後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「1653年からの歴史のある小金井橋の写真を撮りに行く」

2024年02月29日 | 写真
小金井橋は玉川上水が出来た1653年にかけられました。やがて玉川上水の土手の桜が小金井桜として有名になると江戸から見物客がたくさん来るようになりました。歌川広重らの絵師が小金井桜を描いて一層有名になります。その後、小金井橋は何度か架け替えられ現在の鉄筋コンクリート造りになりまた。
午後に小金井橋の写真を撮りに行って来ました。
 

「北海道の水芭蕉の思い出」

2024年02月29日 | 日記・エッセイ・コラム
2003年の北海道への旅で水芭蕉が一面に咲いている湿地帯に偶然迷い込みました。それは 網走湖の湿地帯で鮮やかな緑の葉の中に真っ白い水芭蕉の花(苞)が一面に開いていていたのです。国道から呼人半島の付け根の方向へ少し入った雑木林の下に広がる湿地帯に一面に咲いていました。家内が喜んで湿地帯に中を歩きながら水芭蕉の白い花を眺めていた姿を思い出します。
そんな網走湖の湿地帯と水芭蕉の花の写真をお送り致します。

 

「ツクシが懐かしい、そして水芭蕉に憧れる」

2024年02月29日 | 写真
もう遥か昔の春の野原で摘んだツクシを懐かしく思い出します。
春の野でツクシを沢山摘んだ時はハカマを取ってオヒタシにして食べたこともありました。
そして若い頃に尾瀬の 水芭蕉の歌が流行っていました。水芭蕉の花は見たことが無かったので憧れの花でした。尾瀬のミズバショウは有名 でした。その水芭蕉は近くの箱根にもあったのです。箱根の湿生植物園に咲いているのです。
今日は懐かしいツクシと水芭蕉について書きたいと思います。
さてツクシは不思議な植物です。そばにはスギノコすなわちスギナという変な草も生えていました。
調べたら、https://biome.co.jp/biome_blog_162/ に詳しい説明がありました。
スギナ はシダ植物でトクサ綱トクサ目トクサ科の植物です。
シダ植物は胞子茎(ツクシ)を作って胞子をばら撒き、その胞子から発芽した配偶体がスギナなのです。
そうしてツクシとスギナは同じ場所にそれぞれ独立して成長します。ですからツクシとスギナは別々に生えているのです。ツクシはスギナの子なのです。
ツクシとスギナの写真を示します。
1番目の写真は野原にあるツクシです。
2番目の写真はツクシのそばにあるスギナです。
さて水芭蕉の花は尾瀬の他に北海道の網走湖のそばの湿地の一面に咲いています。それは感動的な光景でした。特に家内が感動していました。
もう一つは箱根の湿生植物花園の水芭蕉です。仙石原の雄大な景観と湿生植物花園の水芭蕉の花の風景に魅せられて何度も訪れました。

3番目の写真は湿生植物花園の水芭蕉の花の写真です。出典は、https://hakone-shisseikaen.com/flower_spring/ です
4番目の写真もミズバショウの花です。
さて箱根湿生花園には山の湿地に咲くいろいろ珍しい花が咲いています。
仙石原のススキ原の下に広がる湿地帯の昔の植生を再現しています。派手な花々はありませんが日本古来のささやかな花々が何気なく咲いて居ます。幅の広い木道が何処までも続いています。
2011年09月3日に訪れた時に家内が写した写真をお送りいたします。

5番目の写真は野生のノハナショウブです。

6番目の写真はシャクナゲ石楠の花です。

7番目の写真はヒマラヤ原産の青いケシの花です。阿片は採れません。

8番目の写真はアミメヘイシソウです。仙石原の在来種ではありません。アミメヘイシソウ はサラセニア属の食虫植物の1種で、捕虫葉の先端部分に紅白の網目模様が入り、美しい花です。

9番目の写真はいろいろなニホンサクラソウの園芸種の写真です。こんなにも数多くのサクラソウがあるのですね。それぞれ優雅な名がついていました。
仙石原には四季折々いろいろな花が咲いています。訪れる季節に咲いている花々は湿生植物花園のHP、https://hakone-shisseikaen.com/flower_spring/ に掲載されています。このHPをご覧になって是非一度訪れてみて下さい。

今日は懐かしいツクシと水芭蕉の花をご紹介いたしました。ついでにノハナショウブ、シャクナゲ、ケシの花、いろいろなサクラソウをご紹介いたしました。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人) 

「ぞして全国200市町村の空襲による焼け野原を忘れない!」

2024年02月28日 | ブログ
太平洋戦争の犠牲者です。
日本の300万人におよぶ犠牲者、そしてアジアの2千万人とも言われている犠牲者を忘れられません。
その上、ヨーロッパ戦線で何千万人の犠牲者もでました。人類史上で初めての一番大規模で悲惨な戦争でした。
あれから茫々79年。人々は決して悲劇の数々を忘れません。
写真は焼野原の仙台の写真です。
 

「戦前の暗い時代の東京、平和の有難さ」

2024年02月28日 | 写真
人間は忘れますが、時々は暗い時代を思い出して平和を守る決意をします。
暗い時代の東京の写真をお送り致します。写真は、「戦前の東京の写真」を検索してインターネットにある写真からお借りしました。
 

「奉安殿と 教育勅語の思い出」

2024年02月28日 | 日記・エッセイ・コラム
戦前の小学校の校庭には奉安殿がありました。昭和天皇の写真と教育勅語がしまってありました。私が卒業した仙台市向山小学校の校庭にもありました。しかし日本の敗戦後完全に撤去され消えてしまいまそた。
奉安殿や教育勅語が懐かしいので今日は奉安殿と 教育勅語の思い出を書いてみたいと思います。
 学校で最も神聖な場所として最大の敬意と細心の注意が払われていたのです。
戦前の小学校には必ず「御真影」が下賜されていました。 
奉安殿の写真を示します。




「教育勅語」は、明治22年に出されました。教育の基本方針と国民道徳の基準を示した明治天皇」の言葉です。 
朕󠄂チン惟オモフニ我ワカ皇クワウ祖ソ皇クワウ宗ソウ國クニヲ肇󠄁ハジムルコト宏クワウ遠󠄁ヱンニ德トクヲ樹タツルコト深シン厚コウナリ我ワカ臣シン民ミン克ヨク忠チユウニ克ヨク孝カウニ億オク兆テウ心コヽロヲ一イツニシテ世ヨ世ヨ厥ソノ美ビヲ濟ナセルハ此コレ我ワカ國コク體タイノ精󠄀セイ華クワニシテ敎ケウ育イクノ淵エン源ゲン・・・後略
御名御璽 

勅語の訳
朕がおもふに、我が御祖先の方々が国をお肇はじめになったことは極めて広遠であり、徳をお立てになったことは極めて深く厚くあらせられ、又、我が臣民はよく忠にはげみよく孝をつくし、国中のすべての者が皆心を一にして代々美風をつくりあげて来た。これは我が国柄の精髄であって、教育の基づくところもまた実にこゝにある。・・・後略

そして戦前の小学校では紀元節や天長節の時この「教育勅語」が原文のまま朗読されたのです。原文は小学生にとってはチンプンカンブンで理解出来ませんでした。
ただチン思うに我がこうそこうそ。ぎょめいごじと暗唱して遊びまわりました。

そのうえ小学校の各教室の前たかく御真影の写真が掲げてあったのです。授業の前に生徒は起立して最敬礼をしたのです。

4番目の写真は昭和天皇・皇后の御真影です。

奉安殿や教育勅語が懐かしいです。
今日は奉安電と 教育勅語の思い出を書いてみました。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

「つるし雛の写真」

2024年02月27日 | 写真
つるし雛とは、3月3日のひな祭りの時、お雛様の脇にお人形を吊るす風習です。
江戸時代から伝わるお飾りで、おばあちゃん、お母さんがこどもの幸せや成長を祈りながら、ひとつひとつ縫い上げた日本古来の人形伝統文化なのです。

つるし雛の風習は江戸時代から各地に伝わってきましたが、代表的なものとして、
・伊豆稲取の『つるし飾り』
・山形県酒田市の『傘福』
・福岡県柳川市の『さげもん』。
この3つの地域が特に有名です。

https://www.tougyoku.com/hina-ningyou/column/hina-kazari/hina-kazari-tsurushi-hina/ に続きます。
 

「山梨県一宮町の桃畑のご紹介」

2024年02月27日 | 写真
桃畠が一面に広がっている山梨県一宮町をご紹介いたします。
見ごろは4月10日前後と現地の人が言っていました。山の斜面ではなく甲府と同じ標高の平地の桃畠は開花します。

東京から行って、桃畠を楽しむ場合のコツは、中央高速道路の勝沼ICを出て甲州街道に入り一番目の交差点を左折、御坂方面へ少しはしり、適当なところで右折し桃畠の中の細い舗装道路(公道)に入ります。

その後は根気よく縦横にゆっくり走りながら一面に満開の桃畠を探すことです。開花状況が畠の位置、日当たり、風向きなどで違いますので時間をかけてのんびり探しましょう。

あまり遅く行くと摘花(花の間引き)されて淋しい花見になりますので要注意です。

撮影場所:中央高速道路、釈迦堂サービスエイリアの外に出た地点。釈迦堂博物館の付近です。撮影日時:2008年4月4日午前9時頃。


「韓国の韓さんと慶州のお寺の思い出」

2024年02月26日 | 写真
日本の技術援助で韓国南東地域の浦項に近代製鉄所が出来た。技術研究所の所長は、以前東京大学にいた金鉄祐氏であった。その金鉄祐氏に招待されて講義に行った。1985年のころでした。
観光のために、慶州の寺をいくつも案内してくれたのは技師の韓さん。慶州周辺の山々には多くのお寺があり、韓国人の観光客が登り下りをしていた。お寺は山の中腹に本堂を置き、その屋根瓦の稜線は山の稜線と調和したなだらかな曲線を描いている。山全体がお寺になっている。
瓦屋根のなだらかな曲線は「釈迦の慈悲」を象徴しているようで、参拝する人々の表情を優しげにしてくれてい
お寺の前に看板があります。
「韓さん、この看板は何ですか?」「十六世紀、日本の秀吉の軍隊が朝鮮半島を侵略したとき、このお寺は秀吉軍に完全に焼かれてしまった。その後再建したものが現在のお寺であると書いてあるのです」「きょう回った六つのお寺には全部この看板があったが?」「そうです。秀吉軍に全部焼かれたのです」「そんなに徹底的に焼いたのですか?」「慶州だけでなく朝鮮の全域の寺が焼かれました。当時の朝鮮の軍隊は寺を宿舎にして、そこから出陣していました。だから、秀吉軍は徹底して焼いたのだと思います」
韓さんは柔和に話し続ける。「日本の方は朝鮮合併だけを覚えていますが、秀吉の時代から韓国はひどい目にあっているのですよ」。

写真は慶州のお寺の風景です。
https://japanese.visitkorea.or.kr/svc/whereToGo/locIntrdn/locIntrdnList.do?vcontsId=110951&menuSn=351

「キリスト教の信徒の立場から佛教を見ると、」

2024年02月25日 | 日記・エッセイ・コラム
今日は日曜日です。日曜日には宗教に関する雑談を少し書くことにしています。
私はカトリック教会の信徒です。その信徒の立場から日本の仏教を見るとどのように感じられるかを簡単に書いてみようと思います。
ご承知のように、キリスト教は2000年前に中近東の現在のイスラエルのベツレヘムで大工の息子として生まれたイエスが伝えた教えです。
イエスはユダヤ人でしたから当然ユダヤ教徒でした。その彼が戒律だけを大切にするユダヤ教の律法主義を打破して、神の愛を強調した考えを提唱しました。
神は全ての人間を愛しているのです。職業の貴賎や国籍に関係なく神を大切の思い、愛している人々を平等に一人残らず愛してくれると教えたのです。下賎な職業の人々も神を愛すれば救われるのです。世界中の人々が救われるのです。
これは、民族宗教のユダヤ教にとっては革命的な教えでした。
当時のエルサレムはローマ皇帝の占領地でした。ローマから派遣されたピラト提督が治めていました。
そんな政治的なこととは関係なくイエスの教えは世界中の人々が救われるのでギリシャやローマやエジプトに奔流のように広まって行ったのです。
そのキリストの教えは新約聖書にじつに分かり易く書いてあります。新約聖書はイエスの教えを弟子達が描いた書物なのです。
キリスト教では旧約聖書も大切にしますが、同じように新約聖書も非常に重要です。
イエスが教えたことを信者は直接信じ、イエスを身近に感じています。イエスの説いた神の愛と、人が神を愛することの大切さを信じています。
ですからキリスト教には神とイエスと自分の3者だけが重要になってきます。
このような考えを持って仏教をみるといろいろ戸惑うことが多いものです。
分かり易い例は仏教には釈迦以外に観音菩薩や薬師如来や大日如来などのいろいろな仏像があって、お寺のご本尊として信徒が拝んでいることです。したがって多くの寺には釈迦如来が祀ってないのです。これでは釈迦が何処にいるのか迷ってしまいます。
皮相的に見ると仏教は多神教ではないかと見えてしまうのです。
釈迦は神が此の世へ送ったのではないのです。
仏教は私にとっては多神教的に見えて分かり難いのです。日本にあるという7万以上のお寺のご本尊はそれぞれ違います。仏教徒はそのご本尊を拝んでいるのです。
しかし私はご本尊の奥には釈迦が厳然と座っていると信じています。

今日の挿し絵代わりの写真はイエスを生んだマリアとイエスの誕生の場面を描いた宗教画です。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)



「早春の武蔵野の湧き水を集めた小川と池の写真を撮って来た」

2024年02月24日 | 写真
武蔵野は所々に崖があります。崖の下には泉があって清らかな湧き水が出ています。
小金井市の貫井弁天神社は湧き水の前に建てられています。あたかも湧き水がご本体のようです。
私も清らかな湧き水へ祈りながら写真を撮って来ました。

1番目の写真は武蔵野の湧き水を集めて流れる小川です。この小川の名前は野川といいます。多摩川へ流れ下っています。

2番目の写真は武蔵野の崖の下の泉です。こういう泉がたくさんあって野川へ水を供給しているのです。

3番目の写真は崖下の泉の水を集めて出来た池です。野川の水源の一つです。

4番目の写真は小金井市の貫井弁天神社です。湧き水の前に建てられていて、あたかも湧き水がご本体のようです。

「中国の宿遷市の春の花園の写真」

2024年02月24日 | 写真
中国江蘇省の北部にある宿遷(しゅくせん)市は秦代末期に劉邦と天下を争った項羽(こうう)の出身地です。また有名な白酒の「洋河」と「双沟(しゃんご)」が生まれた地でもあります。
そこの花園があまりにも華麗なので、その写真をお送り致します。出典は、https://rtrp.jp/articles/130520/ です。