後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

フォトアルバム「中古ヨットの見分け方写真集」へ6枚の写真を追加しました

2008年08月31日 | 写真

フォトアルバム「中古ヨットの見分け方の写真集」へ6枚の写真を追加しました。

写真の題目や説明欄に、「中古ヨットの買い方」の16編の説明文の総目次が、ブログ本文に作ってあることを明記しました。 16の説明文とフォトアルバム中の68枚の写真の連携をはかったのですが、あまり整合性が良くありません。今後、手直しが必要と思います。「中古ヨットの買い方」の16編の改定版を順次出して行く予定です。  (終わり)


フォトアルバム「中古ヨットの見分け方写真集」に関連する16編の説明文の総目次

2008年08月31日 | うんちく・小ネタ

このブログは昨年11月に始めました。もう10ケ月、約300日になります。その間、ブログ本文へのアクセス数は42000以上になりました。それとは別に、フォトアルバム「中古ヨットの見分け方写真集」へのアクセス数は25000以上あります。

中古ヨットの購入の可能性をお考えの方々が多いのか、現在でもアクセス数が減らずに毎日80件くらいあります。

ところが「中古ヨットの買い方」の説明文は(1)から(16)として16編が、このブログ本文に有りますが、他の文章に紛れて見つけ難い状態になってきました。

フォトアルバム「中古ヨットの見分け方写真集」を検索して見て下さる方々が、それに関連する説明文の「中古ヨットの買い方」(1)から(16)を簡単に開けられるように、此処に発表年月日と題目の目次を掲載いたします。

ご関心の文章は発表年月日から、左サイドバーのバックナンバーの月別分類から容易に見つけることが出来ます。

======説明文;「中古ヨットの買い方」(1)から(16)の目次=======

(1)2007年11・20:中古クルーザーヨットの値段と買い方(1) @まず安い係留地を探そう!

(2)2007・11・21:中古クルーザーヨットの買い方(2)中古艇の探し方と注意事項

(3)2007・11・24:中古クルーザーヨットの買い方(3)船外機にするか船内エンジンにするか?

(3‘)中古クルーザーヨットの買い方(3)続き、舟と船の違い

(4)2007・11・29:中古クルーザーヨットの買い方(4)2級船舶操縦士免許のとり方

(5)2007・12・6:中古クルーザーヨットの買い方(5)船舶検査証の所有者移転

中古クルーザーヨットの買い方(6)クルーザーの年間係留料金

(7)2007・12・9:中古クルーザーの買い方(7)別世界の人々との距離感!

(8)2007・12・10:中古クルーザーヨットの買い方(8)現役の方は専門業者より買う方が良い

(9)中古クルーザーヨットの買い方(9)中古艇の陸送の仕方

(10)中古クルーザーヨットの買い方(10)ヨットの部品の名称を10ケ覚えよう!

(11)2007・12・17:中古クルーザーヨットの買い方(11)外側の部品もチェック!

中古クルーザーヨットの買い方(12)ー中古ヨットの見分け方のフォトアルバムを参照しながら、@ヨットを買った後の使い方をまず考える

(12‘)2008・1・3:中古クルーザーヨットの買い方(12)ー中古ヨットの見分け方のフォトアルバムを参照しながら、(続き)

(13)2008・1・12:中古クル-ザーヨットの買い方(13)外洋航海用のヨットはプロのコンサルタントへ依頼しよう

(14)2008・3・19:中古ヨットの買い方(14)セイリングを楽しむために買う

中古ヨットの買い方(15)-ディンギーの経験をしてから買う

(16)2008・3・24:中古ヨットの買い方(16)ランニング・ステイ付きのものを探す

(終わり)


善光さんが建てた善光寺、そして三つの善光寺の関係

2008年08月31日 | うんちく・小ネタ

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今から1400年ほど前、現在の飯田市郊外(信州麻績の里)に本多善光(よしみつ)さんという人が住んでいた。

ある時、善光さんが都へ帰る国司について行った。ところが難波の堀の中から一光三尊の像を見つけて、それを拾い上げ、持ち帰った。

自宅の臼の上に像を祀り、拝んでいたところ、台座の臼が光り輝いた。それで座光寺(善光寺)を作ったという(推古天皇10年)。

それから41年ほどして皇極天皇元年に勅命によりご本尊を長野へ移し、現在の長野、善光寺が出来た。

移転した善光寺のあとには以前のご本尊と同じ形の木像をつくり、座光寺を存続させた。そのような経緯から、座光寺は元善光寺とも呼ばれるようになった。長野へ引っ越したご本尊は毎月15日には飯田の元善光寺へ帰り、麻績の里人を守ると信じられている。

簡略に言えば、善光さんが偶然、難波の堀から拾ってきた仏像で座光寺を作った。人々はその寺を善光さんが作ったので善光寺と呼んだ。ところが41年後、勅命によって善光寺は長野へ引越ししてしまった。残った寺には以前と同じ形の木像を祀り、元善光寺と呼ぶようになった。(現在はその付近の地名を座光寺という)

さて甲府市にも立派な本堂を誇る善光寺がある。この三つ目の善光寺は長野の善光寺が出来てから、約800年位後に武田信玄が長野を攻略、占領したときに権力を用いて善光寺をご本尊とともに甲府に持ってきたものである。しかし、武田家の滅亡後、ご本尊や数々の寺宝は長野の善光寺へ返された。

甲府の善光寺誕生の経緯はあまり自慢に出来ないようなことではあったが、甲州の人々の仏様を信仰する篤い気持ちによって甲府の善光寺も立派に存続しています。三つの寺とも善光さんの木像が安置されていますが、珍しく思ったのはどれにも夫人の像が同じ大きさで並べられていることです。

三つの善光寺を廻り終わって、色々な感慨を持ちます。その一つは素朴な信仰心の美しさが三つの善光寺を支えてきたということです。善光寺は仏教のどの宗派にも属せず、人々の信仰だけで存続してきたのです。(終わり)


外国体験のいろいろ(62)環境汚染の情報は心と心の交流で集めるのが鉄則

2008年08月30日 | 旅行記

         @心と心の交流で集める環境情報

米国環境省の「液晶パネル製造中の環境汚染調査」をテネシー大学のアリス・ソコラッテイ教授が担当した。来日し全国の工場を10ケ所訪問した。1998年のことである。

ソコラッテイ教授は35歳位の小柄な女性。ケンという男性の助手が同行して来た。

訪問する10の企業へは既に筆者が何度も電話をした上で、完璧なアンケート調査をし、報告書をテネシー大学へ送った心算であった。調査を完了したと思っていた筆者にとっては不本意である。

「ソコラッテイ先生、これ以上の情報は企業秘密なので訪問しても無駄ですよ。観光旅行でもされたら如何でしょうか?」

先生は微笑んで「環境情報は現場に行って集めるのが原則です。10ケ所へは予定通り行きたいのです。その代わりご忠告に従い1泊2日の観光旅行へ行きますので何処でも良いですから設定してください」

妥協はするが譲歩はしない。「日本でよく言う「足で情報集める」ことですね?」

「足ではありません。心と心の交流で情報を集めるのです」

「よく分かりませんが、契約通り10ケ所へ同行します。それと観光は十和田湖にしては如何ですか?」

「良いですよ。ケンと2人分の予約を御願いします。」

そんな会話の後に奈良県、滋賀県、石川県、長野県などに散在する液晶製造現場を3人で訪ねた。

訪問先での会合は工場内の会議室にするようにと彼女が頼む。忙しい現場の技術者でも気軽に参加できるという配慮である。それぞれの工場の会議室には10人位の液晶製造現場の担当者が集まっていた。

            @工場現場での情報収集の様子

日本側はソコラッテイ教授へ、「まずご講演をして下さい」と頼む。それが遠路、テネシー大学から訪問する学者への儀礼である。

ソコラッテイ教授は前に進み出て、柔和な笑顔になる。少し間をおいて参加者一人一人の顔を見る。ーー生産現場は忙しい筈なのによく来てくれましたーーという感謝の気持ちが表情にアリアリと見える。

「皆様の作る液晶パネルは軽くて薄いので素晴らしいです。アメリカのテレビやコンピューターには日本製の液晶パネルが使われています。アメリカでは製造出来ないのです」

ソコラッテイ教授が続ける、

「日本の工場が環境保護に大変努力しているのは十分知っています。でも液晶パネルはまったく新しい工業製品です。現代の科学では予想もつかない隠れた環境汚染が起き、皆様の健康を知らず知らずのうちに損なっていたら大変です。

そこで今日は皆様と一緒に環境汚染の可能性を相談したくて参りました。企業秘密も含めて今日の話に出たことを報告書へ記述する場合は必ず皆様の許可を頂きます。勿論、守秘義務契約書は同行した藤山さんを通して届けてあります」

そして、ソコラッテイ教授が同行者のケンの仕事を温かく紹介する。会議室の中がなごやかになり何でも気安く相談出来る雰囲気になる。

ソコラッテイ先生が良い雰囲気を作りながら鋭い質問をする。企業秘密スレスレである。雰囲気が悪くなると、夫や子供の話をユーモア交じりで紹介する。

いつの間にか、日本側は企業秘密など気にしなくなり、何でも話してしまう。その上、断って来た工場見学までさせてくれる。同行したケンの紳士的な態度や善良そうな表情が双方の信頼感を一層強める。心と心の交流で情報を集める。

書面のアンケート調査では集めにくい、文書化しにくい情報を丹念に集める。

          

        @情報収集のプロとは?

10ケ所の工場の調査の後、帰りの新幹線の中で聞いた、

「先生の情報を引き出すテクニックは凄いですね!何時もこいう方法で情報を集めるのですか?」

「藤山さんは、テクニックと言いますが、これは心の持ち方の問題です。環境情報は科学では解明できない未知の現象を取り扱うので、どうしても相手との深い交流が必要なのです。アメリカの工場へ行っても今回と同じような話し合いをしますよ」

3ケ月後、彼女からアメリカ環境省へ提出する報告書の原稿が、訪問した10ケ

所の工場へ届いた。電話で確認したところ、どこの工場からも訂正の要求が出なかった。

ある工場長が独り言のように言ったことが忘れられない、「あの会議では、企業秘密もつい喋ってしまったが、そういう部分は見事にはずしてある。あの人はプロだった!」

相手の信頼を得る。これが情報収集のプロと素人の境目と知る。(終わり)


街の真ん中にリンゴ畑のある風景

2008年08月29日 | 写真

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飯田市の中心に「リンゴ並木通り」という幅の広い道があり、リンゴの樹が植えてある。大粒のリンゴが重そうに枝をたわめている。街の真ん中にリンゴ畑を作り、公園にしようという発想を持った人々に感心した。

朝日を浴びると、大粒のリンゴが活き活きと輝くに違いないと想像できる。

気分が良いので近辺の街路を意味も無く散策する。そして既報の、うなぎ料理「なる瀬」を見つける。リンゴの樹のお陰で美味しいうなぎ料理を食することになった。飯田市とはそんなのんびりした街です。(終わり)

撮影日時:8月25日午後5時頃,撮影者:Mrs.藤山


風に舞うディンギー達

2008年08月28日 | 写真

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小型ヨットはディンギーと呼ばれています。これほど繊細につくられた舟は有りません。もっぱらレース用に使われています。

風に対して登るか、追風を受けて下るか、2つの走法しかありませんが、その中間のいろいろな角度でも、最高の速度が出るように設計されています。そして横流れを防ぐためにセンターボードを船底から水中へ出します。追い風のときはこのボードを引揚げてスピードを出します。

風上に登るときは2枚の帆でジグザグに走ります。

風下におりるときは風船のように見える丸い帆を舟の前に上げて3枚の帆を用いて全速で走ります。レースは数百メートル離れたところに標識のブイを浮かべ、三角形のコースで競います。

ヨットを楽しむ人々はディンギーから始めますが、初心者はすぐ転覆して、それを自力で起こして、またヨタヨタ走ります。

少し上手になればレースをします。上の写真はどこかの大学のヨット部が2艇で、三角コースのレースの練習をしている風景です。

自分もこんな風景の経験を江ノ島や葉山でしたことを思い出しながら写真を撮りました。

(終わり)撮影日時:8月23日午後3時頃、撮影場所:霞ヶ浦、土浦港沖


芥川賞受賞小説、楊逸さんの「時が滲む朝」をお勧めする

2008年08月27日 | 本と雑誌

兎に角、読みやすく明解な文章。ストーリーがダイナミックに展開し、読み出したら本を置いて一休みも出来ないくらい面白い。小説を一気に読むなどということは絶えて久しかった。今月号の文藝春秋に掲載しているので、是非ご一読をお勧めしたい。

1981年、鄧小平が政権を取り、改革開放のうねりの中で自由と民主化運動に身を投じた大学生、梁浩遠の孤独と挫折の物語である。1989年の天安門広場へ装甲車を送り込んだ鄧小平の「弾圧政策」で大学を追われる。中国から日本へ逃げ、そこで幸せそうな家庭を持つ。でも、心は学生地代の民主化運動から離れない。仲間達は器用に変身しながら上手に人生を渡って行く。しかし梁浩遠にはそんな賢さは持っていない。一見幸福そうな日本での生活のなかでの挫折感が読者の心へ切々と伝わる。

その間に中国の政治も社会もどんどん変わって行く。独り梁浩遠の気持ちだけを置き去りにして。

これは紛れもない本格的な小説だ。人間や人生が描かれている。社会の変化と、不器用な個人の関係を悲劇的に描いている。政治というものを考えさせる。中国と日本の社会の明暗をさらりと間接的に描いている。思わず目頭が熱くなる山場をあちらこちらに配している構成の絶妙さに感心する。最後は一応明るい結末にはなっているが「一体、梁浩遠は幸多い人生をおくれるのか?」。余韻豊かな小説である。

中国文がそこここに翻訳無しで散在して読み難いが、気にしないで飛ばし読みするのが良い。ご一読の価値があると信じてここに心からお勧めいたします。(終わり)


素晴らしい人々を見つけました

2008年08月27日 | 日記・エッセイ・コラム

毎度つまらない話ですが。年のせいか善い人に会うとひどく嬉しくなります。ブログを書いている若者にも感動することが多いです。

2、3日前に飯田市の奥の阿智村の山林の中で、子供のためのキャンプ生活体験を企画・運営している人と、数人の現場のリーダーに会いました。参加する孫を送って行ったときに。

親から別れて山のなかで数日暮らしている数十人の子供たちの笑い声のなかで少し言葉を交わしただけです。羽場睦美氏という運営責任者から、そして現場のリーダー達からも、子供たちを大切にし、誇りに思う気持ちが響くように伝わってきます。

いろいろな団体が同じような事業をしていますが、これは最も質の良い事業のように思いました。

28年間も続いているそうです。孫も小学4年から今年、6年まで毎年参加しています。7泊8日、親、家族とは電話禁止でテントに寝て自然の生活の楽しさを体験するそうです。帰ってきて一回りたくましく成長した様子が伺えます。

小学生をお子さんにお持ちの親の為に、この情報をおくります。今年のサマーキャンプは終わりましたが、ホームページや電話でお調べになさって下さい。夏以外の季節にもいろいろな体験事業を実行しています。

URLは;http://www.oerf.org/ で、電話は0265-25-8535です。

それと羽場睦美さんのことはインターネットで検索すると紹介記事があります。是非ご覧下さい。やっぱりそうだったのか。羽場さんの命がけの事業なのだ!、と納得します。最後に現場の風景写真を2枚添えておきます。(終わり)

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懐かしい雲立ち上る夏の空

2008年08月26日 | 写真

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皆様へ、

2泊3日の旅へ出ていました。

秋雨の本栖湖、精進湖、西湖の写真を撮ってきました。河口湖のホテル登り坂に泊まり、2日めは伊那谷を南下して阿智村まで用足しに行き、飯田市のホテルに泊まりました。青空の見える曇りで、涼しい秋風が吹いていました。今日は朝に長野市の善光寺の前身の元善光寺の写真をとって帰りました。長野県は晴れ、甲府も晴れ、しかし笹子トンネルをくぐると一変し、雨になりました。東京に帰ると寒いくらいの雨がシトシト降っています。ああ、夏空が懐かしいなあ、と思いこの写真を掲載しました。

8月5日に美ケ原高原美術館の造形をシルエットにして夏空に立ちのぼる白い雲の様子です。こんな風景も来年の夏までお別れです。一昨日と昨日は記事を掲載しませんでした。それにも関わらずこのブログをご覧頂いた方々へ、御礼を申し上げたくて一筆啓上いたしました。敬具、藤山杜人


見るたびに気持ちが混乱する船です

2008年08月24日 | 写真

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この船はヨットとモーターボートの両方を合体した船です。見るたびに気持ちが混乱します。「ああ、欲しいなあ!こんな船を持っていたら楽しいだろうな」

無風だったり、強風すぎて帆を上げられない日はモーターボートとして湖上を巡航して楽しめます。風が適度に吹いているときは帆を上げてセイリングを楽しめます。こんな楽しそうな構造の船は、江ノ島、逗子、葉山、佐島、油壷などのマリーナでは見たことがありません。霞ヶ浦だけで20年ほど前から見ています。しかし、見るたびに考え込んでしまいます。こんな中途半端な構造では帆走もエンジン機走もうまく走ることが出来ないのではないか?

いやモーターボートとしては構造上 問題は有りません。

しかし、この船が湖上に出ているところを何年も見てきましたが、何時も前帆と主帆を精いっぱい上げて帆走しています。でも船体が太くて、重そうで如何にも走り難そうです。そのくせ、モーターボートのようにエンジンで快走している様子は一度も見たことが有りません。そうです。帆走のほうが圧倒的に面白いのです。

騒々しいエンジンをかけて静かな湖を走り回ることほど愚かなことはないと思っているのかも知れません。そんならこのような船を欲しいと思う自分は愚かなのでしょう。でも欲しいような気もします。こんな気持ちの混乱を味わいながら、一昨日もこの船をシゲシゲ眺めてきました。つまらない話でご免なさい(終わり)


霞ヶ浦、伝統の帆引き漁

2008年08月23日 | 写真

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幅の広い大きな網を船の横に入れ、船の長さいっぱいの巨大な白帆で網をゆっくり引いて行きます。数キロメートルも引いて行きます。ワカサギを取っていますが、10月になると透明な白魚をとります。霞ヶ浦に江戸時代からあった伝統的な漁法だそうです。東風の吹く日は毎日毎日、大きな白帆が沖に見えます。

ワカサギは佃煮にします。沖宿でも売っていますが、土浦駅ビル地下食品売り場の小魚佃煮専門店でも売っています。

白魚の生の刺身は蓮田の中の「うなぎの山中」(電話0298-28-0804)で食べることが出来ます。川海老の天麩羅や釜揚げもあります。うなぎは焼きの濃い昔風の蒲焼です。撮影日時:8月22日午後2時頃 (終わり)