今日の霞ヶ浦は爽快な初夏の風が吹きわたっていました。毎度同じような写真ですが、その初夏の風を想像しながら広い湖水の写真をお楽しみ下さい。今日は初めてヨットの上から撮った動画も3枚お送りします。以下の3つをクリックすると数秒間の動画が楽しめます。ご自分がヨットに乗っているような気分になります。
キリスト教で重要なのは神とイエス・キリストと聖霊の3位です。「三位一体」と言う場合の3位を意味しています。
聖霊は神が投げ出す野球のボール位の大きさの赤い炎の球で、それが宿った人は不思議な力を発揮して善い事を行います。例えば聖霊のお陰で弟子たちが世界中の言葉が流暢に喋るようになりました。
キリスト教でもう一つ重要な方が居ます。マリア様です。その重要な役割はイエス・キリストを生んだことです。処女なのに聖霊の働きでイエスを懐妊し、ベツレヘムの馬屋でイエスを産みました。傍にはいいなずけのヨゼフがいて、世話をしていました。その事を祝うのがクリスマスです。上の左の写真でマリア様が抱いている子供がイエス・キリストなのです。
ところでマリア様にはもう一つの重要な役割があります。
キリスト教では無病息災・家内繁盛のような現世利益を神やイエスへ頼んではいけないという考えがあります。それは神の意志で決めることで人間がそれを願うことは不遜な行為と考えます。神の御意のままにと祈るのが神へ対する礼儀です。
しかし無病息災・家内繁盛のような願いはマリア様が聞いてくれます。人々がこの世の幸を祈る時はマリア様へお願いするのです。旅の安全もマリア様へ祈ります。南ヨーロッパの街道沿いにマリア様の像が沢山立っています。旅の安全を守ってくれているのです。日本の馬頭観音のようなものです。マリア様へ人々は母へ甘えるように願い事をします。丁度、仏教の観音様のような役割をしています。
このようなマリア信仰のあり方はカトリックやロシア正教などの東方キリスト教にのみあるものです。プロテスタント諸宗派ではマリア信仰はありません。
プロテスタント諸宗派にも神に現世利益を願って良い宗派と、それはなるべくしないようにしている宗派とに分かれます。
いきなり話が飛びますが、戦争へ出征する時、日本人は神社へ「武運長久」を祈ります。キリスト教では武運長久を祈ることは避けるようにします。汝の敵を愛せよという教えに矛盾するからです。しかし弱い人間はそれをマリア様へ祈っているのです。戦争に行っても、どうぞ私が死なないようにして下さいと祈るのです。敵を殺して下さいとは祈りません。この辺のことは人それぞれ違います。明日この問題を再度取り上げて明快に説明したいと思います。
簡単に言えばマリア様は弱い人間のもろもろの願いを神やイエス様へ取りなしてくれるのです。母のように優しく取りなしてくれるのです。このようなマリア信仰の為にカトリックではマリア様の像があちこちに有るのです。なおロシア正教や日本正教会ではマリア様のことを生神様(いきがみさま)と呼んで、重要な信仰の対象にしています。
如何でしょうか?少しでもご参考になれば嬉しく思います。(終り)
この世では色々な恩人との別れを経験してきました。今日はカトリック小金井教会で10年間も信仰についてご指導を頂いた山本量太郎神父の最後のミサがありました。このブログで既に4回も別れの文章を掲載しましたが、いざとなると悲しいものです。その4回の記事を以下に列挙いたします。
(2)あなたの主任司祭はイエス様です!・・・動揺する群衆を一瞬にして静かにする
(4)キリスト教の排他性を打破しようとしたヨハネ・パウロ2世の勇気
ミサ後、新しい辻神父様の歓迎会を兼ねて山本神父様の送別会がありました。
「あなたがたの本当の主任司祭はイエス様です」という言葉を残して山本神父様はいなくなるのです。名残り惜しいので今日の様子を撮った写真をしめします。
個人的な記事で失礼しました。 シルベスター藤山杜人
ネットの上で知り合い、何度かお会いし、その物静かな人柄に惹かれていたHikarunoさんが昨年の暮れから肺ガンになりました。
現在、東京厚生年金病院で抗癌剤を使った治療を受けています。彼との交流はこのブログで何度も記事にして書いて来ました。
下にある写真は昨年の晩秋に東京で開催した展示会の案内です。
ひかるのさんはカトマンズとバンコックの両方に家があり26年も住んでいました。アジアの手紡ぎ、手織り布に魅せられて棲みついてしまったのです。
肺ガンのように胸水が溜まり、呼吸が苦しくなります。日本で治療を受ける決心をします。苦しい呼吸です。足を引きずるようにして成田へ帰ってきました。今年の1月から3月まで東京の大きな病院で腺ガンと診断され抗癌剤の治療を受けました。抗癌剤の治療は副作用がひどく、過酷な治療です。
しかし抗癌剤は効き目があります。ガンがほとんど無くなります。兎に角、飛行機でカトマンズとバンコックへ再び旅立つことが出来るくらい回復しました。あちらでの生活に幕を引くために成田を出たのは3月8日でした。バンコックに一週間居て自宅の整理をします。そして15日にカトマンズへ飛びます。
カトマンズでは15年間住んでいた部屋の大家さん一家が温かく迎えてくれます。一週間の滞在中、食事の世話をすべてしてくれました。抗癌剤で体力の衰えた彼には自炊をする気力がありません。カトマンズの町々を、もう二度と見ることも無いと思い、懐かしみながら散策して日を過ごします。惜別の散歩です。15年間、印象深かった瞬間の風景が脳裏に浮かんでは消えて行きます。上の写真を撮ったときのことも思い出したに違いありません。大家さん一家も主人がガンで亡くなり息子が肝炎になり薬代で火の車です。しかし何時も笑顔の絶えない一家です。
カトマンズの生活に幕を引き、バンコックへに帰ってきました。
ひかるのさんは独身ですが息子が一人います。ストリートチルドレンだった少年を引き取り、育て上げたのです。大人になって働いています。バンコックでは病身の ひかるのさんの世話をあれこれしてくれます。ひかるのさんにとっては唯一人の家族です。その息子とも別れ、東京へ帰って来まました。し残した抗癌剤治療のためもう一度入院するためです。そして又、4月24日に東京厚生年金病院へ入院しました。
カトマンズとバンコックへの惜別の旅については ひかるのさんが詳しく書いて、公表しています。http://blogs.yahoo.co.jp/hikaruno_season に御座います。彼が心身ともに元気だったころのブログは、http://asiancloth.blog69.fc2.com/ に御座います。合わせてご覧下さい。何故かしみじみとした静かな感動を感じられると思います。
ひかるのさんは現在、体力が衰えていますが、抗癌剤は非常に進歩しています。必ずや全快し、再び元気にバンコックとカトマンズへ旅することが出来ると私は信じています。その彼が苦しい病床からブログを書き続けています。http://blogs.yahoo.co.jp/hikaruno_season です。
ご覧下さいまして、彼を勇気づけて頂ければ嬉しく思います。
今日は ひかるのさんの全快を心から祈って終りといたします。
hikarunoさんのブログに初めて会い、ご紹介した記事は、美くしく楽しいブログを発見しました と、「草木染めの世界、その一」です。2008年9月7日と8日の記事です。
下記はHikarunoさんのことを書いたその他の記事の一覧です。
10/04/23 | ||
10/03/26 | ||
インターネットは人々の孤独を解消してくれる | 10/03/10 | |
ひかるのさんの抗癌剤治療の体験報告ブログ | 10/03/02 | |
ガンの治療費を支援する人々に感動しました | 10/02/16 | |
アジアの野蚕、手つむぎ、手織り、草木染めの布製品がございます | 10/02/10 | |
ブログ上の友人がアジアの野蚕シルクの布を展示してくれる民族文化博物館を探しています! | 09/12/03 | |
ネット社会の自由と平等性に乾杯! | 09/11/02 | |
ネット友人と末長くお付き合いをする方法 | 09/09/26 | |
貴方はブログやHPを何時止めますか?そして別離は悲しくありませんか? | 09/08/23 | |
不思議なハンドル名に血が流れ人間になった | 09/08/16 | |
このブログを読んで下さった方々への感謝と惜別の言葉ーその一 | 09/07/30 | |
あなたは外国が好きですか?嫌いですか?日本は狭い島国だと思いますか? | 09/07/23 | |
美しいブログ紙面を作る方法 | 09/06/15 | |
人生(人間)いたるところに青山あり | 09/05/27 | |
楽しくて、考えさせる数々のブログのご紹介 | 08/09/22 | |
草木染めの世界、その二、新しい日本人 | 08/09/16 |
所沢の航空公園を散歩しているとき突然、芸術的な香りの漂う彫刻を発見しました。
左の写真です。3人の少年が何故か悲しそうに空を仰いでいます。真ん中に大きな鳥の翼を抱えて立っています。
ここには敗戦まで陸軍飛行場があったのです。
しばし見とれてから説明板を見ました。3人は少年整備兵でした。我々のような年配の者にはすぐに分かります。
地味な整備の仕事をしている少年兵は目立たない存在です。自分の整備した戦闘機に乗って同じ年頃の少年が特攻隊として飛び立って行く姿を悲しげに見上げているのです。
これを創った彫刻家の特攻隊への限り無い慈しみの気持ちが整備兵の顔を通して表現されているのです。私にはそのようにしか感じられませんでした。悲しい作品です。
3人の少年整備兵の彫刻を造った人は長沼孝三という方です。山形に、上の右の写真のような記念館があります。長沼孝三彫塑館は山形県長井町にあり、詳しくは、http://www.j-1.net/j-1/kikaku/museum/naganuma/naganuma.htm をご覧下さい。
尚、長沼孝三さんの紹介文を以下に転載致します。
明治48年、長井市の丸大扇屋と呼ばれた商家に生まれた長沼孝三は、昭和6年に東京美術学校(現東京芸大)を卒業し、昭和初期のモダニズムを彫刻で実験的に表現、現代具象彫刻の先進的気鋭として評されてきた。その作品は、日本独自のデザイン感覚に根ざしたフォルムを追求しており、底辺に一貫して流れるのは、母子像に代表される清新な人間愛、慈愛である。氏の生家である丸大屋敷は、隣接する明治の旧郡役所の跡地を含め、歴史空間を活かし文教の杜として整備されており、長沼孝三彫塑館は、その一角に建てられている。 館の収蔵品は466点、他にコレクションの郷土玩具、所蔵の書籍も寄せられている。(終り)
鳩山さんの選挙区は北海道の室蘭市で、そこに住んでは居ない形式的な自宅と大きな事務所があるそうです。その事務所の最上階に本格的な茶室があるそうです。
その不思議な話へ入る前にまず2つの茶室の写真をお楽しみ下さい。
Wikipedeaの茶室(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8C%B6%E5%AE%A4)より、転載させて頂いた兼六園の茶室、夕顔亭(上の写真)と大胆な丸窓がある高台寺遺芳庵(下の写真)です。
鳩山さんは想像を絶するお金持ちなのです。私の友人から先日聞いた話です。若い鳩山さんが初めて自民党から衆議員へ立候補するとき、選挙を手伝ったそうです。その頃の事を良く知っていました。室蘭市の繁華街にいきなり3階建の立派な鳩山事務所のビルを建てたそうです。初めての選挙で応援する人々がいささか殺気立っているのに本人はヒョウヒョウとしています。最近の普天間騒動をご覧になるとご想像がつくと思います。そして鳩山事務所に行くと3階にゆったりした茶室があったそうです。水屋つきの本格的な茶室です。人々はすっかり吃驚してしまったそうです。
千家が京都から茶室専門の腕の良い大工さんを斡旋してくれたそうです。本人が茶道の達人という話はマスコミに出ていません。きっと毎月巨額のお小遣いをくれる母上の趣味なのでしょう。北海道にも茶道の好きな人がいるから茶会へ招いて投票をお願いしようというのでしょうか?なにか茶道の精神から遠く離れたことです。
お金があるからという理由だけで首相になれたのではありません。政治家としての家系が良かったというのも大きな理由です。その上、八方美人で誰にでも愛想がよいのです。
それにしても政治の世界はなにか間違っていませんか?民間では家系がどんなに立派でも本人に能力が無ければ偉くなれません。決断力と実行力が無ければトップになれません。不思議です。鳩山さんも不思議なお人ですが、政治の世界の不合理さ、不思議さに驚いています。それだけの話です。済みません。(終り)
あなたには毎年帰る故郷がありますか?あなたの帰りを待っている祖父母が居ますか?楽しかった幼少の頃を思い出して懐かしく思っていまか?
多くの日本人が心の宝のように大切にしていた「故郷への想い」が無くなったようです。
何時頃から無くなったのでしょうか?
高度成長期は地方の人々が良い仕事のある都会へ集まってきました。家族の生活が少しでも良くなるようにと単身都会へ出て来て働いたのです。望郷の念をもって働いたのです。そして都会の人々の暮らし方の影響を自然に受けます。夫婦が独立しています。祖父母や親類とはあまり行来をしていません。気楽そうです。日本の経済が良くなり都会に家が買えるようになります。地方の家族を呼び寄せます。親類ともなんとなく疎遠になります。海外の彼方此方へ観光旅行へ行くようになります。
そうすると今まで素晴らしいと思っていた故郷もそれほどには思えません。もう祖父母も亡くなり帰る気持ちもなくなりました。先祖代々のお墓のあるお寺へ墓参へ行くのも数年に一回くらいになります。都会の近所に自分達夫婦の入る墓も作ってしまいました。
このような現象が一段と加速されたのは1990年頃のバブル経済の崩壊によってでした。
家族や親類との絆が切れたために、高齢者の介護や孤独死の問題が急速に社会問題になってきたのです。昔なら祖父母は勿論、病弱な伯父伯母、叔父叔母の介護は親類の者が当然のようにして来ました。その絆の為にも故郷という場所が非常に重要な意味を持っていたのです。
日本人が昔から持っていた優しさが消えていったのです。温い人情が消えていったのです。家族が殺し合ったというニュースや孤独死のニュースが多くなって、社会に功利主義が広がっています。ギスギスした社会です。日本人が失った大切なものとは家族や親類の絆だったのです。温いに人情の溢れてる社会を失ったのです。
そんな社会を少しでも住みよいところにしようと努力している人々も居ます。次回はその事を書く予定です。
今日も皆様のご健康と平和をお祈り致します。藤山杜人
埼玉県立航空記念公園です。所沢市にあります。西口から東口まで2km以上ありそうです。昔ここに陸軍の飛行場があり、日本で初めてフランス製の飛行機が飛んだ場所です。戦後、飛行場に樹木を植え、芝生を育て公園にしたのです。広いです。爽快な散歩が楽しめます。今日は晴天なので家内と弁当持参で行き、樹木の下で昼食をして来ました。公園の真ん中近くに航空博物館があります。同じ建物の中に大型映像館もあります。両方とも必見の価値のある珍しいものです。大型映像館はここしばらく野生動物の壮大な映像が楽しめます。公園の周囲に3、4ケ所の駐車場があり2時間までは無料です。65歳以上の人は博物館も大型映像館も無料です。埼玉県といっても東京に接した境にあり交通は便利です。電車の場合は西武線の航空公園前駅で下車すると西口へ繋がっています。
写真をお楽しみ頂ければ嬉しく思います。
昨日は日本人が失った貴重な財産として自己犠牲や忠誠心を重要視する精神文化を書きました。失うものがあれば得るものがある。人間世界の原理原則です。失った大切なものばかりへ目をやって、新しい時代を非難するのは高齢者の偏見です。悲しい偏見です。
戦後、経済の成長期を通うしてアメリカ文化の影響が入ってきて、少しずつ組織より個人を大切に思うようになって来ました。しかしその速度は非常に遅々たるものでした。日本では個人より組織を重視する社会だったのです。
日本の復興と高度成長は、官僚組織主導による大会社中心の大量生産・大量輸出という組織的な活動で成功したのです。中小企業は親会社の傘下になり、産業界は強固な上下関係の組織になっていたのです。その上に君臨していたのは経済産業省(元の通産省)などの中央省庁でした。政府は日米安保や国連との関係など外交と防衛問題に力を注ぎ、経済活動は大会社中心主義の民間企業へ任せていました。そして、収益を上げた企業は土地投機に走りバブル経済が続いたのです。ニューヨークのタイムズスクエアの土地や建物を日本の会社が買って物議をかもしたのもその頃です。しかし1990年頃このバブル経済が一挙に崩壊したのです。大会社の凋落が起き、中小企業が傘下を離れ、個人の起こすベンチャー起業が盛んになったのです。中央官僚組織主導の大会社中心主義は一挙に瓦壊したのです。
個人の考えよりも会社の中の組織の団結を重視して来た日本の精神文化も崩壊します。転職が盛んになりました。大会社がつぶれそうになって転職をせまったからです。本人にとって辛いことです。中年過ぎてからいきなり放り出されるのですから。
しかし転職が盛んになった結果、人々は本気で自分の人生を自分で設計し始めたのです。これが団体より個人を大切にする文化へ変化する引き金になったのです。欧米型の文化になってきたのです。これを貴重な精神文化にするためには注意深い考えが必要です。個人を重要視することの危険性と、それがもたらす善い結果についてもう一段、考えを深化させねばなりません。この問題は続編で稿を改めて書きたいと思います。
1990年頃のバブル経済の崩壊によって日本人が貴重な財産を持つことになったのです。それは組織より個人を大切にする新しい精神文化を意味します。一人一人が真に自由に人生を考えて生きて行ける社会になったのです。戦後45年でやっと真の民主主義という財産を持つことが出来たのです。
1990年前後とそれに続く長い不況で多くの悲劇が起きました。悲しいことが身の周りにも起きました。しかしそれを乗り越えて新しい文化が生まれたのです。もう一度立ちあがる人々も沢山います。日本は明るい元気な社会になると信じています。
今日も皆様のご健康と平和をお祈り致します。藤山杜人
仕事を一切止めてから4年になります。しかし、今思い出しても、悲しくなるのは通勤で乗らねばならない満員電車の事です。人それぞれ感じ方は違うと思いますが、私は人権を侵害されたような気分で、人混みの駅を急いで離れます。承諾もしないのに押しまくられるのです。足が宙に浮きます。息が出来ません。その感想を職場の人にすると案外気にしていません。それも給料の一部だと思って諦めなさいと説教されて終りです。
20年程前に、訪日したアメリカ人をあちこちの大学や会社の研究所へ案内していました。混んだ電車が来ると乗りません。次も混んでいると又乗りません。3台目にも混んだ電車が来ました。私は彼の腕をとって乗り込みました。あからさまに厭そうな顔をしています。
帰りに空いた電車に乗った時、私は朝のことを思い出して聞きました、「何故、朝に乗らなかったのですか?」
彼の答えは他人の人権を踏みにじり、自分の人権も踏みにじられるのが厭だから乗らなかったというものでした。私は日本では電車だけでなくお互いに人権を侵害しないと生きて行けないのですと説明しました。彼は悲しそうな顔をして黙ってしまったのです。その後、私は満員電車に乗る度に彼の悲しそうに黙ってしまった顔を思い出します。
仕事を止めてから4年間。満員電車のことはすっかり忘れていました。それが下のようなマストの林の光景を見て思い出しました。彼の悲しそうな顔を思い出しました。
いくら土地が狭いからといってこんなに詰めてヨットを置くのは悲しい光景です。美艇の人権は完全に無視されています。ヨットを置いている人々はもっと空いたマリーナを探したのでしょうか?
しかも、この隣にガラガラに空いている神奈川県営の葉山港マリーナがあるのです。昔は鐙擦港(アブズリコウ)と呼ばれていた港の半分を漁港にし、南半分をヨットやモーターボートのマリーナにして経営しているのです。係留料も半額以下です。ガラガラ空いている理由は、お役所仕事のせいでサービスが悪いからです。何年間も無駄にマリーナが空いているのです。お役所の予算の都合でヨットを上架するためのクレーンが何時までも作れないからです。何故か立派すぎる防波堤やヨットの広大な置き場は2、3年前に完成しています。マリーナ経営の経験の無いお役人が収益を無視して企画し、毎年少しずつ予算を取って行くのです。事業仕分けは県庁の事業にも広げるべきと暗い気持ちになってしまいました。
豊かになった日本ではありますが何故か心が貧しいような気がしてしまいます。ヨットは個人の趣味ですから県の公金を使うべきでないという意見の人も多いと聞きます。それに反してスポーツ振興の為に使うというなら、もっともっと効率良く使うべきではないでしょうか?何かが間違っていると思います。皆様のご意見を頂ければ嬉しく思います。
真面目なブログを展開している荻野誠人という学校の先生から以下のような質問を頂きました。多くの日本人が持っている疑問です。これへ対して本音で答えれば誰でも明快に納得する筈ですが、誰も本音を言いません。キリスト教へ対する不信感だけが広がってしまいます。そこで今日は本音を書いてみます。その前に、質問をお読み下さい。
=======荻野誠人さんからの質問===========
お元気ですか。お邪魔します。貴方のブログに「強力な武装こそが戦争を回避し、平和を守った」と書いてありましたが、私はこの考え方に賛成です。ただ、長年の疑問がありますので、ここで質問をお許しくださいませんか。キリスト教の教義に有名な「右の頰を打たれたら、左の頰を差し出せ」がありますね。欧米の人たちは、武装して平和を守るという考え方とキリスト教の教義と、どう折り合いをつけているのでしょうか。なお、日本人も戦前は非武装のような考え方は余りしなかったように思います。私の聞いている範囲では、戦後GHQが日本を完全に無力化しようと考えたことと、社会主義勢力の平和運動とが非武装の考え方を根付かせてしまったらしいです。それではまた。失礼します。(投稿 荻野誠人 | 2010/05/29 15:02 )
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答えは簡単です。武装して平和を守るという考え方とキリスト教の教義と折り合いは不可能です。その矛盾した考えの両方を持って人間は生きているのです。欧米人へ対して、その矛盾を声高に非難することは礼儀に反すると理解しなければいけません。殺生を禁じた佛教国の日本人も昔から魚を食べて来ました。お釈迦様の教えを無視して来たのです。欧米人だけでなく心ある日本人も矛盾に苦しんで生きているのです。傷口に塩を塗るような行為は立派な日本人はしない筈です。
多くの人間は国籍を問わず他国を武力で威圧して自分の属国にしたい。占領してその富を収奪したいという生存競争本能を持っています。そのお陰で、貴方も、私もこうして平穏な日本で生活して行けるのです。しかしこの生存競争の本能をそのまま放置すると人間は動物のようになってしまいます。この本能は良い結果ももたらしますが悪魔のような行為をもさせます。このむき出しの本能を少しでも規制し、倫理的な秩序ある人間社会をつくる手助けをしているが宗教です。その点においては仏教もキリスト教もイスラム教もヒンズー教も皆同じです。
米軍基地反対!自衛隊反対!と叫んでいる人々は、見方を変えると大変卑怯な行為を平然としています。自分が叫んでも、政権を持っている人が実行できない事を熟知しているから大声で、「米軍基地反対!自衛隊反対!」と騒げるのです。自分が安全な圏内にいて、心地よい台詞を叫んでいるだけなのです。
キリスト教のいろいろな宗派には教義と国家武装の矛盾を避ける決心をしているものが沢山あります。ルターの宗教改革後に出て来たメノナイトやアーミッシュの宗派では絶対平和主義と近代の物質主義反対の生活を続けています。アメリカにあるアーミッシュの村々では自働車も電気も使いません。徴兵には応じますが軍隊の事務系の仕事や病院勤務をします。アメリカの税金も納めず、義務教育にも従いません。そんな村々をアメリカ人が大切に保護しているのです。自分もそうしたいが現実的に出来ないので代わりに実行してくれている人々を大切にしているのです。欧米人は心に傷を抱いて生きているのです。生きて行くためには矛盾を背負う覚悟が必要なのです。
多くの日本人が欧米人がキリスト教に矛盾して過剰軍備をしていると非難します。それは悲しい姿です。自分の矛盾した生活や人生に気がつかず他人の弱点を非難している姿なのです。最後にアメリカのアーミッシュの風景写真をお送りします。
皆様が、欧米人へも、イスラム教国の人々へ対しても温かい気持ちが持てるようになる事を心からお祈り申し上げます。藤山杜人