後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

マイフレのオヤジさんの抱腹絶倒の面白い作品をお送りします

2011年05月31日 | 日記・エッセイ・コラム

『福島原発の仮想真実』

あのとき、
伝令 『所長、本社から海水注入を停めろといって来てますよ。』
所長 『なぜ?』
伝令 『再臨界になる可能性がゼロではないそうです。』
所長 『そりゃそうだろう。だから水を入れている。真水がなくなったから
    海水をいれてるんだ。誰が言ったって?』
伝令 『斑目さんです』
所長 『何者?』
伝令 『原子力安全委員会の委員長だそうです』
所長 『ああ、今はそういう名前の人がやっていたのか、安全委員会は。
    それでその人は、注入を停めれば再臨界の可能性がゼロになると言ったか?』


伝令 『私はそこまで知らされておりません』
所長 『それでは、、停めるわけにはいかないよ』
伝令 『えーっ!そんなこといえませんよ。』
所長 『そうれもそうだな。君は伝令だもんな。じゃあ、確かに伝えましたと伝えればよい。』

地震の日の自民党
 『こりゃー大きな地震だな。せっかく菅さんをいいところまで追い詰めてたのに、
 しばらくはダメだなでも、菅さんのことだから、この地震じゃお手あげだろう。すぐにボロを出すさ 。
 それを待とう。あの”政治”を知らぬ市民運動家ごときの手に負えるわけがない。
 すぐにお手上げになって、辞任すると言い出すさ。』

地震の日の首相官邸
菅 『あすこには原発があったな。すぐ東電と東北電の話を聞いてくれ』
官房長官 『東北電は無事らしいですが、東電は想定をはるかに超える事態だから、手を引くと言ってます。』
 筆者註 (想定外ならば、現行法では免責になる)
       
菅 『なんだと!信じられん。すぐ呼びだせ。いや、彼らを待てばいつ来るか分からん。私が行く』

東電で、
菅 『手を引くだと?! そんなバカなことを言っているとすぐにでも潰れるぞ。』
  (筆者註・潰すぞと言ったかも。イラ菅の面目躍如)

官邸に戻ってから
菅 『あんな頼りない本社に任せておくわけにはいかない。私がが行って現場を見てくる』

現地から戻って
菅 『あそこの所長なら本社より頼りになる。さて、津波だが、何万人もが
  流されたそうだな。
  私は津波をやらなきゃならんから、枝野くん、東電は頼んだよ。本社より、
  現場の方が頼りになるからな』

自民党
  『そーらみろ、さっそくボロを出した。こんな大事なときに官邸を空けて、東電に

   行って、はしたなく怒鳴り散らしたかと思えば、またもやヘリで福島くんだりまで
   飛んだそうじゃないか。こういうときは、官邸にどっしりと腰を据えて、理路整然と対処
   するのが将たるもののあるべき姿だ。菅さんはその器ではない。』
  筆者註 あなたがその器なの? 違う? じゃ、誰なの? ・・・・
      どっしりと腰を据えていて東電本社が動いたと思う?あなた想像力不足だねー。
      将の器かどうか知らんけど

菅さんが谷垣さんに電話した日の自民党
  『予想通り、助けてくれと言ってきたぞ。根回しも何にもないところろが菅さんらしいな。
  あなたがが辞めるなら助けても良いと答えておこう』

翌日の谷垣さんとマスコミの大合唱
  『いきなり電話で言って来るなど笑止千万。政治のせの字もわかっていない。
  しょせんは、市民運動家にすぎない。首相の器ではない。』
  (筆者註・何で政治家は市民運動家より偉いんだろう?)

1ヵ月後
自民党  『随分叩いたけどなかなかやめないなー。けっこうしぶといぞ彼は』

菅 『評判が悪いのを気にしてすぐ辞めてしまったおたくのプリンスさんと違って
  そう簡単に辞めるつもりはまったくないよ。この一大事のときに投げ出すなんて
  無責任なことを、まともな男ならするわけがないでしょうが。』
  『プリンスさんだけじゃないよ。その後ぞろぞろ出てきては、毎年消えていったお坊ちゃん2代目、
  三代目の人達とは、私は違うんだ。なめないでもらいたいね。』
 筆者註(鳩山と名指しはしなかったけど、明らかに”人達”の中に含めてるな。やるじゃん、菅さん。)

2ヵ月後
自民党 『あの日、菅さんが海水注水を停めろと命じて、何時間か後にあわてて
     再開させたって、聞いたぞ。そのおかげで随分いろんなことが遅れたと
     聞いたぞ。さっそく国会で追及しよう。今度こそ菅さんはおしまいだ。』

斑目委員長
  『私は再臨界の可能性があると言ったのではない。可能性がゼロではない
   と言ったのだ』

岡田幹事長
  『どこがどう違うかよくわからないが、言った本人がそう言うのなら、
  仕方がないそう言い換えよう』

谷垣
  『こんなに言う事がころころ変わる政権に国を任せるわけにはいかない。
  即刻首相を辞任せよ』 
  筆者註・とは言ったが、『あとは私に任せろ』とは一言も言わなかった。
       辞めさせた後、どうするつもりなんだろう?
       それに、再臨界の可能性があると可能性がゼロではない
       の違いが谷垣さんには分かったのだろうか。
       ころころ変えると非難するからには、わかったんだろうなー

吉田所長
  『注水を誰が止めたかで国会がモメてるんだって?? 今頃なんでまた?
  そんなもんが菅降ろしの材料につかえるの? 変な国だねえ。
  しょうがない、墓場まで持っていくつもりだったけど、こんなバカなことで
  首相のクビをとばすわけにはいくまい。白状しよう。』

谷垣
 『えーっ、停めてないのー?』誰があんな情報を持ち込んだんだ!仕方がない、
 方針を変えよう。現場とそんなに意思の疎通がない組織にこの国を任せる
 わけにはいかない。今後はこれでいこう。』

筆者註
 たしか前原さんだっけ、国会でニセメールで政府を追求して、それがバレた。
 『うーん、あんなもんに引っかかった自分がバカだった』と野党党首を辞任したのは。

 谷垣さん、どうします?

サミットから帰国して
枝野 『不信任案提出と党内にまで騒ぐ議員が増えて、不穏な状況ですよ』
菅 『チルドレン達か? 心配ない。放っておこう』
枝野 『でも人数が人数ですから・・・、通ったら総辞職か解散でしょ。』
菅 『総辞職は絶対にしない。この重大事に政局などやってるわけにはいかない。』
枝野 『でも、どっちかにしないと、政治が滞るとの批判が』
菅 『滞るような仕掛けをしたのは向こうだ。そんな批判は理屈に合ない。だから、不信任提出は出来ない。
提出させないように、私が先手をうって、”彼らは、この重大事に政治を滞らせようとしている。滞らせない
唯一の道は、政府が出す法案をすぐに審議して、一刻も早く通すことだ。審議をして反対ならすぐに対案を
出してください。そっちが良い案だと思える良案なら、即座に取り込みます。時間が問題なのです、今は特に”』と。

枝野『なるほど。』
菅 『第一、造反・解散して真っ先に落ちるのはうちのチルドレン達だ。選挙なんかしたしたいはずかない。
だから造反などできはしないよ。わが党の新人だから、ある意味では残念だけど、そんなホネのある者は居ない。』
鳩山さんはどうかわからないが、小沢さんは解かっているよ、自分のチルドレンの程度くらいは。』

素人でアマチュアの私にだって、これくらいの内実らしきものが見えるのです。玄人でプロのあなた方に見えないはずはない。なのになぜ言わないのですか? 最初に言うのは怖い? そんな公式発表はなかったから? それじゃあ、永遠に特種なんか取れませんぜ。
 外国人のジャーナリストなら、誰も書かないうちだからこそ、命を張ってでも書くんじゃないんですか? 記者さん、知っている事をさっさと私ら一般民衆に教えてくださいよ。お願いしますよ。

追伸
 週刊新潮の6月2日号はけっこう読み応えがありますよ。
 国会では誰が言ったかでもめていて、実は停めなかったことが
明らかになる直前という絶妙のタイミングで発行されています。
 大見出しのハデさから、内容の詳細まで、菅降ろし一色です。
 あれを書いた記者はさぞ赤面しているだろう。
 でも、まともな記者があんなお粗末な記事を書くだろうか?
 誰かさんに金を貰ったやつなら、今頃いそいそと、金勘定でもしているかも。
 最近、まともな記者の間で、何を書いても握りつぶされるという愚痴が増えているという噂があるそうです。
 私が生まれる前年、日米開戦のときに、マスコミ(今も全社健在)が何を煽ったか?


 あんなに完璧に菅降ろしで染め上げるには、うしろで何か黒い者が動いているに違いない。
 なんか不気味な感じがしました。


公園に植えてある花々も美しいものです

2011年05月31日 | 写真

野の小さな草花には、その自然な美ししさに魅了されます。そして公園にある園芸種の花々は、毎年、毎年、改良して、植えてあります。訪れる人々を楽しまそうという努力が偲ばれて良いものです。

下の写真は上の3枚は府中市郷土の森公園で一昨日撮ったもので、下の2枚は小金井公園で昨日撮りました。決して良い出来の写真ではありませんが、お楽しみ頂ければ嬉しく思います。

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電源完全喪失でも爆発しないトリウム熔融塩原発炉の提案、その二

2011年05月31日 | 日記・エッセイ・コラム

昨日の、その一に続き、その二の完結部分をお送りします。

核燃料が熔融塩に溶解しているので、電源完全電源喪失の状態になると炉心圧力容器の底の弁が自動的に開放し、核燃料熔融塩がその下にある多量のホウ酸水へ落下し、連鎖反応が停止すると同時に冷却され個体になってしまう事が一番重要な特徴です。水素爆発の可能性が無いのです。爆発さえ防止出来れば、配管が健全なので、その後の循環式冷却が可能になるのです。

今回の、その二では核燃料をウランからトリウムに変えるとどのような利点があるかが説明しています。

なお、トリウム熔融塩原発炉に提唱は古川和男博士が昔から提案していたので、私は耳では何度も聞いていました。古川さんは国際的にも有名な学者で、NPOトリウム熔融塩国際フォーラム(略称ITHMSF), の 理事長もなさっています。 
、決していい加減な提案ではありません。その国際的な活動は、下記のURLを開くとご覧になれます。http://msr21.fc2web.com/

==電源完全電源喪失でも爆発しない安全なトリウム熔融塩原発炉の提案、その二==

ウランからトリウムへ

――燃料にウランではなく、トリウムを使う理由は?

古川 トリウムというのは、自然界に存在する元素の中でウランに次いで重く、中性子を吸収すると、ウラン同様核分裂の連鎖反応が起こせるようになります。希土類元素と一緒に産出するので、その利用は産業経済上極めて好都合です。

よく知られているように、ウランの核分裂反応からプルトニウムが生まれます。これは核兵器の材料になるきわめて危険な放射性物質ですが、現状では世界中がその処分に困っています。原発が稼動すればするだけ、プルトニウムの山ができるのですからね。これに対しトリウムは、核分裂連鎖反応を起こしてもプルトニウムをほとんど生まない。それどころか、熔融塩炉でならプルトニウムも炉内で有効に燃やせます。プルトニウムの消滅に一役買えるのです。

 ウランは世界に偏在していて、そのことが寡占国による政治支配を生んでいますが、トリウムは世界中にある上に、埋蔵量も充分です。燃料をウランからプルトニウムに変えることは、核兵器の脅威から人類を救うことにもなるのです。

――では、小型にするというメリットは?

古川 今、開発を提案している熔融塩炉を、私たち研究グループは「FUJI(不二)」と呼んでいますが、これは液体燃料であることのメリットが生かせ、大変発電効率がいい。小型にするのは、これを需要地の近くに設置したいからです。

 今、原発は僻地に大型施設が集中しています。これはみんなの中にある「安全性への危惧」が生んだ、苦肉の立地・大型集中化といえるでしょうが、その結果、需要地への何百キロにもわたる送電ロスを生み、電気料金を高くしています。

 需要地に発電所があれば、ロスは最小にできます。安全で高効率で小型であれば、都市の近郊にも置けるのです。

 

世界中に小型炉を

――でも、これからはあまり電気を使わないような生活にすべきなのではないですか?

古川 もちろん省エネは必要です。エネルギーは大切に使い、これまでのライフスタイルも、しっかり見直すべきでしょう。でも、この春、東京電力が計画節電を実施しただけでも、世の中は大混乱でした。現代社会では、エネルギーなしには暮らせません。

環境の悪化を防ぐという点で、化石燃料はこれ以上燃やせません。太陽光や風力などの自然エネルギーは、技術的に実用化ははるか先です。自然エネルギーが生かせるようになるまで、なんとか原子力でつながなければならない。

それに今後、世界中でエネルギー需要が急増すると予想されています。現に中国やインドでは、エネルギー消費量が幾何級数的に増えている。間違いなく今後、アジアやアフリカなどの発展途上国では、エネルギー不足そして貧困が深刻なものになるでしょう。安全、高効率、小型の原発なら、そうした世界の需要に充分に応じられるのです。

この熔融塩炉の研究においては、アメリカのオークリッジ国立研究所を中心とした基礎研究開発が、驚くほど僅かな資金で整えられました。原理が単純で優れているからです。我々はそれをさらに改良して、FUJI構想をまとめました。

しかし、残念ながら、プルトニウムを生まず軍事的利用に不向きな性質をもつトリウムは、核冷戦時代に歓迎されなかった。軍事利用に適するプルトニウムを増殖する、高速増殖炉の開発を推進したい政治勢力の動きが強く、妨害されました。

しかし、既存の原発が行きづまっている今、「世界を救える原発」として、再び注目を集めつつあります。我々のもとにも、米・仏・露・チェコ・トルコ・ヴェネズエラ・オーストラリア等々、世界のエネルギー関係者から、協力しよう、一緒に実験炉を造ろう、といった呼びかけがきています。

みなさん、日本でも、今こそ原発を一新しましょう。(終り)


大津波・原発事故・・・涙の向こうに見える輝く光芒、希望の光

2011年05月31日 | 日記・エッセイ・コラム

大地震・大津波・原発事故は大きな悲劇。悲しいことです。大津波で家族を失い、家が流された人の深い悲しみは想像もつきません。言葉も出ません。

そして福島の原発の爆発で故郷の家や家畜を捨てた人々の苦難の生活は続きます。

私は直接なにも被害が有りませんでした。仙台に住んで居る兄弟や親類も皆無事でした。しかし3月11日以来、悲しみで一杯です。チョッとした人情にふれるたびに涙が滲みます。ああ、この国はどうなるだろう。暗澹たる思いが心を深い淵へと誘います。

しかし2ケ月が経って少しずつ希望の光が見えて来ました。それが次第に大きくなって、輝く光芒のように見えて来ました。ああ、この国は今まで以上に良い邦になる。精神的に素晴らしい人々の住む邦になる。そのように思える理由を幾つか書きたいと思います。

(1)家族や人々の絆を大切にする人々が住む邦になります。

大津波で全てが流され、何も無くなった町や村落へ全国から救援物資が送られたのです。多くの若者のボランティアが馳せ参じました。現在もその働きを続けています。

自分の生活を犠牲にして、人間の絆だけで馳せ参じたのです。泥にまみれて働いているのです。ボランティア自身もそれを受け入れた人々も人間の温かさや、素晴らしさを確信したのです。人間同士がその関わりを大切にする事の重要性がボランティアに行かなかった人々にも確信させたのです。大津波・原発事故。

(2)被害者同士の助け合いや美談が一層良い邦を作ります。

被害を受けて苦しい生活をしている人々が助けあっているニュースを見る度に感動します。人間はどんなに逆境に陥っても、他人へ親切に出来るのです。それを見ると勇気が湧きます。希望の光が見えてきます。

ここで特に記録すべき美談があります。大津波で跡形も無く流されてしまった保育所や幼稚園が475ケ所あったのです。それぞれ30人から50人の幼児を預かっていました。大津波が襲ったとき475ケ所の保母さんや職員が幼児を高台へ誘導して一人の犠牲者も出さなかったのです。乳幼児が一人残らず元気で保護者の手へ戻ったのです。奇蹟のような快挙です。預かった他人の子供を命懸けで助ける人々が住んでいるのです。日本はそいう良い邦なのです。

(3)自衛隊を尊敬する良い邦になります。

災害復旧への自衛隊の素早い働き。そして給水、炊き出し、風呂提供、どれをとっても暖かい心のこもった働きでした。

自分の命に変えて国家のために尽くす自衛隊です。その自衛隊を尊敬する邦になります。良い邦になります。

(4)地球は一つと信じ、国際的連帯を大切にする邦になります。

外国からの心暖まる支援やボランティアは2つに分けられます。日本に基地を持っている米軍の「トモダチ作戦」です。艦隊を東日本の沖に展開し、航空機を幾つの空港へ飛ばして救援活動をしました。遺体の収容作業をしてくれました。特に海兵隊は離れ島へ上陸しガレキのかたずけをし、港を復旧させました。駐留米軍の人情に多くの人が感動しました。

もう一つは、中国、韓国、欧米諸国はもとよりアフリカや南太平洋の小さな国々まで支援をしてくれたのです。先日、フランスで開催されたG8首脳会議で菅直人首相は冒頭演説をし、全ての首脳が日本の復興を支援してくれたのです。

地球は一つと教えられました。それを確信しました。日本は国際的連帯を大切にする邦になります。

(5)危険な原子力発電を少なくして安全な邦になります。

 福島原発の4つの炉が大爆発して強い放射能が大量に飛び散ってしまいました。その被害は半径30kmだけでなく西北方向の遠方まで及び、避難民が苦しい移住を強制されました。

その上、風評被害は広がり日本からの輸出が減少し、日本へ来てくれる観光客が激減したのです。

原発が爆発するとは誰一人想像もしていなかったので。日本人の受けたショックは甚大です。そして放射能被害は広範で、長期になります。

電気を際限も無く使って気にもかけていなかった消費文化の悪を教えてくれました。日本人は経済成長の欠陥を知ったのです。過度な欲望を持たない、つつましい人々が増えてきました。この世の執着心を捨てながらお釈迦さまの教えに近いずく人々の住む良い邦になります。

大津波・原発事故・・・涙の向こう側で、私に見える輝く光芒、希望の光とは以上のようなものです。日本は絶対に今まで以上に良い邦になります。私は確信しています。

今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。藤山杜人

なお、下の写真は平和な日本の山里の風景です。挿絵のつもりです。

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電源完全喪失でも爆発しないトリウム熔融塩原発炉の提案、その一

2011年05月30日 | 日記・エッセイ・コラム

以下の古川和男さんのインタビュー記事を注意深くお読み下さい。

現在の原発は原子爆弾の原料になるプルトニュームの生産が副産物として生産するから普及した事情が明快に分かると思います。実は日本もその例外でなかったのです。古川和男博士は私の先輩で真面目な原子力工学の研究者でした。いいかげんな男ではありません。

=======古川和男博士のインタビュー記事=======

著者インタビュー

聞き手◎「本の話」編集部

古川和男

Kazuo Furukawa 元東海大学開発技術研究所教授

         ウクライナ科学アカデミー外国会員

  この原発なら福島やチェルノブイリは起こらなかった!

『原発安全革命』  2011.5.20刊

(文春新書・発売中・『「原発」革命』緊急増補新版)

――古川さんは、これまでの原発とは全く原理の違う安全な原発を、この本で提案されていますね。

古川 ええ。これまでの原発は、固体のウラン燃料を燃やす、一般に発電量一〇〇万キロワット以上の規模の大きなものでしたが、私が提唱する原発は、燃料形態を固体から液体に代え、燃料自体をウランからトリウムに代え、規模も二、三十万キロワットレベルにしたものです。こうすると、福島やチェルノブイリで起きたような過酷な事故は、原理的に起こりえません。また、きわめて発電効率の高いものにできる。安全で高効率ですから、今後世界中で予想される膨大な電力需要に、充分に対応できます。

――まず、安全性の面から説明してくださいませんか。「原理的に事故を起こさない」とは、どういうことでしょう?

古川 福島の事故を振り返ってみてください。まだ危機的状況が続いている上に、データが明らかにされていないので、正確な原因分析はできませんが、地震直後は、核分裂の連鎖反応を一応は止めることができた。ところが、続く大津波で核物質を冷却するための電源がすべて失われ、核物質が発する高い崩壊熱のために燃料棒が破損・熔融し、さらに水素爆発などが原因で炉が破損して、反応で生成した各種の放射性物質が大量に外部に漏れ出た。おそらくこうした事態が起こったと考えられるわけですね。

「想定外」の津波が直接の原因であり、また、東京電力や国の危機管理意識・能力のあまりのなさが事故を決定的に悪化させたのは間違いありませんが、そもそもこうした事故は、燃料が固体であることに遠因があると言っていいのです。原発の燃料形態に固体を選んだという点で、日本だけでなく、そもそも世界が間違っていたのです。

 被覆管に密封された核燃料のまわりを水が循環し、その水が反応熱を得て熱水となり、その熱水から生じる水蒸気でタービンを回して発電する、というのが今の原発の発電の仕方ですが、この方式では核燃料や被覆管は、核反応や放射線の影響で変質・破損・熔融しやすくなります。また、反応で発生するガスが被覆管内部に密封され、高圧となって、管が破損したときに外部に噴き出す危険も生じます。さらに、水が放射線で分解され、爆発の危険性のある水素を発生させます。高温・高圧となる水による材料の腐蝕も難問です。こうしたもろもろの不都合を抑え込むために、炉の構造は各種の安全装置やモニター機器類を装着して複雑になり、それだけ保守・点検が大変になります。

 本来、核分裂というのは化学変化でもあり、液体で取り扱うべきものなのです。核燃料が液体だったら、今言った技術的難点はほとんど解決できます。反応のコントロールが容易で、決定的に安全性が向上します。炉の構造も単純になり、保守・点検が簡単になるだけでなく、ロボットなどを利用した遠隔管理も実現でき、作業員の被曝も最小限にできます。

結局、固体燃料を採用している今の原発の設計思想は、核化学反応の本性を無視しているとしか言いようがない。それで、「合理的な技術の原理で対応」するのではなく、「多重防護という無理筋対応」をするしかなくなっているのです。

燃料はガラス状に固まる

――古川さんの提案する炉では、「全電源喪失」が起こったらどう対処するのですか?

古川 そのお話をするには、液体燃料とは何か、を先に説明しておかねばならないので、ちょっとその話をします。液体にもいろいろあって、我々が提案している液体は熔融塩というものです。塩というと、皆さんはまず食塩を思い浮かべるでしょうが、その親戚みたいなものです。地球のマグマをイメージしていただいてもいい。放射線を浴びても変質したり壊れたりしない、とても安定した液体で、これに核燃料を溶かし込んで使うわけです。この熔融塩燃料は、冷めるとガラスのように固まります。空気や水と反応しません。

 で、「全電源喪失」ですが、今の原発でこういう事態になると、核燃料が冷却できなくなって「崩壊熱の暴走」が起こるわけですね。しかし、そもそも熔融塩燃料なら核反応のコントロールはきわめて容易で、弁を開き、真下に設置されたホウ酸水の冷却プール内のタンクに燃料塩を落してやれば、炉内に燃料が無くなる訳ですからすぐに連鎖反応が止められるだけでなく(燃料が炉内にあるからこそ連鎖反応が起こる仕組みになっている)、摂氏約五百度以下になると、今述べたように燃料塩はガラス状に固まります。こうして非常時の処置として、タンクに落とし自然冷却すればよいのです。この落下弁は、炉の運転時は冷却して凍らせているのですが、冷却をやめると融けて開くので、電気不要です。だから「崩壊熱の暴走」を心配する必要はない。

原発事故で一番怖いのが放射性物質の外部への流出で、今回もガスとして、あるいは水に溶けて漏れ出たわけですが、ガラス固化した燃料塩なら、気化もせず、水にも溶けないので、流出はありえません。また、炉の運転時、核反応に伴い発生するガスは、常に炉から除去する仕組みになっているので、事故時に炉に残存しているガスはほんのわずかです。

仮にテロなどで炉が破壊されても、炉の外に漏れ出た燃料塩は、すぐに冷めてガラスのクズ状になるだけで、炉は停まります。つまり「反応を止める」「冷ます」「漏れを防ぐ」というすべての面で、熔融塩燃料は理想的なのです。(その二へ続く)


今日の散歩・・・巨大なユリノ木(袢纏木)の花の写真を撮る

2011年05月30日 | 写真

4、5日、雨に降りこめられて、散歩へ行けませんでした。今日は久しぶりに雲の間から青空が見え、乾いた風が心地よく吹いています。

単なる散歩ではなく、私のお気に入りの大きなユリノ木の青葉繁る写真を撮る目的で小金井公園へ行きました。

大きなユリノ木が6本ほど公園の東端に近いところに聳えています。この大木の傍に行き、しばしたたずむと何故か心が豊かになります。一年を通して何回も行きます。

四季折々、何時見ても感動します。春は燃えるような新緑。そして梅雨入りの頃は花が咲き、秋には紅葉が美しいのです。冬になるとすっかり落葉して、 梢が木枯らしのなかに水墨画を描いています。

今日は、丁度タイミングが良く、その大木に花が咲いているではありませんか!

空には暗い雲がかかっていて今一つ写真の出来が良くありません。しかしお楽しみ頂ければ嬉しく思います。

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遂に放射能の怖い地域と怖くない地域が明快になりました!

2011年05月30日 | 日記・エッセイ・コラム

結論を書きます。放射線の強さが0.09マイクロ・シーベルト(毎時)以下の平常値近くへ下がってしまった地域はもう放射能は怖くない地域です。青森市、秋田市、盛岡市、仙台市、山形市、新潟市、水戸市、宇都宮市、前橋市、さいたま市、東京都、長野市、静岡市などはもう心配が要りません。特にいままで放射線強度の高かった仙台市、水戸市、宇都宮市がグッと下がり、平常値に近い値になりました。

これとは対照的に放射能が強い、危険な地域も明快に特定されます。危ない地域は飯舘村の長沼、浪江町の赤宇木、浪江町の津島、浪江町の下津島の近辺です。それと勿論原発から半径20km以内の地域です。

どうして原発から30kmも離れたここだけが危険なのかは、最近の気象と放射性微粒子の降下との解析から分かって来たのです。原発2号機の爆発の時、吹き上げた炉心からの微粒子が、この地域だけに降り注いだのです。(福島原発の炉心からの放射性物質は何処へ流れ、何処に堆積しているか?・・・現在までの推測の結論 をご参照ください)。

この解析は気象と降下量の関係のシミュレーションのSPEEDIで随分早い時期から解っていたようです。それを発表しなかった経済産業省原子力・保安院を非難すべきと思います。

それはそれとして、福島県内には危険か、そうでないか微妙な地域も沢山残っています。

それは福島市と郡山市です。福島市は1.42、そして郡山市は1.30マクロ・シーベルト・毎時と依然として高い値を示しています。健康に害を与えないという値だそうですが、小学校や保育院の庭の表土に降下し堆積した放射性微粒子が増加する一方なので心配です。

その他の南相馬市の0.47といわき市の0.23は注意すべき数値です。

このように福島県内で放射能がなかなか下がらないのは原発1号炉から4号炉までの炉心から相変わらず放射能を持った微粒子を含む水蒸気が空中へ放出されているからです。

しかしこの水蒸気によって運ばれる微粒子は遠方まで飛んで行かないようです。水蒸気が水滴になって、近場の福島県内に降下するためではないでしょうか?

結論は明快です。絶対に危険な所は、飯舘村の長沼、浪江町の赤宇木、浪江町の津島、浪江町の下津島の近辺です。勿論、半径20km以内は絶対に危険です。

絶対に安心して良い地域は、青森市、秋田市、盛岡市、仙台市、山形市、新潟市、水戸市、宇都宮市、前橋市、さいたま市、東京都、長野市、静岡市などです。

今後の放射性微粒子の堆積状況を見ながら、要注意の地域は福島市と郡山市です。

以下に、文部科学省の測定値を示します。測定は地上数mから20m位高い所のモニタリング・ポストで行われています。

時間の経過とともに、どのように低下して行ったかにご注目下さい。日本各地の正常値は0.02から0.06マイクロシーベルト・毎時と言われています。

「東北・関東甲信越の放射線量の4月中の変化と5月29日の測定値の比較」

放射線量の測定値を4月1日と4日と5日について示します。放射線の強さの単位はマイクロ・シーベルト/hour です。そして太字は4月22日の値と昨日の5月29日の値です。

正常値は0.02から0.06と考えられています。都市名の太字は正常値以上の都市です。

青森市0.026:026:0.026  0.026:0.027 

盛岡市0.028:0.025:0.025  0.023:0.022

仙台市0.093:0.077:0.081  0・073:0.076

福島市2.80:2.32:2.34: 1.71:1.42 

いわき市0.62:0.0.55:0.50  0.28:0.23

山形市0.063:0.060:0.060  0・051:0.049

宇都宮市0.092:0.082:0.080  0.065:0.060 

水戸市0.195:0.169:0.163  0.122:0.097 

さいたま市0.080:0.071:0.070  0.058:0.055

東京・新宿0.101:0.089:0・089  0.073:0.062 

千葉・市原市0.075:0.063:0.061  0.049:0.046 

長野市0.049:0.043:0.043  0.043:0.043

静岡市0.042:0.038:0.036  0.037:0.038 

 などとなっています。

以上のように放射線量は確実に低下しています。この傾向は原発に新たな爆発事故が起きない限る続きます。

ですからこそ福島原発の炉心へ窒素ガスと水の注入を確実に続行する事が一番重要なのです。

それはそれとして、

今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。藤山杜人


福島原発の炉心からの放射性物質は何処へ流れ、何処に堆積しているか?・・・現在までの推測の結論

2011年05月29日 | 日記・エッセイ・コラム

福島原発の4つの建屋の爆発で多量の放射性物質が炉心から空中へと、そして地中へと流れで出ました。その実害の大きな順に纏めると、次の3つになります。

(1)3月12日から15日にかけて起きた、建屋の水素爆発で空中に集中的に、多量に、飛散されたヨウソ131ヤセシウム137などを含む、炉心から漏れ出た微粒子の全量。

(2)水素爆発の巨大な衝撃で、炉心圧力容器や原子炉格納容器を貫通している多数の配管の貫通部分に、破損や割れが生じたのです。従って炉心へ注入した全ての水が炉心の放射性微粒子を懸濁しながら原子炉格納容器から流れ出たのです。それは現在でも連続的に流れ出ています。この水と共に流れ出た放射線微粉末の全量。この流出量は3月12日から現在まで、あまり減少する事なく続いています。

(3)炉心圧力容器から漏れ出る水蒸気によって建屋の外へ運び出される放射性微粒子の全量。これは少しずつ減少はしていますが、3月12日から現在まで続いています。

繰り返えますが、(1)は3月12日から15日まで集中的に放出されたもので、現在は止まっています。

(2)と(3)は少しずつ減少はしていますが、炉心への注水が続くかぎり止まりません。

さてそれでは上記のように炉心から流れ出た強烈な放射能を持った微粒子や微粉末は何処へ飛んで行って、何処に堆積しているのでしょうか?

(1)3月12日から15日の福島県、宮城県、茨城県の気象変化の最近の解析から2号機の爆発で多量に空中へ放散された放射性微粒子は、風向きが北西だったので30km以上離れた飯館村と浪江町の一部に集中的に降り注いだのです。空中高く舞い上がり、30km以内では上昇気流だったらしくて放射性微粒子は30km以内にはあまり降下しなかったのです。昨日、この事実がテレビで詳細に説明されていました。

2号炉以外の爆発の日時の風の解析も発表されていましたが、その日時には海へ向かって風が吹いていたので大部分は海へ飛んで行ったのです。そして少しの時間帯だけ茨城県へ向かって風が吹いていたので茨城県の農作物から放射能が検出されました。

結論は、飯館村と浪江町の一部に炉心からの多量の放射能が運悪く堆積しているのです。全く運が悪いとしか言いようがありません。飯館村と浪江町一部の人々へ強い同情を禁じ得ません。そしてこれからの避難生活でも、勇気をもって今後の生活を切り開くようにとお祈りいたします。

(2)現在でも、炉心に注水を続行しているので4つの原発の地下には9万トン以上の汚染水が溜まっているという発表が度々ありました。

しかし私はその9万トンの大部分は地震や水素爆発で割れた地下室の壁から地中へ漏れ出していると推測しています。理由は簡単です。炉心へ毎日、毎日、500トン前後の水を注水していながら地下室の水位が一向に上がったという発表が無いからです。あれだけ酷い地震と水素爆発が起きて建屋が吹き飛んだのに、地下室だけ割れ目も出来ず完全なまま残ったと考えるのは大間違いです。

さてここで幸運な現象が起きているのです。

強い放射能を持った多量の汚染水が地中へ沁み込んでいるのです。すると土壌が放射性微粉末を吸着して浄化してしまうのです。ですから地下水になった時にはかなり綺麗な水になっています。そして、その地下水が海へと流れ出ていると考えられます。海は意外にもあまり汚染されないのです。

従って推測の結論を言えば、炉心からの大部分の放射性微粉末は原発の敷地の下の土壌の中に蓄積されているのです。今後もこの現象が続き、蓄積量は増加しますが、海の汚染は意外に少ないと思います。

(3)炉心への注水によって出来た水蒸気は、現在でも建屋の外へ白い煙のように放出されています。この蒸気には放射能を持った微粒子が含まれています。しかし炉心の温度が少しずつ下がっているので放射能を持った微粒子の放出量は減少の傾向にあります。

この微粒子の行き先は、毎日、毎日、風向きが変わりますので、原発の周囲に満遍なく降り注ぎます。そして自然現象の法則通り原発に近ければ、近いほど降り注ぐ量が多くなります。

ですから半径20km以内は強制避難地域に指定されています。

以上のように考えて見ると将来起きるであろう放射能の問題もかなり明確に予測出来ます。

(1)飯館村と浪江町の一部の農地の表面にかなり強い放射性物質が堆積しているので、それを除去する大規模な作業が必要になっています。

(2)原発の汚染水を汲み上げて、浄化・冷却し、また炉心へ戻すという循環型冷却システムを一日でも早く完成して、これ以上汚染水が地中へ沁み出さないようにする必要があります。

(3)原子炉建屋を丈夫な合成樹脂の幕で覆い、放射性微粒子を持った水蒸気は大気中へ放散されないようにしなければなりません。

上記の(1)、(2)、(3)の工事は強い放射線のある原発敷地での作業であり、決して容易な作業ではないのです。

東京電力と関連会社の一層の努力を祈ります。そして作業に従事する人々の健康を心からお祈りいたします。


若者よ、博物館や美術館の学芸員という職業の重要さや素晴らしさを知れ!

2011年05月28日 | 日記・エッセイ・コラム

素晴らし職業や人気の高い職業は時代によって変わります。また人それぞれ自分に合った職業もいろいろです。戦前の日本では軍人になったり官僚になる事に人気があり、多くの優秀な若者がその職業についたものです。しかし、それは敗戦とともにすっかり変わりました。

そして経済の高度成長の間は民間の大会社のサラリーマンになる事が素晴らしい事と思う人が多かったのです。それも1990年前後のいわゆるバブル経済の崩壊で様変わりをしました。

あらゆる職業の差別が無くなり、転職も普通の事になりました。

その頃から博物館や美術館の学芸員が魅力的な職業として脚光を浴びるようになって来ました。私はその頃から学芸員という職業へ強い興味を持っています。

美術館や博物館へ行く度に学芸員のお話を聞くようにします。すると自分の理解して居なかった分野の事が簡単に理解できるのです。

学芸員の職務は様々ですが、一言で言えば、「学者の発見した事を素人に理解易く展示したり、説明する事」です。例えば、つくば市にある地質標本館の展示は地球45億年の地層の変化が明快に展示してあります。数多くの優秀な学芸員が展示方法を真剣に研究している様子が目に見えるのです。

美術館へ行けばそこの学芸員の芸術性の高さが分かります。有名な画家の失敗作だけを展示して、画家の有名さだけに頼っている美術館もあります。有名な画家でも失敗作は安価なのです。ところが一方では、無名の画家でも藝術的深みのある絵画を展示している場合もあります。その上、その画家の一連の絵を、画風の変化の順序に展示してあります。学芸員の独創性と芸術性が偲ばれます。

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最近、町田市立自由民資料館に行ったとき2度ほどお話を聞いた学芸員には感動しました。その方は杉山 弘さんという方です。歴史家です。歴史的研究の仕方は民衆の立場にたった歴史研究で有名な色川大吉先生の研究室へ3年間通って勉強したそうです。

杉山さんの歴史的視点が独創的なのです。

一般に日本の学校教育で習う歴史は時代、時代の権力者のした事の羅列です。その時代に生きた普通の人々がどんな思いや考えで生きていたかという歴史的事実を教えません。人々は何を考えて生きていたか?

その問題へ私は以前から非常に興味がありました。それが分かれば現在の我々の生き方に大きく参考になります。生きる勇気も湧いてきます。

自由民権運動は幕末が終り、明治政府が出来、第一回の総選挙があり帝国議会が開催される明治23年頃まで全国で展開された民衆による民主主義運動です。その運動に参加した人々は何を行い、何を考えていたかを研究して、その研究成果を展示してあるのがこの自由民権資料館です。全国を見渡してもこのような展示館は珍しい存在です。

自由民権運動は日本各地に起きたので地方、地方の歴史的事情でその内容が異なっています。それを研究することは郷土の歴史研究でもあるのです。

町田市立自由民権資料館の学芸員の杉山 弘さんは明治時代の神奈川県と現在の東京都の多摩地方の歴史を研究し、その成果を展示へ反映させています。そして歴史学者の専門的な論文を素人へ分かり易く説明してくれるのです。

学芸員は学者と素人の間をつなぐ通訳なのです。芸術家と素人の間をつなぐ翻訳家なのです。とても重要な仕事です。そして美術館や博物館の優劣は学芸員の働きによって決まるのです。日本の文化レベルは美術館や博物館の優劣によって決まります。

決してGDPや経済力でのみ決まるものではありません。

ですから学芸員は素晴らしい職業なのです。是非、若い皆様が学芸員という職業を選択するようにとお祈りしています。

杉山 弘さんがお時間をさいてお話し下さった事へ感謝いたします。


盆栽の手入れはどうしますか?

2011年05月28日 | 日記・エッセイ・コラム

府中市、郷土の森公園には見事な盆栽が並んでいます。市民の故、村越氏が約百鉢寄付したそうです。しかし手入れをする専門職の人が居ないので根張りが浮き上がり、葉が茂り過ぎています。近所の盆栽好きな人がボランティアでしてくれるのが良いと思いますが、何方か良い手入れの方法をお教え下さい。そうすると公園の管理事務所も助かると思いますが。どんなものでしょうか?

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福島原発事故をめぐる国民の知る権利・・・報道規制の大間違い

2011年05月28日 | 日記・エッセイ・コラム

資本主義社会においては株式会社の法人としての権利が法律で守られています。会社の建物、工場や敷地内へは社長の許可なく何人といえども立ち入りは禁止出来ます。当然のことながら新聞記者やカメラマンの立ち入りも禁止出来ます。法治国家としては当然の事として国民がこれを守っています。しかしこの権利は株式会社が負うべき義務を果たしているか否かによって意見が別れるのは当然です。社会の安寧と秩序を守り、人々の健康へ危険を与えないというのが法人としての最低の義務です。福島原発の大事故ではこの義務を果たせていません。このような場合にはどのように対処すべきでしょうか?

少し、根本的に考えてみましょう。

今回の原発事故は社会の安寧を乱し、数多くの人々の健康を危険にさらしたのです。その上、国際的にも混乱を招き、多くの外国人が帰国してしまったのです。貿易にも大きな風評被害を出しています。

東京電力は法人としての義務を果たせなかったのです。その自覚も反省もありません。もし有ったら、自ら新聞記者やカメラマンを招き入れ、原発事故の現場を明快に紹介し、復旧作業の実態の映像を国民へ公開すべきです。

政府も東電へ新聞記者やカメラマンへ原発事故の現場を公開しなさいと要請できる立場にあります。浜岡原発の完全停止を要請したのですから。それをしないのは経済産業省としても何か具合の悪い事があるのでしょうか?

福島原発事故の現場は放射能が強くて、新聞記者は危険で、入れられない。そうです。このような理由で断って来たのでしょう。

しかし5人や6人の記者に防護服を着てもらい、放射線専門家を付き添いとして受け入れることは簡単に出来ることです。東京電力株式会社の面子と利益を守る為に記者やカメラマンを受け入れないのです。

東電内部の個人の自由と尊厳については別の記事で書きたいと思います。

それはそれとして、

今日も皆さまのご健康と平和をお祈り致します。藤山杜人


今日の散歩・・・府中市、郷土の森公園

2011年05月27日 | 日記・エッセイ・コラム

今日は雨雲が覆っています。しかし午前中は雨が降らない様子なので、家内と府中市、郷土の森公園へ散歩に行きました。梅欅庵という茶室で抹茶とお菓子を楽しみました。平日の公園なので静かです。茶室から眺める庭のたたずまいが心をなごませてくれます。平穏な時が流れます。

写真は順に、(1)公園の入り口を入った所にある博物館の前、(2)雑木林の中の道、(3)その雑木林を通り抜けた所にある池の睡蓮の花、(4)梅擧庵への入り口、(5)茶室の中から見た庭の風情、です。梅雨空の下の公園も良いものでした。

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