後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

奥日光の紅葉の写真をお楽しみください

2014年09月30日 | 写真
第一番目の奥日光の小田代ヶ原の草紅葉の写真と説明文の出典は、http://surugakatayama.cocolog-nifty.com/blog/2009/10/252-ae67.html です。

・・・貴婦人という名の白樺の木がだいぶ紅葉してきました。草紅葉は貴婦人手前から左側は見頃を過ぎて黒ずんできましたが、右側はまだ見頃です。 ・・・・

二番目の奥日光の紅葉の写真の出典は、 http://photozou.jp/photo/show/565915/195103278 です。

三番目の奥日光の湯ノ湖の紅葉の写真の出典は、http://f.hatena.ne.jp/akaibara/20101202234309 です。




宗教について想う(3)宗教戦争を防ぐ死者悉皆成仏という考え方

2014年09月30日 | 日記・エッセイ・コラム
宗教が原因になった戦争はおもにイスラム教、キリスト教そしてユダヤ教が関係しています。仏教が戦争の原因になった例は数が多くありません。

イスラム教、キリスト教そしてユダヤ教も中東の砂漠で生まれた一神教で、教義はお互いに似ている部分が多いのです。

聖典も共通の部分が多く、現在のイスラエル国のエルサレムも3つの一神教の聖地になっているのです。キリスト教はもともとユダヤ教の一宗派でした。

キリスト教が西洋に普及したのは強大なローマ帝国の国教になったためです。

この3つの一神教は善と悪の戦いを強調します。聖地奪回と称してお互いに大規模な戦争もします。他の小さな民族の宗教を異教として武力で抹殺して来ました。

キリスト教は愛の宗教で、「汝の隣人を愛せ」と教えます。「汝の敵を愛せ」とも言います。戦争をしなさいとは言いません。しかし「善と悪の精神的な戦い」が出て来るので、その「戦い」の部分にだけ注目し、武力戦争をしてしまいます。

どの民族の人間でも、他民族を支配したいという根源的な欲望を持っています。それが聖戦という概念が合体したとき宗教戦争が起きるものなのです。

しかしよく考えてみると、世の中には正しい戦争も聖戦も存在しません。人間の欲望が裏に潜んでいるのです。

左の頬が打たれたら、右の頬を出しなさいとイエス様は教えました。自衛の為の武力行使も慎重にしなさいという教えです。

さて上のような一神教の宗教が原因の戦争を止めさせるのは日本人に一体何が出来るでしょうか?

一つの方法は親しくなった欧米人へ静かに、「戦争すればイエス様が悲しみますよ」とゆっくり語りかける事です。

もう一つは平和的な教えの仏教の考え方を静かに説明する事です。

人間は国籍、性別、年齢に関係なく死んだら必ず成仏するのです。全ての人々が悟りを開けいばみな仏になるのです。敵も味方も死んでしまえば仏になるのです。これが死者悉皆成仏という考え方です。従って戦争で亡くなった敵への慰霊を日本人は行うのです。

鎌倉時代の元寇の時、北条時宗は戦いが終わった後、鎌倉に敵味方双方一緒のの菩提寺を建て、1000体の仏像を作って、全ての死者の冥福を祈ったのです。

また日露戦争の時、戦死したロシア兵の慰霊塔も建てたのです。

この死者悉皆成仏という考え方は日本古来の自然宗教の神道と仏教が習合して自然に出来あがった考えです。

自然の木々や山々に神が宿り、神様になるのが神道の考えの一部です。山川草木に皆神が宿るなら、それは仏と同じことです。ですから山川草木悉皆成仏という考えになるのです。

一神教は人間中心主義で自然は人間が開墾し、征服する相手です。

仏教では共に存在するもので人間は征服しないものです。

キリスト教やイスラム教は異教の民族を武力で改宗させようとする傾向が強いのです。

佛教では、他の宗教を信じている異民族を改宗させなさいとは教えていません。

キリスト教圏の国々とイスラム教圏の国々がどちらの神が本物か、命を賭けて戦争をします。しかし、どちらの神も戦争を悲しんでいます。

決着をつける事ではなく、仏教の教えるように寛容な気持ちで共に存在すれば良いのです。と、話してみましょう。

このようにゆっくり話すのです。早急な効果を期待してはいけません。

それにしても本来人々を幸福にする筈の宗教が戦争の原因になっているのです。これほど大きな悲劇はありません。私も含めて人間の愚かさは一向に治りません。いくら科学技術が発達しても人間は進歩しません。困ったものです。下の写真は宇治の平等院です。


それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。後藤和弘(藤山杜人)

秋の北海道の写真をお楽しみください(続き)

2014年09月29日 | 写真
一番目の写真と説明文の出典は、 http://ganref.jp/m/ari2929/portfolios/photo_detail/e19f8b0cf06d76957bf3dbd598085f6d です。

・・・大雪山高原温泉から。
嘘みたいな色ですが…(^^ゞ、不思議な画像処理は行っておりません。
まだ、実験段階なのですが、 撮影時にわざと露出オーバー気味で撮影し、キヤノンのDPPでピクチャースタイルをクリアに選択。コントラストを下げながら彩度を上げると このような燃える紅葉が再現出来たりもします。
この写真は美瑛町の五稜地区で写したものなんですが、木々の葉も色つき、秋らしい風景となっていました。
またこの場所は十勝岳連峰の麓まで丘の形状が連なって見える絶好のポイントで、
その丘の形状を、望遠レンズで切り取るも良し、広角レンズで遠近感を強調しても良しと、
好みに応じて写真を撮ることができるため、多くのカメラマンが訪れる場所でもあります。

二番目の写真と説明文の出典は、http://blogs.yahoo.co.jp/kenq907/45002139.html です。

・・・今回は、空に浮かぶ(私好みの)形の良い雲を入れたいと思い、広角ぎみで撮影をしました。
このときに心掛けたのが“雲の影”の配置です。
広大な風景を写すとき、その広大さが写真を見るヒトになかなか伝わらないことが多々あります。
そんなとき、雲が作りだす影を構図の中に効率よく写し込むことができれば、
写真を見たヒトは、「おおっ、雲の影が写り込むほど広大な風景なんだ!」と思うワケです。・・・・

三番目の晩秋の美瑛の写真の出るは、 http://tsuiteru-happy-life.seesaa.net/archives/201211-1.html です。



宗教について想う(2)宗教が原因で起きる戦争の防止方法

2014年09月29日 | 日記・エッセイ・コラム


上の写真は埼玉県にある「彩の森公園」です。静かな平和な雰囲気がみなぎっています。

世界中がいつもこのように平和であれば良いのですが、相も変わらず、いろいろな戦争が起き続けています。特に中東では激しい戦争が続いています。

2000年9月11日のイスラム過激派によるアメリカの国防省や貿易センタービルなどへの同時多発攻撃以来、アフガニスタンやイラクへの米軍の大規模な攻撃が続きました。それを端緒にして世界中でイスラム教徒とキリスト教徒の殺し合いが起きています。

そして相変わらず、ユダヤ教のイスラエルがイスイラム教のパレスチナ自治政府とはてしない殺し合いを続けています。

先週始まったアメリカ・フランス・イギリスなどとアラブ5ケ国の連合軍とイスラム国との激しい戦争は従来のイスラム教徒対キリスト教徒との戦争とは全く違った性格の新しい大戦争です。

しかし宗教の宗派の違いが殺し合いや戦争の原因になっていることは共通しています。実に悲しい事です。

このように悲しい争いを防止するために個人として私たちは何が出来るでしょうか?あまりにも無力で何も出来ないと思いがちです。他人事として冷淡に放っておく人々も多いと思います。

しかし宗教色の弱い日本でも、「宗教の違い」による争いや不毛な論争が時々起きています。愚かな、そして不毛な争いです。

そこでそのような不毛な争いを防ぐ実践的な方法を考えたいと思います。

それは、「無宗教の人々を大切にする事」です。

多くの日本人は自分が無宗教と思っています。

しかし日本には何万というお寺が全国の津々浦々にある佛教国なのです。

その伝統的文化の大部分は、お釈迦様の教えに従って少しずつ出来てきたのです。ですから自分が無宗教と思っても、外国の人々は日本人は皆仏教徒と思っています。それを間違いだとと声高く言いだすのを止める事が一番重要です。

口論を止める事こそ宗教の違いによる争いや戦争の防止方法の第一歩なのです。

無宗教でも仏教徒でも所詮同じ人間で、大した違いはないのです。仏教の細かな教えを解説してくれる和尚さんより無宗教と称している人々の方が人格者であることは珍しい事ではありません。

ですからこそ無宗教とか仏教徒かという違いで口論や争いをする事ほど馬鹿馬鹿しい事はありません。

その争いを防ぐ第一歩は、仏教徒は無宗教の人々を大切にし、尊敬することです。そして無宗教の人々は仏教徒を大切にし、尊敬する事が重要なのです。そうすれば日本から宗教の違いによる争いが完全に無くなるのです。

最後に日本人の宗教的態度が中国人へ大きな衝撃を与えた事件をご紹介したいと思います。

四川大地震の時、日本政府が派遣した救援隊のとった行動です。瓦礫の下から数体の遺体を掘り出して、担架に乗せ、その担架を整然と並べたそうです。その後、日本の救援隊が遺体に向かって整列し、静かに合掌したのです。

この光景を中国のマスコミが報道し、中国全土に日本人への感謝と尊敬が広がったそうです。その光景は中国人に大きな感動を与えたのです。中国には無い宗教的な行為だったので一層感動が大きかったと言います。

同じような事が台湾でも起きました。四川大地震の後、台湾でも激しい地震が起き多数の死者が出ました。その時、日本政府の派遣した救援隊が同じような行動をとったのです。台湾中の人が感動しました。そして任務を終えて台北空港を出発する救援隊を空港の全ての出入検査官が集まって、拍手をして見送ったそうです。

この事は、黄文雄さんが「日本人はなぜ世界中から尊敬され続けているか」という題目の本で書いていまし。

そして、今回の大震災での日本人の立派な秩序ある態度は仏教の優しさと無常感によるものと外国人は見ています。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。後藤和弘(藤山杜人)

雄大な北海道の紅葉の写真をお楽しみ下さい

2014年09月28日 | 写真
一番目の旭岳の草紅葉の写真と下の説明文の出典は、http://blog.goo.ne.jp/spt54xe9/e/f529384e5abd0864b326c59002ae5f69 です。

・・・今日も旭岳の画像をアップさせていただきました。この旭平の草紅葉のいろ鮮やかな美しさというモノをどうしても一度見たくて。
今回出かけて行ったのでした。運がいいことに誠にタイミング良く鮮やかな草紅葉が見られてたいへん満足して山から下りてまいりました。
勿論この紅葉の見ごろの時期というモノをも見計らって、旭岳に関しては出かけて行きましたから余計に嬉しかったわけです。・・・・・・・・

二番目の写真の出典は、 http://www.pref.hokkaido.lg.jp/ss/ckk/uiturn/H2209_toubu.htm  です。

三番目の写真の出典は、 http://www.gotosd.com/ziliaoku/index.asp?id=8184 です。




宗教について想う(1)日本の宗教は穏やかで平和的

2014年09月28日 | 日記・エッセイ・コラム
私は宗教の自由が行き渡っている日本が大好きです。宗教上の激しい争いや対立の無い日本が好きです。

私はカトリック信者ですが仏教が大好きです。日本が仏教の影響を受けた高い文化を有していることに誇りに思っています。

日本人の大部分は仏教に好意的です。

しかし大部分の人々は自分は無宗教と思っています。そして寺院のあり方や、佛教宗派の組織はあまり好きではありません。

私はそんな日本の宗教風景が大好きです。

そこで日本の宗教風景の美しさをスケッチ風に描いて見ようと思い、いろいろ調べていました。

すると志村建世さんという方の簡潔な水彩画のような随筆を見つけました。流れるような名文です。そして誰もが納得するような纏め方です。

以下にご紹介いたします。志村建世さんは随筆の本を幾つか出版していらっしゃいます。それらも素晴らしい作品に違いないと想像しています。

転載をお許し下さいました志村建世さんへ感謝の意を表します。敬具、藤山杜人

志村 建世さんのProfile:

1933年東京生れ
履歴・学習院大学英文科卒、元NHKテレビディレクター、野ばら社編集長
現在・窓際の会社役員、作詞家、映像作家、エッセイスト
(http://blog.livedoor.jp/shimuratakeyo/)
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日本は宗教の自由天国 (2006年2月15日掲載記事)

これは、おそらく皆さんの大多数が同意する、平均的日本人の宗教的行動です。

子供や孫の七五三のお祝いには、近所の神社にお参りして無事な成長を願い、記念写真をとります。

年ごろになり結婚するときは、教会で賛美歌を聞き、神父さんの言葉に感動して神への従順を誓います。

そして葬式では僧侶の読経を聞きながら故人を偲び、その後も七回忌、十三回忌などと世話になります。

これらの行動をイスラムの宗教指導者に見せたら、驚き呆れ、やがて軽蔑の表情を浮かべることでしょう。

私もそれを、何か恥ずかしいことのように感じていました。しかし宗教的確信が世界の平和を妨げている実情を知るにつれて、日本人のような各種宗教からの自由自在な「いいとこ取り」も、なかなかいい智恵ではないかと思うようになりました。

ただ、この感覚をイスラム教の指導者にわかって貰うのは大変でしょう。
 曽野綾子さんのエッセイを読んで感心したことがあります。曽野さんは、イスラム圏の若い女性たちを日本に招いたとき、女性の地位向上などということは一切言わずに、ただ、案内のコースの中で、日本の女性が生き生きと活躍している現場を、多く見せたのだそうです。

そして、好奇心の強い彼女たちの質問に、正確な事実だけを答えました。

帰国した彼女たちがどうなったかというと、全員がしっかりした意識を持ち、自国の改革に取り組む活動家になったということです。

つまり、人間は、自分で確かめて自分の頭で考えたときに、変ることができるのです。

イスラムの若い聖職者たちも、日本に招かれて日本人の実際の生活に触れたら、何か考えることがあるかもしれません。

私を含む平均的日本人が、無宗教者であるとは、私は思いません。

見方によれば、すべての宗教を受容できる豊かな心の持ち主とも言えるのです。だとすると、多民族、多宗教が共存しなければならない世界の将来にとって、先導者の役割さえも果たせるかもしれません。(終り)

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。後藤和弘(藤山杜人)

下に志村 建世さんのお写真と挿絵のハスの花の写真を付けました。


秋の草花の写真です

2014年09月27日 | 写真
公園に散歩に行って秋の草花の写真を撮って来ました。

今朝は秋の青空で乾いた爽快な風が吹いていました。しかし午後から曇ってしまって寒いくらいの風です。先程、小金井公園へ散歩に行き、ついでに花の写真を撮って来ました。つまらない写真ですが、お楽しみ下さい。





友人が旅立つ老境の悲しみ・・・清流園組合の思い出の人々

2014年09月27日 | 日記・エッセイ・コラム
老境の悲しみは親兄弟、親戚、恩人、友人が一人、また一人と旅立って行くことです。

親兄弟や恩人、仕事仲間など我が人生を大きく支えてくれた人々との惜別は悲しみも深く、そして感謝の気持ちが豊かに湧いてきます。

そしてその一方、人生の余暇に一緒に遊んだ友人たちのたちとの別れには、そこはかとない悲しみを感じるものです。それは淡い水色のような悲しみです。

そんな友人たちの思い出を少し書いてみたいと思います。山梨県の別荘地で一緒に遊んだ人々の思い出です。

その別荘地の25人くらいのメンバーで40年ほど前に「柳沢清流園管理組合」というものを作りました。毎年、夏に総会と懇親会をして来ました。

その清流園のある場所は下の甲斐駒岳の手前の深い森の中です。

この別荘地ではいろいろな人と知り合いました。大工さん、庭師、会計士、会社員、ブドウ栽培家、不動産業者、そして共産党員などなどです。

大工さんの中川さんはこの地に独りで住み着いていました。別荘を10軒も建て、井戸も掘り 、小型ブルドーザーで悪路も補修して清流園の維持に大きな貢献をした人でした。

何度も彼の家に上がり込み他愛のない話をしました。彼はたまにしか人に会えないのでいろいろな話をたて続けに話していました。

小さな別荘を作るときの苦心談が主な話題でした。彼はロマンチストだったらしく作る別荘には必ず小さなベランダのついた屋根裏部屋があるのです。露天風呂をつけた家も建てました。

新築の別荘に入れてくれて説明してくれます。2階の屋根裏部屋のベランダに出ると森の梢の上に甲斐駒岳が透けて見えるのです。八ヶ岳も少しだけ見えます。下に、別荘地の傍の牧草地から見た八ヶ岳の写真を示します。

中川さんは自分の別荘の庭に大きな池を作り、鱒を飼っていました。その鱒を何度か頂いてきてムニエルにしてビールを飲んだものです。

昨年の春に会った時は、「娘が旦那と一緒にこちらに引っ越して来る」と言って、楽しみにしていました。奥さんが早く亡くなったので、娘の自慢話を何度していたものです。その中川さんが昨年の春先に旅立ってしまったのです。

その後の田植えの頃、私は清流園に遊びに行って彼の訃報を知りました。

下に田植えの頃の、清流園への道の入口の写真を示します。

この清流園では、もと代々木の共産党本部で働いていた追平 さんとも知り合いました。一人で住んでいて、よく散歩をする人でした。私の庭にも何度も寄ってくれて話し込んで行きました。北海道帝国大学を出た人で、卒業後から一生、共産党本部で働いていた人です。

徳田球一さんや野坂参三さんの人間的な側面を話してくれたときは大変面白かったものです。彼は都会育ちなのでパンが好きで近所に美味しいパン屋が無いとこぼしていたものです。 家内が東京の美味しいパンを届けたら満面笑顔になりました。彼も何処か行ってしまってもう4年くらにになります。懐かしい人です。

懐かしいと言えば勝沼のブドウ農家だった中村さんも面白い人でした。狩猟が趣味で犬と共に奥深い山々に何日間も入ってイノシシや鹿を撃つそうです。しかしあまり命中しないと言います。獲物の話より山奥で野営する苦労話は面白かったのです。

その彼からブドウ酒の密造方法を教わったのです。まず多量の規格外のブドウを勝沼から買ってくるのです。それを潰して、砂糖を加えて、広口ビンに入れて数週間発酵させます。時々、味見をし甘味がアルコールになったら完成です。新聞紙で濾して葡萄酒の完成です。直ぐに飲まないと発酵が進み酢になってしまいます。

密造ですから官憲の取り締まりは無いのですかと聞きました。するとブドウの産地の勝沼では皆が自家用に作っているので、時々取締りがあるそうです。しかし取締り日は近所の人が皆知っているので見つからないと言ってました。

別荘地にも官憲が来ますかと聞いたら、こんな悪路の奥までは来ないと笑っています。その悪路の写真を下に示します。

この中村さんは60歳を過ぎてすぐに亡くなりました。旅立ってからもう15年くらいになります。
こうして柳沢清流園の人々は一人去り、また一人旅立ってしまい創立当時のメンバーは庭師の谷崎さんと私達だけになってしまいました。
しかし別荘の持ち主の二代目がメンバーになって今年の夏の懇親会には三代目の子供も含めて25人も集まりました。

別荘地の風景は年年歳歳同じようですが、人々は変わって行きます。
気がついてみると、昔一緒に遊んだ人々がみな消えてしまいました。淋しくなりました。老境の悲しみです。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。後藤和弘(藤山杜人)

老境の悲しみ・・・体力が急激に無くなる

2014年09月26日 | 日記・エッセイ・コラム
人間は誰でもそうですが、年老いると体力が無くなるものです。老境は楽しいことも沢山ありますが、体力の減少は悲しいことです。

そこで5年間前の73歳の頃の自分の体力を調べるために、2009年9月23日にヨットに泊まったときの記事を読み返してみました。

そうしたら、5年前には家内と一緒に快晴の霞ヶ浦で爽快なセイリングを楽しんだ後、夜はキャビンで料理をしてビールを飲んだことが分かりました。
その夜はキャビンの中に持参の蒲団を敷いて一泊していたのです。
その折の記事を下に示します。
・・・23日は風が強いので2枚のセイルを小さく上げて、それでも7ノット以上で快走しました。今年一番の快適なセイリングが出来ました。

夕方にヨットを係留地へ戻し、夕食後、甲板で夜景を楽しんでいたら、いつも湖に棲みついている白鳥の一家が遊びに来ました。
家内が林檎を切って与えました。先方も暇。こちらもテレビもラジオも無く暇です。何となく遊んでしまいました。
その後夜9時には寝てしまいました。波が船体にチャプチャプ当たる音に誘われて熟睡しました。水温がまだ夏のままらしく温暖な気温です。早朝になっても冷え込みません。

この数日前に山梨県の北杜市の甲斐駒山麓の山小屋に泊まりましたが、朝夕の冷え込みが厳しかったのに比較すると水辺の優しい空気にホッとしました。
山小屋に泊まることもヨットに泊まることも非日常的な冒険で厳しいものです。
しかし山小屋の方が厳しいと思いました。山小屋では白鳥一家も遊びに来ませんし、漆黒の闇の林に風が吹き荒れ、ザワザワ恐ろしげな音を一晩中立てていました。・・・・・・

このように実に5年前は体力もまだあり、ヨットに泊まったり山小屋に泊まったり出来たのです。
ヨットはその2年後の75歳で止めました。25年続けていたヨットを卒業したときは流石に淋しい思いをしまたものです。

山林の中の小屋へは相変わらず行っていますが、もう泊まるのは止めました。飲み水や蒲団を東京から運んだりするのがオックウになってにきたのです。山小屋には日帰りか、甲府のホテルに泊まります。

体力の減少に従って、それまでの趣味を止めて淋しい一方、何故かホッとした安堵の境地です。
無理をしないで老境を悠々過ごすと幸福感が湧いてくることを発見している今日この頃です。
5枚の写真は丁度5年前の9月23日と24日に一泊でヨットに遊びをした折の写真です。ネオンサインが水面に写っている写真はキャビンの窓から見えた土浦の夜景です。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。後藤和弘(藤山杜人)





下仁田町から佐久市へ抜けるコソモス街道の写真

2014年09月25日 | 写真

下仁田町から佐久市へ抜けるコソモス街道の写真をお送りいたします。

私的なことで恐縮ですが、家内は終戦前後に群馬県の山里の下仁田町に疎開していました。そこの小学校で同級生だった横山美知彦さんがときどき山里に暮らす四季折々の随筆や写真を送って下さいます。
昨日は下仁田町から佐久市へ抜けるコスモス街道の写真をお送り頂きました。
四番目の写真は佐久平に抜けた所の田圃の風景です。後の山は浅間山です。
稲がハザ架けしてある風景をご覧下さい。



ブログの世界は自由で平等、しかし自由と平等が生む貧困層の増加

2014年09月25日 | 日記・エッセイ・コラム
ブログの世界は本当に自由です。毎日つまらないことを書いても誰も非難しません。否定的なコメントも来ません。その上、読んで下さる全ての人々がみんな平等なのだという雰囲気に溢れています。

私はこうして毎日記事を書いていると広々した明るい世界へ入るような気分になります。幸せな気分になるのです。それで毎日役にも立たないことを書きつらねています。

そして独りよがりの写真も沢山掲載しています。
一番目の写真にそんな独りよがりの写真の一例を下に示します。

この写真は下手な写真だと思いますが、私は「花の咲く小道 」を見ると何故かロマンチックな気分になります。これこそ単なる独りよがりです。

それはさておき、「自由と平等と博愛」 はフランス革命の旗印でした。このフランス革命は近代の欧米の民主政治の原点です。
そしてその「自由と平等」にこだわり、それを徹底的に追及したのがアメリカ合衆国です。

アメリカ人へ何が自慢ですか?何を誇りに思っていますか?と聞くと全員が「自由で平等な国を自慢に思います。それを誇りに思っています」と答えます。

そのアメリカは世界一生活レベルが高いと言います。
二番目の写真に一例として下にアメリカ西海岸のあるヨット・ハーバーの写真を示します。

(写真の出典は、 http://www.yunphoto.net/jp/photobase/hr/hr1698.html です。)
如何にも金持ちらしい人々のヨットやモーターボートが静かに舫ってあります。
しかし最近マスコミなどで日本の貧困率がどんどん増加していると報道されています。そこで少し調べてみましたら、下の写真に示したように貧困率はアメリカが世界で二位で、なんと日本が五位なのです。
三番目の写真がその図面です。

(写真の出典は、http://mnewsplus.blog7.mmm.me/mmmblog-entry-5497.html です。)
この図面は相対的貧困率ですが、それは各国の一人あたりの年収の平均の半分以下の収入で暮らしている人々のパーセントを意味します。

今日は詳しいことは省略しますが日本の貧困率が年々増加しているだけでなく、貧しい子供の数が増加しているのです。

この原因はいろいろですがその一つに小泉首相による規制緩和と経済活動の自由化にあると言われています。
「自由にすれば貧困率が増加する」という社会現象がアメリカや日本などで起きているのです。
社会が完全に自由になり人々が平等になると若い人は官庁や会社のような組織の中では働きたくないのです。上司の職務命令も無視します。当然ながら組織的な経済活動が阻害されます。

そして働きたい個人は猛烈に働きます。働かないで人生を悠々と過ごしたい人は少しの収入で我慢します。ここに貧富の差が生まれるのです。
その上、金持ちの税率を下げ、収入の少ない人々の税率を上げれば益々貧富の差が大きくなります。

以上は雑な議論ですが、アメリカ社会の自由と平等の一面を指摘していると思います。じつは日本の政府も小泉首相の規制緩和と自由化をその後も連綿と実行しているのです。日本も早晩アメリカのようになると思います。

そのアメリカは中東でイスラム国を相手に、また大規模な戦争を始めているのですから不思議です。彼等の考えている自由と平等とは一体何なのでしょうか?
人間は不可思議なものですね。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。後藤和弘(藤山杜人)

東京の有名な梨、稲城の梨の写真、そして秋の実り

2014年09月24日 | 写真
東京の有名な梨、稲城の梨の写真、そして秋の実りの柿、栗、ミカン、キウイの写真をお送り致します。

東京都稲城市の梨畑の写真を撮りに行きました。
そうしたら近くに柿、栗、ミカン、キウイなどの果実が美しく実っていました。
そんな秋の風景をお送りいたします。






イスラム国と欧米・アラブ5ケ国連合軍が大規模な戦争を始めた

2014年09月24日 | 日記・エッセイ・コラム
昨日、アメリカ空軍とヨルダン、バーレーン、サウジアラビア、カタール、アラブ首長国連邦(UAE)が参加して、シリア領内のシリア国軍を空爆しました。
空爆は14波の戦闘機爆撃だけでなく、紅海とペルシャ湾の米国駆逐艦からのトマホーク・ミサイル47発も発射されたのです。
昨日のシリア領内爆撃とは別に以前から米空軍とフランス空軍はイラク領内のイスラム国軍の基地を空爆しています。

これは中東でのまったく新しい大規模な戦争が始まったことを意味します。
何故新しいというのでしょう?

それは英米仏やカナダ、オーストラリアなどの何時もの欧米連合軍にヨルダン、バーレーン、サウジアラビア、カタール、アラブ首長国連邦(UAE)が加わっているからです。その上、今まで敵対していたイランとシリアのアサド政権が黙認しているのです。
さて何故こんな大戦争が始まったのでしょうか?
その原因はイスラム国の下記の3つの特徴のためと思います。

(1)イスラム国の軍隊は極端に残忍で服従しない占領地の民間人を惨殺しているのです。

(2)占領地に大型油田を持っていて軍事予算は潤沢です。従って世界一豊かな過激集団と言われています。ですから数万の戦闘員が高額の給料で雇われています。

(3)イスラム国の軍隊にはアメリカ人、イギリス人、フランス人、などの欧米人が参加しています。かれらが世界に散らばり各地でテロ攻撃をすると恐れられているのです。すでにイギリス人やアメリカ人が公開処刑され、ベルギーのブリュッセルでは4人が殺害されています。

この新しい戦争は自由と平等を強調する欧米文明に対する本格的な挑戦と考えられます。
この戦争の性格を理解するために少し昨日の情報をご紹介いたします。
下の写真は米軍の駆逐艦からのミサイル発射の光景です。http://blogos.com/article/95070/ より転載しました。

そして今日の各報道機関のネット版をご紹介いたします。

===トマホーク47発、波状攻撃14回 米テレビなど報道、最新鋭ステルス投入か==
http://sankei.jp.msn.com/world/news/140923/amr14092322510008-n1.htm より転載しまし。
 米中央軍の発表やメディアの報道によると、シリア空爆は23日午前3時半(シリア現地時間)ごろ、紅海やペルシャ湾に展開したミサイル駆逐艦アーレイ・バークやミサイル巡洋艦フィリピン・シーから巡航ミサイルのトマホークを発射して口火を切った。使用したトマホークは計47発。攻撃の第1波は約90分で終わり、14回にわたって波状攻撃を繰り返した。
ペルシャ湾に展開中の空母「ジョージ・H・W・ブッシュ」からはF18戦闘機が飛び立ち、陸上から発進した戦略爆撃機B1や無人機プレデター、F16戦闘機などがシリア上空で攻撃に参加した。
米メディアによると、少なくともヨルダンは軍用機を投入。ABCテレビ(電子版)は、最新鋭ステルス戦闘機F22が実戦に初めて投入されたと報じている。
標的はシリア北東部ラッカなど4都市。「イスラム国」の司令部や訓練・補給施設、新たな構成員を募集している職業斡旋(あっせん)施設など20カ所以上を空爆した。また、米軍はこの攻撃とは別に、シリアでの台頭が懸念される国際テロ組織アルカーイダ系グループ「ホラサン」の北部アレッポ周辺の拠点を8回、攻撃した。
===================================
それではアメリカ軍とアラブ5ケ国連合軍の空爆した大体の場所を示します。

下の図は、http://www.chunichi.co.jp/article/front/list/CK2014092402000074.html より転載しました。

さてこのイスラム国の長期的な脅威は中東の油田地帯を制圧しようとしていることにあると思います。
それを防ぐために油田地帯のヨルダン、バーレーン、サウジアラビア、カタール、アラブ首長国連邦(UAE)の5ケ国がアメリカ軍と作戦をともにしているのです。
ですから今回の新しい戦争は中東の石油の争奪戦でもあるのです。
オバマ大統領はこの戦争は長引くと言明しています。いずれ日本の自衛隊の派遣も要請される可能性もあるのでs。実に困った事態になったものです。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。後藤和弘(藤山杜人)

=====参考資料:ペルシャ湾岸付近の油田の分布=======
世界の油田:http://www.japt.org/abc/a/gijutu/maizou.html#yuden より転載しました。

世界には約3万の油田がありますが、 このうち可採埋蔵量50億バーレル以上の巨大油田は46存在し、これらだけで全埋蔵量(1兆6720億バーレル)の40%を占めます。
中東地域にはそのうち29油田が集中し、世界最大のガワール油田は、長さ255Km、幅20Kmで 東京都の面積の約2倍の大きさです。下はそのペルシャ湾岸地域の油田をしめします。

懐かしいオート三輪車の写真

2014年09月24日 | 写真

昭和30年頃前後まではオート三輪車が全国で活躍していました。野菜や荷物の運送にはきまってオート三輪車でした。それが高度成長期に入ると次第に姿を消し1980年頃には日本では見ることができなくなりまた。

昔の子供はオート三輪車にみな憧れて、乗ってみたいと思っていました。それに乗れる子供は青果業や酒店などの子供だけでした。

仙台に居た少年の頃、二三度だけ運送業のオジサンに危なっかしい助手席にも乗せてもらい怖い思いをしたことがあります。

とにかく乗り心地が悪いのですが、すごく感動的な乗り物でした。

中国や東南アジアにエンジン付きの三輪車が今でも走っていますが、日本のオート三輪とは全く違います。懐かしい乗り物ですが、もう二度と見ることが出来ません。

先日、河口湖自動車博物館でその昔のオート三輪者車を見つけましたので懐かしく思いました。

そこで下に昭和30年頃の小金井市の多摩青果市場の前に勢ぞろいしたオート三輪の写真をお送りいたします。(写真の出典は、小金井市教育委員会、編集・発行CD「写真でたどる昭和の小金井」 です。)

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そしてこのオート三輪者は何時頃から使わられていたか調べましたら、戦前の写真を見つけました。下がその写真です。

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上は浅草のある仏具屋さんの店先の風景です。2代のオート三輪車と自動二輪車が写っています。 出典は、 http://www.nihondo.net/aboutus/histry.html です。

尚、オート三輪の国内での製造の歴史にたついてはhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%83%88%E4%B8%89%E8%BC%AA をご覧下さい。この資料から、 下に戦前からのマツダのオート三輪車の基本形の写真を示します。

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懐かしいオート三輪車の写真 2014年09月03日 | 写真 昭和30年頃前後まではオート三輪車が全国で活躍していました。野菜や荷物の運送にはきまってオート三輪車でした。それが高度成長期に入ると次第に姿を消し1980年頃には日本では見ることができなくなりまた。 昔の子供はオート三輪車にみな憧れて、乗ってみたいと思っていました。それに乗れる子供は青果業や酒店などの子供だけでした。 仙台に居た少年の頃、二三度だけ運送業のオジサンに危なっかしい助手席にも乗せてもらい怖い思いをしたことがあります。 とにかく乗り心地が悪いのですが、すごく感動的な乗り物でした。 中国や東南アジアにエンジン付きの三輪車が今でも走っていますが、日本のオート三輪とは全く違います。懐かしい乗り物ですが、もう二度と見ることが出来ません。 先日、河口湖自動車博物館でその昔のオート三輪者車を見つけましたので懐かしく思いました。 そこで下に昭和30年頃の小金井市の多摩青果市場の前に勢ぞろいしたオート三輪の写真をお送りいたします。(写真の出典は、小金井市教育委員会、編集・発行CD「写真でたどる昭和の小金井」 です。) 0073_11 ・ 0073_21 そしてこのオート三輪者は何時頃から使わられていたか調べましたら、戦前の写真を見つけました。下がその写真です。 Syodai1_2 上は浅草のある仏具屋さんの店先の風景です。2代のオート三輪車と自動二輪車が写っています。 出典は、 http://www.nihondo.net/aboutus/histry.html です。 尚、オート三輪の国内での製造の歴史にたついては、http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%83%88%E4%B8%89%E8%BC%AA をご覧下さい。この資料から、 下に戦前からのマツダのオート三輪車の基本形の写真を示します。