全ての言葉には定義があります。欧米文化では言葉の定義が先にあり、それからその意味を明確な言葉を使っていろいろな法律や学説を構築して行きます。
定義には狭義の定義と広義の定義の2種類があります。
集団的自衛権を狭義の定義で解釈すれば、その意味はアメリカ軍と一緒に戦争に参加することです。一方、広い定義に従えば世界中のどの国とも組んで日本の国益のためなら戦争に参加するという意味になります。
最近、多くの日本人は軍備の必要性を自覚し、必要があったら戦争も辞さないという考えに変わったのです。「絶対戦争反対の時代」を脱却して新しい歴史へ大きく舵を切ったのです。私はこの急激な変化に驚いています。
集団的自衛権とは戦争も辞さないという意味である以上、戦争放棄をうたった憲法第九条は削除すべきです。
それをしないで拡大解釈をするのですから日本は厳密な意味では憲法を大切にする法治国家ではないのです。欧米諸国はこの日本独特の文化を奇異の目で見ています。言行不一致な文化は尊敬されません。
それはさておき、この「戦争も辞さないという考え」に対していろいろな意見が出されています。
多くの女性は夫や息子を戦場に送る悲劇は絶対に受け入れられません。ですから安倍総理が進めている集団的自衛権の確立に対して大きな反対運動をしています。数多くのデモも各地で行なっています。この運動は女性本能から出た女性の優しさなので世の男性は暖かい気持ちで受け止めるべきです。感謝すべきです。
その一方、武力行使は人格破壊をもたらすので、戦争は絶対にすべきでないと信じている善意の人々も多いのです。これは男性に多いようです。
この人々は憲法第9条は文字通り実行すべきと主張します。拡大解釈による自衛権の確立などとんでもないというのです。理想的な平和主義者です。
この一派の人々のメッセージは絶対に忘れるべきではありません。
「戦争は人格を破壊する」というメッセージと「憲法第9条は文字通り実行すべき」というメッセージです。前者は戦争抑止の効果があるのです。そして後者は日本文化に棲みついている言葉の使い方の出鱈目さを指摘しているのです。絶対に忘れてはいけない重要なメッセージです。
集団的自衛権の確立に反対している人々はもっと違った理由を言っている人もいます。省略します。
それよりも自分の意見を明確に書くべきと思います。
私は憲法第9条を早急に変えるべきと思います。「戦争の永久放棄」ではなく「日本は侵略戦争は永久放棄する」と改定すべきです。
そして、日本は戦争は辞さないが、あらゆる外交努力と話し合いで戦争を回避するという条項を加えるべきです。
アメリカが戦後日本へ食糧を緊急援助し、日本の復興を支援してくれた恩義は忘れるべきではありません。
しかしアメリカ軍とだけ共同作戦をするような誤解を与えるべきではありません。そうすると中国と北朝鮮が仮想敵国になってしまいます。
日本はどんな国をも仮想敵国としないと憲法に明記にすべき思います。
日本の重大な基本方針は戦争も辞さないが、あくまでも話し合いで戦争を回避することにあるのです。
そのためには自衛隊という名の軍隊のシビリアン・コントロールを日頃訓練し、絶対に制服組が勝手に攻撃を始めることを厳禁すべきです。
そして国民は特定の国を感情的に憎むことを止めるべきです。国際関係において感情的になることは自殺行為なのです。
中国とも韓国とも友好的に話し合い、戦争を回避し、お互いの経済的利益を求めるべきです。
武力放棄と絶対平和主義は尊敬すべき思想です。尊敬はするが現実の国際関係では通用しないこの現実を、悲しみながら深く考えるべきと思います。
今日の挿絵代わりの写真はヨットの写真です。上は2009年4月16日に千葉県の保田港に艇長の毛利さんを訪問した時に撮った写真です。その下は翌月、彼と駿河湾をセイリングした時の写真です。ヨットはハンス・クリスチャンの43フィートです。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。
後藤和弘(藤山杜人)