦と鎌倉幕府の終焉:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%86%E5%80%8D%E6%B2%B3%E5%8E%9F%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84_(%E9%8E%8C%E5%80%89%E6%99%82%E4%BB%A3)
分倍河原の戦い(ぶばいがわらのたたかい)は、鎌倉時代後期の元弘3年(1333年)5月15日・5月16日に、武蔵国多摩川河畔の分倍河原(現在の東京都府中市)において、北条泰家率いる鎌倉幕府勢と新田義貞率いる反幕府勢との間で行われた合戦である。以下省略。

武蔵国の古い首都、府中市の歳末風景の写真

2014年12月28日 | 写真
武蔵国は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つでした。そしてその首都は現在の府中市にあったのです。この府中は東山道の武蔵路で大和につながる関東地方の中心の町でした。そして鎌倉時代、室町時代まで繁栄したのです。
しかし徳川幕府になってから東京湾に面した江戸を幕府にしたので内陸の府中はさびれました。それでも江戸時代でも重要な町でした。しかし明治維新後、鉄道の中央線を敬遠したために繁栄から取り残された町です。
私はこの古い町が好きで何となく遊びに行きます。今日もその歳末風景の写真を撮りに行きました。お送りする5枚の写真は順々に、しめ縄・お飾り店、鎌倉時代以前に創建された高安寺の門、国府以前の歴史を有する大国魂神社、お正月用の雪駄を売っている古い履物屋、そして正月用の縄飾りをしたお神輿の休憩所、お旅所の写真です。
何となく古い日本の町の雰囲気が感じられないでしょうか。









カトリックとプロテスタントの違いは、マリア信仰の有無

2014年12月28日 | 日記・エッセイ・コラム
キリスト教はカトリックとプロテスタントとに別れます。1500年後のルターの宗教改革の後で生まれたキリスト教のいろいろな宗派をプロテスタントと言います。そしてその以前から連綿と続くのがカトリックです。
この2つの分類は大まか過ぎます。この2分類の他に私が好きな宗派のロシア正教や日本正教もあります。これらもカトリックに非常に近いものです。
イギリスの聖公会はカトリック的な典礼を用いますが信仰の内容はプロテスタント的です。ようするに中間的です。
それではカトリックとプロテスタントの違いは何でしょうか?
神学的には難しい説明がありますが、カトリックの一信者として簡単に言えば、カトリックではマリア様への信仰が重要ですが、プロテスタントにはそれがありません。
そこで下にマリア様とその息子のイエスと父親のヨゼフの3人の家族の写真を示します。

そして下に幼いイエスを抱いたマリア様の写真を示します。カトリックの教会の中には必ずあるお像です。



くどくど書かない方が良いのかも知れませんが、凡俗な一信者としてのマリア様への祈りについて少し説明いたします。
マリア様への祈りは「甘えた祈り」なのです。病気が直りますようにとか、家内安全を祈ります。イエス様には恥ずかしくて出来ないような利己的なお祈りをします。
しかしイエス様へは東日本大震災で被害にあった方々のために祈ります。イエス様の慈しみが豊かにありますようにと祈ります。世界の平和も祈ります。イエス様へは利己的な身勝手なお祈りはしません。それを引き受けてくれるのがマリア様です。
このようなことを書いてましたら、山梨県の韮崎市にある巨大な観音像を思い出しました。その観音様は下の写真に示すように女性なのです。

観音さまはお釈迦様の知恵や慈悲のシンボルなのです。男性でも女性でもありません。中性です。韮崎の観音像は間違っているという人もいますが、作った人の気持ちを考えるとほほえましいですね。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。後藤和弘(藤山杜人)

北極星を信仰するロマンチックな妙見信仰と幼少時の懐かしい思い出

2014年12月27日 | 日記・エッセイ・コラム
日本にはキリスト教や仏教や神道や庚申信仰のような中国の道教と深い関係のあるさまざまな宗教の信仰が混然一体となって存在しています。そしてそれらは時代の推移にともなって変化して行きます。
風水や陰陽道や庚申塔信仰や妙見信仰などは仏教とは異質の道教起源の信仰です。
キリスト教が日本の宗教的風土に入ってくるとどのように変化するのでしょうか?
それを知るためにも道教が日本に入り仏教や神道に混淆していった様子を知るのが良いと思い、今日は妙見信仰について説明をしたいと思います。
庚申信仰の説明で参照させて頂いた「戸原氏のホームページ」(http://www3.ocn.ne.jp/~tohara/myouken-1.html)に明快な説明があります。
それによると妙見信仰とは道教の北極星(北辰)と北斗七星に対する信仰であり、日本では仏教と混淆し、北辰妙見菩薩に対する信仰に変化したのです。
一方、神道と混淆したのが「天御中主神」(アメノミナカヌシノカミ)です。
この北極星信仰は、その動かない星が北の空にあって宇宙の全てを支配する最高神すなわち天帝として崇める宗教なのです。そして北斗七星は天帝の依頼を受けて人間の行状を監視し、その生死や禍福を支配しているのです。下の写真に北極星の写真と北斗七星とカシオペア座と北極星の位置関係を示す写真を掲載します。



この北極星と北斗七星の信仰は推古天皇のころ日本へ入ってきたと言われています。
奈良の明日香にある高松塚古墳の天井に北斗七星が描かれ、北壁には北極星の象徴である玄武像(カメと蛇が絡み合った像)が描かれていたのは日本へ北極星と北斗七星の信仰が入ってきた証拠と言われています。
正倉院の御物にも北斗七星が描かれているので奈良時代には北辰信仰が入っていたと考えられています。
この北辰信仰が時代とともに仏教と混淆して、妙見信仰へと変化していったのです。
私的なことで恐縮ですが、私の祖父が住職をしていた兵庫県の曹洞宗の正林寺に行くために何度も乗った能勢電鉄の終点が能勢妙見さんでした。本尊さんは北辰妙見菩薩なのです。
その関係で能勢の妙見さんのことは昔から知っていた懐かしい場所なのです。
この妙見信仰のお寺は能勢氏が1600年頃に建立したものです。そして能勢氏は日蓮宗の信者だったので法華経の守護神の北辰妙見菩薩をご本尊にしたのです。
この能勢の妙見さんは三大妙見の一つとして江戸時代中期頃から参拝者が増え、大いに賑わっていたのです。関西地方の名所の一つだったのです。
ですからこそ能勢電という鉄道も出来たのです。
下に能勢妙見の写真を示します。写真は、http://www3.ocn.ne.jp/~tohara/nose-myouken.htmlからお借りしました。







このように日本の宗教的な風土では仏教も道教も神道も混淆して、日本独自の信仰対象にしてしまうのです。
ですからこそ日本の宗教は元来の教義や信仰の内容が変化するのが特徴と言えると思います。もちろん宗教の変化はどこの国でも起きますが、日本の変化の様子は非常に独特なものと考えられます。(続く)

門松やお節料理は家庭の幸せの思い出

2014年12月27日 | 日記・エッセイ・コラム
時代が変わってもお正月が来ると門松を飾り、お節料理を作ります。人それぞれでそれを一切しない人もいます。しかし門松とお節は多くの人々が連綿と続けています。それは美しい日本の風物詩なのです。
何故、多くの人々が続けているのでしょうか。いろいろな理由があるでしょうが、私の場合は門松やお節料理は家庭の幸せの思い出だからです。まだ家内が若く、子供も幼かった頃に家内が熱心に作っていたからです。自分が子供の頃の食糧難の時代に両親が必死でお正月のご馳走を用意していたからです。そのような楽しかった頃の思い出がよみがえって来るのです。
昔は門松は山に取りに行きました。つい数年前までは甲斐駒岳の麓に取りに行きました。しかし最近は買ってきます。昨日、買ってきました。半紙と稲縄で作った飾りをつけて毎年家内と一緒に門扉にとりつけます。それはお正月を迎える小さな儀式のようなものです。
そして家内は今年もお節料理の材料の用意を始めました。
昔は全てのお節は手作りでした。現在は半分完成した料理を売っています。その上、大小さまざまな大きさの重箱に美しく詰めたお節さえ売っています。
家内は何でも手作りしようとしています。作っている最中が楽しいらしいのです。
日本人なら「お節料理」についてはいろいろな想いを持っていると思います。
戦前生まれ、戦後育ちの人々にとっては悲しい思い出がまつわりついています。
戦後は食糧難で材料が無いのです。当時の親たちはお正月料理の準備で苦労したのです。
最近は豊かなになり材料で苦労することが無くなりました。
美しく重箱につめたお節料理を前にして、時々私は、南の島々で餓死した兵隊さんたちへ食べさせたかったと想うのです。
私はお節を見ると楽しい思い出とともに、今でもそのように想いが頭をかすめるのです。
そして現在でも孤独な人々はお節料理を作らないかも知れません。
幸せな家庭でも門松もお節もしない人々もいます。
いろいろな時代と、いろいろな家庭の光景を想像します。
そして幸少ない人々のために、より幸福な新年が来るように心のなかで静かに祈っているのです。

それはさておき、美しいおせち料理の写真をお送りします。
はじめの2枚の高島屋のお節料理の写真の出典は、http://www.takashimaya.co.jp/shopping/special/osechi/0900002064/0900002065//-/です。
続く2枚の三越のお節料理の写真の出典は、http://mitsukoshi.mistore.jp/osechi/nihombashi/index.html;jsessionid=swvsJd1QMPNR7n6cT6QDF2vgvlyn3wYLjFdypGQRBlQnm1WGNmjx!30512671です。
そして、http://erecipe.woman.excite.co.jp/theme/osechi.htmlには非常に数多くのお節料理の作り方が書いてあります。
少しご自分で作って、家族おそろい楽しいお正月をお迎え下さい。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。
後藤和弘(藤山杜人)








お正月用の花を買いに行きました

2014年12月26日 | 写真
門松や赤い実をつけた千両(センリョウ)を買いました。ついでにシクラメンや黄色いオンシジュームとピンクのバラとユリなども買いました。一番上の写真が生花にした花々の写真です。
店にはお正月用の花々が溢れるように美しく飾ってありましたので写真を撮ってきました。2番目から6番目の写真が三鷹のJ-マートで撮った写真です。












クルド族とイスラム国との戦争(3)オスマン帝国のような国家樹立を目指すイスラム国の野望

2014年12月26日 | 日記・エッセイ・コラム
これまでのイスラム過激派のテロや武力攻撃はアメリカとその協力者へ対する軍事活動だけであり、イスラム教にももとずいた国家建設という明確な思想的背景が存在していませんでした。要するに政治的展望の皆無な武力攻撃だけだったのです。
しかるに2014年の6月に「イスラム国」の樹立を宣言し指導者として「アブ―バクル・アルバグダーディ」をムハンマドの後継者、カリフにしたと発表したのです。
この新しい国家の第一の目標はシリアとイラクを統一し、最終的には現在の中東全域の統一にあるのです。その構想は壮大で、中東に広大な統一国家、イスラム国を作ろうとしているのです。その国家の形態と政治はかつて地中海全域を版図にしたオスマン帝国をモデルにしているのです。
このイスラム国の構想と現在の統治の実態については放送大学の高橋和夫教授が詳しい解説をネット上に幾つか発表しています。学問的で客観的な説明なので信用出来そうです。
そこで、以下にその概略をご紹介いたします。なお詳しくは末尾の参考資料を是非ご覧下さい。
 アメリカが「イスラム国」の活動地域に対する空爆を、これまでのイラクのみでなくシリアにまで拡大させました。なぜアメリカはシリア空爆に踏み切ったのか、イスラム国はこれまでのテロ組織と比べて何が違うのでしょうか。
広い「領土」で住民サービスも提供
 イスラム国の特殊性は、余りに国らしい点にあります。つまり「テロ組織」の域を超えているわけです。それは、既にイラクとシリアの2つの国にまたがって広い「領土」と数百万の人口を支配しています。
しかも、徴税や電気や水道の供給など国家としてのサービスも住民に提供しています。一定の領土と人口を一定期間以上にわたって有効に統治しているわけです。アルカーイダのような、これまでの「テロ組織」とは全く違うのです。
 アメリカはシリア領まで爆撃したのは、この国家という名前のテロ組織が、やがてはアメリカへの脅威になるという認識からです。
大型兵器をイラクからシリアへ移動
 とはいえシリア爆撃の直接の理由は、シリアでの軍事情勢だと考えられます。というのはイスラム国の特殊性は、今になって急に始まったからではないからです。それでは、アメリカがシリアに爆撃を拡大した軍事的な理由は何でしょうか。
 それはイスラム国が大型兵器をイラクからシリアに移動させてシリア北部のクルド人地域などに攻勢をかけてきたからです。イスラム国が、こうして攻勢の矛先をイラクからシリアに変えたのは、イラクではイスラム国が保有する戦車や大砲などの大型兵器がアメリカ軍による爆撃の標的になってしまうからです。イスラム国は、空爆されないシリアに兵器を移動させて攻勢を始めたわけです。シリア北部のクルド人の多数がイスラム国の攻撃を受け難民としてトルコに流入しています。またイスラム国に包囲されて、このままで全滅させられそうなクルド人の村落もあります。
 アメリカは、これ以上に状況を悪化させるわけにはいかないという判断に至ったわけです。サウジアラビア、カタール、アラブ首長国連合、バーレン、そしてヨルダンのアラブ五カ国が爆撃に参加したのが、オバマの決断を助けたことでしょう。ブッシュ前大統領の単独でも行動するという姿勢をオバマは批判して当選した大統領だからです。
さて一方イスラム国の統治はどのようなものでしょうか?(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%A0%E5%9B%BD よりの抜粋)
一方、「イスラム国」はシリア北部のラッカを首都だと宣言しており、ラッカでは一般市民に税金を納めさせており、次第に国家としての体裁を整えつつあるようです。
また防衛省や保健省や電力省などの省庁を置き、各省庁には大臣もおり、治安組織(警察組織)も持って、パトロールカーも巡回させているそうです。その上、支配地域の住民のために、独自のパスポートも発行しているといいます。
さらに、2014年11月13日には、イスラム国は、独自の金貨・銀貨・銅貨を発行すると発表しました。
朝日新聞の推測では、独自通貨を発行し流通させることは経済の統制を強める狙いもあるが、国家としての正統性を高める狙いもあるとされるています。これらのお金の単位は、この地域の本来の あるべき姿だと思っているオスマン帝国が用いていた通貨名・硬貨名と同じなのです。硬貨のデザインとしては、アルアクサー・モスクなどイスラム教に関係する絵柄が描かれており、イスラム国」のことを、イスラム国家であったオスマン帝国を継承している 正統性のある存在とて、各地のムスリムたちに認めてもらおうとする狙いがあると言われています。
このような情勢を見ると、何故、クルド族とイスラム国との戦争が熾烈になったか、その原因が明らかになります。シリアとトルコの国境に近いラッカを首都にするためにはその近辺のクルド民族を殺戮し、平定しなければなりませんでした。多くのクルド難民がトルコに逃れたのです。イラクに居たクルド民族もアメリカの支援で決起したのです。そしてトルコ領を通過してシリア領へ進撃したのです。これがイスラム国とクルド民族の戦いです。なおイスラム国が首都をラッカにしたかという理由には深い歴史的な伝承があったからです。そこがイスラム教徒とキリスト教徒の最終決戦地になるという伝承があったからです。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。後藤和弘(藤山杜人)
今日の写真はイランの世界文化遺産のイスファハンのイマーム広場、の写真2枚と世界遺産イマーム広場にある橋の写真1枚です。
そして4番目の写真にかつて隆盛をきわめたオスマン帝国の領域をしめします。
こんなに華やかな文化の花を咲かせて中東には5番目のような難民が溢れているのです。悲劇です。
=====参考資料====================
(1)なぜ米軍はシリアに空爆拡大? 「イスラム国」の特殊性 /高橋和夫・放送大学教授:http://thepage.jp/detail/20141003-00000027-wordleaf(2014.10.03 18:02
(2)イスラム国とは?
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%A0%E5%9B%BD
(3)スンニ派過激派が「イスラム国」樹立 狙いと今後の影響は?
   :http://thepage.jp/detail/20140714-00000011-wordleaf
(4)性奴隷の運命恐れ自殺… イスラム国被害者の惨状、人権団体が報告:http://news.livedoor.com/article/detail/9606207/ 2014年12月23日
(5)オスマン帝国とは?
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%82%B9%E3%83%9E%E3%83%B3%E5%B8%9D%E5%9B%BD
(6)なぜイスラム国は「奴隷制」の復活を宣言したのか? /放送大学教授・高橋和夫:http://thepage.jp/detail/20141025-00000008-wordleaf










人間的で親しみのあるローマ法王、フランシコさん

2014年12月25日 | 日記・エッセイ・コラム
ローマ法王は遠方のローマに住んでいて時々堅苦しい声明を発しているだけの存在のように見られがちです。日本の国際関係にはほとんど関係の無い存在です。ですから当然多くの日本人にとっては関心がありません。しかし現在の法王のフランシスコさんは人間的で非常に親しみのあるローマ法王なのです。ローマ皇教様を「さん」と呼べば失礼になりますが、しかしそう呼びたくなるような楽しい人間性の持ち主なのです。
今年の夏には韓国を訪問し大歓迎を受けました。その折りの写真を下に示しておきます。
さてそれはそれとして、今日の新聞にはこのフランシスコ法王がバチカン国の官僚を集めてその仕事ぶりを非難し説教したのです。バチカンの官僚には15の病にかかっているというのです。
この法王の痛烈な説教の大部分は日本の官僚にも通用する内容です。と同時に思わず笑いたくなるようなユーモアもあるのです。そこで以下に15の病を書いてみます。
(1)自己批判をせず、変化に適応しない病
(2)働き過ぎの病
(3)人間らしさを失う病
(4)計画の立てすぎる病
(5)縦割り主義の病
(6)初心を忘れる「魂のアルツハイマー病」
(7)祭服の色や肩書きが人生の目的になる病
(8)信者との交流を忘れる「統合失調症」
(9)他者を批判する「陰口のテロ」を実行する病
(10)「上司をたたえる」出世主義の病
(11)他者への無関心病
(12)悲観的な「葬式のような顔」をする病
(13)物質主義の病
(14)内向き志向の病
(15)自己顕示欲の病
さて上のように具体的に書いてみるとこれらの病いは官僚だけでなくサラリーマン全員にも思いあたる病ではないでしょうか?少し大きな組織のある職場で働いている人全員にあてはまるような話です。
私の現役の当時には上の病の幾つかを持病のように持っていました。その病の重さには差があります。
恥ずかしい話ですが、私が持っていた病は(15)と(1)と(10)と(7)でした。70歳で仕事を一切止めてからはこれらの宿痾のような持病が全て雲散霧消してしまいました。
心が軽やかになりました。毎日が楽しくなりました。こういう状況が老境の輝きの一つの原因になってるのかも知れません。さて皆様は15の病のどれをお持ちでしょうか?
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。後藤和弘(藤山杜人)









キリスト教と仏教のこと・・対立より愛を

2014年12月24日 | 日記・エッセイ・コラム







この記事を書く前に、私はまず上の写真にある樹木の悠々としたたたずまいを眺めました。はじめに示した写真にある甲斐生駒岳の麓に広がる林の木々です。2ケ月前の紅葉のころに撮った写真です。
これらの写真を見ていると私の気持が広くなり、悠々とした気分になりました。
今日は12月24日クリスマスイヴです。そこでこの悠々とした気分のままに、キリスト教や仏教に対する私の考え方を書いてみようと思います。
私はカトリックの信者です。昨日はカトリック墓地に行って、お世話になった神父さんのお墓にお参りしました。しかしお寺にある先祖や親類、恩人のお墓参りもかなり丁寧にします。
神社やお寺の仏像の前では手を合わせ、頭を下げ敬意を示します。
それが正しいキリスト教徒というものだろうと思っているからです。
イエス様は「隣人を愛せ」と教えました。私の隣人の大部分は無宗教だったり、仏教徒です。その方々を大切に思い、尊敬することは大切なことだと信じています。簡単に出来ることです。自分の親類、友人、知人など全ての人々を大切に思えば良いのです。全ての人々を尊敬すれば良いのです。
隣人が厭がることをしないことが原則です。もし神社や仏像の前でソッポを向いていたら、それを見た隣人は厭な気分になります。傷つくでしょう。
私はイエス様の教えを信仰の対象としています。しかしお釈迦様を尊敬しています。偉大な哲学者として尊敬しています。インドへ仏典を求めて17年も滞在した唐の玄奘三蔵法師を尊敬しています。同行二人の弘法大師も大好きです。
上の写真にある樹木のようにおおらかな気持ちになると「汝の隣人を愛せ」という意味が広がります。その言葉が人生をより豊かにします。
日本にはキリスト教のいろいろな宗派が運営している学校が沢山あります。
日本へキリスト教をはじめて伝えたザビエルの創ったイエズス会の大学は上智大学です。英国の聖公会の大学は立教大学です。プロテスタントの大学に青山学院、東京女子大などがあります。しかしそれらの学校の卒業生の極く少数しか洗礼を受けていません。
しかしそれも自然なことです。
洗礼を受けると社会的に少し窮屈になると感じる人が多いのも当然なことです。
こんな感じを持ったら、無理して洗礼を受けない方が良いのです。人それぞれ自由に人生を送れば良いのです。
しかし私の感じ方では、洗礼を受けたからといって仏教徒の親類と付き合ないのは間違いです。それは狭量過ぎます。洗礼を受けたからという理由で誰もいじわるや迫害をしていないものです。現在の日本では完璧な信仰の自由が行き渡っているのです。
これが洗礼を受けてから40年以上の私の経験から得た結論です。
それはさておき、キリスト教の宗派には排他的で、他の宗教へ対して非常に攻撃的な宗派もあるのも事実です。大きな社会問題を起こす狂信的な新興宗教の集団ほど犯罪的ではありませんりませんが世の顰蹙を買うようなキリスト教の宗派もあるようです。
それらの例外的な宗派と普通のキリスト教を一緒にしないで頂きたいと思います。
何事においても自分の心で感じ、自分自身で考えれば広い心で楽しく人生を過ごせます。
今日はクリスマスの前夜です。キリスト教徒も、仏教徒も神道の人も、そして無宗教の人々も心を豊かにしてクリスマスの夕食やケーキを楽しみましょう。
私はそのようになるようにと祈っています。
今日は特に、この世に対立より融和を、争いより愛が広まり、一層平和で楽しいクリスマスになるようにお祈りいたします。
後藤和弘(藤山杜人)


クリスマスの飾りつけと祈り

2014年12月23日 | 日記・エッセイ・コラム
クリスマスが近づいたので教会の飾りつけの写真を撮りに行ってきました。
カトリック小金井教会とミラノ宣教会のカトリック府中教会のイエス様の誕生の情景を模型で示した飾りです。
ベツレヘムの町外れの馬小屋の中でお生まれになった様子が作ってあります。
写真を撮る前に2つの教会で静かに感謝の祈りを捧げました。この一年が平穏に過ごせたことを感謝しました。
それからカトリックの府中墓地に行き塚本金明神父様とムニ神父様のお墓参りをしました。塚本神父様はカトリック立川教会の主任司祭として1971年に私と家内へ洗礼を授けて下さった思い出深い神父様です。そしてムニ神父様はカトリック小金井教会の初代主任司祭として1975年から長い間大変お世話になった方です。お二人共私どもの父親のような方々です。神父とはまさに正しい表現だと考えながら墓参りをしました。
今日は祝日なので多くの人が墓参りに来ていました。こんな静かな午後を家内と過ごせたことにも感謝します。
下にカトリック小金井教会の写真を2枚とカトリック府中教会の写真を1枚示します。
そして四番目の写真は東京大司教区の神父様方の墓碑で塚本金明神父様のお名前も刻み込んであります。五番目の写真はムニ神父様のお墓です。東京大司教区ではなくアメリカの修道会の神父様だったのでお墓が別になっています。
両方の神父様が天国で安らかであるようにとお祈りしてまいりました。









クルド族とイスラム国との戦争(2) クルド民族は戦争の主役ではない

2014年12月23日 | 日記・エッセイ・コラム
中東で広い領土を占領してイスラム国を建国した勢力に対してアメリカが連日空爆をして新しい戦争をしています。
この戦争の今までにない特徴はアメリカ軍の攻撃にサウジアラビア、アラブ首長国連合などのイスラム教国家が多数加わっていることです。従来アメリカに敵対していたイランさえイスラム国を攻撃しています。
従来のこの地域の戦争はアメリカ主導でNATO連合軍が行って来ました。今回の大きな違いはアメリカ主導でイスラム教諸国を戦争の協力者にしていることです。
最近、クルド族が日本のマスコミで何度もとりあげられていますが、それが対イスラム国の戦争の主役とは考えられません。
そこでクルド人の現在の居住地を調べました。下がその居住地域の分布の様子です。
       トルコ 約1140万人
       イラン 約480~660万人
       イラク 約400~600万人
        シリア 約90~280万人
       ドイツ 約50~80万人
       アフガニスタン 約20万人
        アゼルバイジャン 約15万人
        フランス 約12万人
        スウェーデン 約10万人
        イスラエル 約10万人
         レバノン 約8万人
        オランダ 約7万人
         日本、1000人
上の表でトルコの1140万人が特に多く、彼等が独立運動をしているのでトルコ政府が困惑しています。そしてドイツに50万人から80万人と多いのは第二次大戦中にドイツとトルコが同盟国だったので戦後も多くのトルコ移民を受け入れてきたからです。その中にトルコ国籍のクルド人が多数いたわけです。日本が極端に少ないのは日本には移民を入れない原則があるからです。1000人は政治的亡命者とその家族です。
さてこのようなクルド民族がイスラム国と戦う動機は報復心にあります。クルド領を標的にし、クルド人を残酷に扱ったからです。アメリカはすぐにクルド軍を支援で、トルコ領内のクルド部隊の通過をトルコに認めさせたのです。当然、武器弾薬も支援したと考えるのが妥当です。
このイスラム国と「アメリカと多国籍軍」との戦争はどのようになるのでしょう?
その予想は次回に譲ることにして、以下ではもう少し大きな視野で歴史的に考えてみましょう。
皆様もよくご存知のようにチグリス・ユーフラテス河の流域とその近辺は人類の三大文明の発祥の地でした。従ってアラビア半島近辺は高度な文化が発達していたのです。少なくともイギリスなどの近代産業革命が起きるまではヨーロッパ文化よりも優れた文明があったとさえ言われています。
ですから世界文化遺産が数多く存在しています。イラクの世界文化遺産、イランの世界文化遺産、シリアの世界文化遺産などのキーワードで検索するとこ地域はいかに優れた文化が存在していたかが理解出来ます。
この様な地域に終わりなき戦乱が起きているのです。人類の大きな悲劇です。人類の愚かさです。
一番目の写真はイラクの世界文化遺産のハトラの写真です。
二番目の写真はイラクの世界文化遺産のサーマッラーの考古学都市の写真です。
三番目の写真はシリアの世界文化遺産の古代都市ボスラの写真です。
そして今回のイスラム国に対する戦争は多くのイスラム教国家が参加していることを強調するためにサウジアラビア空軍の戦闘爆撃機の写真を四番目と五番目に示します。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。後藤和弘(藤山杜人)