ツルゲーネフの自然描写は、国木田独歩が『武蔵野』の中で、『あいびき』(ツルゲーネフの作を二葉亭四迷が訳出)の冒頭の、森林の陽光と雲の様子とともに変幻自在に変化する美しい描写部分を引いているように、日本人の心情、美観に訴えるものがあります。(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8C%9F%E4%BA%BA%E6%97%A5%E8%A8%98 )
添付の写真は米川正雄訳の『猟人日記』です。
5月11日に、岡敬三著「港を回れば日本が見える」の書評を掲載しました。題目につられてこの本の一部だけを拡大解釈して小賢しい書評を出してしまいました。日本の軽薄な文化を批判する本。官庁が漁港を支配して、ヨットを締め出そうとしている官僚文化の批判。ようするに日本の貧しさを批判した本とこの本を紹介しました。
その後、何日もかけて丁寧にこの本を読んでみました。間違っていました。この本の楽しさや、注目すべき点はその様な「批判的な内容」ではないのです。
日本の辺鄙な漁港を丁寧に一つ一つ、急がず、独り帆走しながら泊まり歩く冒険の記録なのです。冒険と言うのは大げさ過ぎるようですが、「帆船の長距離航海」はいつも危険に満ちた冒険なのです。GPSやレーダーがあっても、ロシアが占領中の国後島と北海道の間の狭い海を帆走するときの怖さに、思わず手を握りしめてしまいます。濃霧が自分の船の舳先さえ見えなくします。電気の故障でGPSやレーダーがダメになることもありました。霧笛だけを頼りにして手探りのような走り方をします。突然、海上保安庁の巡視艇が現れ並航してヨットがロシア領に入らないように案内してくれます。
あちこちの漁港で人々の親切に勇気づけられて航海を根気よく続けます。個人の力の限界が感じられる内容です。決して胸躍る「冒険談」ではありません。
現役の人々で、引退したらモーターボートかヨットで全国を回って見ようと思っている人も多いと思います。特に何年もヨットをしている人にとって、それは何時も心の中に輝いている夢です。しかし長距離帆走の危険性と漁港での係留の困難性をよく知っているだけに実行する人は殆どいません。それを実行するとこうなりますよ、と岡敬三さんは丁寧に書いてくれました。
臆病な小生の読後感は、「物凄く面白い本だが、やっぱり日本を回るのは止めよう」と、いう感想です。危険な帆走の故もあります。しかし、この本を丁寧に読むと自分自身が漁港を巡りながら日本を回ったような気分になるからです。疑似体験が出来る本です。ヨット乗りの皆様へ是非読んで頂きたい名著と思いました。ヨットの趣味の無い方々もヨットの疑似体験が出来る本です。港に泊まっている間に、金子みすずの旧宅を訪ねたり、山川登美子のゆかりのものを探したりしています。岡敬三さんは詩人にも興味があるようです。見知らぬ人々とのしみじみとした交流も書いてあります。先日の書評が間違っていたのでお詫びを致します。(終わり)
今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。 藤山杜人
ネット上の知人がこの本を紹介してくれました。さっそくインターネットで購入して読みました。著者の岡敬三さんが2003年から2007年にかけて34Feet(全長10、3メートル)、船重5トン弱のヨットで日本の全国の漁港に泊まりながら書いた旅日記です。彼方此方のさびれた漁港に何日も泊まり、荒れる海が静まるのを待っているのです。一人で暗く、狭いヨットの船室で、じっと時を過ごすのです。漁村の人々と話し込み、生活の状態を素直に描いています。沼津の重須を出発し、安乗、尾鷲、那智勝浦、田辺、阿尾、日生、庵治、琴浦と堪念に漁港を回ります。沖縄から北海道まで無数の漁港を回ります。
「港を回れば日本が見える」という題目の本ですが、著者にはどのように見えたか?、は一切書いてありません。読者にとって、どのように日本が見えましたか? ご自分でお考え下さい! そういう構成になっています。
一番先に書くべきことは、この本には真実だけが書いてあるという事実です。ドラマチックな脚色も意図的な省略もありません。漁港で会った数十人の人々と深い心の交流をしています。信頼関係にあるので真実だけを話してくれます。著者は人間が好きなのです。会ったすべての人が好きなのです。そのお陰で漁港の人々は心を許して本当の気持ちや生活の実態をーもっとはっきり言えば、「困窮した生活の様子」を淡々としゃべるのです。ですから現在の全国の漁港の人々の考え方や生活の記録として信用できる第一級の資料になっています。あるいは2003年から2007年にかけての「日本の漁村」の歴史的なドキュメントになっています。このような調査報告書は決して役人には書けません。いろいろな経済的な統計には絶対にあらわれない人々の生の考え方が根気よく拾い集めてあります。
前置きが長くなってしまいました。さて私は、この本から日本がどのように見えたでしょうか?
2つのことが理解できました。日本では、弱肉強食の残酷な自由経済が許されていて、漁村の人々がそれによって蹂躙されている風景がはっきり見えました。人々は、漁師が努力して取ってきた地魚よりも、冷凍で大量に輸入した安価な魚をスーパーで買います。輸入魚類は、冷凍技術の進歩で味も良く、日本の魚よりけた違いに安いのです。大型商社が利潤を独占します。漁師は困窮する一方です。
これに追い打ちをかけるのが消費者のブランド魚趣向です。地中海の本マグロ、インドマグロ、はては大間マグロなどはテレビでさんざん取り上げられます。煽動された人々はブランド魚だけを高価でも買います。ブランド魚は外国産に限りません。関サバ、城下カレイ、松葉カニ、馬糞ウニ、稲取のキンメダイ、鞆の浦の鯛などなどキリがありません。この消費者の軽薄なブランド趣味が真面目な漁村文化を破壊してしまったのです。東京湾のアナゴやアジ、カレイ、イカ、サバなどは活きが良い限りめっぽう美味なのです。たまにそういう魚を売っている店を見かけます。しかしそのような商売はすぐ消えてしまいます。
日本人はいつから軽薄なブランド趣味に落ちいったのでしょうか?若い女性がブランドもののハンドバックや洋服に目の色を変えるのは許せます。しかし消費生活のすべてにそれが広がったら文化破壊が起きるということが何故理解できないのでしょうか?
岡敬三著、「港を回れば日本が見える」 という本は日本文化の危機的状況を鮮明に見せてくれます。著者は決して批判的な論陣をはっていません。その事が読後感を一層、重厚にさせていると思いました。とにかくいろいろ考えさせる本です。
皆様に是非お読み頂きたい本です。(終わり)
左の写真は、香川県の多度津港、平安時代は善通寺への門港として四国へ渡る拠点に、
また、その後は四国金比羅さんへ参詣する船の港として栄えました。
右の写真は、知床半島の突端、知床岬の袂にある小さな避難所、文吉湾です。写真は岡敬三さんのHP;http://www.geocities.jp/tiarashore/ から引用させて頂きました。
伊東市にある文学会「岩漿」の木内光夫代表より第二期第17号が送られてきた。
平成9年7月16日の第一期創刊号から12年、通巻第17号である。120ページの小雑誌ながら詩、小説、エッセイなどを網羅する本格的な総合文芸誌である。
執筆者は所謂売れっ子の作家や詩人ではないが、作品は明快で分かりやすい。小説はストーリーが面白い。詩や俳句もレベルが高くそれぞれ独特な香がある。
岩越孝治氏の巻頭小説「流れ花」は叙情的な力作である。
連載小説、馬場駿氏(木内光夫の筆名)の「弧住記」(第十回)第二部は著者本人が大学受験資格を取った頃の体験的な小説である。以前の女友達へ連絡しようと彼女の実家へ電話した場面から始まる。長編連載小説ながら一回一回が読み切りのような構成になっていて緊迫した場面が続き飽きさせない作品である。
その他、随筆や詩も多く楽しい。
この同人誌は伊東市を中心にしたローカルな文化の香りがする。地方の文学会の特徴が分かり、面白い。とくに森山俊英の 豆州歴史通信、「二・二六事件と伊豆」はローカルな昭和史として興味深い。
この文学会は結成後、12年、伊豆半島東海岸の地方文化を豊かにして来た。インターネットの普及が日本語を劣化させ、美しい文章にめったに会えなくなった。日本古来の文化を軽薄にしている。この「岩漿」を読んでいると、美しい日本語が健在であることが分かり、嬉しくなる。詩も美しい。ブログを毎日書いて、ネット文化に埋没している自分のあり方に反省を促す本でもある。皆様へもご一読をお勧め致します。
入手方法や内容の詳細は、http://www.gan-sho.book-store.jp/index.html にあります。(終わり)
ソーシャル・ネットワーキング・システム(SNSと略記)には色々なものがあります。
以前このブログで紹介したように、銭本三千年氏が数多くのSNSを比較検討されてBYOOLが会員の質も良く、コメントも多く貰えるという意味の総合結果を発表しました。さっそく銭本氏の紹介で先月の10日に入会しました。まだ1ケ月にもならないのに1200件ものアクセスがあり、小生のブログへ対して心温まるコメントを数多く頂きました。その上、このSNSでは友人関係をつくり、個人的なメールの交換も出来ます。
その友人の一人に榊原節子さんがいらっしゃいます。最近、本を出版しましたので以下にご紹介します。
「ああ、いい人生だった」と呟いて人生に幕を引くために、、、このテーマは引退後の人間はひとしく考えるテーマです。そして凛とした生活をする。趣味を楽しみながら自分が忙しく通り過ぎて来た人生をもう一度考えなおす。とても重要な内容の本です。
資産運用へ興味の無い人々にとっても一読の価値があるテーマを取り上げています。
今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。 草々、藤山杜人
榊原節子著、「凛(りん)としたシニア」 (1365円)
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4569705510/
内容紹介
老後の資金を人生の最期まで守るには、どうしたらいい?
金融危機にも耐えうるようなシンプルな長期投資とは?
身体の弱点を探すには? 記憶力の衰えを防ぐためにはどうしたらいい?
死への過程を受け入れるには?
「ああ、いい人生だった」と呟いて人生に幕を引くためには、何をしたらいいのでしょう。
今までと生活ががらりと変わってしまう定年後に向けて、お金と心の準備はできていますか?
自らの価値観、生きがい、なりたい自分を明確にし、それを定年後の「第二の人生」の中核に据えて、具体的な日程表を作成しましょう―。
ファイナンシャル・アドバイザーの著者が、「資産運用」から「死への心構え」まで、
「第二の人生」を幸せに生きるプランをご提案!
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
榊原 節子
1944年、東京生まれ。米国マウント・ホリヨーク大学を経て、国際基督教大学社会科学科を卒業。国際会議同時通訳として活躍後、大手証券会社にて医薬品、老人ホームなどの企業買収を手がける。あわせて、義父・榊原仟および実家人脈を背景とする医療関係プロジェクトに携わる。1991年、国際投資コンサルティング会社アルベロサクロを設立、社長に就任。2002年に実務から退く。現在は、大人と子供の金銭教育、社会貢献、シニアが求めるアドバイザー、心と資産の継承などをテーマとする著作、講演を中心に活動(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
(絵の出典:http://www.new-york-art.com/Tarou-sakuhin.htm 岡本太郎作品集より)
この本は昭和28年12月に新潮社から出版され、最近、平成12年に新潮文庫として再版された。内容は鬼神のような芸術の天才、太郎が書いたものなので理解出来ない所が多い。しかし、その骨子は、19歳で渡仏した太郎が2年半の苦悩、苦節の後、偶然、ピカソの百号の大作に会った事から始まる。彼は胸が熱くなり、涙がにじんだと書く。ーーー「これだ!全身が叫んだ。・・・撃って来るもの、それは画面の色や線の魅力ばかりではない。その奥からたくましい芸術家の精神がビリビリとこちらの全身に伝わって来る。グンと一本の棒を呑み込まされたように絵の前で私は身動き出来なかった。」---そして太郎はピカソの崇拝者になったが。この崇拝者は崇拝する対象を否定し、権威の座から引きずりおろし、それを超越するという鬼神のような独創の化神なのだ。太郎を不遜な人と非難するのは容易だ。しかし、その前にこの本を読んで貰いたい。
太郎は崇拝する対象を超越するために、ピカソの芸術が何故偉大であるか?を徹底的に研究し、その結果を整理し、素人にも分かりやすく書こうとしたのが、この本の内容である。分かりやすく書こうとする努力は分かるが、凡庸の身には理解を超える所が多い。従って書評は書けない。本の終わりにある詩人の宗 左近 氏の書評が良い。
そこで、自分が感動した2ケ所だけを紹介する。
偉大な芸術家を褒めたたえるだけで、その欠点を分析し、その芸術を否定しない日本人が多すぎる。その態度の目的は、芸術の権威者を褒め称え、ついでに自分もその権威を借りて、権威者になろうとしているのだ。これは俗物であり芸術家では無い。---まあ、そのような意味のことを書いている。ピカソの絵は嫌いだが、太郎の絵が好きだ、と言うのも自由だ。他人に馬鹿にされるより自分の頭で何を感じ、考えたか?が重要なのだ。恥ずかしいことは何もない。
これは学者というものを職業にしている人々にもあてはまる。欧米の偉大な学者を褒め称えるだけで、それを乗り越えようとしない学者が日本には多過る。
もう一つの所は絵画鑑賞が絵を描くと同じように独創的な仕事であるという所である。彼の文章を引用すると長くなるので、本書の27ページと28ページにある「観賞と創造」の節をご覧頂きたい。
岡本太郎美術館へ行くと精神の高揚もあるが、一方で何故か酷く疲れる理由が分かったような気がする。好きな画家の美術館へ行くと疲れるのは何故かが分かる。この本の紹介ほど難しいものは無いので、皆様へ是非ご一読をお勧めしたい。
(終わり)
兎に角、読みやすく明解な文章。ストーリーがダイナミックに展開し、読み出したら本を置いて一休みも出来ないくらい面白い。小説を一気に読むなどということは絶えて久しかった。今月号の文藝春秋に掲載しているので、是非ご一読をお勧めしたい。
1981年、鄧小平が政権を取り、改革開放のうねりの中で自由と民主化運動に身を投じた大学生、梁浩遠の孤独と挫折の物語である。1989年の天安門広場へ装甲車を送り込んだ鄧小平の「弾圧政策」で大学を追われる。中国から日本へ逃げ、そこで幸せそうな家庭を持つ。でも、心は学生地代の民主化運動から離れない。仲間達は器用に変身しながら上手に人生を渡って行く。しかし梁浩遠にはそんな賢さは持っていない。一見幸福そうな日本での生活のなかでの挫折感が読者の心へ切々と伝わる。
その間に中国の政治も社会もどんどん変わって行く。独り梁浩遠の気持ちだけを置き去りにして。
これは紛れもない本格的な小説だ。人間や人生が描かれている。社会の変化と、不器用な個人の関係を悲劇的に描いている。政治というものを考えさせる。中国と日本の社会の明暗をさらりと間接的に描いている。思わず目頭が熱くなる山場をあちらこちらに配している構成の絶妙さに感心する。最後は一応明るい結末にはなっているが「一体、梁浩遠は幸多い人生をおくれるのか?」。余韻豊かな小説である。
中国文がそこここに翻訳無しで散在して読み難いが、気にしないで飛ばし読みするのが良い。ご一読の価値があると信じてここに心からお勧めいたします。(終わり)
読売新聞の日曜版には書評が出る。先週の日曜版では11,12,13ページが書評欄であった。毎週読んでいて何時も苦々しく感じることが2つある。
(1)取り上げる本は学術書のような本や哲学、思想、歴史などの堅い内容の本が多すぎる。本屋の店頭で良く売れている本は無視されすぎている。
例えば、7月13日に取り上げている本の名のみを記すと、「アンのゆりかご」「C・S・ルイス評伝」「キリスト教修道制の成立」「マドンナ 永遠の偶像」「玉ねぎの皮をむきながら」「武装親衛隊とジェノサイト」「中国 危うい超大国」「吉野作造と中国」などとなる。題名を見ただけで堅い内容の本であると想像がつく。
「マドンナ 永遠の偶像」はポップス界のスターの暴露本のような題目だが、むしろスター・マドナをイコン(マリア聖画)に比べつつ彼女の宗教性、特にカトリック信仰とのかかわりを分析した宗教的心理分析書のような内容である。
「中国 危うい超大国」は如何にも中国の脆さを種々の視点から指摘した読み物風の内容を暗示する題目だ。しかし、そうでは無い。著者はクリントン政権時代の対中国政策担当の国務次官補としてアメリカの外交政策を作っていた。従って内容は國際政治力学からの中国分析で、日本人が書いた中国の弱点を並べた読み物とは異なる。
あまり売れていない本でも重要な本はある。問題はどのような理由で重要であるか?この問いに評者が明解に答えていない。従って何故その本を選んだのかが理解出来ない。そして難解な堅い内容の本だけが並んでいる。難解な本を並べれば読者が恐れ入って敬服するとでも思っているのか?あるいは読売新聞の社会的な地位が上昇するとでも思っているのであろうか?全く寒々しい文化風景である。
(2)書評の文章が分かり難い。
何故この本を選んだか?内容の独創的な部分は何処か?この本の優れているところは何処か?弱点は何処か?従来この分野の本と比較し、どのように新しい視点や考え方を提案しているか? と順序良く整理した書評にして貰いたい。明解な構成の書評が少なすぎる。
難解な言葉が多すぎる。自分の知識・学力を自慢しているような書評が多く、取り上げている本の内容を簡潔に紹介していない。従って書評を読んでも内容が想像出来ない。
例えば社会学者の佐藤卓己氏の文章、・・・・こうした社会的文脈をもつ自伝は、「文学」の枠組みを超えている。・・・・
皆様、意味がご理解できますか?誰も自伝を文学だなどと主張していないのに文学などという言葉を持ちださないで下さい。
ここは・・・・著者がナチス親衛隊にいたころの気持ちを書いた自伝なのでその頃のドイツの社会的な雰囲気が描いてあります。・・・・と書き直せば意味が分かりやすくなりますね。
書評を担当しているのは、社会学者、國際政治学者、英文学者、西洋歴史学者などです。学者が新聞に書く場合には、一般人が理解できるように書くべきです。書けないとしたら学者がその本を本当には理解していない証拠です。
これに比べると、学者でない橋本五郎さんが書いた、「吉野作造と中国」の書評は明解です。
学者の書く書評よりブログ文化圏の言語のほうが分かりやすいとしたら大変なことではないか? 人々がより分かりやすい言葉を好むのは自然なことです。困った問題です。 皆様のご意見は如何でしょうか? (終わり)
「60の手習いとは、・・・手がけてきたことを・・・やり直すことをいうのだ」とか「・・・一々歌の意味や心を味わっていて、かるたがとれる道理はない」というような寸鉄人を刺すような名句が次々と出てくる本である。歌あわせかるたは多くあったが、何故小倉百人一首だけが残ったのか?百首の内容が深く響きあって一つの壮大な文学的作品になっているから、という興味をそそる導入がある。
現代人の通弊は古今・新古今の歌はつまらないと思っている。万葉集のほうが良いという。そんなことは正岡子規に教わらなくとも分かる。でも年老いてくると平安朝文化の奥の深さに魅力を感じてくる。こんな名調子の文が並んでいる。
百人一首の選者は定家で、嵯峨の山荘で、宇都宮頼綱のためにみずから書いて贈ったという。そこで白州正子さんは嵯峨野を歩いて、その後で一首、一首説明してくれる。
検証は精密を極め、学問的ですらある。しかし読んでみると流れるような文章力のお陰で「検証」とか「学問的」というような無粋な言葉を連想させない。
全てのことをインターネットで検索している自分が恥ずかしい。一冊の本全体の香りや完成度を楽しむことはインターネットとは別世界の楽しみと思う。
巻末に作者索引、百首索引、そして百人一首参考系図が付いている。とくに参考系図の中の人名には百人一首の歌の番号が順序良く付いている。百人一首の勉強をしたことの無い小生にとってはこれが一番有難い。百人の作者がみな天皇家か藤原家の2つの系図に入っているのもいろいろなことを暗示していると思う。
世の中に百人一首の歌を全て暗記している人々も多いが、この本をどのように評価しているのだろうか?コメントを頂ければ幸いです。
一般論ながら何かを検証した本の場合は、索引のついていない本は完成度が悪いと言われている。そんな本は読む価値が無いとも教わった。蛇足ながら。
最後に奥付を、「私の百人一首」白州正子著、新潮選書、昭和51年12月15日初版発行、発行所:株式会社新潮社、全242ページ
伊東市にある文学会「岩漿」の木内光夫代表より第二期創刊号が送られてきた。
平成9年7月16日の第一期創刊号から11年、通巻第16号である。140ページの雑誌ながら俳句、詩、小説、エッセイ、追悼記などを網羅する総合文芸誌である。
読みはじめて止められなくなり最後の入会規定、投稿規程まで読んでしまった。なんと言っても全ての文章が明快で、小説はストーリーが面白い。詩や俳句もレベルが高くそれぞれ独特な香がある。
岩越孝治氏の巻頭小説「あなたの心の片隅で」は叙情的な力作である。話がドロドロした男女間の悲劇を描いているが筆致がロマンチックで救われている。
橘史輝氏の小説、「イルカ騒擾」は伊豆の富戸と川奈村でイルカを捕って食用にしていた明治時代からの縄張り争いの実態を描いたもので日本の貧しい漁村の生活が描かれていて興味深い。
深水一翠氏の小説「幻の金」は蝉取りをしている少年達と話しながら50年前の昆虫採集のことを回想した小説である。少年達との会話がいきいきとして軽快で、つい読み進んでしてしまう。
最後の力作小説、馬場駿氏(木内光夫の筆名)の「死なない蟻の群れ」は老夫婦の恋愛や離婚を取り上げた作品である。高齢者の恋愛感情や夫婦間の確執をいろいろな視点から描いた重厚な作品であり興味が尽きない。
エッセイでは森周映雄氏の「山桜のテーブル」は分厚い桜の一枚板でテーブルを完成するまでの悪戦苦闘の描写である。洒脱な文章がテンポ良く展開し、作者のユーモア感覚についニャリとしてしまう。
その他、俳句や詩も多く楽しい。伊東を中心にしたローカルな文化の香りがして、地方の文学会の特徴が分かり面白い。とくに詩人、小山修一氏による追悼記、「阿部英雄さんのこと」は故人の謙虚な性格と詩作を讃えている。この追悼記によると阿部英雄氏は実業家としても成功した人で、東京に本社を置く富士経済グループの七つの会社の社長であった。経営者には文学を愛する人格者も居るということが分かり興味深い。
この文学会は結成後、11年、伊豆半島東海岸の地方文化を豊かにして来た。このような小さな文学会の運営や活動内容に興味があるので今後2、3回調査して関連記事を掲載したいと思う。詳しくは、http://www.gan-sho.book-store.jp/index.html をご参照下さい(終わり)
1972年ニクソン大統領が北京の周恩来を訪問して米中国交正常化が出来た。田中角栄が日中国交正常化をしたのは同じ年の後のことである。これでベトナム戦争も終わった。ベルリンの壁も崩壊した。ゴリバチョフも冷戦構造を解かざるを得なかった。
共産党の中国が独立した1949年のあと大躍進政策の大失政と文化大革命で内戦状態を起こした毛沢東に忠実に従いながら、しかも毛沢東の暴虐、残忍な治世から人民を少しでも救うと一生の間、身も心も磨り減らしたのが周恩来総理である。そのすさまじい有様を具体的に書いたのがこの本である。専制的独裁皇帝である毛沢東が忠実な家臣である周恩来の人格と人民の声望に嫉妬し、身を捩り、その忠実な家臣を狡猾な方法で死へ追いやる陰険な毛沢東のやり方を書き暴いたのがこの本である。読むと人間の魔性にたいする怖気で身が震える。と、同時に自分の癌の治療を止めさせ死に追いやる、主君、毛沢東への忠義の言葉をつぶやきながら息絶えた周恩来の姿に涙が流れる。しばし次のメージが開けない。
周恩来は、「私は毛主席にも人民にも忠実にしようとした!」と言いながら死んでいで行ったという。
スケールは小さいが主君の扇谷上杉家へ忠義を尽くすが故に、無防備で部下に殺された人格者、大田道灌と同じことである。
最後に小生のブログで、2007年11月12日に発表した記事の一部を下記に再録して今は亡き周恩来総理へ捧げる。
「外国体験いろいろー随筆シリーズ」は茨城県の常陽新聞に2005年6月22日から2006年9月6日まで67回に分けて掲載された「東洋と西洋のはざまで」をブログ用に多少の修正をして投稿するものである。ブログへの転載は常陽新聞社より了承を得ている。
外国体験いろいろ(2)
中国の首相、周恩来が死んだ時、中央政府は公的葬式以外の一切の私的な追悼会のような集会を禁止しました。1981年の周恩来の命日にたまたま北京にいた私にベルサイユで知り合った周栄章・北京鉄鋼学院教授が声をひそめて「中国人がどんな人間か見せたいから今夜ホテルへ迎えに行く」と言いました。
暗夜に紛れて連れて行かれた所は、大学の深い地下室でした。明るい照明の大きな部屋の壁一面には周恩来の写真、詩文、花などが飾られていました。周教授は
「中国人が一番好きなのは毛沢東ではなく周恩来ですよ。中央政府が何と言ったってやることはちゃんとやるよ。それが中国人の根性なのです」と言い切りました。
このようなことは国中の色々な場所でこっそりと行われていたそうである。
外国人の私が政府側へ密告しないとどうして信用できたのでしょうか。これで小生は中国人の信頼を得たと確信しました。また、このような体験は、中国も日本も権力者と一般の人々との考えが違うことを教えてくれました。
(終わり)
2007年11月27日掲載の「「小説大田道潅」の読後感の補足として川越城の歴史をご紹介したい。この小説の舞台は江戸城と川越城である。1457年、この二つの城を作ったのは当時の関東管領、扇谷上杉家の家臣、大田道潅である。
主君である扇谷上杉家の命令によるという。
小説の主人公の道潅は江戸城を与えられ、川越城を居城とする関東管領、扇谷上杉定正へ家臣として仕えていた。小説の筋書きは、江戸城の大田道灌が主君と仰ぐ扇谷上杉定正に殺されるまでの話である。大田道灌に手を下したしたのは道灌子飼いの武将曽我兵庫である。兵庫が何故尊敬している道灌を切らねばならなかったか?道灌も兵庫も人間味溢れる武将である。お互いに敬意をもっていながら道灌を切るという悲劇が何故起きたのか?これがこの長編小説の主題である。主君定正が忠実な家臣である道灌を兵庫を使って殺す。歴史に繰り返される悲劇である。(次回掲載予定の毛沢東と周恩来の関係も同じ悲劇の繰り返しであろう)
それはさて置いて、大田道潅の築いた川越城のその後の変遷を見よう。扇谷上杉家は川越城を1457年から1537年までの80年間守った。しかし1537年、小田原の本拠を置く後北条氏によって落城する。後北条氏は福島(北条)綱成を城代として川越城へ送る。これで後北条氏は関東一円の平定を完了する。しかし、それも長続きしない。43年後の天正18年、1580年、秀吉一派の前田利家によって攻め滅ぼされた。この年には甲州の武田家も、後北条氏の寄居城も八王子城も関東一円の後北条氏の全ての城とともに滅んだ。
関が原で勝利した徳川家康は江戸に幕府を置くと同時に武田家や後北条氏の領地であった甲州と関東一円を直轄領とする。
1601年、川越城へ始めて配されたのは酒井河内守重忠である。その後は備後守忠利、酒井讃岐守忠勝、そして七代目に松平伊豆守信綱と続き、江戸幕府終焉まで22代の幕閣が城主として配された。
関東一円の戦国時代の多くの城は江戸幕府の出先行政機関的な役割を果たしたが、八王子城のように江戸時代は全く放置され、草の茂るだけになった城も多い。
それにしても大田道灌の築いた川越城は明治維新まで使用されたし、江戸城址にいたっては現在も皇居として使われている。家臣として忠実に仕え、主君に殺された悲劇の主の魂は今も二つの城を見守っているのであろうか。(終わり)
尚、馬場駿は木内光夫の筆名で左側のサイドバーにホームページが紹介してある。