後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「忘れられない昭和という激動の時代」

2024年01月31日 | 日記・エッセイ・コラム
老人は思い出の中に生きております。思い出は次第に美化され楽しいものになります。老境が華やかになるのです。
今日は私が生きた昭和という時代を写真で示そうと思います。昭和11年に仙台に生まれた私の記憶に残る光景の写真です。満州建国があり真珠湾攻撃があり、そして敗戦です。激動の時代でした。
1番目の写真は満鉄の「あじあ号」の写真です。大連と哈爾賓の間の950Kmの鉄道を走る「あじあ号」が幼少時に見た絵本にありました。
1932年(昭和7年)2月初め頃には、関東軍は満洲全土をほぼ占領し、3月1日、満洲国の建国が宣言されました。 
2番目の写真は昭和16年12月8日の真珠湾攻撃の光景です。ラジオが軍艦マーチを勇ましく放送していました。
3番目の写真は昭和20年7月のB29による空襲の様子です。これで全国の都市が焼かれたのです。当時、向山という高台に住んでいた私は仙台を空襲するB29の編隊を無邪気に眺めていました。

4番目の写真は焼け野原になってしまった仙台の街です。空襲の翌日、見に行きました。それは7月12日でした。
5番目の写真は敗戦後の日本を統治していたマッカーサー司令官と昭和天皇です。マッカーサー司令官の統治は昭和20年から26年までで、その後日本は独立国になったのです。
6番目の写真は進駐軍兵士との混血児を収容したエリザベス・サンダース・ホームの門です。混血児を育てたのは沢田美喜の愛でした。沢田美喜は2000人に及ぶ恵まれない子供たちに深い愛情を注いだのです。この写真は数年前に私が撮りました。 
7番目の写真は1960年、昭和35年に私が留学したアメリカのオハイオ州立大学です。Ph・Dを頂きました。
8番目の写真は昭和39年に開通した東海道新幹線です。

9番目の写真は1964年、昭和39年に開催された東京オリンピックで金メダルを取った日貿貝塚の女子バレーのチームです。

最後に昭和時代の主な出来事の一覧を掲載しておきます。
(1)昭和の戦前期
1927年(昭和2年) 昭和金融恐慌、東方会議、山東出兵、南京事件。
1928年(昭和3年)済南事件、張作霖爆殺事件。
1929年(昭和4年) 世界恐慌。
1930年(昭和5年) ロンドン海軍軍縮会議、濱口首相遭難事件。
1931年(昭和6年) 柳条湖事件、満州事変。
1932年(昭和7年) 血盟団事件、五・一五事件、第一次上海事変、満州国建国。
1933年(昭和8年) 国際連盟脱退、滝川事件。

1936年(昭和11年) 二・二六事件、西安事件、阿部定事件。
1937年(昭和12年) 盧溝橋事件、第二次上海事変(日中戦争(支那事変)始まる)。
1938年(昭和13年) 張鼓峰事件。国家総動員法。
1939年(昭和14年) 第二次世界大戦開戦、ノモンハン事件。
1940年(昭和15年) 日独伊三国軍事同盟、日華基本条約締結。
1941年(昭和16年) ゾルゲ事件、大政翼賛会、日ソ中立条約締結、真珠湾攻撃。

12月8日 南方作戦発動、太平洋戦争(大東亜戦争)始まる。
1942年(昭和17年) ドーリットル空襲、ミッドウェー海戦、ガダルカナル島の戦い。
1943年(昭和18年) アッツ島の戦い、学徒出陣、同盟国イタリアが連合国に降伏。
1945年(昭和20年) 硫黄島の戦い、沖縄戦、占守島の戦い、国際連合設置、九州大学生体解剖事件。
3月10日 東京大空襲。
3月26日 沖縄戦。
5月 同盟国ドイツが連合国に降伏。

7月 ポツダム宣言。
8月6日 広島市への原子爆弾投下。
8月8日 ソ連対日参戦。
8月9日 長崎市への原子爆弾投下。

8月10日 ポツダム宣言受諾の決定。
8月15日 玉音放送。
9月2日 降伏文書調印。

(2)昭和の戦後期
戦後のアメリカなどによる占領期、1945年(昭和20年) - 1952年(昭和27年)
1946年(昭和21年) - 1950年(昭和25年) 農地改革
1946年(昭和21年) 伊豆諸島返還。日本国憲法公布(1947年(昭和22年)5月施行)、人間宣言、昭和南海地震。
1951年(昭和26年) サンフランシスコ講和条約・(旧)日米安全保障条約締結。
1952年(昭和27年) 主権回復。トカラ列島返還。

1954年(昭和29年)自衛隊発足。第五福竜丸事件。
1956年(昭和31年)日ソ共同宣言発効、国際連合に加盟。
1960年(昭和35年) (新)日米安全保障条約発効、安保反対闘争、日米新安全保障条約、カラーテレビ放送開始。
1964年(昭和39年) 第二水俣病発生、東京オリンピック開催。
1965年(昭和40年)日韓基本条約締結。

1968年(昭和43年)東名高速道路開業、小笠原諸島返還。
1970年(昭和45年) 日本万国博覧会(大阪万博)開催。よど号ハイジャック事件。
1972年(昭和47年) 札幌オリンピック、あさま山荘事件、沖縄返還、日本国政府と中華人民共和国政府の共同声明調印。

1976年(昭和51年)ロッキード事件
1978年(昭和53年)成田空港開港、日本国と中華人民共和国との間の平和友好条約締結。
1987年(昭和62年)国鉄分割民営化によりJRグループが発足。
1988年(昭和63年)リクルート事件。
1989年(昭和64年)昭和天皇崩御、皇太子明仁親王が天皇に践祚。平成に改元。

以上は以下の資料をもとに抜粋し整理したものです。
「日本史の出来事」、
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%8F%B2%E3%81%AE%E5%87%BA%E6%9D%A5%E4%BA%8B

戦前の昭和11年に生まれ昭和33年に大学を卒業した私にとっては上の出来事はよく新聞でも読み鮮明に覚えております。そして戦前、戦後の食糧難の苦しい経験と相まって昭和の出来事は忘れることが出来ません。

皆様は昭和という時代をどのようにお考えでしょうか?

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)

「キリスト教と関係の無い浅草サンバカーニバルの写真」

2024年01月30日 | 写真
毎年夏になると、浅草や各地でサンバカーニバルがあります。キリスト教と関係の無い日本独特のお祭りです。その写真をお送り致します。写真はインターネットからお借りしました。 

「今日のカトリック関口教会の年間第4主日のミサの風景」

2024年01月28日 | 写真
今日のカトリック関口教会の年間第4主日のミサの風景の寫眞をお送り致します。
カトリック関口教会の年間第4主日のミサのインターネットからの映像に従ってお祈りのことばを言ったり信仰宣言をして自宅であずかりました。聖歌も歌いました。



「常夏の八丈島の花々の写真」

2024年01月27日 | 写真
常夏の八丈島のフリージアの花やブーゲンビリアの花などの写真をお楽しみ下さい。昔、冬に八丈島に行きましたら花々が豊かに咲いていました。そこは常夏の島なのです。
毎年、八丈島フリージア祭りを行います。今年の2024年は、3/23(土)~ 4/7(日)です。 この期間中にはフリージア畑に入って香り高い花を摘むことも出来るのです。
フリージア祭りの詳細は、https://www.freesiafesta.com/ をご覧下さい。
1番目の写真は三原山の眼に広がるフリージア畑の写真です。   
出典は、www.hachijo.gr.jp/blogs/第52回八丈島フリージアまつり%E3%80%80325日%EF%BD%9E48日/ です。
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2番目の写真は八丈島の花畑です。
3番目の写真は八丈島の冬でも咲いている花です。2009年1月28日から4日にわたって八丈島へ独り旅をした時に撮りました。
4番目の写真は摘んだ花束です。出典は、https://www.freesiafesta.com/ です。
5番目の写真は八丈島のストレチア(極楽鳥花)です。出典は、https://www.freesiafesta.com/ です。
八丈島で感動したことは大きな島全体が熱帯性の植物で覆われていて、さながら天然の植物園のように見えることでした。
一度冬にお出かけになると感動なさると思います。

「老境を楽しく生きる方法」

2024年01月26日 | 日記・エッセイ・コラム
人間は老境に到ると元気が無くなります。体が硬くなって若い時のように活発に動けません。自然の摂理です。
しかし心や精神は若い時のように活き活きとして生活することが出来ます。
今日は老境を楽しく生きる方法をご紹介致します。
私が心がけている4つの方法です。読み易いように(1)、(2)、(3)、(4)と別けて書きます。

(1)熱帯の花々や植物を見て情熱を貰う
活き活きとして生活する第一の方法はいろいろな所にある温室を訪れて熱帯の植物を見ることです。
温室の中ではこんな寒い冬でも花々が咲き、実をみのらせ、緑濃い葉が茂っています。それらを見ると人は自然に情熱を感じ、その情熱が自分の体に乗り移ってきます。熱帯の花々写真を2枚示します。
2枚の写真は独立行政法人筑波実験植物園の温室にて2010年1月に撮影しました。
熱帯の植物を見ると情熱を感じるのは個人的な体験に関係しているのかも知れません。
まだ中年で元気の良いころに赤道直下のシンガポールに行ってイギリス人が遺して去っていった熱帯植物園を訪問したのです。
シンガポールは赤道にあるので四季が無く一年中気温32度です。夜になっても30度です。植物園には大きな熱帯の花々が咲き、空を覆う巨大な樹木が繁っていたのです。そして聞いたことのない声で熱帯の鳥が鳴いているのです。それは圧倒的な光景でした。そして熱帯の情熱を感じたのです。その情熱が体の中に沁み込んだのです。
それ以来、私は日本でも各地の温室を訪ねては植物から情熱を貰っています。
そのシンガポールの植物園の光景は心に焼き付いて、温室の植物を見るたびに思い出し興奮するのです。そしてものの見方が情熱的なるのです。
私はこのように老境でも情熱的に過ごしています。

(2)外国のことに好奇心を燃やし続ける
情熱的に生きるとはどういう生き方なのでしょうか?
それは毎日、すべてに対して疑問を感じ、何事にも好奇心を持って活き活きと考える生活を送ることだと思います。しかし考える問題は文化的に意義があり、また社会的に新しい考え方を示唆出来るような問題を取上げたいものです。
ここで重要なことは外国のことを善意で考え建設的に思うことです。意地の悪い好奇心ははいけません。
外国と言えば欧米、アフリカ、南米、アジアの国々まで多数あります。
しかしここでは韓国を一つの例にして考えてみます。最近の私のブログに書いた韓国に関する記事を列挙します。
「韓国理解のために(1)まず朝鮮の歴史を知る」、2021年01月04日
「韓国理解のために(2)韓国の世界遺産をご紹介します」、2021年01月05日
「韓国理解のために(3)驚異的な韓国の熱烈な宗教信仰」、2021年01月07日
「韓国理解のために(4)豊かな朝鮮民族の文学作品」、2021年01月12日
「韓国理解のために(5)韓国の美少女、おたあジュリアの話」、2021年01月13日
「韓国理解のために(6)卓越した磁器焼成と美しい白磁」、2021年01月15日
「韓国理解のために(7)韓国は1919年の上海の亡命政府から始まる」、2021年01月16日
「韓国理解のために(8)恩を絶対に忘れなかったある韓国人」、2021年01月18日
以上のように韓国のことを善意で考え建設的に描くと自分が活き活きとなるのです。これは韓国に限ったことではありません。中国、アジア諸国、いや全ての国々のことを善意で考え建設的に思うと私は情熱的になるのです。
しかし皆様はどんな国にも悪いところがあるのだから悪いところを書かないのは客観的でないと言うでしょう。公平でないとお考えでしょう。それは分かります。しかし私は外国の悪いことは書きません。それが私にとって元気になる方法なのです。

(3)日本の四季の移ろいと自然の花々を大切に思う
上記で第一の方法として温室の中に繁茂する熱帯の樹木や花から情熱を貰うことを書きました。
しかしそれだけでは充分ではありません。日本の四季の微妙なうつろいや季節ごとに自然に咲く花の静かな美しさを見ることも大切なのです。そして日本の自然から情熱を学び取るのです。
私は関東地方の花々のある山野や公園を何度も、何度も見て来ました。幸い去年までまでは免許があり、自宅から半径200Km位で日帰り出来る範囲は何度も行きました。
例えば「府中郷土の森博物館公園」で、真冬に毎年一番早く咲き出す蝋梅(ロウバイ)の満開の様子を何度もしげしげと眺めて来ました。そこは1月に毎年行く所です。甘く清らかな香りが一帯に漂っています。そしてロウバイの花園の向う側には多摩川の光る川面が見えるのです。それではそのロウバイの花の写真を2枚示します。

そして私は花々だけではなく武蔵野の雑木林が大好きです。何故か雑木林の風景を眺めると情熱的になるのです。日本の四季折々の自然の風景をみて活き活きしています。

(4)神道や仏教やキリスト教のことを考え元気になります
日本には古来から民族宗教として神道がありました。西暦6世紀にインドの大乗仏教が中国から入って来ました。そして西暦1549年にザビエルによってキリスト教が伝承されます。
仏教と神道は混淆され明治維新までは仏教と神道は一体として人々に信仰されていたのです。現在でも神社とお寺は並んで存在している風景は珍しくありません。それらは同じものとして一体化されていたのです。
一方キリスト教は250年の禁教時代がありました。九州の外海地方のキリシタンは表面上、寺の檀家となって暮らしていたのです。
少し深く考えると潜伏キリシタンが厳しい禁教の下で250年も生き残ったのは神道信者や仏教徒の目に見えない保護や支援があったからなのでしょう。幕府の権力者を恐れない農漁民の崇高な勇気が250年の潜伏キリシタンの歴史を作ったのです。
そんなことを考えると勇気が湧いてきます。活き活きと生きていけるのです。

今日は老境でも活き活きと情熱的に生きる4つの方法を具体的に書いてみました。皆様はどんどんな方法をとっていらっしゃいますか?

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

「私の趣味は花の写真を撮り、皆様へお送りすること」

2024年01月25日 | 写真
決して上手な写真ではありませんが、花の写真を撮るのが私の趣味です。花を眺め、写真を撮っている間が楽しいのです。花を植え、育てた人の優しさを想い、幸せな気分になります。
家に帰り、撮って来た写真をほんの少し修正します。色彩は変えません。明るさだけを修正することがあります。端に余計なものが写っている場合は少しトリミングをします。
それから皆様へお送りするのです。
花の写真を撮った場所へ行きたい方々のためにその場所の全体の風景写真も1枚つけます。
場所の名前を明記して、検索すればHPから交通の便が分かるようにいたします。

私が四季折々おとずれる花園は大体決まっています。
都立小金井公園、都立武蔵野公園、三鷹市花と緑の広場、都立神代植物公園、都立薬草植物園、府中市郷土の森博物館公園などです。検索するとHPがあります。
それぞれの場所には季節ごとに特有の花々が咲いています。すべて頭の中に記憶しています。

こんなに花が好きになったのは活け花をしていた妻の影響です。花の名前を教えてくれます。花の特徴や咲く季節などを教えてくれます。それと老境にいたると花と遊ぶ時間がふんだんにあります。
植物や花に関心が向くようになります。人間が枯れてくると植物の気持ちが分かるようになるのです。
下らない講釈は止めます。
三鷹市花と緑の広場で以前に撮って来た花の写真をお送りします。まだ今年は咲いていませんが夏の花園の風景をお送り致します。

今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人) 

「これ日本語?津軽弁を聞く」

2024年01月25日 | 日記・エッセイ・コラム
これ日本語ですか?
次の津軽弁を聞いて理解できますか?
https://www.youtube.com/watch?v=DMzhJzw8tzk

寫眞は弘前城です。出典は、
https://www.photo-ac.com/main/search?q=%E5%BC%98%E5%89%8D%E5%9F%8E&srt=dlrank&qt=&p=1&pt=A です。


「父が使っていた懐かしい関西弁」

2024年01月25日 | 日記・エッセイ・コラム
父は兵庫県の田舎のお寺の出身でした。仙台の東北大学を卒業して同じ大学で一生働きました。仙台に住んでいましたが家では関西弁でした。
そこで父が使っていた懐かしい関西弁をご紹介したいと思います。

様々な方言のなかでも「関西弁」は、耳にする機会が多い方言の代表格といえるでしょう。関西弁はテレビのお笑い番組などでもよく登場し、おもしろくて親しみが感じられる方言です。
しかし一口に関西弁といっても、関西エリアの大阪・京都・神戸などの各地で、単語や語尾、アクセントなどが違う場合があります。よく使う関西弁を中心に、例文もあわせてご紹介します。

日常会話で使う関西弁

【あかん】(akan)
標準語の「ダメ」「よくない」などの意味で使われます。
使用例 「そんなことしたらあかんやん」(そんなことをしてはいけないよ)、「なんであかんの?」(どうしてダメなの?)、「この店あかんわ」(この店はよくないね)

【ええ】(ee)
標準語の「いい」「良い」などの意味で使われます。
使用例 「ええよ」(OKの返事)
使用例 「その服ええやん」(それはいい服だね。その服は良く似合うよ)、「この店ええやん」(ここはいい店だね)

【おもろい】(omoroi)
標準語では、「おもしろい」の意味です。
使用例 「この漫画おもろいなぁ」(この漫画はおもしろいね)、「おもろい人やなぁ」(ユニークな人だね)

【ほんま】(honma)
標準語の「本当」や強調するときの「本当に」「とても」の意味で使われます。
使用例 「ほんまほんま」(相槌や肯定)
使用例 「ほんまにおいしいわ」(本当においしいね。とてもおいしいね)

【ちゃう】(chau)
標準語では「違う」の意味で、会話では2回繰り返して使うことが多いです。
会話例 「これ?」(これのこと?)「それちゃう」(それじゃないよ)
会話例 「これでええ?」(これでいいの?)「ちゃうちゃう」(全く違うよ)

【めっちゃ】(meccya)
標準語の「とても」や「すごく」など、程度や大きさを表す意味で使われます。
使用例 「めっちゃおいしい」(とてもおいしいね)、「めっちゃ似合う」(とても似合うよ)、「めっちゃ大きい」(すごく大きいね)

【せや】(seya)
標準語の「そうだ」の意味で使われます。語尾に「~ねん」を付けて使うことが多いです。
会話例 「明日仕事?」(明日は仕事なの?)「せやねん」(そうなんだ)

【はよ】(hayo)
標準語の「早く」の意味で使われます。
使用例 「はよして」(早くしてほしいな)、「はよ行こ」(早く行こうよ)、「はよ帰ろ」(早く帰ろう)

【なんでやねん】(nandeyanen)
漫才のツッコミでよく使われる言葉として知られています。標準語では「どうしてなんだよ」「何を言ってるの」「そんなわけがない」というような意味ですが、もう少しやわらかいニュアンスで使われることが多いです。冗談を言われたときの返し言葉として使ってみてください。
会話例 「うちの犬、英語話すねん」(うちの犬は英語を話すのよ)「なんでやねん」(そんなわけないでしょ)

【かまへん】(kamahen)
標準語の「かまわない」が、かまわへん→かまへんと変化。「構わない」や「問題ない」のほか、OKの意味でも使われます。
会話例 「行けなくてごめん」「かまへん、かまへん」(そんなの気にしないで)
会話例 「遅れても大丈夫?」「かまへんでー」(大丈夫だよ-)

お店で使う関西弁

【まいど】(maido)
「毎度お世話になります」や「毎度ありがとうございます」を省略して、「まいど」だけで「こんにちは」に代えて挨拶として使ったり、居酒屋などのお店では店員が「いらっしゃいませ」の意味でも使います。

【おおきに】(ookini)
標準語の「ありがとう」の意味です。若い人はあまり使わなくなってきましたが、京都の花街ではよく耳にします。「おおきに」のほか、「いつもありがとうございます」の意味で「まいどおおきに」が、居酒屋などのお店で今もよく使われます。

【なんぼ】(nanbo)
標準語の「いくら」(値段・量)の意味で使われます。
使用例 「これなんぼ?」(この値段はいくらですか?)、「なんぼですか?」(この量はどのくらいですか?)

【似おてる】(nioteru)
標準語では、「似合ってる」の意味です。
使用例 「よう似おてますね」(よく似合っていますね)「よう似おてはりますよ」(よくお似合いですよ)

【おばんざい】(obanzai)
一般家庭で作るお惣菜を意味します。気軽に食べられる家庭料理のイメージで、店名やメニュー名の一部に使われることもあります。

【炊いたん】(taitan)
「炊いたもの」ですが、関東の「煮物」を意味します。関西では、「煮る」を「炊く」と表現することもあり、お惣菜を指して京都をはじめとする関西地方で使われます。「大根の炊いたん」(大根の煮物)、「小芋の炊いたん」(小芋の煮物)など、居酒屋でメニュー名になっている場合もあります。

【酒のアテ】(sakenoate)
関東では、「酒のつまみ」や「酒の肴」と言います。酒を飲むときに添える一品のことで、それぞれの酒に合うちょっとした料理を指します。

【突き出し】(tsukidashi)
関東では、「お通し」と言います。居酒屋などで、注文にかかわらず最初に出てくる料理のことです。

そのほか、標準語と異なる単語や表現が多い関西弁ですが、ほかにも語尾の変化が大きな特徴といえます。

例 そうやねん(そうだよね)、あかんねん(ダメなんだ)、ちゃうねん(違うんだよ)・・・など、語尾の「ねん」「やねん」は、「~だよ」「~なんだよ」を意味します。

例 そうやん(そうでしょう)、あかんやん(ダメだよね)、ちゃうやん(違うよね)・・・など、語尾の「やん」は、「~でしょう」「~だよね」を意味します。

語尾に付く「~はる(しはる)」は敬語の表現で、大阪と京都で少し違います。大阪では「行きはる」(行かれる)「書きはる」(お書きになる)、京都では「行かはる」(行かれる)「書かはる」(お書きになる)になります。

また、「飴ちゃん」や「おかいさん(お粥さん)」など、食べ物などに「ちゃん」や「さん」を付けることも、関西のおもしろい特徴として知られています。

今日は父が使っていた懐かしい関西弁をご紹介致しました。父は兵庫県の田舎のお寺の出身でした。

添付の写真は父の出身の曹洞宗の正林寺にまつわる風景写真です。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。後藤和弘(藤山杜人)


「嗚呼、消えてしまった懐かしい仙台弁」

2024年01月25日 | 日記・エッセイ・コラム
日本語にはいろいろな方言があります。また日本語の歴史的な変化を調べると実に多数の本や論文があります。日本語は時代の流れに従って大きく変化して来たことに驚きます。
明治維新で学校では標準語を教え普及させました。そして戦後のテレビの普及で日本人全員が標準語を理解するようになったのです。
方言は日本語の重要な一部だったのです。しかし現在は日本各地の方言が消えゆきつつあります。そこで方言の一例として仙台弁をご紹介したいと思います。昔日常に使っていた懐かしい仙台弁です。
昭和11年、1936年に生まれた私は1954年に東北大学に入るまで純粋な仙台弁を話していました。しかし東北大学へは全国からの人が入学します。純粋な仙台弁では話が通じないのです。標準語らしい日本語を使いはじめました。
そして仙台弁を恥ずかしく思いました。自在に標準語を話す人を尊敬するようにになったのです。
特に標準語を話す女性はそれだけで魅力的でした。その結果私は東京の女性と結婚しました。現在の妻は老いましたが言葉だけは若い頃と変わらないで綺麗な発音で話します。
仙台弁独特の単語も沢山あります。それよりも特徴的なことは全ての発音が濁ることです。東北は寒いので口を大きく開けないで話すのです。
ですから私は癖で口を大きく開けないで話すのです。そうすると妻は時々、「もう一度はっきり言って」と言います。
懐かしいので仙台弁を調べていたら「仙台弁 まとめ」という資料を見つけました。https://wondertrip.jp/1081478/ です。
懐かしいので仙台弁と意味と使い方を幾つかご紹介します。消えゆく方言の記録です。(ちなみに全国の消えゆく方言の記録は、「危機的な状況にある言語・方言の実態 に関する調査研究事業 報告書 」のようにあります。)

定番の仙台弁1:いぎなり
「いぎなり」は分かる人も多いのではないでしょうか。その意味は「急に」です。他の言葉では「いきなり」なのでしょうが、仙台弁は濁音が入ることから「いぎなり」になるのでしょう。
【仙台弁】いぎなり
【標準語】急に

定番の仙台弁2:したっけ
「したっけ」という言葉を聞くと、「〇〇したっけ?」という疑問形に変換する人がいますが、仙台弁では違う意味を持っています。
【仙台弁】したっけ
【標準語】そうしたら

定番の仙台弁3:〜すぺ?
「~すぺ?」は言葉だけを見ると、「~しようよ」という意味に聞こえるかもしれません。しかし、仙台弁の「~すべ」は異なります。響きがかわいらしく、使ってみたくなりそうです。
【仙台弁】すぺ?
【標準語】~でしょう?

定番の仙台弁4:ほっつぎあるぐ
「ほっつぎあるぐ」は濁音で悩まされがちですが、「ほっつきあるく」で考えると意味が分かるのではないでしょうか。
【仙台弁】ほっつぎあるぐ
【標準語】うろつく

定番の仙台弁5:ひまだれこぐ
「ひまだれこぐ」は「暇」という意味に思えるかもしれませんが、「時間を無駄にする」という意味になります。
【仙台弁】ひまだれこぐ
【標準語】時間を無駄にする

定番の仙台弁6:ぼっこら
「ぼっこら」は、その響きから「ビックリ」などを予想する人もいますが「突然」という意味になります。地域によっては「ぼっこら」ではなく「しょっこら」と言うようです。
【仙台弁】ぼっこら
【標準語】突然

定番の仙台弁7:はらぴり
「はらびり」は食事中には見たくない言葉を意味します。
【仙台弁】はらぴり
【標準語】下痢

定番の仙台弁8:どっちゃ
「どっちゃ」をゆっくり、1文字ずつ発音すると意味が分かるはず。方言だとかまえて考えると理解しにくくなりますが、共通語を崩したものが多い場合もあります。
【仙台弁】どっちゃ
【標準語】どちらへ

定番の仙台弁9:しゃね
「しゃね」は「知らない」という意味になります。「しらねー」「しやねー」「しゃね」のように変化していったのではないかと考える説もあります。
【仙台弁】しゃね
【標準語】知らない

定番の仙台弁10:んだべ?
仙台弁の定番と言えば「んだべ?」ではないでしょうか。
【仙台弁】んだべ?
【標準語】そうでしょ?

定番の仙台弁11:んだっちゃ
「んだっちゃ」は「そうに決まってる」という意味を持っています。かわいい言葉なので、女性に言ってほしい言葉としても有名です。
【仙台弁】んだっちゃ
【標準語】そうに決まってる

定番の仙台弁12:んだべっちゃ
「んだべっちゃ」は先述した言葉と似たようなものですが、「絶対にそうだよ」という意味になります。ただの「んだっちゃ」よりも「絶対」が入っている分、強い言葉になります。
【仙台弁】んだべっちゃ
【標準語】絶対にそうだよ
・・・・・・・・・・・・・・など沢山ありますが仙台出身の人以興味がないと思いますので止めます。

今日は消えてしまった懐かしい仙台弁をご紹介致しました。

添付の写真は戦前の仙台の風景です。写真は、「戦前の仙台の風景」を検索してインターネットからお借りしました。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。後藤和弘(藤山杜人)

1番目の写真は戦前の宮城県庁、仙台市役所界隈 です。

2番目の写真は仙台市の大通りです。( 昭和8~11年頃)

3番目の写真は大町・東一番丁角です。(昭和7~10年の間)
 
4番目の写真は仙台市の戦前の芭蕉の辻です。





「昔見たような雪山とスキーの風景」

2024年01月24日 | 写真
昔冬に蔵王山でスキーをしていた頃に見た風景のような写真をお送り致します。
あの頃は若く元気があったのです。嗚呼。
寫眞の出典は、「雪山とスキーの写真」を検索してインターネットからお借り致しました。