後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

人間の軽薄さ、国民投票、EU脱退

2016年06月30日 | 日記・エッセイ・コラム
最近のイギリスでの国民投票でEUからの脱退が決定しました。離脱の票を入れた人々が自分たちは軽率だったからもう一度国民投票をしなおせと叫んでいる様子をテレビで見ました。離脱反対の人々も勿論、再投票を要求しています。
その映像を見てから数日間、人間の軽率さを考えていました。そして直接民主主義のあれこれを考えていました。
人間の軽率さを言われれば私自身のことを言われているようでいろいろな想いが湧いてきます。
戦前生まれ、戦後生まれの私は、時代、時代の波に乗って考え方をいとも簡単に変えてきました。
戦前の鬼畜米英が戦後はアメリカ崇拝に変わりました。戦後の復興の時代は全てのものを大切にする精神に染まっていました。それが高度成長の時代になると「消費は美徳だ!」という思想に取りつかれ電灯はつけっぱなし、水道の水は惜しみなく使いました。流石に食べ物だけは全て食べましたが、その他の消耗品は惜し気も無く使い捨てるような風潮に染まりました。
土地の値段は絶対に下がらないと信じきっていましたが、バブル経済の崩壊で一挙に暴落したのです。
あの強いソ連や共産党中国が共産主義を止めて資本主義になるとは夢にも思いませんでした。ただ唖然としているだけです。
時代の波に乗って気楽に考え方を変えて来た自分が恥ずかしくなります。間違いなく軽率な男でした。
ですからこそイギリスの多くの人々が軽率だったと叫んでいる姿を見ても笑うことが出来ません。何故か悲しく感じるだけです。
そもそもEUに加盟すれば、その4つの自由の原則を守るのが強制されます。4つとは、商品・労働者・資本の移動の自由と開業の自由です。
その上、EUが独自に作るEU法は、EU加盟国内の法律と平行して執行される独自の法体系なのです。このEU法は加盟国の法体系に直接作用し、とくに経済政策や社会政策においては国内法に優先するのです。つまり国家の主権の一部を放棄することになるのです。
このような条件を要求しているEUへイギリスが加盟したこと自体が軽率だったとも言うことも出来ます。しかしそれを非難する資格は人間にはありません。人間はみな同じように軽率な傾向があるからです。

一方、国民の感情に流されやすい国民投票を行ったことを多くの日本人が軽率だと評しています。
しかし私はそれが本来の民主主義だと信じています。国家の重要問題は国民投票で決める勇気を持つべきだと思います。
日本の憲法改正問題は国民投票で決めるべきだと思っています。

この際、私の思っているEUへ対する疑念を書きます。
EUはイスラム教のトルコ共和国を絶体に加盟させません。その一方でNATO軍事同盟にはトルコを歓迎し加盟させています。ヨーロッパ人の身勝手を示していると非難されても仕方のないことです。
分かりやすく書くとEUはキリスト教国の同盟なのです。中東のイスラム教の諸国の過激派がEU圏内でテロを行うことは残念です。絶対に止めるべきですが、その遠因がEUの狭量さにあったとしたら、それは不幸なことです。

人間は本来軽率な存在のようです。その人間が2000年前のキリストの教えを書いた新約聖書や、2500年近く前のお釈迦さまの教えの要約を書いた般若心経を現在でも読んでいることがとても不思議です。人間は軽率なだけではないのです。人間を信じています。人間が大好きです。
今日の挿し絵代わりの写真は記事の内容とは関係ありません。毎年7月6日から8日まで開催されるお入谷の朝顔市の写真です。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)
====参考資料============
入谷朝顔市;http://www.gotokyo.org/jp/kanko/taito/event/iriya_asagao.html
入谷朝顔まつりは毎年7月6日から8日まで開催される、日本最大の朝顔市です。この三日間は入谷鬼子母神や言問通りには120軒の朝顔業者と100の露店(縁日)が並び、毎年約40万人もの人出で賑わっています。
入谷の朝顔が世に知られるようになったのは、江戸時代末期の頃といわれています。最初は御徒町で栽培されていたものが、時代の変遷とともに入谷の植木屋が造るようになったそうです。明治中期になるとその出来栄えの素晴らしさから、鑑賞用として広く知られるようになりました。
最盛期の頃は、花粉の交配によって一千種類もの朝顔が花を咲かせたといいます。その後、大正の時代に一度入谷の地から姿を消した朝顔ですが、戦後に朝顔同好会(現 朝顔実行委員会)により、再び朝顔市として今の姿を取り戻すこととなりました。
江戸時代から夏の風物詩として江戸っ子に親しまれてきた朝顔。時代を超えて、江戸の夏が感じられる三日間です。









全国の夏祭りを大いに楽しもう!そしてあなたの地域では?

2016年06月29日 | 日記・エッセイ・コラム
もう明後日から7月です。太陽が美しく輝く夏が来ます。
元気の良い人々は海や山に行って夏のスポーツを楽しみます。そして全国のあちこちで実に数多くの夏祭りがあります。
夏祭りと言えば故郷、仙台の七夕祭りを思い出します。東一番丁と大町通りが華やかな七夕飾りを吊るした大きな竹の列のトンネルになるのです。そのほか狭い路地にも、願い事を書いた短冊を付けた篠竹を飾る家々が見られます。仙台を出てからも毎年のように家族を連れて七夕祭りに行ったものです。
そして近所の納涼祭にも毎年、行きます。家内が祭り好きで毎年、浴衣に帯を締めてウチワ片手に出かけます。数多くの家族連れがワイワイ楽しそうにしています。
夏の季節は旅行にも良い時です。青森のねぶた祭りや七尾の風の盆、郡上の盆踊りなどは感動的なものです。
その他、全国の地方地方に沢山の夏祭りがあります。都会に出て住んでいる人々は故郷の夏祭りに合わせて里帰りします。年老いた親に孫たちを見せ幸せな時が流れます。
有名な祭りも良いですが、地域の小さな夏祭りも楽しいものです。
そこで私は四季折々の全国の地方の祭りを調べてきました。そうしたら、「全国のお祭りの月別の一覧表」というHPを発見しました。
アドレスは、http://www.maekawa.co.jp/valeur/maturi/index.html です。
このHPは兵庫県のある会社が作ったものです。多分お祭りが非常に好きな社長が作ったようです。
ここで、この記事の末尾をご覧ください。明後日から始まる7月に開催される全国の夏祭りの一覧があります。
皆様がお住まいの地域の夏祭りは間違いなく掲載されていますでしょうか?
もし掲載をご希望されるなら、webinfo@maekawa.co.jp へお申し込み下さい。掲載料は無料です。 写真(1枚)と紹介記事をEmailにてお送りください。

私はこの7月の一覧表を見て感動しています。日本の地域文化の多様性と郷土愛に感動しているのです。
このように自由に地域、地域の夏祭りを楽しめるこの日本という国に生まれ育ったことをしみじみ幸せだと感じます。
小さな夏祭りの数まで含めると全国には数百の夏祭りがあるのではないでしょうか?
この数の多さは日本だけかも知れません。欧米の祭りはそんなに数多くは無いように思っています。
狭い経験ですが自分が住んだオハイオ州ではState Fair (州の農産物祭り)という大規模なイベントが年に一回あり、それには数多くの出店や見世物小屋が並んで日本の夏祭りのようでした。そして南ドイツでは10月になるとOktobar Fest (十月祭)がありオハイオ州のState Fair と同じような祭りです。ドイツでは牛の丸焼きや大きなジョッキのビールが出ます。
そしてローテンブルグに近い村では提灯行列祭りもありました。
祭りは元来は宗教と関係があったようですが、現在の祭りは殆ど関係が無いと考えられます。
しかし夏はそんな堅い事を言わずに大いに祭りを楽しみ、猛暑を吹き飛ばすのも良いと思います。
皆様が住んでいらしゃる地域の夏祭りのことをお知らせ下さい。遠方で参加出来なくてもその情報を見るのが楽しいのです。
添付した写真は8月上旬の北海道の北竜町の「ひまわり祭り」の風景です。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)

===参考資料:全国のお祭りの月別の一覧表より========
7月のお祭り予定表の一覧: (http://www.maekawa.co.jp/valeur/maturi/index.html)
祭りの開催日は、その年で変わることがありますので、 必ず確かめてから、お出かけ下さい。

以下に7月の開催日 、祭りの名称 、場所を順に示します。

1~30日 祇園祭 京都市東山区
上旬 源氏あやめ祭 静岡県伊豆長岡町
1日 鳥越神社形代流し 東京都台東区
1日 富士山山開き 静岡県・山梨県
1~10日 石鎚山山開き 愛媛県西条市
1~15日 博多祇園山笠 福岡市
6~7日 村上大祭 新潟県村上市
6~7日 吉野山蔵王堂蛙とび 奈良県吉野町
6~8日 入谷の朝顔市 東京都入谷鬼子母神
7日と土・日を含む5日間 平塚七夕まつり 神奈川県平塚市
7日 天王寺の蜘蛛の舞い 秋田県天王町
7日 金刀比羅宮蹴鞠 香川県琴平町
7~8日 あばれ祭 石川県能都町宇出津
9~10日 浅草観音四万六千日
(ほおずき市) 東京都
中旬 鯛まつり 愛知県南知多町豊浜
中旬 忠海祇園祭 広島県竹原市
中旬の土曜日 野尻湖灯籠流し 長野県信濃町
10~12日 小倉祇園太鼓 福岡県北九州市小倉北
10~15日 博多祇園山笠 福岡市
中・下旬 豊橋祇園まつり 愛知県豊橋市
10日 祇園祭お迎え提燈神輿洗い 京都市
12日 生国魂神社夏祭り 大阪市天王寺区
13~15日 佃の盆おどり 東京都中央区
13~15日 戸畑祇園大山笠 福岡県北九州市
13~15日 靖国神社御霊祭り 東京都千代田区
13~16日 和合の念仏踊り 長野県阿南町
14日 那智の火祭 和歌山県那智勝浦町
15日 遠州大念仏踊り 静岡県浜松市
15日 出羽三山花まつり 山形県羽黒町
15日 寒川神社浜降祭 神奈川県茅ヶ崎市海岸
15日 生田神社千灯祭 神戸市中央区
16日 鬼来迎 千葉県光町
16日 祇園祭宵山 京都市
17日 かんこおどり 石川県白峰町
17日 祇園祭山鉾巡行 京都市
18日 滝谷不動観世音夏祭り 大阪府富田林市
19~20日 十和田湖湖水まつり 青森県十和田湖町
19~21日 水郷祭 鳥取県東郷町
下旬 おたる潮まつり 北海道小樽市
下旬 ちょうちん祭 埼玉県川越市
下旬 みなと祭 鳥取県境港市
20日・27日 弥栄神社祭鷺舞 島根県津和野町
下旬~8/上旬 江戸趣味納涼大会 東京都上野不忍池畔
20日頃 かみふらのラベンダー祭 北海道上富良野町
20日 秩父神社河瀬祭り 埼玉県秩父市
20日 大国魂神社すもも祭り 東京都府中市
20日(雨天順延) 横浜みなと祭 横浜市
20~21日 種子島鉄砲まつり 鹿児島県西之表市
20~22日 八坂神社うちわ祭 埼玉県熊谷市
20~23日 黒崎祇園 福岡県北九州市
20~24日 恐山大祭 青森県むつ市
20~27日 山口祇園鷺舞 山口市
21日 厳島神社管弦祭 広島県宮島町
22~24日 田島祇園祭 福島県田島町
22~24日 和霊大祭宇和島まつり 愛媛県宇和島市
22~23日 水舞神社神興まくり 長野県木曽福島町
22~8月6日 木曽踊り 長野県木曽福島町
23日 阿賀神社太郎坊千日会 滋賀県八日市市
23日 本妙寺頓写会 熊本市
23~25日 相馬野馬追 福島県原町市
23~25日 田辺闘鶏祭 和歌山県田辺市
23~29日 上越まつり 新潟県上越市
24日 祇園祭花傘巡行 京都市
24~25日 古座川御舟祭 和歌山県古座川町
24~25日 天神祭 大阪市北区天満宮
24~25日 大人形祇園 福岡県瀬高町
24・26日 宮内熊野獅子舞 山形県南陽市
第4土曜日・日曜日 津島祭り 愛知県津島市
第4土曜日・日曜日 オロチョンの火祭り 北海道網走市
25日 江の島花火大会 神奈川県藤沢市
25日 弥彦神社灯籠神事 新潟県弥彦村
25~27日 八坂神社祇園祭・撞舞 茨城県竜ヶ崎市
25~27日 相川鉱山祭り 新潟県相川町
25~27日 山あげ祭り 栃木県鳥山町
25~29日 一宮七夕まつり 愛知県一宮市
26日 隅田川花火大会 東京都
26~27日 小城祇園祭 佐賀県小城町
26~28日 摩尼寺会式 鳥取市/覚寺
27日 長崎ペイロン 長崎市
27~29日 水上おいで祭り 群馬県水上町
28日 祇園祭神輿洗い 京都市
28日 菅原神社牛越し祭り 宮崎県えびの市
28~29日 北海へそ祭り 北海道富良野市
29~30日 市政100周年高崎祭り 群馬県高崎市
29~30日 田島神社夏越祭り 佐賀県呼子町
30日 八坂神社鎮火祭 福井県朝日町
30日 夏越祭り 和歌山市
31日 鷲の夏越 埼玉県鷲宮町
31日 芦の湖湖水祭 神奈川県箱根町
30~8/1日 住吉祭 大阪市住吉区
31~8/2日 糸魚川おまんた祭 新潟県糸魚川市
31~8/3日 八戸三社大祭 青森県八戸市
旧暦6月10日 シットロト踊り 高知県室戸市
旧暦6月15日 石崎奉灯祭 石川県七尾市
旧暦6月中旬 アカマター 沖縄県八重山諸島
旧暦6月26日 糸満の綱引き 沖縄県糸満市









宗教を趣味にすることへの多数のコメントの総括

2016年06月28日 | 日記・エッセイ・コラム
一昨日、「宗教を趣味にしている私は変でしょうか?」という記事を掲載しました。
テーマが趣味と宗教の関連性だったので多くの方々から非常に内容の深いコメントを頂きました。
コメントを何度も読んでみましたが、このまま忘れ去るにはもったいない貴重なコメントばかりでした。
そこで「宗教を趣味にしている私は変でしょうか?」という問いに対して、「変ではない」というコメントと、「変だ」というコメントに分類して以下のように総括しました。
主題の問いに直接関係ないが、それに関連した貴重なコメントも多くありましたが今回の総括では残念ながら割愛させて頂きました。
以下のような代表的なコメントのご紹介の後で私自身の感想を短く書いて今日の記事の終りといたします。
(1)宗教を趣味にすることは変ではないというコメント:
1、M・Bさん;
こんばんは。ちっとも変でもおかしくもありません。好きで、楽しめるのが趣味ですから神父様の仰しゃる通りですね。苦行したい人はそれでもいいですけれど。仏教もキリスト教も神道も、ラマ教も土着宗教もそれぞれ意味があると思います。ただ本当に狂信者は文字通り狂っていますね。そうなればもう信仰ではなくなって、狂気ですね。ローマ時代の殉教者、キリシタン弾圧の犠牲者、魔女や魔法使い狩り、プロテスタントとカトリックの争い、十字軍、みな狂気の沙汰のように思えます。当時の考え方からすれば正当だったのかもしれません。趣味というのが一番正しいです。
2、山・ さん;
変なことはありません。心おだやかにしていつも読ませて頂いております。 これからも体験談など聞かせてくださいね。
3、よ・ひさん;
十 主の平安
私の母も家の蔵にあった世界文学全集からキリストに出会ったそうです。
今の私があるのは亡き母の御蔭です。
教会大好きです。
今、地方の教会は高齢化。
そして、外国人の信徒の方が多いです。(南米、フィリピン、ベトナム・)
地方に限らず都会でも。
彼たちのお手伝いをするのも趣味?実に楽しいです。
4、高・さん;
『宗教を趣味に』という言葉の響きが、なぜか新鮮に聞こえました。
と同時に、自分と同じ趣味を持つ人がいることを、嬉しく思いました。
『・・宗教はマナジリを決して狂信するものではありません。・・』
全く同感です。こんな人たちが
「宗教は戦争の元」という、とんでもない理屈を並べ立てます。
私の場合は、趣味の対象は主に仏教で、中でも「禅」です。
これまでも、いろんな本を読みましたが、
禅坊主に関する本は、へたな小説よりも面白く、やめられません。
5、さ・さん;
一つの趣味に共感します。
信仰があっても、受洗するかどうかで、未信者と云われます。
五島の信者の方達が、お寺や神社が守られたのは、元々 先祖代々の氏子・檀家であって、自分の信仰とは別に、ご先祖様達ののために寺社を大切にして来られたからでしょう。
信仰とは自分の心の問題だと思います。
ご利益を求めるのではなく、宗教を通して、自分が豊かになった分を、いかに周りの方達と分かち合い、より良い社会を作ることに努力することではないかと思います。
自分が信じるものを持ちながら、他宗教にも関心を持つことは趣味ととると、仏像が好きなので、お寺へ行きやすくなります。
6、う・さん;
藤山さんのコラムを読んで、ほっと肩の力がぬけました。
仏教徒の家に生まれ育ちましたが、お寺を参拝してもどうにも心の拠りどころが得られない…悶々とするなかで、異なる宗教、キリスト教なら、或はその問題を解決してくれるかもしれない、と考えていた矢先でした。
宗教は趣味かどうかの解釈は別として、個人的に一度気楽にミサに参加してみる気持ちになりました。有り難うございます。
7、め・さん;
私は信仰心の薄いクリスチャンです。
趣味
趣味として信仰を楽しむ
趣味にしてよい
とても深い意味のある言葉だと感じました。
コラムを拝見しても、全く違和感を覚えません。
一般的に言われる「趣味」の意味で捉えるのは間違いのように感じます。
では?と言われると、みなさんの様に上手く言葉に表現できないので
ここにコメントする資格がないのかもしれません。
でも、一言だけ私の感じたことを伝えたくて書かせていただきました。
もし機会がありましたら、ご教授下さい。
================
(2)宗教を趣味にするのは変だというコメント
1、女・さん;
ちょっと変だと思います。 楽しいだけだと、ただの道楽遊びでしょう。
宗教やる人、学問続ける人・・・どちらも、人に尽くす為にやる、皆が幸せになるためにやる=献身の実践が、肝心要の基本だと、私は思います。
2、き・さん;
後藤様 の様なお方がこのような書き込み方をされるのは少し異様に感じます。
”宗教を趣味にしている私”、というところに おそらく真面目な宗教者の多くは
すこし首をかしげたく成るのではないかと感じましたが・・
多分 軽い気持ちの上で親しみやすく書かれたもので上げ足取りなどの積もりは微塵も
ありませんので、あまり深く考える必要はありません。
宗教について考えたり研究したりするのならば ”趣味” と言っても異論はないでしょう
が 宗教の教義を信じてそれに従った行動を実践して行くいわゆる信者さん、信徒さん
と思いますので 軽く「趣味」と表現するには一般的に宗教と言うものに精通されて
いない者からすれば そんなに軽はずみなものなのか!?、と誤解の原因になりはしない
かと懸念しますね。  
 >神父さまがキリスト教を趣味のように楽しんで下さい・・、この趣味と言われた
その趣味と 一般人の考える ”趣味” とは随分距離があるもので 俗人は趣味と言うと
「お遊び、お道楽etc・・」と考えてしまうところに盲点の様なものを感じます。
真面目な本来の宗教心とは決して「お道楽・・」のような軽率なものではないのではない
でしょう、 正しい宗教心は今の様な混迷した時代には欠かせないものと思っています。
3、お・さん;
確かに私も宗教は趣味とは違うと思います
信仰心が無ければ宗教を信仰してるとは言わないと思います
自分自身を考えて見ても特に信仰心が有るとは思えませんただ苦しい時の神頼み
にすぎません、長年の習慣から月参りは何故かしていますでも趣味と思ったことは
一度もありません、ただの習慣であり月参りをしないとなんとなく落ち着かない
気分になります(大きなくくりからすると信仰心なのかもしれません)
でも実家とは宗旨が違います、単なる自分自身の気休めかもしれません
藤山さんの様にキリスト教を信仰されさらに仏教に興味を抱かれている場合
は広義に言へばあるいは趣味の域と言へるのかもしれません
仏教を信仰すると言っても幅は相当にあると思います、経典を極めたいとか
仏画に興味があるとか色々あると思いますので一概に決めつけはできません
4、け・さん;
ご自身では趣味とおっしゃっていますが趣味という感じはしません。いい意味で。
私は世間からは新宗教とされているある宗教の会員ですが、他宗教への対応は柔軟な団体です。中には他宗教、他宗派への信仰を徹底的に否定する団体もあるようですが。
私も実家では菩提寺に、神社へも参拝いたします。でも自分が変だと思った事は一度もありません。
==================
以上の他にも貴重なご意見を沢山頂きました。有難う御座いまいた。
最後に私自身の感想を簡単に書いて終りといたします。
(1)普通に考えれば宗教と趣味は別ものです。
しかし宗教を趣味にすることが変ではないというご意見を下さった方々はキリスト教の信仰を持っている方々のようです。信仰を持つと、時々、そのように感じるようです。
(2)変ではないという、「4、高・さん」は仏教徒のようですが宗教には共通なところがあるようで興味深いコメントでした。
(3)変だというコメントを下さった方々は日本語の意味を正確に理解し、正しい意味を守ろうとしている善良な方々です。尊敬します。
(4)宗教にはつらい修行が必要であり、もっと真面目なものだと理解している方々は、「変だ」というご意見を下さいます。その通りです。修行も宗教的訓練も必要です。しかし自分の全てをお釈迦さまへ捧げる決心をしてしまえばどんな修行もつらくならないのです。
以上が頂きました数々のコメントに対する感想です。
今日の挿し絵代わりの写真は初夏の小金井公園の風景写真です。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)













「新国立美術館で開催中のルノワール展を見て来ました」

2016年06月27日 | 写真
今日は梅雨の晴れ間です。車を駆って六本木の新国立美術館に行ってきました。ルノワールの103点の絵画が展示してある絵画展は圧巻でした。家内も満足していた様子です。
私自身は「ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会」が大好きです。その大作を長い間、ゆっくり見ることが出来たので満足しました。

1番目の写真は「ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会」です。
2番目の写真のピアノを弾く少女の油彩も良かったです。
3番目の写真は「ジュリー・マネあるいは猫を抱く子ども」です。
4番目の写真は「若い浴女」です。
5番目の写真は「舟遊びの昼食」です。

このルノワール展は2016年4月27日(水)から8月22日(月)まで開催しています。
こんなに数多くのルノワールの絵画を同じ場所で展示するのは珍しいことだと思います。ルノワールのお好きな方々は是非ご覧下さい。









夏の海への思い出と追憶、もうあの時は返ってこない

2016年06月27日 | 日記・エッセイ・コラム
梅雨も終わりが近づいてくると次第に暑くなって来ます。たまに晴れた日がくると夏の日のようです。
今日の東京は青空で太陽がまぶしく射しています。嗚呼、夏が来たのだなあと感じます。
そんな時には幼少の頃の楽しかった海水浴や離れ島に遊びに行ったことを思い出します。
当時は仙台に住んでいましたので海水浴と云えば近くの荒浜や菖蒲田の浜でした。
そして塩釜からポンポン船に乗って松島湾の桂島の海水浴場に何度も行きました。
そのポンポン船の終点は宮古島というところです。親しい知り合いが居ましたので泊りがけで海水浴に行きました。
松島の向こうには野蒜海水浴場があり、遠路にもかかわらず出掛けて行ったものです。
戦後の貧しい時代だったので夏の娯楽と言えば海水浴しかなかったのです。
もうあの時は遥か昔のことになってしまいました。その追憶の懐かしい場面の数々はもう返ってこないのです。

あの楽しかった海水浴場の風景は永久に返って来ないのです。それは東日本大震災で大津波によって白い砂浜と美しい松原が無残にも流されてしまったからです。大津波の後、私は松島の先の野蒜海水浴場の手前まで、昔の風景を探しに行ったことがありました。
そこにあったものは家々がすっかり流され、全てが消滅し荒れ果てた浜だけでした。追憶の懐かしい場面は完全にこの世から消えてしまったのです。

それはさておき、少し大きくなって大学生の頃に、「夏が来ると思い出す・・・」という歌が世の中に流れていました。貧しかった当時は遥かな尾瀬には行けそうもありませんでした。しかし何故か夏が来ると尾瀬の風景を想い出すのです。
そんな思い出があったので70歳に時に尾瀬に行きました。
「夏の思い出」 江間章子作詞・中田喜直作曲、1949年発表
  (メロディは、https://www.youtube.com/watch?v=cW-Hzg1bUFk にあります)
夏がくれば 思い出す
はるかな尾瀬 遠い空
霧のなかに うかびくる
やさしい影 野の小径
水芭蕉の花が 咲いている
夢見て咲いている水のほとり
石楠花(しゃくなげ)色に たそがれる
はるかな尾瀬 遠い空

夏がくれば 思い出す
はるかな尾瀬 野の旅よ
花のなかに そよそよと
ゆれゆれる 浮き島よ
水芭蕉の花が 匂っている
夢みて匂っている水のほとり
まなこつぶれば なつかしい
はるかな尾瀬 遠い空

この曲を聞きながら青春時代が駆け足で過ぎていきました。
兎に角、若い時代は一生の職業を決めたり、結婚したりと忙しい時期です。海に遊びに行くことが出来ない時期でした。
そしてアッという間に時が流れ50歳になりました。その時、少年の時の少し別な夏の思い出がよみがえりました。
終戦前に「海洋少年団」に入って船で使うロープのいろいろな結び方を習ったのです。
そして戦後の高校時代にカッターを漕いで何度も松島湾を回航したことを思い出したのです。
その時の帰りは必ず帆を上げて帆走して塩釜港に帰ったのです。
そんな思い出があったので、50歳の時、ヨットを習うことに決めました。ヨットスクールは江の島にありました。その後は葉山マリーナのスポーツクラブに入りヨットの帆走方法を習いました。
夏の日差しを背に受けながら大学のヨット部の学生さんと2人でセイリングをするのです。それは厳しい訓練でしたが楽しい思い出になりました。
夏になると小型ヨットで葉山を出港して富士山を見ながら江の島の沖までセイリングした光景を楽しく思い出します。
そしてある時は、葉山マリーナの所有していた古い巡視艇で熱海の沖の初島へ泊りがけで航海したのです。
古い巡視艇なので三崎港に寄ったときエンジンから出火して大騒ぎになりました。乗り組員の皆が消火作業をしている間、私だけが操舵室に残って船の舵を担当していました。あの時は怖かったです。間も無く消火しましたがエンジンは使用不能です。救助艇で葉山に帰りました。そんなこともいまとなっては楽しい思い出になっています。
江の島や葉山で帆走技術を習った後にキャビン付の中古の大型ヨットを琵琶湖で買い、霞ヶ浦に陸送しました。そこで23年間、ヨットを楽しんで75歳で止めました。
ですから夏が来ると青く光る筑波山を見ながら家内とヨットを走らせたことを思い出します。
そしてなんと言っても荒浜や菖蒲田のそして野蒜海岸での海水浴のことを思い出します。
そこで家内に海水浴の思い出があるか聞いてみました。戦争中に鎌倉で生まれ育った家内は自宅から裸足で松原を抜けて、由比ヶ浜に歩いて行って毎日のように海水浴をしていたそうです。そして地引網を引くのを手伝って小魚をもらったことを楽しそうに話します。
当時、海水浴は最大の娯楽だったので親類が沢山泊まりに来て一緒に海水浴を楽しんだそうです。

それにしても80歳になった現在、夏の海の追憶を心に描いても、もうあの時は返ってこないのです。特に大津波で洗い流された海水浴場の風景は永久に返って来ないのです。美しい松原が消えてしまい、巨大で殺風景な堤防がえんえんと砂浜を威圧しているだけです。

今日の挿し絵代わりの写真は50歳のときヨットを習った江の島ヨットハーバーと茅ケ崎海岸の風景写真です。先日撮って来た写真です。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)





宗教を趣味にしている私は変でしょうか?

2016年06月26日 | 日記・エッセイ・コラム
自分の趣味は若い時読んだ比較文化人類学の何冊かの本によって影響を受けたようです。現在でも世界中の民族文化に興味があります。
そしてそれぞれの民族の精神の中心にある宗教にも興味があります。
そのような背景で私の趣味が宗教になってしまいました。いろいろな民族の宗教を調べたり、近辺の神社やお寺を見に行って、独りで楽しんでいます。
例えば一例として写真に最近、訪れた清瀬市の長命寺の写真を示します。

1番目の写真は長命寺の山門の写真です。

2番目の写真はそのお寺の本堂の脇にある立派な薬師堂の写真です。

3番目の写真はこの薬師堂の中に祀ってある清瀬市の重要文化財の薬師如来像の説明板の写真です。

この説明板が非常に面白いのです。
この薬師如来像は新田家のものだったのです。鎌倉幕府を倒した新田義貞の家系が大切にしていた薬師如来像だったのです。
こんなことを知って私は嬉しくなるのです。独りで楽しめる趣味なのでもう40年くらいも続けています。
この私の宗教趣味はキリスト教も対象にしています。特に1549年、ザビエルが日本へキリスト教を伝承して以来の歴史にも興味があります。
ですから昨年は隠れキリシタンが多数住んでいた五島列島にも旅をしました。そこでは新しい発見をしました。江戸時代の五島の仏教徒や神道の人々が隠れキリシタンをかばった様子が伺えたのです。お寺の檀家の隠れキリシタンと仏教徒が同じ檀徒同士として仲良くしていたのです。

隠れキリシタンの歴史を調べているうちに私はカトリックの信徒になってしまいました。
そして現在はカトリックも仏教と同じように私の趣味になっています。

比較文化人類学的に仏教とカトリックを比較すると仏教のことがより深く理解出来るのです。
お釈迦さまが何故、仏像を作るなと言ったかが分かるのです。お釈迦様が何故、死んだら遺骨を野に捨てよと言ったか分かるのです。
唐時代の玄奘三蔵法師が何故、遺骨を長安郊外の野に捨てさせたか、その理由が理解出来るのです。

そんなわけで現在も私はカトリックを趣味として毎週の日曜日のミサを楽しんでいます。
カトリックを趣味と思っている私は変でしょうか?
私自身も、少し変だと思っていました。
そうしたら先週のミサで説教をしていたある神父さまがキリスト教を趣味のように楽しんで下さいと言明したのです。
趣味にして良いというメッセージです。
そうです。宗教はマナジリを決して狂信するものではありません。狂信するとろくなことがありません。
一呼吸おいて肩の力を抜いて楽しむほうが良いと思います。趣味の一つとして楽しむのです。宗教を趣味にしている私は変でしょうか?
今日もこれから家内とミサに行きます。

そして、皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

「今年も小金井の真蔵院のハスの花が咲きました」

2016年06月25日 | 写真
例年、6月の下旬になると小金井公園の入り口にある真蔵院のハスの花が咲きます。今年もそろそろと思い先程、家内と写真を撮りに行ってきました。ハスの花は朝に咲くと言います。そこで今年は午前中に行きました。
今年のハスの写真をお楽しみ下さい。









英国のEU離脱、トランプ旋風は国際協調主義の挫折を意味する

2016年06月25日 | 日記・エッセイ・コラム
英国のEU離脱のニュースは、第二次大戦以後、育って来たヨーロッパ各国間の国際協調主義の挫折を意味する歴史的転換と考えられます。
世界の国々はそれぞれ独自の文化を有し、各国は自由に対外政策を決めるべきです。ですからEUのように28ケ国もの国々が団結して自国の利益だけを守ろうとすることはフェアーでないという見方も出来ます。
その上、EU本部によるイギリスの国内政策への干渉が強すぎます。さらにEU圏内で自由に移民出来るので、経済的に遅れた東ヨーロッパからイギリスに移住する人が増えます。しかもシリア難民まで押し寄せて来るのです。
こんな背景から、イギリスはEUから独立して、EUとは決別すべしと考える英国人が増大したのでしょう。

私は6月21日のこの誌面の掲載記事に以下のような導入文を書きました。
「地球にポピュリズム、扇動政治という妖怪が歩き回っている。人間の低俗な欲望を刺激し、扇動し政治を支配しようとする妖怪である。
それは各国の狭量な愛国者と手を携え勢いを増している。アメリカ大統領候補のトランプ氏の勢いを見よ。イギリスの欧州連合からの脱退運動もしかり。イタリアではEUに反対する「五つ星運動」の女性がローマ市長とトリノ市長に当選した。」

この妖怪は、大変残念ながら欧米各国で勢いを増しつつあるのです。
ですから6月21日の掲載記事の中でフランスの経済学者のジャック・アタリ氏の意見を下記のように紹介したのです。
アタリ氏は「もしイギリスが離脱したら、これは非常に悪い事態で、第二次大戦前に国際連盟が解体し始めた状況に似ている」と指摘し、トランプ氏が大統領に当選するだろうと言ったことをご紹介しました。

今回のイギリスのEU脱退は偶然の現象ではないのです。それは欧米各国で勢いを増しつつある個別国家主義思想の一つの表れに過ぎないのです。そこでもう少し視野を広げてオーストリア、フランス、スペイン、イタリアなどの個別国家主義的な政治勢力の躍進ぶりを見てみましょう。
1、オーストリア;
5月の大統領選挙で極右政党のホーファー氏が敗れましたが、僅差でした。
2、フランス;
極右政党の「国民戦線」の女性のルペン党首が今回のイギリスの離脱を歓迎する談話を発表し、2017年の大統領選挙に向けて勢いを増しているといいます。
3、スペイン;
緊縮財政に反対する左派政党「ボデモス」が2015年12月の総選挙で第3党に躍進しました。
4、イタリア;
EUに批判的な新興政党の「五つ星運動」の女性のラッジ氏が6月の選挙でローマ市長になりました。同じくトリノ市の市長も「五つ星運動」の女性が当選しています。
5、この他、
オランダやデンマークではEU残留か離脱かの決着をつける国民投票をすべいという動きが強くなっているそうです。

このようなヨーロッパの動きに対して、アメリカのトランプ旋風が思想的な追い風になっているのは明らかです。
この欧米の極右思想と結びついたポピュリズム、扇動政治は決して善い思想でないと私は信じています。
私は反対です。しかしトランプ氏が大統領になったらヨーロッパの国々に加速度的にポピュリズムが蔓延する方向になります。
ですから欧米の個別国家主義的な政治勢力の躍進ぶりを大きな危惧を持って見守っています。
その勢力は急に欧米諸国の主導的な政治勢力にはならないでしょうが、国際協調主義の挫折と消滅に発展しないことを祈らざるを得ません。

さて欧米の極右政党の躍進は安倍政権にはどのような影響を与えるでしょうか?
経済的には今回のイギリスの離脱による株安でアベノミクスは打撃を受けるでしょう。しかし日本の経済が大きく落ち込むことは考えられません。
むしろ日本の集団的自衛権による自主防衛という方向は、ますます加速されるでしょう。
トランプ氏は日米安保体制を見直してアメリカに有利なように改定すべしとさかんに叫んでいます。もしヒラリー氏が大統領になったとしても、その意見は無視出来ません。
その結果、アメリカ軍の駐留規模を少なくしながら自主防衛努力をせざるを得ません。日本が軍備強化のために使う予算が増大します。
これは軍事的に日本がより独立する方向です。安倍総理の好む方向です。彼は就任早々、「戦後レジームからの脱却!」と盛んに叫んでいました。それをアメリカは「占領政策に対する反抗」とを受けとり、その叫びに不快感を示しましたと私は想像しています。
安倍さんが急に、「戦後レジームからの脱却!」と言わなくなったのはそのせいではないでしょうか。
安倍さんの本音は在任中に憲法を改正し、第9条を改定したいのではないでしょうか。軍備拡張して日本の交戦権を公にしたいのでしょう。
世界中の独立国は交戦権が認められているので、日本もそう改定すべしというのが安倍総理の本音なのでしょう。

今回のイギリスのEU離脱の決定を経済的な影響だけと理解することは大きな間違いと思います。
その背景には欧米諸国で勢いを増しつつある個別国家主義的思想が厳然と存在し、第二次大戦後に育ってきた国際協調主義が挫折しつつあるのです。それは右翼的な動向と一緒になって世界の国際関係を変えて行くと考えられます。
何度も言いますが、私自身はその方向が嫌いです。
しかしそれも一つの自然現象として心静かに受け入れています。
皆様はこのような変化をどのように思っておられるでしょうか?
今日の挿し絵代わりの写真は先日、都立小山内裏公園で撮ったアジサイの花の写真です。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)





「季節の花々をお楽しみ下さい」

2016年06月23日 | 写真
今日は曇りの梅雨空です。午後から庭の花や近所のヒマワリ畑の写真を撮りに行きました。

1番目の写真は咲き出した庭のアガパンサスです。

2番目の写真は庭のムクゲの花です。

3番目の写真も庭のムクゲの写真です。

4番目の写真は数年前に茨城県の潮来から庭に引っ越して来た「潮来アヤメ」です。

5番目の写真は今日。東小金井のヒマワリ畑で撮ったヒマワリの花です。

6番目の写真はそのヒマワリ畑の様子です。後ろに大きな栗林が広がっています。

7番目の写真は昨日、都立薬草植物園で撮ったユリ科のアリウムの一種です。ニンニクの親類でジャンボニンニクとも呼ばれています。

8番目の写真は都立薬草植物園の温室で撮ったブーゲンビリアです。

花々の写真をお楽しみ頂けたら嬉しく思います。

この世でし残した趣味、モーターパラグライダイー

2016年06月23日 | 日記・エッセイ・コラム
自分の人生は恥多いものでした。しかしその一方で、ヨットの趣味や山林の中の小屋などと楽しい趣味を家内と一緒に経験出来て思い残すことはありません。80歳になった現在は自分で言うのも変ですがかなり達観の境地にあります。
ところが先週のある晴れた日に、湘南の茅ケ崎海岸で背中に背負うエンジン付きのプロペラを見た途端、むらむらと欲が湧いて来たのです。
それはモーター・パラグライダーで大空を自由気儘に飛び回るという趣味です。長年してきたヨットも風と遊び、海や湖の上を走る趣味です。モーター・パラグライダーは風に乗って大空を飛ぶ趣味です。親近感が湧きます。
それではモーター・パラグライダーのことを簡単にご説明いたします。
パラグライダーはパラシュートを半月形にした翼で高い山から飛び出すと、重力のお陰で斜めに滑空します。羽根の布が半月形なので左右の端についている紐を引っ張ると左右に舵を切ることができます。
このパラグライダーへ、プロペラを背負って乗るのがモーター・パラグライダーです。

プロペラで前進するので。高い山に登らないで良いのです。いきなり砂浜のような平地からフワッと飛び立てるのです。
それでは鎌倉や茅ケ崎の海岸での写真に従ってモーター・パラグライダーの楽しみ方をご説明いたします。

1番目の写真は小型エンジンがついたプロペラです。これを左側から背負って半月形の軽い布製の羽根を引っ張って飛び上がるのです。
エンジンは軽い空冷の80CCから250CCです。紐を引っ張り起動しますので重い電池は一切不要です。プロペラの直径は80cmから130cmといろいろあるようです。

2番目の写真は車からプロペラを降ろして調整している様子です。足元にあるのが軽い羽根をたたんだもののようです。

3番目の写真は茅ヶ崎海岸でプロペラの風で半月形の羽根をふくらませて飛び立とうとしている様子です。回りを散歩している人々は何事も無いかのように悠々と歩いています。エンジンの音が静かな様子が伺えます。
この3番目から6番目の写真の出典は、「モーターパラグライダーが鎌倉海岸を飛行」というブログ記事です。写真をお借りしたことを感謝いたします。URLは長すぎるので省略しましたが「モーターパラグライダーが鎌倉海岸を飛行」を検索すると出てきます。

4番目の写真は鎌倉海岸の上空を飛んでいるモーターパラグライダーの様子です。海岸の向こうに見えるのが逗子のマリーナとマンション群です。

5番目の写真は茅ヶ崎海岸の上を飛んでいるモーターパラグライダーの様子です。砂浜で遊んでいる人の様子を見るとモーターパラグライダーを気にしていません。モーターパラグライダーは他人を傷つけない安全な趣味なのです。

6番目の写真は遠景に江の島と富士山が見えている風景です。こんな所をモーターパラグライダーで飛べば、さぞ爽快に違いありません。

7番目の写真は沖縄の美しい海の上を飛んでいるモーターパラグライダーの写真です。
写真の出典は、http://www.e-pon.jp/tourist_facilities/nakagusuku/ です。

このような写真を見ていると趣味としてモーターパラグライダーを始めて見ようという欲望が湧いてきます。エンジンが軽くて80歳の自分でも背負えます。助走は要らないでフワッと飛び立てるので走れない私でも離陸できます。
しかし断念しました。ヨットを趣味にしていたので風の怖さを知っているのです。風の弱い時は良いのですが強風が吹けば沖の方へ流されます。突風で海に墜落します。救命胴衣を着けていても沖からは海岸まで泳げません。
そんなことを考えてこの趣味はもう一度生まれ変わったら若い時に始めようと決めました。
残念ながらこの世でし残した趣味として諦めることにしました。
下の参考資料にモーターパラグライダイーのことをもう少し詳しくご紹介してあります。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)
====参考資料==============
モーターパラグライダーとは;
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%A9%E3%83%A2%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%83%BC より抜粋。
モーターパラグライダー(MPG)は、社団法人日本ハング・パラグライディング連盟(JHF)が主に使用している名称で「モーパラ」などとして、もっとも親しまれている名称。

グライダー:
パラグライダー用のものを使用することも可能だが、迎角が最良ではない。そのため、パラモーター専用の機体や、調整によりパラグライダーと共用できるものもある。

エンジンユニット:
排気量60ccから250ccのエンジンに、直径90cmから130cmの2枚ないし3枚のプロペラを取り付けたものが多く、更にプロペラの巻き込みを防止するガードと、人が背負う為のハーネスからなる。重さは乾燥重量でおよそ14kgから28kgのものが多いが、フライト中はグライダーに吊られている為に、重さを感じることは無い。価格は70 - 100万円程度。
60cc - 80ccの小型エンジンはクラッチがついているものが多い。
クラッチが付いている事で、アクセルレバーを離すとプロペラが停止し、普通に着陸が可能である。
ある程度アクセルレバーを引くとエンジンと直結になるように設計されているので摩擦は発生していない。
女性や高齢者は小型エンジンをつけている人が多い。

安全装備
緊急パラシュート(落下傘)
ライフセーバー(着水時用ライフジャケット) パラモーターの死亡事故の殆どは、着水による溺死であることから、前出の両協会は水辺でのフライトにはライフセーバーの着用を呼びかけている。
日本ハング・パラグライディング連盟や日本パラモーター協会に加入するなどして、情報収集や道徳教育が必要である。

技能証
免許証は無いが、独自に技能を習得し飛行することは大変危険である。日本ハング・パラグライディング連盟や日本パラモーター協会に加盟したスクールで講習があり、それぞれ技能証を発行している。


「薬草の花々の写真をお送りいたします」

2016年06月22日 | 写真
今日は午後から雨が止んだので都立薬草植物園に行きました。
薬草の花々の写真を5枚お送りいたします。

1番目の写真はキク科アーティチョークです。花の基部が食用になります。

2番目の写真はユリ科トウカンゾウです。

3番目の写真はキク科カルドンです。葉柄部が食用になります。

4番目の写真はセリ科ウイキョウです。漢方薬になります。

5番目の写真はサボンソウの花です。サボニン薬の原料になります。

少し変わった花々ですがお楽しみ頂けたら嬉しく思います。

「中国が返還要求をしている日本にある玄奘三蔵法師の遺骨への私の想い」

2016年06月22日 | 日記・エッセイ・コラム
現在、日本の仏教界で読まれている経典の殆どすべては唐の玄奘三蔵法師が645年にはるばるインドから持ち帰り、漢文に訳したものです。
ですから日本の多くのお寺の本堂の脇には、玄奘三蔵法師が経典を大きな箱に入れ、背負ってインドから帰る姿の像が立っています。
私は玄奘三蔵法師が好きで、以前からいろいろ本を読んでいました。
したがって玄奘三蔵法師の像を見ると大変嬉しくなります。 彼は日本の仏教界の大恩人なのです。

今日の話題はこの玄奘三蔵法師の遺骨の一部が日本に渡来して来た経緯をご説明し、その遺骨を中国側が返還を要求していることです。
そして今日の私の主張は遺骨を分けて一部は中国側へ返還し、残りは日本の寺院に今まで通り大切に祀るべしという主張です。これは私の宗教的信仰からの想いであります。
勿論、お釈迦さまの遺骨も玄奘三蔵法師の遺骨も学問的に本物とは考え難いものです。しかし信仰の上ではみな本物です。この私の想いを含めて如何に順々にご説明いたします。
(1)玄奘三蔵法師の遺骨の一部が埼玉県の慈恩寺に来た経緯
数年前に私は車を駆ってこのお寺を訪れ現在の住職さんと、先代の住職さんの奥様の話をお聞きしました。先代の住職さんが遺骨を受け取り、立派な玄奘塔を作り、遺骨をその塔の基部に祀ったのです。その玄奘塔も参拝して来ました。
それではまず5枚の写真をご紹介いたします。

1番目の写真は西遊記の絵で、出典は、http://4travel.jp/travelogue/10706944 です。

2番目の図面は玄奘が629年から645年までの16年間のインドへの旅の行程を示す図面で、出典は、「中国思想史」http://www42.tok2.com/…/yasu…/chinashisoushi/12tenjikuhe.htm です。

3番目の写真は埼玉県にある玄奘塔の脇にある玄奘の像です。

4番目の写真は玄奘塔の門です。

5番目の写真は玄奘塔で、その基部に現状の遺骨の一部が埋まってあります。

数年前に私が訪れた埼玉県にある慈恩寺の玄奘塔はお寺から少し離れた畑の中にありました。
石塔は十三重で高さは約15mあり、慈恩寺が管理しています。
三蔵法師の遺骨が埼玉県に来た経緯を簡単に書きます。
三蔵法師の遺骨は、宋の時代に長安(現西安)から南京にもたらされた後、太平天国の乱で行方不明になりましたが、第2次大戦中に南京を占領していた日本軍が、偶然にも土木作業中に法師の頭骨を納めた石箱を発見(昭和17年)しました。
頭骨は、当時の南京政府(汪兆銘政権)に還付され、昭和19年に南京玄武山に玄奘塔を建立し奉安されるとともに、日本へも分骨されたのです。 ここで重要な事実は日本軍が発見し、日本の傀儡政権であった南京政府が日本へ贈ったという事実です。
この事実が最近の中国側からの返還要求の理由になっているのです。
それはさておき、日本へ渡った頭骨は、当初芝増上寺に安置されましたが、折しもその頃の東京は空襲の被害が広がり、一時埼玉県蕨市の三学院に移され、さらに三蔵法師の建立した大慈恩寺にちなんで命名された慈恩寺に疎開しました。 第2次大戦後、日本の仏教界が正式な奉安の地を検討した際に、三蔵法師と縁の深い慈恩寺が奉安に最適の地とされ、昭和25年に十三重の花崗岩の石組みによって玄奘塔が築かれました。 その後、慈恩寺から台湾の玄奘寺(昭和30年)や奈良の薬師寺(昭和56年)へも分骨されています。
この遺骨は考古学的にも文献学的にも本物であるという証明は不可能です。

(2)中国の反日感情による三蔵法師の遺骨の返還要求
2005 年 4 月の東京新聞の報道が以下のように示してあります。
「国内2寺院に眠る三蔵法師の霊骨、『反日』飛び火 仏教界で騒動に」;
http://www.asyura2.com/0505/asia1/msg/111.html
 「西遊記」の三蔵法師として有名な玄奘法師の頭骨片が、日本の二つの寺院に存在する。戦時中、南京政府から「日中友好」で贈られたものだ。だが、中国の仏教界から「当時の南京政府は日本の影響下にあった傀儡(かいらい)政府。事実上、日本が強制的に持ち帰った」と、返還を求める声が出る。反日デモが続く中、インターネット上には「日本は泥棒」の記述も。霊骨をめぐる騒動の行方は-。
「『玄奘法師の霊骨を返してほしい』という声が、中国の仏教界から噴出している。日本が戦利品として持ち帰ったもので、自主的に返還すべきだという主張だ。北京や洛陽などの寺院から『返還されればウチにほしい』という争奪戦も起きている」
玄奘法師の正式の墓がある中国の興教寺(西安市)と交流があり、同寺の名誉会員である受川宗央氏(70)は、霊骨をめぐる中国の現状を解説する。
玄奘法師の骨は、国内では慈恩寺(さいたま市)と薬師寺(奈良市)に奉安されている。骨が日本に渡った経緯は数奇だ。一九四二年、中国の南京を占領していた日本軍が工事中に石棺を掘り起こし、石棺に刻まれた記述から玄奘法師の骨と判明したという。
 慈恩寺の大嶋見順住職(79)によると、日本軍は骨を南京政府に引き渡し、南京政府が一部を日本仏教連合会(現・全日本仏教会)に贈呈。四四年、日本に運ばれ、戦災を避けるために慈恩寺に預けられた。
・・・中略・・・
 反日感情が高まる中国内のネット上の書き込み内容も激しい。
「『日本は玄奘の霊骨を盗んでいった泥棒』という過激なものもある。玄奘がインドから持ち帰った教典翻訳の拠点とした(中国の)大慈恩寺のHPにも『傀儡政府との取り決めで持ち去った』と記されている」と話すのは、国内の主要な宗派が加盟する全日本仏教会の幹部だ。・・・以下省略・・・

(3)日本、台湾、中国各地にある玄奘法師の遺骨に関する学問的研究
坂井田夕起子『誰も知らない『西遊記』 玄奘三蔵の遺骨をめぐる東アジア戦後史』 龍渓書舎,
この本の概要は、ある図書館員の「読書日記」2013に紹介してあります。
http://tsysoba.txt-nifty.com/booklog/2014/04/2013-b6a1.html
目次 
 序章 /三つの『西遊記』(pdfファイルでご覧いただけます)  玄奘はなぜ日本にやってきたのか
 第一章 玄奘、南京で発見される/遺骨の発見と日本分骨の謎/玄奘の遺骨は本物か?/玄奘塔の再建と日本への分骨
 第二章 玄奘、日本へわたる/“西遊記の玄奘さま”慈恩寺へ/水野梅暁と玄奘/玄奘三蔵霊骨塔の完成/奘公の舎利いずこに在りや?
 第三章 玄奘、台湾へわたる/高森隆介と玄奘の遺骨/戦後台湾の「中国仏教会」/台湾への分骨
 第四章 玄奘、日本各地を旅する/藤井草宣と菅原恵慶の告発/埼玉名栗の鳥居観音/大阪岸和田の靖霊殿/青森弘前の忠霊塔/青森浪      岡の薬王院/兵庫篠山の少林寺
 第五章 玄奘、中国で政治に翻弄される/玄奘、中国各地を旅する 南京 北京 天津 四川 広州/玄奘、中国革命に翻弄される
 第六章 玄奘、日本と中国そして台湾を結ぶ/日華仏教文化交流協会の成立/奈良の薬師寺/台湾の玄奘大学

(4)信仰の対象としてのお釈迦さまの遺骨や三蔵法師の遺骨の真贋は問うべきではない!
さて最後に私の主張を書かせて下さい。
仏舎利塔とはお釈迦さまの遺骨の上に建てた塔です。そして日本でよく見られる五重塔の中心の柱の下にはお釈迦さまの遺骨が埋まってあります。ですから仏教の信者が五重塔に手を合わせて拝むときはお釈迦さまの遺骨を拝んでいるのです。
勿論遺骨は本物ではなく蝋石で作った米粒のようなものだそうです。そこでご飯のことを隠語で「舎利」とも言います。  
私はカトリックなので日曜日毎にイエス様の肉体の一部を聖なるパン(聖餅)として神父さまから頂いて食べます。勿論、聖餅はイエス様の肉体ではありません。しかし私は肉体の一部と想います。
ですからお釈迦さまの遺骨や三蔵法師の遺骨が偽物でもその真贋を問うべきでないと想います。

さてそれでは日本にあるという三蔵法師の遺骨は中国側へ返すべきでしょうか?
答えは簡単です。武力で奪ったものは返したほうが良いに決まっています。しかし中国側に日本人の篤い信仰を説明して遺骨の一部を残して貰えば良いのです。同じ仏教を篤く信仰しているのなら中国側も絶対に協力する筈です。
以上が中国の返還要求をしている日本にある玄奘三蔵法師の遺骨への私の想いです。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

宇宙から見た地球の美しさ、何故テロや戦争が絶えない?

2016年06月21日 | 日記・エッセイ・コラム
地球にポピュリズム、扇動政治という妖怪が歩き回っている。人間の低俗な欲望を刺激し、扇動し政治を支配しようとする妖怪である。
それは各国の狭量な愛国者と手を携え勢いを増している。アメリカ大統領候補のトランプ氏の勢いを見よ。イギリスの欧州連合からの脱退運動もしかり。イタリアではEUに反対する「五つ星運動」の女性がローマ市長とトリノ市長に当選した。
欧米はイスラム過激派のテロ事件にた対して感情的なまで移民反対の運動が燃え広がっている。人々が我が身さえ良ければよいと言う。輝いていたアメリカの自由と平等の理想が消えかかっている。

何故、私はこのような悲観的なことを書いたのでしょうか?
最近の世界の情勢を雑駁に見ているとどうしても悲観的になってしまうのです。
今朝も読売新聞の13面にフランスの経済学者のジャック・アタリ氏のイギリスのEU脱退運動に関する長文のインタビュー記事が掲載されています。それにはイギリスの脱退が欧米社会へ大きな悪影響を与えることが明快に書いてあります。悪影響の一つは、脱退ならイギリスが衰退に向かうと考えられていることです。そしてもう一つの悪影響はイギリスが離脱すれば、「欧州連合は後戻りも出来る」そして「元に戻すことも出来る」という意識を人々に与えるのです。これは非常に悪い事態で第二次大戦前の国際連盟が解体し始めた状況に似ているというのです。そしてアタリ氏はトランプ氏が大統領に当選するだろうと言います。

ここでいきなり私的な経験を持ち出してすみません。しかし私はヨーロッパがEUとして統合され、同じ貨幣を使うことがどうしても信じられなかったのです。
これは、昔の1970年前後にドイツに住んでいたころの経験です。ドイツ人はビールを飲むと本音を言い出します。大体は中世の30年戦争の話題から始まってフランス人の悪口を言い、非衛生的なイタリヤはアフリカの始まりだと言います。イギリスはヨーロッパ大陸の外にあるので別な文化だというのです。私は反論しません。ドイツ語が分からくなると英語で説明してくださいと言います。すると彼らは流暢な英語で丁寧に説明してくれます。私は悪口は一切信用しません。むしろヨーロッパの多様な文化に魅了されたものです。
その時、分かったことはヨーロッパは一つではないことです。種々の文化のモザイク模様だと理解したのです。ですから多様なヨーロッパ諸国がEUとして統合されたことが信じられないのです。

ヨーロッパ人の本音は、経済のことは別にして元のように別々な状態に戻りたいのでしょう。それを熟知しているフランスの経済学者のジャック・アタリ氏がイギリスのEU脱退に猛反対する論陣を張っているのでしょう。

とにかく地球にポピュリズム、扇動政治という妖怪が徘徊している最近の地球は憂鬱です。イスラム過激派のテロは止みそうにありません。シリアでは悲惨な内戦が果てしなく続き、難民がヨーロッパに押し寄せています。
そこで気分を変える為に宇宙から見た美しい地球の写真をお送り致します。3枚ともNASAが撮影した写真です。

1番目の写真は宇宙船と、その下に見えるニュージーランド地方の写真です。

2番目の写真は月の地平線から昇った地球の写真です。

3番目の写真はアメリカが宇宙に打ち上げた宇宙望遠鏡から撮った宇宙の星々の写真です。
この無数の恒星の周りには太陽系と同じように多数の惑星が回っているのです。すなはち地球のような惑星は宇宙の中に無限の数だけ存在しているのです。
その中のたった一つの青い水の惑星の地球に生きている人間とはどんな存在なのでしょうか?
この宇宙から見た美しい地球で、何故、悲惨なテロや戦争が絶えないのでしょうか?そして何故、地球にポピュリズム、扇動政治という妖怪が徘徊しているのでしょうか?
人間の愚かさに粛然と致します。

それだからこそ、今日は地球からポピュリズム、扇動政治という妖怪が消えるようにお祈りいたします。神様助けて下さい。

「今日は小金井公園にユリとダリアの花の写真を撮りに行きました」

2016年06月20日 | 写真
昨日の午後は庭の木々の枝切りを2時間しました。柿の木、梅の木、ベイリーフ、椿の木、ムクゲの木、そして隣家の枇杷の木、夏ミカンの木などなどの伸びた枝を切り降ろしました。そしてその枝を短く切ってビニール袋に詰めました。かなり根を詰めた仕事だったので今日は何もしないでのんびりしました。午前中に近所の整体診療所で体のストレッチをしてもらい、午後から小金井公園にユリの花の写真を撮りにいきました。こうして老境の一日が何事も無く過ぎ行きます。曇りの蒸し暑い日です。
ユリとダリアの花の写真をお送りいたします。









怒れるアメリカの人たち、そしてトランプ旋風

2016年06月20日 | 日記・エッセイ・コラム
昨年の秋から年末にかけての日米のマスコミはトランプ氏は泡沫候補という記事を流していました。年が明けて2月頃には大統領候選挙から消えて行くという見方が日本でもありました。
しかしマスコミの予想に反してトランプ氏は共和党を代表候補に決定し、民主党のヒラリー氏と11月に決戦投票をすることになっています。
アメリカのマスコミが何故このような大きな間違いを犯したのでしょうか?
私は、このマスコミの見込み違いの原因に関心があり、その後の解説や論評に目を通すようにしてきました。
そうしたら昨日の読売新聞の一面に政策研究者のリチャード・ハース氏が実に明快に原因を説明していたのです。
昨年以来の疑問が、成程と納得し、気分が晴れたのです。
お読みになった方も多いと存じますが、今日はその長文の手堅い記事を分かりやすく要約してお送りしたいと思います。
ハース氏はワシントン・ポスト紙の記事を引用しながら、アメリカの大衆は怒っていると言うのです。
そして、その怒りはむき出しの怒りではなくある種の強い不安だと説明しているのです、
そして怒りの対象が以下のようないろいろなものに対する怒りだというのです。
(1)ウオール街の金融市場、
(2)イスラム教徒、
(3)外国との通商協定、
(4)ワシントン政治、
(5)警官による容疑者らへの過剰な発砲、
(6)オバマ大統領、
(7)移民。
このようないろいろな標的に対するアメリカ大衆の怒りのムードの原因はよく分からないとハース氏は書いています。
しかしこのようなモヤモヤした怒りが既成政治に反旗を翻す候補者(トランプ氏など)を支持する結果を招いているのです。
ハース氏は2008年のリーマン・ショック以後、アメリカ経済は確かに立ち直ったと言います。しかしアメリカの世帯あたりの実質所得は停滞し、正規雇用も減少したままで、老後の生活に備えた貯蓄も出来ない状態がここ15年位続いているそうです。
その結果、誰でも努力すれば成功者になれるというアメリカン・ドリームが無くなり、代わりに階級社会が出来ているというのです。そしてあからさまな貧富の差が怒りの原因になっているのです。
そして成果より代償がはるかに大きかったアフガニスタンとイラクでの軍事作戦から、多くのアメリカ人は外国への関与を縮小すべきと感じているのです。(当然、日米安保体制も抜本的に見直すムードになっています。)
以上がハース氏の解説の要約です。

この解説を読むと、何故、トランプ氏は旋風を起こしているかが明快に理解出来ます。
それは上に列記した7つの怒りの対象を見れば明白です。
(1)不動産業は金融業とは違うのでトランプ氏は支持されます。
(2)イスラム教徒を差別、排撃するトランプ氏は支持されます。
(3)外国との通商協定、例えばTPP協定などはアメリカの自由経済の発展の邪魔になると考える人々がトランプ氏を支持します。
(4)ワシントンの職業政治家が嫌われているのでトランプ氏が支持されます。
(5)については私は分かりません。
(6)オバマ大統領の軟弱外交と貧困層支援政策に反対する人が多いのでトランプ氏が支持されます。
(7)移民で職場を失うと危惧している人々は移民制限を掲げているトランプ氏を支持しています。

このように書きますと私はトランプ氏を支持していると誤解されるかも知れません。しかし私はトランプ氏は支持していません。むしろヒラリー氏の方が良いと思っています。
それにしてもリチャード・ハース氏の解説は明快です。なるほどそうだったのかと目から鱗の落ちる気分です。

最後に何故アメリカの良識的な大新聞やマスコミが大きな間違いを犯したのでしょうか?私見を書いて終りとします。
その原因は上に列記した事柄にアメリカの大新聞は伝統的に賛成して来たのです。
アメリカの優位は金融業にある、イスラム教徒を排斥してはいけない、外国との通商協定は必要だ、ワシントンの政治家は信用すべし、オバマ大統領は良識的である、自由な移民政策こそがアメリカを発展させて来た、などなどという固定観念があったのではないでしょうか。
もしマスコミの組織が固定観念を持っていたらそれを打破するのが困難だったのでしょう。
それともう一つの原因はマスコミを職業にしている人々はアメリカ社会の権力者であり、エリート階級なのです。正規雇用もされないで貧困にあえいでいる経済弱者層の感じ方が理解できなかったのも原因だったと思います。

今日の挿し絵代わりの写真は一昨日、都立小山内裏公園で撮って来た紫陽花の花の写真です。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)