イエス様は無理なことを沢山言い残しました。その最たるものに「汝の敵を愛せ」というものがあります。大体、「愛」などという言葉は江戸時代までそんなに頻繁に使われていなかったのです。西洋文明導入の時に新しく普及した人造言葉と言いたいくらいです。
敵を愛すということは色々な段階から訓練して行けば可能なのではないかと、私自身は考えています。私は、まず「愛」という言葉を「大切に思う」という言葉に置き換えることから始めます。家族を大切に思う。誰でも出来ることです。次のステップは職場の全員の一人一人を大切に思う。思うだけなら出来そうです。
次のステップはたまたま旅行で一緒になった参加者の一人一人を大切にするように心の訓練をします。
その次は道に迷ったとき偶然会った人に正しい道を聞きます。その時、聞く前にまずその人を大切に思います。すると何故か親切に教えてくいれます。
次のステップはすれ違ったり、エレーベーターに偶然一緒に乗った人を大切に思います。別に言葉をかけなくとも冷たい表情が柔らかくなります。その場の雰囲気が途端に良くなるのです。
このような心の訓練を何回も何回も行うのです。このブログで昨日書いた2つの記事は私自身の心の訓練の目的で書いたものです:障害者を子供にもった両親の美しい態度 と敬启向在日本工作、留学的各位中国先生之信:日本に居る中国人へ送る書 です。
キリスト教では「神の愛」などと愛という言葉を使います。日本人はこのなじみの無い言葉に辟易します。これは、「神様は人間の一人一人を大切に思っています」という意味です。このように翻訳すれば皆が簡単に理解できます。
大切にする事は訓練でできます。次は親切にすることへ進めます。そして自分の利害を超えて大切にし、親切に出来れば、それが愛なのです。
汝の敵を愛する為にはまず敵の一人一人が血の通った人間だと認識することから始まります。尖閣諸島の問題で多くの日本人は怒り、中国人を憎んでいます。その怒りを鎮め、憎しみを消すことが「汝の敵を愛せ」の第一歩です。その先のステップは皆様の心次第です。神様の助けが必要になるかも知れません。
キリスト教には「愛」という専門用語がやたらと出て来ます。それを普通の日本語へなおせば「大切に思う心」なのです。そうすると抵抗感が無くなり、イエス様の言葉が素直に心に響きます。どうも宗教には排他的な側面がつきまといがちなので専門用語が多いものです。仏教でもそうです。涅槃や輪廻という言葉の意味をご存知でしょうか?言葉につまずかないで本当の意味を考えると広い地平が広がると思っています。
今日も皆様のご健康と平和をお祈り致します。藤山杜人
在日本工作、留学的各位中国先生: ?允?我由?博客敬启些鄙?: 最近,???????,某些日本人?度感情地批?着中国人士,或是,?国国内?日?行反日游街。 我由衷同情,遥?地离?,在异国攻?勤?的中国各位先生,度??在心里不安的日子。是担心的很不? 但是,?千万不必担心。各位由个人的?系交情的日本朋友??没有?背您。 假如中日政府或媒体,多?陷落???系也日本只有或朋友是永?地您好友,支援着您。 ?段文章前面,我上?了?目?[没有了解??文化大革命悲惨??事?,就不会理解?届中国的?接]疑?。大大地?上了周恩来?理的尊影。各位,?了解我?一?心情。?????是一件在悠久的中日交流?史里的不幸的,可是,渺渺一点的??。 很多心里美的日本人,反着媒体氛?气,更深深思考???。各位的日本朋友是,如果两国?一?地??下来也,何?也、永?地各您好友、支援者。?什?都不怕,不担心地,?意??、?意工作下去吧。日本人??不?背朋友。 由衷希望有中国先生?几位也???博客。 敬祝良好!成功! 藤山 杜人 敬上 日本に留学している中国人学生の方々。そして日本で働いている中国人の方々へ、私のメッセージをこのブログを通してお送り致します。
最近、釣魚諸島の問題で日本人が感情的に中国人を非難したり、中国国内では反日デモが連日盛んに行われています。
中国の故郷を遠く離れて異郷で勉強したり、働いている中国人にとっては心配な毎日だと思います。心細い毎日ではないでしょうか。
しかし絶対に心配しないで下さい。貴方がたが個人的に親しくなった日本人は絶対に貴方を裏切りません。日中間の政府やマスコミがどんなに険悪な関係になっても貴方の日本の知り合いや友人は何時までも貴方の友人です。貴方を支援します。
この記事の前に、「文化大革命の凄惨な実態を知らないと中国の態度が理解出来ない」という題目の記事を掲載しました。周恩来総理の写真を大きく掲載しました。この私の心情をご理解下さい。釣魚諸島の問題は日中の長い、長い交流の歴史のなかの不幸な、しかし実に小さな問題です。
多くの心やさしい日本人はマスコミの雰囲気とは違い、もう少し深く考えています。貴方がたの日本の友人は二国間の関係が一時的に険悪になろうとも、何時も、そして何時までも貴方の友人です。支援者です。何も恐れず、何も心配無く、楽しく勉強して下さい。楽しく働いて下さい。日本人は絶対に友人を裏切らないのです。
このブログを数人でも中国人が読んで下さることを祈っています。藤山杜人
趣味人倶楽部というSNSのマイフレに富山県に在住の ヤマチャンさん という方が居ます。あめふらし海岸(雨晴海岸)という絶景の観光地に近いらしくて四季折々の素晴らしい写真を掲載していらっしゃいます。今日はその中から斜光の良い日の写真を2枚お借りしました。ヤマチャンさんは盆栽の造詣も深くて、悠々たる趣味の生活を楽しんでいらっしゃいます。
この機会に雨晴海岸をいろいろ調べて見ました。能登国定公園の一部として含まれていて昔から有名な所です。西から東の方角をみると立て山連峰が青い海の向こうに輝いています。同じく、ヤマチャンさんの撮影した4月の立山連峰の写真をご紹介致します。
写真をお楽しみ頂ければ嬉しく思います。(終り)
毛沢東が死に、4人組みが逮捕され文化大革命が終了したのは1976年です。その5年後の1981年に訪問した北京の殺伐とした雰囲気に胸がつぶれました。街路や公衆便所の汚さは人々の心の荒廃を示していて身の毛がよだちます。招待してくれた周栄章教授は1968年に突然大学の研究室から農村へ下放されました。貧しい農村へ追いやられたそうです。それから7年間、毎日、毎日ブタへ餌をやり糞の掃除をして暮らしたそうです。食料は極端に乏しく、飢えで死ぬ人も居たそうです。その間、家族はバラバラに下放され、何処に居るのか、生死さえ分からなかったそうです。
毛沢東がもう一度権力を握るために全国で紅衛兵を動員して知識人や政治家などを抹殺しようとした内戦でした。全国を凄惨な戦争に巻き込んだ残酷な毛沢東の権力奪取闘争でした。その指導をしたのが毛沢東の妻の江青などの4人組でした。数年間、この4人が中国大陸の頂点に立って惨劇を続けたのです。この文化大革命の間、毛沢東に従いながらも国民の苦しみを少しでも少なくしようと粉骨砕身の活躍をしたのがこの写真にある周恩来総理でした。彼は失望にうち砕かれた全ての人々へ生きる希望を与えたのです。暗夜の灯として、いまだに全中国人の心の中に生きています。彼は1976年1月に死にました。そして間もなく毛沢東もこの世を去ったのです。
鄧小平が権力を握り、やっと平穏な日々が続くようになったのは1980年くらいからです。この文化大革命の凄惨な体験から中国人は2つのことを心の底に強く抱くようになったのです。(1)国の分裂と内戦は絶対に避ける、そして(2)充分な食糧生産と経済発展の為には全てを犠牲にする、という2つの強い信念です。
民主主義や多数の政党による議会制の導入は、もう一度、人々を内戦のるつぼへ投げ入れる可能性を持っています。これは死んでも避けるべきです。一党独裁が最善の方法なのです。ここで我々は中国の政治グループの背後には軍隊が密着していることを知るべきです。鄧小平が権力を握ることが出来た理由は彼の軍部操縦術が抜群だったのです。政治闘争は必ず軍隊同士の内戦へ繋がるのです。それが中国なのです。従って、鄧小平は1989年の天安門広場での民主化デモを戦車を出動して鎮圧したのです。彼の決断は中国国内から見ると正しかったのです。学生以外の大多数の社会人が鄧小平の決断を支持しました。
充分な食料生産と経済発展の為に鄧小平は共産主義体制の計画生産体制を廃止して、市場経済原理にもとづく自由競争生産へ切り替えたのです。それは大成功でした。その結果、中国のGDPはアメリカについで世界2位になりつつあるのです。
中国の外交政策は文化大革命の負の遺産に忠実に従っているのです。共産党一党独裁は至上命令です。次期国家主席の習近平も7年間、下放され貧しい農村で辛酸を舐めたのです。彼は国内の対立と内戦を憎んでいます。絶対に共産党一党独裁を守ります。
しかし中国の内陸部は相変わらず貧困に喘いでいます。海岸部との経済格差を恨みに思っています。そこで北京政府へ抗議する代わりに反日デモを繰り返します。尖閣諸島の問題は中国の国内問題でもあるのです。そのうち中国の過激分子が尖閣諸島に上陸して、占拠するか分かりません。それも自然の成り行きです。中国の社会には文化大革命時代の残酷な雰囲気をいまだに抱えているのです。
大東島には北大東島、南大東島、そして沖の大東島がありますが日本はそれらを中国から守りきれるでしょうか?北方4島がロシアに実行支配されているように沖の大東島が中国に取られないようにするのも重要な外交政策と思います。
尖閣諸島問題が起きるとマスコミは感情的な怒りを煽りたてるだけです。何故中国はそのような問題を起こすのか考えません。
離れ島は尖閣諸島だけではありません。3つの大東島は安全なのでしょうか?日米安保条約は日中問題にどのような影響があるのでしょうか?そのように総合的に考えた記事が新聞には少なすぎます。
中国の近代の歴史も考えた総合的な戦略を深めれば、対中外交において日本側が主導権を握れると信じています。皆さんのご意見を頂ければ嬉しく思います。
余談ながらこの文章は中国人にも是非、読んで貰いたいと思います。そして私の間違いをご指摘頂ければ大変嬉しく思います。(終り)
紅葉した林の山道を3人家族が歩いて行きます。大きくなった障害者の娘を真ん中にして両親が手を繋いで静かに登って行きます。木々の紅葉の中を通った光がその後ろ姿を輝かせています。今回の北信州へのバス旅行で見た美しい光景の一つです。忘れられない一枚の風景写真です。
この3人家族は1泊2日の間、よく私のそばにいました。気が付くと居るのです。16、7歳の娘さんの知能が体の生育について行けないようです。その娘を父親が大切にしています。母親が慈しんでいます。食事の時にこの一家が私の向かい側に座っています。話かけませんでした。ただお茶の入った急須を一家の前にそっと置きました。
その時父親が感謝の表情をしました。そのとき一瞬にして何故この一家の風景が何時も美く見えるのか分かりました。すらりとした紳士的に見える父と、可憐な美しい母がこの障害者の娘を深く愛しているのです。誇りにさえしているのです。
その中で娘はのびのびと素直に食事を楽しんでいます。時々両側の親と笑いながら言葉を交わしています。その表情がなんとも美しいのです。楽しさで輝いています。
障害者の子供を持った両親へ安っぽい同情は不要です。何も考えないで、その存在を大切に思う心が重要なのです。あるがままに自然に受け入れて、一緒に紅葉の林の中を楽しみながら歩けば良いのです。落ち葉が足の下でカサカサと音をたてています。遥か下のほうの谷川の音が清冽に響いています。
障害者を子供を持った両親も次第に歳老いて、死んで行きます。死んだ後、障害者の子供はどうなるのでしょうか?と、私は考えます。一緒に歩いている妻も考えているようです。しかし手を繋いで前を歩く3人家族は一切心配していないように見えます。そのすがすがしい後ろ姿を見て安心しました。その後の事は神様に任せれば良いのです。そんな綺麗ごとで事が済むかと人々は思うでしょう。しかし妻が確信をもってそう言います。気がついたら、私は神に祈りながら紅葉の中を歩いていました。
今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。藤山杜人
随分以前から近所に簡素で美しい住宅がありました。芸術作品のような家です。庭樹と塀と屋根が渾然一体になった木造建築です。2年ほど前に、勇気を出して設計者を訪問し、取材を申し込みました。御忙しい方ですが、2時間ほどお話を聞きました。一級建築士の原田智章氏で建築計画事務所を開いています。上野の芸大の建築学科を出て、恩師の経営するアトリエでチーフ・エンジニアを10年以上務めたのちに独立したそうです。今日は久しぶりに最近の作品のお話を聞くために建築計画事務所を訪問しました。
左の写真が建築家の原田さんです。工学院大学の先生もしていらっしゃいます。その下の写真は事務所の室内風景です。
今日は九州に最近完成した素晴らしい住宅のお話を聞いてきました。その作品のことについては来週ご紹介いたします。その代わり、以下に、2008年12月10日にこのブログで掲載した記事を再録いたします。美しい材木を生かした作品の写真をお楽しみ頂ければ嬉しく思います。
====2008年12月10日掲載記事の抜粋======
お話の中心は施主の予算内で如何に美しく、住み心地の良い家を作るか?という問題でした。芸大卒だけに従来に無い独創的な建築美を作ることに情熱を持っています。しかし施主とは何度も、何度も話し合って建築美と建築コストと住み心地の関係の最善のバランスを追求するそうです。日本の杉や檜を使った全木造の体育館や公共の建物や住宅を作ってきました。まだお若いのにいろいろな建築デザイン賞もとっています。
多くの作品の写真を見せてくれました。飾り構造をそぎ落とした茶室のような印象です。しかし北欧の固い針葉樹で作った家具の機能的な美しさも備えています。日本の「侘び寂び」の伝統美とヨーロッパの家具や建築の機能美が深く溶けあって一種独特な造形芸術作品になっています。
その繊細な美しさはブログでは表現出来ない。無理に掲載すると原田さんの建築美にキズを付けてしまう。そんなメールを送りました。
ここに紹介する2枚の写真を添付してメールが返ってきまた。「写真から設計者のメッセージが伝わらなければ設計者の責任です。どうぞご自由にお使い下さい。」という返事でした。
初めの写真は大分県中津江村の注文で山頂に作ったあずま屋です。屋根板はまだ乗っていない段階の写真です。「200海里の森つくり」という水源涵養事業の一つです。
道が無くて車や重機の上がれないところです。ボランティアの人々が材木を持って登ってくみ上げられるように設計してあります。材料は村内の間伐材だけです。材料1本が人間一人で持って上がれる重さに切りそろえてあります。それらを通しボルトで組み上げた構造になっています。周りの山の景観に調和した建築物になっています。施工は平成15年10月19日でした。
次の写真は大分県中津江村の村営住宅です。全て木造で間伐材を使っています。一家の室内を広々させるために柱を無くしました。2階と屋根の重さは外壁で受けています。美しい形状の木造螺旋階も、高い天井も全て磨いた檜です。住んでいる人が毎日見る天井や階段が優しい美しさにあふれています。住み心地が良い筈です。この村営住宅は平成15年度の大分県の豊の国木造建築賞(ユニーク構造賞)を受賞しています。
原田さんの最近の注文主は東京近辺が多いようです。美しい家を合理的なコストで建てようとしている方は原田さんへご連絡してみて下さい。(終わり)
TOKYO DESIGNERS WEEK 2010・くらしと環境のデザイン展が下記のように開催されます。
10月29日から11月3日まで、11:00-22:00、最終日11:00-18:00
明治神宮外苑絵画間前、詳しくは、http://tdwa.com/ (入場料などお調べの上、お出かけ下さい)
内容:今年25年目を迎えるデザインイベントです。明治神宮絵画館前に建築やインテリア、プロダクト、グラフィック、ファッション、アート・・・などの優れた作品が世界中から集まり、企業や団体、大使館、学校、デザイナーが出展します。
この大きなイベントの一部分として工学院大学の建築学専攻の大学院の学生さん達が左のようなテーマで作品を展示しています。指導者は鈴木俊彦先生と、私の友人の原田智章先生です。今回のデザイン展は「絶滅危惧種」の保護を訴えるようなデザインを創作することを主題にしています。そこで、日本の林業も絶滅危惧種になぞらえて林業の重要性を訴えるような、そして美しいデザインが展示してあります。
その作品は美しい日本の材木を使った藝術作品が展示してあります。ちなみに工学院大学は来春から日本の大学で初めての「建築学部」を創設します。
どうぞ奮ってご出かけ下さいますように御願い申し上げます。
この前の記事が中国の事なので中国の風景写真を添えようとしました。あちこち探していましたら、「異国の風景」(http://ikoku.cool.ne.jp/ )というホームページを見つけました。リンクフリーですとの事なので中国奥地の写真3枚を転載いたします。数百枚、いや数千枚の写真があるHPです。ご自分で撮った世界中の写真が旅日記とともに掲載されています。世の中には凄い方も居るものだと、つくづく思いました。是非、原写真を開いてお楽しみ下さい。
2012年に胡錦濤主席の後をついで習近平副主席が10年間任期の国家主席になると言われています。習近平さんは人格円満で誰にでも好かれるタイプの男です。日本の新聞は歓迎ムードで、その経歴を詳しく紹介し、中国の将来を期待しています。彼は文化大革命の間、貧困地帯の農村へ下放され、そこでの感動的な生き方が村人の尊敬を集めたそうです。まだまだ若いのに村の書記長になってしまったという英雄伝説的な記事が散見しています。大変結構なことですが、習近平さんが国家主席になれば中国と日本の関係は円満に推移するでしょうか?今日はこの問題を皆様とご一緒に、少し考えて見たいと思います。
今回の尖閣諸島のような不愉快な事件が起きないようになるでしょうか?中国は国際的なルールを守る立派な国になるでしょうか?三権分立のある民主国家になるでしょうか?共産党の一党独裁を止め、多数の政党から選挙で国会議員が選ばれる国になるでしょうか?経済力に支えられた軍事大国路線を止めるでしょうか?
これらの質問の答えは全て、「否!」です。ノーなのです。何故でしょうか?
明快に説明するためには、共産党一党独裁体制が変わるか否かを一番始めに書くのが賢明です。習近平さんがゴルバチョフさんのような信念を持てない性格なので中国の変革が出来ないのです。ゴルバチョフさんは失脚してから暇になり日本へも度々遊びにきました。芸能人と話をしています。それを聞くと非常に明晰な頭脳と個性的な信念の持ち主なことが分かります。ああ、こういう人だからソ連体制を止めに出来たのだ!と深く納得出来ます。
それに比較すると習近平さんはあまりにも円満過ぎます。政敵が1人も居ないそうです。協調的過ぎます。喧嘩や争いの仲裁の名人として有名なそうです。
習近平さんが共産党独裁に終止符を打てない人物だからこそ胡錦濤主席そのその周辺の人々が彼を後継者へ選んだのです。
そのように考えると全ては明快に見通うせます。共産党独裁が続くかぎり中国は日本に次から次へと難題をつきつけます。
それを予測して対策をたてて行けば一々腹を立てずに平常心で中国と付き合えるのです。感情的になればなるほど日本は損をするのです。皆様のお考えをお聞かせ頂ければ嬉しく思います。
今日も皆様のご健康と平和をお祈り致します。藤山杜人
木島平村は長野県の北の方にある小さな村です。山々に囲まれた平らな盆地に稲田が広がった普通の農村です。しかし、その東の方の山地には木島平公園やカヤの平高原があり美しい景観があります。
人口50000人程のこの村がこの自然の景観を生かして数々の地域振興政策を実行してきました。
この左の写真は、今回の旅で泊まったホテル・シェーネスベルクです。村が独自で「木島平スキー場」を開発して、このホテルの作ったのです。ホテルの部屋は広くて快適です。料理に誠意がこもっていて美味です。従業員は一所懸命にサービスしています。感じの良いホテルだったので聞きましたところ木島平村が作ったそうです。
左の馬曲温泉も1982年に木島平村が掘削した温泉です。眺めが良いことで温泉通の間では憧れの野天風呂だそうです。今回の旅ではホテルが送迎の車を出したのですが、雨の夜でしたので割愛しました。
平成の大合併の折に、隣接する飯山市などと合併する計画も検討されたのですが木島平村が観光開発した木島平スキー場とシェーネスベルクというホテルや馬曲温泉を守るために合併を見送ったそうです。その上、カヤの平高原の見事なブナ林、ダケカンバ林、白樺林、湿原と大きな池を保存しているのです。
左の写真が標高1450mのカヤの平高原総合案内所です。訪れるとブナ林や湿原の歩き方を教えてくれます。地図のあります。車で行って車中泊も自由です。この総合案内所のそばには洒落たペンション風の宿泊棟もあります。
前の記事で紹介しました池田敦夫さんがこの総合案内所の所長として訪れる人々のお世話をしています。090-8025-4288へ電話をして、いろいろ教わってからお出掛けになると良いと思います。
以上は今回行った所ですが、木島平村が作ったもっと多くの施設があります。木島平村の公式HPを見ると詳細が出ています。最後にカヤの平高原のダケカンバ林と白樺林の写真を示します。お楽しみ頂ければ嬉しく思います。
今日も皆様のご健康と平和をお祈り致します。藤山杜人
北信州の須坂市、山ノ内町、木島平村、栄村などの山地には断崖絶壁が多くあり、積雪量も多く、雪解け水が高い所から四季を通じて流れ下り、見事な滝の景観を作っています。今回は健脚の家内が滝の下まで登ったり、降りたりして写真を撮ってくれました。その幾つかの写真を示します。どれも交通不便な所にありますので行くときは交通機関について充分調べることをお勧めいたします。
まず松川渓谷の雷滝です。裏側に展望歩道がり、人が立っているのにお注目下さい。
次は八段になっている八滝です。展望台から撮った遠景です。
次は須坂市の権現の滝(左)と不動の滝(右)です。
そして最後は蛇淵の滝です。
滝の下にたった時の轟音と水しぶきをご想像しながらお楽しみ下さい。(終り)