後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

情熱の内藤、テクニカルな亀田にWBCフライ級タイトルを取られる

2009年11月30日 | インポート

内藤が好きだったので勝って貰いたかった。しかし幾ら相手を倒そうという情熱があっても冷静にテクニカルなボクシングをする亀田には大差で判定負けをした。昨夜の世界タイトルマッチWBCフライ級の試合の話です。王者、内藤は35歳、挑戦者の亀田は23歳の新鋭。内藤は優しい性格で評判が良い。亀田は憎まれっ子役である。

ゴングが鳴って3回まで行った時、私は内藤の負けを予感した。大きく腕を振り回し走りまわって攻める内藤のボディーもフックも入らないのだ。一方、亀田は無駄な動きをせず内藤の動きを良く見据えている。時々出す強打が内藤を捉える。亀田の方が12歳も若いのにオーソドックスなボクシングをしている。その上スパーリングを十分し、良く仕上がっている。疲れを見せない。悔しいが内藤の負けだ。ラウンドを重ねるに従って審判員3人の合計点数の差が大きくなり、内藤の負け。勝負の世界は厳しいと思う。

私は生まれつき運動神経が悪くてスポーツが嫌いでした。学校の運動会は毎回悲しい思いをしたものです。ところが結婚した相手の一家はスポーツ好きの一家でした。

家内の父は学生時代は短距離選手でハイジャンプや幅跳びもしたそうです。ジャンアンツフアンで家内も息子も孫もジャイアンツファンです。その義父が私をボクシングへ連れていってくれて、そのスポーツの見方を教えてくれました。

正統的で、テクニカルなボクシングをする選手が結局は強くなるとしきりに言っていたのです。義父は10年以上前に亡くなりましたが、この言葉は忘れられません。テレビでボクシングを見るときは、オーソドックスでテクニカルなボクサーであるか否かと考えながら見るのです。そうすると運動音痴の私にも楽しめるのです。

皆様は昨日の内藤・亀田のタイトルマッチはどのような感想でしたでしょうか?


鳩山総理の優柔不断ぶりを非難する

2009年11月30日 | 日記・エッセイ・コラム

民主党が政権を取ったことは大変嬉しい。前原国土交通大臣も岡田外務大臣もよく彼方此方へ出張し、額に汗して働いている。言うことも鮮明で説明能力もある。感心している。

ところが対照的に優柔不断ぶりが酷いのが鳩山総理である。外国へ幾つも行ったのは良いが説明能力が不足していて迫力に欠けていている。一番いけないのは普天間基地の移転に関する決定をを理由も言わずに延期していることである。延期するのは決して悪いのではなく、何故決定を延期するのか理由を明確に説明していなのが悪いのだ。自分でも理由が分かっていなくて、単にアメリカへ立てついて、一部の国民から喝采を浴びようとしているだけに見える。

私はアメリカにたて突くことも重要な場合が有ると思う。しかし何故そうするか?その論理的説明をしなければ先方も単なる意地悪をされたと思い、悪感情を持つだけである。外交問題に感情問題は禁物である。

自民党の作った普天間移転計画の何処が、どのように具合が悪いのか指摘すべきである。この頃、鳩山総理の優柔不断ぶりがリーダーシップの欠如と思えるようになって来た。母親から9億円も貰って政治資金にしていたのだ。変な企業から賄賂的な政治献金を受けるより清潔と言える。しかし、あの年になって母親の援助を受けているのだ。お坊ちゃんだから優柔不断で、すべてもの事が自分で決定出来ないのかも知れない。寒心に堪えないの私だけであろぅか?皆様のご意見をお聞きしたいものだ。(コメントを待ちしています)」


セイリングの趣味とヨットの構造

2009年11月30日 | 日記・エッセイ・コラム

ヨットは風の力だけで四方八方自由に走りまわれます。風に向かって走れることは体験しないとなかなか理解出来ないことです。風上に向かって45度方向へ昇れます。ですから、数回、ジグザグに昇れば、結果として風に向かって直角に昇ったことになるのです。15世紀頃この技術を持っていたスペインやポルトガルはヨットを大きくし、大洋を渡れる帆船を作りました。世界の海を渡って多くの植民地を作ったのです。その鍵は「風上へ昇れる性能」でした。下の写真は右側から吹いてくる風に向かって走っているヨットの写真です。

Dscn4150

ヨットは左から右へと走りながら、前方45度の右方向から風を受けます。従って、左側へ大きく傾きながら走るのです。上の写真はその様子です。傾いていますが、風に向かって走る場合の正常な傾き方です。風に向かって走る。ただそれだけで心浮き浮きになります。それだけで楽しくなります。これがセイリングの趣味です。風下へ降りるのは、あまり楽しくはないのです。しかしそうしないと港へ帰れない時は仕方が有りません。

風に向かって走れるのはヨットの構造が良く考えて賢く出来ているからです。500年間位の年月のヨーロッパ人の知恵の結晶が詰まっているのがクルーザーヨットの構造です。セーリングする度にヨーロッパ人の知恵の深さに感動します。そして家人がいつも感心するのはその美しさです。”用と美”のバランスが素晴らしい。のだそうです。

風に向かって昇るためには2つの構造上の秘密があります。マストの前後に三角形の帆を2枚揚げます。2枚とも風で少し膨らませると、前方へ吸いつける力が生じます。流体のベルヌーイの定理にしたがって生じる力です。2枚の帆が三角形であることが鍵です。四角形の帆は何枚揚げても前方へ吸いつける力は生じません。

2つ目の鍵は船底に大きな鉄板製のキールをとりつけることです。横流れを防止する目的と、船の重心を極端に下にして、起き上がりこぶし のように船の転覆を防いでいます。

日本の江戸時代の北前船にはこの2つの鍵となる構造が無かったのです。この違いは天気予報の無かった時代には生死を分ける決定的な差異でした。

クルーザーヨットには滑車が多く付いていて小さな力でも大きな帆を操ることが出来ます。ロープを止める金具も巧妙に作ってあります。舵は絶対に壊れないように出来ていて、人力で軽く回せるようにテコの原理が用いてあります。船の方向を見る磁石の針と円形の文字板は常に水平になるように球体を2個組み合わせて支えて、取りつけてあります。キャビンに中には炊事用の2口コンロや流し、そして食器棚や海図テーブルも付いています。寝室用のスペースがあり、水洗トイレもあります。何日も海の上に居ても生活が出来るように必要なものがコンパクトに組み込んであります。組み込み方が巧妙で知恵の集積のお陰であると感じます。

このように良く出来あがった船に乗っていると人間の知恵の深さがしみじみと分かり楽しいのです。単にセイリングの楽しさだけでないのです。それで必要もないのに港に係留した船に泊って楽しむのです。ヨットの趣味の楽しさを説明いたしました。中古ヨットは中古の車くらいの値段です。一度、この趣味を真剣にお考えになることをお勧め致します。(終り)


宗教に少しでも関心があったらニコライ堂の日曜礼拝を一度は見て下さい

2009年11月30日 | 日記・エッセイ・コラム

043

018 029 033

佛教でもキリスト教でも、とにかく宗教というものに少しでも関心のある方はお茶の水のニコライ堂の日曜礼拝を一度はご覧下さい。本を幾ら読んでも分からない宗教の本質的な部分が簡単に理解できます。

日曜礼拝のことを日本正教会では「聖体礼儀」と言います。きらびやかな聖職者の行列と美しい宗教音楽の極致のような混声合唱で神への崇拝を示しています。人間の神を敬う深さを儀式で示すとこのようになるのです。宗教の全てに普遍的な神への憐れみを願う儀式です。キリストの聖なる体の一部を(聖体)を頂くという儀式です。

日本正教の聖体礼儀は2000年前のキリストの生きていた頃のユダヤ教の礼拝式の形式を墨守してきたのです。新約聖書は始めはギリシャ語で書かれたのです。そのギリシャ語の原典に書いてある内容を忠実に教えています。キリスト教の正統的な宗派なので正教と言います。

この宗派はギリシャからビザンチンへそしてロシアへ伝わって、1855年函館へ上陸しました。日露戦争の時、ロシア本部から独立し、日本に根付いて日本正教会という宗教法人になりました。しかし教義と礼拝形式は2000年前の通り、一切の変更無しで、まったく同じなのです。宗教の本質の一つは「永遠に変わらない」という性質を含んでいます。そのことを礼拝式を実見して体験できるのです。

しかし、少しでも宗教に関心のある人はヨーロッパで起きた宗教改革のことを知っています。各国の近代化革命も共産主義革命も知っています。アメリカ流の自由と平等な民主主義も知っています。そのような極く普通の常識人がニコライ堂の日曜礼拝を見ると非常に大きなショックを受けるかも知れません。そこには聖職者と合唱隊と平信徒の恐ろしい差別があります。神に祈る儀式の大部分は聖職者だけがします。合唱がそれを助けます。平信徒は黙って祈るだけです。

昔、ロシアには貴族と農奴しか居ませんでした、と聞きます。農奴は文盲でしたから祈祷書は読めません。代わりに聖職者が全て読みます。そんな封建時代の圧政を連想させるのです。正直に言えば、見てはいけないものを見てしまったような暗然とした気分になりました。でも次の瞬間、気が付きました。それは自分の勘違いで、会堂全体にイエス様の笑顔が見えるようです。マリア様の優しい眼差しが見えます。壁に掛けた無数のイコンのマリア様は微笑んでいるのです。

儀式の見かけ上の荘厳さは人間の弱さの表れなのかも知れません。堅苦しい儀式が、実は自分の郷里の実家に帰った時のように寛いだものに感じられるのです。

普通の日本人がニコライ堂の日曜礼拝をみるとき一番重要なことは、儀式の豪華さや厳粛さの中に漂う「マリア様の優しさ」や「イエス様の慈しみ」を想像しながら見ることと思います。場違いな所に来たという感じや違和感が消えてなくなり、心から楽しめます。宗教というものに少しでも関心のある方は是非一度、ニコライ堂の日曜の聖体礼儀をご覧下さい。本には書いてない色々なことをご発見出来ると思います。(続く)


豪華絢爛な音楽ページェントが予約申し込み無しで気軽に楽しめます

2009年11月30日 | 日記・エッセイ・コラム

昨日、3時間近い絢爛豪華な音楽ショーを予約無しで楽しんで来ました。

楽器を一切使わない四部合唱が広壮な教会堂に響きわたり、きらびやかな金色の冠と法衣の裾をひいた数多くの聖職者が静かに動きます。祈りの美しい声が合唱とハーモニーをなして聞こえます。香りの良いキリスト教の薫物の煙りが会堂内に流れています。数百本のローソクの光が幻想的に輝いて、赤緑青など多彩なステンドグラスを美しく見せています。

これは大掛かりな音楽芸術のページェントです。

少なくともそのような側面を感じさせる日曜礼拝(聖体礼儀)でした。東京のお茶ノ水のニコライ堂で毎日曜日の午前10時から13時までの3時間続きます。

本当のことを書くと、自分は退屈するだろう。そうしたら途中で静かに失礼しようとも思っていました。しかし余りの素晴らしさに気がついたら午後1時になっていました。

日本人の多くは宗教に関心が有りません。宗教と聞くと避けて通る人もいます。お寺にはお葬式の時だけ行きます。そのような人でもニコライ堂の素晴らしい合唱藝術は是非お聞き頂きたいと思います。ヨーロッパのオペラの起源はこのような合唱と聖職者と合唱隊の歌による会話にあったのではないかと思います。納得します。オペラが好きな方々は是非ご覧下さい。

さて予約無しで毎週日曜日に気軽に楽しめると言っても少しのルールがあります。

まずキチンとした服装で午前9時40分には入場しておいて下さい。信者でない人々が座ってよい席は決まっています。会堂の一番後ろにグルリとある木のベンチだけです。その前に太い4本の柱が有りますが、そこから内側へは入ってはいけません。

受け付けで信者でないと言うと、100円でローソクを1本わけてくれます。それをベンチの前のマリア様の絵(イコン)の前のローソク台に火をつけて立てます。そしたらベンチに座って自分の席を確保します。後は音楽を楽しめば良いのです。10時になると数多くの鐘が鳴りわたり、着飾った聖職者の行列が入ってきます。

礼拝ですから途中で「祈りの言葉を印刷したカード」を持ってくる人がいます。二コリと微笑んで断っても結構です。その後しばらくして、大きく平らな献金籠を持った人もベンチの席まで回ってきます。一切無視しても良く、感動した分を入れるのも自由です。

3時間の間、立って見たり、座って見たりします。しかし立ったり座ったりは他の信者のタイミングに合わせるのもエチケットです。ベンチ席にもロシア人らしき本物の信者が混じって座っています。彼らの祈りの邪魔をしないようにしましょう。

3時間と長いので事前にお手洗いの場所を受付で聞いて確認しておきます。会堂内には無くて、向かいの建物の中にあります。

音楽の発展の歴史だけでなく、宗教儀式の歴史に興味のある方々にとっても非常に参考になる礼拝式です。尚、正教会では日曜礼拝を「聖体礼儀」とよびます。(続く)


テレビの大食い競争、早食い競争番組へ非難ゴーゴーです

2009年11月29日 | インポート

SCHさん

2009年11月29日 06時54分

無駄にたくさん食べるなんて・・・と思いますよ^^;

CCNさん         2009年11月29日 08時08分

私も見ていて気分が悪くなるほうです。
チャンネルを変えてしまいます。
餓死している子供たちもいるのにって・・・
またバイキングなどの食べ放題もあまり・・(^_^;)
美味しいものを少しづついただくのが好きです。
まぁ、うちでは材料費がかかってしまいますのでそんな贅沢は言っていられませんが(笑)

GKUさん   2009年11月29日 09時32分

流れに竿を差すようですが・・・
私はプロレスを見るより好きです^^

褒められる番組ではないことは分っていますが、「凄い人がいるなぁ!」といった感じで見ています。
(最近はNHKしか見ることが出来ませんので私が見ていたのは2年位前の話になりますが)

この凄い人達が束になってもコンビニで廃棄処分されるお弁当の数は食べきれないでしょうね~

YKKさん   2009年11月29日 10時45分

私はそういうTV番組は見ませんのでコメントのしようがありませんが、料理番組で見るとしたら地域性のあるもの、庶民性のあるもの、レシピがわかるものくらいでしょうか。
でも、そういったことも殆どがネットで情報収集できますので、TVだけに頼ることはないですね。

MTSさん   2009年11月29日 11時53分

私も大食いの番組は嫌いです。

食べ物を粗末にしている、そんな気がしてしまいますね。

食事は味覚を楽しみそして感謝していただく物だと思っております。

EKDさん   2009年11月29日 13時20分

まったく同感です。特に大食いの番組など、品もなければ食欲もわきません、そうゆう番組を放送する局の放送は出来るだけ見たくありません。やめるべきです。スポンサーはその費用を十分食料のないところの援助に回すべきです。

OFKさん   2009年11月29日 13時58分

はじめまして。同感です。
大食い・早食いの番組は大嫌いです。
観ていて吐き気がするのでチャンネルを変えます。

GAMさん   2009年11月29日 15時05分

私も、正直大食い、早食い、食い放題、(極)超高級料理の紹介(ゲーム仕立て)番組はつまらないです。          
 
 それに、文化が違う人からしたら許せないことかも知れません。命を無駄にしているのですから。
                            
 例えば、本マグロを絶滅寸前まで大量に捕り尽くすことで価格を破壊し、それで激安価格の店があります。私も恩恵を受けています。   
 日本に食糧を安く輸出している国の中にも 飢えている人がいる一方、私たちは、輸入した安い食材をメタボになるほど無茶食いしています。
                    
 私は、大戦後の生まれで、両親は最後まで贅沢とは無縁でした。今も自分だけ高級なものを食べるのは辛い時があります。 
 それでも最近、先に逝った両親より少しは楽しまなきゃ逆に申し訳ないと思うようになりました。                 
 必要な日常の食材費が安いのは嬉しいですが、高級な食材・料理は、たまに有難く食べられれば十分で、必要以上に安くして、大量の命を無駄にすることはないと思います。     
 その何分の1で何日か命をつなげる国もあるのですから。

KBNさん   2009年11月29日 15時46分

私も早食い、大食いの番組は大嫌いです。本当にやっている人たちを気の毒に思います。
昔流に言うと、神様の罰が当たります。

JNKさん   2009年11月29日 16時01分

私は食べられないくせに沢山頼んで残す人よりは、
大食いだけど、気持ちよく完食してる人の方が許せます。

MKPさん

 2009年11月29日 18時28分

作った側からすると「おいしい、おいしい」と感動し喜んで食べてくれるのが嬉しいと思います。
でも、早食い、大食いは何が面白いのか、分かりません。

本人たちも仕事だからしょうがなくやってるのかな・・・。

映画「千と千尋」の両親が食べるだけ食べてブタになるのを思い出します。


今日は夫婦解散、別々の教会へ行きました

2009年11月29日 | 日記・エッセイ・コラム

朝から円満に夫婦解散し、家内は何時ものカトリック小金井教会へ、私はお茶の水の日本正教会、ニコライ堂へ行きました。ブログへ寄稿して下さった伝教師の金田一豊さんにお会いし、礼拝式(聖体礼儀という)の内容を教えて頂きました。儀式は10時に始まり約3時間で、午後1時近くに終りました。荘厳な合唱で進める儀式でその合唱の芸術性には感動します。堅苦しい儀式には厳格な決まりがあって他宗派の私には疎外感と違和感があり、儀式開始後15分位は緊張し、多少後悔もしていました。見上げると聖堂のあちこちにマリア様のイコンが沢山飾ってあります。そうだ気楽に母の居る実家に帰った心算で居ることに決めました。主教の行列や祭壇での祈祷に聖職者として参列していた金田さんが、ニコニコしながら傍に降りてきて説明してくれました。マリア様のお陰で気楽にしている私を見て安心していました。それでも祈祷の合間に、3回も来てくれました。面倒見の良い人だったのです。正教のことはいずれ詳しくこのブログへ書きますので、今日は金田さんへ感謝してお写真を掲載します。

001 002

一方、家内の方は、小金井教会で川原謙三神父様の司式のよるミサに参加しました。ミサ終了後の11時から12時20分までの川原神父様の講話を聞いてきました。

川原神父は88歳で小柄ですが言語明瞭、音吐朗々で全く年齢を感じさせないで、講話をして下さったそうです。幼少時に父が神道を大切にする家庭に育ち、キリスト教とは縁がなかったそうです。

戦争になり南方のブーゲンビル島でオーストラリア軍の捕虜になり、やがて終戦。東京の実家に復員してきたが生活に困り、松屋の中で靴磨きをしていた。フッと前を見るとの貴金属売り場のレジに地味だが美しい女性が働いている。弁当を食べる時、十字を切ってから食べるのです。結論を言えば、その女性の案内で教会へ通い、洗礼を受け、終いには神父になったというお話だったそうです。幼少時から神道や仏教の教えを受けて来たので、自然にキリスト教を信じることができました。これも「隠された神の手」であったと思います。それが川原神父様の結論だそうです。

今日から待降節になります。イエス様の誕生を待つ4週間の始まりです。

この記事をお読み下さいました皆様にもイエス様の祝福がありますようにお祈り致します。     シルベスター藤山杜人


テレビの食べ物番組への嫌悪感と自分の美食追求の仕方

2009年11月29日 | 日記・エッセイ・コラム

戦前に生まれ育ったせいか、「美食趣味」というものに抵抗感がある。その頃の日本は食糧事情が悪かった。

また食べ物の話をするのは品性が悪いという話をよく聞いた。それでブログにはグルメ記事をなるべく掲載しないようにして来た。

従って、テレビの食べ物に関するある種の番組には色々な理由で抵抗感がある。特に食べ物を無駄にする大食い競争や早食い競争には嫌悪感を感じ、チャンネルを回してしまう。

インドやアフリカでは餓えた人々が多数居る。そんな事を思い出す。それに人が早食いしているサマは動物的で正視に耐えない。

しかしテレビの番組でも以下のような趣旨で取材し編集したものは熱心に見ることにしている。

(1)地域性を考え季節によって安価に得られる食材を使っている。

(2)食材を無駄なく使い、料理法に創意や工夫が感じられる。

(3)料理の価格が常識的な範囲以内である。

(4)決して高価な食器ではないが盛りつけやサービスに誠意を感じさせる。

自分でも旅に出た時はそのような店を探して歩き回ることがある。料理をつくった人々の気持ちを考え、その地域の文化と結び付けて楽しむ。

食事をする店を探すときには上の(1)から(4)をいつも考えている。店を探すときはなるべくインターネットに頼らないで現地の人々に聞くことにしている。

今年の1月末に八丈島に行った時は心を豊かにする美食にありつけました。

店の人々と話もしました。地域文化が感じられます。そこで八丈島の美味しいものをご紹介したいと思います。まず、あそこ寿司からご紹介致します。

399 401 

398 397 

あそこ寿司の特徴は主人(写真上左)が釣りが好きで島周辺の魚に精通していることです。聞くと丁寧に説明してくれます。上の写真の下段左にあるように地元の魚の写真が飾ってあり、よく分かります。お店がすいていたのでついでに島のことや魚の仕入れ方法やいろいろ雑談をしました。

伊豆諸島で島寿司といえば、白身の地魚を醤油で漬けにして、カラシを塗った甘いすし飯で握るのが普通です。しかし、あそこ寿司の島寿司は漬けにしません。(予約をすれば漬けにした普通の島寿司も出します)

さて島寿司の味ですが写真のように細く握った寿司です。どれも歯ごたえが適当にあって、活きがよく、魚独特の甘みがあり美味でした。超美味と書きたいくらいでした。寿司が細身に見えるので、魚が少ししか乗っていなと思いました。しかし食べてみると切り身が分厚く、それぞれの魚の味がゆっくり楽しむことが出来ました。シャリは甘めですが小さく握っていて白身の魚の味を引き立てています。

(写真の赤身の寿司はキハダで、時計回りにオナガダイ、バショーイカ、アオゼ、キツネという魚の海苔巻、メダイ2コ、エース2コの順で合計9個です。)

お澄ましはトビウオのツミレと八丈岩のりが入っています。(これで2100円)

今年の1月29日の昼食に行きましたが、夜に行って地元の魚の刺身で熱燗など飲んだら楽しいでしょう。と、言いました。主人はそうです。是非いらっしゃって下さい。自分で釣った魚も出しますよ。と、言って下段右の写真を指さしました。少し以前に自分の身長くらいのヒラマサを釣り上げたときの写真です。

次は、銀八寿司の島寿司の話です。

461 460 

ご主人の写真と伝統的な島寿司の写真です。東京にあるような江戸前の高級なニギリもあります。しかし島寿司の価格の方が安いのです。活きの良い地元の魚を無駄なく使っている様子がうかがえます。メダイ、アオゼ、オナガダイなどです。島へ行ってインドマグロやイクラ、エビなどのニギリを食べるのは何か不自然で私の趣味ではありません。地元では白身の魚を何日も腐らせないで寿司を楽しむために塩や酢に漬けてあるのです。甘めのシャリに慣れてしまえば絶品です。

つぎは島料理の厨という店を紹介致します。

281 282 

左が昼食の島御膳「おまかせ」(1500円)で右は質素な店の佇まいの写真です。島豆腐、飛魚のツミレ煮、地魚の刺身などが丁寧に誠意を込めて作ってあります。

料理人の誠意というものは説明が困難です。しかし食べてみると明解に分かるから不思議です。

如何にも島の家庭でつつましい食材で、美味く、健康に良いように作った感じの御膳です。その家庭的な誠意に感激しました。支払をした後で厨房をのぞくと50歳くらいのおばさんが一人で作っています。「おいしかったですよ」と声をかけたらニコリとしました。

次は泊った八丈ビューホテルの夕食の写真を示す。

203 

ホテルと言っても実態は旅館です。太平洋の眺望の良いことを抜きにすればよくある和風の旅館です。1泊2食付き12600円。部屋が良いだけに、食事の経費を節約しなければ経営が続かない感じの作りです。

しかし上の写真からうかがえるように、料理人が努力して島料理を出しています。伝統的な島寿司もついて、刺身にはマグロなど使わないで島魚を使ってます。島で容易に手に入れる魚はカジキ、オナガダイ、アオゼ、メダイ、トビウオなどです。勿論アジやサバもとれるますが、流石にホテルでは出て来ません。

この写真の右上の鍋はヤギ肉の鍋。これも島料理。沖縄のヤギ汁を思い出しました。これも琉球文化の影響だろうかと沖縄のことをあれこれ考えながら食事を楽しみます。ここには美味しい島焼酎がいろいろありますが、焼酎は強すぎるので自重して次回へ延期とした。

島の人々が工夫して食材をなるべく美味しく料理してるのを実感出来ます。

島にある大きなスーパーマーケットへも行ってみました。売っている食料品は東京のスーパーと殆ど変りません。しかし、島寿司のパックが売っている。トビウオやオナガダイや名前の知らない島魚はそのままの姿で売っている。アシタバがホウレンソウの代わりに売っている。見るだけでしたが楽しいものです。

島独特の商品以外は全国から、世界中から来ています。この状態は山林の中の小屋の趣味でよく行く山梨県北部の農村にあるスーパーと同じです。山梨では島魚やアシタバは無いが、大部分は同じものを売っているのです。

私の趣味のグルメとは、この様にいろいろな人々の食生活、少し格好良く言えば食文化を探す趣味なのです。

当然、趣味は個人の自由。他人がどのようなグルメ趣味を持とうが私には特別な意見は無い。ただ私の個人的な趣味のグルメの楽しみ方を書いただけです。

八丈島の あそこ寿司、銀八寿司、八丈島厨(くりや)、八丈ビューホテルは検索するとHPが出てきます。

今日も皆様のご健康と平和をお祈り致します。   藤山杜人


源氏物語と雅楽、女楽と男踏歌の演奏会

2009年11月28日 | うんちく・小ネタ

東京都、日野市にある実践女子大学の香雪記念資料館一階大教室で、今日の午後2時から、「源氏物語の雅楽」の話と、女楽と男踏歌の公演がありました。

会場に入った途端、源氏物語の香りがします。御家流香道師範、小畑洋子さんが源氏物語に出てくる黒坊という香を会場内の16ケ所で焚いているのです。

田中英機教授による、当時の雅楽の歴史的考察の話があり、続いて源氏物語に出てくる女楽と男踏歌の公演がありました。雅楽世界での第一人者の芝 祐靖さんと伶楽舎というプロの雅楽演奏団体からの5人が演奏し、舞いを踊りました。

葛城、竹河、萬春楽、此の殿は、などが演奏されました。楽器は龍笛、笙、琵琶、筝、和琴、三の鼓などです。

雅やかで、上品で、神秘的な音楽がゆっくりしたテンポで香のかおりが漂う会場に流れます。楽器や装束は唐の時代のものが和風になって伝承されて来たのです。

日本の王朝文化とはこういう雰囲気だったのかと少し理解できました。宮中に伝わった音楽です。神社に伝承する雅楽と似ては居ますが、それより上品で荘厳な音楽です。

そんな音楽は日ごろ気軽に楽しめる機会がありません。貴重な体験でした。

芝 祐靖さんと伶楽舎という雅楽演奏団体は1985年に発足し、国内各地はもとより海外でも公演を行ってきました。伶楽舎の事務所は郵便番号160-0012東京都新宿区南元町19-2 千日谷会堂 内にあります。

次回の伶楽舎の第21回コンサートは2009年12月21日午後7時開演です。前売り券は1人2500円です。ticket1221@reigakusha.com かFax:03-5269-2011へお申込み下さい。以下に今日の演奏者の写真を示します。黒い装束の方が芝 祐靖さんです。(終り)

030 034


女性の大観音像、韮崎市を見下ろす七里ケ岩に立つ

2009年11月27日 | 写真

まあ、どちらでも良いことですが男でも女でも無い観音様を女性と信じて巨大な像を作った人々がいます。韮崎市の市民有志が昭和33年に町の振興と平和をお祈りするために七里ケ岩の突端の上に作りました。眼下には韮崎市の繁華街と市役所とJRの韮崎駅が見降ろせます。国道20号線(甲州街道)と中央高速自動車道路からもよく見えます。今日の午前中に撮影して来ました。

003_2 006_2 005_2  


絶海の孤島への旅のロマン(2)神津島の女神、おたあ・ジュリア

2009年11月27日 | 日記・エッセイ・コラム

2006年に満70歳になったので仕事を一切止めた。前々から行きたいと思っていたロマンチックな土地を訪ねる旅をはじめた。まず、伊豆七島の神津島へ遊びに行った。東京から高速水中翼船で4時間、遥か外洋に浮かぶ小さな火山島。山ばかりで平地が無い。船の着けられる簡単な桟橋が島の東西の両側にある。風向きによってどちらかを選ぶ。一人旅の気安さで島の民宿に投宿する。燗酒を傾けつつ、宿の主人から島の昔話を聞く。明日、見物すべきところも説明しくれる。そして、急に声をひそめて言う、

「朝鮮風の石碑が岬に有りますよ。おたあジュリアの墓です」

「それは誰ですか?」

「小西行長が朝鮮征伐のとき連れ帰った娘です。日本に来てからキリシタンになったのでここへ流された女です。当時の島の人々を助け勇気づけたので女神のように思っている人が多いです」

「何故そんなに声をひそめて喋るのですか?」

「おたあ、を島の人々が始めは、助けて保護したのです。キリシタンを助ければ幕府から重い処罰を受けます」

「それで?」

「おたあ、は立派な女です。元気になると島の人々の面倒を良くみたのです。困った人の相談に乗り、人々を勇気づけました。皆尊敬し、おたあは本当に優しく賢い女だったのです」

「分かりました。でも今はキリシタンへの弾圧もない自由な時代です。何故小さな声で話すのですか?」

「島の人々は今でもおたあ、のことを尊敬しています。小さな声で話すことで尊敬の念をあらわしているつもりなのです。まあ、つまらない話かもしれませんが」

「神津島の人々だけの小さな秘密ですね?」

「まあ、秘密って程でもありませんよ」とニコニコし、宿の主人が満足げな様子である。

現地へ行ってみないとローカルな歴史は分からないものと再度、感じいった。

帰宅して調べてみた。おたあ、は3歳の時、日本へ連れて来られ、アウグスチノ小西行長の幼女となり、洗礼を受け、ジュリアという名を授かる。関が原の合戦の後、小西は石田三成とともに三条河原で斬首される。

家康の側室の侍女となったが家康の言いなりにならない。桃山、江戸、駿河と移され、禁教令と共に神津島へ流刑になった。慶長17年、1612年のことである。小西行長の友人の石田三成一族も神津島へ隠れ住み、ジュリアを助けたという話もある。

毎年、神津島おたあジュリア顕彰会などの主催で「ジュリア祭り」がある。カトリック東京大司教区と韓国のカトリック教会が共同でジュリアあたあの慰霊祭も同時に行っている。

尚、ジュリアの再帰には諸説があって、神津島から天国へ昇ったのかは定かではない。

写真4枚は上列左がジュリアの姿、その右が神津島にある記念塔(お墓と想定されていた)。下列左は韓国、切頭島へ神津島から引っ越したジュリアのお墓(1972年日韓の友情による移設)、その右の写真は荒れる太平洋の波の様子です。なおジュリアの姿絵は、http://shl.holy.jp/text_gospel/julia.html から転載しました。(続く)

今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。  藤山杜人

Julia1 13364aj2200025006_11 Junkyo11 3351


女性の素晴らしさ、観音様、マリア様

2009年11月26日 | 日記・エッセイ・コラム

幸い老境まで生き長らえることが出来ました。この一生を振り返り色々想うことが多い毎日です。その中で何時も不思議にう思うことは「女性の無限の優しさと素晴らしさ」です。特に老齢に入ると外で会う、見知らない若い女性が親切に、優しく接してくれます。男性だけに優しいのかと思うと、家内も同じ意見です。デパートの若い売り子がとても親切にしてくれると言います。そこで長い一生の間に観察してきた女性という存在を考えると、「素晴らしい存在だ!」という結論に至ります。母性愛のことは言うまでも有りませんが、女性は愛の力で何でも解決してしまいます。

勿論、女性特有の「どうしようもない悪さ」や「論理無視の直感的行動の弊害」に困らされたことは皆様もご同様と思います。

しかし、深く考えて見ると女性の素晴らしさ、優しさ、愛する力などには神秘的な驚きを禁じ得ません。人類の悠久の歴史の中で何時の世にも女神が存在して来ました。

宗教が原始宗教から高等宗教に変わっても女性の神秘的な力が信仰の対象になっています。

佛教では観音菩薩さまです。観音様は男性でも女性でも有りませんが、女性の優しさ、慈悲の心がみなぎった仏像として信仰されて来ました。巨大な観音像が全国にあります。素朴な人々は観音様を女性と思って信仰しています。それで良いのです。実際、山林の中の小屋へ行くとき必ず見る「韮崎の大観音さま」の胸には女性としての突起がついています。我が家では「オッパイ観音さま」と呼んで、子供が小さい頃から親しんできました。

ひるがえって、キリスト教でも観音様の役割に近いことをしてくれるのがマリア様です。イエス様の母親です。カトリックでは現生ご利益を神に祈ってはいけません。

ただ一つ良いのは、「日ごとの糧」を今日もお与え下さい、という祈りだけです。

日ごとの糧以上のもの、金持ちになることや、偉くなって権力を持つことは神に祈ってはいけないのです。病気が治るようにとか、家内安全、家族の健康も厳密には神に祈ってはいけません。それはマリア様へお願いしてとりなして頂く種類のことなのです。

この点はカトリックとロシア正教や日本正教会でも同じようです。

しかしプロテスタンの諸宗派ではマリア様の特別な役割を認めていません。ですからマリア様の絵画や像があまり飾って有りません。それが飾ってあったらカトリックやロシア正教やコプト教のようなキリスト教の旧教一派と考えてあまり大きな間違いが有りません。

プロテスタントでは家族の健康や家内安全は直接イエス様へお願いし、お祈りします。しかし立身出世や金持ちになることや権力者になることを神に祈ってはいけないのです。その祈りは俗っぽすぎるようです。

最後に、Francescoさんの、フランンス・カトリックの長女:http://blogs.yahoo.co.jp/mouffetard_2005 から、転載許可を頂きましたのでマリア様の絵画をお送りいたします。

Onbevlekt1

さしてクリスマスも近いので、美しい歌声もお送り致します。

カトリック信仰の源泉http://blogs.yahoo.co.jp/sacerdosaeternus/37808942.html をクリックすると美しい歌声が聞こえます。

尚、此処にご紹介しました2つのブログは、Yahoo JapanのIDとパスワードが有れば全てのページがご覧になれます。ご自分のIDとパシワードをご用意下さい。女性の素晴らしさは次の記事、「神津島の女神、おたあジュリア」へと続きます。(続く)


多摩御陵の喬木の紅葉

2009年11月26日 | 写真

多摩御陵には大正天皇、皇后と昭和天皇、皇后の4基の巨大な円形墳墓があります。

参道には大きなケヤキが亭亭と聳えています。広い駐車場もあり、暇な時の散策場所として良く行きます。下の写真は昨日のお昼すぎに撮りました。

008 010 021


数学で抽象画を描た作品の例

2009年11月26日 | うんちく・小ネタ

ブログを書いているといろいろな方からコメントが来ます。そこでその方のブログを見ます。すると想像もしていなかった内容のブログを見て吃驚することがあります。

先日もShaman Johnnyさんという方からコメントを頂きましたので、彼のブログ(http://ameblo.jp/johnny-shaman/)を見ました。今まで見たことの無い抽象画が沢山掲載してあります。メールを送り転載の許しを得ました。フランスの数学者が発明した幾何学の数式を使い、コンピューターの助けで描く抽象画です。

Shaman Johnnyさんの描いた抽象画を3点ご紹介いたします。数学に自信のある方はフラクタルという言葉を検索するとその方法が色々説明してあります。
抽象画ですから何を感ずるかは見る人の自由です。私は何か音楽的な響きを感じました。音楽に数学的な要素が含まれているからでしょうか?お楽しみ頂ければ嬉しいです。

Photo Promiss_of_roses Promiss_of_roses_apocrypha


クリスマスやお正月を楽しむ企画の色々

2009年11月26日 | うんちく・小ネタ

今日は11月の26日です。月日が飛ぶように早く過ぎ去り、もう来週の火曜日から師走に入ります。お世話になった方々へお歳暮を送ったり、年賀状を書いたり忙しい日々が続きます。しかしその先には楽しいクリスマスやお正月の季節が待っています。この季節は家族で楽しい企画を色々話し合い、その幾つかを実行します。海外旅行へ行くとか、東北地方の温泉に1週間くらいゆっくり逗留するとか話します。でも実行しません。ただ話をして楽しむだけです。実行もしない夢のような企画でも話し合っただけで楽しいものです。暮れの30日は大掃除、31日は御節料理作り、元旦は自宅で過ごすということが我が家の習慣です。この3日以外は自由な企画が可能です。そこで企画の数例を書いて見ます。条件は2泊以上の旅はしない。経済的に大きな負担にならないようにする。この二つです。

(1)クリスマスの楽しみ方

いつもは使わないオーブンで鶏の丸焼きを作ります。コツは皮を10ケ所くらい小さく切り、ニンニクと塩を詰め込みます。お腹に入れる詰め物はタマネギと鶏レバーを刻んで炒め、濃い味で仕上げます。それをパン粉と混ぜて鶏のお腹に詰め込みます。用意が出来たらあとはオーブンで40分位焼き上げるだけです。

早めの夕食を済ませ、クリスマスの夜のミサへ行きます。

(2)25日は平凡ながら丸い大きなケーキを切って食べます。しかし家で食べないでヨットへ持って行って、キャビンの中で紅茶を淹れて食べます。寒い冬なのでセイリングはしません。エンジンで広い湖を一回りして帰ってきます。

(3)26日から29日までは小さな旅行をします。今年は伊豆の稲取へ一泊旅行を計画しています。キンメダイを食べに行きます。車で往復し、宿泊は共済組合の保養所なので出費はそれほどかかりません。尾頭付きの少し大きめのキンメダイを買って持ち帰り、お正月の料理に使います。

(4)若い時は暮に第9の交響曲などを聴きに行きましたが、高齢になり億劫になりました。今年は幸いにも、世界的に活躍しているオペラ歌手が近所の教会へ来て聴かせてくれます。入場券も既に購入済みです。

Dscn13301

(5)27日頃、山梨の山林の中の小屋へ日帰りで行きます。今年の新企画は小屋で初めて電気釜を使いご飯を焚く実験をすることです。せっかくの新しい試みなので単なる白いご飯ではなく鶏ご飯にします。鶏肉、ゴボウ、シイタケ、ニンジンを刻み濃い味で煮て持って行きます。ご飯が出来たら混ぜるのです。鶏ご飯を丼に盛り、上に卵焼き、サヤエンドウ、紅ショウガ、刻み海苔をかけて出来上がりです。これを友人の山荘へ届けます。

(6)31日には、お節料理は家内が作ります。私は稲取から持ち帰り冷凍にして保存しておいた大ぶりのキンメダイの丸揚げをします。2度揚げして小骨や頭も柔らかくします。上から甘酢餡をかけて、元旦に供します。昔は鯉の丸揚げ甘酢餡かけを作りましたが、最近は尾頭付きの鯉が手に入らなくなってしまいました。

毎年、家内と話すことがあります。クリスマスとお正月に病院に居て自宅で過ごせない人々を思いやります。そして仕事のためお正月に自宅に居れない人々に感謝します。特に消防署や救急隊の人々へは深く感謝します。

さて皆様はどのような楽しい企画をされますでしょうか?

今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。藤山杜人