1988年、舵社から出版された、白崎謙太郎著、「日本ヨット史」は名著ですが、絶版になっています。入手困難ですので私の手元にある本を再度読みながら内容を連載でご紹介して行きたいと思います。版権の侵害にならないように要約を私の責任で作って行きます。私自身の感想も加えて行くつもりです。
著者の白崎謙太郎さんは、先日、渡辺修治 さん・・・潜水艦からヨットへ乗り換えた人生 という記事でご紹介した渡辺修治さんとの絆が強い人です。分かり易く言えば白崎さんは渡辺さんのヨットの弟子であり、若い友人でした。従って渡辺さんは白崎さんの本の序文にかえて、「白崎謙太郎君のこと」という題で長文の紹介文を書いています。
この紹介文も史的価値の高いものです。いずれ詳しく紹介していきたいと思います。
それはそれとして、この本の全体の構成は以下のようになっています。
1章 横浜浮世絵と古写真
第2章 最初期のヨット
第3章 横浜ヨットクラブの誕生
第4章 T.M.ラフィンと幻のアルバム
第5章 日本人ヨットの胎動・大正時代
第6章 日本ヨット協会設立のころ
第7章 ヨットレースの幕あけ
第8章 Lクラスと外人クラブ
第9章 国内5メーターと設計の発展
第10章 ブルーウォーター派の台頭
第11章 戦前の外洋ヨットレース
第12章 知られざる野尻湖のヨット
第13章 戦前のオリンピックとヨット
第14章 もう一つの伝統・九州のヨット
第15紹 軍国主義下のヨット
明治維新で横濱や神戸に在住するようになった欧米人の趣味としてヨットが日本で製造されたのです。それが日本人の趣味として普及し始めたのは大正時代になってからです。
何故、ヨットの趣味が日本人が受け入れるのに30年、40年と長期間が必要だったのでしょうか?
日本帝国の海軍の拡張や整備の途上でヨットは重視されたのでしょうか?無視されたのでしょうか?
明治維新のキッカケになったペリーの訪問の時使った帆船には石炭を燃料にした大型蒸気機関がついていました。明治時代のヨットの補助機関は小型蒸気機関だったのでしょうか?
私自身の疑問が湧いて来ます。興味津々です。
次回から自分自身が問題意識を持ってこの本を読んで行きたいと思います。
なお、渡辺修治さんの息子さんは康夫さんで、その奥様のハンドル名をメル母と言い、ブログを書いています。そして白崎謙太郎さんのこの本の事もご紹介されています。
http://blog.goo.ne.jp/naominoyume_1955/e/718d257ea929e849c73ee3e418953c34も合わせてご覧下さいますと白崎さんの回りの人間関係が分かって面白いと思います。(続く)