後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

中曾根康弘元総理の旅立ちと日の出山荘に献花台設置

2019年11月30日 | 日記・エッセイ・コラム
巨星墜つ。中曾根康弘氏が旅立ちました。
今日の新聞は中曾根元総理の死を悼み政治家としての偉大な功績を讃える記事で埋めつくされています。
私は昔から高い見識があり国際感覚に優れた中曽根さんを尊敬していました。彼は海軍で学んだ戦略の重要性を政治に生かし日本の復興と経済の高度成長に大きな貢献をしたのです。
ロン-ヤス関係を築き日米関係を盤石にしました。総理就任後すぐに韓国を訪問し韓国語で演説し日韓友好を推進します。
中国の胡耀邦主席と親友になり、彼のために靖国神社参拝を止めました。胡耀邦主席との友情のために止めたのです。こうして日中友好を守ったのです。
戦後日本の偉大な政治家を3人上げれば吉田茂と中曾根康弘がまず上がります。3人目は佐藤栄作か田中角栄でしょう。

この様に私は中曾根さんを尊敬していたので彼の別荘だった「日の出山荘」を2008年10月15日に訪れました。
この山荘は東京都日の出町の山中にあります。ここで1983年、中曽根首相とレーガン大統領が会談したのです。
日の出山荘などと風流な名前をつけていますが、実に質素な2間だけの別荘です。
江戸時代末期か明治時代に立てられたような家で、材木があまり良くないのです。
昔はガラス戸の代わりに雨戸が付いていて奥の座敷だけ畳だった様子です。真ん中の大きな部屋で1983年に日米会談をしたのです。
中曽根さんは、よくこんな山中の粗末別荘へレーガンさんを連れてきたものだと感心しました。
しかし彼は堂々とした態度で抹茶をたて大統領夫妻を迎えています。昼食も幕の内弁当のようなものを楽し気に食べています。そして長時間2人で会談をしたそうです。
その山荘の隣には「書院」と称する大きな建物があり中曽根さんの一生の間の華々しい政治活動の様子の写真が多数展示してあります。
展示してある写真を見て廻ると、それぞれの時代の日本の社会の雰囲気を思い出します。それは高度成長期で騒然とはしていましたが、皆が活き活きとしていた時代でした。
私どもが訪問した時に撮った写真をお送りします。









この日の出町が管理している「日の出山荘」では以下のように献花台と記帳台が用意してあります。
山荘内青雲堂前に献花台及び記帳台を11月30日(土)から12月13日(金)まで設置します。そしてこの期間は日の出山荘の入館料は無料となっています。
皆様の記帳は後程、日の出町の町長が中曽根家へ持参するそうです。
この山荘の場所は五日市市と青梅市を結ぶ秋川街道から山中へ2Kmくらい入ったところで、分かり難い山間にあります。
HPなどで地図を確かめてから行かれますことをお勧めします。HP:http://www.town.hinode.tokyo.jp/sansou/index.html

中曽根さんのものの考え方は1941年から1945年の海軍時代に出来た部分が大きいようですので末尾にその資料をつけました。
中曾根康弘元総理のご冥福を心からお祈り申し上げます。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

===海軍時代の中曽根============
内務省に1941年入省後すぐに短期現役制度(第六期二年現役主計科士官)に応募し、海軍経理学校にて初任教育を受け、1941年(昭和16年)4月18日附で海軍主計中尉に任官。同年8月11日附で青葉型重巡洋艦1番艦「青葉」(第一艦隊、第六戦隊所属)に配属される。高知県の土佐湾沖の太平洋で訓練を受けた。
同年11月20日、第二設営班班員に補職 。11月26日に広島県呉市の呉鎮守府(司令長官豊田副武大将、参謀長中島寅彦少将)に到着。同鎮守府参謀長より第二設営隊の主計長に任命され、工員3000名と海軍陸戦隊の糧食・弾薬・資材、零戦・一式陸上攻撃機の武器・燃料を調達して輸送船団に積み込むよう命令される。11月29日に出港するまで、昼間は編成に明け暮れ、夜は積み込みの指揮で、ほとんど寝る暇もなかったという。
11月29日、輸送船団は出発。中曽根は「台東丸」に乗船した。この船にはかなりの刑余者(前科のある者)がおり、大学を出て海軍で短期訓練を受けただけだった中曽根は一計を案じ、全員を甲板に集めた。この中から一番凄そうな親分肌の者を選んで班長にすると、古田と名乗る前科八犯の男と酒を呑み交わし、親分(中曽根)・子分(古田)の関係となって人心掌握に努めた。
同年12月8日の太平洋戦争開戦以後、輸送船団はアメリカ領フィリピンのミンダナオ島のダバオに上陸する。上陸後、飛行場の設営がはじまるとアメリカ軍のボーイングB-17爆撃機の爆撃を受けた。
次にボルネオ島のバリクパパンに向かうのだが、途中のマカッサル海峡で14隻のうち、4隻が撃沈される。日本軍輸送船団約20隻がバリクパパンの湾に進入したところ、湾内にオランダとイギリスの駆逐艦および潜水艦が突入してくる。こちらには軽巡洋艦「神通」がついていたが、船団の中に取り込まれてしまって身動きが取れない状態だった。中曽根が乗船している前後左右の4隻は轟沈、さらに接近してきた敵駆逐艦から副砲や機関銃で攻撃され、輸送船も炎上する。中曽根が情況を確認すると、船倉は阿鼻叫喚の地獄絵図になっており、多数の重傷者を出していた。班長も脚部ほぼ切断の重傷であり、中曽根は軍医長に託したものの、班長は部下の治療を優先させているうちに戦死した。この戦いで戦死した仲間達の遺体は、バリクパパンの海岸で、荼毘(火葬)に付した。中曽根はそのときの思いを俳句にして詠んでいる。

友を焼く 鉄板を担ぐ 夏の浜
夏の海 敬礼の列の 足に来ぬ

以下省略。 詳しくは、https://ja.wikipedia.org/wiki/中曽根康弘 をご覧下さい。


今日の日記、毎年恒例のシクラメンの花を買いに行く

2019年11月29日 | 日記
毎年11月の下旬にシクラメンの花の鉢植えを買います。我が家の数十年来の恒例行事です。
天気の良い日に大きな花屋さんに行きます。家内が楽しそうに花の鉢を選んでいます。来年の4月末まで次々に咲く鉢には小さな蕾が沢山出ています。蕾が多く色彩の美しいのを5鉢選んで買って来ました。
シクラメンの花の鉢植えを買うと、嗚呼、今年も終りに近づいたという感慨が湧いてきます。
世界を見回すといろいろなことがありましたが、我が家には何事も無く今年も過ぎ行くようです。
花屋さんのシクラメンやパンジーと買って来た花の写真をお送りします。









自分の老化度を判定する今年の10大海外ニュース

2019年11月29日 | 日記
今年もいろいろなニュースがマスコミを賑わせました。
特に海外ニュースには大きな事件が多いものです。
今朝の読売新聞では「あなたが選ぶ2019年の十大ニュース」という記事を出しています。
そうして海外の48の重大ニュースを羅列しています。その中から自分で十大ニュースを選びなさいと言っています。
貴方はこの48の重大ニュースのうち何個くらいを記憶しているでしょうか?
全て記憶していれば貴方の脳は全然老化していません。
半分しか記憶してなければ認知症の初期の可能性があるのではないでしょうか。
全然記憶していなければ認知症だと私は思います。
しかし物事には例外が必ずあります。脳が全然老化していなくても海外ニュースにはまったく関心が無い方もいます。俗世間の動きに全く関心の無い聖人のような方もいます。
まあ厳密な判定方法ではありません。

さて48選の重大海外ニュースから私が10選んでみたものを以下に示します。
【1月】
《1》中国の探査機が月裏側に着陸、世界初
 中国政府は3日、無人探査機「嫦娥4号」が世界で初めて月の裏側への着陸に成功したと発表した。

【2月】
《2》 トランプ米大統領と金委員長とのハノイで2回目の米朝首脳会談、物別れに
 ベトナムの首都ハノイで27、28の両日、昨年6月以来、2回目の米朝首脳会談が行われた。共同声明の署名には至らず、物別れに終わった。

【4月】
《3》ノートルダム大聖堂で大火災
 パリの歴史的建造物ノートルダム大聖堂で15日、大規模火災が発生し、高さ96メートルの尖塔や屋根が崩落した。

【6月】
《4》香港で学生らが大規模デモ
香港政府に対する抗議デモが過激化。警官隊から催涙弾を受けるデモ隊
 香港で9日、中国本土などへの犯罪容疑者引き渡しを可能にする逃亡犯条例の改正案に反対し、学生ら約103万人(主催者発表)が参加する大規模デモが行われた。香港政府は9月に改正案撤回を発表したが、行政長官選挙の民主化など「5大要求」を掲げるデモ隊と警官隊の衝突が続き、逮捕者や死傷者が続出した。11月24日の区議会選挙(地方議会選)では、抗議運動を支持する民主派が、議席のうち選挙で選ばれる全議席の約85%を獲得して大勝した。

《5》中国の習国家主席が訪朝
 中国の習近平国家主席は20日、平壌で北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長と会談した。習氏の訪朝は13年の国家主席就任後初めて。

【8月】
《6》G7サミット、首脳宣言は紙1枚
 フランスで開かれた先進7か国(G7)による主要国首脳会議(サミット)は26日、首脳間で一致した項目を1枚の紙にまとめた首脳宣言を発表し、閉会した。成果文書として異例の簡素な形式となった。

【10月】
《7》北朝鮮、新型SLBM発射
北朝鮮は2日、新型の潜水艦発射弾道ミサイル(SLBM)「北極星3型」の試験発射を行った。SLBMの発射は16年8月以来。ミサイルは日本の排他的経済水域内に落下した。

《8》トルコ、シリア北部のクルド人勢力を攻撃
 トルコのエルドアン大統領は9日、トルコ軍がシリア北部のクルド人勢力を標的に軍事作戦を開始したと発表した。米軍がシリア北部から撤退を始めたことを受けたもので、トランプ米大統領に批判の声が集まる一方、クルド人難民が多数発生するなど地域が不安定化した。

《9》「イスラム国」指導者が米作戦で死亡
 米国は27日、イスラム過激派組織「イスラム国」の指導者アブバクル・バグダーディ容疑者が、シリアでの米軍特殊部隊による軍事作戦で死亡したと発表した。バグダーディ容疑者は14年6月に「イスラム国」建国を宣言し、カリフ(預言者ムハンマドの後継者)を自称していた。

【11月】
《10》米、「パリ協定」離脱を国連に通告
 米国は4日、地球温暖化対策の国際的枠組み「パリ協定」からの離脱を国連に正式に通告した。通告から1年後に、脱退が完了する。温室効果ガスの排出量が中国に次ぐ世界2位の米国の離脱表明に、国際社会から批判が起きた。

明後日は12月になります。12月にも重大ニュースがあるでしょう。師走の終りにもう一度私が選んだ10大ニュースを考えてみます。
貴方自身で選ぶ10大ニュースはどのようなものでしょうか?

今日の挿し絵代わりの写真は美しい地球と、その上にある森と海の風景写真です。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)






武蔵野の大きな雑木の下での瞑想

2019年11月27日 | 日記
コナラ、クヌギ、カシワ、エゴ、シデなどの混成林を雑木林と呼んでいます。
東京の郊外から埼玉県にかけた武蔵野には魅力的な雑木林があちこちに散在しています。
私が四季折々必ず訪れる美しい雑木林は3個所あります。
一昨日の午後に埼玉県新座市の平林寺のそばの雑木林の写真を撮ってきました。
ここの樹々は天に向かって勢いよく伸びあがっています。それぞれの巨木が競争するように青空に向かって伸びているのです。巨大な炎が天に燃え上がっているようです。
このような雑木林は珍しいものです。写真をお送りいたします。









何故私は大きな樹々を見ると幸せな気分になるでしょうか。樹々に住み着いている神が私を癒してくれるのです。つまらない心配事など忘れなさいと言ってくれています。
気のせいか樹々の良い香りが漂っています。写真を撮って、それから静かに瞑想します。
私の原始宗教への憧れが心に湧いてきます。
私は原始宗教を信じています。それはキリスト教や佛教のような高等宗教の信仰の土台なのです。ですからこそ高等宗教の中に原始宗教的なものが必ず混じっているのです。
庚申塚も馬頭観音も道端の道祖神もお地蔵さんもそれを信ずる人の心は美しいものです。
一昨日大きな樹々の下で瞑想しながら考えたことを書いてみました。

山奥に独り住む盲目の友人の老境

2019年11月27日 | 日記
私には山奥に独り住む友人がいます。高齢になるにしたがって次第に視力が無くなり現在は盲目に近い状態のようです。
才能豊かな人で、私はパソコンの多様な使い方を丁寧に教わりました。シイタケの原木やクリンソウなどの花々も貰いました。深い森に棲むモリアオガエルを飼育していてその不思議な生態を教えてくれました。山林の中の私の親友です。
彼は山梨県北杜市にある甲斐駒の麓の山林の中に40年以上一人で住んでいます。結婚はしたことがありません。
最近盲目に近い状態になりましたが心優しい姪と北杜市の福祉課が世話をしています。そして厳冬期の数か月は北杜市関連の施設に住む予定です。これで私の心配も少し解消しました。
そこで今日はこの山奥に独り住む友人の生活の様子をご紹介したいと思います。
彼が住む 山荘も自分でロマンチックな構造を考え建てたのです。写真で示します。

1番目の写真は左右にわかれている2階部分をつなぐ天空の橋です。
そこを渡ると鉢植えの花を一面に並べる屋上があり、その後ろは18畳くらいの大きな部屋になっています。窓からは周囲の樹木が見え素晴らしい部屋です。

さて私が何度も通ったコンピューター室は別棟の母屋の3階にありました。
そこは冬でも陽射しが温かく窓からは落葉した雑木林の梢が見渡せます。
母屋の南側を少し下ると一年中ヤマメの棲んでいる小川が流れています。

2番目の写真はヤマメの棲むその小川です。
そのほとりに彼は深い池を作りました。
ある年にこの池の畔に生えている木の葉にモリアオガエルの白い泡の卵塊を見つけたそうです。そこでモリアオガエルの卵塊から数十匹のモリアオガエルを育て上げました。

自然界ではモリアオガエルは樹木の上で生きています。脚に吸盤がついていて木の葉に貼り付いて虫などを捕食して成長します。飛び跳ねる力が想像以上に大きくて、一度に3mくらい跳ぶそうです。こうして木から木へと樹上生活を続けるのです。卵を産む時だけ水辺に帰って来るのです。
彼は数十匹のモリアオガエルを箱の中に入れ、ヨーロッパコウロギを餌にして育て上げました。このコウロギの飼育も一苦労だったそうです。

3番目の写真はオタマジャクシから蛙になって樹上生活を3ケ月した4匹のモリアオガエルです。

4番目の写真は樹上生活を5ケ月したモリアオガエルです。
寒い冬になるとカエル達は冬眠をします。そこで彼は数十匹のモリアオガエルを入れた箱を家の中で暖房をしていない寒い部屋に入れて、注意深く低い温度に調整しています。
このように深い森の中で独りで暮らしているとめったに人に会いません。
そして山荘の広い庭には小さな草花を一杯咲かせていました。
  
5、6、7番目の写真のような小さな草花を丁寧に育ててその写真を自分のブログに毎日のように掲載していました。

このように独りで森の中で暮らしている彼の生活に憧れて何度も何度もお邪魔していろいろなことを教わりました。ブログを始める方法も12年前に教わりました。
彼は孤独です。しかし淋しそうにしてませんでした。いつも意気軒昂です。彼の生活ぶりを見ると全く自由な生き方を深く楽しんでいるのです。
彼は眼が見えなくなって2年程前にブログへの投稿は止めましたが、過去のブログは、http://sizen068.blog95.fc2.com/ を開くと見えます。

余談になしましたが彼の実弟に馬場駿という筆名の小説家がいます。この馬場駿のことは末尾の参考資料にあります。お読み頂ければ嬉しく思います。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。後藤和弘(藤山杜人)

===「小説家、馬場 駿のドラマチックな生の軌跡」=======
小説家、馬場駿と一緒に飲んだのは45年くらい前。深い森の奥の山荘の中、燃えさかる暖炉の前で、彼の兄をまじえて3人で飲んだ。彼らが手作りした暖炉は甲斐駒の御影石が埋め込んであった。歯切れの良い言葉で喋る馬場駿の才気が輝く、華やかな一夜であった。
彼はまだ小説を書いていなくて、当然馬場駿という筆名も持っていなかった。しかし彼の才能と情熱で何時かは大きな仕事をすると私は信じていた。
あの夜以来一度も会っていない。しかしその後、彼は伊東市に移り住んで岩漿文学会を創立し、小説も書き出した。処女出版は馬場駿の筆名で「小説大田道灌」を出している。その書評はこのブログでも2007年11月に掲載している。馬場駿著「小説大田道灌」を検索すると関連の情報が出て来る。
その彼が13年間も務めていた岩漿文学会の代表と編集長の役を後進へ譲ることになった。最近、郵送されて来た。「岩漿」第19号には、彼がこの文学会を創立したころの経緯や、この文学会の歴史について書いている。そしてその他に何故彼が馬場駿という筆名を持っているかという感動的な小文を書いている。
小説家、馬場 駿のドラマチックな生の軌跡がいきいきと描いてある文なので以下に転載することにした。転載を許可してくれた彼へ感謝しつつ。
=======「筆名は心の師」、木内光夫============
二十年以上も前、仔細あって所謂都落ちし、伊豆の地で志とはかけ離れた生活を悶々として送っていたときのことだ。生涯の師と仰ぐ馬場駿氏が単身、私の勤務先の観光ホテルを訪れた。このとき師は、かつて私が在籍していた会社を資本金数十億円にまで大きくし、社長付常務取締役として八面六臂の活躍をしていた。秘書も不知のお忍び旅行だという。師は私と妻を夕餉に誘い、その場で泣かんばかりにして私の現状を嘆き憂えた。こんなところで何をしているのだと。
この師との出会いは劇的だった。この会社の横濱支社へ応募した際、私は身内の身元保証を得られなかった。三十五六まで夢を追い、赤貧洗うが如しのアルバイト生活を送っていた私の、言ってみれば身から出た錆。私は不採用という結果に甘んじるしかなかった。ところが後日、会社が突然再面接を申し入れてきた。当時会社顧問だった師が支社長へ指示をしたのだ。高校任意退学、文部省大検一回全科目合格、通信教育四年で大学の法科卒、以後法曹を目指して職業的には浪々。師は弾かれた履歴書群の中から私の一枚を拾い上げたのだ。一転私は採用、本来経済力が必要な保証人も、母が「私が産んだ」という証明をもってこれに代えて可、となった。調査はしたよと破顔一笑の師。M銀行支店長だったという師はある日、「僕は東大卒、京大卒いろいろ部下をもったが、君のようなタイプは初めてだ」と肩を叩いてくれた。その言葉の含意は今も不明だが、私は心でその言葉を受け止めた。
心の師が翌朝ホテルを去る際に至言をくれる。「大都会で金や地位欲しさに暗闘しているよりも、疲れ果てた人を癒す仕事の方が数段上かもしれないな。ゆうべは言い過ぎた。悪かった」。文通はその後も続いたが、師は難病に罹り終に帰らぬ人となった。私はホテルサービスという仕事から卑屈な想いを取り去った。師に認められた自分を思い出し、その事を支えにあらゆる屈辱に耐えた。処女出版「小説大田道灌」の筆名は馬場駿。自伝ではないが師に肯定された私の過去が入る連載小説「孤往記」も。あと一冊は筆名馬場駿でと、今は小説「疎石と虫」と向かい合う。(終り)

優しさと平和を持って来たフランシスコ法王の写真

2019年11月26日 | 写真
フランシスコ法王は日本へ優しさと平和を持って来ました。
日本人もそんな法王を大歓迎しました。人々が幸せな気分になりました。
新聞やテレビは連日この楽しいニュースを報道し社会が明るい雰囲気になりました。フランシスコ法王は日本に「幸福」をおみやげに持って来たのです。
今日は日本での法王の様子を写した写真をお送りします。写真はインターネットを検索してお借りしたものです。

1番目の写真は長崎にある26聖人像に花輪を供えてお香を焚いている場面です。殉教した日本人やスペイン人、ポルトガル人、メキシコ人を敬い祈ったのです。
日本に着いてすぐに長崎に飛んで来て26聖人像に祈ったのです。26聖人の中にはフランシスコ法王と同じイエズス会のパウロ三木がいるのです。日本への旅は法王にとって巡礼の旅でもあったのです。

2番目の写真は東京ドームで赤ん坊にキスしているフランシスコ法王です。赤ん坊はいささか迷惑そうな表情をしています。微笑ましい写真です。

3番目の写真は東京ドームでのミサの前に会場をトヨタの水素自動車で回っているローマ法王です。
数十人の赤ん坊や幼児にキスをしました。身障者や弱者の所では車を下りて優しい言葉をかけていました。

4番目の写真は文京区関口の東京カテドラルでの青年との集いで法被を着た法王です。青年たちがフランシスコ教皇と襟に染め抜いた法被を贈ったら直ぐに着たのです。そして嬉しそうにう笑いました。
5番目の写真は天皇陛下と会談中のローマ法王です。天皇は東日本大震災の被災者に会ったフランシスコ教皇へ感謝の言葉を伝えたそうです。そして地球の水や環境を大切することを話し合ったのです。
以上の写真はローマ法王の日本での写真ほんの一部に過ぎません。
詳しくは以下の動画をご覧下さい。
フランシスコ法王の日本での活動の動画配信の全ては、
https://popeinjapan2019.jp/assets/file/live_sch.pdf にあります。
この中から例を示します。
長崎県営野球場での野外ミサの動画は、
https://www.youtube.com/watch?v=5ZcxoOlrsbY にあります。
長崎26聖人への表敬とメッセージは、
https://www.youtube.com/watch?v=vTc2sAiMOA8 にあります。
そして東京ドームでのミサは
https://www.youtube.com/watch?v=j_fLDeW2p98 にあります。

その他いろいろあります。いずれもカトリック中央協議会が配信しています。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。後藤和弘(藤山杜人)

核兵器廃絶を主張するローマ法王、しかしそれに反対の日本政府

2019年11月25日 | 日記・エッセイ・コラム
昨日の午後2時から長崎県営野球場でフランシスコ法王が司祭した野外ミサがありました。
カトリック中央協議会が一部始終をインターネットで生放送したので私もミサに参加し一緒に聖歌を歌い祈りの言葉を言いました。パソコンの前でフランシスコ法王の説教を一言も逃さず聞きました。
その中で法王と同じイエズス会士だったパウロ三木聖人に敬意を表したことが印象的でした。
それはさておきローマ法王は説教のなかで何度も核兵器廃絶を主張しました。それは情熱的で力強い主張でした。
日本国民も原爆投下の悲劇を絶対に忘れません。当然核兵器廃絶を強く願っています。
ローマ法王の主張は大歓迎です。今日の新聞の一面にはフランシスコ法王の核兵器廃絶の主張が大々的に掲載されています。
しかし此の世の現実は世界中で核兵器配備の競争が続いているのです。
国連の核兵器禁止条約に日本政府は反対しているのです。核兵器の保有に賛成しているのです。

国連の核兵器禁止条約に関する以下の文章を静かにお読み下さい。

核兵器禁止条約は、核兵器の全廃と根絶を目的として起草された国際条約です。
「核兵器の開発、実験、製造、備蓄、移譲、使用及び威嚇としての使用の禁止ならびにその廃絶に関する条約」とも言います。
2016年10月28日に国連総会第一委員会(軍縮)において、多国間の核武装撤廃交渉を来年から開始する決議案が、賛成123、反対38、棄権16で可決されたのです。
しかしアメリカ、イギリス、フランス、ロシア、日本は反対票を投じ、北朝鮮は賛成、中華人民共和国は棄権しました。

2017年7月7日に122か国・地域の賛成多数により核兵器禁止条約は採択されました。
しかし、全ての核保有国は不参加しました。
アメリカの核の傘の下にあるカナダやドイツなどNATO加盟国や日本、オーストラリア、韓国なども不参加です。
また、当初は条約に賛成だった北朝鮮も核兵器の開発に成功後、不参加に転じたのです。

この条約は、50ヵ国が批准して90日後に発効する筈でした。しかし2019年10月29日、批准した国・地域はたった33だけです。
すなはち日本も含めアメリカの核の傘の下にあるカナダやドイツなどNATO加盟国やオーストラリア、韓国そして核兵器大国のロシアなどは核兵器に賛成なのです。

日本国民はこの事実を忘れ、そして無かったことにしたいのです。
新聞の報道を見ると日本政府も核兵器廃絶に賛成しているようです。
フランシスコ法王は核兵器を神が許さないと信じているのです。人間を強く愛している神が核兵器のような残酷な兵器を許す筈がありません。キリスト教では「人を殺すな」と教えています。戦争を起こすことも神が許しません。
フランシスコ法王が核兵器廃絶を主張しているのはこのような信仰にもとづいているのです。
このためにフランシスコ法王の核兵器廃絶の主張は情熱的で力強いのです。

今日の挿し絵代わりの写真は都立薬草植物園の裏の雑木林で撮った黄葉の写真です。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。後藤和弘(藤山杜人)





「フランシスコ法王の日本での活動の動画配信」

2019年11月24日 | 日記
フランシスコ法王の日本での活動の動画配信の全ては、
https://popeinjapan2019.jp/assets/file/live_sch.pdf にあります。
この中から以下をお送りします。

長崎県営野球場での野外ミサの動画は、
https://www.youtube.com/watch?v=5ZcxoOlrsbY にあります。

長崎26聖人への表敬とメッセージは、
https://www.youtube.com/watch?v=vTc2sAiMOA8 にあります。
いずれもカトリック中央協議会が配信しています。

二十六聖人の氏名

(以下、二十六聖人記念碑の右側から順に列挙)
フランシスコ吉(きち)
日本人大工。フランシスコ会員の世話をするため、一行に付き添い、道中で捕縛された。
コスメ竹屋
日本人、38歳。大坂で捕縛される。
ペトロ助四郎(またはペドロ助四郎)
日本人、イエズス会員の世話をするため一行に付き添い、道中で捕縛された。
ミカエル小崎(またはミゲル小崎)
日本人、46歳。京都で捕縛。トマス小崎の父。
ディエゴ喜斎(時に、ヤコボ喜斎、市川喜佐衛門、備前屋喜左衛門とも称す)
日本人、64歳。大坂で捕縛。行商者として上阪し商家に奉公した後、イエズス会員として祭壇係および門衛(接待係)に就く。備前国岡山藩津高郡馬屋郷芳賀村(現在の岡山県岡山市北区芳賀)出身。
パウロ三木
日本人、33歳。大坂で捕縛。イエズス会員。
パウロ茨木
日本人、54歳。京都で捕縛。レオ烏丸の兄。
五島のヨハネ草庵(スペイン語版)(またはヨハネ五島)
日本人、19歳。大坂で捕縛、イエズス会員。
ルドビコ茨木
日本人、12歳で最年少。京都で捕縛。パウロ茨木、レオ烏丸の甥。
長崎のアントニオ(英語版)
日本人、13歳。京都で捕縛。父は中国人、母は日本人。
ペトロ・バウチスタ(イタリア語版)(またはペドロ・バプチスタ、ペドロ・バウティスタ)
スペイン人、48歳。京都で捕縛。フランシスコ会司祭。
マルチノ・デ・ラ・アセンシオン(スペイン語版)
スペイン人、30歳。大坂で捕縛。フランシスコ会司祭。
フェリペ・デ・ヘスス(スペイン語版、ポルトガル語版、英語版)(またはフィリッポ・デ・ヘスス、本名・フェリペ・デ・ラス・カサス[9])
メキシコ人、24歳。京都で捕縛。フランシスコ会修道士。メキシコの初聖人(列聖順)。
ゴンザロ・ガルシア(ポルトガル語版、スペイン語版、英語版)
ポルトガル人、40歳。京都で捕縛。フランシスコ会修道士。
フランシスコ・ブランコ(ガリシア語版、英語版)
スペイン人、28歳。京都で捕縛。フランシスコ会司祭。
フランシスコ・デ・サン・ミゲル
スペイン人、53歳。京都で捕縛。フランシスコ会修道士。
マチアス
日本人、京都で捕縛。本来逮捕者のリストになかったが、洗礼名が同じというだけで捕縛。
レオ烏丸
日本人、48歳。京都で捕縛。パウロ茨木の弟。ルドビコ茨木のおじ。
ボナベントゥラ
日本人、京都で捕縛。
トマス小崎
日本人、14歳。大坂で捕縛。ミカエル小崎の子。
ヨアキム榊原(またはホアキン榊原)
日本人、40歳。大坂で捕縛。
医者のフランシスコ(またはフランシスコ医師)
日本人、46歳。京都で捕縛。
トマス談義者
日本人、36歳。京都で捕縛。
絹屋のヨハネ
日本人、28歳。京都で捕縛。
ガブリエル
日本人、19歳。京都で捕縛。
パウロ鈴木
日本人、49歳。京都で捕縛。

私の反省と多摩御陵参道のケヤキの喬木の紅葉

2019年11月23日 | 写真
最近私が反省していることがあります。
インターネットへ投稿する自分の記事は客観的で公平な見方で書くべきだと考えています。ところが最近は、昨夕日本に来たローマ法王フランシスコさまに関する記事ばかり掲載しています。
自分がカトリックなのでつい強い関心があるから何度も書いてしまいます。しかしこの態度は客観的で公平な態度ではありません。日本のカトリック信者は44万人、人口の0.3%しか居ないのです。
最近の私の記事はわずかに人口の0.3%の人しか関心の無いものなのでしょう。まったく偏った記事なのです。
その事を私は反省しています。
そこで今日は皆様が楽しんで頂けるように美しい紅葉の風景写真をお送りいたします。
八王子市の西のはずれで甲州街道から北に曲がったところに多摩御陵の参道があります。その参道には高いケヤキの喬木が並木になっています。
毎年11月下旬になると見事に紅葉します。喬木の並木が一斉に紅葉する風景は珍しいので何十年も写真を撮りに行ってます。今年も先日の晴天の日に写真を撮って来ました。
その風景写真を5枚お送りいたします。









多摩御陵のケヤキの喬木の紅葉の写真を撮るといよいよ師走になります。クリスマスとお正月のシーズンに変わるのです。
今年もいろいろな紅葉の風景を写真に撮りました。富士山5合目までのスバルラインの紅葉、甲斐駒岳の山麓の紅葉、八ヶ岳山麓の小淵沢リゾート地の紅葉、日本一美しい村、原村の紅葉、そして小金井公園の紅葉風景などです。

美しい花々やいろいろな場所の紅葉の写真を沢山撮るのが私の趣味です。そして沢山の写真の中から出来の良い写真を選んでトリミングします。色彩は変えませんが明暗は調整します。そんな作業に時間を費やすもの老境の楽しみです。
そして皆様に写真を楽しんで頂けるのが何よりも嬉しいのです。
どうぞこれからもお付き合いのほどをお願い申し上げます。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

世界一礼儀正しいタイの人々

2019年11月23日 | 写真
タイ王国は佛教暦を使っている純粋な仏教国です。世界一礼儀正しい人々が住んでいる国です。
3枚の写真をお送りします。写真はフランシスコ法王に敬意を表示する練習の光景です。法王のタイ訪問を前に、首都バンコクにある女学校の校庭でリハーサルをする学生たちです。この2019年11月13日撮影の写真の出典は、
https://www.msn.com/ja-jp/news/world/【今日の1枚】法王に敬意を表して-タイ/ar-BBX13JS です。





ローマ法王フランシスコさんの人間らしさを示すエピソード

2019年11月23日 | 日記・エッセイ・コラム
今日の夕方来日するローマ法王フランシスコさんは気さくで親しみやすい人です。人間的な方です。
今日はその人間らしさを示すエピソードを一つご紹介致します。これまでのローマ法王は絶対にしなかったことを実行し世界中のカトリック信者を驚かせたのです。
それは堕ちた神父たちに会い彼等の苦悩に心を寄せたのです。
堕ちた神父たちとは生涯独身の誓いを破り結婚した神父達のことです。当然彼等は聖職を辞め信者達から白い目で見られます。人生の途中で聖職を挫折したのです。
そのような元神父達に暖かい愛の眼差しを向けているのです。
以下は法王フランシスコさんが堕ちた7人の神父たちと会見した時の記事の抜粋です。

1番目の写真は子供をフランシスコ法王に紹介する元神父と妻の写真です。
この写真を保守派のバチカン放送は「不都合な写真」として報道しました。保守派は法王がそんな事をしてはいけないと言っているのです。
以下は、http://agora-web.jp/archives/2022670.html らの抜粋です。
フランシスコ法王は2016年11月11日、教会の聖職を断念し、結婚した若い元神父たちを訪ねたのです。
法王は同日正午、ローマ近郊の一軒の住居で7人の元神父たちの家族と会いました。
7人はローマ・カトリック教会の神父でしたが聖職者の道を諦め結婚したのです。

そんな彼等に法王は暖かい手を差し伸ばしたのです。
従来は独身制を破り家庭をもった元神父たちは教会から「堕ちた神父」と受け取られ、周辺の人々から冷たくみれてきたのです。
バチカン放送によると彼らは孤独と無理解に遭遇し「神父となったのは間違った決定だった」という思いで聖職を断念したのです。

聖職を断念するまでの元神父の内的葛藤は理解出来ます。
神の召命と信じて神父の道を歩み出した人間にとって、如何なる理由からにせよ、それを断念することは大変なことです。
フランシスコ法王さまは彼らの苦しみを理解し同情したのです。
しかし自分の娘をフランシスコ法王さまに見せる若い元神父の姿は幸せそうです。これこそ神の救いなのです。神の大きな愛なのです。
元神父たちに慈愛の手を差し伸べるローマ法王さまは本当に暖かい人間性豊かな方です。
世界には聖職を断念し、結婚した元神父たちが数万人いるといわれます。彼等もまたローマ法王さまの愛の力に感銘を受けたに違いありません

そう言えば私が行っているカトリック小金井教会にも神学生を辞めて結婚した人がいました。私は「それも人生だよ」と思い、別に白い目では見ませんでした。
そんなこともあったのでフランシスコ法王さまの人間性が身に沁みて感銘を受けるのです。

皆様そんな人間性豊かなフランシスコ法王さまを暖かいお気持ちでお迎えください。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

「ローマ法王 バンコクでミサ、 弱い立場の人への支援を呼びかけ」

2019年11月22日 | 写真
日本への訪問を前にタイを訪れているローマ・カトリック教会のフランシスコ法王は21日夜、首都バンコクの国立競技場でミサを行い、強制的に働かせられたり売春させられたりする女性や子どもなど弱い立場に置かれている人たちへの支援を呼びかけました。
フランシスコ法王はローマ法王としては35年ぶりにタイを訪れていて、21日夜は首都バンコクにある国立競技場でミサを行いました。

タイのカトリック教会の信者は人口の1%未満ですが、当局によりますと、参加者は付近の施設も合わせておよそ6万人に上りました。
(2019年11月22日 7時34分)
(https://www3.nhk.or.jp/news/html/20191122/k10012186421000.html )

動画です;https://video.mainichi.jp/detail/videos/新着/video/6107345246001?autoStart=true&fbclid=IwAR3K4yEsh9uJQ2eUEaY7VZ48Q





「55年間、同じ公園の紅葉を見て、社会の変化に溜息をつく」

2019年11月22日 | 日記・エッセイ・コラム
自分のことを書いて恐縮ですが、私共は東京オリンピックの1964年に都下小金井市に質素な家を作り住みつきました。もう52年になります。この家が終の棲家となりそうです。
小金井に来てから四季折々家族や友人たちと訪ねて遊びました。
花見、クワガタやカブトムシ探し、月見の茶会、雪合戦や雪ダルマ造りなどなど。
そして、毎年、晩秋になると都立小金井公園の樹木の紅葉を眺めて来ました。
広い公園にある樹々が紅葉し、葉が散り始める光景には寂寥感が感じられるものです。緑豊かだった夏が去り寒々とした風が落ち葉を巻き上げています。嗚呼、全てが死に絶える冬がやって来るのだと感じるのです。
そして両親や親類、恩人や友人の死を連想して、なんとなく溜息をつくのです。

想うのは個人的な悲しい別れだけではありません。戦前生まれ、戦後育ちの私にはどうしても戦後の大きな社会の変化が忘れられないのです。苦しい時代の数々のことが脈絡も無く思い出すのです。
昨日の午後も小金井公園に行きました。写真で示したような巨木の紅葉を眺めながら何時ものようにいろいろなことを思い出して深い溜息をついてきました。それにしても55年間で樹々の幹も太くなり樹高も2倍以上になりました。
思い出すことは沢山ありますが、あまりにも脈絡がありません。そこで帰宅してから年代順に調べてみました。
下は戦後の日本で起きたおもな出来事です。どうぞゆっくりご覧になって下さい。
例えば1972年(昭和47年)の2月3日に札幌オリンピック開催された頃のことは憶えていらっしゃるでしょうか?
1989年(平成元年)の頃、貴方はどのような生活をしていたでしょうか?
そんなことを想いながら以下の年表をご覧ください。

1945年(昭和20年)
8月14日 ポツダム宣言受諾。
8月15日 正午(日本時間。グリニッジ標準時午前3時) 玉音放送でポツダム宣言受諾が国民に公表される。
9月2日 戦艦ミズーリ艦上において降伏文書に調印(日本の降伏)。

1946年(昭和21年)
1月1日 昭和天皇の人間宣言。
11月3日 日本国憲法公布。
1947年(昭和22年)5月3日 日本国憲法施行。
1949年(昭和24年) ドッジ・ライン(安定恐慌)。
1950年(昭和25年) 朝鮮戦争(朝鮮特需)。
1951年(昭和26年)9月8日 日本国との平和条約(サンフランシスコ講和条約)、日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約(旧安保)調印。

1952年(昭和27年)4月28日 日本国との平和条約発効、日本の主権回復。
1954年(昭和29年)
3月1日 ビキニ環礁で水爆実験(キャッスル作戦)、第五福竜丸の乗組員が被曝する。
7月1日 自衛隊(陸上自衛隊・海上自衛隊・航空自衛隊)設立。防衛庁(現在の防衛省)設置。
この年から、神武景気が始まる。
1955年(昭和30年)
10月13日 社会党の右派と左派が再統一され、日本社会党が成立。
11月15日 保守合同により自由党と日本民主党が合併し、自由民主党が成立(「55年体制」の始まり)。

1956年(昭和31年)
10月16日 日ソ共同宣言調印。
12月18日 国際連合加盟。
『経済白書』で「もはや戦後ではない」という言葉が使われる。
1957年(昭和32年) なべ底不況。
1958年(昭和33年) 岩戸景気。
1960年(昭和35年)6月19日 日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約(新安保)調印。
1962年(昭和37年)から、オリンピック景気が始まる。

1964年(昭和39年)
10月1日 東海道新幹線開通。
10月10日 - 10月24日 東京オリンピック開催。
1965年(昭和40年)6月22日 日韓基本条約を締結。
この年から、いざなぎ景気が始まる。
1966年(昭和41年) 日本の総人口が1億人を突破。
1970年(昭和45年)3月14日 - 9月13日 日本万国博覧会開催。
1971年(昭和46年) ニクソン・ショック。

1972年(昭和47年)
2月3日 - 2月13日 札幌オリンピック開催。
5月15日 沖縄返還。
9月29日 日中共同声明調印。
1973年(昭和48年) 第一次オイルショック。
1976年(昭和51年) ロッキード事件。
1978年(昭和53年)8月12日 日中友好条約調印。
1979年(昭和54年) 第二次オイルショック。
1982年(昭和57年)11月27日 中曽根康弘が「戦後政治の総決算」を掲げ第72代内閣総理大臣に就任。

1985年(昭和60年)
4月1日 日本電信電話公社・日本専売公社が民営化、日本電信電話(NTT)・日本たばこ産業(JT)の発足。
1986年(昭和61年)から、バブル景気(平成景気)が始まる。

1987年(昭和62年)
4月1日 国鉄分割民営化。JRグループの発足。
1988年(昭和63年) リクルート事件。
1989年(昭和64年)1月7日 昭和天皇、崩御。

平成
1989年(平成元年)1月8日 皇太子明仁親王、天皇に即位。元号が平成に改められる。
1991年(平成3年)
6月5日 - 9月11日 初の自衛隊海外派遣(海上自衛隊のペルシャ湾派遣)。
12月25日 ソ連崩壊。
この年から、バブル崩壊(失われた20年)が始まる。

1993年(平成5年)8月9日 細川内閣成立により55年体制崩壊。
1995年(平成7年) 戦後50年
1月17日 阪神・淡路大震災発生。
3月20日 地下鉄サリン事件発生。
8月15日 村山内閣総理大臣談話「戦後50周年の終戦記念日にあたって」。

1998年(平成10年)2月7日 - 2月22日 長野オリンピック開催。
2000年(平成12年) ITバブル崩壊。
2002年(平成14年)5月31日 - 6月30日 サッカーワールドカップを大韓民国と日本が共催。
2005年(平成17年) 戦後60年。日本の総人口の減少が始まる。

2006年(平成18年)
9月26日 「戦後レジームからの脱却」を公約に掲げた安倍晋三が、自由民主党総裁及び第90代内閣総理大臣に就任(初の戦後生まれの総理大臣となる)。

2007年(平成19年)
1月9日 防衛庁が防衛省に移行。
5月14日 日本国憲法の改正手続に関する法律成立(5月18日公布)。
2008年(平成20年) 世界金融危機(リーマン・ショック)。
2009年(平成21年)9月16日 鳩山由紀夫内閣が発足(民主党による本格的政権交代が実現)。
2011年(平成23年)3月11日 東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)・福島第一原発事故発生。

しかし、それにしてもいろいろな事があったのですね。
皆様は紅葉の風景をご覧になって何を想うでしょうか?
昨日、撮ってきた小金井公園の紅葉の写真をお楽しみ頂けたら嬉しく思います。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)









タイ王国で佛教寺院を訪問したフランシスコ教皇の写真

2019年11月21日 | 写真
タイ王国を訪問中のフランシスコ教皇は仏教寺院を訪問してタイ佛教の代表者と懇談しました。
なお3枚目の写真はタイで通訳をしいるフランシスコ教皇の「またいとこ」のシスターと一緒の写真です。





「今年も南米原産の皇帝ダリアが咲きました」

2019年11月21日 | 写真
毎年、11月中旬になると小金井公園の皇帝ダリヤが大きな花弁を広げて満開になります。
南米原産の豪華な雰囲気を持ったダリアの一群です。背丈が5mくらいで花の直径も25cm位です。 南米大陸の原野に咲くダリアの一種です。
これが咲くと、嗚呼、今年の華やかな花々も全て終ったと、しばし過ぎ去った花々を思い出します。
先程、小金井公園へ行って今年の皇帝ダリアの写真を撮って来ました。
それにしても皇帝ダリアは地球の裏側から遥々日本へやって来て、毎年咲いてくれることに感動します。