後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「武蔵野ものがたり」

2023年02月28日 | 日記・エッセイ・コラム
武蔵野に住んでもう60年以上になります。武蔵野は昔から歌などに詠われ文学作品にもあり、美しい草原と雑木林の広がる土地です。関東平野の南半分の川越から府中までの範囲を武蔵野と言います。
この美しい武蔵野を保全するために東京都は「武蔵野公園」を作っています。
近所なので昨日その写真を写して来ました。皆様にも武蔵野のイメージを持って頂くために昨日撮って来た写真をお送り致します。


雑木林に囲まれた武蔵野の風景は国木田独歩や徳富蘆花などの文士によって賞賛されています。大岡昇平、太宰治、松本清張などの小説の舞台ともなっています。国木田独歩の『武蔵野』は教科書に採用され有名になりました。

さて「武蔵野」の名が初めて史料に現れるのは万葉集です。第14巻「東歌」に武蔵野を詠んだ歌が数多くあります。3首だけご紹介致します。

武蔵野のをぐきがきぎし立ち別れ去にし宵より背ろに逢はなふよ (万葉集 ⑭東歌 相聞 #3375)

恋しけば袖も振らむを武蔵野のうけらが花の色に出なゆめ (同上 #3376)

武蔵野の草葉もろ向きかもかくも君がまにまに我は寄りにしを(同上 #3377)

古今和歌集にも沢山ありますが3首だけご紹介致します。

むらさきのひともとゆゑに武蔵野の草はみながらあはれとぞ見る (詠人知らず、古今和歌集)

をみなへしにほへる秋の武蔵野は常よりも猶むつましきかな (紀貫之、後撰和歌集)

行く末は空もひとつの武蔵野に草の原より出づる月かげ (九条良経、新古今和歌集)

昔の武蔵野の歌はこれくらいにして現在の武蔵野をご紹介いたします。東京の西の郊外には武蔵野の面影があちこちに残っております。
宅地化されなかった傾斜地には緑豊かな雑木林が散在しています。草原もあります。国分寺崖線ぞいの雑木林などもその一例です。その他、谷戸を中心とした里山もあります。

今日は東京都の「武蔵野公園」の写真をご紹介致しました。そして万葉集や古今和歌集の武蔵野を詠った和歌をご紹介致しました。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

「小金井にも遂に桜が咲きました」

2023年02月27日 | 写真
住んでいる小金井市の南半分は崖下の暖かい地域です。北半分には小金井公園があり、高台で寒いのです。南半分には早く春が来ます。

崖下の暖かい地域ではもう桜が咲いる思い、写真を撮りに行きました。案の定桜があでやかに咲いていました。撮ってきた写真をお送り致します。

「ウクライナの歴史(1)ウクライナのコサック騎兵隊のロシア攻撃」

2023年02月27日 | 日記・エッセイ・コラム
ロシアによるウクライナのミサイル攻撃は言語道断の暴挙です。こんなことが21世紀に起きるとは誰も想像していませんでした。
しかしロシアの暴挙の背景にはウクライナ民族とロシア民族との度重なる歴史的な抗争があるのです。深いロシアの怨念があるのです。
この怨念はウクライナのコサック騎兵のロシア・コサック(ドン・コサック)への攻撃に始まり、1917年のロシア革命直後のウクライナの独立運藤、そして1991年のソ連崩壊後のウクライナの完全独立によって培われたのです。長い歴史的な背景があるのです。
今日から少しウクライナの歴史、特にロシアとの関係史を書いて行きたいと思います。その第1回目はウクライナのコサック騎兵隊のによるロシア攻撃です。

コサック人は15世紀にはウクライナ中南部の「荒野」と呼ばれる草原地帯に住み着いていました。16世紀半ば以降、ドニエプル川の中流を中心とするザポロージャ地方やドン川の下流に根拠地を築き、それぞれザポロージャ・コサック(ウクライナ・コサック)およびロシアのドン・コサックと呼ばれました。

ウクライナ・コサック
ウクライナ・コサックは現在のウクライナの地域に住んでいました。そのコサック集団はそこにあった町や村の数だけあったのです。それらは基本的には互いに独立して西欧における小国家(ドイツ地域の王国、公国などのような)と同じような小共同体を形成していました。
16世紀初頭、ポーランドはドニエプル川周辺にあったコサック集団をまとめ、ザポロージャ・コサック(ウクライナ・コサック)を組織し南部の防衛を任せたのです。
当初のコサックは周辺国家に依存しない独立した集団でしたが、16世紀以降ウクライナのザポロージャ・コサックはポーランド・リトアニア共和国に属していました。
一方、次に説明するドン・コサックはロシア・ツァーリ国に属し、軍務を提供する見返りに自治権を与えられていました。

ロシアのドン・コサック
ロシアのコサックは、古くは1444年の年代記にリャザンの衛兵としてタタールと戦ったコサックとして登場しています。
1570年、雷帝イヴァン4世からの指示によって最初の正式のコサック軍ドン・コサックがドン川流域で組織されます。ドン・コサックは成人男性の自由選挙で選ばれるリーダーによって率いられたのです。ロシアのドン・コサックは帝政ロシアの領土拡張に積極的に利用されます。
16世紀に成立したコサック集団にはほかにヴォルガ・コサックなどがありました。

1648年、ウクライナ・コサック軍は、ポーランド・リトアニアにおいて反乱を起こし、反乱は次第にポーランドからウクライナの独立戦争に変容し、ウクライナの中部にコサック国家が誕生しました。
そしてウクライナ・コサック軍はたびたびロシアのドン・コサックと戦い抗争を繰り返していたのです。
このウクライナ・コサックとロシアのドン・コサックの対立こそがその後の両国の抗争の歴史的な原因と考えられます。
その後の1917年のロシア革命直後のウクライナの独立運藤、そして1991年のソ連崩壊後のウクライナの完全独立には長い歴史的な背景があるのです。
この両国の抗争で生まれたロシアの恨みと怨念は深いのです。ロシアは感情的になって今回のウクライナ攻撃の暴挙になったのです。どんな歴史的背景があろうともロシアの暴挙は許されるべきではありますん。

今日はウクライナ民族とロシア民族の抗争には深い深い歴史的な背景があることを説明しました。そしてウクライナのコサック騎兵とロシア・コサック(ドン・コサック)の間の抗争に端を発すことを記述しました。

添付の写真は勇敢に戦うウクライナ軍の様子です。写真はインターネットからお借りしました。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)



「青空の下で白梅、紅梅の写真を撮って来ました」

2023年02月26日 | 写真
今日は朝から寒い風が強く吹いていますが、美しい青空です。こんな日は写真が良く写ります。
遠路ながら小金井公園まで行って白梅、紅梅の写真を撮って来ました。今日の写真をお送り致します。

「カトリック教会、2023年2月26日の「四旬節第1主日」のミサ動画配信とミサの風景」

2023年02月26日 | インポート
カトリック教会、2023年2月26日の「四旬節第1主日」のミサ動画配信は以下の通りです。

2023年  2月26日 10時のミサ

カトリック関口教会、
https://www.youtube.com/watch?v=XS0RsJRtNTA

聖イグナチオ教会
https://www.youtube.com/watch?v=TJo7PgCzm40

今日教会に行かない信者の方々はこの動画配信のミサにご参加なられるのも良いと存じます。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)


写真はローマのバチカンにあるサンピエトロ寺院です。サン・ピエトロ大聖堂はカトリックの本山です。創建は4世紀。現在の聖堂は2代目にあたり、1626年に完成したものです。

後の4枚の写真は今日の聖イグナチオ教会のミサ風景です。

「遠野を流れる小川の「カッパ淵」の写真」

2023年02月24日 | 写真
遠野の常堅寺の裏を流れる小川は「カッパ淵」と呼ばれています。
私も以前に見に行きました。

カッパが住みつき、人々を驚かせたりいたずらを働いたりするそうです。
静かに流れる川の両岸に木々がうっそうと生い茂り、今にも水面からカッパが顔を出しそうな雰囲気です。
柳田国男の『遠野物語』にも紹介されています。その「カッパ淵」の写真をお送り致します。

「独特の文化の岩手県と柳田国男の遠野物語」

2023年02月24日 | 日記・エッセイ・コラム
東北地方には6つの県があります。私は宮城県で生まれ育ったので東北地方の歴史や文化をいろいろ考えてきました。東北地方には奈良や京都にあるようなみやびかな文化はありませんが独特な興味深い地方文化があります。特に津軽地方や岩手の遠野地方には独特な文化があります。
今日は岩手の遠野地方の文化の一例として柳田国男の遠野物語をご紹介します。
その前に岩手県出身の総理大臣の多さを紹介したいと思います。東北6県でこんな県はありません。
後藤新平(台湾総督府民政長官、満鉄初代総裁、逓信大臣、内務大臣、外務大臣、東京市市長):奥州市
原敬(第19代内閣総理大臣):盛岡市
斎藤実(第30代内閣総理大臣):奥州市
米内光政(第37代内閣総理大臣):盛岡市
東條英機(第40代内閣総理大臣):盛岡市
鈴木善幸(第70代内閣総理大臣):山田町
政治家だけではありません。宮沢賢治や石川啄木なども岩手県出身です。何故か岩手県は東北地方で突出した県です。独特な文化を持った県です。
さてそれはさておき柳田国男の遠野物語をご紹介致します。
『遠野物語』は柳田国男が明治43年(1910年)に発表した、岩手県遠野地方に伝わる逸話、伝承などを記した本です。遠野地方の独特な伝承文化を書いた本です。
遠野地方の民話蒐集家であった佐々木喜善よって語られた、遠野地方に伝わる伝承を柳田が筆記し編纂する形で明治43年(1910年)に出版されました。
『遠野物語』は評判良く、例えば芥川龍之介はこの本を購入した当時は19歳でしたが、親友に宛てた書簡に「此頃柳田國男氏の遠野物語と云ふをよみ大へん面白く感じ候」と書き綴っています。
前置きはこのくらいにして『遠野物語』の一部をご紹介致します。

ザシキワラシ(17話)
旧家にはザシキワラシという神様が住む事が少なくない。多くは12~13歳ほどの童子で、時折人に姿を見せることもある。先日も土淵村の大字飯豊の今淵勘十郎という家で、高等女学校で学ぶ娘が帰宅していた時のこと、廊下で男のザシキワラシに遭遇して驚いた事があったという。同じ村の山口に住む佐々木氏の家では、妻が独りで縫い物をしている時に、隣の部屋からなにやらガサガサと物音がするものだから板戸を開いてみるも人影は無く、しばらくは縫い物を続けていたが、しばらくすると今度は鼻を鳴らす音が聞こえてきたという。ザシキワラシが住む家は名誉も財産も思うがままだという。

オシラサマ I(14話)
部落に1軒は旧家があり、この家は大同と呼ばれ、オクナイサマという神を祀っている。この神の像は桑の木を削って顔を型取り、真ん中に穴の開いた四角い布を上から被せて衣装としている。正月の15日には小字中の村人達が集まってこれを祭っている。また、オシラサマという神もいて、同様に桑の木から造られ、正月の15日には白粉を塗って祭られることがある。大同の家には必ず畳一帖の部屋があり、この部屋で寝ると枕を蹴飛ばされる、体の上に乗られる、何者かに抱き起こされる、部屋から突き飛ばされるなどされ、静かに眠る事ができない。(14話)

『遠野物語』には不思議な話もあります。

神隠し(8話)
黄昏時に子女が生活の痕跡そのままに忽然とその姿を消すという、各地にも類似の話がある神隠しに関する説話。遠野物語では寒戸という場所で梨の木の下に草履を残したまま娘が姿をくらました。その30年後、親類縁者が家に集まっているところ、突然姿をくらました娘が皆に会いたいからと再び姿を現した。かと思うと、また何処かへ去っていったとされている。
里での生活から突然居なくなるということは、その者と死別するということか、あるいは発狂して山野を彷徨うか、異質な存在や遠国の者にかどわかされるなど、さまざまな理由が考えられる。残された者達の悲しみや、諦め切れない苦しみに折り合いをつけるためにこういった話が残され、この事象が山人によるものであると「6話」や「7話」では説かれている。また、人里から離れた場所にはいかなる危険や未知なる存在がいるものか解らないため、見知った場所で生活していくことの安全を諭す事にもこういった話が用いられてきた。

今日は独特の文化の岩手県と柳田国男の遠野物語の一部をご紹介致しました。
挿絵代わりの写真は現在の遠野の風景です。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)


「民主主義とは国民全員が政治に関心を持つこと」

2023年02月23日 | 日記・エッセイ・コラム
民主主義とは国民全員が政治に関心を持つことで成立するものです。そして日本の安全を保障するためには諸外国と適切な外交関係を保持しなければなりません。はたして全ての日本人が政治に関心があるでしょうか? 私は危惧しています。
インターネットに政治に関することを書くとあまり読んでくれません。また外国のことを書くと読んでくれません。
ですから日本には政治に無関心な方々が多いと感じています。外国のことに関心の無い方々も多いと考えています。
一方、民主主義の本場のアメリかではより多くの人々が政治に関心が強いのです。
”日本では”と書いた理由は、それが島国としての日本の特徴かも知れないと思うからです。
その上、日本には昔から政治に関心のある人は俗物だと言う人もいます。あるいは風流人はそんな雑事にとらわれていないという考え方もあります。日本人の文化には政治を重要視しない考え方があるでしょう。
そんな日本文化は中国の影響を受けています。例えば荘子の言葉と白楽天の漢詩を思い出してみましょう。
下に白楽天の漢詩を示します。

対酒・・・白楽天

蝸牛角上争何事
石火光中寄此身
随富随貧且歓楽
不開口笑是痴人

酒に対す
蝸牛角上 何事をか争う
石火光中 この身を寄す
富に随い貧に随いて且 歓楽せん
口を開いて笑わざるは是痴人

アメリカでは共和党の政治家と民主党の政治家が毎日、毎日、政治的な論争をしているのです。ところが中国と日本では政治的な論争はつまらい争いと考えるのです。それよりも金持ちも貧者も自分の境遇に随い、毎日を無難に暮らしたほうが良いのです。
こんな風に書くと欧米の民主主義が日本の文化や風土になかなか根着かない理由が分かります。
私の受けた戦後教育では、民主主義とは国民全員が政治に関心を持ち、投票は棄権してはいけませんと教わりました。
しかし上の漢詩にあるように政治的な争いも所詮は 蝸牛角上の争いの一つなのです。
欧米では正しい政治的な判断をするためには議論を重ねるべきと考えます。議論とはようするに言い争いなのです。
それでは政治や外国のことへ対する関心を常に持つために枚の写真を示します。

これら3枚の写真はウクライナの戦乱の様子を示しています。
そしてウクライナの首都キーウ(キエフ)から北西約20キロに位置するイルピンの町では、ロシア軍の空爆によって多くの住宅やインフラが破壊されたのです。住民はウクライナ軍の支援を受けながら避難しています。イルピンからの避難は困難を極めています。砲撃を受けた道路や破壊された橋を、多くの人が徒歩で越えているのです。
こんな状態ははウクライナの全土で起きているのです。
民主主義とは国民全員が政治に関心を持ちうウライで起きている悲劇に強い関心を持つことなのです。関心を持っても平和にはなりません。しかし関心を持つことが重要なのです。
昔、ある日本人の数学者が大東亜戦争が起きたとき、戦争が起きたことを知らなかったそうです。その人は民主主義の敵です。
そこまで徹底しませんが政治に無関心な人は結構多いのではないでしょうか?
今日の結論を書きます。
政治に関心が無くても幸せに暮らせる国は日本です。しかし日本は民主主義が徹底していないのでしょう。外国のことに深い関心が無くても外国へ観光旅行は出来ます。
このような国が日本なのです。
日本では政治家がおおむね善い人です。しかしそれでも政治は政治家に任せてはいけません。
それが民主主義なにです。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)

「寒い季節なので温室の花を見て暖かい気分になる」

2023年02月23日 | 写真
寒い季節になると私はよく温室に咲いている花々を見に行きます。何度も行った温室は新宿御苑の温室と神代植物公園の温室です。どちらも規模が大きくていろいろな熱帯地方の花々が咲いています。寒い季節なので温室の花々を見て暖かい気分になるです。

今日は神代植物公園の温室をご紹介したいと思います。
神代植物公園の正門を入ると下のような花が歓迎してくれます。

1番目の写真は神代植物公園の正門を入った所に展示してあった菊の花々です。
この花の右手、すなわち南の方角に大きな温室があります。
冬でも温室には豪華なベコニア、ストレチアの花、可憐なランのいろいろ、そして多種多様な睡蓮の花が咲いています。
そしてその他の熱帯と温室の花の一覧表は、http://www.mitomori.co.jp/hanazukan/hanazukan2.9.html に掲載されています。

私は何故か神代植物公園の温室の睡蓮の花が好きです。実に数多くのいろいろな睡蓮が咲いているのです。
今日はその睡蓮の花々の4枚の写真をお送りします。2017年の1月19日に撮った写真です。

温室によく咲いている花はベゴニアの花とストレチアの花です。写真をお送りします。

6番目の写真はベゴニアの花です。

7番目の写真はストレチアの花です。
皆様、いかがでしょうか。少し暖かい気分になられたでしょうか。

神代植物公園の東半分は樹林地帯になっていてユリノキやプラタナスの大木が林になっています。梅林も椿林も東側にあります。そこの東門は有名な深大寺の裏門につながっています。
深大寺の参拝とこの植物公園へのピクニックを組み合わせて一日中楽しんでいる家族連も多いようです。

尚、神代植物公園への交通は以下にあります。
神大植物公園:(http://www.tokyo-park.or.jp/park/format/access045.html)
~電車・バスでお越しの方~
・京王線から
調布駅から小田急バス吉祥寺駅または三鷹駅行き「神代植物公園前」下車、
または京王バス深大寺行き「神代植物公園」下車
京王つつじヶ丘駅から京王バス深大寺行き「神代植物公園」下車
・JR中央線から
三鷹駅または吉祥寺駅から小田急バス調布駅北口または深大寺行き
「神代植物公園前」下車
※バスの乗車時間は約20分から25分程度です。
~お車でお越しの方~
中央高速の調布インターから、新宿方面へ甲州街道に降ります。「下石原交差点」を左折します。「神代植物公園北」の信号を右折すると左側に『神代植物公園駐車場(有料)』があります。混雑していなければ調布インターから5分程度です。

皆様も是非お出かけになってみませんでしょうか。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

「ドイツの世界遺産の古都、バンベルグの風景写真」

2023年02月22日 | 写真
ドイツの南部、バイエルン地方の街バンベルクは戦禍を逃れ、美しい中世の街並みが今でも残っています。
神聖ローマ帝国の司教座が置かれた歴史から宗教色の濃い街として発展しました。
街の中心部を流れるレグニッツ川沿いの美しい地区や旧市庁舎を含む旧市街は世界遺産にも登録されています。
南ドイツには中世の雰囲気が残り時が止まったようです。私も昔南ドイツのローテンブルクやシュツットガルトに住んでいました。バンベルクは何度か訪れました。懐かしいです。
バンベルグの風景写真をお送り致します。

「もう一回読んでみよう『銀河鉄道の夜』」

2023年02月22日 | 日記・エッセイ・コラム
宮沢賢治は悲しい美しい物語を沢山書きました。38歳で亡くなるまでの短い人生でした。
随分と昔に亡くなった人ですが、彼の作品は時代を越えて現在の日本人の心に澄んだ美しい鐘の音を打ち鳴らし続けています。その作品は時代を超えて美しい光を放っているのです。
先日の2月21日の読売新聞の夕刊の「とうほく名作散歩」の欄でも「銀河鉄道の夜」が紹介してありました。
今日は「銀河鉄道の夜」を皆さまと一緒にもう一度読んでみようと思います。出典は筑摩書房の宮沢賢治全集第十巻です。
この第十巻には順に「ポラーノの広場」、「オッペルと象」、「風の又三郎」、「北守将軍と三人兄弟の医者」、「グスコーブドリの伝記」、「銀河鉄道の夜」、そして「セロ弾きのゴーシュ」が編纂されています。

さて「銀河鉄道の夜」の物語の主な登場人物は2人の少年です。主人公のジョバンニと、溺れかかった友を助けたが自分は水死したカンパネルラです。
物語は星祭りの夜に溺れかかったザネリを助け自分は水死してしまったカンパネルの不運から始まります。
そしてストーリーは夏の夜空にかがやく銀河鉄道の列車に乗って来るいろいろな人の話として展開して行きます。
人間は死んで天に登り、星になります。ですから死んだ人は星の輝くところへ行く銀河鉄道に乗ります。乗って来る人は皆死んだ人です。
主人公のジョバンニ少年は水死してしまった親友のカンパネルラを探すため銀河行きの夜行列車に乗るのです。

星祭りの夜にカンパネルラは水に落ちた友人のザネリを助け自分は水死してしまったのです。
川に飛び込み消えてしまったカンパネルラの捜索を見ながら、カンパネルラの父が自分の時計を凝視して、キッパリ言うのです。「もう駄目です。落ちてから45分たちましたから。」
この一言に父の悲しみが溢れています。

その後、ジョバンニは死んだカンパネルラをもう一度銀河鉄道の中で見つけるのです。そしてジョバンニとカンパネルラは一緒に汽車の旅をします。
その列車にはいろいろな人が乗ってきます。
ただ一つの例だけご紹介すれば、大きな氷山にぶつかった豪華客船の沈没の時の話です。他人を助けるために、人で溢れる救命ボートに無理に乗らずに死んでしまった少女と弟が濡れ鼠で乗って来るのです。大学生の家庭教師も一緒です。
3人は皆、沈没の衝撃で靴を失い、裸足です。それがいつの間にか温かい柔らかい靴を履いています。それがこの汽車の不思議なところです。童話ですから「タイタニック號」と書いてありませんが、そのように想像出来ます。
最後に一緒に乗っていたカンパネルラも他の乗客もみんなも銀河鉄道の列車から消えて行きます。ジョバンニは胸を打ちながらカンパネルラの名を叫びます。銀河鉄道の列車の窓から暗い星空に向かって。
親友のカンパネルラと永遠の別れです。ジョバンニは現世に戻り病気の母親を助けながら真の幸福を求めて元気よく生きて行きます。
この童話の一行、一行がしみじみとしています。一行、一行にこの世の悲しみが滲んでいるのです。

この作品のキーは、死んでしまった愛する人と再会するという奇蹟です。再会出来るために重要なのは、ジョバンニとカンパネルラの心温まる強い絆です。カンパネルラは友人を救って自分が死んでしまうのです。友のために死んだ者は天国へ行くのです。
この悲しい美しい物語の基調低音は「他人の幸福のための自己犠牲」です。宮沢賢治の多くの作品の基調低音と同じです。彼は法華経の教えそのように理解し実行しようとして38歳で亡くなるまで苦しんだのです。

今日の挿し絵代わりの写真は夜汽車の写真とハップル宇宙望遠鏡から撮った星々の写真です。
写真の出典は、https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/web/15/327803/040900003/ です。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)