後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

樹令1200年、牛島の藤の花をお楽しみ下さい

2012年04月30日 | 写真

関東地方で有名な「牛島の藤」が咲きました。樹令1200年のものと800年のものが毎年、豪華な花を咲かせます。

明治7年まで存続していた真言宗蓮華院の境内にあったものです。廃寺以後は持ち主が変わりましたが、現在は小島すい子さんが所有していて、入場料1000円で公開しています。広大な無料駐車場があります。

昭和3年に文部省指定天然記念物になりました。

埼玉県春日部市牛島786番地ですが、分かりにくい場所にあります。

根気良く、探して下さい。藤の枝の長さと花の美しさは確かに文部省指定天然記念物だけのことはあります。

詳しくは、http://ushijimanofuji.co.jp にあります。

先程撮って来た写真をお楽しみ頂ければ嬉しく思います。

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花を育てる人々へ頭が下がります!

2012年04月30日 | 日記・エッセイ・コラム

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上に示した写真は山梨県、北杜市の武川町、すなはち昔の武川村の高台で撮った花々の写真です。毎年、春になると花々が豊かに咲きます。散策しながらいつも頭が下がる思いをしています。花々を植え、育てた人々を尊敬しています。このように花々を育て上げ、華麗に咲かせるのは並大抵の苦労ではありません。

種を播き、、その花に合った肥料をやり、雑草をとって、大切に育てないと上のように華麗には咲かないのです。

庭の雑草取りさえ嫌で嫌で仕方のない自分からみると花を育てる人の努力には脱帽です。偉いです。素晴らしい人です。心豊かな人です。

毎年、春に山の小屋へ行くたびに花の美しさと、人々の心豊かさに幸せ感が湧いてきます。

家人も庭に小さな花々を植えて、育てています。その苦労と努力を見ているので簡単な仕事ではないことを知っています。上の写真のように豊かで華麗に咲かせることの難しさを知っているのです。

残雪で光る甲斐駒岳の前で花々を育てた人々に幸多かれと祈っています。

それはそれとして、

今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)


多くの日本人は漆黒の闇夜の恐怖感を体験していない?

2012年04月29日 | 写真

山林の中の小屋は月夜でも真っ暗です。林の樹木が小屋を覆い、狭い道も覆っています。

毎月、2、3回泊りに行くたびに闇夜の中をほんの少しだけ散歩します。

漆黒の闇の中で、私は何故か恐怖感を感じるのです。周りに人家が無いせいもあるのでしょう。イノシシやクマやキツネやタヌキが歩き回っている気配です。

よく考えてみると動物が怖いのではありません。闇そのものが怖いのです。

懐中電灯や街灯の皆無だった江戸時代以前の人々はきっと闇夜が怖かった筈です。キツネやタヌキが人を騙すのです。いろいろなお化けが出て来ます。それを信じていたのです。下に昨日の闇夜の写真を示します。

闇夜の恐さが伝わったら嬉しく思います。

まず100Wのガーデン灯が闇に押しつぶされ、弱弱しく水面に写っている様子です。

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焚火の火も闇に押しつぶされ、弱弱しく光を放っています。

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山林へ分け入り、狐に会いながらヤマザクラを楽しむ

2012年04月29日 | 日記・エッセイ・コラム

昨日は、甲斐駒岳の麓の小屋に一泊しました。今日は温かい青空です。

山林の中には葉と花が一緒に出て来るヤマザクラが咲いています。自然な美しさに誘われて山林の中へ分け入り、その花の写真を撮っていました。

ところが突然、キツネが出てきて食べ物をねだります。どうも近所の別荘の人々が餌をやっているらしくで馴れ馴れしく寄ってきます。

家内がキツネは人を騙すから林から出ようと言います。

兎に角、ヤマザクラの花の写真を撮り終えたので道路に出て、帰って来ました。

写真をお楽しみ頂ければ嬉しく存じます。

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お化けのような年老いた桜木の向こう側に見えるもの・・・薬師桜、釜の越桜、伊佐沢の久保桜

2012年04月29日 | 日記・エッセイ・コラム

山形県の西南部、朝日連峰の東に広がる盆地を置賜地方と言います。昔の米沢藩です。米沢藩はあちこちの桜の木を大切にしました。

現在でも、土地の人々はその伝統を守り、樹令数百年から1200年の桜の古木を大切に保護しています。そのお陰で毎年花が咲いています。

最近では、桜木が沢山あるので置賜花回廊という名前で観光客を集めています。その桜には以下のような名前がついています。釜の越桜。薬師桜。草岡の大明神桜。伊佐沢の久保桜。子守堂の桜。八乙女種まき桜。最上川堤防千本桜、白兎のしだれ桜。十二の桜。赤坂の薬師桜。殿入り桜。双松公園の眺陽桜・慶海桜。烏帽子山千本桜。

今年の4月26日にこのうちの薬師桜、釜の越桜、伊佐沢の久保桜、白兎のしだれ桜、烏帽子山千本桜の4ケ所を見て回りました。

残念至極でした。東京はすでに桜が散ってしまっているのにこの地方はまだ全然咲いていません。

痛々しく数多くの棒に支えられています。暗い寒空を背景にして、不気味なお化けのような姿をしていました。

いろいろな事を考えさせる光景です。

こんなに苦労して毎年、毎年、桜花を咲かせるのは何故でしょうか?

人間の長寿への憧れなのでしょうか?生きとして生けるものを大切にする仏教の教えなのでしょうか?老木の桜を信仰の対象にしているのでしょうか?桜木の保存運動を中心にして、温かい人間同士の絆を楽しんでいるのでしょうか?子供や孫達へ先祖の心を送りたいのでしょうか?これらの気持ちが一緒になって土地土地の人々が一生懸命年老いた桜木を大切にしているのです。

この地方は米は採れますが貧しい土地です。しかし上杉鷹山のお陰で蚕を飼い、絹糸を作り、紬を織り、豊かになったのです。木彫りも盛んになり、焼き物も作りました。

その上、桜木を大切にする心も育てたのです。米沢藩の治世の良さがこの地方の伝統として残っているのです。現在も絹織物産業が少し残っています。ブランド物のあやめスイカも出荷されています。

桜の花の咲いて居ない老木はお化けのように不気味ですが、上に書いたように米沢藩の心豊かな文化の象徴なのです。そんな感概を覚える置賜盆地の旅でした。

下に薬師桜、釜の越桜、伊佐沢の久保桜の写真を順々に示します。

それはそれとして、

今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

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温泉はやはり東北地方に限る!

2012年04月28日 | 日記・エッセイ・コラム

温泉は全国に出ています。そして地方地方によって独特な温泉文化があります。

私は東北地方に生まれ、育ったので温泉はやはり東北地方に限ると思っています。まあ、我田引水ですがお許し下さい。

東北の温泉文化の特徴は混浴と硫黄泉です。それと泉質の違う幾つかの湯船を並べてあり、同時にいろいろな温泉に入れるようになっている事です。

それから旅館内で炊事をして逗留する湯治の習慣です。

昔よく行った鳴子温泉や作並温泉、そして蔵王温泉(昔の高湯)、遠刈田温泉、青根温泉、峨峨温泉には大きな混浴野天風呂があり、湯治客がいました。

特に鳴子温泉は泉質もいろいろあって、同じ旅館の中に硫黄泉、茶色のうなぎ湯、無色のアルカリ湯、真水のような淡白な温泉などが湯船を並べていました。

一昨日泊った蔵王温泉は昔は高湯という名前でした。硫黄温泉が主でした。その懐かしい硫黄泉に漬かりながら、昔の温泉の臭いを楽しんで来ました。

露天風呂からは雪残る蔵王の山並みが見えます。ホテルの窓からは昔、スキーを楽しんだ樹氷林のザンゲ坂や地蔵岳が良く見えました。

皆様は温泉に関する思い出がおありでしょうか?

下は硫黄泉の露天風呂と内湯の写真です。

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クルーザーヨットの趣味へ対する大きな誤解(3)仲間が必要という誤解

2012年04月28日 | 日記・エッセイ・コラム

長さが10m前後のキャビン付きのクルーザーを楽しむためには5,6人の仲間が必要という誤解があります。そしてその仲間とデッキで酒を飲み交わす事も必要という誤解もあります。

そうすると人付き合いが悪く、社交的でない人は、はじめからヨットの趣味を諦めます。お酒の飲めない人はヨットを始める資格が無いと思います。

しかしこれは大変な誤解です。長さ10mくらいまでのクルーザーは独りでも充分帆走も出来ます。仲間が一人も居なくても楽しいものです。ヨット趣味の相手は風と波です。人間ではありません。

ヨットの楽しみ方は2つです。チームを作ってヨットレースに出場して、勝つことを楽しむのがその一つです。これをレース派と言います。レース派には熟達した船長(スキッパー)とセイルをあやつる腕力が強く敏捷なクルーが数名必要です。そして常時レースの練習を積んでいなければいけません。要するに組織の維持管理が勝負を決めるのです。

もう一つはいつも単独で風と波を相手にセイリングを自由に楽しむのです。そして夜はキャビンの中で静かにビールを飲んで寝るのです。これを巡航派と言います。

26年間、たった一人でヨットの趣味を持って、周りを見回すと非常に多くの人が単独でヨットを楽しんでいます。そしてたまには人を集めてレースも楽しんでいます。負けるのは分かっていてもレースの風景を楽しんでいるのです。

それでは写真を用いて一人でヨットの趣味を楽しむことを説明いたします。

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この光景は23年間、一人で帆走していた時の写真です。一人でメイン・セールを上げて、それからジブ・セイルを広げます。後は舵を握って、このように前を向いて3時間、4時間と帆走するのです。船体に砕ける波音にいやされます。船の揺れ方が自然で心地良いのです。風の向きや強弱が変わるので、それに合わせて帆と舵を微妙に調整します。どんなに風向が変わっても目標にむかって一直線に走ります。時々、突風が来ます。とっさにセイルを流し、突風が過ぎ去るのを待ちます。

風と波との駆け引きが面白いのです。何時間走っていても飽きることが無いのです。いつもは独りですが、時々は家内が乗っていて、前の帆の操作を担当してくれます。夏には下の写真のようにパラソルを開いて涼んでいます。

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夜になれば港に係留して、キャビンで簡単な料理を作ってビールを飲みます。

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夜になればキャビンに寝ます。寒い冬でも泊ります。朝食は上の写真のようにコーヒーとパンだけです。お正月は重箱につめたお節料理を持ちこんで家内と食べて帰ってきます。

係留したヨットが冬の風波で心地良く揺れているのです。

人間は水から生まれたのでしょうか。水に揺れていると何故か原始の自然を想うのです。

普通は一人で楽しみますが、たまには昔の同級生やヨットで知り合った友人を招待して一緒にレースに出たり、キャビンやデッキでパーティをします。

遊び半分のレースですから必ず負けます。

デッキやキャビンは狭いのですぐに打ち解けたパーティになります。お客がシャンパンなどを持参してきます。私はオードブルの大皿を準備します。

ヨットの楽しみ方はいろいろです。仲間を組織化してレースに出場するだけが楽しみ方ではありません。自分流にいろいろな楽しみ方が出来るのです。幅が広くて、奥行きのある趣味と思っています。

皆様もクルーザー・ヨットの趣味を始めては如何でしょうか?

それはそれとして、

今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)


後期高齢者は白樺林がお好き?

2012年04月27日 | 日記・エッセイ・コラム

後期高齢者とはまったく不愉快な呼び名だとは思いませんか?

無神経な役人が75歳以上の人を勝手に分類してそういう名前をつけたのです。前期高齢者と後期高齢者の違いは何でしょうか?

後期高齢者は間もなく旅立つ人々ですと言わんばかりです。役人は偉いから何と呼んでも良いと思っているのです。そういう不愉快な名前を一切使わずに、「75歳以上の人」と言えば良いのです。

実は私も後期高齢者なので怒っているのです。

しかし感情的にならないで考えてみると後期高齢者は戦前の生まれで、戦後育ちです。国家の復興のためにつくす事が大切だと教わって成長しました。

そして戦後の流行歌や松竹や日活の映画に囲まれていました。

その中で、「山の淋しい湖」とか「白樺林」というような言葉が盛んに出て来ます。

それらは後期高齢者の意識に焼きついています。憧れの風景になってしまったのです。

一昨日、蔵王温泉ホテルに泊りました。ふとレストランの外を眺めていたら美しい白樺林があったのです。経営者が植えたものに違いありません。

何となく嬉しくなって写真を撮ってきました。

後期高齢者の方々にお楽しみ頂くようにと以下にお送り申し上げます。

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山形城、米沢城を訪ね歴史を想う(続き)

2012年04月27日 | 日記・エッセイ・コラム

さきにも書きましたが、学校で習う歴史は富国強兵と統一国家の建設に都合の良い歴史観で整理したのもです。明治政府や昭和の政府にとって都合の良い歴史だけを教えます。

この偏狭な歴史の教え方は日本国内の歴史の教え方に限りません。世界史を教える時、イスラム圏の国々の歴史を軽視します。欧米の歴史もあくまでも統一国家という考え方を強調して教えます。

ドイツは「ドイツ」という一つのまとまった国として教えます。

昔、ドイツの南部に1年半ほど住みついていたことがありました。住んで見て分かった事ですが、ドイツは昔の王国や独立都市から出来上がった「連合国」なのです。

バエルン王国、シュバーベン王国、ホーエンツェレン王国、バーデン王国、ブルツェン王国、そして南部の人々が外国のように感じている北ドイツの王国。北海沿いのハンザ同盟の独立都市。王国の保護を受けた半分独立した都市国家。このような昔の歴史や地方文化が現在でも息づいているのがドイツという国なのです。ドイツは決して中央集権国家ではないのです。

下に一例としてバイエルン王国から保護さていたローテンブルグ・オプ・デア・タウバーの写真を示します。

まずこの中世の都市の独立を守るための城壁の写真です。私自身もこの古い町に3ケ月間住んでいたので、よくこの城壁の上にある回廊を散歩したものです。

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観光客は勝手に車を駐車して、城壁に登り、回廊を巡り歩きます。

この高い城壁の数か所には頑丈な門があり、その内側には下のような町が出来ています。

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町の中心の広場の前には下の写真のような市庁舎があり、この町を治め、周りのいろいろな王国との外交を賢く進めて独立を守っていたのです。

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ヨーロッパの歴史を学校で教えるとき、明治政府も昭和の政府も統一した国家が存在していたことを強く教えます。日本の国内を団結させて、日本の富国強兵を迅速に進めるためでした。

それは日本が欧米の植民地にならないためには仕方が無かったのです。

しかし、そのような歴史の教え方や歴史観が現在でも横行しているのです。

人々がその事を自覚するように願っています。祈っています。

それが出来れば日本はもっと、もっと幸多い国になると信じています。

(終り)


山形城、米沢城を訪ね歴史を想う

2012年04月27日 | 日記・エッセイ・コラム

山形城は霞城(かじょう)ともいい、慶長年間に最上光義によって建造された壮大な規模の城でした。しかし江戸時代になり最上光義が転封になり、その後は何度も藩主が変わりました。現在の山形市民は最上光義だけを誇りに思っていて、城跡には立派な騎馬姿の像が独り立っています。山形市は村上地方にあります。

村上から高い山越えの峠を越すと、そこは置賜盆地で、江戸時代の米沢藩になります。朝日連峰の東に広がる盆地の南部に米沢城がありました。

米沢城は謙信以後の上杉家の度重なる不運により、35万石に減らされ、会津に転封になります。そしてさらに米沢に転封になり、15万石に減らされます。しかし上杉家は領民を大切にする善政を明治維新まで続けました。特に第9代目の上杉鷹山は江戸時代屈指の名君として、地元の殖産興業を進め、藩財政を立て直したことで有名です。現在の置賜地方の人々は上杉家を誇りに思っていて立派な神社や資料館や記念碑が沢山あります。

忠臣蔵の悪役の吉良家からお嫁さんを迎えた藩主が居たので、米沢の人は決して「忠臣蔵」という言葉は使いません。「赤穂事件」と言います。

日本の地方、地方を旅すると昔の歴史が今でも息づいているのです。そして地方の人々は学校で習う歴史とは違う見方をした歴史観も持っているのです。

私自身は伊達正宗の築いた仙台の城下町に生まれ育ったので関ヶ原や明治維新の時の伊達家の運命から見た歴史観も持っています。

このようなことは日本全国の全ての地方にあると信じています。

学校で習う歴史は富国強兵と統一国家の建設に都合の良い歴史観で整理したものです。明治政府や昭和の政府にとって都合の良い歴史だけを教えます。

そんなことを想いながら山形城跡や米沢城跡を散策して来ました。皆様の住んでいらっしゃる地方はどのような歴史があるのでしょうか?

下に今が盛りと咲き誇っている山形城跡の桜花の写真をお送りいたします。

それはそれとして、

今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

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山形県の置賜盆地への旅に行ってきました

2012年04月26日 | 旅行記

昨日、東京を新幹線で出発し、山形から蔵王温泉に一泊しました。

今日は一日中、山形県、南西部の置賜盆地をバスで巡り歩く旅でした。置賜花回廊と称して桜の名所を数か所巡る旅です。しかし朝日連峰の東に広がる盆地はまだやっと梅が咲きだした季節でした。桜はまだです。

しかしこの盆地は上杉家が代々治めてきた米沢藩なので特徴的な地方文化が感じられて興味深いところでした。米沢の上杉神社に行き、歴史の勉強をしてきました。

下は朝日連峰の写真です。

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装飾的な花々の配置と植方の写真

2012年04月26日 | 写真

花々を装飾的に配置して、植えてある状態を、日本の活け花に比較しながら見て行くといろいろな感興が起きています。楽しさが一層出てきます。

花々を植えた人々の気持ちが伝わって来て楽しいものです。そのような例を下に示します。一昨日、京王フローラル・ガーデンで撮りました。

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高邁な精神の民間人が作った明治・・・国立博物館ではありません!

2012年04月26日 | 日記・エッセイ・コラム

明治村を訪れた日は久しぶりの晴天で、桜が丁度満開でした。遊歩道は高齢者にも歩けるようになだらかに出来ています。入鹿池の青い水面が雑木林の向こうに見え隠れします。それは2年前のある春の日でした。

明治時代の銀行やホテル、兵舎や師範学校の建物があります。天主堂や教会堂もあります。小泉八雲が海水浴に通ったとき泊った焼津の魚屋の質素な家もあります。石川啄木一家が2階に住んでいた床屋があります。森鴎外と夏目漱石の住んでいた家もあります。

気持ちの良い里山の遊歩道を散策して行くと次から次へと興味深い建物が現れて来ます。そして明治時代の人々の一途な情熱に心が揺さぶられます。建物は何も言わずに静かに建っているだけです。その為にかえって明治の人々の喜びや悲しみの激しさを暗示しています。

明治村は昭和記念公園のような国立の野外博物館と思い込んで行きました。ところが2人の民間人が独力で作り上げたのです。

第二次大戦後、明治時代の美しい建物が荒れるにまかせ、倒壊して行く様子を見て、建築家の谷口吉郎さんが修理・保存を決心します。そして学生時代からの親友だった名古屋鉄道株式会社社長の土川元夫さんの協力を得て、昭和37年に土木工事に着手し、40年に開園しました。

愛知県、犬山市の入鹿池を囲む丘陵の里山の中に遊歩道を作り、全国から移築した明治時代の建物を散在させたのです。谷口さんと土川さんの精神の崇高さにおのずと頭が下がる思いです。

建築家、谷口さんが選んだだけに、全て建築美を漂わせています。それを入鹿池の周りの自然の景観に調和するように細心の注意を払って移築しています。

想像以上に素晴らしい野外博物館でした。下に里山全体の様子を示す写真を2枚、そしてそれに続けて東京日比谷の帝国ホテル、京都にあった聖ザビエル天主堂、そして最後に京都にあった聖ヨハネ教会堂の写真を示します。

名古屋から名鉄犬山線で30分で犬山駅です。駅の東口からバスがあり、20分で明治村に着きます。是非訪問なさるさようお勧め致します。但し、野外を散策するので晴天の日に限ります。天気予報を注意深く見て訪問なさって下さい。

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さらに下には長崎港の外にある伊王島に建っていた聖パウロ教会堂の写真も示します。

明治12年に建造され、昭和48年まで100年間も使用されていた木造建築です。外見は普通の和風の建物に見えますが、内部はフランスのカトリック教会のように出来ています。

明治維新後、日本人の信教の自由が定着するまでには長い年月がかかったのです。明治政府がいつキリシタン禁教と弾圧へ政策転換するか分かりません。従ってこの聖パウロ教会を作った隠れキリシタン達は用心して外見は和風の建築にし、内装をフランス人神父の指導でキリスト教の天主堂として作りました。

隠れキリシタンの人々の恐怖を示す教会堂が、現在は明治村の一番端の岡の上に静かに建っています。下には入鹿池の青い水面が広がっています。

この教会に関する建築学的な詳細な説明は、https://www.pref.nagasaki.jp/tokyo/nagasakinokyoukai-web/kyoukai/daimyouji.html にあります。下に示す2枚の写真は2010年4月8日に家内が撮ったものです。最後の一枚は、このURLから転載させて頂きました。(終り)

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大英帝国の没落が日本へ与えるその教訓の数々(3)日本はもう少し海軍の整備を!

2012年04月26日 | 日記・エッセイ・コラム

日本の軍備をどの程度にするべきかという問題は難しい問題です。

しかし衰退したと言われるイギリスに比較して見ても、日本の軍備は少し増強し、兵員の訓練を強化し、実戦能力を高めておく必要があります。

例えばイギリス海軍は1隻の航空母艦と4隻の大型原子力潜水艦を持っています。この潜水艦からは核弾頭搭載の長距離ミサイルが発射できるのです。2007年の時点では、88隻の艦艇と23隻の支援艦を運用しています。これに較べると日本の海軍は小さすぎるようです。

ところで日本の軍事作戦は現在も将来も同盟国アメリカとの共同作戦になります。

イギリスも同様で常にNATO軍の一メンバーとして海外の軍事作戦に参加しています。アフガン戦争、イラク戦争やボスニア戦争、コソボ戦争など全てはアメリカ軍との共同作戦でした。誤解を恐れず書けばアメリカ軍主導の作戦に参加してアメリカ軍を支援して来たのです。ドイツ軍も同様です。

イギリス単独で戦争をしたのは1982年のフォークランド戦争だけです。

この国際軍事情勢を考えると日本もアメリカ軍の支援作戦しか考えられません。

仮想敵国が日本へ上陸する可能性は非常に小です。すると東アジアにおける軍事行動は海軍と空軍が主になると思います。

昨日から大規模なロシア海軍と中国海軍の軍事演習が始まっています。その上、中国もロシアも太平洋艦隊の増強計画を実施中なのです。

中国とロシアがアメリカ海軍と空軍の作戦能力に対して挑戦しようとしているのです。

この場合、日本のなすべきことは2つあります。

一つは練度の高い韓国海軍とアメリカ海軍との3国共同演習を徹底的に実行することです。

第二はアメリカの支援をする場合、日本は海軍力を増強したほうが良いと思われます。

空軍は日本にあるアメリカ軍の飛行場から発進する戦闘機、爆撃機、輸送機で充分過ぎるようです。

しかし日本の海軍は軍事衛星との連携も含めて作戦能力が劣っているようです。今回の北朝鮮の人工衛星打ち上げの時、韓国のイージス艦が打ち上げを検知出来たのでが、日本は検知出来なかったのです。

航空母艦や大型潜水艦の建造計画も含めて、真剣に検討すべき時期に来ているのではないでしょうか?下にイギリス海軍の写真を示します。

皆様のご意見を頂ければ嬉しく存じます。

それはそれとして、

今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

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・イギリス海軍の原子力潜水艦です。核弾頭ミサイルを発射出来ます。

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・イギリス海軍の航空母艦です。主に軍用ヘリコプターを搭載しています。

したはペルシャ湾に展開しているイギリス海軍の戦艦です。

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参考資料:

イギリス海軍 (Royal Navy) は水上艦隊 (Surface Fleet)・潜水艦隊 (Submarine Service)艦隊航空隊 (Fleet Air Arm) と、海兵隊 (Royal Marines)、補助艦隊 (Royal Fleet Auxiliary)、海上予備軍 (Royal Maritime Auxiliary Service) などの予備艦隊で構成されている。2007の時点で、88隻からなる艦隊がイギリス海軍によって運用されており、補助艦隊の23隻がこれを支援している[7][8]。イギリス海軍はアメリカ海軍フランス海軍と肩を並べる世界的な展開能力を持つブルー・ウォーター・ネイビー1つに数えられる[9]

国防戦略見直しによって、現在はディーゼル・エレクトリック式機関を有する沿岸型潜水艦 (Hunter-Killer Submarine) が退役し、戦略型原子力潜水艦 (SSBN) など原子力推進で統一されており、イギリス海軍のヴァンガード級原子力潜水艦はイギリスの核抑止力という責務を負っている。


うつろい行く花の季節を惜みつつ

2012年04月25日 | 日記・エッセイ・コラム

京王フローラル・ガーデンに、一週間ぶりに行きました。花々の様子がすっかり変わっています。あんなに豪華に咲いていたモクレンがありません。桜もすっかり散りました。花の季節は足早に過ぎ去って行きます。

今日、撮った写真をお送りします。一週間もすればさま変わりするのです。何故か儚い美しさを見ているようです。お楽しみ頂ければ嬉しく存じます。

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