はじめに、
今日ご紹介する随筆は『ヘリコプター・ジャパン』の2021年02月・03月 合併号に掲載されたものです。私の友人の大月 雄喜章さんが書いたものですが、この欄にも転載して頂くようにお願いいたしました。
落水という海難事故にあったらどのように対処したら良いか書いてあります。そして救助活動をした千葉県警水上警察や海上保安庁の働きぶりが正確に書いてあります。
この随筆は海難事故に関する貴重な体験記です。転載を快く許可してくれた大月 雄喜章さんへ感謝しつつ以下にお送りいたします。後藤和弘
===随筆、大月 雄喜章著、「落水ーヘリコプターが神様に見えた」===
平成16(2004)年7月25日(日)は晴天で暑く、東京湾北部は風が強かった。気象に関する注意報、警報は出ていない。仲間のドタキャンで、私は一人で自艇「ロスミナ-Ⅱ」に乗り、千葉市いなげの浜沖5㎞、観潮塔付近の海上にいた。ギラつく真昼の太陽がまぶしい。
数日前から直前までの天気予報でも、稲毛沖で南西から南南西の風最高7 m/s、波高1.5~2m、満潮10時、干潮18時。出港届は出港11時、帰港16時ごろ、乗員1名、緊急連絡先自宅、携帯電話番号、航行範囲はいなげの浜周辺、燃料20リッター満タン・・・etc。
今日はソロだが、気象海象はこれ以上悪くはなるまいと判断する。

1番目の写真は大月 雄喜章さんのヨットの「ロスミナ-Ⅱ」です。
主帆を揚げるのにかなり苦労したくらい波がきついので、前帆は安全のため揚げない。しかし危険なほど悪い情況とは思えず、主帆のみで飛ぶように走る。海面はかなり悪く、出港直後からしぶきが激しくてびしょぬれ。しかし、ジャジャ馬慣らしのような操縦感覚は捨てがたい。私はまだ豪快なオーシャンスポーツと、ワインを楽しむ余裕があった。
フネを止めて昼食にするも、ゆれが激しく食べられない。走り始めたら、食べかけの弁当を吹っ飛ばされた。そういえば以前、冷やし中華のスープを飛ばされて、仕方なくビールをかけて食ったが、あれは不味かった。カップホルダーのワイングラスから、せっかくの赤ワインがこぼれだす。
この時点で風は南南西およそ10 m/s、波高2mくらいか。危険とはいえないが、かなりハードな海面状況である。一面の白波で、学生たちの小型艇は引き上げたのか見えない。
早めに切りあげるべく、千葉港口の5番ブイ方面に向かう。キャビン内はもまれてメチャクチャだが、フネには特に異常はない。エンジンを微速前進に入れ、風に正対し帰港準備にかかった。舵はゴムひもで結んであるが、それでも波がきつく直進してくれない。
帆を降ろしにかかったが、風が振れて途中で引っかかった。暴れまわるフネを立直しながら、コックピットとデッキの間を何度も往復した。何度目かに引っかかった帆を解いているうち、大きい横波を食って体が右舷側に落ちかかった。
「やばい!」と立て直そうとしたが、ワインの酔いもあって踏ん張れず、体は水中に落ちた。フネのライフラインをつかんでとにかく離れないようにしたが、次の波を食らったときはあっという間に1m近く離れてしまった。15時過ぎ、引き潮の始まる時刻である。
微速とはいえ前進に入れてあるエンジンと、降ろしかけで半効きの主帆でフネは結構速い。ライフジャケットをつけ衣服を着たままでは、追いつけるものではない。体力の消耗する方を恐れた。こんなときに限ってフネは正直に直進し、港の奥に向かっている。
海水は暖かく、風と波は激しいがとにかく浮いていられる。水を飲まないように気をつけた。水を飲むと、急速に体力を失うものらしい。ライフジャケットだけが頼りだ。いつまで浮いていられるのか。幸い何処もケガや、ぶつけたりはしていないようだ。岸からはおよそ3 km、ブイまで700m位あるだろうか。
意を決して5番ブイに向かう。風と波は真向かいの方角になる。果たして行き着けるか、たどり着ければ助かる。幸い日没まではかなり時間の余裕はある。泳いでみても進んでいるのかどうか、全く判らない。少しでも疲れないように、波の静まったときを見ては「ちょっとタンマ」と休んだ。
干潮時に入り、少しずつブイが大きく見え出した。引き潮はブイへの接近を助けてくれるが、つかまりそこなったら、沖に流されてしまう。抜き手を切る腕がだるくなった。およそ50分泳いで、ブイまで数10 mにせまったが、自分自身に「あと100m」と何度も言い聞かせる。CHIBA-5GREENの標識とはしごが付いているのが見えた。1回でつかまないと、再度挑戦する気力体力が残っているか。波と風を見計らって慎重に接近した。
ブイのはしごに取りついて時計を見たら15時50分。
ブイは港の本船航路を示すもので、海底に鎖で繋がれている。頂上にはソーラーパネルを備え、夜間はグリーンの照明が点滅するという。滑りやすいはしごを注意深く登り頂きに着いたが、海面上10mではゆれはさらに大きい。ブイの頂上は腰をおろせるくらいのスペースがあり、周囲は手すりで囲まれていて、ゆれてもつかまっていれば危険はない。問題は日没である。今日はおよそ18時半ごろ。

2番目の写真は落水した場所と警水上警察や海上保安庁のある場所を示す見取り図です。
フネが港内方向に無人で走っていたのは確かなので、いずれは発見され落水事故として捜索されるだろう、という希望的観測はある。落水したとき、眼鏡を失わなかったのは、全くのラッキーだった。幸い寒くはないが風が強く、夜間になったらどうなるか。手元にあるのはブルーのタオルのみ。作業船や釣り舟が、操舵している船長の顔がはっきり見えるくらいの位置を通過し、躍起になって手を振ったが全く気づかない。
ブイは相変らず激しくゆれる。乗り物酔いはしないほうだが、このゆれ方は体験した事がない。時間だけが過ぎ16時40分、太陽は大分低くなってきた。このまま日没になったら、ここで徹夜せねばならないか。ゆれるから眠るどころではないだろう。
海上保安庁の巡視艇らしい船や大型ヘリコプター(エアロスパシアルAS332L)、千葉県警の小型ヘリ(ベル206Bジェットレンジャー)などが、稲毛観潮塔付近を行き来しているのが見える。2機のヘリはエリアを分担したのか、観潮塔あたりの沖合いから二手に分かれて旋回し始めた。やはり捜索が始まったのだろうか。

3番目の写真は救助に来た海上保安庁のヘリコプターと同型機の写真です。
海上保安庁機は、洋上を往復しながら次第に近づいてくる。まだかなり遠いが、こちらを向いたときに遭難信号を送り続けた。しかし激しく揺れるブイ上で両手を振るのは、かなり難しい。せめて鏡でもあれば、まだ日光があるので、反射信号を送る事は出来るのだが。何回か繰り返しているうち、突然ヘリがまっすぐこちらに向かってきた。ランディングライトを点滅させている。発見された!! 17時22分。
私はヘリで捜索救助やその取材に従事した事はあるが、救助される方になってみると、ヘリが神様に見える。そのうち2艘のランチが高速で、まっすぐこちらに向かってきた。
助かった!!
千葉県警水上警察の巡視艇「いぬぼう」の新田艇長は大男で、ご自身もヨットマンだそうだ。「ヨットは水警の桟橋に繋いでありますよ。損傷はありません」という。艇内を調べて、船舶検査証から私の連絡先その他を把握したらしい。すぐに雄和マリーナに連絡が行き、出港届がチェックされた。海上の事故なので、海上保安庁の所管だそうだ。
海難事故として海上保安庁千葉支部で事情聴取を受けたが、係官は親切で応対は丁寧だった。「この電話で、まず家族に知らせなさい。こちらからすでに連絡はしてある」という。
事情聴取が終わって辞するとき「表はマスコミが詰めているから、裏から出なさい」と心遣いを見せてくれる。
そして、水警も海保も“海のおまわりさん”たちは粋でもある。新田艇長は「赤ワインの瓶が空いていましたな」とニヤリと白い歯を見せたのが、印象に残った。(終わり)
追記;落水はシーマンとして恥にこそなれ、決して自慢できる事ではない。
後日、お世話になった千葉県警や海上保安庁に、改めて“お礼参り”に伺ったのは
言うまでもない。(深く反省)

4番目の写真は『ヘリコプター・ジャパン』の表紙です。この雑誌のことは別の記事出ご紹介する予定です。
今日ご紹介する随筆は『ヘリコプター・ジャパン』の2021年02月・03月 合併号に掲載されたものです。私の友人の大月 雄喜章さんが書いたものですが、この欄にも転載して頂くようにお願いいたしました。
落水という海難事故にあったらどのように対処したら良いか書いてあります。そして救助活動をした千葉県警水上警察や海上保安庁の働きぶりが正確に書いてあります。
この随筆は海難事故に関する貴重な体験記です。転載を快く許可してくれた大月 雄喜章さんへ感謝しつつ以下にお送りいたします。後藤和弘
===随筆、大月 雄喜章著、「落水ーヘリコプターが神様に見えた」===
平成16(2004)年7月25日(日)は晴天で暑く、東京湾北部は風が強かった。気象に関する注意報、警報は出ていない。仲間のドタキャンで、私は一人で自艇「ロスミナ-Ⅱ」に乗り、千葉市いなげの浜沖5㎞、観潮塔付近の海上にいた。ギラつく真昼の太陽がまぶしい。
数日前から直前までの天気予報でも、稲毛沖で南西から南南西の風最高7 m/s、波高1.5~2m、満潮10時、干潮18時。出港届は出港11時、帰港16時ごろ、乗員1名、緊急連絡先自宅、携帯電話番号、航行範囲はいなげの浜周辺、燃料20リッター満タン・・・etc。
今日はソロだが、気象海象はこれ以上悪くはなるまいと判断する。

1番目の写真は大月 雄喜章さんのヨットの「ロスミナ-Ⅱ」です。
主帆を揚げるのにかなり苦労したくらい波がきついので、前帆は安全のため揚げない。しかし危険なほど悪い情況とは思えず、主帆のみで飛ぶように走る。海面はかなり悪く、出港直後からしぶきが激しくてびしょぬれ。しかし、ジャジャ馬慣らしのような操縦感覚は捨てがたい。私はまだ豪快なオーシャンスポーツと、ワインを楽しむ余裕があった。
フネを止めて昼食にするも、ゆれが激しく食べられない。走り始めたら、食べかけの弁当を吹っ飛ばされた。そういえば以前、冷やし中華のスープを飛ばされて、仕方なくビールをかけて食ったが、あれは不味かった。カップホルダーのワイングラスから、せっかくの赤ワインがこぼれだす。
この時点で風は南南西およそ10 m/s、波高2mくらいか。危険とはいえないが、かなりハードな海面状況である。一面の白波で、学生たちの小型艇は引き上げたのか見えない。
早めに切りあげるべく、千葉港口の5番ブイ方面に向かう。キャビン内はもまれてメチャクチャだが、フネには特に異常はない。エンジンを微速前進に入れ、風に正対し帰港準備にかかった。舵はゴムひもで結んであるが、それでも波がきつく直進してくれない。
帆を降ろしにかかったが、風が振れて途中で引っかかった。暴れまわるフネを立直しながら、コックピットとデッキの間を何度も往復した。何度目かに引っかかった帆を解いているうち、大きい横波を食って体が右舷側に落ちかかった。
「やばい!」と立て直そうとしたが、ワインの酔いもあって踏ん張れず、体は水中に落ちた。フネのライフラインをつかんでとにかく離れないようにしたが、次の波を食らったときはあっという間に1m近く離れてしまった。15時過ぎ、引き潮の始まる時刻である。
微速とはいえ前進に入れてあるエンジンと、降ろしかけで半効きの主帆でフネは結構速い。ライフジャケットをつけ衣服を着たままでは、追いつけるものではない。体力の消耗する方を恐れた。こんなときに限ってフネは正直に直進し、港の奥に向かっている。
海水は暖かく、風と波は激しいがとにかく浮いていられる。水を飲まないように気をつけた。水を飲むと、急速に体力を失うものらしい。ライフジャケットだけが頼りだ。いつまで浮いていられるのか。幸い何処もケガや、ぶつけたりはしていないようだ。岸からはおよそ3 km、ブイまで700m位あるだろうか。
意を決して5番ブイに向かう。風と波は真向かいの方角になる。果たして行き着けるか、たどり着ければ助かる。幸い日没まではかなり時間の余裕はある。泳いでみても進んでいるのかどうか、全く判らない。少しでも疲れないように、波の静まったときを見ては「ちょっとタンマ」と休んだ。
干潮時に入り、少しずつブイが大きく見え出した。引き潮はブイへの接近を助けてくれるが、つかまりそこなったら、沖に流されてしまう。抜き手を切る腕がだるくなった。およそ50分泳いで、ブイまで数10 mにせまったが、自分自身に「あと100m」と何度も言い聞かせる。CHIBA-5GREENの標識とはしごが付いているのが見えた。1回でつかまないと、再度挑戦する気力体力が残っているか。波と風を見計らって慎重に接近した。
ブイのはしごに取りついて時計を見たら15時50分。
ブイは港の本船航路を示すもので、海底に鎖で繋がれている。頂上にはソーラーパネルを備え、夜間はグリーンの照明が点滅するという。滑りやすいはしごを注意深く登り頂きに着いたが、海面上10mではゆれはさらに大きい。ブイの頂上は腰をおろせるくらいのスペースがあり、周囲は手すりで囲まれていて、ゆれてもつかまっていれば危険はない。問題は日没である。今日はおよそ18時半ごろ。

2番目の写真は落水した場所と警水上警察や海上保安庁のある場所を示す見取り図です。
フネが港内方向に無人で走っていたのは確かなので、いずれは発見され落水事故として捜索されるだろう、という希望的観測はある。落水したとき、眼鏡を失わなかったのは、全くのラッキーだった。幸い寒くはないが風が強く、夜間になったらどうなるか。手元にあるのはブルーのタオルのみ。作業船や釣り舟が、操舵している船長の顔がはっきり見えるくらいの位置を通過し、躍起になって手を振ったが全く気づかない。
ブイは相変らず激しくゆれる。乗り物酔いはしないほうだが、このゆれ方は体験した事がない。時間だけが過ぎ16時40分、太陽は大分低くなってきた。このまま日没になったら、ここで徹夜せねばならないか。ゆれるから眠るどころではないだろう。
海上保安庁の巡視艇らしい船や大型ヘリコプター(エアロスパシアルAS332L)、千葉県警の小型ヘリ(ベル206Bジェットレンジャー)などが、稲毛観潮塔付近を行き来しているのが見える。2機のヘリはエリアを分担したのか、観潮塔あたりの沖合いから二手に分かれて旋回し始めた。やはり捜索が始まったのだろうか。

3番目の写真は救助に来た海上保安庁のヘリコプターと同型機の写真です。
海上保安庁機は、洋上を往復しながら次第に近づいてくる。まだかなり遠いが、こちらを向いたときに遭難信号を送り続けた。しかし激しく揺れるブイ上で両手を振るのは、かなり難しい。せめて鏡でもあれば、まだ日光があるので、反射信号を送る事は出来るのだが。何回か繰り返しているうち、突然ヘリがまっすぐこちらに向かってきた。ランディングライトを点滅させている。発見された!! 17時22分。
私はヘリで捜索救助やその取材に従事した事はあるが、救助される方になってみると、ヘリが神様に見える。そのうち2艘のランチが高速で、まっすぐこちらに向かってきた。
助かった!!
千葉県警水上警察の巡視艇「いぬぼう」の新田艇長は大男で、ご自身もヨットマンだそうだ。「ヨットは水警の桟橋に繋いでありますよ。損傷はありません」という。艇内を調べて、船舶検査証から私の連絡先その他を把握したらしい。すぐに雄和マリーナに連絡が行き、出港届がチェックされた。海上の事故なので、海上保安庁の所管だそうだ。
海難事故として海上保安庁千葉支部で事情聴取を受けたが、係官は親切で応対は丁寧だった。「この電話で、まず家族に知らせなさい。こちらからすでに連絡はしてある」という。
事情聴取が終わって辞するとき「表はマスコミが詰めているから、裏から出なさい」と心遣いを見せてくれる。
そして、水警も海保も“海のおまわりさん”たちは粋でもある。新田艇長は「赤ワインの瓶が空いていましたな」とニヤリと白い歯を見せたのが、印象に残った。(終わり)
追記;落水はシーマンとして恥にこそなれ、決して自慢できる事ではない。
後日、お世話になった千葉県警や海上保安庁に、改めて“お礼参り”に伺ったのは
言うまでもない。(深く反省)

4番目の写真は『ヘリコプター・ジャパン』の表紙です。この雑誌のことは別の記事出ご紹介する予定です。