後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「今日の日記、山梨県、上野原町までドライブに行く」

2020年02月29日 | 日記
山梨県、上野原町は旧甲州街道の宿場町です。相模湖を過ぎて大月市の方向に向かって行くと、昔の宿場、上野原町があります。寂れた昔の宿場町の雰囲気を残しています。
町のある台地を下りると桂川と鶴川の合流点の川波が早春の陽射しに光っています。
その川の風景に魅かれて四季折々よく行く所です。なんということもなく、川を眺めて帰ってきます。もう何十回も行った川のほとりです。
今日は久しぶりに大垂水峠越しのドライブを楽しみながら行ってきました。写真をお送りいたします。

1番目の写真は町のある台地の下の桂川と鶴川の合流点です。写真の右手が上流です。合流点は写真の右、300m位上流にあります。桂川は富士山の麓の山中湖から流れ下っています。

2番目の写真は桂川と鶴川の合流点の下流方向の写真です。下流は相模湖に繋がっています。写真の長い橋の左上の台地に上野原町があります。長い橋の右は秋山村に続く道です。

3番目の写真は上野原町の名物の酒饅頭の店です。この店で初めて酒饅頭を買ったのは1962年の暮れでした。マツダ・クーペという軽自動車で行きました。家内の父が甘いものが好きでしたので何度もこの店の酒饅頭をおみやげに買ったことを思い出しました。19世紀生まれの義父の好物だったのです。
この店とのお付き合いも58年になります。家内とそんなことを話しながら甲州街道をドライブしながら帰って来ました。
平穏な老いの午後でした。

「一斉休校は安倍さんの独裁、対策費は世界最低」

2020年02月29日 | 日記・エッセイ・コラム
今日は安倍さんが独裁者になったという私の感想と安倍政権のコロナウイルス対策費が世界最低だという驚くべき事実を書きたいと思います。
隣国の韓国の対策費が1兆3700億円に対して安倍政権はたった153億円の国家予算を準備しているだけなのです。世界各国の対策費に比較すると日本だけが極端に少ないのです。これではオリンピック開催も心配になります。
2つの問題を順々に個状書きにして示します。

(1)安倍さんが独裁者になったという感想
以下に東京都立高等学校の教師、小松史彦さんがFace Bookに投稿している文を転載します。· (https://www.facebook.com/fumihiko.komatsu1 )
現場が様々な苦渋の選択をしながら、現時点で最善と思われる対策を練り、生徒たちにも伝え、納得してもらった数時間後にいきなり上からひっくり返す。
最悪のタイミングでの「安倍ショック」は、今後の推移によっては政権の致命傷になり得るだろう。
各自治体には「要請」に応えて賢明な判断をしてほしい。
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私もまったく同感です。安倍さんは閣僚とも事前に相談もせず独断で急に思い付いて発表したのです。トランプ大統領の真似でしょうか?日本の民主主義を踏みにじったようです。私個人はそういう感想を持ちました。
安倍さんは独断で急に思い付いたので予算も組んでいません。対策費は恥ずかしいほどお粗末なのです。

(2)世界各国の対策費に比較すると日本は極端に少ない
以下にアメリカ在住のトンプソン 真理子さんがFace Bookに投稿している文を転載します。·
彼女は在米21年、主にアメリカの最新代替医学に関する情報を発信しています。代表著書に「リーキーガット症候群」があります。
(2月27日 · https://www.facebook.com/photo.php?fbid=2764737193634887&set=a.139310916177541&type=3&eid=ARB7RhFGQP5NwzCQ4ZaXIcuoz-TselntqjFSqsGX5J9g_OfdbWl97FRraKY272J1EaQ_kd_9ObIymP5I )
アメリカのテレビで、各国の新型コロナウィルスへの対策予算を比較していてあまりに驚いた ので、この際まとめてみた。
【新型コロナウィルスの各国の対策予算】 
中國:1兆500億円  (人口 13億8000万人)
韓国:1兆3700億円  (人口 5000万人)
香港:4000億円  14万円補償/人(人口700万人)
台湾:2200億円   (人口2300万人)
シンガポール:5040億円 (人口564万人)
USA:2800億円   (人口3億2,700万人)
日本: 153億円 (東京都は400億円) (人口1億2600万人)
※ちなみに、日本がアメリカの戦闘機購入に使った税金・・4兆円
 
特に比較したいのは韓国です。
新型コロナウイルスのPCR検査費用は約1万6000円で国が全額負担。
補償は14日以上入院、隔離の場合、約12万円の生活費も支給する。
感染者が出た病院が閉鎖された場合はその分の補償を国が負担する。
 
日本: 特に補償なし
__________ 
【新型コロナウィルスの一日の平均PCR検査件数】
韓国: 5000件(民間フル活用)
日本: 約900件 (数日前まで一日9~90件)
【今までに行ったPCR検査数】
韓国: 4万件
日本: 5700件  (2月26日時点)
しかも韓国では、ドライブスルー検査場で時短(10分)でサンプルが取れて他の人と接触無しで出来るのです。 対して日本では未だに半日仕事。海外検査キットの使用も認めない。
 
韓国は、国を挙げて本気で何とかしようとしているのが分かって、素晴らしい。
それに対して、相変わらず国民任せな日本。一方的に自粛は要請しても、責任取れませんが後はよろしくってという体制です。
これは、日本が貧乏だからではなくて、やる気(本気度)の問題だと思いますよ!
それとも、オリンピックを是が非でも敢行するために、本当の数が出てもらってはいろいろと都合が悪いからか。
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上記のような情報は日本のマスコミには絶対出て来ないニュースです。
アメリカだからTV報道があったのです。

最後に書きたいことがあります。
日本ではダイヤモンド・プリンセス号だけを連日マスコミが報道していました。
その十数日の間、安倍政権は一斉休校や対策費の増大を関係閣僚や関係官庁と相談する時間が充分あったのに何もしませんでした。
ダイヤモンド・プリンセス号の乗員だけを人身御供にして、その後の対策は何もしなかったのです。
それを明快に指摘したのが上記のアメリカ在住のトンプソン 真理子さんのFB誌面への投稿文です。実に困ったものです。
今日の挿し絵代わりの写真は三菱重工業製のダイヤモンド・プリンセス号です。総トン数、115,875 トンで全長約290 mの客船です。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和(藤山杜人)



「今日の日記、エリカ、ミモザ、ミツマタの写真を撮りに行く」

2020年02月28日 | 日記
午後に近所の果樹栽培畑のエリカ、ミモザ、ミツマタの花の写真を撮りに行きました。
午前中は、「富士山の美しい風景写真」という記事を書きました。
・・・富士山には日本の他の火山に無い2つの特徴があるのです。
(1)美しい長い裾があることです。
富士山が美しい流線型の稜線の裾を持っている理由は流れた溶岩の成分によるのです。
富士山の溶岩の特徴は酸化ケイ素(SiO2)の含有量が非常に少ないことです。
酸化ケイ素の含有量が少ないと溶岩が水飴のようにサラサラと麓まで流れて行けるのです。

(2)爆発後の陥没が非常に少ないことです。
日本には、このような2つの条件をそなえた火山は非常に少ないのです。多くは箱根山や阿蘇山のように陥没していまい複雑な形をしたカルデラ地形になっています。
富士山の隣の箱根山は非常に高い火山でしたが、爆発のあと地下がガランドウになって山が陥没してしまい、カルデラ湖の芦の湖だけになってしまったのです。・・・

エリカ、ミモザ、ミツマタの花の写真を順々にお送りします。






異国の香り漂う横浜メリケン波止場、大桟橋の風景

2020年02月27日 | 日記・エッセイ・コラム
昨日、2月26日は「今日は日本の悲劇、2・26事件の日」という暗い話を書いたので気分が憂鬱です。そこで今日は気分が晴れ晴れするような記事にしたいと思います。
そこで異国文化の香り漂う横浜のメリケン波止場の風景をご紹介したいと思います。広々した港の風景です。

横浜港の客船が接岸できる桟橋を昔はメリケン波止場や鉄桟橋と言いました。そして現在は大桟橋と呼ばれています。
この客船が接岸できる鉄桟橋は明治22年、1889年に建設が始まりました。そして明治27年、1894年には現在の大桟橋の前身の「鉄桟橋」が完成します。その後、拡張工事が行われ1913年には幅43m、長さ738mの桟橋が完成します。
それ以来、横浜港は外国航路の拠点になり、日本郵船や大阪商船などの表玄関になります。そして外国の海運会社も欧州航路とアメリカ航路の定期便を運航していたのです。この期間が横浜港の一番はなやかな時代だったのです。

1番目の写真は昔の戦前のメリケン波止場です。
このメリケン波止場からは写真のように日本郵船の氷川丸などが北米などへ出航していたのです。
当時は外国に行く人をこのように盛大に見送ったのです。ひょっとするともう二度と会えないと考えている人も多かったのです。
氷川丸も旅客機の普及で1960年に就航を止め、現在は山下公園の港に係留され公開されています。
1960以後は旅客機の時代になり大桟橋は淋しい所になります。特に貨物船はコンテナ船になり大黒ふ頭のようなところへ去ってしまったのです。
ところが1990年代になると豪華客船が流行になり、メリケン波止場が大桟橋と呼ばれ、再び脚光を浴びるようになったのです。
そこで横浜市は斬新な桟橋の設計を公募することにして、世界中へ呼びかけました。それは2002年のことでした。
その公募には660件の応募があり、その中から最優秀作品としてイラン生まれのファッシド・ムサヴィさんという女性とスペイン生まれのアロハンドロ・ザエラ・ポロさんという男性の2人の合作による設計が優勝したのです。
彼等の履歴は、http://www.osanbashi.com/outline/designer.html あります。
彼等の設計図にしたがって建設されたのが現在の大桟橋です。
その桟橋は実に独創的な構造になっていて全て木造なのです。散歩していると自然に屋上に上がって行きます。そして青い海が見え、その向こうに横浜の美しい街々が見渡せるのです。
客船の岸壁という機能と市民の憩いの海上公園としての機能をあわせ持った楽しい場所です。
一階は広大な駐車場になっているので私も何度も散策に行きました。

2番目の写真が大桟橋の遠景です。(写真の出典は、http://shige-f.blog.so-net.ne.jp/2009-09-23です。)

3番目の写真は桟橋に客船が係留されている風景です。左の白い客船は横浜港一周の大きい観光船です。

4番目の写真は大桟橋が徹底的に木造になっていています。屋上部分に草が植えてある公園になっている様子を示しています

5番目の写真はこの桟橋の屋上から見た横浜の街の風景です。1と2番目の写真以外は私が撮った写真です。

このように昔の鉄桟橋は外国航路の貨客船における日本の主要拠点となり、当時の日本郵船、東洋汽船、大阪商船など日本海運業界の表玄関の一つとして利用され、外国海運業界の外国定期航路の拠点として活躍しました。
欧州航路では英国P&O、北ドイツ・ロイド、フランス郵船、北米航路では米国太平洋郵船、カナダ太平洋汽船、アメリカンプレジデントライン等が定期航路をしくようになったのです。
その上、鉄桟橋は外国籍船と日本郵船のシアトル航路が発着するようになります。
太平洋戦争後もシアトル航路に復帰した日本郵船の氷川丸が発着を続けたのです。
太平洋戦争終結により大桟橋は連合国に接収され、サウスピアと改称されます。
降伏調印の為に米国戦艦ミズーリ号に向かった重光外相も大桟橋から小型船に乗船しています。
連合国も当初GHQを置いたのも大桟橋に程近いホテルニューグランドであり、大桟橋が時代の節目で日本の歴史に深くかかわっていたのです。
大桟橋は1952年2月15日に接収解除となり、北米定期航路にはアメリカン・プレジデント・ラインの「プレジデント・ウィルソン」や「プレジデント・クリーブランド」、欧州航路にはP&Oの「チューサン」やオリエントラインの「オロンセイ」などが就航し、日本郵船の氷川丸がシアトル航路に復活するなどして賑わいます。
また移民船として「ぶらじる丸」、「あるぜんちな丸」等が就航し、1960年代初頭までの第二の南米移民ブームを支えたのです。
またのちに、ナホトカ定期航路も開設され、その低価格による欧州渡航が人気を博した時代もありました。
この頃の氷川丸でフルブライト留学生として渡米した人々も少なくなく、また宝塚歌劇団の渡米にも利用されたそうです。

この大桟橋は1990年頃から又非常に賑やかな場所になります。その頃から日本の豪華客船のふじ丸やパシフィック・ビーナス、
日本丸、飛鳥2世号などが頻繁に接岸するようになったのです。その上、アメリカやヨーロッパの大型豪華客船も発着するようになり大桟橋は急に華やかな場所になったのです。日本人にも豪華客船に乗ってディナーやショウを楽しむ豊かさが定着して来たのです。
戦前、戦後の悲しい移民船や船内施設の貧弱な客船の頃と比較すると深い感慨を覚えます。
横浜の大桟橋は日本の歴史を背負っているのです。
なお余談ながらコロナ・ウイリスで大騒ぎになったダイヤモンド・プリンセス号は大桟橋ではなく大黒埠頭に接岸していました。船の高さが高すぎて横浜ベイブリッジがくぐれないのです。今後大型客船は大桟橋ではなく大黒埠頭に接岸するようになります。残念です。

現在、この大桟橋は入場無料の公園になっています。係留されている船に乗り込むのは禁止ですが、その他は自由に散歩できます。レストランもあります。
一階の広大な駐車場は有料です。とにかく素晴らしい場所なので一度お出かけになって下さい。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和(藤山杜人)

「今日は日本の悲劇、2・26事件の日」

2020年02月26日 | 日記・エッセイ・コラム
今日は1936年2月26日雪の朝に陸軍が起こした軍事クーデター、2・26事件の日です。日本の悲劇でした。明治維新以後の日本の近代史の闇です。
最近は新聞も2・26事件のことを取り上げなくなったので忘れている人も多くなりました。
今日はこの日本の悲劇、2・26事件をもう一度思い出すことにしました。
痛ましい悲劇ですのでまず心を静かにするために3月に咲く花々の写真をお送りいたします。小平市の都立薬用植物園で去年撮りました。

1番目の写真はサンシュユの花です。

2番目の写真はアンズの花です。

3番目の写真はキクザキリュウキンカです。

4番目の写真はミツマタの花です。

5番目の写真はコブシです。
さて2・26事件ほど分りにくい事件はありません。
何故分かり難いかというとこの大規模な事件は陸軍の主導権を握ろうという2つの派閥の争いの結果起きた血なまぐさい悲劇なので理解しにくいのです。
分かりやすく言えば2つのヤクザの組の争いです。銃剣を使った争いです。何十人という要人の死者が出ました。その後の裁判で反乱軍を指揮した将校が何人も銃殺刑になりました。
それは明治維新以後の日本の近代史の闇です。忘れたい悲劇です。

争った2つの派閥とは皇道派と統制派です。
皇道派とは元老重臣を殺害すれば、天皇親政が実現し、農村の困窮が終息すると考えていた一派です。
統制派とは統制のとれた中央集権化により軍事計画や総力戦理論を作ることを主張する一派です。そして技術の近代化や機械化を推進して中国への戦線の拡大を支持していたのです。
この2つの派閥の違いが分かり難いのです。2つのヤクザの組の喧嘩なのでその思想や主張が明確でないのです。 思想や主張の違いよりも腕力の強い方が勝ってしまうのです。
当時は荒木大将が陸軍大臣で皇道派が陸軍の主流派となり、多くの重要な参謀ポストを占めていたのです。
そのような状況で1936年2月26日に皇道派が多数の部隊を動員して当時の政府要人を殺害し、東京の主な新聞社や警視庁などの施設を占拠してしまったのです。
内閣総理大臣・退役海軍大将の岡田啓介は天皇大権を掣肘する「君側の奸」として襲撃の対象となりましたが隠れて難を逃れました。
高橋是清蔵相は拳銃で撃たれた上、軍刀でとどめを刺され即死します。
斎藤実内大臣は銃殺されました。遺体からは四十数発もの弾丸が摘出されたそうです。
鈴木貫太郎侍従長は複数の拳銃弾を撃ち込まれて瀕死の重傷を負うが、妻の鈴木たかの懇願により安藤大尉は止めを刺さず敬礼をして立ち去ったのです。その結果、鈴木侍従長は辛うじて一命を取り留めたのです。
渡辺錠太郎教育総監は殺されるであろう事を感じ、傍にいた次女の渡辺和子を近くの座卓の陰に隠し、拳銃を構えたが、直後にその場で殺害されました。
血生臭い話です。もっとありますが書いている自分が嫌になったのでこれで止めます。
結論を言えば、政府の要人を多数殺害し、皇道派が勝ったのです。
しかしこの勝利は長く続きませんでした。
その後昭和天皇が皇道派を悪者と言い、統制派を支持すると言明したのです。
その結果、都内各所に展開していた皇道派の部隊は鎮圧されたのです。
その後の軍事裁判は統制派が指導します。
当然皇道派は反乱の罪で多くの将校が銃殺刑になったのです。皇道派の多くの将官は左遷され退役されました。
こうして陸軍は統制派が主流になり、やがて中国との戦争が始まり太平洋戦争になるのです。

この記事では2・26事件はヤクザの2つ組の争いだと何度も書きました。
その理由はどちらが勝っても中国との戦争と太平洋戦争を避けられなかったと考えられるからです。皇道派も統制派もどちらも戦争拡大を望んでいたからです。戦争拡大こそが陸軍の権力増大につながるのです。

今日は日本の悲劇、2・26事件の日です。
派閥争いの怖さと軍隊のシビリアンコントロールの重要さを心に刻む日です。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)


「同性婚をしたある日本人の苦しみと悲しみ」

2020年02月25日 | 日記・エッセイ・コラム
今日の記事は昨日掲載した、「同性婚を差別しない欧米、差別する日本の文化の特徴」の続編です。
以下に同性婚をしたある日本人の経験を描いた一通の手紙をご紹介します。書いたご本人のご承諾は頂いております。
この手紙は同性婚をしたOZさんが昔親友だったISさんへ送った手紙です。
同性婚をしたある日本人の苦しみと悲しみを皆様にご理解して頂きたいのです。こんな苦しみや悲しみの無い日本になるように祈りつつお送りいたします。
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ISさんへ、
2年前の暮、貴兄に「さようなら」というクリスマスカードをお出し致しましたね。
近年、貴兄にお会いする時、いつも、敬語を使われますし、また、私の目をそらして喋られます。また、よく、私と二人きりでは、バツが悪いのか、共通の知り合いの女性を連れて来られますね。貴兄のお気持ちはわかりますが、私、そう言う義理か厄介で、お会いいただくのでは意味がないので、あのカードをお出ししたと言うわけです。
しかし、なんの説明もしなかったものですから、ちゃんとご挨拶をして、お別れするのが筋かと思い直し、今こうして、キーを叩いております。
もう、私のことなど、思い出したくもないというところでございましょうが、まあ、しばし、お付き合いのほどをお願いいたします。

私、生まれたのが昭和20年2月25日。なんでも、大雪の日だったそうです。貴兄は、その8日前に生まれておられます。
貴兄と私、中学3年の時、1年だけですが、同じクラスになり、家が近かったこともあり、よく、昼食時など、一緒に歩いて帰りましたね。
その後、就職されてからも、色々お付き合いをいただき、またお世話になりました。
又、貴兄、良い女性にめぐり合われ、結婚。そして、すぐに良い子供さん三人を、又今は多くのお孫さんにもめぐまれておられることと思います。
実にいい家庭を築かれましたね。これは、私のように、あまり愛情の通わない家庭に育った者にとっては、実に羨ましい限り。
じゃ、自分が結婚して、そのいい家庭というのを持てばいいんじゃないかということになりますが、私には、それがどうしてもできなかったのです。
だって私「真性同性愛者」なんですもの。100%ゲイ。女性に、性的魅力をかけらも感じたことはありません。
そんな男が、結婚などしてもうまくいく筈がありません。女性に気の毒で、失礼です。世の中に、そういう失敗例はいくらでもあります。まあ、失敗例でなくとも、日本に同性愛者って、いくらでもおられます。悶々と生きておられる方も多くおられます。日本人の場合、結婚しておられることが多いので、気づかれないだけのこと。

でも、貴兄は、私に「結婚」のことを盛んに勧められるので、仕方なく「これは、本当のことを言う以外に手はない」と思い、貴兄に「告白」したのです。
貴兄からすれば、「嫌なことを聴かされた」と言うところでしょうね。何か重荷に感じられたかもしれません。そうだとすれば、ごめんなさい。ただ、貴兄には、私のことを理解して欲しかったということも事実です。
しかし、それ以外にどんな手があったと言うのですか。モゴモゴ言って、嘘ばかりの生活をしろとおっしゃるのでしょうか。
又は、虚偽の結婚をして、表面的に、「良い市民」と見せかける。
わたしに、それはできません。わたし、嘘をつくのが下手なんです。しかし、日本にいた20代後半、主にわたしの結婚問題に関して、どうしても嘘をつかざるを得なくなり、挙句、人様に多大のご迷惑をおかけすることになってしまいました。なけなしの信用も、完全に落してしまい、「四面楚歌」。
それで、これは、「人生をやり直す」しかないと思い、期限のない、「ヨーロッパ放浪旅行」に出たのです。4ヶ月のこの旅行、結果的に功を奏し、その翌年、英国に舞い戻り、75歳の今に至っています。
英国に再度きたのは、私、30歳の時でしたが、その時誓ったのは、「これからは嘘をつかないで生きていこう、自分にも人様にも、」ということでした。

ご存知の通り、私「結婚歴」がありますが、あれは、完全に間違い。
結局、向こうから「別れ話」が出、離婚しました。

尤も、この経験から得たものは大きく、女性のことも少しはわかってきたと思います。おかげで、今、日本には女性の友達が何人かおられます。よく電話でお話しします。女性は、どんなことにも、耳を傾けてくださるので、楽しいです。そして、皆さん、私がゲイであることをご存知です。非常に良い関係。
2月24日(月)から、京都のYKさんがロンドンの我が家に来られます。5泊くらい。貴兄、ご存知だと思います。ちなみに、YKさんは、勿論私の性向をご存知です。

最後に。以下のこと間違っていれば、ごめんなさい。
私、自分より年配の男性とばかり付き合うので、私は、それらの男性に「タカって」生きているのでは、と言う印象を、貴兄お持ちではありませんか。
そうだとすれば、それは誤解です。私、7歳の時、父を亡くしました。57歳でしたが、永らくガンを患い、白髪で、頬はこけ、70歳くらいの老人に見えました。その姿が、瞼に焼き付き、それから、70歳くらいの、父親像を慕う様になったのです。
貴兄、私の英国人の相方、二人にお会いになりましたが、はじめの人ジャックさん、お金は私の方が持っていましたよ。二人目のコリンさん、この人も極めていい人でしたが、3年前になくなりました。12月8日、追悼のパーテイをしました。
どうぞ、皆様とともに、お元気で。お過ごしください。

5月にまた帰国しますが、今回は、長姉の一周忌があるので、参加します。昨年、94で亡くなりました。他の親戚にお会いできるのが楽しみです
この文章、最後までお読みいただけたかどうかはわかりませんが、私のこと、どの様にお思いになるかは、貴兄次第です。
私の様に、ここまではっきり言う男は当然、日本には住めません。だから、英国に住んでいるのです。早々、
           2月17日 ISさんのお誕生日に、 あなたのかつての友人のOZより、
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今日の記事は少し重い内容だったので気分が晴れるように間もなく咲き出すモクレンの花の写真をお送りいたします。昨年の3月に撮った写真です。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)





「今日の日記、流泉寺の枝垂れ薄紅梅を眺めに行く」

2020年02月24日 | 日記
流泉寺には毎年眺めに行く見事な枝垂れ紅梅があります。
快晴の今日の午後に立川市の西の端までこの淡い紅色の枝垂れ梅を眺めに行きました。まずは紅梅の写真をお楽しみ下さい。









流泉寺は臨済宗建長寺派のお寺で、福正寺14世東林香玉和尚(寛文5年1665年寂)が開山となり、創建したといいます。五日市街道に面して砂川3番にあります。

午前中は 「同性婚を差別しない欧米、差別する日本の文化の特徴」という記事を書きました。
・・・明治維新以来、日本は欧米の文化を取り入れて来ました。その欧米の文化も時代と共にどんどん変わっていきます。
この変化について行けない日本は現在の欧米とは違う特異な文化を維持しています。その一つの実例が同性婚に関する文化です。
同性婚を差別しない現在の欧米と、差別する日本は非常に違います。
・・・昔の欧米でも同性婚は差別されていました。しかし現在の欧米では同性婚をする人を性的マイノリティとして保護し、差別をしない文化が定着しているのです。同性婚の場合の税金の控除や遺産相続の権利は普通の男女の結婚と全く同じ法律が適用されているのです。差別することは欧米では「人権の侵害」と考えられているのです。・・・というような内容の記事です。

午後に流泉寺の枝垂れ紅梅を眺めに行ったので穏やかな気分になりました。毎日穏やかな気分で過ごすのが私の暮らし方です。

「同性婚を差別しない欧米、差別する日本の文化の特徴」

2020年02月24日 | 日記・エッセイ・コラム
明治維新以来、日本は欧米の文化を取り入れて来ました。その欧米の文化も時代と共にどんどん変わっていきます。
この変化について行けない日本は現在の欧米とは違う特異な文化を維持しています。その一つの実例が同性婚に関する文化です。
同性婚を差別しない現在の欧米と、差別する日本は非常に違います。

今日はこの同性婚の問題を取り上げてみたいと思います。
昔の欧米でも同性婚は差別されていました。しかし現在の欧米では同性婚をする人を性的マイノリティとして保護し、差別をしない文化が定着しているのです。同性婚の場合の税金の控除や遺産相続の権利は普通の男女の結婚と全く同じ法律が適用されているのです。差別することは欧米では「人権の侵害」と考えられているのです。
これに対して、日本の法律も変えようとという少数派の意見はありますが、婚姻法などは一切変わっていません。まったく遅れています。
そこで何故、「おとこおんな」が生まれるか科学的に考えてみます。
ある専門書によると「性分化の臨界期である胎生期に、分化した脳に男性ホルモンが作用しなかったことによって、脳の思索機能を持っ部位に異常が起き女性型になった」という説明が出ています。
一般に男女の違いは、精神病の問題ではなく医学生理学上の差異であって、生命の緻密で微妙な生化学の作用の結果なのです。
現在の欧米では性的マイノリティは、精神病の問題ではなく胎児の、遺伝子と性ホルモンの差異であって、生まれつきの結果だと広く信じられているのです。「おんなおとこ」も同様に科学的に解明されています。
ご興味のある方は、「脳の性分化」の研究、 http://endocrine.seitai.saitama-u.ac.jp/research_tsukahara1.html をご覧ください。

「おとこおんな」や「おんなおとこ」が生まれつきの少数マイノリティである以上、差別すべきではないと言うのが現在の欧米の社会に定着している考え方なのです。ところが日本ではまだまだ差別されています。
ことの良し悪しは私はここで議論する心算はありません。一切議論しません。
しかし人種差別や身体障碍者や性的マイノリティに対する差別は欧米人と日本人の意識には大きな相違があるようです。
日本人も個人的には同性婚に賛同する人も多いのですが、それは隠れて行うべきであり、法的には普通の男女婚と平等に優遇すべきではないという意見が圧倒的に多いのです。

人間、各個人には、持って生まれた「資質」または「属性」というものがあります。
しかし、身体の特性、頭脳の特性、などは努力によって自分の望む方向に、ある程度は変えるることが出来ます。
しかし絶対に変えることの出来ないものもあります。
例えば、人種、持って生まれた身体的、精神的不具などです。そして、同性婚をする人々の性差も変えられません。
このように個人の力ではどうしようもないものを、一般大多数の人とは違うからという理由で、差別することは人権の侵害なのです。
もう少し問題を踏み込んで書きます。
「おとこおんな」に関してですが、欧米でもそれが生まれつきのものであるという論は広く知られています。しかしそれでも首をかしげる人がいるのも事実です。しかし、首をかしげながらも差別はしない、そこが欧米社会の礼節なのです。

上の考察から、私は日人の文化の特徴を以下のように考えました。
(1)日本人は最近の医学生理学の同性婚に関する研究成果を重視しない傾向がある。すなはち自然科学の進歩を無視する文化的特徴があるようです。しかし新しい工業製品の開発に繋がる自然科学の研究成果には敏感に反応します。そうでない限り、新しい自然科学の研究成果は無視する傾向があります。
(2)少数者を差別しないで尊重するのは欧米の思想であり、日本古来の文化では生まれつきの障害者は隠れて生きて行くべきという文化的特徴があるようです。
(3)日本文化は変化が緩慢であり、特に社会倫理の分野は非常に保守的なのが特徴のようです。

以上は私の雑な考察です。皆様からのコメントで考えを深めて行きたいと思います。どうぞ多数のコメントが頂けますようにお願い申しあげます。

今日の挿し絵代わりの写真は気持ちが広々するような茅ケ崎海岸の風景写真です。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)





「今日の日記、ミサに行き、スーパーとドラッグストアに行く」

2020年02月23日 | 日記
今日は快晴でした。春一番が吹いています。
朝に「何故、私はカトリックのミサの風景写真を掲載するのか?」という記事を書きました。
私がカトリックのミサの風景写真を掲載する目的を簡単に書きました。
私の目的は日本人が異文化に慣れ、異文化に寛容になって貰いたいというものです。
それから10時のミサに行きました。
ミサの帰りにスーパーに寄り塩サバと挽肉を買ってきました。
昼食後、昼寝を少しして、今度は大型ドラッグストアに行きテッシュペーパーとトイレットペーパーを買いました。図書館にも寄り家内が本を借りて来ました。
こんな日常的なことで今日も老境の一日が流れ行きます。
写真は過日、京王フローラルガーデンで撮った写真です。





「何故、私はカトリックのミサの風景写真を掲載するのか?」

2020年02月23日 | 日記・エッセイ・コラム
今日は日曜日なので、私がカトリックのミサの風景写真を掲載する理由を簡単に書いてみたいと思います。
この欄をご覧になっている大部分の方々にとってミサの風景写真などご興味が無いと存じます。
日本人の多くの人々は宗教に関心がありません。そして神社やお寺さんへは馴染みがある方でもキリスト教の礼拝やミサには違和感を感じるでしょう。
そこで私はこの違和感を取り除くためにカトリックの礼拝のミサの風景を何度も掲載して来ました。
勿論、カトリックを宣伝しようという浅薄な気持ちも少し混じっていることも白状いたします。

それよりも日本人が異文化に慣れ、異文化に寛容になって貰いたいという願いが強いのです。それが私の主な目的です。
この欄に掲載されたミサの風景写真は実に沢山あります。自分でも驚くほどあります。この沢山の写真の一覧は検索すると出てきます。
その為には「後藤和弘のブログ、カトリックの写真」を検索するとミサの風景と教会の写真が沢山出て来ます。
同じ様に「後藤和弘のブログ、ロシア正教の写真」を検索するとロシア正教の礼拝の風景と教会の写真が沢山出て来ます。
「後藤和弘のブログ、長崎の教会」を検索すると五島列島の教会の写真が沢山出てきます。

このような風景写真は日常的によく見る風景ではありません。しかしこれも日本の文化なのです。寛大なお気持ちで、このような風景写真をお楽しみ頂ければ嬉しく思います。
そんな理由で私はカトリックのミサの風景写真を毎週1回くらい掲載して来ました。もう10年間もそうして来たので実に多くの写真になりました。

今日はその写真集から一例として、2019年05月26日 のミサ風景の写真をお送りします。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)









「今日の日記、高尾山、木下沢梅林の開花状況を見に行く」

2020年02月22日 | 日記
木下沢梅林は、約1,400本もの紅梅・白梅の木がある梅の里です。
梅が開花する時期には、一面に咲き誇る紅白の梅をながめることができます。
今日は高尾山の麓の木下沢梅林の開花状況を見に行きました。
1、2,3番目の写真のように、まだまだでした。最後の4番目の写真は以前の満開の風景です。







「姉っさ。迎えにめえりやしたと馬が言う」

2020年02月21日 | 日記
今日は認知症と孤独死にまつわるエピソードをご紹介したいと思います。
始めは認知症の女を昔可愛がっていた馬が迎えに来る話です。馬は背に乗せてあの世へ送って行くのです。

認知症の牛枝さんの所に毎日夕方、3人の客が来るのです。その客は3頭の馬です。栗毛と鹿毛と青毛の馬です。昔仔馬の頃、牛枝さんと一緒に郷里の野原を遊び回った懐かしい3頭の馬です。
彼等は軍隊に徴用され戦場で死んでしまったのです。あの世でも牛枝さんと一緒に遊びたくて毎夕、迎えに来るのです。
・・・年嵩の栗毛の馬が牛枝さんの手をそっとなめる。
「姉っさ。今日も、迎えにめえりやした」
「そんなにせっついても、人の息は切れねえもんだ」
・・・そうして馬達は牛枝さんの初恋の人も連れて来るのです。凛々しい軍服姿です。牛枝さんを残して戦死しました。
こうして牛枝さんは毎夕のように3頭の馬と楽しい話をします。しかしどういう訳か3頭が暫く来ません。
ある日、3頭がそろってやってきます。栗毛が言います。
「姉っさ。しばらくぶりでやんす。今日はとうとう皆で話合って、おめえさを迎えにめえりやした」
「おう。ハヤトにナルトにミツルか。会いたかった、よう来てくれた」
牛枝さんは3頭の馬の大きな瞳を代わるがわる見ました。美しい懐かしい眼です。
「姉っさ。ではいよいよ出立です」「おう。有難や。この日ば今まで待っていた」牛枝さんは栗毛の手綱を掴んでヨイショッと馬の背に乗った。
暫くして牛枝の娘さんが旅立った牛枝さんの顔を見るのです。それは微睡んでいるような死に顔でした。

村田喜代子さんが書いた「エリザベスの友達」という小説の一節です。新潮社、2018年10月出版です。
認知症の人は昔の自分に帰り、その頃の場面を見ているのです。その頃会った人と話をしているのです。本気なのです。この本には認知症のいろいろな症例に対する対応方法が書いてあるのです。それが娘との暖かい愛情のオブラートで包みながら書いてあるので楽しい気分で読めるのです。
そして変なことをして荒れる認知症の老人を一瞬にして静かな平穏な気持ちにさせてしまう大橋看護師が重要な役割で出てきます。
妻や夫が認知症になったら愛情を持って接することも重要なのです。

今日の挿し絵代わりの写真は家内が木曽で撮った馬の写真です。





今日はついでに孤独死しそうな私の友人のことを書きます。
その友人は孤独に憧れ、山林を1000坪ほど買い、その中に家を作り独り暮らしをしていました。一生独身でしたので家族と縁が遠いのです。
自分で4輪駆動の車を運転して甲州や信州の旅を楽しんでいました。家の周りにはいろいろな草花を咲かせ、モリアオガエルを育てながら山の生活を満喫していました。
私は何度も彼のところに遊びに行って楽しい時を過ごしました。
シイタケの原木を貰ったり、クリンソウやワスレナグサの鉢植えも貰って来ました。
モリアオガエルの樹上の卵塊も見ました。家の中で飼育中のモリアオガエルの可愛い姿を何度も見ました。私自身の山林の中の小屋から500メートルだけ離れていたのです。
私の小屋の庭でも何度も二人でバーベキューもし一緒にビールを飲みました。

その彼も高齢になり自分で車を運転できなくなりました。
その時近所の別荘に来ている男が親切にも彼の通院と買い物に車で連れて行ってくれたのです。その上、山林の家の周囲の草刈りまで何度もしてくれたのです。
私は感動して彼の別荘を訪れたこともありました。
そんな親切なボランティアが5年ほど続いたとき別れが突然やって来ました。
私の友人が愚痴を言い出したのです。非難の対象は通院してる眼科の医者へ対する悪口です。自分の面倒を見ようとしない市役所の福祉課の役人達の悪口を言うのです。
通院に5年間も連れて行った別荘の人は静かに忠告しました。高齢になったら全ての人に感謝したほうが良いのですと言ったのです。しかし聞く耳を持っていません。親切に5年間も助けてくれた別荘の人に反論したのです。
私は別荘の人に味方をしました。そうしたら山林の中の独り暮らしの友人は怒り出し絶交を言い出しました。
こうして山林の中の独男は孤立無援になりました。彼は何年か後に文字通り孤独死をするでしょう。
後で親切な別荘の人と話し合いました。彼は良いことと信じ助けたつもりでしたが、迷惑だったのでしょう。自分が愚かだったのですと言います。そして淋しく微笑んでいました。

それから2年経過し目が見えなくなりました。北杜市の市役所の福祉課の人が何度も訪れて説得して目の見えなくなった友人を市の施設に入れたのです。福祉課の人の親切で孤独死は免れたのです。
結 論です。「高齢者は親切を干渉と考えてはいけません」

今日は認知症と孤独死にまつわるエピソードをご紹介いたしました。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。後藤和弘(藤山杜人)

「今日の日記、美しい枝垂れ梅の写真を撮りに行く」

2020年02月20日 | 日記
午後に町田市の小山田という旧農村地帯だった所の枝垂れ梅の写真を撮りに行きました。枝垂れ梅は確かに一本ありましたがあいにくの曇天でしたので、昨日撮った写真の方が美しかったのでその写真をお送りします。埼玉県の所沢の農村地帯で撮った写真です。お楽しみ頂けたら嬉しく存じます。









「日本で建造されたダイヤモンド・プリンセス号と人権侵害」

2020年02月20日 | 日記・エッセイ・コラム
ダイヤモンド・プリンセス号の乗客乗員3700人が長期間、船内に閉じ込められていました。
その閉じ込めをアメリカのマスコミは人権侵害であると言います。欧米人の人権意識と日本人の人権意識の違いです。
その前に日本で建造されたダイヤモンド・プリンセス号の写真を見てみましょう。尚この船の所有はアメリカの会社であり船籍はイギリスです。三菱重工業長崎造船所で建造された11万トンの船です。









この船は日本で建造された最大の客船で、2004年にサファイア・プリンセスと共に就航しました。
多彩な施設のほか、メイン・ダイニングが5ヵ所もあります。小型客船を思わせる落ち着いた雰囲気のダイニングです。
全室にはシャワー、トイレを完備してあり客室も豪華です。窓からは青い海が見えます。映画館や劇場も幾つもあり毎晩ショーがあります。これ以上豪華な客船はありません。

このように日本の造船技術は世界に通用しますが日本の人権意識は欧米へは通用しません。
アメリカのマスコミは乗客乗員3700人超が海の上に軟禁状態にあったことを人権侵害だと騒いでいました。
アメイカ政府は勝手にアメリカ人乗客だけを飛行機でテキサスとカルフォルニアの米軍基地へ運んでしまったのです。
日米安保条約があり、人権侵害もあったから日本領海に居るアメリカ人を勝手に助けても良いと考えているようです。
私は乗客乗3700人全員を船内に閉じ込めたのは人権侵害だと感じたのです。

しかし日本政府は日本人全員の健康を守るためには3700人に犠牲になって貰うと考えたのです。3700人を人身御供にするのです。これは一人が悪ければ部隊全員を罰するという戦争中の全体主義と同じです。
部隊全員の人権なんてどうなっても良いのです。そのように感じたのは私が戦前の生まれのせいでしょうか?

では欧米人の人権侵害も満足させるにはどうしたらは良かったのでしょうか?
(1)妊婦、後期高齢者数名の検査を即刻実施し、感染の有無にかかわらず下船させ地上の病院に移す。
(2)検査の優先順序は女子、子供を優先し感染の有無にかかわらず下船させ地上の病院に移す。
(3)乗組員の検査は乗客の後にして船長は最後に船を降りると発表する。
上の考え方には全体主義はありません。ウイルスへの感染は船長の責任ではありませんが、船の上の乗客の処遇は船長の責任です。

このような国際的な考えを無視してか日本の中央官僚が検疫の仕方を全体主義で実施したように見えます。
日本人全員の健康を守るためには仕方ないのだ。我々、中央官僚の言う通りにしろと言う雰囲気です。
何故、妊婦、後期高齢者数名の検査を即刻実施するという発想が無かったのでしょうか?

これこそが日本人の人権軽視と全体主義の現れなのです。
だから私は日本文化が悪いと主張しているのではありません。単にアメリカと日本の人権意識の違いを明快に説明しようとしているだけなのです。違いがあることを分かっているのが重要なのです。

今日は欧米人の人権意識と日本人の人権意識の違いを書きました。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)