後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「ミサとは何か?」

2025年02月02日 | ブログ
レオナルド・ダ・ヴィンチの壁画に絵がかれている、キリストが12人の弟子たちと過ごした「最後の晩餐」、これがミサの起源です。その絵を示します。

「ミサとは何か?」

「パンを裂く集まり」がキリスト教徒の始めの祭儀でした。
この始めの祭儀に二世紀に「感謝の祭儀」の部分が加わりました。そして五世紀ごろから、この祭儀全体を指して「ミサ」という言葉が用いられるようになりました。

レオナルド・ダ・ヴィンチの壁画に絵がかれている、キリストが12人の弟子たちと過ごした「最後の晩餐」、これが現在のミサの次第の起源です。その絵を示します。

最後の晩餐の終わり頃にキリストはパンをとり、「これはあなたがたのために渡される私のからだである」と言い、またぶどう酒の入った杯をとり、「これは私の血の杯、あなたがたのために流される新しい契約の血である」と言って、「これを私の記念として行いなさい。」と弟子たちに命令しました。

ミサではこの最後の晩餐を再現し、カトリックの洗礼を受けた信者は、キリストのからだである「パン」をミサの終わり頃に拝領します。

キリストの復活を信じるキリスト者はキリストのからだを受けることで、日々の信仰生活の糧としています。
もちろん、カトリック信者でなくてもミサに参加し、共に聖書のことばを聴き、キリストのもとで祈ることは誰でもできます。ただし「パン」を拝領することは、カトリックの洗礼を受けた信者のみに許されています。 最後の晩餐の終わり頃にキリストはパンをとり、「これはあなたがたのために渡される私のからだである」と言い、またぶどう酒の入った杯をとり、「これは私の血の杯、あなたがたのために流される新しい契約の血である」と言って、「これを私の記念として行いなさい。」と弟子たちに命令しました。

ミサではこの最後の晩餐を再現し、カトリックの洗礼を受けた信者は、キリストのからだである「パン」をミサの終わり頃に拝領します。
キリストの復活を信じるキリスト者はキリストのからだを受けることで、日々の信仰生活の糧としています。
もちろん、カトリック信者でなくてもミサに参加し、共に聖書のことばを聴き、キリストのもとで祈ることは誰でもできます。ただし「パン」を拝領することは、カトリックの洗礼を受けた信者のみに許されています。

「木曽馬、トカラ馬の写真」

2025年01月23日 | ブログ
以前の夏に、木曾馬の牧場を御嶽山の麓開田高原に訪ねました。一泊してゆっくり木曽馬を長い時間見ていました。
長い歴史を背負った小型の馬の走り回る姿、草をはむ姿、そして何よりも人が馬を愛し、馬が世話をする人に馴れ、愛している姿を見ると自分までが幸せになるのです。
木曾馬の写真をお送りします。
1番目の写真は遊んでいる木曽馬をジッと見ている私の後ろ姿です。
2番目の写真は世話をしている若い女性が馬と何やら話し込んでいる光景です。
3番目の写真は若い女性と馬が仲良く馬小屋に帰って行く光景です。
そして木曽馬の草を食んでいる姿の動画は、https://www.youtube.com/watch?v=rwhhM9XDVUE にあります。
また木曽馬が列をなして走っている場面の動画は、https://www.youtube.com/watch?v=0ypMRcFwW1c に御座います。
さて日本の在来馬は和種馬や在来和種馬とも呼ばれ次の8種が存続しています。
木曽馬、北海道和種(北海道、俗称:道産子)、野間馬(愛媛県今治市野間)、対州馬(長崎県対馬市)、御崎馬(宮崎県都井岬)、トカラ馬(鹿児島県トカラ列島)、宮古馬(沖縄県宮古諸島)、与那国馬(沖縄県八重山諸島)の8種です。特に本州の在来種は木曽馬のみです。
4番目の写真はトカラ馬です。写真の出典は、https://www.photo-ac.com/main/search?q=%E3%83%88%E3%82%AB%E3%83%A9%E9%A6%AC&qt=&qid=&creator=&ngcreator=&nq=&srt=dlrank&orientation=all&sizesec=all&color=all&model_count=-1&age=all&mdlrlrsec=all&sl=ja&utm_source=tag&p=1&pt=A です。
鹿児島県トカラ列島(サンゴ礁)の中之島のトカラ馬は、通常より一回り小さい体高100-120cmほどのポニーでした。しかし農業上の利用価値が激減した現在、中之島で維持することが困難となり、島から鹿児島本土に移住しました。  現在、開聞山麓自然公園と鹿児島大学付属牧場が、トカラ馬の繁殖集団を維持しています。

私は少年の頃に馬に蹴飛ばされたことがあります。馬車馬の股くぐりをして遊んでいたとき軽く蹴飛ばされたのです。それ以来馬が怖くなったのです。
ですから馬に触ったり乗っている人を見るとその人を尊敬してしまいます。
家内を尊敬しているのは馬に乗れるからです。
皆様は馬がお好きでしょうか。馬に触れますか。跨がれますか。

 それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)

「美しいブナ林の写真」

2025年01月13日 | ブログ
美しいブナ林の写真をお送り致します。
新潟県の十日市町の近くに美しいブナ林があります。松之山美人林といいます。写真をお送りいたします。樹林がお好きな方らなら、きっと お喜び頂けと思います。

1番目の写真の出典は、https://www.tokamachishikankou.jp/spot/bijinbayashi/ です。
2番目から4番目の写真は以前に私が撮った写真です 。



「豪華客船、「ふじ丸」での初島へ航海の思い出」

2025年01月09日 | ブログ
以前に大型客船「ふじ丸」で熱海の沖にある離島の初島へ東京から行きました。
今日は初島へ航海の思い出をお送り致します。
客船が初島に到着しまた。ところが「ふじ丸」が大き過ぎて初島の小さな港へ入れません。いったいどのようにして初島観光をするのか不思議でした。
そうしたら客船に搭載して行った大きい救助艇を高い舷側から海へ降ろすのです。

1番目の写真は搭載して行った救助艇です。100人乗れるそうです。
右舷と左舷に積んで行った「さざなみ号」と「そよかぜ号」を海面に降ろしたら、どこからともなく大きな台船を引っ張った船がやって来ました。
その台船を大型客船の一階の出入り口の下に繋いで、その外側に救難艇を係留します。お客が救助艇に無事乗り移れれば、初島の港へ着けます。

2番目の写真は初島に着岸したところです。
お客が周囲4kmの島を散策します。4時間後にまた救難艇に乗って本船に帰ります。そして東京まで7時間の航海で帰って来ました。
下の写真は初島の東海岸から見た日本で初めて1989年に進水した豪華客船、「ふじ丸」の姿です。
これが最後のクルーズになります。古くなったので商船三井が就航を停止して、売り出している船です。

3番目の写真は初島の東海岸から見た豪華客船、「ふじ丸」の姿です。湖の船は日本で初めて1989年に進水した豪華客船です。
熱海の沖の離れ小島の初島には東明寺というお寺がぽつんと一軒だけあります。
境内に佇み、そして時々静かに歩きまわりながら撮った写真をお送りいたします。
お寺に入ると左手に同じような墓が一列に並んでいます。

4番目の写真はお寺に一列に並んで墓です。
みんな、みんな大東亜戦争で戦死した兵隊さんたちのお墓です。
この小島から歓呼の声に送られて出征し、二度と帰って来なかった島の若者たちの墓標です。私はひとうひとつ名前を読んでいきました。帝国陸軍一等兵、伍長、曹長、などなどです・・・・少尉や中尉の字はありません。
しばらくしてから、本堂の裏手に歩いていくとそこには下の写真のように昔の無縁仏の墓石がまとめてありました。

5番目の写真は昔の無縁仏の墓石です。
島には江戸時代から41軒の家しかありません。長い年月の間にどの墓が、どの家の先祖なのか分からなくなったのでしょう。あるいは江戸城の石垣の石を切り出しに来た人々のお墓かも知れません。
気がつくと兵隊さんたちの墓のすぐ後ろには洒落た木造の小学校・中学校の校舎が見えるのです。戦前はもっと粗末な校舎だったに違いありません。そこを卒業し、漁業や農業にいそしんでいた若者たちが戦争へ行ってしまったのです。
私は最後に本堂の前の香炉に線香をあげて帰って行きました。線香のかおりが静かにながれていました。

それはそれとして、
今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

「伊勢丹新宿店 の歳の市は本館6階 催物場」

2024年12月28日 | ブログ
伊勢丹新宿店 の歳の市は本館6階 催物場にあります。
開催日時は以下の通りです。
12月27日(金)〜12月30日(月)は各日午前10時〜午後8時
12月31日(火)は午前9時〜午後5時
詳しくは下記をご覧ください。
https://www.mistore.jp/shopping/event/shinjuku_e/otoshi_10 

「師走になると昔のことを思い出す」

2024年12月18日 | ブログ
師走になると何故か昔のことを思い出します。大晦日の歌合戦や正月のお節料理を思い出します。そして教会のクリスマスの夜のミサを思い出します。
昔のことを思い出すので古い町並みも思い出します。
そんな町へ旅もします。
今日は昔の街並みがそのまま残っている中山道の奈良井宿、妻籠宿、馬籠宿の風景をご紹介したいと思います。何度も訪れた懐かしい宿場町です。時が止まったような町です。
そんな風景を見るといろいろなことを思い浮かべます。人々が活き活きと生き、そして死んで行きます。
しかし古い宿場町とその周囲の風景は変わりません。古い宿場町の家並みの風景はシーンとして静かに時を刻んでいるだけです。
奈良井宿の家並みの中を歩きながら人の生き死にの儚さを考えていました。
写真をお送りします。
1番目の写真はまだ観光客が来ない朝の奈良井宿です。
2番目の写真は観光客で賑わっている奈良井宿です。
3番目の写真は妻籠宿です。
4番目の写真は馬籠の宿場町です。
昔の中山道の風景は奈良井、妻籠、馬籠の宿場町の真ん中に残っているだけなのです。あとは立派な舗装道路になっているのです。
嗚呼、時はどんどん流れ行きますが、奈良井、妻籠、馬籠の宿場町だけは時が止まっているのです。
現在、此処で生活し、古い建物を維持している人々のご苦労は如何ばかりかと感じ入りながら歩きました。
新幹線が走り高速自動車道路が出来ても奈良井、妻籠、馬籠の宿は頓着しません。人間は何故そんなにいそぐのでしょうか?

今日は古い中山道の宿場町をご紹介致しました。師走になると何故か昔のことを思い出します。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)  

「キロロのある赤井村は小樽の近くある」

2024年12月11日 | ブログ
キロロのある赤井村は小樽の近くあります。
村の名前の由来はアイヌ語の「フレ・ベッ」(赤い・川)の意訳である。
面積の大部分が山地の森林で、北西のカルデラ盆地に村の中心と農地が広がる。盆地内特有の内陸性気候で積雪が多く、道内でも有数の豪雪地帯となっている。かつての噴火活動で形成されたカルデラ地形の上にある村である。
写真は赤井村の役場です。



「思い出のホテル(9)北海道のキロロのホテル・ピアノ」

2024年12月11日 | ブログ
大規模で贅沢なリゾートホテルの北海道のキロロのホテル・ピアノをご紹介いたします。
日本が高度成長していた頃に設計され建設された驚異的な施設です。
2010年の6月に行き、感動しましたので、何度かキロロのホテル・ピアノに泊りました。
キロロはアイヌ語で「心」を意味するそうです。小樽から毛無山峠を越して、深い山に入った北海道余市郡赤井川村にあります。
ホテルの部屋も広く、インテリアも落ち着いています。食事も美味しかったです。ホテルから続くレストラン街も良い雰囲気でした。そんな風景を下に写真で示します。
まず2010年の6月の新緑の頃に撮った2枚の写真を示し、その下に晩秋の風景写真を2枚示します。季節によって風景が変化している様子をお楽しみ下さい。アクセスや宿泊料など詳しくは、http://www.kiroro.co.jp/  をご覧下さい。
  上が6月の新緑の頃で、下が10月の晩秋の頃の写真です。最初の白樺林の写真と下の最後の落葉してしまった白樺林の写真は同じ所を撮ったものです。
は大規模で贅沢なリゾートホテルの北海道のキロロのホテル・ピアノをご紹介いたしました。感動的なホテルでした。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

「クリスマスツリー用のモミの木を採りに山に入る」

2024年12月06日 | ブログ
自分の山小屋が甲斐駒岳の麓にります。以前は毎年12月になるとクリスマスツリー用のモミの木を採りに山に入ったものです。子供も為に家にクリスマスツリーを飾ったのです。
懐かしくので斐駒岳と、その麓の写真をお送り致します。
 

「湖水の国、フィンランドの風景写真」

2024年11月30日 | ブログ
湖水の国、フィンランドの風景写真をお送り致します。
フィンランドは首都ヘルシンキは賑やかな街ですが、地方は湖水が点在する淋しい風景でした。
そんな写真をインターンットからお借りしました。