後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

私の掲載する記事の反省と心残り

2018年11月30日 | 日記・エッセイ・コラム
私は毎日、1600字から2500字位の記事を書いてブログとFace Bookと趣味人倶楽部に投稿しています。
取り上げる話題は国際関係、社会時評から仏教、キリスト教なんどの宗教のこと、そして日常茶飯事のことなど雑多です。
記事を読んで下さる方々が気軽に読めるように簡潔に書くようにしています。
どんな立場の方々が読んでも不愉快にならないように出来るだけ公平に客観的に書いているつもりです。
特にFace Bookに掲載する記事は韓国、中国、台湾、シンガポール、マレーシア、タイ、ドイツ、フランス、スペイン、イギリス、アメリカ、ブラジルなどの国々の方々が読んで下さるので「公平かつ客観性」が非常に重要になって来ます。
誰が読んでも納得し、ほのぼのとした温かい気持ちになるような記事に仕上がるように努力している心算です。
しかしどうしても自我の欲がありますので偏った内容になり、後で反省しています。心残りがあります。

最近、反省していることを4つほど書いてみます。

(1)自分がカトリックなのでキリスト教が一番良いというニュアンスの記事が多いこと。
無宗教の人も尊重しながら書いていますが、一つの宗教を賛美するような記事に反発する方々も多いと思って反省しています。
そして仏教の曹洞宗などの禅宗の記事も多く他の宗派の方々が読んだら公平でないと感じると思います。この点も反省しています。

(2)国外政治記事ではトランプ大統領を批判し過ぎること。
はっきり言えば私はアメリカの民主党が好きです。リベラルで理想主義的な民主党が好きです。
したがってアメリカ第一主義で差別政策を押し進めるトランプ大統領が嫌いです。
この個人的な好みにもとづいて書いた記事は公平ではありません。トランプ大統領を支持している方々へ不快感を与えていると思い反省しています。

(3)自分が教養人であるように見せるため「人を裁くな!」という中途半端な記事が多いこと。
例えば最近のゴーンさんの逮捕、失脚に関する記事では誰が悪いのか明確に書きません。誰が悪いかを決めるのは神様なので書かないのです。
しかし大悪人はゴーンさんです。そしてかつての上司を裏切ってクーデターを起こした西川社長も悪人です。
民間会社のもめ事に干渉するフランス政府も悪いのです。しかし自分がいかにも教養人であるかのように、このように明確に書かなかったのです。読んで下さった方々は何が何だか分からなかったと思います。自分の偽善者ぶりを反省しています。

(4)外国の方々も読んで下さるのに日本人しか分からぬ記事が多すぎること。
例えば最近、石原慎太郎の「太陽の季節」やサザンオールスターズのことをかなり詳しく書きました。
外国に在住している日本人にとっては懐かしかったと思います。しかし韓国、中国、台湾、シンガポール、マレーシア、タイなどなどの方々にとってはつまらなかったと思います。
余りにも国内的な記事が多いのです。出来るだけ外国の方々にも分かるように努力していますがうまくいきません。反省しています。

その他、反省すべきことはまだ沢山あります。しかし記事を気軽に読めるように簡潔にするために今日はこの辺で止めます。

今日の挿し絵代わりの写真がどんな国々の方々にも愛されているゴッホの絵画です。
彼の絵を沢山みながら自分の好きな7点を選びました。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)


1番目の写真は1888年の「ローヌ河の星月夜」です。

2番目の写真は同じく1888年の「夜のカフェテラス」です。

3番目の写真も1888年の「黄色い家」です。

4番目の写真は1890年の「カラスのいる麦畑」です。

5番目の写真は1888年の「アルルの跳ね橋」です。

6番目の写真は1889年の「星月夜」です。

7番目の写真は1888年の「ファン・ゴッホの寝室」です。

ゴーンさん逮捕が浮き彫りにした日本の3つの特殊性

2018年11月29日 | 日記・エッセイ・コラム
日本を欧米と比較するといろいろな点で非常に違います。私は当然だと思いますが、これらの違いが厳然として存在していることを自覚することが大切だと信じています。
そこで今日はゴーン氏の逮捕で浮き彫りになった日本社会の3つの特殊性を説明したいと思います。
(1)日本の会社は従業員のもの、欧米の会社は株主の利益のためにあるもの。
(2)日本の司法制度は欧米と違って容疑者へ過酷過ぎ人権を無視している。
(3)日本の会社の経営の根底には「和を以て貴しとなす」という原則がある。
この3つの大きな違いがあるので、欧米のマスコミはゴーンさんの逮捕は日本の陰謀だとか逮捕、拘留は厳し過ぎるという非難記事を何時までも掲載し日本を批判しています。
日本の検察陣は反論しませんので、ゴーンさんは凶悪犯でないので可哀想だと同情する日本人も増えそうです。

上に書いた3つの相違点について少しだけ説明しておきます。

(1)の意味です。
日本の株式会社は従業員の生活の安定を一番重要視します。従業員の生活の安定があれば従業員は会社の仕事に全てを捧げ、サービスや製品の品質が向上し、その会社が発展するという考えが強いのです。
欧米の株式会社は投資してくれた株主へ利潤を配当することを一番重視します。その為には日産のゴーン氏のように20000人の従業員を馘にして日産が利潤を上げられる会社にすべきなのです。
ゴーン氏は日本で欧米流そのままに20000人の従業員を馘にしただけなのです。

(2)日本の検察庁は起訴できる容疑があれば逮捕し、長期間拘留出来ます。
欧米では拘留期間が非常に短く、また取り調べ室に弁護士が同席して尋問するそうです。日本では弁護士の同席は禁止されています。
この日本の司法制度の人権無視については、アメリカのウオール・ストリート・ジャーナルの27日紙面で厳しい非難記事を掲載しています。一言でいうと日本の司法制度は共産党独裁の中国と同じようだと嗤っているのです。
これに対して日本の検察庁は反論すべきではないでしょうか。

(3)日本の会社の経営の根底には「和を以て貴しとなす」という原則があるのにゴーン氏はこの原則を一顧だにしなかったのです。
常識はずれの巨額の報酬を取り、一方で20000人の従業員の首を切ったのです。首を切られた人の怨念が渦巻いていたのは当然です。
しかしゴーン氏には罪の意識はありません。謝罪などする筈など毛頭ありません。

以上のようにゴーン氏の逮捕で日本社会の3つの特殊性が浮き彫りになったのです。
ゴーン氏の行為を指導し支持したのが今回一緒に逮捕されたアメリカ人の弁護士のケリー氏です。
そこで今後の裁判ではアメリカの辣腕弁護士が続々登場する勢いです。
しかしアメリカの弁護士は日本の弁護士資格は持っていませんから裁判に直接関与出来ません。
裁判に直接関与するのは日本の検察庁を退職した優秀な弁護士達です。
彼等がアメリカの辣腕弁護士の意見を聞きながらゴーン氏とケリー氏の弁護活動を展開するのです。
今後の裁判では、日本の司法陣がアメリカやフランスの見解をどのように斟酌するのでしょうか?
興味深い裁判劇になるのではないでしょうか。

今日の挿し絵代わりの写真は先週撮って来た奥多摩の風景写真です。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)






初冬の薬草植物園の花と紅葉の風景

2018年11月28日 | 写真
久し振りに都立薬草植物園に行きました。流石に花は菊と鶏頭の花しか咲いていませんでした。その代わりハゼノキなどが美しく紅葉していました。裏の雑木林も華麗な黄葉を見せてくれていました。歩行器を押しながら、ゆっくり散歩して来ました。
写真をお楽しみ頂けたら嬉しく思います。













『太陽の季節』、裕次郎、湘南海岸が華やかだった時代

2018年11月28日 | 日記・エッセイ・コラム
湘南海岸には大磯ロングビーチがあり、茅ケ崎にはサザンビーチがあり、葉山にはヨットハーバーがあります。
藤沢の鵠沼にある湘南高校から一ツ橋大学に進学した石原慎太郎が『太陽の季節』で第34回芥川賞をとったのは1956年でした。戦後の無軌道な若者の青春を描いた斬新な小説でした。
この小説で「太陽族」という戦後の無軌道な若者を呼ぶ名前が出来ました。
そして裕次郎が演ずる映画では湘南海岸でのヨットの場面が登場します。
それが切っ掛けになり湘南海岸に「太陽族」のような若者が遊びに行くようになります。
後に加山雄三やサザンオールスターズなどが湘南海岸を賛美する歌唱を発表してます。大磯ロングビーチや茅ケ崎のサザンビーチなどではロックやジャズのコンサートが数多く開催されますます。
こうして湘南海岸は戦後の若者のメッカになったのです。
湘南海岸が華やかだった時代は1960年代から1970年代でした。あれから茫々40年近くたちます。
現在、湘南海岸からは無軌道な太陽族の熱気は消え、子供連れの家族が遊びに行く静かな浜辺になっています。

私は大学時代に慎太郎の「太陽の季節」を読みました。感心しませんでした。若者の奇抜な行動がつぎつぎ出て来ますが文学的ではないのです。あれが何故、芥川賞になったか不思議なので、もう一度選考委員の意見を調べてみました。

以下は、https://ja.wikipedia.org/wiki/太陽の季節 からの抜粋です。
『太陽の季節』は受賞作にはなったものの、選考委員の評価は必ずしも高いとは言えず、反倫理的な内容についても評価が分かれました。作品にみなぎる若々しい情熱が評価され激賞される一方で、同時に賛成派からも、文章の稚拙さや誤字があるなど多くの欠点が指摘されたのです。
芥川賞の選評者9名中、賛成派が舟橋聖一、石川達三、井上靖の3名で、しぶしぶ支持派が瀧井孝作、川端康成、中村光夫の3名でした。そして強固な反対派が佐藤春夫、丹羽文雄、宇野浩二の3名だったのです。

賛成派の石川達三は、「欠点は沢山ある。気負ったところ、稚さの剥き出しになったところなど、非難を受けなくてはなるまい」、「倫理性について〈美的節度〉について、問題は残っている。しかし如何にも新人らしい新人である。危険を感じながら、しかし私は推薦していいと思った」とし、「この作者は今後いろいろな駄作を書くかも知れない。私はむしろ大胆に駄作を書くことをすすめたい。傑作を書こうとする意識はこの人の折角の面白い才能を萎縮させるかも知れない」と述べている。

反対派の佐藤春夫は、「反倫理的なのは必ずも排撃はしないが、こういう風俗小説一般を文芸として最も低級なものと見ている上、この作者の鋭敏げな時代感覚もジャナリストや興行者の域を出ず、決して文学者のものではないと思ったし、またこの作品から作者の美的節度の欠如を見て最も嫌悪を禁じ得なかった」とし、「これでもかこれでもかと厚かましく押しつけ説き立てる作者の態度を卑しいと思ったものである。・・・以下省略。

古い人間の私は佐藤春夫の評に全面的に賛成です。
石原慎太郎はその後、政治家として活躍したのは皆様ご存知の通りです。でも私の好きなタイプの政治家ではなかったのです。同じ兄弟でも私は人間的だった裕次郎が好きでした。

こんな記事を書こうと構想を考えた場所は数日前に行った茅ケ崎海岸でした。
茅ケ崎はサザンオールスターズの代表、桑田佳祐の出身地です。彼は茅ヶ崎で数多くのイベントを開催して地域の活性化に大きな貢献をしました。地域の人々が感謝して茅ケ崎海岸を「サザンビーチ」という名称をつけています。
今日の挿し絵代わりの写真は数日前に撮って来た「サザンビーチ」の風景写真です。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)










欅と銀杏の大木の黄葉の写真をお楽しみ下さい

2018年11月27日 | 写真
11月も下旬になって東京にももみじの季節がやって来ました。
先程、日野市の仲田の森公園に行って欅と銀杏の大木の紅葉の写真を撮って来ました。
樹々も大木になると聖霊が宿るようになります。その大木を紅葉や黄葉が美しく飾っています。
車から持ち出した椅子に座って暫く見上げて来ました。
こうして今日も老境の一日が静かに流れゆきます。
写真をお楽しみ頂けたら嬉しく存じます。









檜原村にある美味しいコーヒーの「カフェ、せせらぎ」に助けられた話

2018年11月26日 | 日記・エッセイ・コラム
東京の檜原村は山里です。秋川の支流が数多くの深い谷になって紅葉の山々の下を流れています。平地は殆どありません。
以前は林業とソバやコンニャク芋の栽培をしていましたが、現在は林業が不振なので村人は東京に出て働いています。
谷間のあちこちにある僅かな平地にあった集落も過疎化が進んでいます。

今日はそんな淋しい檜原村で2人の村人に助られた話を書きます。

それは11月10日の土曜日のことでした。檜原村役場の前を通り過ぎて1Km位登った所で私の車のタイヤがパンクしてしまったのです。その日は独りでドライブしていて数馬の里から奥多摩周遊道路に行く途中でした。
その時はあいにく腰痛が酷くて、とても独りでタイヤ交換が出来そうではなかったのです。
仕方なくパンクしたタイヤをつけたまま、ゴトゴトとゆっくり走り檜原村役場まで何とか戻りました。
そしてそこにいた初老の男性に助けて下さいと頼んだのです。
そうしたら傍にいた若い女性と一緒になって、すぐにスペア・タイヤをつけてくれたのです。傍にいた若い女性の方が手を汚して力仕事を献身的にしてくれたのです。タイヤ交換は経験があると言って、素早く交換してくれたのです。

檜原村は自然の風景が素晴らしいので何度も行くところです。今回は檜原村の2人の方に助けられ、その優しさに感銘を受けたのです。
それから13日たった11月の23日にその時のお礼に参上しました。
そうしたら、あの親切な男性は村役場の奥にある「カフェせせらぎ」のご主人だったのです。
このカフェのオーナーの檜原村生まれの幡野庄一さんだったのです。
その日は、助けてくれた若い女性の従業員の方とはお会い出来ませんでしたが、またコーヒーを飲みに行きますのでいずれお礼を申し上げることも出来ると思います。
檜原村の人と知り合いになれたことが幸せです。檜原村とご縁が出来たことが嬉しいのです。
皆様にはそんなご経験はあるでしょうか?良い思い出になるものですね。

さてこのカフェをご紹介いたします。このお店は檜原村の村役場の中にあるのです。

1番目の写真はその村役場の写真です。先日の11月23日に撮った写真です。
広い駐車場があり、美味しいコーヒーを出すカフェ、「せせらぎ」があります。

2番目の写真は村役場の玄関の写真です。この玄関を入ると、その奥に「カフェ、せせらぎ」がります。年中無休で 9:00~17:00時に営業しています。

3番目の写真はこのカフェのオーナーの檜原村生まれの幡野庄一さんです。この方に助けて貰ったのです。
幡野さんは、30歳で銀座でカフェを開いてから35年間銀座でカフェオーナーをしていました。そのカフェは現在でも銀座に5店舗あるカフェみゆき堂です。多い時には都心に10店舗以上も経営していたそうです。

それでは檜原村役場の中にある「せせらぎ」の店内の様子を写真で示しましょう。以下の写真は、
http://hinoharavillage.net/post/74690949145/銀座で35年の味村役場にある本格コーヒーカフェせせらぎ からお借りしました。

4番目の写真は「カフェせせらぎ」の店内です。
檜原村生まれの幡野さんが銀座で「もうやることは十分やった」と思い、地元の檜原村に5年前に戻ってきました。その時、たまたま目に止まったのが「村役場での喫茶店経営」の求人広告でした。幡野さんは即応募し、もう5年も「カフェせせらぎ」を続けているのです。

5番目の写真は店から見える山です。この窓の下に秋川の清流が流れていて、その向こうの山の斜面が窓の向こうに見えているのです。

6番目の写真はカフェの窓から見下ろした秋川の清流です。すぐ下に鳥の餌場があり、バードウォッチングも出来ます。
檜原村役場は土曜日、日曜日は休みですが、「カフェせせらぎ」は年末、年始以外は無休です。
ここは特にコーヒーが抜群に美味しいのですが、その他の軽食もあるのでメニューを下に示します。
・コーヒー:350円~400円 ココア:400円 紅茶:350円~400円 ゆず茶:350円
 ソフトドリンク:400円 ところ天(6月~10月):380円
・軽食(トースト、シナモントースト、クロックムッシュ、クラブサンド):250円~500円
 ケーキセット(レアチーズ):550円
・パスタ各種:700円 カレーライス:700円 ハヤシライス:700円
なお住所や電話番号は、http://www.hinohara-kankou.jp/kaiinpage/seseragi/seseragi.html に出ています。
このカフェは秋川渓谷へ遊びに行く東京の人々に人気があり、いつもお客さんがいます。
このカフェのご主人の幡野庄一さんと若い女性の従業員に助けられたことは老境の良い思い出になりました。
皆様も秋川渓谷に遊びに行った折には是非お寄りください。美味しいコーヒーが待っています。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

今日のカトリック小金井教会のミサでは堅信式がありました

2018年11月25日 | 写真
今日のミサの中で堅信式がありました。
洗礼を受けてしばらくすると、篤い信仰と聖霊の助けをうけて人々に福音を伝えられるようになります。
その儀式が堅信式なのです。
今日は東京大司教区の大司教のタルチシオ菊地功神父様が志村武神父さまと小金井に来て下さいました。
そして主任司祭の加藤豊神父さまと一緒にミサの司式をして下さいました。
今日、堅信式でタルチシオ菊地功神父様から聖霊を受けて堅信した方は9人でした。
今日の堅信式とミサの光景写真を5枚お送りいたします。









異国情緒豊かな函館の古い教会と外人墓地

2018年11月25日 | 日記・エッセイ・コラム
今日は日曜日なので函館の古いカトリック教会やロシア正教会や外人墓地の風景写真をご紹介したいと思います。
2012年6月17日、18日、19日、20日と、函館郊外の湯の川温泉に3連泊し、車で丁寧に回りながら撮った写真です。

1番目の写真は函館のカトリック元町教会です。
1859年(安政6年)にフランス人の司祭、カション神父によって建てられた古い教会です。
このカトリック元町教会は、以後、3度の火事にあいます。
現在、数多くの観光客が訪れる建物は1924年(大正13年)に出来たものです。

2番目の写真はカトリック元町教会の内部の写真です。
この教会の中央祭壇と、会堂の内壁に飾ってある14個の木造彫刻はイタリーのチロル地方の作品です。ときのローマ法王ベネディクト15世が寄贈してたものです。力強い作品です。美しい作品です。この教会全体が調和を持った一個の美術的な作品になっています。
明治維新の起きる前の江戸時代です。キリシタン禁教は厳しく、明治政府になってから7年間もキリシタン禁教が続けられたのです。
ですから教会が出来ても隠れキリシタンは訪れることは出来ませんでした。
そんな古い時代に函館のカトリック教会が造られたのです。
函館観光に行ったら是非、このカトリック元町教会の内部の中央祭壇と内壁に飾ってある14個の木造彫刻をご覧下さい。イタリーのチロル地方の作品です。

3番目の写真はロシア正教のハリスト函館教会の写真です。
1858年、日露修好通商条約が出来るとロシア領事、ゴシュケヴィチがすぐに函館に着任します。
彼は領事館の付属聖堂としてロシア正教の教会堂を作ります。そして1861年には領事館付き司祭としてニコライ神父をよびます。このニコライは後に東京の神田にニコライ堂を建て、ロシア正教を基礎にして日本正教会を作ったのです。
彼は日露戦争が起きても、日本に踏みとどまって日本人信者の為につくしたのです。亡くなった時には明治天皇から花輪が贈られ、上野の谷中の墓地の土になったのです。

4番目の写真は函館のロシア正教の外人墓地fです。
函館に行ったら是非外人墓地もご覧下さい。函館の東南の小高い岬にあります。故郷を遠く離れ異郷に眠る人々の冥福を祈ると何故かロマンチックな気分になります。皆 海に向かって建てられています。
このように函館は長崎、神戸、横浜と同じように明治維新前後の教会や外人墓地があって異国情緒の豊かにある町なのでず。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

ゴーンさんんは天才、西川社長は賢い日本人、それぞれの悲しみ

2018年11月24日 | 日記・エッセイ・コラム
今日はゴーンさんんは経済の天才、西川社長は賢い日本人ということを書きたいと思います。しかしこの2種類の人間にもそれぞれの悲しみがあるのです。
それを書く前に昨日撮ってきた秋の山の風景写真をお送りします、
東京の西の端にある檜原村の役場前から檜原街道を数馬の里に登り、さらに奥多摩周遊道路まで上がって撮って来た写真です。お楽しみ頂けたら嬉しく存じます。













秋深い美しい山々の風景を見ていると、しみじみと幸せな気分になります。
そしてゴーンさんの逮捕、会長職の解任という生臭い事件も少し距離をおいて眺めると人間社会の一つの自然現象として心静かに見ることが出来ます。

ゴーンさんはお金の流れの何処に無駄があるか発見する天才です。その無駄を切れば日産は黒字になります。
ゴーンさんのもう一つの天才ぶりは大企業の積年の無駄を血も涙も無く切り捨てる勇気を持っていることです。
ゴーンさんは会社経営の大変優秀な天才であることは間違いありません。
日産を黒字にしながらお金の流れの一部を自分の私利私欲の方向に変えたのです。それは天才のゴーンさんにとっては簡単なことです。
しかし日本の司法を甘く見過ぎました。
クーデターのようにかつての忠実な部下であった西川社長に刺されて失脚したのです。
ゴーンさんにとって3畳間の独房に押し込まれるという屈辱よりも、かつて信頼し 社長に引き上げた西川さんに裏切られ刺されたことのほうがより大きな悲しみではないでしょうか。
さてゴーンさんを失脚させた西川社長とはどんな人物なのでしょうか?
私は彼の1時間にわたる記者会見を丁寧にみました。
弁護士も伴わないで独りで現れた記者会見では、ゴーンさんの間違いを淡々とその事実のみを分かり易く説明したのです。そして続く記者からの個別の質問へ誠実に答えたのです。質問者の顔を見て真面目に答えたのです。
私はこの人は誠実で賢い人物だと思います。
記者の感情を理解して皆が納得するように諄々と答えるのです。
そして会社のトップが公正である限り独裁的でも良いと何度も言ってました。
この記者会見の間、西川社長はクーデターに成功したという高揚感もありましたが、その顔には深い悲しみがありました。
かつて尊敬していたゴーンさんに いきどうりを感じ、刺したのです。その悲しみは暗いしこりとして彼の心に残ります。
しかし西川社長は説得力のある人です。
昨日の日産の取締役会議でゴーン解任に反対していたルノー社派遣の2人のフランス人を4時間かけて説得し、解任賛成の同意を得たのです。これで7人の取締役会議で解任を全会一致で決めたのです。
これは今後のルノー社やフランス政府との関係を改善する上で大きな一歩なのです。
それにしても、西川社長は日本的です。衆議をつくして「和を以って尊しとなす」という信条が見え隠れするのです。
西川社長は日本国内で支持されるでしょう。しかし国際的には支持されないかも知れません。
それは一つの比較文化人類学的な現象なのです。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

菊の花や、そのご紋章を見ると暗い悲しい気持になる

2018年11月23日 | 日記・エッセイ・コラム
第二次世界大戦前に生まれた日本人は菊の花のご紋章を見ると暗い記憶を思い出します。菊の花を見ると悲しくなります。
戦争で使われた全ての武器、小銃から軍艦にいたるまで天皇陛下の菊のご紋章が刻印されていたからです。
菊の花を見ると第二次大戦の数多くの悲劇を思い出して暗い悲しい気持になるのです。
しかし菊の花には何の罪もありません。
私は暗い思い出を振り切って純粋に菊の花の美しさを楽しむように心を入れ替えました。
そうして毎年、神代植物公園での菊の品評会を見に行きます。昨日も行きましたら、今年の品評会は終わっていました。そこで2015年11月07日 に諏訪大社上社で撮った菊の花の写真をお送りします。









さて何故、菊の花は天皇陛下のご紋章になったのでしょうか?
皇族の菊のご紋章は1869年(明治2年)の太政官布告をもって決められたそうです。
それ以来、日本軍はすべての国産軍用小銃に菊のご紋章を刻印するようになったのです。
また陸軍の軍旗の旗竿先端や、海軍の軍艦の艦首に金色の菊花紋章がつけられたのです。
そのせいで先の戦争を知っている私のような高齢者は菊の花を見ると悲しくなるのです。

それはそれとして菊の花は何時から日本で大切にされるようになったのでしょうか?
以下は、https://ja.wikipedia.org/wiki/菊花紋章 からの抜粋です。
観賞用のキクは奈良時代に中国大陸より伝えられました。
文学上は、『万葉集』には詠まれておらず、『古今和歌集』、『源氏物語』などから登場します。
平安時代には、陰暦9月を菊月と呼び、9月9日を「菊の節句」とし、菊花酒を飲む「菊花の宴」があったのです。
鎌倉時代には、後鳥羽上皇がことのほか菊を好み、自らの印として愛用しました。
その後、後深草天皇、亀山天皇、宇多天皇が自らの印として継承し、慣例のうちに菊花紋が皇室の紋として定着しました。
江戸時代には幕府により葵紋とは対照的に使用は自由とされ、一般庶民にも浸透し、この紋の図案を用いた和菓子や仏具などの飾り金具が作られるなど各地に広まりました。
そして明治維新後は、富国強兵のシンボルとして菊のご紋章が広く使用されたのです。

現在の日本人は菊の花を見ても何の先入観もありません。純粋に美しい大輪の花だと楽しく鑑賞します。そして小さい可憐な菊、山辺の野菊にも心惹かれます。

実に良い時代になったものです。今日は老人の繰り言を書きました。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

薄暗い冬の日の女子修道院のシルエット写真

2018年11月22日 | 写真
東京の調布市の深大寺の近くに高く塀をめぐらせた修道院があります。「カルメル会修道院」です。
この中で、シスターたちは、きっと朝早く起きて礼拝し、掃除をしたり食事をしたりして、聖書を読んで静かな生活を送っているのでしょう。
今日は曇りの寒い晩秋の日です。「小雪」に入りました。

何故か修道院のシルエット写真を撮りたくなって先程車を走らせて行ってきました。
暗く憂鬱な写真ですが晩秋の淋しさを感じて頂けたら嬉しく思います。













カルメル会は、12世紀に出来た古い、古いカトリックの修道会です。
B修士(原典では「B」という頭文字のみが確認されています。)という修道者がパレスティナのカルメル山中に修道院を築いて暮らしたことが起源とされています。
会の名称はその山の名からとられているのです。
B修士はもともと巡礼者あるいは十字軍戦士としてパレスティナに赴き、発願して修道者となったと伝えられています。
カルメル山は旧約聖書の『列王記上』に出てくる山です。
B修士の修道院に修道士が集まって生活を始めると、会則が出来、1226年に教皇ホノリウス3世に認可されたことで正式なカトリックの修道会になったのです。
その後の歴史は、https://ja.wikipedia.org/wiki/カルメル会 をご覧下さい。
それにしても写真の「カルメル会修道院」の前に立っていると12世紀以来の悠久の歴史が感じられます。
それにしても今日は暗い晩秋の一日でした。

日本は米国と共通の価値感は持てない、特にトランプ大統領とは

2018年11月21日 | 日記・エッセイ・コラム
トランプ大統領は司法のトップの人事を掌握し、民主主義の原則である三権分立を崩壊させました。
その上、マスコミ各社を攻撃し言論の自由を奪おうとしています。
中南米からの移民希望者へ軍隊を派遣して蹴散らそうとしています。
白人を優遇しようとする差別主義者です。独裁主義者です。そのトランプ大統領をアメリカ人は選挙で選んだのです。そしてその後もアメリカの有権者はこの独裁者を支持しているのです。
戦後、日本が手本にして来たアメリカの民主主語が崩壊しつつあるのです。
アメリカの理想社会は地に落ちたのです。
こんなアメリカと日本が共通の価値感を持つことは不可能です。
しかしここで深く考えてみると日米間の文化はあまりにも違い過ぎます。
初めから共通の価値感なんて存在していなかったとも考えられます。
戦後、日本はアメリカ文明を受け入れてきましたが、アメリカ人の考え方や価値観は受け入れて来なかったと考えられます。

今日は、日本がアメリカの便利な文明は受け入れて来たが、アメリカ人の精神文化は拒絶して来た事実を書いてみようと思います。
この日米の対立はペリー提督による日米修好条約以来連綿と続いている事実で、トランプ大統領の出現で始まったものでありません。もっと根の深い問題なのです。

戦後73年、気がついてみたら日本は便利なアメリカ文明に浸かってしまっていました。
コンビニが全国の津々浦々にあります。その数、7万店舗以上になると言います。スーパーもマックやケンタやスタバのようなファーストフードの店もきめ細かく普及しています。
郊外の大型量販店もアメリカ発祥です。この狭い日本の国内旅行に飛行機を使うのもアメリカの風習です。その上、その旅客機はほとんど全てアメリカ製なのです。 こうしてキーボードを叩いているパーソナル・コンピューターもアメリカ発祥のアメリカ文明の産物です。
戦争に負けた日本がアメリカに憲法を押し付けられ民主化に従ったのは随分昔の話です。しかしその後も連綿としてアメリカ文明が押し寄せて来て日本を飲み込んでいるのです。
気がついてみると生活を便利にするアメリカのものは全て日本を占領してしまっているのです。
しかしこういう状況でもアメリカの精神文化は日本に入って来ません。拒絶されているのです。
アメリカの精神文化のなかに日本には絶対に入らないものがあるのです。
それはアメリカ人の宗教に対する考え方です。
アメリカの特徴といえば進歩しつつある科学や技術の他に「キリスト教」に対する強い信仰があることです。
日本にはアメリカの科学や技術は間髪を入れずに導入されて来ましたが、アメリカ人の80%が信じているキリスト教は日本へ全然入ってきません。
まあ、厳密に言えば日本人の3%はキリスト教を信じていますから、全然入って来ませんと言えば間違いではありますが。
アメリカ社会における人間関係にはその下敷きにキリスト教への信仰があるのです。アメリカは弱肉強食の社会で、貧富の差が大きいので人間関係は殺伐としていると日本人は誤解しがちです。
しかしアメリカに暮らしてみると助け合いの精神が溢れていて、実に暖かい人間関係があるのです。殺伐とした社会というより人間的で温かい社会なのです。
ですからアメリカ人の精神文化を万遍無く公平に理解しようとしたら彼らのキリスト教への帰依を理解しなければなりません。
勿論、アメリカにはイスラム教徒もユダヤ教徒も仏教徒も数多くいます。しかし話を簡明にするために今日はキリスト教だけを取り上げます。
それではアメリカのキリスト教はどのようなものでしょうか?
カトリック教徒も多いのですが、アメリカの特徴はいろいろなプロテスタント宗派が乱立していることです。
しかしその宗派の多くは新約聖書の福音書を大切にしている福音主義なのです。
ですからアメリカ人は以下のことを単純に信じ切っていて疑いません。
1、聖書の無謬性(旧約聖書も新約聖書も間違っていない)
2、キリストの処女降誕(キリストは処女マリア様から生まれた)
3、キリストの贖罪(キリストは全ての人間の罪の解消のために十字架につけられ死んだ)
4、体の復活(キリストも全ての死者も何時かは生き返ってくる)
5、数々の奇蹟物語(水上歩行、水を葡萄酒に変えたなど数々の奇蹟話)

さてここで皆さまにお聞きしたいのです。日本人は上にかいた5つのことを信じられますか?
まず無理でしょう。日本人の3%だけが信じているのです。
ですからこそアメリカ人の精神文化のうち、これだけが日本に導入されていないのです。彼らの精神文化の中で重要なキリスト教だけは日本人が理解しにくいのです。
よくアメリカには物質文明はあるが精神文化が無いといいます。これは大変な間違いです。
正しくは「日本人の理解出来ない精神文化がある」と言い直すべきです。
私自身はカトリックです。しかし般若心経や大悲心陀羅尼経が大好きです。キリスト教と仏教のバイリンガルのようなものです。ですからアメリカの精神文化もある程度理解出来ます。
アメリカ文化がこんなに溢れている日本ですが、絶対にアメリカから入って来ないものもあるのです。
楽観的な人は日米には共通の価値感があるとよく言います。共通の価値感があるから強固な日米安保条約があると言います。しかしこれは楽観的な理解に過ぎません。
国際間の国々の間に共通の価値感があるというのは幻想なのかも知れません。
それにしてもトランプ大統領はキリスト教の信者なのでしょうか?
以前、ローマ法王のフランシスコ教皇はトランプ大統領はキリスト教の信者ではないと言明しました。
心あるアメリカ人は困ったことでしょう。
トランプ大統領の日本への影響は、日産のゴーン会長事件の影響よりはるかに甚大なことを忘れないようにしましょう。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

今日の挿し絵代わりの写真は古刹、平林寺の紅葉の写真です。2015年12月02日に撮った写真です。
埼玉県新座市には平林寺があり、その広大な境内は紅葉の名所です。
お楽しみ頂ければ嬉しく存じます。










西川社長一派のクーデターでゴーン会長が逮捕、この事件が面白い3つの理由

2018年11月21日 | 日記・エッセイ・コラム
日産自動車のゴーン会長の逮捕がマスコミを賑わしています。
彼が豪華な自家用機で羽田に着陸した途端、特捜部の検察陣が機内に乗り込んで行って、その場で捕まえてしまったのです。テレビドラマのような急展開です。
勧善懲悪の娯楽映画のようなストーリ―を私は面白いと思っています、
しかしこの事件は軽薄な興味本位の事件でなく、その背景には東洋文化と西洋文化の衝突という現象も見え隠れしているのです。比較文化人類学的に面白い事件なのです。
などと高尚な書き方では私が何を言っているのか自分でも分りません。
そこでこの事件が何故面白いのか3つの理由を書いてみます。
(1)日本の民間会社の運営に関する規則や社内法はトップの犯罪に甘く出来ている。
(2)日本文化では内部告発は社内の和を乱すと嫌がれる。
(3)ゴーンさんへのカトリック神父の指導は全く無力だった。
上の(1)、(2)、(3)について少しだけ説明します。

(1)日本の民間会社の運営はトップの犯罪に甘く出来ている。
これに関しては趣味人倶楽部のニックネームさんのコメントを転載します。
・・・ゴーン逮捕は、欧米の厳しいルールに比べて、不正の余地のある日本の甘い内部統制や倫理規定をゴーンさんが利用したと言えます。有価証券報告書の虚偽記載と言っても、経理担当が報告書を作成し、その報告書は、監査法人、監査役の監査を受けます。全員共犯者です。きちんとした会社の規則があれば、不正は事前に排除されます。日本のいい加減なシステムが許した犯罪と言えるでしょう。
ゴーンさんの報酬は特に高いものではないでしょう。役員報酬を低くして、ストックオプションをもらっていれば、会社の負担は少なく、かつゴーンさんの収入も増えていたでしょう。ゴーンさんが、フランス、ルノーではなく、日本の日産で不正をやるというのは、いい加減な日本のシステムではやり易いと言う事があります。欧米の優れた会社のシステムを早く導入したほうがいい。形だけは導入している企業でも、実質が伴っていないですね。・・・
私は前から日本の会社の監査役は飾りの名誉職のように考えていました。ニックネームさんのコメントは非常に重要で今回の事件の真の原因を指摘しています。

(2)日本文化では内部告発は社内の和を乱すと嫌がられる。
Face Bookで浦野 明人 から頂いたコメントをご紹介します。
・・・私は内部告発は悪い事だとは思っていません。会社は法律の下に運営されております。従って法律に違反している事を表面化するのは正義です。
正直言いまして、私も幾つかの会社で不正を見てきました。しかしかっては終身雇用の時代で、かつ転職が難しい時代では、それは家族の生活を破壊する事になり出来ませんでした。又他の会社へ転職しようにも、内部告発をした事実が知られれば受け入れてくれる会社は有りませんでした。
しかし現在内部告発者に対する保護の公益通報者保護法が施行され、通報者が保護されるようになっています。
最近各社で不良品質製品販売問題がしばしば報道されていますが、多分これもかなり内部告発の結果ではないかと思います。
私は定年後、約8ケ月間、ある公的研究期間で働きましたが、余りにも予算の使い方が出鱈目なので、一文を書いて辞めました。その時中央からの天下り官僚で事務方のトップが、「まさかマスコミに漏らさないだろうな」と念を押しました。
今から思えば、国家予算を研究の名目で無駄遣いしている一例を表に出す良い機会だったと残念に思っています。後藤さんのご意見では、まずは社内の論議の様な事を仰っておられますが、論議したら不正をしている相手は、それを認めるでしょうか。間違いなく問題点を指摘した人間は追い出されます。これは企業のみならず、大学でもどこでも、組織体では同じと思います。・・・

私はこのコメントに同感です。社内の和よりおおやけの利益を守る内部告発は本当に重要です。日本には、まだまだ社内の和を重視する傾向が強いと私は感じています。

(3)ゴーンさんへのカトリック神父の指導は全く無力だった。
ゴーンさんはレバノンで生まれブラジルで育ちました。両親はブラジルとフランスのレバノン人でした。カトリック文化圏の人です。ゴーンさんもその背景でカトリックの神父さんの指導は受けたのです。
彼の自叙伝にはどのように良い影響を受けたか誇らしげに書いてあるそうです。しかしゴーンさんはそれを全く忘れてしまったのです。宗教は無力でした。
キリスト教を信じていることになっている欧米人が悪い行いをすると日本人はキリスト教が悪いと誤解します。しかし今回は日本人はキリスト教が悪いとは考えません。悪いのはゴーンさん個人のようですね。

この事件の面白い理由はもう一つあります。

ゴーンさんはフランスのルノー社の会長もしています。その会長は馘になるかもしれませんが、フランス政府はルノー社へ15%の出資をしているのです。当然、フランス政府はルノーと提携している日産自動車と三菱自動車をルノーの傘下に引き入れようとします。
マクロン大統領は今後の3社の動きを注意深く見まもるという声明を発表しました。
マクロン大統領はフランスの利益を守ろうとするのは当然です。
今後、フランス政府はどのように干渉するのでしょうか?
興味深い問題なのです。

今日の挿し絵代わりの写真は皇帝ダリアの写真です。
毎年、11月中旬になると小金井公園の皇帝ダリヤが大きな花弁を広げて満開になります。
南米原産の豪華な雰囲気を持ったダリアの一群です。背丈が5mくらいで花の直径も25cm位の 南米大陸の原野に咲くダリアの一種です。
これが咲くと、ああ、今年の華やかな花々も全て終ったと、しばし過ぎ去った花々を思い出します。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)





人間、このようになると邯鄲の夢も店仕舞いです

2018年11月19日 | 日記・エッセイ・コラム
人間は高齢になると次第に体力が無くなります。 短かった邯鄲の夢も間もなく店仕舞いです。
今日はそんな私の最近の精神の変化を簡明にご説明したいと思います。
そこでまず上高地の風景写真をご覧下さい。何度も家内と一緒に行って撮って来た写真です。はるか上高地はもう体力が衰え行けなくなった場所です。









上高地は神々しい別世界です。険しい山々をバスで根気よく登り、最後の長いトンネルを抜けると、いきなり眼前に穂高の連峰が広がり、梓川と大正池が夢幻のような盆地を作っているのです。
そこへの楽しかった旅の思い出がよくよみがえって来ます。
そうです、老境の人間は過去の楽しかった思い出を食べて生きているのです。思い出が心の支えなのです。
そして何も考えずに淡々と無我の境地に遊んでいるのです。
このように書くと私は立派な達観の境地にいるように見えます。

しかしそれは大きな嘘です。「邯鄲の夢も店仕舞いです」と恰好の良いことを書いていますが、私はこの世に執着し、しがみついているのです。

それが証拠には私は毎日、新聞を丁寧に見ます。テレビのニュースも熱心に見ます。そして悪い奴を推定して憎みます。少しでもこの世が良くなるようにと、毎日ブログに意見を書きます。自分では社会へ警鐘を鳴らしているつもりなのです。笑止千万ですね。
今日の一大ニュースは日産のゴーン会長の逮捕です。
罪状はゴーンさんが会長をしている日産のお金を私的に使い込んだという疑いです。
私は「ハハーン、これはゴーンさんの独裁制を嫌った日本人の内部告発で検察が動いた!」と判断しました。
案の定です。日産の西川弘人社長一派が日本の検察と司法取引をして捜査に協力する代わりに、自分達の刑事責任を軽くして貰う約束を検察当局にして貰ったのです。

つまり日本人経営者が外国人経営陣を検察の力も借りて日本から追い出そうとした一民間会社の内紛劇なのです。
この事件の悪い奴は誰でしょぅか?
結論はこの事件に極悪人はいないという事です。事件の原因は会長の独裁を許さない日本の企業文化と、会長の独裁を許す欧米の企業文化の衝突なのです。
ゴーンさんの愚かさは、日本の企業文化と日本人の心を理解出来なかったことです。異文化に対する思慮が足りなかったのです。日本の法律では執行猶予つきの軽い実刑判決になるかもしれません。異文化に対する思慮が足りないだけだったので極悪人ではありません。
一方、西川弘人社長一派の日本の検察との司法取引は尊敬出来ません。日産の取締役会でゴーンさんをさとし、それでも駄目なら堂々と論破して追い出せば良いのです。
議論で負けたら西川弘人社長一派は討ち死すべきなのです。それなのに検察の力を借りようとするのは武士道に反します。西川弘人社長一派は卑怯ですが極悪人ではありません。

こういう事件に非常に興味を持つ私はまだまだ達観の境地ではありません。困ったものです。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

カトリック小金井教会の今日のミサの風景写真

2018年11月18日 | 日記・エッセイ・コラム
今日は日曜日の主日のミサが10時から11時までありました。
司式はイエズス会の竹内修一神父さまがなさり、福音書の朗読は加藤 豊主任司祭さまがながなさって下さいました。
今日のミサの光景の写真をお送りいたします。

1番目の写真は福音書の朗読は加藤 豊主任司祭さまです。今日の朗読は「マルコによる福音」の13章の24節から32節まででした。

2番目の写真は説教をしているイエズス会の竹内修一神父さまです。竹内神父の説教はいつも知的で、しかも分かり易いのです。

3番目の写真は10月17日のミサの写真で、加藤 豊主任司祭さまが祈っている場面です。

4番目の写真は10月17日のミサの写真で、加藤 豊主任司祭さまがパンと葡萄酒はイエスの体と血に変化するように祈っている場面です。

5番目の写真はイエスの体に変化したパン片を信者へ配っている場面です。

今日は何故、私が カトリック小金井教会の今日のミサの風景写真をご紹介するのかの理由を説明します。

その理由は、ミサは信者だけの秘密の儀式ではなく、一般に広く公開された儀式だということを知って頂きたいためであす。
信者でなくても誰でも自由に気軽に見学出来るのです。
勿論無料です。ミサの間に献金袋が回って来ますが、何も入れないで隣の人に回せば良いのです。気が向いたら100円位入れても良いのです。
カトリック教会の場所と日曜日のミサの時間は検索すると簡単に出て来ます。
教会に行ったら入り口の受付の人に「見学に来ました」と言って下さい。するとその日のミサの「聖書と典礼」と聖歌集と「お知らせ」をくれます。あとは自由に好きな席に座って見学すれば良いのです。聖歌を一緒に歌うと楽しくなります。
西洋の文化を深く理解するためにはミサの見学が重要だと思います。
カトリック教会の場所と日曜日のミサの時間は検索する手順を示します。
もし仮に貴方が札幌にお住まいなら、まず北海道のカトリック教会一覧を検索します。
札幌の貴方の家の近くの教会を見つけ、そのHPを検索します。
するとミサの時間と地図が分かります。
是非一度ためしに カトリック教会のミサをご覧になっては如何でしょうか?