後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

2010年の終りに戦前の動物園を思い出す

2010年12月31日 | 日記・エッセイ・コラム

間もなく2010年も暮れゆこうとしています。

そうしたら、先程、もえじいさんが昔の、戦前の、仙台市の動物園の追憶の文章をお送り下さいました。先日の記事、年賀状を書きながら古里を懐かしく思う へのコメントです。

第二次大戦以前に、日本にも幸福な市民生活があったです。昭和18年、1943年、迄、まともな生活があったのです。今年最後の記事として、この楽しい追憶をお送りし、皆様の来る年の幸多かれとお祈り致します。(もえじいさんは私の中学校時代の友人です)

======もえじいさんからのコメント=========

私の名前(もえじい)が出ておりましたのでコメントを寄せない訳にはまいりません。文中にある「評定河原の動物園」の件は、半世紀以上前のことですが想い出しました。幼少の頃、父に連れられチンチン電車に乗ってその動物園に行きました。記憶にあるのは、なぜか何頭かの大きな白クマで、大好きでした。今は亡き父と楽しい一日を過ごしたものでした。しかし、その後戦争が厳しい状況になると、大きな動物は軍の命令で、みな殺されてしまったのです。上野動物園のゾウも同じ運命をたどり、戦後ドラマにもなりましたね。地方都市の動物園も皆悲しい処置を受けたのです!そして大空襲にあい、我家も焼夷弾の雨で焼け落ちました。燃え盛る火の中を子供の足でよく逃げられたと思います。今でも白クマが忘れられません。(終り)

下の写真は評定河原の一銭橋から広瀬川の上流方向を見た写真です。昔の仙台市立動物園は写真の右手の白いビルの向こう側に広がっていました。0781


静かに元朝を待つ今日の小金井神社の写真です

2010年12月31日 | 写真

東京都、小金井市で一番大きな神社は小金井神社です。1205年創建と伝えられています。静かな日和でしたので一年間の感謝の祈りへ行きました。静寂そのものの境内を散歩して来ました。写真をお楽しみ頂ければ嬉しく存じます。

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今日は大晦日・・・このブログの読者の方々へ深く感謝します

2010年12月31日 | 日記・エッセイ・コラム

まだまだ先のことと思っていた大晦日が来ました。この一年、皆様にこのつたないブログをご覧頂いたことに深く、深く感謝しています。

2007年11月に開始以来、3年2ケ月になります。お陰さまでアクセス数も312,000件になりました。本当に有難う御座いました。来年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。

皆様、楽しいお正月をお迎えになられますようにお祈り申し上げます。

そして来年も幸多い年になりますようにお祈り申し上げます。藤山杜人

今年のブログ記事の中から近所の花々の記事を以下にお送り申し上げます。

自宅の庭や近所の花々の写真をお送りしたす

風かおる五月。花々が一斉に咲いています。自宅と近所の花々の写真をお送りします。

フジ、ナンジャモンジャの花、キングサリ、そして紅白のドッグウッドの花です。

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今日は全国が寒波に覆われています・・・暖かい温室の花々の写真をお送りします

2010年12月30日 | 写真

最近、寒波が全国を覆っていますね。庭の水盤も毎朝氷ります。今日の日中は3度しか上がりませんでした。そこで暖かい温室の花々の写真をお送りします。神代植物公園の温室で先週撮った写真です。温室の中は春の陽気でした。気持ちだけでも暖まって下されば嬉しく思います。

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人間の不幸を描く(1)娯楽作品と文学作品のあいだ

2010年12月30日 | 日記・エッセイ・コラム

自宅の本棚の前で立ち読みをするのが癖になっています。

10年位前に娯楽作品や装丁の粗末な本を多数処分してしまいました。残った装丁の良い本の前で背表紙を眺めるのも楽しいものです。辻邦生、「国境の白い山」、浦松佐美太郎、「たった一人の山」、遠藤周作、「沈黙」、北杜夫、「輝ける碧き空の下で」、武田百合子、「富士日記」などなどを脈絡も無く手にとって拾い読みをしました。

拾い読みをしながら、フッと文学作品の共通のテーマの事を考えていました。思いきって簡略に言えば、「人間の不幸を書くこと」が共通のテーマです。

その描き方が低劣に近ければ娯楽作品になり、格調高ければ文学作品になります。今日から始めるシリーズ記事、「人間の不幸を描く」ではその描き方についてルース・ベネディクト流の比較文化論的な分析をしてみたいと思っています。成功するか失敗するか自信がありませんが。同じ日本人でも格調の高い描き方とそうでない描き方をする作家がいます。その格調とは何を意味するのでしょうか?比較して見ると解り易いと思います。

それは次回以降にして、今日は武田百合子の富士日記(上、下)のついてその印象を述べたいと思います。夫である武田泰淳と共に、1960年から1976年の泰淳の死に至るまでの16年間住んだ富士山麓の別荘での日記です。

武田百合子は天真爛漫な女性です。実生活の達人です。その上卓越した人間へ対する透察力を持っています。毎日、朝昼晩と何を食べたか克明に書いてあります。体の弱い夫を車で送り迎えする様子が書いてあります。峠道を越えて、甲府盆地の「小松観光農園」へ夫と一人娘の花子と3人で遊びに行ったときの事が書いてあります。行間に意識しないユーモアが溢れています。決して自分の境遇が幸せであるとか、不幸であるとかなど一言半句も書いていません。しかし病気がちな夫といずれ別れる予感が読者に感じさせるのです。

この本が出版されたのは1976年に夫が死んだ翌年の事です。とても良く読まれた本となりました。読む人は武田泰淳の作品を読んだ人々が多かったようです。武田泰淳のオマージュになっているのです。武田百合子は出版に際して感傷的な書き換えなど一切していないようです。だからこそ残された妻の深い悲しみが読者に感じさせます。

本の読み方は人それぞれ勝手で良いのです。私は泰淳のオマージュとして読みましたが、一個の独立した作品として読んだ人も多いと思います。日常茶飯事の事だけを書いていますが、人間が書いあるのです。富士山麓の地元の建設業者が、「旦那さんは甘いが、奥さんはキツイ」と言ったと書いてあります。夫が褒められて嬉しかったのでしょう。こんな一行に夫婦愛が描かれています。武田百合子さんは1993年に旅立ちました。(続く)

今日は、皆様の平穏な年の暮れをお祈り申し上げます。藤山杜人


自分の気持ちを写真に撮って見る人へ伝える

2010年12月29日 | 写真

写真を撮る時、美しい風景だけではつまらないと思っています。自分のその時の気持ちを写真に撮って、皆様へ伝えたいと思います。

例えば、ああ、寒い冬が来たなあ、という感じを写真に撮って、皆様へも寒い冬がきたなあ、と感じて頂きたいのです。その例を下に示します。12月23日に甲斐駒の麓で撮った写真です。

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ルース・ベネディクトの考えがこのブログの底に流れています

2010年12月29日 | 日記・エッセイ・コラム

ものの見方、考え方の上で私が一番影響を受けた本はルース・ベネディクトの「菊と刀」です。比較文化人類学者の彼女が1946年にボストンで出版した本です。日本人固有の文化を「恥の文化」として明快に分析した本です。その上、全ての民族の文化には優劣が無いと力強く宣言しています。敗戦で打ちひしがれていた日本人を鼓舞するような内容でした。その上、日本語に訳された文章の流れが散文詩のように美しいのです。何故か?ルース・ベネディクトは詩人でもあったのです。C.ダグラス・ラミス著「内なる外国ー菊と刀再考」(1981年時事通信社版)にその事が詳しく紹介してあります。そして卓越した人類学の権威者のC.ダグラス・ラミスが書いています。「菊と刀」は人類学の名著です。いやしくも人類学を専攻する者は必ず読む本です。この本の欠点を指摘する事は誰にでも出来ます。しかしこの本を凌駕するような名著を書ける人は居ないのです。

私が深く影響を受けた理由はもう一つあったのです。それは学問の研究はこうするものですと、その方法を教えてくれたことです。彼女は日本語も話せず、日本へ来た事もありませんでした。太平洋戦争の間、アメリカ本国へ連れて来られた日本兵捕虜の尋問記録だけを多数集めて、それを分類整理し、日本人固有の考え方を抽出したのです。それは見事な作業です。個人の固有の考え方と日本人の普遍的な考え方を分離して、抽出して行く作業です。それは明確な科学的な研究方法です。この本を読んだ1958年当時、私は科学者の道を選んでいたので深く感動したのです。

詳しいことは別にして、このブログで人間の文化や宗教を書く時は、いつも彼女の比較文化人類学の一つの本だけを思い出しながら書いています。

つまらない、そして小さな実例を写真で示します。下の写真にはイエス様が2010年前に生まれた様子が写っています。その後ろに2010年後の日本の文化が写っています。自転車が何気なく置かれ、右後ろには精巧な、しかし何故か軽々しいアルミサッシで縁取られた建物が建っています。この小さな教会のイタリヤ人の神父さんの住んで居る司祭館です。2010年前の文化と現在の日本の文化の断片が同時に写っているのです。ルース・ベネディクトは言います。「どちらの文化にも優劣はありません!」と。でも本当でしょうか?

現在の日本は豊かになって、人々は2010年前より一層幸せになったのでしょうか?

解答は貴方の心の中にあります。「菊と刀」はいつもそんな事を考えさせる本なのです。それを想いながら来年もこのブログを書いていきたいと思います。来年もどうぞ宜しくお願い申しあげます。

今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。藤山杜人

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今日はヨットの大掃除・・・お正月が迎えられます

2010年12月28日 | 写真

今日はヨットの年末の大掃除へ行きました。まず、キャビンの中でお茶を淹れて、昼食です。その後は大掃除です。室内を雑巾で拭き清めました。外の甲板は洗剤を撒いて、水をかけ、デッキブラシでゴシゴシ洗いました。意外にも家内が、子供のように大はりきりで、デッキブラシで洗ってくれました。その後は、エンジンの奥深くまで石油ストーブ用の手動ポンプを差し込み、一年間汚れたオイルを抜き取りました。ほとんど全部抜き取れたのは大成功でした。その後、新しいエンジンオイルを入れ完成です。しかしバッテリーが寿命で弱くなっています。正月あけに新しいのを購入するかなと考えながら帰って来ました。船を持っていると保守管理に苦労します。実はそれが楽しみなのですが。毎度、つまらないお話で恐縮です。おやすみなさい。

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私は悪人・・・でもその事を書かない深い理由

2010年12月28日 | 日記・エッセイ・コラム

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この写真は私の気持ちを写しだしているようです。心は悪い想念で一杯ですが、明るい太陽が照らしてくれています。もう少し太陽が上がれば雑木林が明るくなり、木々の梢の向こうに青い、美しい空が広がります。

本来、私は悪人ですが、その事はブログに書きません。書かない理由は、もちろん自分を良い人間だと見せかけるためです。しかしもう一つ深い理由があるのです。

悪い考えを書けば自分が一層悪くなるばかりでなく、読んだ人も低劣な人間にするからです。

例えば、尖閣諸島で中国政府が無理無体な事をした時、私は日本の領海にいる中国の艦艇や漁船は航空自衛隊の戦闘機で攻撃して、全て撃沈してしまえと思いました。そうしたらどんなに胸がスッキリしたことでしょう。皆様はそのように考えませんでしたでしょうか?

暴力を使って問題を解決するのは低劣な人間のすることです。上の文章を読んだ日本人は本気で考える人は居ません。しかし読んでいる間だけはスッキリした気分になります。すなわち、その間だけ悪い人間になっているのです。

自分の悪い考えを書いて他人も悪くしてしまう。恐ろしいことです。ですからこのブログではなるべく私の悪い考えや低劣な本音は書きません。

ところがマスコミや新聞では平気で悪い考えを報道します。その方が視聴率が上がり、購読者数が増えるからです。その事を非難しません。利潤追求の事業をしている限り当然です。それを喜んでいる視聴者や読者も非難出来ません。私も同じですから。

ところがこのブログは利潤を得るために書いているのではありません。アマチュア精神で書いています。利潤のことは考えないで良いのです。利潤や、利権や、名誉にとらわれないで自由に書ける場所です。コメントを下さる方々もその事を深くご理解の上で、建設的なコメントを下さいます。その事を見て私は益々良い内容にしようと思います。悪のスパイラルではなく善いスパイラルが回るのです。

これが何故このブログでは悪い事を書かないかという理由です。年の瀬も押しつまって来ました。どうぞ来年も、このブログを宜しくお願い申し上げます。

今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。藤山杜人


Solid state electrochemistry and its applications to sensors and electronic devices. By K. S. Goto

2010年12月27日 | うんちく・小ネタ

Solid state electrochemistry and its applications to sensors and electronic devices. By K. S. Goto. Elsevier Science Publishers, Amsterdam 1988. x, 454 pp., bound, US $ 119.50.?ISBN 0-444-42912-3

(http://onlinelibrary.wiley.com/doi/10.1002/adma.19890010613/abstract)

この本の書評を以下に保存したいと思います。記録し、保存するための記事である事をお許し下さい。

The title of the book is somewhat misleading, implyingthat the coverage is much broader than it is in reality. It is in fact restricted to the electrochemistry of solid and liquid(melts, slags) oxides at temperatures in the range 200-2000°C. The monograph is based on lecture notes of a course given by the author on this specific theme at the Tokyo Institute of Technology since 1971. About 100 “Problems” for discussion and calculations found in the appendix of the book are indicative of this origin.

The book can be divided roughly in two parts, chapters 1-9 “Fundamentals” and chapters 10- 13 Applications”.

In the course of the first part, which makes up about 60% of the book, a thorough treatment of the following fundamental properties of oxides is given from an electrochemical point of view:

a) Transport properties, diffusion, electronic and ionic conduction in binary oxides and multicomponent systems (chapters 2- 5).

b) Thermodynamics of solid state galvanic cells, including the electrochemical Knudsen effusion cell. This is the only location, where the work of H. Rickert (erronneously cited throughout as “H. Richert”) has been mentioned. His monographs on solid ionic electrochemistry are ignored, as is also the case (with one exception) for the pioneering work of C.Wagner (chapters 6-7).

c) Electrochemical kinetics. The chapters 8 and 9 are very useful and overpotential phenomena at the phase boundaries metal/solid oxide as well as metal/liquid-oxide melts are treated thoroughly. The author also introduces the use of the Pt-rotating disc electrode in PbO-SiO, melts at 1000 “C.

The final four chapters are devoted to various applications of solid state (sss) devices, with a strong emphasis on oxygen sensors for metallurgy and on MOS-sensors (another name for ISFETS; however, this term is not used in the book). In cooperation with the Japanese steel industry, the author has developed various sensor designs to measure the oxygen activity in molten iron as well as in molten slag. Typical values

are atm and lo-* atm, respectively. Interesting correlations to the carbon content in the iron, the duration of

oxygen blasting or the ratio of Fe”’/Fe” in the slag have been found. This section is most authoritative, and the predominance of Japanese references is more justified here than in other parts of the book. The work of Junke et al. is also adequately discussed. Some parts, however, lie outside the scope “high temperature application” such as those in section 13.3 which include electrochromic displays, coulometric timers or pacemaker batteries. A brief account that electrochemical reactions are relevant to impurity effects and

long term behavior (corrosion) of electronic devices, is given in chapter 1 , but it is not followed up later in the book.

The typed manuscript has been directly reproduced, unfortunately without line balance, but  typing errors are minimal.

The price is high, as with many other specialized monographs,but although the variety of the possible subject

matter in this area is extremely large, for example, stoichiometry,texture, phases and  the result of various combinations, the book is clearly written and a guide in this broad field. It is also clear, that “in the future, many more electronic devices will surely be developed to utilize the physical and chemical properties of solid oxides”. 

by  Fritz Beck

Fachgebiet Elektrochemie der Universitiit

Gesamthochschule Duisburg (FRG)


子供さんや孫達へおもちゃを買って楽しいお正月を迎えましょう!

2010年12月27日 | うんちく・小ネタ

自分の子供だった頃は戦争中でおもちゃなどはめったに買って貰えませんでした。

1988年から2年間、オハイオ州に住んでいる時、大型ショッピングセンターにトイザラスというおもちゃの大型専門店がありビックリしました。子供の性別、年令別、に種々のおもちゃが大きな店に整然と分類してキラビヤカに陳列してあfります。何故かひどく感動した記憶があります。

ところがそれから数年して、トイザラスが日本へ上陸して来ました。東京には既に数店あります。最近は、毎年、孫達のクリスマスプレゼントを買いに行きます。珍しいおもちゃが毎年出てくるので見て居るだけで面白いものです。

子供や孫に適切な予算を提示して、納得の上、自由に選ぶのです。気に入ったおもちゃを抱えて帰宅すると、とたんに家庭円満な雰囲気になります。これで楽しいお正月も迎えられるようです。下の写真はトイザラス府中店の風景です。

是非、お出掛けになって見て下さい。店に行く前に子供に両親から武器のおもちゃやゲーム機は禁止ですと説明します。その上で、適切な予算を説明して、納得させてから行くことが鉄則です。店の中で親子やじじばばと孫が論争をするのはいけません。なごやかな雰囲気で選ぶことが一層楽しくします。つまらない話で失礼しました。

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自分が存在していた証を昨夜、偶然見つけました(続き)

2010年12月27日 | 日記・エッセイ・コラム

私は長い研究生活の間、単行本を出そうという気持ちはありませんでした。英語と日本語で研究論文を書いてアメリカや日本の学会誌へ200件近い投稿を致しました。アメリカの学会誌には厳しい審査があり、それを合格して印刷、公表されるのが面白かったものです。

しかし、一つだけ単行本を出版しました。北田正弘・後藤和弘 編著、「デバイス工学」、海文堂出版社、昭和63年刊です。検索してみたらまだ存在していました。これも自分がこの世に存在していた証の様な感じがいたします。しかしそれもいずれは消えてなくなります。はかない人生ではありますが、ほんの少しだけ慰められます。http://buzz.goo.ne.jp/item/cid/9/pcid/109679844/tab_flag/3/ にあります。

考えてみるとこのような事をブログに書いても仕方のないことです。お読み頂いた方々にとっては何の役にも立ちません。大変恐縮しています。どうぞこんな愚かなことを書いた私をお許しください。(終り)


自分が存在していた証を昨夜、偶然見つけました

2010年12月27日 | 日記・エッセイ・コラム

老境に入ると社会との縁も切れ、昔の仕事のことも一切忘れてしまいます。毎日、趣味を楽しみながら日々が過ぎて行きます。自分がこの世に存在していた事実も次第に消えて行きます。知人、友人、家族の記憶の中にだけ生きています。しかし記憶もしだいに消えて行くものです。この世ははかないと思います。しかしそれも人の定めです。別に悲しんだり、嘆いたりしている訳でもありません。

ところが昨夜、自分が専門にしていた学問分野はどうなっているかと検索してみました。すると偶然、自分が書いた本の題目と書評が出て来ました。22年前にオランダのアムステルダムの出版社から出した本です。それを読んで書評を書いてくれている人が居たのです。ドイツのDuisburgにある大学のFritz Beck という人でした。

私のライフワークになった研究のテーマは1960年、オハイオ州立大学でセント・ピエール教授から教えてもらったものです。その高温個体電気化学に関する研究をその後、連綿と続けて来ました。この本は26年の間、続けて来た自分の研究を集大成した本です。

アムステルダムにあるエルスビアーという出版社から書きませんかと誘われて書いた本でした。英語が下手なので、タイプした原稿をオハイオ時代の同級生だったGeorge Ortonさんと Jim Battelさんへ数ページずつ送り英語を修正して貰いながら完成したのです。そのGeorgeも3年前に亡くなってしまいました。

この本は高価な専門書だったので数は売れませんでした。出版社の編集者に聞くと数はそれほど出ませんが、欧米の大学の図書館で購入して学生が読むから心配する必要はないですと教えてくれました。1988年から毎年少しの印税を10年間送ってくれました。ところで、それ以前の1972年にもロンドンのアカデミック・プレスから出た本の一部を分担執筆したこともありました。その時も少しばかりの印税を何年も送ってきました。欧米の出版社は契約を守り、手堅い経営をするものだと、当時感動したものです。

そんな事などを思い出しながら、昨夜は何故か自分の存在を証明して貰ったような気分で、安心しながら眠りました。

その1988年に出した本の題目と書評は次のURLにあります。

http://onlinelibrary.wiley.com/doi/10.1002/adma.19890010613/abstract

http://onlinelibrary.wiley.com/doi/10.1002/ange.19891010661/pdf

今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。藤山杜人


青木 保 著、「タイの僧院にて」の紹介

2010年12月26日 | 日記・エッセイ・コラム

青木保氏を検索すると彼の二番目に出版した本として、「タイの僧院にて」があげてあります。1976年に中央公論社から発行されています。私は1977年頃、読んで感銘を受けました。

最近、私は昔読んだ本を棚から取り出して、ゆっくり読み直しています。老境になって昔とは違う視点で読んでいます。

この本は、青木さんが人類学者として研究を始めた頃、1972年3月から1973年12月までの1年8ケ月間、小乗仏教のタイの僧院に修業僧として戒律を守りながら生活した時の記録です。日本の仏教は大乗仏教です。戒律はあまり厳しくありません。しかし小乗仏教は生活の中に戒律があり、それを守ると、お釈迦様の教えが理解出来ると信じられています。

この本の面白さはその戒律の内容が解り易く説明してあります。殺すな。盗むな。性的な事は禁止。黄色の衣を着て、托鉢をする事。などなどの戒律が227もあります。そしてそのの戒律が生活の中に自然に溶け込んでいる僧院の中の日常が書いてあります。

もう一つ興味深い事は一般人と僧との関係です。成人すると男性は必ず数か月から1、2年、髪を剃って僧院で修業僧の生活をします。それが修了して環俗して職業生活を続行するのです。ある一定の期間僧になるのです。

一般の女性は托鉢に来る修業僧へ食べ物や供物を捧げ、僧を尊敬します。

タイでは仏教が身近の日常生活の部分になっているのです。

昔この本を読んだ時は、小乗仏教の戒律の内容に興味がありました。そして現在、老境になってみると成人した男性が一度、僧院に入る事実に感動します。

宗教は訓練です。一度でも訓練を受けると一生忘れないのです。その訓練を現在も重要視している国が存在している事に感銘を受けます。

タイでの政争やクーデターはよく新聞に出ます。マスコミも興味本位に報道します。しかし一方ではタイの成人男性は僧院で修業しているのです。その事実を報道し、タイの人々を尊敬するような新聞記事を読みたいと思っています。

他国に関する報道が興味本意であるとしたら、それは自分達の心の貧しさの証です。そんな事を考えさせる本です。この青木 保 著、「タイの僧院にて」は一読をお薦めしたい本です。

(終り)下にこの記事へコメントをくれたGakuさんのブログからお借りした写真を示します。

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