後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「ムサシノキスゲ唯一の自生地の写真」

2022年09月30日 | 写真

ムサシノキスゲ唯一の自生地の写真をお送りいたします。

キスゲは咲いている場所で少しだけ違いがあるので、ニッコウキスゲ、ムサシノキスゲなどど呼ばれます。

近所の浅間山はムサシノキスゲの唯一の自生地として有名な所です。毎年5月になると沢山咲いています。

キスゲはカンゾウとも言われ、野にあれば野カンゾウ、佐渡島にあればトビシマカンゾウと言いますが。皆ほとんど同じ植物です。

そしてカンゾウは万葉時代には「忘れ草」と呼ばれ、その葉を身に付けていると、辛い事や悲しい事を忘れる事が出来ると信じられていました。

それはそれとして自分で撮った近所の浅間山のムサシノキスゲの写真をお送り致します。


「長野県の霧ヶ峰に咲くニッコウキスゲ」

2022年09月30日 | 写真
長野県の霧ヶ峰に咲くニッコウキスゲの写真をお送りいたします。


写真の出典は、「霧ヶ峰に咲くニッコウキスゲの花の写真」を検索して、インターネットの写真から綺麗な写真を選びました。


「日光の戦場ヶ原に咲くニッコウキスゲの花」

2022年09月30日 | 写真
奥日光の戦場ヶ原に咲くニッコウキスゲの花の写真をお送り致します。

写真の出典は、「戦場ヶ原に咲くニッコウキスゲの花の写真」を検索して、インターネットの写真から綺麗な写真を選びました。


「日本の絶景を巡る(1)奥日光の竜頭の滝、戦場ヶ原の草紅葉」

2022年09月30日 | 日記・エッセイ・コラム

日本には風景の良い場所が沢山あります。自分で訪れて息を呑み言葉が出ないほど感動した所も数多くあります。

今日から私が感動した場所を「日本の絶景を巡る」という連載記事としてご紹介したいと思います。

非常に感動したのは奥日光の竜頭の滝です。滝と言っても斜めの急斜面の岩肌を泡立って流れ落ちているの急流です。その横に立つと飛沫がかかり轟音が身を包みます。こんな滝を間近かに見ることの出来る場所は他にありません。

竜頭の滝の上に広がる戦場ヶ原の草紅葉にも感銘を受けます。

それでは日光の中禅寺湖、竜頭の滝、戦場ヶ原などや奥日光の金精峠の近くの丸沼の紅葉の風景を順序にしたがってご紹介したいと思います。
皆様のお住まいの近くの紅葉の名所を想い浮かべながらお楽しみ下さい。

1番目の写真は中禅寺湖の「半月山展望台」から見た男体山と中禅寺湖です。
紅葉の八丁出島と秋深まる男体山の風景が静まりかえっています。
中禅寺湖とは湖畔の立木観音を本尊にした中善寺という古いお寺があるのでそういう名前の湖になったのです。どっしりとした本堂があります。
写真の出典は、https://www.pixpot.net/articles/u_d_view/364/hangetsuyama-nikko です。

2番目の写真は300mある竜頭の滝の一番下の部分の紅葉です。竜頭の滝はこの上、300mにあります。ここから中禅寺湖に水が流れ落ちています。滝の下の龍頭乃茶屋から撮った写真です。写真の出典は、https://imatabi.jp/theme/16452 です。


3番目の写真は竜頭の滝の感動的な景観です。多量の水が勢い良く流れ下っている光景は圧巻です。滝の一番下の龍頭乃茶屋から一番上の橋まで300mほどこのような急流が続いていて、その傍を歩いて行きます。
写真の出典は、https://www.360navi.com/13tochigi/03chuzenji/03ryuzu/ です。

4番目の写真は戦場ヶ原の草紅葉の写真です。ここは広い湿原で水源になり湯の滝、湯ノ湖、竜頭の滝と流れ中禅寺湖へと流れ込みます。
なお戦場ヶ原は関東で最も綺麗に星空が見られる場所として有名です。写真の出典は、https://matome.naver.jp/odai/2144242184146337601/2144248810399454803 です。

5番目の写真は戦場ヶ原の奥の金精峠の下にある群馬県片品村の丸沼です。ロマンチックな風景美で多くの人に愛されている沼です。私は丸沼が好きです。亡くなってしまった友人の鈴木さんが丸沼を私に教えてくれました。それ以来何度も丸沼の回りを巡り歩いた思い出があります。
写真の出典は、https://www.jalan.net/kankou/cit_104430000/page_2/ です。

6番目の写真は観光客に公開されている元イタリア大使館の別荘です。現在は栃木県が所有しています。場所は立木観音の中禅寺の先にあります。室内も昔のままで訪れると優雅な気分になります。
写真の出典は、https://minkara.carview.co.jp/userid/396979/spot/406301/ です。

7番目の写真は金谷ホテルです。このホテルは現存する最古のリゾートホテルで国の登録有形文化財です。写真の出典は、https://www.smbc-card.com/mem/hitotoki/watch/kanaya_hotel.jsp です。

3度ほど泊りましたがサービスの質が高いのに驚きました。箱根の宮の下の富士屋ホテルと同じ雰囲気です。
雅楽の「笙」の奏者であった金谷善一郎がアメリカ人のヘボンを自宅に招き入れたのがホテルの始まりでした。
ヘボンは医師でありヘボン式ローマ字の考案者としても知られています。明治4年のことでした。


さて今日は日光の紅葉をご紹介しました。なお華厳の滝やいろは坂の紅葉も美しいのですが割愛しました。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。後藤和弘(藤山杜人)


「日本人と仏教の簡略な説明」

2022年09月29日 | 日記・エッセイ・コラム
佛教はインドのお釈迦の教です。そして日本はよく仏教国と言われています。そんな訳で欧米諸国に行くとよく、「仏教とはどのような教えなのですか?」と聞かれます。この質問には困りました。はじめの頃は私には説明のしようが無かったのです。しかし何度も聞かれているうちに簡単な答え方を考え出したのです。
今日は仏教の簡略な説明方法をご紹介したいと思います。日本人の信じている仏教の説明です。それにはお釈迦様が弟子のシャーリプトラ(舎利子)へ向かって話したことを簡単に説明するのです。その話をまとめた「般若心経」の中の2つくらいの言葉を説明するのです。
「色即是空、空即是色」と「受・想・行・識亦復如是」という句です。
前者はこの世のことはすべて空しいという意味です。空しいからこの世なのですという意味です。
後者は全ての精神活動も、また同じく、実体は「空」ですという意味です。
そうすると欧米のキリスト教国の人は「この世のことに執着しないで天の神様やイエス様のことを愛せ」という教えと似ていますと言います。この理解も少し違うのですが、その辺で会話を終りにします。深入りしないことが簡略な説明の鉄則です。
それはさておき私自身は「般若心経」が大好きです。とても短い上にお釈迦様の教えの全てが詰まっているのです。
その上、「般若心経」を読むと幼少の頃の楽しい思い出がよみがえって来るのです。幸せな気分になります。
祖父が兵庫県の山里のお寺の正林寺の住職をしていました。毎年、夏になると一家でそこへ帰省しました。祖父母が歓迎しますから楽しい夏の思い出が残ります。その折、毎日のように祖父と一緒に本堂で唱えたのがこの「般若心経」というお経でした。

このお経は玄奘三蔵法師がインドから持って来て、唐の長安の大慈恩寺で漢文に翻訳したものです。そして大雅塔に全てのお経を大切に保管したのです。余談ながら私は1982年にこの大雅塔に登りました。倖せな時間が流れました。
それはさておき、玄奘三蔵法師が翻訳した漢文の「般若心経」を示します。

摩訶般若波羅蜜多心経
観自在菩薩行深般若波羅蜜多時、照見五蘊皆空、度一切苦厄。舎利子。色不異空、空不異色、色即是空、空即是色。受・想・行・識亦復如是。舎利子。是諸法空相、不生不滅、不垢不浄、不増不減。是故空中、無色、無受・想・行・識、無眼・耳・鼻・舌・身・意、無色・声・香・味・触・法。無眼界、乃至、無意識界。無無明、亦無無明尽、乃至、無老死、亦無老死尽。無苦・集・滅・道。無智亦無得。以無所得故、菩提薩埵、依般若波羅蜜多故、心無罣礙、無罣礙故、無有恐怖、遠離一切顛倒夢想、究竟涅槃。三世諸仏、依般若波羅蜜多故、得阿耨多羅三藐三菩提。故知、般若波羅蜜多、是大神咒、是大明咒、是無上咒、是無等等咒、能除一切苦、真実不虚。故説、般若波羅蜜多咒。即説咒曰、羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦菩提薩婆訶。般若心経
(般若心経は、「大般若経」という600巻の経典(約300万文字)の内容を、わずか276文字に凝縮したものです)

この漢文の意味は次のようになります。
http://structure.cande.iwate-u.ac.jp/religion/hannya.htm

摩訶 般若 波羅蜜多 心経(まか はんにゃ はらみった しんぎょう)
偉大なる"悟りを開く智慧"の真髄

※摩訶=偉大なる
※般若=智慧
※波羅蜜多=悟りを開く、彼岸に至る
※心経=真髄

観自在菩薩 行深 般若 波羅蜜多 時、(かんじさいぼさつ ぎょうじん はんにゃ はらみった じ、)
観音様(かんのんさま)は、悟りを開くための修行を究められて、

※観自在菩薩=観音様。悟りを開いた明慧自在(みょうえじざい)の仏さま

照見 五蘊 皆空、(しょうけん ごうん かいくう、)
五蘊(形あるものと精神活動のすべて)は「空(くう)」であることを悟られ、

※五蘊=色(形あるもの)・受・想・行・識(精神活動)

度 一切 苦厄。(ど いっさい くやく。)
一切の苦しみから逃れられる道を示されました。

舎利子。色 不異 空、空 不異 色、色 即是 空、空 即是 色。(しゃりし。しき ふい くう、くう ふい しき。しき そくぜ くう、くう そくぜ しき)。
舎利子よ。形あるものはすべて「空」であり、「空」が形あるものの真の姿です。

※舎利子=お釈迦様の十大弟子のひとり(般若心経は、彼への呼び掛け)
※A不異B=AはBと異ならない
※A即是B=AはBである

受・想・行・識 亦復如是。(じゅ・そう・ぎょう・しき やくぶにょぜ。)
精神活動も、また同じ(く、実体は「空」)です。

※受=心が感受すること
※想=思いをめぐらすこと
※行=意志を持つこと
※識=認識・識別すること

舎利子。是 諸法 空相、不生不滅、不垢不浄、不増不減。(しゃりし。ぜ しょほう くうそう、ふしょうふめつ、ふくふじょう、ふぞうふげん。)
舎利子よ。この世にあるすべてのものの実体は「空」です。
生じることもなく滅することもなく、
汚れもせず清らかにもならず、
増えることもなく減ることもありません。

是故空中、無 色、無 受・想・行・識、(ぜこくうちゅう、む しき、む じゅ・そう・ぎょう・しき、)
故に、「空」が実体のこの世には、形あるものも、精神活動もありません。

無 眼・耳・鼻・舌・身・意、無 色・声・香・味・触・法。(む げん・に・び・ぜっ・しん・に。む しき・しょう・こう・み・そく・ほう。)
目も耳も鼻も舌も身体も精神もなく、(目から見える)形も(耳から聞こえる)声も(鼻で感じる)香りも(舌で感じる)味も(身体が感じる)触感も(精神が)感じ取ることもありません。

無 眼界、乃至、無 意識界。(む げんかい、ないし、む いしきかい。)
目に見える世界も、目に見えない意識の世界もありません。

無 無明、亦 無 無明 尽、乃至、無 老死、亦 無 老死 尽。(む むみょう、やく む むみょう じん、ないし、む ろうし、やく む ろうし じん。)
この世に無明はなく、無明が尽きることはありません
また、老死もなく、老死が尽きることもありません。

※無明=悟りを開いていないこと

無 苦・集・滅・道。無 智 亦 無 得。(む く・しゅう・めつ・どう。む ち やく む とく。)
苦しみも、苦しみの原因も、苦しみがなくなることも、苦しみをなくす道もありません。
また、教えを知ることもなく、悟りを得ることもありません。

以 無所得 故、菩提薩埵、依 般若 波羅蜜多 故、(い むしょとく こ、ぼだいさった、え はんにゃ はらみった こ、)
よって何も得ることがないため、菩薩(ぼさつ)さまは悟りを開いたが故に、

心 無罣礙、無罣礙 故、無有恐怖、遠離一切 顛倒夢想、究竟涅槃。(し んむけいげ、むけいげ こ、むうくふ、おんりいっさい てんとうむそう、くぎょうねはん。)
心に障りがなく、心に障りがないから、恐怖を感じず、一切の迷いから離れて、安らぎの極致へと到りました。

三世 諸仏、依 般若 波羅蜜多 故、得 阿耨多羅 三藐 三菩提。(さんぜ しょぶつ、え はんにゃ はらみった こ、とく あのくたら さんみゃく さんぼだい。)
三世の仏さまも、このような智慧によって、完全なる悟りを開かれました。

※三世=過去・現在・未来
※阿耨多羅三藐三菩提=サンスクリット語の「アヌッタラ・サムヤック・サンボーディ」を漢字で表したもの。完全な悟りを開いた状態

故知、般若 波羅蜜多、是 大神 咒、是 大明 咒、是 無上 咒、是 無等等 咒、能除 一切苦、真実不虚。(こち、はんにゃ はらみった、ぜ だいじん しゅ、ぜ だいみょう しゅ、ぜ むじょう しゅ、ぜ むとうどう しゅ、のうじょ いっさいく、しんじつふこ。)
故に、悟りを開く智慧は、霊力のある咒文であり、明らかなる咒文であり、この上ない咒文であり、他に並ぶものがない咒文であり、一切の苦しみを取り除き、真実にして虚しいところがありません。

故説、般若 波羅蜜多 咒。即 説咒 曰、羯諦 羯諦 波羅 羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶。般若心経
悟りを開く智慧の咒文を説きましょう。その咒文いわく、「行こう、行こう、悟りの世界へ行こう。みんなで一緒に悟りの世界へ行きましょう。」以上が、"悟りを開く智慧"の真髄です。

※羯諦 ~ 菩提薩婆訶=「ガテー、ガテー、パーラガテー、パーラサンガテー、ボーディ、スヴァーハーガテー、ガテー、パーラガテー、パーラサンガテー、ボーディ、スヴァーハーガテー、ガテー、パーラガテー、パーラサンガテー、ボーディ、スヴァーハー」を漢字で表したもの。

このお経は日本人の文化の基調になりました。そして日本人の信じている仏教の説明です。南方の上座部仏教でも日本、朝鮮、中国の大乗仏教でも一番大切にされているお釈迦さまの教えなのです。
今日は日本人の信じている仏教を簡略に説明しました。日本人の文化の底にある般若心経の意味を詳しく説いたしました。

今日の挿し絵がわりの一番はじめの写真はインドのブッタガヤのマハーボディ寺院の菩提樹の下で祈るインドの僧侶や巡礼者です。2番目以降は順に、タイの涅槃仏、長安の大慈恩寺の大雅塔の写真、東大寺の写真、その夜景の写真です。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

「北海道ガーデン街道の花園の写真」、続き

2022年09月28日 | 写真

「北海道ガーデン街道の花園の写真」の続きの写真をお送りいたします。

北海道ガーデン街道とは美しい8つのガーデンが集中している街道です。大雪~富良野~十勝を結ぶ全長約250kmの街道です。

写真は「北海道ガーデン街道の花園の写真」を検索して、インターネットの写真から綺麗な写真を選びました。


「安倍元首相の国葬で感銘を受けた3つのこと」

2022年09月28日 | 日記・エッセイ・コラム

日本の人々は昨日の安倍元首相の国葬の様子をテレビでご覧になったと思います。それぞれ感想をお持ちになったと存じます。私も種々考えさせれました。安倍元首相は多くの意味で偉かったと思いました。

今日は私が安倍元首相の国葬で感銘を受けた3つのことを書きます。

(1)非常に多数の一般庶民による献花の行列

安倍元首相の国葬の時、千代田区に設けられた一般向けの献花台に朝から人々が訪れ午後1時の段階で1万人以上になり、その行列が夜まで続いたのです。九段坂公園で献花を終えた人は夜まで数万人になりました。列が途切れないので関係者は献花台を撤去しました。

安倍さんは庶民に本当に一般庶民に愛されていたのです。私は感銘を受けました。

(2)外国から要人が陸続と弔問のため来日

 安倍晋三元首相の国葬へは210以上の国と地域、国際機関から700人程の人が弔問のため来日しました。国内外合わせた4300人以上の人が国葬に参列したのです。安倍さんの国際的な幅広い活躍の証左です。安倍さんは外国人にも深く信頼されていたのです。私は感銘を受けました。

(3)菅義偉前総理の心のこもった、せつせつとした弔辞

安倍元総理の国葬で、菅義偉前総理が友人代表として弔辞を述べました。その心のこもった、せつせつとした弔辞に私は感銘を受けました。

全文は「菅義偉前総理の弔辞」を検索すると出てきます。以下はその抜粋です。

『七月の、八日でした。

信じられない一報を耳にし、とにかく一命をとりとめてほしい。あなたにお目にかかりたい、同じ空間で、同じ空気を共にしたい。

その一心で、現地に向かい、そして、あなたならではの、あたたかな、ほほえみに、最後の一瞬、接することができました。

あの、運命の日から、八十日が経ってしまいました。

あれからも、朝は来て、日は、暮れていきます。やかましかったセミは、いつのまにか鳴りをひそめ、高い空には、秋の雲がたなびくようになりました。

季節は、歩みを進めます。あなたという人がいないのに、時は過ぎる。無情にも過ぎていくことに、私は、いまだに、許せないものを覚えます。

・・・

総理、あなたは一度、持病が悪くなって、総理の座をしりぞきました。そのことを負い目に思って、二度目の自民党総裁選 出馬を、ずいぶんと迷っておられました。

最後には、二人で、銀座の焼鳥屋に行き、私は、一生懸命、あなたを口説きました。それが、使命だと思ったからです。

三時間後には、ようやく、首をタテに振ってくれた。私はこのことを、菅義偉 生涯最大の達成として、いつまでも、誇らしく思うであろうと思います。

・・・

衆議院 第一議員会館、千二百十二号室の、あなたの机には、読みかけの本が一冊、ありました。岡 義武 著『山県有朋』です。

ここまで読んだ、という、最後のページは、端を折ってありました。そしてそのページには、マーカーペンで、線を引いたところがありました。

しるしをつけた箇所にあったのは、いみじくも、山県有朋が、長年の盟友、伊藤博文に先立たれ、故人を偲んで詠んだ歌でありました。

総理、いま、この歌くらい、私自身の思いをよく詠んだ一首はありません。

かたりあひて 尽し丶人は 先立ちぬ 今より後の 世をいかにせむ

かたりあひて 尽し丶人は 先立ちぬ 今より後の 世をいかにせむ


深い哀しみと、寂しさを覚えます。総理、本当に、ありがとうございました。

どうか安らかに、お休みください。

令和四年九月二十七日 前 内閣総理大臣、友人代表 菅義偉』

それにしても菅義偉さんも人情の篤い方です。傑出した官房長官でした。私は感銘を受けました。

添付の写真の始めの2枚は一般人の献花の様子です。3枚目の写真は外国から来日した要人たちの例です。

今日は私が安倍元首相の国葬で感銘を受けた3つのことを書きました。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)


「北海道ガーデン街道の花園の写真」

2022年09月27日 | 写真
北海道ガーデン街道とは美しい8つのガーデンが集中している街道です。
大雪~富良野~十勝を結ぶ全長約250kmの街道です。
そのガーデン街道の花園の写真をお送りいたします。
 
 
 

「不思議な魅力があるサボテンの花の写真」

2022年09月27日 | 写真
サボテンの花の写真をお送りいたします。

サボテンの花には不思議な魅力があります。何故か私は好きです。そこで今日もサボテンの花の写真をお送りいたします。

写真は「サボテンの花の写真」を検索して、インターネットの写真から綺麗な写真を選びました。

 


「富士山、蔵王山、甲斐駒岳、秋山郷の紅葉風景」

2022年09月27日 | 写真

仕事を辞めた老境の良いことは自由な時間がゆったりあることです。四季折々あちこちへ旅が楽しめます。秋の紅葉の季節も旅しました。

今日は旅をした富士山5合目、蔵王山、甲斐駒岳、秋山郷、湯西川温泉の紅葉風景の写真をお送りいたします。旅では私が車を運転し身軽な妻が車を下りて写真を撮ります。それでは富士山の5合目の写真から始めます。

1番目の写真は富士山の5合目から見上げた頂上です。下の河口湖から5合目まではスバルラインという自動車道があるので四季折々何度も来ました。懐かしい5合目です。

2番目の写真は5合目にナナカマドの紅葉です。車を駐車して散策で出来る高原公園がります。見下ろすと河口湖や山中湖の見える眺望絶佳の場所です。

3番目の写真は蔵王山の頂上にあるお釜の紅葉です。郷里の仙台に近い山なので何度も登った山です。終わり頃は頂上まで自動車道が完成して車で登れました。リフトもあります。

4番目の写真は蔵王山の山形側の中腹にあるドッコ沼です。この畔に宿泊出来る小屋があったのでよく泊りました。特に冬1週間くらい滞在しスキーをしました。スキーをした地蔵岳や懺悔坂が懐かしいです。

5番目の写真は山梨県の甲斐駒岳の頂上付近の紅葉です。この麓に自分の小屋がありました。甲斐駒岳に登りましたが近くの八ヶ岳、観音岳、地蔵岳、薬師岳にも友人や家族と登りました。

6番目の写真は秋山郷蛇淵の滝の紅葉風景です。鈴木牧之の「北越雪譜」で有名な奥深い山里です。「北越雪譜」に誘われてはるばる行きました。秋山郷では米も麦も出来ないので、あわ、ひえを主食にしている貧しい山奥です。

7番目の写真は日光の奥の湯西川温泉の紅葉です。湯西川温泉には平家の落人が住みついていました。落人が住んでいた家や使っていた家具や食器が展示してありました。その後源氏の追撃が厳しくなり平家の落人は仙台の山奥の定義温泉まで逃げて行きます。

今日は曾遊の地、富士山5合目、蔵王山、甲斐駒岳、秋山郷、湯西川温泉の紅葉風景の写真をお送りいたしました。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)


「タウバー河の畔、紅葉のローテンブルグ」

2022年09月26日 | 写真
タウバー河の畔、紅葉のローテンブルグの写真です。
茫々、50年前、紅葉の季節に数か月住んでいた懐かしいローテンブルグの写真です。