




今日はそんな小さな花々の写真をお送り致します。そして花々にまつわる思い出を少しばかり書き添えたいと思います。花々は皆様よくご存知のクロッカス、フキノトウ、フクジュソウ、ミズババショウ、カタクリの花です。


















後藤和弘(藤山杜人)





今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)




大震災の起きた2011年3月11日から14年が経過しました。時が経過するに従って、被災地以外の人々は大震災を忘れがちになって来ました。
プロ野球も大相撲も何時ものように賑わっています。マスコミでも、大震災関連の報道が少なくなって来ました。
しかし大津波に襲われた町の復興には少なくとも10年、いや15年はかかると思います。大災害の復興は一朝一夕で出来るものではありません。
その思いを新たにする為に、大津波で破壊された町の写真を掲載いたします。

昨年の元日には能登半島地震でも大きな被害が生じました。日本のどこでも大地震は起こり得る。津波が来ない海岸はない。それを肝に銘じ、次の試練に備えなくてはならないという思いを新たにします。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り致します。後藤和弘



それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山壮人)




今日は懐かしい特急つばめと東海道本線の旅の思い出を書きたいと思います。昭和16年から戦後にかけての思い出です。
昭和11年に生まれた私は毎年夏になると特急つばめに乗って兵庫県の田舎ある父の実家へ行ってました。父の実家は曹洞宗のお寺です。父母と兄弟3人で1週間ほど泊まりました。
当時住んでいた仙台から上野までは蒸気機関車だったので煤煙でシャツが真っ黒になったものです。
それが東京駅で「つばめ号」に乗り換えると煤煙がなく素晴らしいのです。窓を思いきり開けて涼風が楽しめるのです。
新幹線の開通の後あの懐かしい「つばめ号」は消えて無くなりました。
しかしインターネットには写真が残ってい.ます。その「つばめ号」の写真を示します。
超特急「燕」は東京~大阪間568kmを、それ以前の特急「富士」に比して2時間半近く短縮する,8時間20分(表定速度68.2km/h)で走破し、「超特急」と称されました。(戦前の「燕」は漢字表記で,戦後の「つばめ」はひらがな表記)
「つばめ」の食堂車は「みかど」が営業を請け負い,洋食を提供しました。食堂の予約は,横浜を出ると車内改札があり,その後,ボーイが昼の定食の注文を取りに来ました。定食は1コース40分のフルコースで,3回転でした。一等客から予約をとっていくので,三等客はなかなか希望どおりにはならなかったそうです。
ちなみに,開業日の定食メニューは,スープ,伊勢エビのゼリーかけ,牛肉の松茸ソース,七面鳥の蒸焼き温野菜添え,果物,珈琲で〆て一圓三十銭でした。
さて大阪の梅田に着くと今度は阪急電鉄に乗り換えます、更に能勢電鉄に乗り換えて父の実家へ着くのです。
東海道本線ではあちこちで途中下車して観光しました。熱海の温泉街や名古屋城。そして伊勢神宮や熱田神宮などに懐かしい思い出があります。
今日は私の「昭和の思い出」として特急つばめと東海道本線の思い出をお送り致します。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)










お彼岸とは日本独自の仏教的な7日間の祭日です。今年の2025年の春分の日は3月20日(木・祝) ですから春のお彼岸は3月17日(月)から3月23日(日)までの7日間です。
お彼岸の墓参りは春分の日が良いといいます。私は彼岸に家内の家の墓参りに毎年行きました。家内がお墓を掃除して花々を供えます。私はロウソクに火を灯し線香の束に火を移す作業をします。線香を供え手を合わせて拝みます。そしてその日は、ぼた餅を買ってきて食べます。
お彼岸というとぼた餅やオハギにまつわる楽しい思い出をお持ちの方も多いと思います。特に戦前、戦後に育った方はぼた餅やオハギの夢のような甘美な味を憶えていると思います。当時は甘いお菓子が少なくて春と秋のお彼岸に祖母や母が作ってくれたぼた餅やオハギが一段と美味しく感じられたのです。
さて、ぼた餅とオハギは同じものです。春の彼岸に食べるのがぼた餅(牡丹餅)で秋に食べるものがオハギ(お萩)と呼ぶのです。
地方によって違うかも知れませんが、一般的にぼた餅は小豆のこし餡で秋のオハギはつぶし餡です。その写真を示します。
1番目の写真はオハギとぼた餅です。写真の左奥はつぶし餡のオハギで、右手前がこし餡のぼた餅です。
お彼岸にぼた餅やオハギを食べる風習は砂糖の普及する江戸時代中期以後になってから始まったと言われています。
そして春のぼた餅と秋のオハギは季節の変わり目を意味する暮らしの歳時記として定着しました。
そして俳句の世界では、単に「(お)彼岸」「入彼岸」「彼岸過」「彼岸会」「お中日」と言えば春の季語となり、「秋彼岸」「後の彼岸」となると秋の季語となるそうです。
さてここで「入彼岸」や「お中日」という言葉が出ましたのでその意味を考えてみましょう。
今年の春のお彼岸の中日は3月20日です。その3日前を彼岸の入りと言い、3日後を彼岸のあけと言います。彼岸の間は7日間になります。
彼岸とはあの世の極楽浄土を意味していて、この世の煩悩の世界を此岸と呼ぶのです。
風景写真を例にして示しと以下のようになります。
2番目の写真は伊豆半島の伊東付近の海岸道路から撮った大島の写真です。手前の伊豆半島が此岸で海の向こうの大島が彼岸です。もう一枚の写真を示します。
3番目の写真は相模湾の茫洋とした海です。彼岸ははっきり見えません。
このように実例を示すと涅槃の境地である彼岸が簡単に行ける場所のように感じられます。しかしそれは大きな誤解です。人間はそんなに簡単に悟りの境地になることが出来ません。
死んで涅槃の境地にいたることは簡単ではないのです。ですから彼岸は目には見えない遥か海の向こうにあるのです。
さて彼岸と仏教の関係はサンスクリットのpāram(パーラム)の意訳から来ていると言われています。(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BD%BC%E5%B2%B8 )
仏教用語の「波羅蜜」(Pāramitā パーラミター)の意訳「至彼岸」に由来するのです。
Pāramitāをpāram(彼岸に)+ita(到った)、つまり、「彼岸」という場所に至ることと解釈しているそうです。悟りに至るために越えるべき迷いや煩悩を川に例え、その向こう岸に涅槃があるというのです。
こんな由来があるのでお彼岸の7日間にはいろいろな佛事があります。その仏事のことを彼岸会の法要と言います。その一つとしてお墓詣りがあるのです。
彼岸会法要は日本独自のものであり、現在では彼岸の仏事は浄土思想に結びつけて説明される場合が多いようでです。
浄土思想で信じられている極楽浄土(阿弥陀如来が治める浄土の一種)は西方の遙か彼方にあると考えられています。お彼岸の時にはそこにいるお先祖様のことを想いお墓に参って冥福を祈るのです。
そして信心深い僧はお彼岸のあいだに六波羅蜜の六つの修行をします。
この六つの修行とは、布施、持戒、忍辱、精進、禅定、智慧の六つのことです。
例えば、忍辱とは、如何なる辱めを受けても、堪え忍ぶことが出来れば、苦痛の多い現代社会において、自らが他の存在に生かされていることがわかり、全ての人の心を我が心とする仏様の慈悲に通じることとなります。(http://www.rokuhara.or.jp/rokuharamitsu/ )
まあ、こんな面倒なことを知らなくてもお彼岸は家族のことを想う日本特有の楽しい行事です。
昔は家でぼた餅を作ってワイワイと食べたものです。最近は菓子店やスーパーから買って来て食べます。春のお彼岸ももうすぐです。大いに頑張ってぼた餅を食べましょう。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)




