現在、朝鮮半島は北朝鮮と韓国に分断されています。その原因は終戦後に起きた朝鮮戦争です。朝鮮戦争のことは昔は朝鮮動乱と言っていました。この朝鮮半島の分断は現在のアジアの軍事バランスに深い影響を与えています。日本の平和にも脅威になっています。
今日は朝鮮動乱すなはち朝鮮戦争について書きたいと思います。
朝鮮戦争は大韓民国(韓国)と朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の間の戦争でした。朝鮮半島の主権を巡る大規模な国際紛争でした。
1950年6月にソ連のスターリンと中国の毛沢東の同意と支援を取り付けた金日成率いる北朝鮮が国境線と化していた38度線を越えて韓国に侵略戦争を仕掛け、勃発したのです。
分断国家の北朝鮮と韓国のみならず、東西冷戦の中で西側諸国を中心とした国連軍と東側諸国の支援を受ける中国人民志願軍が交戦勢力として参戦したのです。1950年から3年間に及ぶ戦争は朝鮮半島全土を戦場と化して荒廃させました。
1953年7月27日に国連軍と中朝連合軍は朝鮮戦争休戦協定に署名し休戦に至ったが、北緯38度線付近の休戦時の前線が軍事境界線として認識され、その後の南北二国の分断状態が続くこととなりました。
終戦ではなく休戦状態であるため、名目上は2024年になっても戦時中であり、南北朝鮮の両国間、及び北朝鮮とアメリカ合衆国などの国連軍との間に平和条約は締結されていません。
2018年4月27日、板門店で大韓民国大統領文在寅と北朝鮮朝鮮労働党委員長金正恩との間で第3回南北首脳会談が開かれ、2018年中の終戦を目指す板門店宣言が発表されたが、実現には至っていません。
ここで朝鮮戦争に関連した写真を示します。写真の出典は、https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E6%88%A6%E4%BA%89 です。
1番目の写真は上から時計回りに長津湖の戦いで撤退中のアメリカ海兵隊、仁川上陸作戦で上陸する国連軍、避難する韓国の難民、仁川上陸作戦で揚陸作業を行うアメリカ海兵隊、アメリカ空軍のF-86戦闘機です。
2番目の写真は韓国に到着したダグラス・マッカーサーを迎える李承晩大統領です。
3番目の写真は破壊されたソウル市内の建物です。
4番目の写真は国連軍の艦艇に避難する韓国の避難民です。
5番目の写真は仁川上陸後にソウルで戦う国連軍兵士です。
朝鮮戦争の勃発によって、アメリカ軍からの日本国内の各種企業に対する発注が急増しました。この受注によって輸出が伸び、日本経済は戦後の不況から脱することができたのです。
3年間に及んだ朝鮮戦争でのアメリカ軍を主体とした国連軍からの派兵は、最高時50万を超え、その使用した弾薬の量は、アメリカが太平洋戦争で日本軍に対して使用したそれをこえるという大規模な戦争でした。
またの朝鮮に出動した国連軍の軍事基地・補給基地となった日本に対し、アメリカ軍から多量の物資・サービスの需要が発生しました。
特需の内容は、約7割が物資調達で、当初は土嚢用麻袋・軍用毛布および綿布・トラック・航空機用タンク・砲弾・有刺鉄線などでした。
1951年7月10日の休戦会談開始以降は、鋼材・セメントなど韓国復興用資材の調達が増大したのです。
サービスでは、トラック・戦車・艦艇の修理、基地の建設・整備、輸送通信などが過半を占めていました。
それらの調達額は、3年間の累計で約10億ドルにのぼったのです。
そのほか、在日国連軍将兵の消費や、外国関係機関からの発注などの間接特需があり、これらをふくめると、特需の総額は停戦が実現した1953年までに24億ドル、55年までの累計で36億ドルに達しました。
ちなみに50年から53年にかけての1年間の通常貿易による輸出額は10億ドル程度であったから、特需の規模がいかに大きかったかが解ると思います。
詳細は、https://www.y-history.net/appendix/wh1602-013.html をご覧ください。
今日は現在の朝鮮半島の分断の原因の朝鮮動乱について書きました。朝鮮動乱は朝鮮半島の人々にとっては未曾有の悲劇でしたが日本の経済復興にとっては大きな助けになったのです。嗚呼。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)