J182 さんから以下の記事に対してコメントを頂きました。
今回の地震・大津波は絶対に天罰ではないと考え・・・死者の鎮魂を強く祈れ!
私の言いたい事は2つだけでした。
(1)石原氏の天罰発言は震災直後で被災者が落ち込んでいる時には不必要な発言と思います。こういう発言は皆が落ち着いてから、慎重にするべき性質のものです。天罰と感じるのをいけないと主張しようとしていません。しかしその発言のタイミングを考えないと人々へ不快感を与える可能性があります。
2)震災で被害を受けた人々は震災を天罰と考えないで、元気を取り戻して元の生活を一日でも早く取り戻すのが良いと思います。そして不幸にして亡くなられた方々の鎮魂を祈るようにしましょう。
J182 さんのコメントは私の書き方が悪くて、上の2つの主張をご理解頂けなかったと思います。石原氏を悪者と決めつけるような表現が2、3ケ所にありました。その点でJ182 さんは失望されたものと思います。私の書き方は公平を欠いていて、その上、石原氏の人格を傷つけるような箇所があった事を深くお詫び申し上げます。J182 さんはこのブログの他の記事も丁寧にお読みになった上で、石原氏に関する記事だけを非難されています。ごもっともなコメントの内容なので、4月26日の記事を下記のように訂正いたします。
======訂正後の記事の文章=============
今回の大災害が起きてすぐの頃、東京都の知事の石原慎太郎氏がこの大きな天災は天罰だと言いました。日本人があまりにも驕っていたから天誅が下ったという意味でした。その感じ方には賛成出来ます。
しかし大津波で家族を失った直後の人々にとって誤解しやすい発言でないでしょうか?タイミングを考えて発言すべきだと感じたのは私だけだったでしょうか?
家族を失っただけでなく田畑や漁船などを津波に襲われ、生活のすべも無くなり、目の前が真っ暗になっている被災者へ「天罰がくだった」という言葉だけが伝わったとしたら、それは心穏やかではありません。
正しい事なら何時言っても良いというものではありません。心に大きな傷を負った人間が落ちついてから言っても良い事だったと残念に思います。
東日本の漁師や農民は真面目に毎日えいえいと働いていたのです。家族を愛し、少しずつ貯金をして車を買ったり、質素な家を作ってきたのです。決して驕り高ぶるような人々ではないのです。そのような人々が不運にも天災に襲われたのです。その不運、不幸に同情し、心を寄せるのが人間らしい態度です。そして全ての亡くなった人々の鎮魂を強く、強く祈るべきと思います。特に人生の途中だった人々や、亡くなった子供たちはさぞ残念だったことでしょう。心からの鎮魂の祈りを捧げます。
不幸な天災や事故がこれ以上起きないように神様に祈るのは正しい行為です。
神様へ亡くなった人への慈しみを願い、祈るのは正しい事です。被災者の健康と立ち上がる勇気を祈るのは正しい事です。神様を恨んではいけません。神は人間を大切に思い、愛しているのです。
今日は亡くなった全ての人々の鎮魂をお祈りいたします。そして被害者が一刻も早く将来の生活について前向きの気持ちになれますように神様へ強くお祈り申し上げます。福島原発の事故の故に故郷を離れた人々の為にも強くお祈り申し上げます。藤山杜人