2010年4月6日に掲載した記事で浦松佐美太郎著、「たった一人の山」という名著をご紹介しました。それが今日、著者のお嬢様から下の様なご投稿がありました。
とても嬉しく思いましたので以下にご紹介します。そしてついでに、記事、「浦松佐美太郎著、「「たった一人の山」」について」を再掲載致します。
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父の本にまつわる、心温まる甲斐駒の山小屋での描写、ありがとうございます。 父の著作がいつまでも、自然を愛する方々に読んでいただければ幸いです。
浦松佐美太郎三女浦松清子
米国ニューハンプシャー州在住
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「浦松佐美太郎著、「「たった一人の山」」について」
日本が好きで8年も在住していたイギリス人のウエストンが、上高地に入り穂高や槍へ登った頃からヨーロッパ流の「登山」が広まったと言われています。
旧制の中学生や高校生のヨーロッパへのロマンチックな憧れもあって、登山が流行になるのです。それは昔からあった修験道者の登山とは違うものです。
浦松佐美太郎も戦前に一ツ橋を卒業し、ヨーロッパに渡り、数々の山を単独登攀をします。独りで山をみつめ、自分の心をみつめ、命をかけて苦しい登攀をするのです。青春の苦悩を山々と語り合いながらいやして行くのです。この本は昭和を通して多くの学生に読まれ、山岳文学不朽の名著と言われています。
私は暇になると本棚のある2階へ上がり、昔読んだいろいろな本を取り出して見ています。その中から現在の若者にも読みやすく理解しやすい本を選んでこのブログで紹介して来ました。今日は浦松佐美太郎著、「たった一人の山」を推薦したいと思います。分かり易く言えば、1901年生まれ1981年死亡の浦松さんがヨーロッパや日本で登った山々の登山記録です。単独で登りながら考えたことが書いてあります。ロマンチックな青春の日々の苦しみと歓びが描いてあります。昭和の若者の青春が活き活きと描いてあります。戦争とは無縁な青春です。昭和という時代へ大きな影響を及ぼしたのです。
話は飛びますが、私は1974年に、上の写真の甲斐駒の7合目の粗末な山小屋の棚の上でボロボロになったこの本に会いました。年老いた主人が言います。「冬場以外は毎週、週末になると夜行列車で来て、登って来る若い技師さんがいました。日本鋼管の技師さんでした。その人が置いて行ったのです」と言うのです。日本鋼管は私が学生のころ工場実習をした製鉄会社です。偶然とは言え、急に親近感が湧き、詳しい話を聞きました。山小屋の主人が目をしばたたきながらボソリボソリと説明してくれました。「その技師さんは50歳の頃病気で死んでしまい、二度と登っては来なかった。2、3年して会社の仲間が登って来て、この本を受け取ってくれと置いていったのです。それが彼の遺言だったそうです」
製鉄所は技師でも昼夜3交代で徹夜の当番があります。そして徹夜明けと週末の休みをつなげれば川崎から甲斐駒へ夜行列車で往復出来たのでしょう。私の知り合いのある重工業の技師も毎週のように夜行列車で上高地へ通っていたそうです。彼も定年の前に病気で亡くなりました。お葬式に行った時、上高地通いのことを聞きました。浦松佐美太郎さんの本は技術系の人にも大きな影響を与えていたのです。
今日、読み返してみて懐かしさで心が一杯になりました。そして現在の若者にも面白い本かもしれないと思い、ここで紹介しました。ネットで検索すると出版社や値段が出て来ます。ネットでも購入出来ます。広く読まれた本なのであちこちの図書館にあると思います。読んで損する本ではありません。若者の皆様へご参考になれば嬉しく思います。(終り)