日本の人々は昨日の安倍元首相の国葬の様子をテレビでご覧になったと思います。それぞれ感想をお持ちになったと存じます。私も種々考えさせれました。安倍元首相は多くの意味で偉かったと思いました。
今日は私が安倍元首相の国葬で感銘を受けた3つのことを書きます。
(1)非常に多数の一般庶民による献花の行列
安倍元首相の国葬の時、千代田区に設けられた一般向けの献花台に朝から人々が訪れ午後1時の段階で1万人以上になり、その行列が夜まで続いたのです。九段坂公園で献花を終えた人は夜まで数万人になりました。列が途切れないので関係者は献花台を撤去しました。
安倍さんは庶民に本当に一般庶民に愛されていたのです。私は感銘を受けました。
(2)外国から要人が陸続と弔問のため来日
安倍晋三元首相の国葬へは210以上の国と地域、国際機関から700人程の人が弔問のため来日しました。国内外合わせた4300人以上の人が国葬に参列したのです。安倍さんの国際的な幅広い活躍の証左です。安倍さんは外国人にも深く信頼されていたのです。私は感銘を受けました。
(3)菅義偉前総理の心のこもった、せつせつとした弔辞
安倍元総理の国葬で、菅義偉前総理が友人代表として弔辞を述べました。その心のこもった、せつせつとした弔辞に私は感銘を受けました。
全文は「菅義偉前総理の弔辞」を検索すると出てきます。以下はその抜粋です。
『七月の、八日でした。
信じられない一報を耳にし、とにかく一命をとりとめてほしい。あなたにお目にかかりたい、同じ空間で、同じ空気を共にしたい。
その一心で、現地に向かい、そして、あなたならではの、あたたかな、ほほえみに、最後の一瞬、接することができました。
あの、運命の日から、八十日が経ってしまいました。
あれからも、朝は来て、日は、暮れていきます。やかましかったセミは、いつのまにか鳴りをひそめ、高い空には、秋の雲がたなびくようになりました。
季節は、歩みを進めます。あなたという人がいないのに、時は過ぎる。無情にも過ぎていくことに、私は、いまだに、許せないものを覚えます。
・・・
総理、あなたは一度、持病が悪くなって、総理の座をしりぞきました。そのことを負い目に思って、二度目の自民党総裁選 出馬を、ずいぶんと迷っておられました。
最後には、二人で、銀座の焼鳥屋に行き、私は、一生懸命、あなたを口説きました。それが、使命だと思ったからです。
三時間後には、ようやく、首をタテに振ってくれた。私はこのことを、菅義偉 生涯最大の達成として、いつまでも、誇らしく思うであろうと思います。
・・・
衆議院 第一議員会館、千二百十二号室の、あなたの机には、読みかけの本が一冊、ありました。岡 義武 著『山県有朋』です。
ここまで読んだ、という、最後のページは、端を折ってありました。そしてそのページには、マーカーペンで、線を引いたところがありました。
しるしをつけた箇所にあったのは、いみじくも、山県有朋が、長年の盟友、伊藤博文に先立たれ、故人を偲んで詠んだ歌でありました。
総理、いま、この歌くらい、私自身の思いをよく詠んだ一首はありません。
かたりあひて 尽し丶人は 先立ちぬ 今より後の 世をいかにせむ
かたりあひて 尽し丶人は 先立ちぬ 今より後の 世をいかにせむ
深い哀しみと、寂しさを覚えます。総理、本当に、ありがとうございました。
どうか安らかに、お休みください。
令和四年九月二十七日 前 内閣総理大臣、友人代表 菅義偉』
それにしても菅義偉さんも人情の篤い方です。傑出した官房長官でした。私は感銘を受けました。
添付の写真の始めの2枚は一般人の献花の様子です。3枚目の写真は外国から来日した要人たちの例です。
今日は私が安倍元首相の国葬で感銘を受けた3つのことを書きました。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)