日本でも「スポーツ観戦」へ行く人はご承知とは思います。しかしそんな経験のない方々に御読み頂くと応援席で何が起きているか?そして応援席の重要性が理解できると思います。オハイオ州での十余年まえの古い話ですが。
@球場へ行く前にまずキャッチボールを
共同研究をしていたオハイオのラップ教授がマイナーリーグの見物へ誘ってくれた。
「午後は野球を見に行くが一緒にどうだ?」「暇だから御願いします」「それなら裏庭で
キャッチボールをしよう」「何故?」「今日はフアール・ボールがいっぱい飛んでくる一塁側のスタンド席を取ったから、グラブ持参でそれを取るのさ」「フエンスがあるから飛んで来ないと思いますよ」「低いフエンスがあるがフアールが飛び込むのさ。取ったボールはお土産になるよ」兎に角裏庭で久しぶりにキャッチボールをする羽目になる。
「ラップさん、そんな癖の悪い球ばかり投げてよこさないでよ」「フアール・ボールっていつも切れているから回転してカーブしながら飛んで来る。チャント掴まないと中学生や高校生に横取りされてしまうよ」「競争相手は中学生や子供ですか?」「そうさ。
奴等はすばしこいから球をこぼしたら即座に拾われるのさ。しっかり掴めよ」
グローブを3ケ持ってラップ教授夫妻と3人で球場へ乗り込む。
@緊張してフアールやホームランを待つ観客席
なるほど内野のフエンスは高さが1m位しかない。周りの観客の半分くらいはグローブを持っている。外野席ではホームランを掴むためのグローブを持っている観客が見える。
「ラップさん。グローブを持っていない人は危ないじゃない?」「男は被っている野球帽で受けるし、女はハンドバックで球を避けるのさ。怪我したら本人の責任で、球場側や野球選手には一切責任が無い。それがプロ野球見物の条件さ」
やがてプレーボール。投手がたて続けに投げ込む。「ラップさん。日本では1球、1球慎重に投げるよ。キャッチャーのサインは見ているの?」「スポーツは何でもスピードが命。
のろのろ投げていたら面白くなくなるのよ」「分かった。賛成だね。しかしフエンスが低すぎて怖いよ」「怖いから皆が投球や打球から目を離さない。観客全員が集中して野球に参加しているような気分になるのさ」ライナー性のフアールが怖くて打球から目を離せない。次第に球場全体に一体感が育ち応援の声が合唱のようになる。何故か分からないが、自分も陶酔感に溶け込んで皆と一緒に野球を楽しむ。
@応援の練習から始まるバスケットボール観戦
いつも上品に小さな声で話すセムラー教授が「今日、オハイオ州立大学の天下分け目になる試合を見に行かない?」と誘ってくれた。バスケットの大学リーグではいつも上位で有名な大学である。「ところでゴトーさんは応援の英語を知っていますか?」「日本の学校では教えないので想像もつかないです」「それなら教えますよ。オハイオが良いプレイをしたら周りの人に合わせて、Go!Go!と叫べば良い。拙いプレイをしたら、Boo,Booと騒げば良いのさ」「分かりました。ゴー、ゴーとブー、ブーですね」「何か発音が変だが、まあいいよ」行った室内球場は既に超満員。やがて試合が始まる。いつもは紳士で静かに話すセムラー教授が野蛮な大声を上げて叫んでいる。隣の小生も小さな声で「ゴーゴーとかブーブー」と叫んでみる。すると途端に何が良いプレイで何が悪いプレイか理解出来る。
バスケットの試合の内容が体でわかり昂奮して来る。なるほど応援で大声を上げるのが
スポーツ観戦の醍醐味だと分かる。試合後「セムラー先生、応援の時なにか分からないことをいっぱい叫んでいましたね。どんな内容です?」「いやあ、参ったな。とても説明できないような下品な英語だよ。君には教えられないよ。勘弁してくれ」
スポーツを輸入するとき、そのルールや競技規則、そして運営組織は容易に輸入出来る。
しかし観客の楽しみ方はその国の特有の文化に密着していて輸入が難しい。スポーツの面白さを半減して輸入しても普及しない場合も多い。
明治維新以来、政治、経済、産業、教育、そしてスポーツなど全てを欧米から輸入してきた日本がその重要な部分を輸入していない場合もあつ。目に見えにくい側面を理解すれば西洋のことがもう少し分かる。中国や韓国、そしてアジア諸国との交流においても同じである。目に見えない部分を理解する努力が重要ではなかろうか。
(下の挿絵は、長嶋さんと同世代の家人が載せてほしいと申しますので・・・・)
ブログ文化圏に居る若者の間では、敬語・敬称を使わないのが原則です。例外はありますが。
以下のhisami さんからのコメントを前半分と後半分に分離して分析します。すると2つの理由からと分かりました!
====hisami さんからのコメント============
ブログを書いたりコメントを残すときに 年齢・生年月日の自己紹介を書く人は 殆ど居ないから
文章である程度の年齢想定をしてコメントをする
でもぉ~~あまりにしっかりした文章で年配の方と 思っていたら年下だったり~~なんて事も有ります
若い人みんな~~ひとくくりで考えるのはどうかと思います
年配の方でも常識無い方 年配の方でも自分本位で我侭な方もいらっしゃいます
若い人のブログは常識無い!とひとくくりで考えるのは 如何なものなのでしょうかぁ~?と疑問を感じます 確かに若い人の犯罪もありますが いい年をした方の短絡的は犯罪だってある訳ですからね
============原文のままでした==========
理由は、
(1)ブログでは相手の年齢・立場が一切不明なので敬語は使わない。
(2)老人でもよく考えて見ると尊敬出来ない人がいるので老人へ敬語を使うときは尊敬できる人と判断してから使う。
筆者は72歳の老人男性です。上の二つの理由は論理的に考えると実に合理的ですね。このコメントを頂いてから深く考え込んでしまいました。そうか!若者は論理的に考えて、自分が納得出来なければ敬語・敬称は一切使わない。その合理性に感動するとともに吃驚しました。
老人の自分は、
(1)相手の年齢・立場が不明の時は、とりあえず敬語を使う。
(2)年上や初対面の人へは形式的に敬語を使う。尊敬できるか否かは考えない。
言語表現の合理性をある程度犠牲にして、日本語を使う。それが伝統的な日本文化だから。敬語・敬称を適切に使った日本語が美しく感じるから、使う。
自分の国の言語を美しい状態で子孫へ残したいからと思う。
しかし若い人々がそのように感じないなら、それは仕方の無いことで、強制はしないほうが良い。いずれ年老いてくれば考えが変わるかも知れないのだから。これが自分の考えです。
敬語・丁寧語についてDiscussionをブログ上でしました折にたくさんのコメントを頂きました。ここで自分の考えを明確に公表して、一旦終わりとします。
誠意あるコメントを下さいました、zebra1192 さん、鬼家雅雄さん、高山さん、乾燥芋のおにいちゃん、そして hisami さんへ深甚な感謝の意を表します。(終わり)
追記:上記の文章へ対して、hisami さんから、ブログでも相手によっては、敬語と丁寧語を使いますという、補足的なコメントを頂きました。合わせてお読み下さい。