後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「花園で自由に花を摘める幸せ」

2021年05月30日 | 日記・エッセイ・コラム
昨日、三鷹市の「花と緑の広場」へ行ったら偶然にも自由に花を摘める日でした。事務所でハサミと手袋を貸してくれます。
妻が嬉々として楽しそうに花を摘んでいます。駐車している車の中からそんな光景を眺めている私も楽しくなります。摘んだ花を持ち帰り花瓶に飾りながら幸せをしみじみと感じます。ささやかな老境の幸福です。三鷹市は年間に4回くらい季節の花を植え替えます。植替えの時に自由に花が摘めるのです。感謝しています。

1番目の写真は4月の「花と緑の広場」の写真です。この花々を5月末に植え替えるです。

2番目の写真は昨日、「花と緑の広場」で花を摘んでいる家内です。子供連れの家族も沢山いました。

3番目の写真は「花と緑の広場」で積んだ花を花瓶に飾ったもものです。

4番目の写真も昨日摘んだ花を花瓶に飾ったもものです。

5番目の写真は数日前に大きな花屋さんから買って来た花です。

6番目の写真も数日前に大きな花屋さんから買って来た花です。
それにしても花園で自由に花々が摘めるとは楽しいものです。皆様にもそんなチャンスがありますように祈っています。

「今日の三位一体の主日のミサの動画の紹介」

2021年05月30日 | 日記
今日は三位一体の主日です。

2021年5月30日の10時から始まるミサのカトリック関口教会と聖イグナチオ教会の動画配信は以下の通りです。

カトリック関口教会、
https://www.youtube.com/channel/UCc2LbUPcHohKUgO2dYhrCvw

聖イグナチオ教会 、
https://www.youtube.com/watch?v=P7sKK0Yz8nA

今日教会に行かない信者の方々はこの動画配信のミサにご参加なられるのも良いと存じます。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)


写真は北海道の花畑です。写真の出典は、https://note.loconavi.jp/articles/2203 です。

「梅雨の無い北海道の爽快な花畑の風景写真」

2021年05月29日 | 日記・エッセイ・コラム
梅雨です。毎日、毎日、暗い雨雲覆っていて憂鬱です。梅雨なのだと諦めて日々を過ごしていますが、梅雨という季節の無い北海道が羨ましいです。
そこで梅雨の無い北海道の爽快な花畑の風景写真を5枚お送り致します。

1番目の写真の出典は、http://blogs.yahoo.co.jp/ezomomonga3/folder/730829.html です。

2番目の写真の出典は、http://furano2008.blog95.fc2.com/ です。

3番目の写真の出典は、https://www.pinterest.jp/pin/314548355225189433/ です。

4番目の写真は富良野の富田ファームのラベンダー畑です。出典はhttp://polaris-t.seesaa.net/archives/20110718-1.html です。

5番目の写真は私が北海道で撮ったルピナスやマーガレットの花の写真です。

なぜ北海道には梅雨がないのでしょうか。その理由は梅雨前線が北海道迄北上して行かないからです。
梅雨前線が北海道近辺に上るのは7月下旬ごろです。しかし、そのころには気温全体が上がっているので、ぶつかっている気団の温度や湿度の差も小さくなっています。ですから梅雨前線はそのまま勢力が弱まり消えてしまうのです。
そのため、『梅雨前線は北海道まで届かない』と言われています。
それにしても北海道に梅雨の季節がないのは羨ましいです。北海道の風景に魅了され何度も行きました。北海道の写真を見ていると毎日の梅雨の憂鬱な気分が吹き飛んでしまいます。皆様も爽快な気分になられたら嬉しく思います。

「小金井市、稲穂神社のそばで福岡県の無農薬農産物を売っています」

2021年05月29日 | 日記・エッセイ・コラム
稲穂神社から北へ延びる細い散歩道があります。江戸時代に出来た小金井用水をカバーして散歩道にしたのです。
この道に沿った中村さんの家で福岡県の無農薬農産物を毎月第二土曜日に売っています。稲穂神社から北に30m行った所です。無農薬農産物は福岡県の黒木町の中村さんの知人から直接取り寄せています。

1番目の写真はこの中村さんの家の前の写真です。今日は特別に赤米の稲の苗を無料で配布していました。

2番目の写真は今度の販売日の6月12日(土曜日)の販売日の案内です。

3番目の写真は販売予定の農産物の一覧表です。八女茶、農家の梅干し、あんこ餅、原木栽培の干しシイタケ、五穀米、炭、フキの佃煮、干しゼンマイなどなどです。
楽しい売り場ですので、是非お出で下さい。私も楽しみにしております。

「梅雨の鬱陶しさを忘れさせるルノアールの油彩画」

2021年05月29日 | インポート
毎日暗い曇りの日が続いています。梅雨は鬱陶しい季節です。こういう時には印象派の油彩画を見ると気分が良くなります。
ここ数日はインターネットで印象派の油彩画を検索して数十枚見て梅雨の鬱陶しさを忘れています。そこで今日はルノワール(Pierre-Auguste Renoir )の油彩画を7枚お送りいたします。
ルノワールの油彩画はフランスやアメリカで何度も見ました。そして2016年06月、東京の新国立美術館での「ルノアール展」は感動的でした。ルノワールの103点の油彩画が一堂に展示してあったのです。この「ルノアール展」は圧巻でした。
ここにお送りする絵は私が好きなものです。特に「ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会」が大好きです。屋外で語り合う家族やダンスを楽しむ人々の明かるい表情と空気感に魅せられます。

1番目の写真は「ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会」です。(1876年。油彩、キャンバス、131 × 175 cm。オルセー美術館蔵。第3回印象派展出品。)

2番目の写真は『ピアノに寄る少女たち』です。(1892年。油彩、キャンバス、116 × 90 cm。オルセー美術館蔵。)

3番目の写真は『浴女とグリフォンテリア』です。初期の作品です。(1870年。油彩、キャンバス、184 × 115 cm。サンパウロ美術館蔵。1870年サロン入選。)

4番目の写真は「舟遊びの昼食」です。(1880-81年。油彩、キャンバス、130.2 × 175.6 cm。フィリップス・コレクション蔵(ワシントンD.C.)。第7回印象派展出品。)

5番目の写真は「2人の姉妹」です。(1881年。油彩、キャンバス、100.4 × 80.9 cm。シカゴ美術館蔵。)

6番目の写真は『ラ・グルヌイエール』です。(。1869年にモネとともに『ラ・グルヌイエール』を制作した頃からは、セーヌ川やモンマルトルの風景を明るく描く印象主義的な手法を確立していきます。}

7番目の写真は「ポンヌフ」です。(1872年。油彩、キャンバス、75.3 × 93.7 cm。ナショナル・ギャラリー蔵、ワシントンD.C.)

ここでノワールの略歴をご紹介しておきます。
ルノワール(Pierre-Auguste Renoir )は1841年に生まれ、- 1919年に亡くなりました。フランスの印象派を代表する画家でした。
彼はにフランス中南部のリモージュで貧しい仕立屋の息子として生まれます。1854年(13歳)に、磁器の絵付職人の見習いとなり、その後は扇子の装飾画の職人としての仕事をしています。しかし1861年(20歳)の時、画家になることを決意してシャルル・グレールの画塾に入り、ここでモネ、シスレー、バジールら画家仲間と知り合ったのです。彼等とはフォンテーヌブローの森で一緒に写生もしていたのです。
1864年(23歳)にサロン・ド・パリに初入選し、以後度々入選していました。これでノワールは印象派画家として有名になります。
しかし始めは経済的に苦しく、親友バジールのアトリエを共同で使わせてもらった時期もあったのです。
いろいろな事がありましたが、ルノアールは常に絵筆を握り感動的な絵画を78歳で死ぬまで描き続けたのです。晩年にリウマチのため絵筆が握れなくなっても、絵筆を腕に括り付けて絵を描き続けたのです。 

このルノアールに師事して印象派の絵画を学んだ日本人がいました。梅原龍三郎です。
1908年(明治41年)にフランスに留学し、帰国する高村光太郎のアトリエを引き継いでパリに滞在しました。そして尊敬していたルノワールから印象派の油彩画の指導を受けたのです。

8番目の写真は梅原龍三郎の代表作、「紫禁城」です。(1942年、東京国立近代美術館蔵)
私は梅原龍三郎の人物画のデッサンが下手だと思います。しかし色合いに独特の境地を作り出しています。梅原龍三郎の海外での評価はどうなのでしょう?
梅雨は鬱陶しい季節です。今日はこの鬱陶しさを吹き飛ばすために印象派のルノアールの油彩画をお送り致しました。皆さまの気分も良くなりましたでしょうか。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

「タチアオイが美しく咲く季節になりました」

2021年05月28日 | 写真
もうすぐ皐月も終わり6月になります。季節が巡るのは早いですね。今年もタチアオイが美しく咲き始めました。
先程、小金井公園に行って色々なタチアオイの花の写真を撮って来ました。その写真をお送りいたします。









「地元の活性化に貢献している小金井祭典株式会社のはなし」

2021年05月28日 | 日記・エッセイ・コラム
近所に小金井祭典株式会社という店があります。先日、社長の是枝嗣人さんにお会いしいろいろ興味深い話を聞いて来ました。そこで今日は小金井祭典株式会社と社長の是枝嗣人さんにまつわる3つの話を書きたいと思います。
小金井祭典株式会社は葬儀社です。ですからこの会社が考えている葬儀というものをご紹介します。
次にこの会社が行っている遺族の悲しみを癒すグリーフサポートというサービスやセミナーやお別れに関することを何でも相談出来るサロンをご紹介します。
そして3つめに是枝嗣人さんが経営している都心のもう2つの会社を簡単に紹介します。そして小金井祭典株式会社が地元の活性化のためにどんな事をしているかご紹介いたします。この3つを順々にご説明する前にまず是枝嗣人さんの写真をご覧下さい。

1番目の写真は近所にある小金井祭典株式会社という店の外観です。左が是枝嗣人社長で右がスタッフの加藤順子さんです。

2番目の写真は店の内部で撮った写真です。左が是枝嗣人社長で右が加藤順子さんです。
さて話を3つに分けて順々に書ます。
(1)是枝嗣人さんが考えている葬儀とはどういうものでしょう?
人の死は悲しいものです。遺族は悲嘆にくれています。そんな時、葬儀社がよくドカドカと機材を運び込んで大きな祭壇を作ってしまいます。遺族の気持ちなどお構い無しです。
しかし小金井祭典株式会社は違います。あくまでも遺族の心に寄り添って葬儀の相談を静かにします。心のこもった家族葬も大がかりな葬式もします。仏教の習慣も尊重します。是枝嗣人さんは仏教の立正大学の仏教学科を卒業しました。学生の頃から葬儀社でアルバイトをしていたのです。そして2007年に小金井祭典株式会社を起業したのです。葬儀の本質を深く考え理解しています。
葬儀とは故人の供養と遺族の悲しみを取り除くため行うのです。
葬儀のいろいろは会社のホームぺージ、http://www.ks-sougi.com/ に書いてあります。

(2)遺族の悲しみを癒すグリーフサポートやセミナーを行い何でも相談出来るサロンです。
グリーフとは悲嘆を意味します。小金井祭典では、ご遺族の悲嘆をやわらげ、支えるためのグリーフサポートに力を入れています。ここが他の葬儀社と違う特徴です。
故人と一緒に多くのものを失ったことにより、様々な感情や考えが湧き上がってきます。しかし、こうして湧き上がってくる感情や考えは、常識や習慣、私達自身の持つ先入観や誤解によって抑えつけられ、心の中に閉じ込められたままになってしまうのです。
しかし、死別によって深い悲しみを体験している時には、ちょっと話しを聴いて貰っても、一人になるとすぐに、再び深い悲しみの状態に戻ってしまいます。一度自分の感情を外に向かって出すことが出来ても、何かのちょっとした出来事をきっかけに、再び自分の思いを外にだせなくなってしまうのです。心の中にあるものを外に出せるようになったり、また元に戻ってしまったりといった状態を繰り返しながら、少しずつ心は元気になっていきます。そして、だんだんと心の整理がついてくると、悲しみに浸ってばかりいることも少なくなってくるのです。
この過程で相談に乗って早く楽な精神状態にするのがグリーフ・ケアです。
詳しくは小金井祭典のちょっと訊ける場所「めぐる」を訪問して加藤順子さんに聞いて下さい。
1番目の写真が「めぐる」の外観です。小金井市本町5丁目32番地にあります。

セミナー、
お葬式を中心とした介護、成年後見、看取り、相続、遺言、グリーフ(悲嘆)サポート,海洋散骨、樹木葬、などシニアライフ全般の情報共有のためいろいろな所でセミナーを開催しています。
是枝嗣人さんは学校、医療機関、介護施設、自治体、NPOなど幅広い講演実績があり少人数からの講演依頼も受けています。
何でも相談出来るサロン、
小金井祭典の「ちょっと訊ける場所・めぐる」は、お葬式のあれこれを気楽に無料相談できるサロンです。事前のご相談はもちろん、お葬式後のことなどもお気軽にお尋ねください。
手続きなどのご相談だけでなく、大切な人を亡くされた方がお茶を飲みながらおしゃべりして帰る…そんな場所にもなっています。

(3)是枝嗣人さんが経営している都心のもう2つの会社と地元の活性化のための活躍、
2つの会社とは、株式会社クローバーと株式会社葬送支援です。株式会社クローバーについて詳しくはホームページをご覧ください。
さて是枝嗣人さんの地元活性化の活動を少しだけ書いておきます。彼は小金井で生まれ育った郷土愛の強い人です。
小金井青年会議所の理事長もしていたこともあります。本町5丁目の商店会の副会長として夏祭りやいろいろなイベントを実行して地元の活性化をして来ました。その他市内の各種団体と連携して小金井市の活性化に活躍してきたのです。簡単に言ってしまえば小金井市の実業家のリーダーなのです。
あまり長くなるので、この辺で止めます。最後になりましたが小金井祭典は是枝嗣人社長の奥さんのなつみさんが経理を担当して健全財政で経緯してます。付記しておきます。

さて皆様のお住まいになっている所に地元活性化を熱心にしている会社があるでしょうか?
意外にもよく調べると必ずあると思います。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

「車の思い出(2)トヨタ・スープラとマツダ・ロードスター」

2021年05月26日 | 日記・エッセイ・コラム
長い間私は経済的な小型の実用車ばかりに乗っていました。トヨタのパブリカ、カローラ、 ホンダのシビックカントリーなどです。しかし子育ても終わり気持ちに余裕が出てきたころにスポーツカーを買う決心をしました。
その頃トヨタはスープラをスポーティセダンと言う言葉を用いて盛んに広告をしていた。
あまりにも華麗な姿なので、初代スープラ、1G-EU を1987年に購入しました。スポーツカーのように見えましたが乗り心地は2000ccクラスの乗用車と同じでした。エンジン性能も乗用車と同じでした。排気量1988CC,OHC-自然吸気、出力105馬力、最大トルク、16.0kg-m/4000rpm でした。しかし視界が悪くて取り回しが難しい車です。後部座席の定員は2名でしたが座席が小さすぎて大人2人は無理でした。
しかし、ボデーの色が輝くような白色で、形も綺麗だったので家人が気に入っていました。子供も独立していたので夫婦2人で乗ることが多かったので不便はありませんでした。幸い故障もなかったので、8年くらい乗ったのです。終いには冷却水の循環速度を制御する車載コンピューターが壊れ修理が難しくなったので止めにした。
乗用車のように乗り心地が良かったので長距離の神戸、京都、長野、仙台などへも行きました。

1番目の写真は1987年8月30日に、家人と2人で富士スバルラインを登り5合目で撮った写真です。

2番目の写真はスープラの白い華麗な姿の写真です。
スープラに8年も乗りましたが、この車は見かけはスポーツカーですが乗用車だったのです。スープラに乗っていると昔アメリカ\で一度だけ乗ったイギリスのスポーツカーのMGを懐かしく思い出します。
1960年にオハイオ州に留学した時、学生街の道傍にイギリス製の真紅のMGのスポーツカーがよく駐車していました。シンプルなダッシュボードに木目のハンドルがついています。
軽快な車体のフォルムが流れるように美しい。そばを通るたびにMGのところで、しばし足を止め眺めました。
アメリカ人の同級生にMGで通学している中年の男がいました。空軍大佐で、引退後の転職の準備に博士の学位をとりに来ていたのです。あるとき、そのMGで家まで招待してくれたのです。車体が軽くてスピードを上げると飛び上がるように疾駆します。エンジンのゴロゴロという音が体をしびれさせます。
それ以来、一生の間に一度はMGのようなスポーツカーを持ってみたいと考えるようになったのです。
それから30年以上たって子供もずいぶん前に独立しました。最後のチャンスと思いMGと同じような軽スポーツカーのマツダ・ロードスターの中古を買いました。いすず・ウイザード3500ccの他にもう一台買ったのです。
エンジンにガタが来ていてもどうせ3年だけと決めて買いました。マリンブルーの中古です。3年間、山の小屋や土浦のヨットへと散々乗った後で予定通り売ってしました。

3番目の写真は私のマツダ・ロードスターです。多摩川の羽村の堰で撮った写真です。後ろに多摩川が写っています。

4番目の写真はこのロードスターの幌を開けた後ろ姿です。
スポーツカーに3年乗った結論です。スポーツカーは見かけほどロマンチックな代物ではないのです。椅子が硬くて、バネが最小限度しか付いていないので腰が痛くなります。椅子が低い位置にあり、ドアーが小さいので乗り降りが非常に不便です。タイヤの音が大きいので4輪すべてを一番静かな新品タイヤへ変えたが、やはりうるさいのです。屋根が幌なので他の車の騒音が入って来るのです。
快晴のときには幌を畳んで走ると、たしかに爽快です。しかし埃や砂粒は遠慮なく顔を叩くのです。陽射しもまともに顔に当たります。寒い日には暖房を最強にして乗りましたが顔がこわ張るほど冷たくなります。
家人も最初は喜びましたが冷たい風や陽射しもまともに顔に当たるので堪忍してと言います。いろいろ欠点も有りましたが長年の夢がかなって満足しました。

今日はトヨタ・スープラとマツダ・ロードスターにまつわる思い出を書きました。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

「車の思い出(1)ダッジ、マツダクーペ、パブリカ、カローラ」

2021年05月25日 | 日記・エッセイ・コラム
1958年大学を卒業し1960年にオハイオ州へ留学したときに初めてアメリカの中古車を買いました。クリームと水色のツートンカラーのダッジ・コルネットです。エンジン容量は4・5リッターの大きな車で、たしか1956年製であったと記憶しています。
1962年に帰国後はマツダ・クーぺ、 トヨタ・パブリカ、 トヨタ・カローラ、 ホンダのシビックカントリー、 またトヨタ・カローラ、 ドイツではオペル・レコルドの中古、 帰国後はトヨタ・スープラ、 そしてアメリカでは中古のトヨタ・セリカ、 帰国後はスズキ・エクスード(4輪駆動)、 いすず・ウイザード(4輪駆動の2輪駆動仕様)、 マツダのスポーツカーのロードスター、 ニッサン・セレナ(ワンボックスカー)、ニッサンのラ・フェスタと現在のニッサン・ノートと大体15台の中古や新車を乗り継いできました。振り返ってみると高級車はトヨタ・スープラのみで、あとは全て価格ひかえめの実用車ばかりで他人へ自慢にできるような車は一台もありません。
しかし、1958年から自動車学校へ行っていたので63年の運転の歴史です。それにしても運転は自慢でないが下手でした。下手を自覚しているので慎重に動かすので交通違反や事故は非常に少なかったのです。ドライブが趣味といえるほど好きなので、現在でも用もないのに東京の近郊をあちこち走りまわっています。年間の走行距離は約2万キロくらいだったので、63年間で約100万キロ以上にになります。

そこで今日から15台の車にまつわる思い出を書いてみたいと思います。面白そうな順序でご紹介して行きたいと思います。車の性能の解説でもなければ運転技術の自慢話でもないつまらない思い出の記です。
今日はダッジ・コルネット、マツダクーペ、パブリカ、カローラをご紹介いたします。

1番目の写真は1960年にオハイオ州で買った中古のダッジ・コルネットです。クリーム色と水色のツートンカラーが気に入って新婚の妻が選んだ車でした。週末にはシンシナティやエリー湖畔などへ妻と一緒にドライブした懐かしい車でした。中古だったのでよく故障しました。その度に修理屋のピ-トのガレージに持って行きました。この写真は住んでいたコロンバス市のローズパークで撮った写真です。

2番目の写真は196年に帰国してすぐに買った中古のマツダ・クーペR360です。この写真は甲州街道の大垂水峠の入り口で撮りました。

3番目の写真はマツダ・クーペR360の後部にあるエンジン・ルームです。写真の出典は、https://nosweb.jp/articles/detail/217 です。この車は中古だったのでよく故障しました。故障する度にこのエンジン・ルームを開けて直したものです。空冷2気筒のエンジンは素人でも故障が直せたのです。

4番目の写真はトヨタ・パブリカです。家内の父が新車で買って乗っていたものを貰いました。ほとんど新車の状態だったので故障しませんでした。信頼性の高い車でしたが空冷なので騒音が高く馬力も不足していました。

5番目の写真は私が初めて買った新車のトヨタ・カロ-ラです。水冷4気筒のエンジンがついていました。それまで騒音の大きな空冷エンジンの車に乗っていたのでカローラの水冷エンジンの静かさに感激したものです。この車は新車でしたので6年間も乗りました。妻や2人の子供を連れて箱根や伊豆半島、房総半島、富士五湖、南アルプス、八ヶ岳、上高地、白馬山麓などへ行きました。

それにしてもダッジ、マツダクーペ、パブリカ、カローラについては家族との思い出が沢山あります。
さて皆様も車にまつわる色々な思い出をお持ちのことと思います。その思い出をお聞かせ下さい。。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

「今日から始まったコロナのワクチン接種を受けて来ました」

2021年05月24日 | 日記
 一般高齢者向けのコロナウイルス感染症のワクチン接種が今日から始まりました。かかりつけの小さな病院で先程受けて来ました。受けてから1時間以上たちましたが副作用は全然ありません。2度目は3週間後です。1回目で90%感染しなくくなるそうです。2回打つと99%感染しないそうです。
早く皆様、全員がワクチン接種を受けられるように祈っております。
写真はコロナウイルス感染症のワクチン接種の光景です。
出典は、https://www.sankei.com/photo/story/news/210217/sty2102170007-n1.html です。


「今年も紫陽花が咲く季節になりました」

2021年05月24日 | 写真
東京の小金井市のあちこちに紫陽花が咲き出しました。季節の巡るのが早いことに驚いています。
この紫陽花の歴史をお送りいたします。(https://www.hanamonogatari.com/blog/1273/ より)
紫陽花の原産は、日本に自生しているガクアジサイです。海岸沿いで自生することから「ハマアジサイ」とも呼ばれます。
現在広く紫陽花として見かけるのは、このガクアジサイが変化したホンアジサイです。
ホンアジサイは、小花がこんもりと密集して、球状になっているもので、よく花壇や公園などにあります。
紫陽花は1789年に中国からロンドンに送られました。1900年代のはじめにはフランスで育種がスタートし、これがセイヨウアジサイへと発展します。
ヨーロッパでもガクアジサイを元に品種改良が行われています。ヨーロッパで作られた紫陽花をセイヨウアジサイといい、日本に逆輸入されてさらに改良されています。
大正時代には西洋で改良を受けた紫陽花が日本に入ってきます。それが現在よくある日本のアジサイです。
全国には、紫陽花の名所が数多くあります。例えば鎌倉では、明月院と長谷寺が有名です。
紫陽花の名所となるお寺は全国にあります。なぜお寺に紫陽花が植えられるようになったのでしょうか。
れは紫陽花が死者に手向ける花だと考えられたことに由来しています。

さて皆様のお住まいのところでは紫陽花が咲いていますでしょうか。
昨日撮った写真をお送りいたします。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)





「久しぶりの青空の下、多摩の横山のドライブを楽しみました」

2021年05月23日 | 日記
今日は2週間ぶりに晴れ上がりました。午後から青空に誘われて多摩の横山のドライブを楽しみました。
樹々の緑がすっかり濃くなって、もう夏の到来を感じさせています。
撮って来た写真をお送りします。









「一面に広がるチューリップ畑が水田になってしまった不思議」

2021年05月23日 | 日記・エッセイ・コラム
今年の4月9日に、「一面に広がるチューリップ畑の美しい風景」という記事を掲載しました。その抜粋は次のようです。
・・・旧奥多摩街道の羽村の堰近くのチューリップ畑があります。毎年咲くューリップ畑です。
広い畑に色とりどりの花が咲いている光景は夢の境地をさまよっているような気分です。畑の隅に出ている看板に、この畑は羽村市の唯一の水田、「根がらみ前水田」ですと書いてあります。・・・
約35万本ものチューリップの花の季節が終われば水田に変えるようです。そこで昨日、本当に水田に変わったか調べに行きました。成程一面の広い水田になっていました。不思議な事もあるものです。
チューリップ畑になっている写真を2枚と昨日撮った水田の写真を3枚お送り致します。

1番目の写真は4月8日に撮ったチューリップ畑です。毎年、羽村市が植えているのです。今年は特に、「市制施行30周年記念~ はむら花と水のまつり2021」のイベントの一部として「チューリップまつり」を行っていました。(http://www.city.hamura.tokyo.jp/0000014714.html )

2番目の写真も4月8日に撮ったチューリップ畑です。

3番目の写真は田植えの終わったばかりの水田の風景です。

4番目の写真はこれから田植えをする水田です。

5番目の写真はいろいろな種類の米を作るためにか小さく区切った水田のようです。
看板にこの水田は市内の小中学校の生徒が稲作を体験する水田ですと書いてあります。
羽村市は春に約35万本ものチューリップの花で多くの人を集め、花の季節が終わったら稲作を体験学習する水田として活用しているのです。
なるほど。成程!と妙に納得しながら、広々した水田の新鮮な皐月の空気を吸って来ました。

「今日の聖霊降臨祭のミサの動画の紹介」

2021年05月22日 | 日記・エッセイ・コラム
今日は主の聖霊降臨祭の祭日です。

2021年5月23日の10時から始まるミサのカトリック関口教会と聖イグナチオ教会の動画配信は以下の通りです。

カトリック関口教会、
https://www.youtube.com/channel/UCc2LbUPcHohKUgO2dYhrCvw

聖イグナチオ教会 、
https://www.ignatius.gr.jp/news/streaming.html

今日教会に行かない方々はこの動画配信のミサにご参加なられるのも良いと存じます。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

写真は昨日、羽村の堰まで多摩川を遡って撮った多摩川と羽村の堰の風景です。