私は毎日、毎日、つれづれなるままに思うことを書いて掲載しています。
毎日、書いていると自分でも何を書いたか忘れてしまいます。そこで以前掲載した記事を何度も読み直しています。すると、嗚呼、この記事は素晴らしいと思う記事に行き当たることがあります。この5月に掲載したものの中にそのような記事がありました。
その記事は女性の愛の力の圧倒的なことを感じさせます。男性には絶対に真似の出来ない深い愛なのです。ある種の発達障害を持った息子に対する母の美しい愛です。
今日はその記事を再掲載することにしました。
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『見えない障害のために転職を繰り返す人とその周りの方に贈る書』=========
(2017年05月09日掲載)
Esu Keiさんの息子さんはフランスの小学校で飛び級をするほど優秀な子でした。
帰国し、日本の学校に転校したら協調性が無いとの理由でうまくいきませんでした。成人してからも社会になじめなくて苦悩します。
ところがよく診断して貰うと生まれつきの隠れた障害を持っていたのです。自閉症スペクトラムという一種の発達障害だったのです。
学校を卒業して就職する人の一部には転職を繰り返す人がいます。転職をしても上司や周りの人と適切な人間関係がどうしても出来ないのです。
このような人々の一部には、本人も周囲の人も気がついていない隠れた発達障害を持っている可能性があるのです。
そのことを自覚し、周囲の人がそれを知ればその弊害が軽くなり、みんなが幸せになれるのです。
今日はこの自閉症スペクトラムをよく理解して貰うために簡明な説明文をお送りいたします。
転職を繰り返す人とその周囲の人々に幸多かれと願いつつ贈る書です。
自閉症スペクトラムの息子さんを育てた母、Esu Keiさんと私、Gotoとの対談形式として以下をお送りいたします。
なおEsu Keiさんは連載記事「パリの寸描、その哀歓」の著者です。今日の記事に関連したEsu Keiさんの書いた記事の題目と掲載月日を末尾につけてあります。合わせてお読み頂けたら、より一層明快にいきさつが分かると思います。
====『Esu KeiさんとGotoとの対談:発達障害について』=========
Esu 最近私が書いた文章の中で、長男の発達障害に触れたものですから、それはどんな障害なのかというご質問をいただきました。右往左往して模索した経験で、お答えできることをお話ししたいと思います。私は専門家ではありませんから、広い知識を持っているわけではありませんが、一人の子どもを長く深く見てきたという意味で母親として、また、たくさんの同じ仲間と触れ合ってきた経験者としてお答えできることがあると思っています。ただ私の主観的な考えであるということはお断りしておきます。
Gotoテレビなどでも発達障害という言葉を時々聞きますね。どんな障害なのですか?いろいろな種類があるのですか?
Esu この障害は精神の障害と思われがちですが、実際には脳の機能障害だそうです。障害という言葉を使うことには迷いがありますが、持って生まれた特質や、傾向が社会の中で生きていくのに困難となる場合(社会参加ができない場合)、障害と呼ばれます。発達障害の種類については現在の分類は私にはよく分かりません。20年前に広汎性発達障害とか、アスペルガー症候群と呼ばれていたものを最近は自閉症スペクトラムと呼ぶようです。これらが自閉症の連続の中にあると分かってきたからでしょう。
Goto 息子さんの発達障害はなんという障害ですか?症状などは?プライバシーの問題がない範囲で聞かせてください。
Esu 息子もこのインタビューを承知していますし、自分のことを知ってもらうことに意味があると思っているようです。彼は中学入学前までは、主に外国で育っていましたが、10歳で日本人学校に移って以来、集団に全くなじめず、苛めやいろいろな問題が起きて、成人するまでにすっかり意欲を失っていました。長男がアスペルガー症候群と診断されたのは26~27歳くらいの時でした。その3年前くらいに、テレビのドキュメンタリー番組を見たのがきっかけで、アメリカから平易な文体で書かれた本を取り寄せたりして、私は自閉症を疑いました。ただ幼いころから言葉の発達が非常に早かったので、そういう例外的な自閉症もあるのかもしれないと思っていました。
症状ですが、集団になじめないことこそが端的にアスペルガー症候群の特徴のようでした。アスペルガー症候群または自閉症スペクトラムとひとくくりに言っても、ひとりひとりは実に様々な人間像を持っていて、共通項は何かというと、はっきりしているのは、人間関係の困難を抱えていること、こだわりが強い(こだわりの対象は個々違うのですが)ことの2つのような気がします。体力も、能力も、性格も様々で、その辺に共通項はないように思いますが、ただこだわりが強い分、神経質で、好みの許容範囲が狭い気がしますし、神経が耐えない場面では疲れやすく苛立ちやすいように見えます。2つの特徴以外にもこの障害の特徴とされることはいくつもありますが、現れ方に違いや差があって分かりづらいこともあるので専門家でない私が説明をすることはできません。
Goto 適切な診断医はどうしたらみつかるのでしょう。
Esu 今では発達障害の専門医も増えているし、専門外の医師でも少なくともこの障害を知
らないということはありませんから、20年前に比べればずっと早く診断がつくようになっていると思います。最初は相談センターや互助組織などが窓口になってくれるのではないでしょうか。ただ、特に精神に関することですから、当人と相性のいい先生に出会えることが大事だと思います。早く障害が分かって、適切な対処ができることは、本人が無用に苦しまないためにも、将来の二次障害を防ぐためにも大変重要だと思います。息子の場合もそうでしたが、20年位前までは成人してから障害が分かる人が多かったのです。目に見えない障害で、知的障害もないと分かりにくく、今でも、成人してから障害が分かる場合もあります。以前は軽度発達障害などと呼ばれていましたが、本人の抱える困難は軽度どころではなく、積み重なった分だけ重い障害になることもあります。そういう人にも丁寧に対応できる医師やセラピストが増えることを切望します。
Goto 障害がわかったら家族は何ができるでしょうか?職場はどのように対処できるでしょうか?
Esu まず言いたいことは、障害という名前に驚いてはいけないということです。“良し悪しは抜きに、普通と違うところを持っている”と考えた方が良いと思います。実際、特別なセンスや才能を持っている人は多いものです。彼らのユニークなところが生かせるように応援するのが家族です。それはどんな障害でも同じです。息子に「この障害を持つ子供に対して親や家族は何ができるかしら」と聞いてみたことがあります。返ってきた言葉は「愛すること」でした。親や家族の愛情が伝わって、安心して子供が育つことの大切さを親は強く自覚しなければと思います。障害のあるなしにかかわらずですが… 発達障害などを抱えている子どもは、独特の生理的感覚、感じ方や考え方を持っていて、悪意はないのですが、振舞いが普通とは違い、他の人との距離感が分からずに行動することが多いので、子どもの頃から叱られたり、非難されたり、苛められることが多くなりがちです。そういう状況が長く続くと、自分は不出来な人間だと思い込み、追い詰められ、意欲を失うことにつながります。そのまま成人すると社会参加が難しくなります。
息子にさらに「愛するってどういうこと?」と聞くと「信じて待つこと」という答えでした。社会性の発達の遅い彼等ですが、彼等はゆっくり考え、学び、成長しているのです。その成長を信じて待つことが大切だと思いました。息子は、「当人の基準と普通と言われる基準との差があるために、違いを理解するのに時間が必要になる。普通との違いから人間関係が不通になり、人間関係を学ぶ機会が少なくなる。結果として社会における在り方、社会性の習得が遅くなる。」と分析しています。
私は愛され、信頼された人間が、愛され、信頼される人間に、そして人を愛し、信じる人間になるのだと思っています。どの親も成人する前に、社会に出ていく最低限の力をつけてやりたいと思うのですが、思い通りになるとは限りません。そんな時も、親は世間の常識の方を向くのでなく、子どもが自分らしく生きることを時間をかけて応援してやりたいものです。
職場の対処はどうでしょうか。対処の仕方によって、社会参加の成否が決まることは確かです。今では受け入れ態勢の整った会社ではジョブコーチを置いて、発達障害の特徴をわかったうえで指導しているところもあるようです。ただ、皆が恵まれた環境で働けるわけではないし、どんなに善意で指導しても、うまく行く場合と、そうでない場合はあるでしょう。障害者の指導をするのも大事ですが、一般の人達にこのような障害があること、どのような弱点があり、どのような長所があるという説明(職場教育)をすること、そして許容性のある職場づくりをすることが効果的ではないかと私は思います。障害者がいるいないにかかわらず、日本の社会は学校も職場も許容性という意味では狭い社会のような気がします。
Goto 治療は難しいようですが、本人の才能を生かす方法が絶対にあると思います。職業によって向き不向きはあるでしょうね?どんなことが向いていますか?
Esu Gotoさんがおっしゃる治療という意味ですが… この障害を治すことは多分できないでしょうし、治してはいけないと思います。その人らしさを失わせると思うのです…
ただ、生きやすくする工夫はできると思います。二次的に鬱状態、強迫神経症、不安神経症、そのほか病的な状態が出てきたときには早く気付いて治療が必要でしょうし、精神科医はその病的状態を治す方法を持っていると思います。ただ、何よりも家庭や、学校、職場で受け入れられることによって病的な状態が起きないことが一番いいのです。良い環境がなければ医療も生きないと思います。
職業の適性ですが、こだわりの強さはこの障害の特徴ですが、それは集中の強さと持続につながります。一方で複雑な人間関係は苦手な人が多いですから、一人で、あるいは相性の合う小人数の中で働ける場があるといいと思います。障害の特性を生かして充実したジョブライフを楽しんでいる人もいます。人と同じ能率を求められるような仕事より、その人ならではのこだわりとか、正確さや綿密さなどが生きる仕事に出会えるといいと思います。親は成人する頃までの自立に目安を置きますが、難しい場合も多く、焦らずにゆっくり自分の道を探した方が良いと思います。世間体や経済的なことにこだわらず、「我が道を行く」でいいのではないかと私は考えています。
この障害は才能でもあります。学者、作家、作曲家、画家、芸人の中にもこのような障害特性を持った人達は少なくありません。こういう人達がいないと、発明、発見、創造の世界は今ほど豊かではなかったのではないでしょうか。自分の子どもは障害を持っているけれど才能はないなどと卑下することはないと思います。たまたま特異なところを世の中で認められると、天才と呼びますが、才能として気付かれなければ、障害者と呼ぶのが世の中です。みんな宝物を持っているのではないでしょうか。神様の目から見れば同じものではないでしょうか。
最後に息子達の言葉を引用させてください。
次男は20年以上料理人として働いていましたが、後輩の指導も仕事のうちでした。ある時期務めていたレストランでは障害者雇用の枠で発達障害の人たちが入ってきたことがあったそうです。「最初は本当に何もできなくて、大丈夫かと思ったけれど、できないことは時間もいとわず黙々と練習し、気が付くと思ってもみなかったような丁寧ないい仕事をしてくれるんだ。すごいことだね。」と彼等の真面目で妥協のない働きに感心しきりでした。
発達障害のある長男は知的障害のある人達のサポートの手伝いをしていますが、その支援団体の会報に、どのように当事者に向き合っているかを問われて書いた長男の文章が載っていました。「彼等に期待します。期待されてやってみて、もし失敗したら、失敗しても大丈夫と言ってあげます」期待されることで能力は伸び、失敗することも次の段階への足掛かりになることを言っているのです。そして、「彼等も僕も発展途上です」と結んでいました。
Gotoさんのご質問に十分にお答えできたかどうか自信がありませんが、発達障害に関心をお寄せくださって有難うございます。感謝しております。障害が理解されるということが、障害を持つ人達が社会参加できるようになるカギだと思うのです。どんな障害であれ、障害を持つ人が幸福な社会は、障害のない人にも幸福な社会です。息子からもう一言ありました。「社会に障害といわれる特異性を理解し、生かす力があれば、障害は障害でなくなり、社会的損失も少なくなる。」
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以下は上記の記事内容に関連のある連載記事です。あわせてお読みください。
1)「やはり日本の学校教育には問題がある」
2017年04月13日 | 日記・エッセイ・コラム
===「パリの寸描、その哀歓(14)外国人クラスの問題児のその後」Esu Kei著====
2)「パリの寸描、その哀歓(13)問題児の教育法と息子の飛び級」
2017年02月27日 | 日記・エッセイ・コラム
「パリの寸描、その哀歓(13)外国人クラスの問題児」Esu Kei著
3)「パリの寸描、その哀歓(12)規則に反して給食を申し込む」
2017年02月18日 | 日記・エッセイ・コラム
4)「パリの寸描、その哀歓(11)フランスのエリート教育の光と影」
2017年02月15日 | 日記・エッセイ・コラム
===「パリの寸描、その哀歓(11)進級、落第、飛び級」Esu Kei著======
今日の挿し絵代わりの写真はマリアさまの写真です。ネットで「マリア様の画像」を検索すると沢山の写真が出て来ます。その中から自分の好きな写真を3枚転載させて頂きました。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)