東京の23区内には数多くの城や館が江戸幕府の出来る前まではあったのです。品川氏館、世田谷城、渋谷城、板橋城、練馬城、そして御殿山城、荏原氏館、池上氏館、馬込城、赤堤砦、奥沢城、などなどがありました。その上、郊外には石神井城、深大寺城、立川氏館、平山氏館、小野路城、小山田城、八王子城、滝山城、片倉城、高月城、桧原城などもあったのです。これら多くの城や館は江戸幕府が出来ると廃止され江戸城だけになってしまいました。江戸幕府の出現は大きな歴史の転換でした。
今日は鎌倉時代の御家人、品川氏の館の品川氏館と1457年に武蔵国守護代大石顕重が築城した八王子の高月城をご紹介したいと思います。
さて品川氏館ですが、この館に関する文献が残っておらず口伝だけが残っています。それによると場所は品川区西品川3丁目の貴船神社や同じく品川区豊町2丁目の戸越公園付近に存在したと伝承されています。
1番目の写真は西品川3丁目の貴船神社です。
品川氏館は鎌倉時代の御家人の品川氏の館だったと言われています。
品川氏館は、山手線の大崎駅南側の高台に築かれていました。現在は三木小学校の西側にある貴船神社の境内となっている辺りが居館跡です。現在の境内に館の遺構は一切ありません。
品川氏は古き名族の紀氏(きうじ)の流れを汲む一族です。
(http://fanblogs.jp/shirononagori/archive/374/0 )
まず平安末期に武蔵国に移り住んだ紀実直が大井氏を名乗り、その子らが枝分れして春日部氏や潮田氏、そして品川氏を名乗りました。
品川氏は源頼朝から信頼を得て鎌倉幕府の御家人として品川湊の管理を任されていました。品川氏はこの舟運の拠点を取り仕切り地域の発展に寄与しました。
品川氏は源頼朝の配下として合戦でも功績をあげましたが室町時代になり、第4代鎌倉公方の足利持氏によって所領を奪われ衰退してしまいました。
そうして貴船神社が鎌倉の御家人の品川氏の館の跡地だとい口伝が残ったのです。
さて高月城をご紹介します。(https://blog.goo.ne.jp/ihcirot/e/f16aa0d7bed8b76bc4367b8c3a26d492 )
高月城は武蔵国守護代大石顕重が、大きく蛇行する秋川と多摩川の合流地点の流れに突き出るような形の加住北丘陵の自然の要害を利用して1457年に築城した山城です。
昨日訪れて、家内が城山に登って写真を写して来ましたのでその写真にそってご紹介します。
2番目の写真は八王子市高月町にある頂上に本丸があった山です。手前の麓には古刹、圓通寺があります。圓通寺は、讃海(天暦年間947-956寂)が開山となり創建したといいます。天正19年(1591)徳川家康より寺領10石の御朱印状を拝領しました。近郷に数多くの塔頭・末寺・門徒寺を擁する中本寺格の寺院だったのです。このお寺が高月城の築城に協力したと考えられます。
3番目の写真は城山へ登る入口にある説明です。車はここまで入れましので家内は車を下りて登っていきました。私は車を広い草原に出して、そこで家内が写真を撮って帰って来るのを待っていました。
4番目の写真は城山の登山道です。両側から水が湧きだし滑りやすく難儀な登山だったそうです。
5番目の写真は登山道を少し登った所から見えた下の景色です。
6番目の写真は頂上の本丸跡の広い草原です。
7番目の写真は本丸のあった場所には2枚の看板が立っていたそうです。看板の両面に説明文がありました。両面ですので4種の案内があります。『高月城跡縄張想像図』『滝山三城周遊図』『高月城散策ルート』『高月城周辺の観光』の4種だそうです。
この頂上には空堀と土塁がある筈ですが草木が繁茂していて明瞭に分かりません。
城山へ登る入口まに車で入るには都道166号線沿いにある「ホテル高月城」の看板のある細い道を入ります。車1台がやっと通れる程度の道です。
ホテル高月城の入り口から少し先の左側に表示板が立っています。そこが登城口(虎口)です。登城口を左に見て車をその先に進めると広い草原に出ますので駐車出来ます。
築城した武蔵国守護代大石氏のことを少し書き加えておきます。(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E7%9F%B3%E6%B0%8F )
大石氏は信濃国佐久郡発祥の氏族です。関東管領上杉氏のもとの四宿老の一人に数えられ代々武蔵国の守護代を務めた氏族です。
大石信重は観応2年(1351年)、挙兵した南朝方の新田義宗との笛吹峠の合戦で先陣を勤めました。その戦功として、1356年(延文元年)武蔵国入間・多摩の両郡に13郷を得て多摩に移住し二宮(現・あきる野市)に館を構えたのです。
大石顕重が1457年に築城した高月城を大石定重の代から本拠地に構えてたのです。
しかし後北条氏の勢力が武蔵まで拡大し高月城では防備に不安があるとして、永正18年(1521年)に定重は高月城の北東1.5kmに滝山城を築城本拠を移したのです。それは大石顕重が1457年に築城してから64年後でした。
今日は鎌倉時代の御家人、品川氏の館の品川氏館と1457年に武蔵国守護代大石顕重が築城した八王子の高月城をご紹介しました。当時の東京付近は戦乱の続く酷い時代でした。徳幕府が出来てからやっと平和が訪れたのです。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)