後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

美味しい鮭の選び方・・・不味い鮭は困ったものですね

2012年09月30日 | 日記・エッセイ・コラム

この前の記事で「毎年、30万匹のサケが遡上する標津川」という題目の記事を掲載しました。そこでこの30万匹は美味しい鮭なのか、不味いのか大変気になります。

ネットでいろいろ調べてみましたら以下の記事を見つけましたのご参考までにお送り致します。

こうなると「サーモン科学館」に併設されている「サケ・マス捕獲蓄養施設」が美味しい鮭の生産にとって重要なことが想像できます。

そこで孵化した多数の稚魚を標津川へ多量に放流し、回遊後、再び標津川沖に現れた時に、遥か沖で捕れば味が良いと想像できます。

標津川に遡ったあとは筋子の生産と多数の稚魚を育てるために捕獲しているのに違いありません。もっとも川で捕れる鮭でも美味しいものは、生や塩鮭にして出荷するに違いありませんが。

鮭にも美味しいものと不味いものとがあるので注意しましょぅ。

下は、http://kanmonclub.my.shopserve.jp/hpgen/HPB/categories/65850.html から転載させて頂きました。

なお、最近「信州サーモン」という刺身や握り鮨にすると美味しい養殖サーモンが出回っています。年間200トンも出荷されています。これは本当に美味です。

「信州サーモン」については、http://kantou.mof.go.jp/nagano/keizai/294reporte230324.pdfをご覧下さい。

おいしいサケの選び方

いつ頃が一番おいしいの?
 サケというと「秋」というイメージがありますが、本当に食べておいしいサケは「春(5~7月)」に獲れます。これはサケの種類が全然違いますし、川の近くで獲れるのか、沖を回遊している時に獲れるのかでまったく味が違ってきます。

秋のサケ

 秋のサケは「秋サケ」といって北海道や東北の川に産卵をしに来るサケで、このサケは正直言っておいしくありません。北海道の人は怒るかもしれませんが…。身を食べるよりも筋子(イクラ)を獲るためのサケです。

  なぜおいしくないかと言うと、サケは川に近づいてくるとお腹に筋子・白子を持つようになり、 旨さや脂がすべて筋子・白子にいってしまい、身がパサパサになってしまうからです。よくTVで川で熊がサケを食べているところが映りますが、サケのお腹(イクラや白子)だけを食べてその他の身は食べていないのを思い出しませんか?熊もよく知っているのです。

春のサケはどうしておいしいの?
 では「春のサケはどうしておいしいの?」ですが、春に紅サケ・時サケがちょうど北海道の沖を回遊してきます。脂がのりきった若者のサケ(筋子も白子も持っていません)なのでおいしいのです。また紅サケ・時サケは、秋サケとは全く種類が違い、自身の味も良いサケなので、サケ自体の旨さの違いと、沖を回遊している脂ののった時期の両方がきいて、とっても旨いのです。

(要注意)
  紅サケは回遊してアラスカでも獲れますが、アラスカで獲れる時には脂が落ちてあまり旨くありませんので、紅サケを買う時にはアラスカ産よりも
北海道沖(特に千島沖)を買ってください。

おいしいサケの選び方  おいしいサケの選び方

養殖物のサケ
 他に、サケには養殖物もあります。普通「甘塩」で売られているもの、「刺身」で売られているものはトラウトサーモン、アトランティックサーモンとよばれ養殖物です。養殖物は紅サケ・時サケよりも脂がよくのっていますが、脂の質が違うので、やっぱりサケ・時サケの方が旨いですよ!

(ポイント)
  旨いサケとそうでないサケは焼いて1日くらい寝かせてから食べ比べてみてください。温かいうちはそれなりに旨いですが、1日寝かせると差は歴然です。旨くないサケは脂にクセがあって食べれませんが、旨いサケ(特に千島沖の紅サケ)は更に旨みが増してきます。

買うときのチェック点
・北海道産の紅サケ・時サケが旨い
・切り身にする前の魚全体が見れる場合、頭とウロコに注目
 

頭は小さくて丸みのある頭(女性的な感じの頭)が良い(川に近づく程頭が大きくて口が上に反っていかつい感じになる)

ウロコはきれいに全体についているのはダメ、所々はげまくっているのが脂がのっている


毎年、30万匹のサケが遡上する標津川

2012年09月30日 | 日記・エッセイ・コラム

道東の中標津空港から国道を真っ直ぐ東へ走って、太平洋に抜けたところに標津町という町があります。その町に流れる標津川は毎年30万匹の鮭や鱒が遡上することで有名です。その量は日本一とも言われています。

標津町は鮭漁からの収入で立派な「サーモン科学館」を作り、遡上する鮭や鱒を観光客へそのまま見せる魚道を作りました。標津川から魚道を「サーモン科学館」の中へ導き、そしてその側面をガラスにした施設です。

お客はその日に海から標津川へ遡上してした鮭や鱒をガラスの向こうに見ることが出来るのです。いろいろな種類の鮭や鱒が大小混じって遡ってくるのです。前日の雨で魚道を流れ下る水が濁っていました。大きな鮭や鱒が勢い良く登ってくる姿には感動しました。

そんな様子を下の写真で順次ご説明致します。

まず太平洋へ流れ下っている標津川の写真です。

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上の写真の左端近辺から魚道を手前のサーモン科学館の館内へ導き入れてあるのです。河口からその日に遡って来た鮭や鱒がその魚道を通って、下の写真のように館内で見ることが出来ます

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よく見ると樺太マスや青サケや鼻曲がり鮭などいろいろな種類の魚が混じっているようです。

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下にこのサーモン科学館の全景を示します。高い塔はエレベーターで展望室まで上がれます。そこから標津川がよく見えますし、分流した魚道もはっきり見えます。

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館内には巨大な水槽があり、鮭や鱒、そしてイトウやチョウザメなどを展示しています。

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下は北海道の湿原にいるマボロシの魚のイトウです。2メートルにもなるそうです。

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なお公園のような池もあり白鳥が遊んでいます。

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そして館内には捕れたての鮭を売っていて、全国へ発送してくれます。

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また館内には立派な和食処があり海鮮を中心にした食事も出来ます。

東北海道に行ったら是非寄るべきスポットとしてお薦めの場所です。

下に参考資料と写真をつけて置きます。

~人・サケ・自然の共存を目指した「標津サーモンパーク」~(http://www.shibetsutown.jp/town/machi-3.htmlより)

年間約30万匹のサケが遡上する標津川の上流約1.5kmに「サーモン科学館」を中心に、売店・レストランを備えた「サーモンハウス」や「サケ・マス捕獲蓄養施設」等、観光施設とサケ文化の伝承や自然との共存を考えた教育の場としての、二つの役割を担う公園が整備されています。 
  観光の拠点としてだけでなく、隣接する標津川河川敷の桜づつみとともに住民の交流の場として利用されているほか、「ホタテまつり」や「あきあじまつり」等のイベント会場として利用されています。

サケの全てがわかる「サーモン科学館」は平成3年9月にオープンされました。
 標津川から人工魚道によりサケを館内に誘導し、上からではなく横からそ上の様子を観察できるほか、ビデオやスライド、模型などによりサケに関するすべてを展示しています。また、ふ化実習室や学習室も充実しており、サケ学習を行うこともできます。 下はこのサーモン科学館の全景です。

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「遠くに行きたい」、テレビマンユニオン、村木良彦君のことなど

2012年09月30日 | 日記・エッセイ・コラム

日曜日の朝はテレビを見ながら、朝食のコーヒーをゆっくり飲みます。見る番組は決まって、「遠くに行きたい」という旅番組す。遠くの魚村、農村や山里を訪ね、人々のなりわいを温かい色の水彩画のように描いた番組です。制作、「テレビマンユニオン」と字幕が流れます。

そうするとこの番組を見ながら、私はもう4年ほど前に亡くなってしまった村木君のことをあれこれ思い出します。テレビの画面に流れる風景を見ながら懐かしく思い出します。

村木君は中学校と高校の演劇部の仲間でした。この仲間達とは高校卒業以来、ときどき会って、一緒に飲みました。

村木君はTBS社でテレビディレクターとして活躍し、後にテレビマンユニオンの創立メンバーとして有名になりました。テレビマンユニオンでは「遠くへ行きたい」、「世界不思議発見」、「海は甦える」など歴史的な作品のプロデューサーの仕事をしていました。

彼のお葬式は芝の増上寺でテレビマンユニオン社葬でありました。彼の同僚の追悼文によると、彼は視聴率第一主義に反対し、良心的な作品を作る姿勢を一生通したそうです。(このブログでも村木良彦君の追悼文:あるテレビマンの死 を掲載しました。)

毎週、日曜日の朝に、テレビにテレビマンユニオンの字が出る度に村木君のことを思い出します。そして仙台の彼の家にも何度も遊びに行ったことなど思い出しながらゆっくりコーヒーを飲みます。

並んでコーヒーを飲んでいる妻が一人で話しています。私がその話を聞いていないから、独り言になっているのです。

今朝の番組では、淡路島の傍の小島で「イザナギ」、「イザナミ」という2人の神様が仲良くなって、日本列島を作ったという伝説を中心にした番組です。

古事記の話です。妻はそのストーリーを詳しく私へ教えているのです。そして古事記をお読みなさいと言っているのです。

私は馬耳東風です。逆らわないで、ウン、ウンと言っています。

夫婦は一緒に食事をしていても全然別の事を考えているものです。

今日は日曜日なのでイエス様のことも村木君のことの合い間に考えています。

イエス様のことは亡くなってしまった親や親類を思い出すように懐かしく思い出します。何故か身近じかな人なのです。その人に会うためにこれからミサへ行きます。

妻は何を考えているのか一人で身支度をしています。

何時もの日曜日の朝はこのようにして時間が流れて行きます。

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今週いっぱい皆様が健康で、平穏に過ごせるようにお祈り申し上げます。

後藤和弘(藤山杜人)

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この写真の出典は、http://homepage2.nifty.com/40boy/umi/kabe014b.jpgです。


水辺の風景(7)本当に何も無い能取湖の雄大さ、人間の小ささ

2012年09月29日 | 日記・エッセイ・コラム

網走湖の北隣にあってオホーツク海へつながっている能取湖(ノトロ湖)は観光地ではありません。岸辺に立って沖を見やればただ広い海の水が静かな風波をたたえているだけです。

兎に角、うるさい観光地から逃れて、独り大自然の中に身を置くには丁度良い場所です。そして、しばし考え込ませる場所です。

人間の小ささや、人生の一瞬の輝きがあまりにも儚いという実感に身が震えます。

そして浩然たる気分になるのです。

その気分を大切に胸に抱いて女満別空港から帰って来ました。

4日にわたる道東の旅の締めくくるにふさわしい場所でした。

道東は自然の雄大さ、人間の小ささを無言で教えてくれるのです。そして神の力の偉大さも感じさせてくれます。

下に家内が撮った写真をお送りいたします。

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なおこのノトロ湖南岸の卯原内 地区はサンゴ草の群生地として有名なようなのでその写真を画像検索して下にご紹介致します。詳しくは、http://www.nacsj.or.jp/pn/houkoku/h01-08/h05-no04.html をご覧下さい。

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===参考資料(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%83%BD%E5%8F%96%E6%B9%96)======

能取湖(ノトロ湖):

北海道の東北部に位置し、オホーツク海に通じる海跡湖である。日本の湖沼では13番目の面積規模を有する。以前は海水流入部の湖口が季節的に開閉しており汽水湖であったが、1973年(昭和48年)に護岸工事が行われて湖口が固定され、現在は完全な海水の湖となっている。

南岸にはアッケシソウ(サンゴ草)の群生地があり、毎年9月頃になると一面が赤色で埋め尽くされる。なお卯原内地区にはかつて日本最大とされる群落があったが、環境改善のための工事に失敗し、生育数が激減している。

湖では主にホタテ、サケ、ホッカイエビやカレイ等が漁獲される。

東岸の能取港町(二見ヶ岡漁港)地区には能取工業団地が整備されており、団地北端にはオートキャンプ場「レークサイドパーク・のとろ」がある。4月中旬 - 10月中旬は同施設周辺から湖北端にかけてが潮干狩りができるよう開放されている


学校の運動会を大いに楽しむ人々、運動会が嫌いな人

2012年09月29日 | 日記・エッセイ・コラム

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今日は裏の小学校で運動会があります。5年生の男の双子の孫が出るので家内が張り切って朝から出かけています。兎に角、運動会が大好きで何日も前から楽しそうにしているのです。

私は運動会というものが嫌いです。しかし先程、上と下に示した写真を撮ってきました。このキーボードを打っていると楽しそうな歓声や応援の太鼓の音が聞こえています。

それは聞くと平和は良いなあ!としみじみ思います。なにせ私の小学校は戦中、戦後でしたのでこのように楽しげな雰囲気ではなかったのです。

しかし現在でも運動会が好きな子と嫌いな子がいる筈です。

嫌いな子にとっては「みじめな思い」をする季節です。

協調性が無いと非難されるので無理して楽しそうにしています。

生まれつき運動神経が鈍い子も居ます。団体で無理に運動をすることに内心反発している子も居るかもしれません。

そのような気持ちを自分で殺しながら運動会の練習をするのです。

国民学校だった私の運動会の思い出はそのようなものでした。走るのが遅くて何時もビリでした。その事で差別されたのです。ですから現在でも運動会は好きではありません。

その一方で老人になっても運動会が大好きな人々も沢山います。

家内のように朝からはしゃいで楽しそうに見に行く人が近所には沢山います。本当に人それぞれなのです。

プログラム内容も時代によって変わります。

戦争中の国民学校では走る速度は、突撃の場面と関連させて重要と教えられました。騎馬戦や棒倒しは文字通り敵を倒す速さの訓練でした。

それにボールの遠投は手榴弾を投げる訓練でした。そんな殺伐とした運動会の雰囲気なのでした。

最近の運動会は、全員が楽しめるお祭りのようにプログラムに作ってあります。その上、最近の校庭は青々と芝生が一面に植えてあります。

個人の運動能力の差が目立ないように配慮されています。徒競争は相変わらずありますが、遅い子と、早い子をクラスわけにし、遅い子にも一等のチャンスを与えています。

そんなことを見ながら今年も昔の私の小学校のことを懐かしんで来ました。仙台市の高台にある向山小学校です。現在も存続しています。

それはそれとして、あの猛暑も過ぎ去り、良い季節になりましたね。

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名言を批判する(1)温故知新

2012年09月29日 | 日記・エッセイ・コラム

私は昔、学校で数多くの名言を暗記させられました。意味の説明がなく兎に角、暗記させられたのです。戦前、戦後の学校とはそういう雰囲気だったのです。

しかし意味不明のまま暗記した言葉は意識の底に棲みついています。

最近、暇になったのでそれらを思い出して、いろいろ考えてみると、それらは案外に日本人共通のものとしてこの国の文化に大きな影響を与えていると思います。

それにもかかわらず、多くの名言や漢語熟語は意味がよく定義されていなく、誤った考えかたを与える危険性がある場合があると思います。それらの例を数回に分けて示しながら日本人の考え方の傾向を考察してみたいと思います。

今日は「温故知新」という漢字4文字の名言を考えてみます。この4文字はよく額に入れて校長室や講堂に掲げてあったものです。

「温故知新」

この言葉は論語にあり、孔子が、「昔の人の思想や学問をよく勉強すれば新しいことも知ることが出来る。そうすれば人の師となれるのです」と教えたことに由来します。

この4文字を訓読すれば、「子いわく、ふるきをたずねて、新らしきを知り、もって師となるべし」と読めるそうです。

この言葉の弱点は歴史的な研究だけを重視して、時代の変化を見落としていることです。昔の偉い人の思想や学説だけを大切にしなさいということでは創造性が否定されます。すなわちこの教えに忠実であると、新しい学説の提案も学問の進歩も無くなります。

東洋にガリレオやニュートンが生まれなかった原因の一つになったような気がします。

このような額を掲げている人は、自分は儒教が大好きで、孔子の教えだけを教条主義的に信じいますと宣言しているようでいけません。

誤解しないで下さい。私は孔子を傑出した指導者として尊敬しています。栃木県の足利学校や東京の湯島聖堂を訪れると孔子の偉さがしみじみと判ります。

だからこそ「温故知新」という言葉だけを有難がって振り回さないで貰いたいのです。

この欠点を指摘した中国の昔の「戦国策」という書もあるのです。その書には、「いにしえをもって今を制する者は、事の変にたっせず」とあるそうです。

過去を見つめる目、現在の的確な判断、そして未来への指針がなければ目的を達することが出来まいと教えているのです。(この部分は、リベラル社編「中国の名言集」44ページから引用しました)

温故知新の知新には新しい創造性も含めた意味があるという人もいますが、それは「ひいきのひきたおし」と言うものです。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。

後藤和弘(藤山杜人)


近所の公園のコスモスの花を撮りに行く夕暮れ

2012年09月28日 | 日記・エッセイ・コラム

近所の公園のコスモスの花を撮りに行く夕暮れは老後の楽しみの一つです。

幸運にも家内も健康なので公園をランニングしています。本人は若い頃と同じに颯爽と走っているつもりです。私は何も言いません。

北海道は早く寒くなるのでコスモスが早く咲きだします。東京はやっと咲出しました。小金井公園のコスモス畑で先程撮った写真をお送りいたします。

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消えゆく満州語・・・ウイグル語、モンゴル語の系譜

2012年09月28日 | 日記・エッセイ・コラム

今朝の読売新聞の27ページに「消えゆく満州語 次代へ」と題した記事があります。

中国の東北地方の遼寧省の新賓 満族自治県にある満族の小学校の6年生が毎週一回満州文字を習って、満州語の絶滅を防ごうとしているという話です。満州文字は1599年にヌルハチが学者へ命じて蒙古文字から作った文字です。

現在では満州語を喋れるのは高齢者100人位しかいなくなったそうです。という主旨の記事でした。

満州語はやがて絶滅してゆくのでしょうか?

いろいろな言語が地球上から消えて行くのは文化的に寂しいものです。

そこで本当に絶滅するか心配になり調べてみました。

そうしたら以下のURLに体系的によく整理した情報がありました。

http://www.for.aichi-pu.ac.jp/museum/manju/manju3.html

これによると満州語は、新疆ウイグル自治区チャプチャル(察布査爾)シベ自治県の約1万7千人のシベ錫伯族(シボ族)によってまだ話されている事が判りました。その上、満州文字をわずかに改良した、シベ文字による書籍や新聞も出ているそうです。

しかし使用している人数が1992年頃に17000人とはやはり心細いかぎりです。

中国の経済が発展するとこの錫伯族も漢族に次第に同化せれ民族としての文化が失われて行く運命にあります。

経済発展は人々の生活レベルを向上させますが民族特有の文化を消滅させて行きます。独自の言語も絶滅して行きます。日本でもアイヌ語や琉球語が絶滅しつつあります。何故か文化的な寂寥感にとらわrでます。

下に、http://www.for.aichi-pu.ac.jp/museum/manju/manju3.html から引用した満州文字の例を写真で示します。

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===参考資料:http://www.for.aichi-pu.ac.jp/museum/manju/manju3.html より抜粋====

 『言語学大辞典』第4巻(三省堂、1992年)の「満州語」の項(執筆は津曲敏郎氏)には[概況]として次のような説明があります。

   中国に、清(1616~1912)をたてた満州族の固有の言語。ツングース語の1つで
  あるが、現存する他のツングース語とは、いろいろな点で、かなり異なっている。
  歴史的には、金(1115~1234)、明(1368~1644)の時代の女真語と、きわめて近い
  関係にある。17世紀以来の満州文字による豊富な文献を残している。清朝の隆盛と
  ともに、満州語も、一時は中国全域に広がる勢いをみせたが、すでに、かなり早い
  時期から中国語に押され、現在では、満州族の大部分は、満州語を捨てて中国語を
  話すようになっている。今日、口語としての満州語は、黒竜江省の数地点のごく少数
  の満州族と、新疆ウイグル自治区チャプチャル(察布査爾)シベ自治県の約1万7千
  人のシベ(錫伯)族(シボ族とも)によって話されているにすぎない。後者は、中国では、
  「満語」(=満州語)と区別して、「錫伯語」とよばれるが、事実上、満州語の一方言と
  見なしうるものである。満州文字をわずかに改良した、シベ文字による書籍や新聞も
  出ている。
つまり、現在では極めて限られた人々によって使用されているだけですが、清朝には一定の勢力をもったため、多くの文献が存在しているということです。「ツングース語」というのは北東アジアで話される言語群で、SOV語順や助詞を用いるなど、日本語・朝鮮語・モンゴル語などとよく似た文法特徴をもっています。満洲語はツングース語の中でも文法体系がかなり単純化しているため、しばしば「日本人にとって最も学習しやすい言語」とも見なされています。(終り)


今年もお彼岸の墓参りに行ってきました

2012年09月27日 | インポート

今年は9月22日(土)に秋のお彼岸の墓参りに行ってきました。家内の実家の先祖の墓です。

そこに行くと家内は優しかった父や母、祖父、祖母のことをいろいろ思い出してとても幸せそうになるのです。

それは私にとっても楽しいことなので毎年、春秋のお彼岸にはその墓参りに行きます。

お墓は日野市のお寺にあります。お墓を掃除して花を供え、線香を上げてきました。

私自身も家内の両親と祖父母には直接、何年間もお付き合いが出来ましたので懐かしい思い出が沢山あります。思い出を楽しみながら墓参りをしました。

墓参りは年間に4回くらい致します。何となく散歩のような気分で行きます。昔お世話になった方々の楽しい思い出と共に静かな時間を過ごします。

そうして日々が流れ行くのです。私は墓参りを散歩のような気軽な気分で楽しんでいます。

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下の写真は家内の実家の一部をお寺に移築して客の集会座敷にしています。茶室も付いています。我々も一時この家に住んで居たことがあったので懐かしい建物です。

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秋の日の村山貯水池と西武野球ドーム

2012年09月27日 | 写真

広い北海道の旅から帰ると、ひらけた風景にあこがれます。そこで一昨日は、村山貯水池へ行き写真を撮って来ました。銀色の丸い屋根は西武球場です。

平凡な写真ですが東京の水瓶の写真をお送りいたします。

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水辺の風景(5)一面の水芭蕉の網走湖を再び訪れる

2012年09月27日 | 日記・エッセイ・コラム

下の写真は2003年5月2日に網走湖の湿地帯で偶然見つけた水芭蕉の花です。国道から呼人半島の付け根の方向へ少し入った雑木林の下に広がる湿地帯です。観光地でないので案内の看板も無く、近所の人だけが散歩する細い悪路が林に中に続いていました。

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今回の北海道への旅ではこの感動的な場所を再び訪れることも目的にしていました。ネットで調べると5月初旬には相変わらず左の写真のように咲いているようです。

201104151944_01写真の出典:http://abashiri.jp/tabinavi/02spot/images/2011-0415-1944_0.JPG )

9月20日にこの曾遊の地を再び訪れました。

水芭蕉の季節ではないので雑木林の中は暗く、道も無く、荒れ果てた感じです。

かつての細い道の入り口には立ち入り禁止の綱が張ってあります。

悲しい気持ちで、丘の上の「網走湖観光ホテル」 悠遊亭に行ってみました。2002年と2003年に2回泊った大きなホテルです。

ホテルは倒産したようで、閉鎖されていました。玄関先には雑草が茂っています。

車を停めた広い駐車場にも雑草が生えています。

「栄枯盛衰、世のならい」と言いますが、暗然とします。

下を見降ろすと、当時と同じように広大な網走湖が広がっています。岸辺に降りて行って撮った写真を下に示します。

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網走湖は観光客が行かない湖です。大きなシジミだけが名物の地味な湖です。

それにしても2002年と2003年に泊った阿寒湖温泉のホテルも寂れはてていました。

北海道の自然は変わりません。美しい湖と広大な大地が観光客をひきつけています。

しかし観光客の数がメッキリ減ってしまったのです。その大自然が美しいだけに何か淋しい思いをしながら女満別飛行場から帰って来ました。

旅に出れば楽しい事もありますが悲しい事にも会います。

そこはかとない旅愁もあります。 急に秋が来たようですね。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。

後藤和弘(藤山杜人)


北海道の魅力は、広大な牧草地の風景にある

2012年09月26日 | 日記・エッセイ・コラム

北海道の風景で、本州とは非常に違うのは、はるか地平線まで続く牧草地の風景と思います。

兎に角、気の遠くなるような広さなのです。

その広い空間に立つと心に羽根がついて飛んでいるような開放感があります。身が軽くなって心配事が一切消えてしまいます。

ですから広大な牧草地に立って、いつまでも眺めて来ました。毎日、2回くらいずつ

牧草地に立ってボンヤリして来ました。ああ北海道は良いなあとしみじみ思います。

そんな写真を下に示します。

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国道を走っていると数キロごとに上に示したような看板があり、その牧場へ入る道があります。

その道に入っても農家や牧舎が見えません。何キロも奥の方にあるのです。

そこで、看板の陰に車を停め、まわりの写真を撮ります。下のような風景が延々と続き、人間の姿も牛の姿も見えません。

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牧草地には人影も牛馬の影もありません。静かな秋風が吹いているだけです。

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車でいくら走っても牧草地には牛や馬が放牧されていません。牧草だけが一面に茂っているのです。そこでもっと詳しく観察するために、下の写真のように牧草地を歩きまわりました。

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春に耕した耕運機のわだちの跡がかすかに残っているだけで牛馬の糞が落ちていません。放牧した形跡が無いのです。

それでも根気よく探しましたらやっと乳牛が霧の中で草を食べているのを見つけました。

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それで判りました。乳牛は放し飼いにしないで牧舎の中で飼うものなのです。

牧草地は刈り取って、冬の間に牧舎の中で乳牛に与えるのです。

下の写真がその事を示しています。牧草地の中に見える黒い点々や白い点々が刈り取った牧草の塊なのです。写真では点々に見えますが、一個の点は直径1.5メートルくらいの巨大な牧草の巻き物なのです。長さも1.5m位あり一個の重さは400kgくらいありそうです。

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白い塊や黒い塊は、牧草の巻を物を白いビニールか黒いビニールで包んだためです。このようにビニール布で包んで密閉しておくと、中の牧草が発酵して牛の食欲増進に役立ち、消化も良くなるそうです。

このように牧草地は、数十頭の乳牛の一年間の飼料を生産する畑なので、広大な面積が必要なのです。

勿論、夏の間は牧草地の一部に放牧しますが、それは極く限られた面積しか使いません。沢山の濃厚な牛乳をつくるには牧草だけでなく栄養価の高い穀類飼料を与えることが重要なのです。トウモロコシ畑も広がっています。

それを考えながら、自分の山林の中の小屋の隣にあった乳牛農家の牧草地を思い出しました。

夫婦で28頭の乳牛を飼っていました。200mX200m位の牧草地を持っていましたが、そこへ乳牛は放牧しないのです。春夏秋冬、いつでも牧舎の中で飼っていました。牧草地の草は鎌で丁寧に刈り取って牧舎の中の牛へ与えていました。

そんな事を思い出しながら広い牧草地を散歩してきました。

それで思い出したのですが、刈り取った牧草の塊を「牧草ロール」と言いました。「牧草ロール」を検索するといろいろな情報があります。下にその牧草ロールの写真を示します。

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写真の出典は、http://www.n-slow.com/communication/uploads/photos/27.jpg です。

写真をお楽しみ頂ければ嬉しく思います。(終り)


花の撮影が家庭不和の原因になる・・・この不思議さ?

2012年09月26日 | 日記・エッセイ・コラム

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皆様は上にあるような花の写真がお好きでしょうか?野付半島にある荒涼としたトド松の立ち枯れの林へ行く細い道に咲いていた花々です。厳しい自然に耐えて咲いた、小さく地味な野の花です。

それとも下に掲載したような花々の写真がお好きでしょうか?ホテルのの玄関先に植えてあった栽培種の人工的な花々です。

それともどちらもお好きでしょうか?

しかし家人は上にあるような写真が好きです。私が人工的な花の写真を撮ろうとするとそのような花の写真は撮ってはいけませんと言います。

栽培種の花の写真が好きでないのです。

私はこのブログを見てくれる多数の方々の好みはいろいろなので、公園の花々も温室の熱帯の花々も山野草の花々も全て撮影して掲載する方針です。

ブログは個人のものとは言いますが不特定多数の人々が見るかぎり公器としての役割や性格を持っています。

ですからこそ私は仏教のこと、キリスト教のこと、イスラム教のことをバランス良く書いて掲載するようにしています。原発問題も反対派の意見と原発推進派の意見の両方を掲載してきました。どちらを選ぶかは読者の問題です。しかし私は原発反対ですと自分の意見はキチンと書いています。

この編集方針に従って花々の写真を広い視野で撮っています。その方針が家人には気に入りません。読者に迎合していると言います。

私は迎合でなく、読者に自由に判断してもらいたいのです。

しかし世の中には小さな野の花だけの写真を掲載しているブログも多いものです。左のサイドバーにある「鬼家雅雄さんのブログ」も「ちひろさんのブログ」がその例です。

道端や山林の中に咲く小さな花々の写真を丁寧に撮って、掲載してあります。

下のような写真がお好きでない方々はご覧になると楽しいブログです。

それにしても花の写真は我が家の争点になっているのは事実です。でもその争論は楽しい論戦です。引退後の退屈しのぎには丁度良い論題と思っています。

如何でしょうか?あなたの家では、ご夫婦の花々の趣味が一致していますでしょうか?

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今日も皆様のご健康と平和をお祈り申しあげます。後藤和弘(藤山杜人)


日馬富士の横綱推薦を祝す・・・そして大鵬記念館のことなど

2012年09月25日 | 日記・エッセイ・コラム

昨日の横綱審議会で12人の委員が満場一致で大関日馬富士の横綱推薦が決定しました。

本当におめでとうございます。

千秋楽での横綱白鵬を堂々と右下手投で破った相撲ぶりは横綱にふさわしい力量を示しました。

全勝で優勝したのです。

勝負が決まった後すぐに立ち上がらず、土俵の砂に額を押しつけて相撲の神様へ感謝の祈りを捧げていた姿が感動的でした。

下に読売新聞のネット版から写真をお借りして日馬富士の勝負とその場面を示します。

そして先輩の朝青竜が日馬富士大関優勝を祝って、抱え上げている微笑ましい写真をお送りします。

一番下は昨日の横綱審議会の推薦決定を知らされた後の記者会見の姿です。

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横綱と言えば今回の北海道旅行で3泊した弟子屈町の川湯は、かの大横綱・大鵬の出身地です。ホテルのフロントに記念館の場所を聞くと、道路の向こう側の公園にあると教えてくれます。まさに「巨人 大鵬 卵焼き」の家内は跳び上がって喜んでいました。

早速、翌朝一番に訪れました。

大鵬は32回の優勝記録を打ち立て、あの柏鵬時代を築いたのです。その敏捷で粘り強い天才的な取り組みの光景は現在でも脳裏に刻んでいる人々も多いと思います。

下に今回撮って来た写真をお送りいたします。

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大鵬記念館は「川湯相撲記念館」という名前ですが、中の展示物はすべて大鵬に関連したものです。

特に映像室では、当時の数々の名勝負の映画の上映があり、大鵬の天才的な相撲を直接見ることが出来ます。

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下は32回の優勝で贈られた天皇賜杯です。

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下は子供や孫に囲まれ幸せそうな大鵬一家の写真です。

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下にサムネイルでいろいろな写真もお送り致します。

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=====大鵬に関する資料(出典:http://www.taiho-yokozuna.com/profile/index.html)=====

第四十八代横綱 大鵬  本名:納谷 幸喜(なや こうき)

1940年(昭和15年)5月29日生 身長187cm。血液型はB型。
樺太敷香郡敷香町出身で、北海道川上郡弟子屈町で育った。
父親はウクライナ人のマルキャン・ボリシコ、母親は日本人の納谷キヨ
ハーフである。納谷は母の姓である

1960年代に活躍し、ライバルといわれた柏戸とともに 「柏鵬 (はくほう) 時代」と呼ばれる大相撲の黄金期を築いた。優勝32回、6連覇2回、45連勝などを記録し、昭和の大横綱と称され、戦後最強の横綱と呼ばれる事もある。幕内最高優勝32回は2009年(平成21年) 現在、最多優勝記録である。様々な金字塔を打ち立てたが、特に入幕(1960年)から引退 (1971年) までの12年間、毎年必ず最低1回は優勝した記録は 「一番破られにくい記録」 と言われる。
当時の子供の好きなものを並べた「巨人・大鵬・卵焼き」という言葉からも、当時の大鵬の人気と知名度がわかる。また、 酒豪としても有名でかつての酒量は4時間程で5升を空け、 翌日の朝稽古に出たというエピソードもあるほど。

1940年  5月29日、旧樺太(現・サハリン)生まれ
1947年  小学1年生  岩内町西小学校
        小学2年生  北見訓子布小学校
        小学3年生  知床岩尾別小学校
        小学4年生  夕張若菜小学校
        小学5・6年生 弟子屈町川湯小学校(現在実家あり)
1956年  弟子屈高校( 夜学 )を中退し、二所ノ関部屋に入門 ( 師匠:大関 佐賀ノ花 )
        9月場所  16歳で初土俵
1959年  5月場所にて十両入り、「大鵬」と改名
1960年  1月場所にて新入幕。11月九州場所にて初優勝。場所後、大関に昇進。(20歳)
1961年  7月場所、9月場所と2場所連続優勝して(柏戸と共に21歳3ヶ月、当時史上最年少)
        で第48代横綱になる。(入幕から1年10ヶ月)
        この間、三賞:敢闘賞2回、技能賞1回、金星1個
1971年  現役引退


水辺の風景(4)国の特別天然記念物マリモの生きている阿寒湖

2012年09月25日 | 日記・エッセイ・コラム

阿寒湖は国の特別天然記念物の球状のマリモが生きている唯一の湖として有名です。(少しは青森県の小川原湖にも生きているのですが)

阿寒湖は摩周湖や屈斜路湖に比較して特に美しいとも思いませんが、湖岸に大きな阿寒湖温泉街があり、春夏秋冬、一年を通じて多くの観光客を集めています。

阿寒湖に行ったら、是非、観光船に乗り、沖にある チュウルイ島マリモ展示観察センターを訪問したほうが良いのです。

今回の旅では阿寒湖に着いたのが夕方だったので、沖にある マリモ展示観察センターへは行きませんでした。しかしそのセンターへは以前に何回か訪問し、巨大な球体を作って何十年も生きているマリモに感動したものです。それは本当に不思議な植物です。

以下に今回撮った3枚の阿寒湖の風景写真をしめします。

そしてその下に阿寒湖の画像検索にある観光船とマリモの写真をお借りして示します。

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マリモの写真の出典:http://tomato-tabi.blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_224/tomato-tabi/E381BEE3828AE382822.JPG

阿寒湖:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%BF%E5%AF%92%E6%B9%96

阿寒湖(あかんこ)は北海道東部、釧路市(旧阿寒郡阿寒町)にある湖である。全域が阿寒国立公園に含まれ、道東を代表する観光地となっている。北海道で5番目に大きい淡水湖。

特別天然記念物のマリモや、ベニザケの湖沼残留型(陸封型)であるヒメマスが生息する。冬は全面結氷し、ワカサギ釣り、スケート、スノーモービルなどのウィンタースポーツが盛んで、阿寒湖氷上フェスティバル・冬花火などのイベントも開催される。周囲はエゾマツ・トドマツなどの亜高山帯針葉樹林、および広葉樹を交えた針広混交林の深い森に覆われている。2005年11月、ラムサール条約登録湿地となった。

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マリモ:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%AA%E3%83%A2

マリモ(毬藻、学名:Aegagropila linnaei)は、球状の集合体を作ることで知られている淡水性の緑藻の一種である。特に阿寒湖に生育するマリモは、美しい球状体を作るため国の特別天然記念物に指定されている。

日本では、北海道及び本州の東北地方から関西地方の湖沼に点在して分布し、日本国外では、ヨーロッパ北部、ロシア、北アメリカ等に分布する。

マリモが大きな球状の集合体を形成するのは日本では阿寒湖と青森県の小川原湖だけである。

日本では球状にならないマリモの生育が確認されている湖沼は以下のとおりである。

  • 北海道:釧路湿原内の中小湖沼(シラルトロ湖・塘路湖・達古武沼)・チミケップ湖
  • 青森県:左京沼・田面木沼・市柳沼・姉沼・内沼
  • 山梨県:山中湖・河口湖・西湖
  • 滋賀県:琵琶湖