国分寺崖線の下は南に面していて冬の陽が明るく射しています。昨日の雪が晴れあがって空が蒼く輝いています。
冬の陽射す尾張徳川家鷹狩りの道と、平安時代の伝説がある真姿の池湧水の周辺を午後から散歩して来ました。その折りの写真をお送りいたします。お楽しみ頂ければ嬉しく思います。
=====参考資料================
http://www.natsuzora.com/dew/tokyo-west/otakanomichi.html より転載しました。
(1)お鷹の道、
江戸時代、1748年(寛延元年)から1867年(慶応3年)まで、この辺りの村々は尾張徳川家の御鷹場に指定されていたという。そのことから、湧水を集めて流れる小川沿いの小径が「お鷹の道」と呼ばれるようになったものらしい。1973年(昭和48年)から1974年(昭和49年)にかけて国分寺市が遊歩道として整備し、現在は「真姿の池」と共に国分寺市の名所として知られている。以下省略。
(2)真姿の池と湧水群、
「真姿の池」とは何とも趣のある名だが、その由来は遠く平安時代にまで遡る。「真姿の池」脇に設置された東京都教育委員会の解説板によれば、848年(嘉祥元年)、不治の病に冒された玉造小町という女が病気平癒祈願のために国分寺に参詣すると、二十一日目に一人の童子が現れ、小町をこの池に案内し、この池の水で身を清めるように告げた。その通りにすると薬師如来の霊験か、たちどころに病気が癒え、元の美しい姿に戻ったという。それから人々がこの池を「真姿の池」と呼ぶようになったというのだ。
真姿の池の湧水群とは「国分寺崖線」の下から湧き出る泉のうちの「真姿の池」周辺の湧水群を意味する。「真姿の池湧水群」は東京都指定名勝になっています。
冬の陽射す尾張徳川家鷹狩りの道と、平安時代の伝説がある真姿の池湧水の周辺を午後から散歩して来ました。その折りの写真をお送りいたします。お楽しみ頂ければ嬉しく思います。
=====参考資料================
http://www.natsuzora.com/dew/tokyo-west/otakanomichi.html より転載しました。
(1)お鷹の道、
江戸時代、1748年(寛延元年)から1867年(慶応3年)まで、この辺りの村々は尾張徳川家の御鷹場に指定されていたという。そのことから、湧水を集めて流れる小川沿いの小径が「お鷹の道」と呼ばれるようになったものらしい。1973年(昭和48年)から1974年(昭和49年)にかけて国分寺市が遊歩道として整備し、現在は「真姿の池」と共に国分寺市の名所として知られている。以下省略。
(2)真姿の池と湧水群、
「真姿の池」とは何とも趣のある名だが、その由来は遠く平安時代にまで遡る。「真姿の池」脇に設置された東京都教育委員会の解説板によれば、848年(嘉祥元年)、不治の病に冒された玉造小町という女が病気平癒祈願のために国分寺に参詣すると、二十一日目に一人の童子が現れ、小町をこの池に案内し、この池の水で身を清めるように告げた。その通りにすると薬師如来の霊験か、たちどころに病気が癒え、元の美しい姿に戻ったという。それから人々がこの池を「真姿の池」と呼ぶようになったというのだ。
真姿の池の湧水群とは「国分寺崖線」の下から湧き出る泉のうちの「真姿の池」周辺の湧水群を意味する。「真姿の池湧水群」は東京都指定名勝になっています。