後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

冬の花々と老境の孤独

2016年11月30日 | 日記・エッセイ・コラム
先日、ある公園に冬の花の写真を撮りに行きました。四季折々、花が絶えない公園です。花の時期が終わり頃になると自由に花を摘んでも良い公園なのです。ハサミを貸してくれて、摘み取ったもので花束を作ってくれます。ささやかな幸せな気分になる公園です。

1番目の写真がその小さな公園の風景です。真ん中に蔦の絡まった半円形のやぐらがあります。
作業着を着た男性と女性が盛んに蔦を採っています。蔦から枯葉を除いて丸めています。家内が尋ねると葛の蔓でリースを作るということでした。
愛想良く「事務所の前に花を植えましたからご覧下さい」と言います。そうです。数日前に車で通り過ぎながら「ははん。植えたな」と見ていたので後でゆっくり見に来たのです。
この公園の草木や花々の世話をしている作業着の人は皆幸せそうです。見に行くと挨拶をして微笑んでくれます。

2番目の写真は事務所の前の花壇の写真です。いろいろな色彩のパンジーの配置を工夫して植えこんであります。

3番目の写真は鮮やかな黄色いパンジーだけ植えた一角の写真です。

4番目も花壇の一部です。左に枯れた芝生と右に緑の葉を配して冬でも美しい一角を作っています。

5番目は鉢植えにしたパンジーの写真です。こんな鉢植えも自分で作ろうとすると難しいものです。植え込んだ人の苦労がしのばれます。

このような色とりどりのパンジーの花は華やかです。心が浮き立ちます。
しかし何か寂しげです。冬の陽射しは明るいのですが、弱々し気です。花には夏の花のような勢いがありません。
なんとはなしに老境の孤独を連想しました。
私のある友人は雪の積もった山林の中で一人で暮らしています。
雪の写真を撮ろうとして庭で転び、腰を打ちました。ひどい痛みが続くので、2日後に自分で救急車を呼んで街中の病院に行きました。
骨には異常が無いという診断だったので山林の中の家に帰り静養しています。窓から周囲の枯れ木の雪を眺めて過ごしているようです。
そんな友人のことを想いながら寂しげなパンジーの花を見やっていました。
またある友人は寒い暗いイギリスで伴侶に先立たれ悲嘆にくれています。最近、検査入院した病院で合併症のため急に旅立ってしまったのです。異国の地で悲しみに耐えしのんでいる友人の為に花々へ祈っていました。
そしてある友人は痴呆症になり施設に入っています。代々木の共産党本部で生涯働いていた人です。
私の山林の中の小屋の近所に独りで住んでいました。散歩のついでに私の小屋にも寄ってよく話し込んでいました。家内はあの方は善い人だと言ってました。
共産主義は悪いと信じている私ですが、彼のひたむきな生き方に胸を打たれます。
その彼も遠い何処かに去ってしまいました。

三鷹市花と緑の広場の冬のある日の午後でした。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

米国のTPP離脱とパリ協定脱退希望は国際協調の消滅の始まり

2016年11月29日 | 日記・エッセイ・コラム
老化現象で体力が無くなっていくことは仕方の無いことです。自然の摂理として静かに受け入れています。
しかし知的能力の老化現象は自分の努力でかなり容易に防止出来ると信じています。
私はこうして毎日理屈っぽい文章を構成して書いているのは知的能力の老化現象を防ぐためでもあります。
そしてもう一つ心がけていることは国際関係や世界の動向に関心を持ち続けることです。関心が無くなれば邯鄲の夢の幕を下すことになります。

そのような目的もあって最近の世界の動向を観察しています。
するといろいろな分野での国際協調が消滅しようとしているように観察されます。
第二次世界大戦後、世界の国々が種々の分野で協調しようとして、いろいな協定を作って来ました。しかし最近、その協調主義が消え始めたと感じています。
この「青い水の惑星」の上で国々が協調して平和に繁栄しようとする考えが消えて、自分の国さえ良ければ他国のことは考えないという雰囲気になって来ました。

それは大きな潮流として世界を巻き込んで行くように感じています。
イギリスのEU離脱やトランプ次期大統領のTPP離脱宣言やパリ協定脱退希望や、欧州各国の右翼政党の躍進がこの大きな海流の潮目になっているのです。少なくと私はそのように考えています。

このように大雑把に書くと、これは私の個人的な感想に過ぎないかも知れません。
そこでTPP問題と地球環境問題のパリ協定について少し詳しく見てみましょう。

(1)アメリカのTPPからの離脱宣言
TPP(Trans-Pacific-Partnership-環太平洋経済連携協定)は関税を撤廃し環太平洋の国々での自由貿易を目標にする経済連携協定です。要するに、太平洋に面している国々で可能なかぎり関税を無くし、共通な貿易ルールを作成しましょうという協定です。
なぜこのようなルールを作る必要があるのでしょうか?
それは各国が自分の国の産業を守るために高い関税を設定したり、外国企業の進出を妨げるための制限をかけているからです。
要するに自分の国だけの保護貿易と、外国企業の侵入を防止している現状を変えて、自由貿易と自由な外国企業の進出を認めようという協定なのです。
例えば日本は米の輸入には関税を402円/kg(WTO加盟国なら341円/kg)をかけているそうです。輸入米に大きな関税をかけ米農家を守っているのです。その他、外国人の就労ピザ取得規制により日本人の雇用を守っているのです。
TPPではこれを段階的に撤廃して行こうとしています。

オバマ大統領はこの協定の推進者で、日本もアメリカと歩調を合わせて参加のための国会承認までしてしまったのです。
それなのにトランプ氏は1月に正式に大統領に就任したら、いち早くこのTPPからアメリカを離脱させると公約を実行すると宣言したのです。
GDPの一番大きなアメリカがTPPから抜ければTPPは骨なしになることは誰でも分かります。

(2)「パリ協定」から脱退を希望するトランプ次期大統領
国連は今年の10月5日、2020年以降の地球温暖化対策に取り組む国際的枠組みを定めた「パリ協定」が11月4日に発効すると発表しました。
発効の条件となっていた、「締約国の温室効果ガスの排出量が世界全体の55%を超えること」が成立したと言うのです。

パリ協定は、温室効果ガスの排出を2008年から12年の間に先進国全体で5.2%削減することを定めた京都議定書以来、18年ぶりの国際的な枠組みとなるのです。
2015年12月の国連気候変動枠組み条約締約国会議(COP21)で署名した世界各国が自国でこの合意を批准し、「締約国全体の排出量が世界全体の55%以上」となることが発効の条件だったのです。
10月4日に欧州議会で一括して批准することが決定され、5日にフランス、ドイツなどが締結文書を国連に提出し、排出の57%近くを占める73カ国が批准したことで成立したわけです。
この協定では、地球の平均気温上昇を産業革命前と比べて摂氏2度(華氏3.6度)より低く抑えることを求めています。

パリ協定は採択からわずか10カ月で発効となります。
京都議定書は発効まで8年間を要し、アメリカが批准を拒否して脱退し、中国やインドなどの主要な排出増加国が規制対象外であったため、期待したほどの効果を得られなかったのです。
温室効果ガスの合計排出量が地球上の96%に相当する190カ国以上の国が、最終的にCOP21に参加しました。
世界の2大経済大国で、2大温室効果ガス排出国でもあるアメリカと中国が9月3日に正式に批准したことも他国の参加を促した。インドも続いて9月に批准した。

それなのにトランプ氏は過去1年間の選挙運動中にアメリカがパリ協定から抜たほうがアメリカの産業が活力を取り戻し、雇用も大幅に拡大すると主張し続けたのです。
アメリカの脱退は、すでに批准しているので直ぐには可能ではありません。
しかしトランプ氏の主張はその他のいろいろな分野での国際協調を弱めることになります。

分かり易く言えば、アメリカさえ良ければこの青い美しい惑星の地球はどうなっても良いという考え方なのです。
ですから私は「米国のTPP離脱とパリ協定脱退希望は国際協調の消滅の始まり」と理解しているのです。

今日の挿し絵代わりの写真は、子供や孫たちが何か折り目折り目にお世話になった近所の稲穂神社の樹々の晩秋の風景です。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)





「今日の日記、店先の冬の花の写真を撮りに行きました」

2016年11月28日 | 写真
「今日の日記、店先の冬の花の写真を撮りに行きました」
この頃、公園や植物園の花々が無くなりました。冬になったので花の季節が過ぎ去ったのです。
仕方がないので大型の花屋さんの店先の花々の写真を撮りに行きました。花も少々買いました。
店先は冬の花々が賑やかに飾ってありました。クリスマスやお正月のための花々があり季節の移ろいの早さに驚きます。





日本人は何故、カストロ氏の死に大きな関心を持つのか?

2016年11月28日 | 日記・エッセイ・コラム
この数日、日本の新聞に共産国家、キューバの革命家カストロの死に関する記事が多く出ています。
彼は1959年のキューバ革命でアメリカ合衆国の傀儡政権を倒し、キューバを共産主義国家にしたのです。そしてそれ以来、2008年までキューバの最高権力者でした。享年90歳です。
もう過去の人として忘ていた人も多いと思います。しかし日本の新聞は何故か大きな紙面を割いてカストロ氏の一生について記事を掲載しています。
キューバはアメリカのフロリダ州の沖にある小国です。サトウキビ以外に産物の無い国です。ですから日本の経済成長にとっては何のかかわりもありませんでした。経済的には無視しても良いような国です。
しかし共産主義や革命ということに関心のあった日本人の若者たちの関心と興味の対象だったのです。
特にキューバ革命の成功後、カストロの下で国立銀行総裁に就任していたチェ・ゲバラが「愛が無ければ革命ではない」と言い、再びアフリカや南米の革命軍に参加し戦死したのです。
日本の若者はこのチェ・ゲバラに心酔しゲバラの写真を飾ったものでした。
その盟友のカストロの死でチェ・ゲバラのことを思い出して感慨にふけっている日本人も多いのかも知れません。
あるいはカストロの反米思想に本心では共鳴していた日本人も多かったのかも知れません。

1990年前後のソ連の崩壊が無ければカストロは共産主義革命の巨星としてもっとソ連圏世界の称賛を浴びていたかも知れません。
私はキューバ革命やチェ・ゲバラに関する本を数多く読んでいる世代の日本人としてカストロの死に関していろいろな事を思い出しています。感慨が深いのです。
そしてアメリカに好意を持ってきた私としてはカストロ氏に対しては複雑な感情を持っています。
そんな複雑な感情を持ちながらオバマ氏とトランプ氏が発表した言葉を嚙みしめています。
オバマ大統領の追悼文の抜粋です。
・・・「前を向こう、、、この並外れた人物がもたらしたとてつもない影響の大きさは歴史が記録し、裁定を下すだろう」と述べて哀悼の意を表しました。
一方、トランプ氏は、「残虐な独裁者が世を去った、、、カストロの残したのは想像しがたい苦痛、貧困や基本的人権の否定だ」という声明を発表しました。

オバマ氏の発表文は何か奥歯にものの詰まったような言い方です。トランプ氏の声明はアメリカ人の本音を正直に言ったのです。
一方、日本の新聞ではキューバの街角でカストロ氏を悼む多くの若者たちの写真を掲載しています。
キューバでは現在でも、そして将来もカストロは偉大な英雄なのです。

私自身の気持ちではオバマさんの言い方に同感しています。トランプさんは言い過ぎなように感じるのです。
キューバ革命の本や「ゲバラ日記」を読んだ世代の皆様はどのような感慨をお持ちでしょうか?お聞かせ頂けたら嬉しく思います。
今日の挿し絵代わりの写真は甲斐駒岳の麓の山里にある池の写真です。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

今日の日記、スペイン人の安藤勇神父さまのミサに行ってきました

2016年11月27日 | 日記・エッセイ・コラム
今日は日曜日なので何時ものようにカトリック小金井教会のミサに行きました。
ミサには時々、他の修道会や神学校の神父さまをお招きして司式して頂きます。
今日はイエズス会の安藤勇神父さまが司式して下さいました。
日本人の神父さまと思っていましたら説教の時、私はスペイン出身ですと言われたので、ああ、スペイン人だなと知りました。
日本語は外国から来て活躍しているお相撲さんのように完璧です。容貌も日本人そっくりで、その上、安藤勇さんという名前を持っているのです。
そして司式の仕方や説教が控えめで実に静かなのです。押し付けがましい説教ではなく、神様がみんなを愛していますと呟くのです。いろいろな言い方で神の愛いについてつぶやくのです。声は低く弱い声ですが実に明瞭です。耳の少し遠くなった私にも聞こえるのです。嗚呼、良い説教だと感じ入ります。
そんな今日のミサでした。
安藤神父さまのことは「安藤勇神父」を検索すると出てきましす。
この記事の挿し絵代わりの写真は、安藤勇神父への敬意を表するためにトレドにあるスペインのカトリックの本山の大聖堂の写真です。
写真の出典は以下の通りです;
http://yuuma7.com/%e3%82%b9%e3%83%9a%e3%82%a4%e3%83%b3%e3%81%ae%e3%83%88%e3%83%ac%e3%83%89%e3%81%ab%e3%81%82%e3%82%8b%e5%85%a8%e3%81%a6%e3%81%ae%e6%95%99%e4%bc%9a%e3%81%ab%e8%a1%8c%e3%81%a3%e3%81%9f%e3%80%82%e8%bf%b7/



80歳になり趣味が一つだけになった!しかし幸せだ

2016年11月26日 | 日記・エッセイ・コラム
昨日、「80歳になると趣味が無くなり、一つだけ残った」という記事を掲載しました。
老境になると体力も知力も次第に衰えるので幾つもの趣味を続けられなくなるという状態を正直に書いた一文です。
共感して下さる高齢者も多いらしく数多くのコメントを頂きました。
しかし昨日の文章から、趣味も無い老後は楽しくないと誤解される恐れもあるかも知れません。
そこで今日は少しだけ補筆したいと思います。
さて80歳になった私にたった一つ残された趣味とは何でしょう?
それは都会を離れ自然豊かな所に行って四季折々の風景をゆっくり眺めることです。
これを趣味と言えるかどうか分かりませんが昨日も富士山の山中湖の周りを車でゆっくり回って来ました。所々で車を停め、湖岸を歩きながら初冬の高原の湖の風景を眺めました。
もうワカサギ釣りの船が出ています。行く秋を惜しむように白鳥を形どった観光船が走っています。あいにく富士山は厚い雲の中でしたが初冬の山中湖の風景に心が奪われ幸せな一樋でした。そんな様子を写真で示します。

1番目の写真は黒っぽい色合いをそいた冬の山中湖の風景です。

2番目の写真は岸辺に雪の積もっている寒々とした湖の写真です。

3番目の写真は雪に覆われたヨットの写真です。何時もは沖に係留されているヨットが冬に備えて陸上の台の上に上架線されています。

4番目の写真は岸辺の遊歩道を走っている家内の写真です。

5番目の写真は最後にコーヒーでもゆっくり飲もうと入った店の窓から撮った白鳥形の観光船でしす。湖の風景を窓越しにただ眺めるだけの静かな時間でした。

以上が私のたった一つの趣味なのです。それだけで実に幸せな老境なのです。これ以上のものは望みません。
しかしよくよく考えてみるともう一つありました。
それはカトリックの信仰です。お釈迦様の教えの深みが分かるようになったことです。
お釈迦様の教えは孔子や孟子の教えのように人間はどのように生きるべきかを教えてくれます。合理的です。孔子様の教えよりも深い内容のようです。

キリスト教は宗教として信仰しています。
教えが分かり易く、イエス様が我々人間を大切に思ってくれているのです。
高齢になればなるほど理解が深まります。信仰が強くなるようです。
一つの理由は死ぬのが怖いからでしょう。しかしそれだけではありません。
人生の苦しみや悲しみを数多くの経験を重ねるとイエス様の教えの意味が理解出来るようになるのだと思います。高齢になるにしたがって強く共感するのです。
今日もこれから家内と一緒にミサに行ってきます。

そして、皆様のご健康と平和をお祈りしてまいります。後藤和弘(藤山杜人)

80歳になると趣味が無くなり、一つだけ残った

2016年11月26日 | 日記・エッセイ・コラム
誰でもそうでしょうが老化すると体力が無くなります。すると体力がないと出来ない趣味は続けられなくなります。
その上、知的な能力も次第に衰え、難しい本を読み続ける根気も無くなりがちです。
この状態を「あの人は枯れてきて立派だ」と褒める人もいます。
本人は達観の境地だ、いや諦観の境地だと言いながら、心静かに日々の流れに身を任せます。

しかし若い人から見れば趣味の数も減り、あまり読書もしない老境は悲しいものと映るようです。
若い頃、私も老境は悲しい時期に違いないと考えていました。

体力が無くなったので25年続けて来たヨットの趣味を75歳ですっぱり止めました。
近くの高尾山や旧甲州街道の小仏峠に何度も登る趣味も去年で止めました。
自転車で遠方に行く趣味も十年前に出来なくなりました。
難しい本を読み続ける趣味も消えて久しいものです。
止めてしまった幾つもの趣味には未練はありません。楽しい思い出が沢山残りました。

馬齢を重ね、80歳になって気がついてみると私の趣味はたった一つだけになってしまったのです。
たった一つの趣味とは山林の中の小屋へ行って、ただ周囲の自然の風景を眺めることです。
四季折々、何時行ってもその風景を眺めて時を過ごします。気持ちが豊かになります。この世の憂いも忘れます。とても幸せな気分になります。
これを趣味と言えるか疑問ですが、私は残されたただ一つの趣味だと思っています。
先週もその小屋の周囲の紅葉を眺めて時を過ごしてきました。写真をお送りしましょう。

1番目の写真は松林の向こうに黄葉した雑木林を写した写真です。この光景を私は好きなのです。
四季折々、暗い松林の幹の向こうに明るく陽の射した雑木林が見えるのです。それを眺めて時を過ごします。

2番目の写真は冬に薪拾いをする雑木林です。美しい紅葉もすっかり落葉すると林の中が明るくなります。枯れ枝が沢山落ちていて薪拾いが楽しく出来ます。

3番目の写真は小屋の窓からみた紅葉です。小川が流れています。その向こうは斜面になっていて岡の上に登る小道が作ってあります。昔、この急坂を子供や孫たちが登っていた姿を思い出して笑みが湧いてきます。「イノチガケ」と小学生の孫が名づけました。

4番目の写真は実にシンプルな薪ストーブです。非常に簡単な構造ですが薪がすぐに燃え上がり、室内が急速に温まるのです。薄い鉄板で出来ていますが10年以上の寿命があります。

5番目の写真は粗末な小屋の写真です。質素な小屋だけに泊まると苦労が多いのです。
水道が無いので小川の水を使います。小川の有難味が身に沁みます。そんなことが楽しかったのです。この小屋の光景は42年間変わっていません。すこしペンキが剥げかかっているだけで。
この白い小屋が周囲の紅葉の風景を一層引き立てているようです。

さて一般的に考えてみると趣味は人それぞれです。
若い時の趣味を高齢になっても相変わらず続けている人もいます。

身近にいる家人をつぶさに観察していると趣味は私と随分と違います。流石に茶道の趣味は止めましたが、花を世話をする趣味や読書の趣味は相変わらずです。特に源氏物語や現代文学の読書は熱心に続けています。これには自分の家人ながら感心しています。
もう一つの趣味は広い公園を走る趣味です。今でも広い場所に行くと走り出します。しかし精密に観察していると走る速度が遅くなっています。歩幅も小さくなっています。しかし直立した姿勢だけは昔のままです。家人の自慢は止めます。

さて皆様は年齢とともにどのように趣味が変わっていったでしょうか?お話をお聞かせ頂けたら嬉しく思います。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)



理想社会、アメリカへの幻想をうち砕いたトランプ氏

2016年11月25日 | 日記・エッセイ・コラム
愚かな私は今までアメリカは自由と平等の国として尊敬していました。日本はアメリカのような理想的な社会を作るべきだと思っていたのです。アメリカ社会ではイスラム教は勿論、創価学会でも韓国の統一教会でも自由に宣教活動をしていたのです。
個人の尊厳を大切にし、独創性を伸ばす教育をしています。
昔からあった黒人差別の問題も、キング牧師の活動により黒人の公民権が認められたのです。
そして遂には黒人のオバマ大統領が出現したのです。
アメリカは確かに好戦的な側面を持っていました。しかしそのお陰で日本や韓国が共産主義国家になるのを防いできたのです。
ベトナム戦争ではアメリカが敗北しましたが、それ以外のアジアの国々が共産主義国家になることは無かったのです。
しかも1990年頃には冷戦に勝利し、ベルリンの壁を崩し、数多くのソ連の衛星国を解放したのです。
非常に大雑把に言えばアメリカは人類の歴史において賞賛すべき影響を及ぼしたのです。

このようにアメリカを称賛するのは私だけかも知れません。
それには個人的な体験の積み重ねによるものかも知れません。
私の小学3年生、9歳の時、アメリカは日本の全土を占領しアメリカ軍のマッカーサー司令官が日本を統治したのです。
日本の小学校、新制の中学校、高等学校、そして大学の全てにおいてアメリカは理想的な国家だという教育をしていました。
この戦後の教育を受けた私はアメリカは理想の社会だと信じていました。
そして大学生の頃、アメリカから来た数人の宣教師とハイキングに行ったりして一緒に遊びました。彼等は決してキリスト教の宣伝をしませんでした。初歩的な英会話を教えてくれて、合間、合間に我々日本人と一緒に遊んでくれたのです。
彼等は戦勝国の人間として我々を見下しません。一人の人間として大切にしてくれたのです。彼等の人間性の良さに驚いたのです。
その後オハイオの大学に留学しましたが、大学の先生方も同級生のアメリカ人も私を一度だって差別したことはありません。
日本から許嫁を呼んでオハイオで結婚したときも結婚式の準備から披露宴の手配まですべてアメリカ人の先生と同級生がしてくれました。
ですから私は文字通り「アメリカ一辺倒」になってしまったのです。
その後もアメリカの先生方や同級生に仕事の上で一生の間、大変なお世話になってきたのです。
ありていに言えばアメリカの悪い点には目をつぶって来たのです。見ないようにして来たのです。
1962年からオハイオ州立大学に留学しました。当時の黒人差別は徹底していました。
大学には黒人が見えません。バスに乗れば前の席が白人で後ろ半分の席が黒人です。
道路掃除をしているのは黒人です。大学内の掃除はメキシコ人でした。
黒人の居住街と白人の住宅は厳密に区別されています。映画館もレストランも教会も黒人と白人は別でした。
当時、路上や店に会う黒人は礼儀正しく無言でした。とにかく従順な態度なのです。
話は飛びますが、芝居の世界には黒子という者がいます。当時のオハイオ州で見た黒人は皆この黒子のように静かで目障りにならなかったのです。
日本で信じていた「自由と平等の国、アメリカ」は白人だけの間だけの話だったのです。
しかしその後、キング牧師たちの差別撤廃運動で黒人と白人は社会的には平等になったのです。
バスの席もレストランも学校も教会も黒人と白人は平等に一緒に座るようになったのです。
そして遂に黒人のオバマさんが大統領になったのです。
私は嗚呼、やっぱりアメリカは理想の国だと思ったのです。
ところがこの私の幻想を打ち砕いたのがトランプ氏でした。
彼の選挙運動期間中の数々の正直な発言によってアメリカ社会の闇の部分が明らかになったので。
わたしはそれを知らないまま死んで行きたかったのです。
それではアメリカ社会の闇とはどのようなことなのでしょう?
今日はあまり長くなるのでこの問題は別稿で書いてみたいと思います。
今日の挿し絵代わりの写真は先週撮った八ヶ岳山麓のある開拓地の風景写真です。何故か私の好きな北海道の風景に似ているにで四季折々写真を撮りに行く場所です。


それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)





美味しいエゾシカ肉と不味い鹿肉、隠れた秘密

2016年11月23日 | 日記・エッセイ・コラム
皆様はスーパーで美味しい牛肉や豚肉を買って料理をして食べています。ベジタリアンの方々は別にして、毎日のように食べています。
私は最近、美味しい肉には素人が知らないに隠れた秘密があるのではないかと考えるようになりまた。
それは今まで不味いと信じていた鹿肉が非常に美味しいものもあるという体験をしたからです。
趣味人倶楽部というSNSの会員の「でいしゅうさん」という方がエゾシカの肩ロースとモモ肉を北海道から冷蔵宅急便で送って下さったのです。
そのいきさつは一昨日の記事、「徳不孤、必有隣と狩猟の趣味、そして不羈の才」で説明いたしました。
頂いた鹿肉を山椒味噌味のステーキにしたり、フランス料理風にワイン、生クリームとコンソメの素などを入れたソースを焼いたステーキにかけて食べました。

ところが単純に塩コショウだけで焼いたものがロースでもモモ肉でも一番美味しかったのです。
美味しい肉はあまり凝った料理をしないで、焼いて塩コショウだけで食べると美味しいのだと分かりました。
焼いた鹿肉は実に柔らかで滋味豊かな奥深い美味しさがあったのです。ほんの少し野生の風味がして奥行のある味です。
その上、同じ草食動物の和牛のような風味がかすかにするのです。
そこで鹿肉を送ってくれた「でいしゅうさん」にどうして美味しいのかをクドクド聞きました。

3つの絶対条件があるようです。
(1)鹿を一発で即死させ苦しめない。(苦しんで死んだ肉は全て不味い)
(2)即死後、体温の下がらないうちに完全に血を抜く。
(3)解体の時、毛皮に触った手で肉に絶対に触ってはいけない。(腐敗菌や雑菌がすぐに繁殖し長期の熟成が出来なくなる)

以上をきちんと行った鹿肉は数日間の冷蔵庫での熟成で柔らかになり風味も増すのです。
結論を先に書けば、以上の3条件を完全に出来る猟師の獲った鹿肉は美味しいのです。
では不味い鹿肉はどうして出来るのでしょうか?
多くの猟師は上の(1)と(2)は知っています。なるべき完全に血を抜くように努力します。
ところが解体の時、皮を剥いだ手で、そのまま肉も切ってしまうのです。
これでは数日間の熟成期間中に雑菌が繁殖し不味くなるのです。酷い時には腐敗してしまうのです。

草食動物の肉は和牛でも輸入牛でも鹿でも数日間熟成しないと不味いのです。
猟師の獲った獣の肉が不味いのは多くの場合、解体の時、毛皮に触った手で肉に触ってしまうからです。
私はでいしゅうさんから、濡れタオルで包んで送られて来た鹿肉を、別の濡れタオルで包んでさらに3日間冷蔵庫で熟成しました。
そうしたら実に柔らかになりました。風味も一段と増したのです。

でいしゅうさんは更に美味しい鹿肉について11月08日の日記に以下のように書いています。

1、美味しい年齢(2歳の牡)の鹿であるか。
2、牧草をしっかり食べて肥育している季節か。
3、雪の季節は美味しくない。
4、撃った時に一発で首の骨を砕いて、即死させたか。苦しめた鹿は不味い。
5、直ぐに放血を行う。小バケツ一杯は出る。
6、内臓をすぐに抜く。
7、体温を下げる。皮は早く剥いだ方が良い。
8、皮を剥ぐときに、毛に触った手で肉を掴まない。
9、大分けにした肉は吊るして血を抜く。
10、肉をブロックにしてから、濡れタオルに包み、3日ほど熟成さす。
11、肉からはスジを取、肉の繊維に気を付けて切る。

私は甲斐駒岳の麓にある肉屋さんから鹿肉やイノシシ肉を買って食べたことがありました。
イノシシ肉は美味しいのですが、鹿肉は全て不味かったのです。
その肉屋さんの息子さんが鉄砲撃ちの猟師で甲斐駒岳の麓で獲った新鮮な肉なのです。
鉄砲撃ちの息子が獲った新鮮な鹿だから美味しいよと女主人が自慢していました。
しかし最近はその息子さんの血抜きや解体処理の悪さを考えるようになりました。
そうこうしている内にその長年親しんでいた肉屋さんの主人が病気になり廃業してしまったのです。はかないです。

さて冒頭に「私は最近、美味しい肉には素人が知らないに隠れた秘密があるのではないかと考えるようになりまた。」と書きました。
その意味はスーパーに並んでいる牛肉も豚肉もそしてラム肉もその解体方法と熟成に隠れた秘密があるのではないかと考えるようになりました。
そして人間の食べ物についての智慧の深さを想うのです。
写真にエゾシカ肉を示します。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)


1番目の写真は熟成が終わったモモ肉を切っている場面の写真です。

2番目の写真は切り終わった肩ロースの写真です。

3番目の写真はローズマリーとともにステーキにしたモモ肉の写真です。

「今日の日記、卒業58年後の気楽な昼食会に出ました」

2016年11月22日 | 日記・エッセイ・コラム
仙台の大学の卒業後、同級生がもう何年も気楽な昼食会をしています。1958年に金属工学科を30名が一緒に卒業をしました。
4名が亡くなり26名が全国に住んでいます。

今日は東京近辺の7名だけが集まり昼食を一緒に食べました。
気楽な会合です。参加者が全員80歳以上なので達観の境地なのです。80歳以上の生は天からのボーナスとして全員が生きているだけで有難がっているのです。

昔、仙台で遊んだ学生の頃の思い出から、最近の国際情勢やトランプ大統領のことまで楽しい話が続きました。
久し振りに東京駅の地下まで車を走らせました。東京の街路樹が紅葉して美しいのです。

1番目の写真に日比谷通りの風景を示します。
2番目と3番目は今日の昼食会の出席者です。皆80歳以上の達観の老人たちです。





晩秋の白樺湖、蓼科湖、諏訪湖への旅と作家新田次郎のことなど

2016年11月22日 | 日記・エッセイ・コラム
何時ものように甲斐駒の麓の山林の中の小屋に行き、紅葉を楽しみました。
夜は八ヶ岳の甲斐大泉のホテルに泊まり、次の日に山岳周遊道路のビーナスラインで晩秋の白樺湖と蓼科湖を巡り、最後に諏訪湖をたずねる旅をして来ました。
それでは早速、写真でご案内いたします。

1番目の写真は白樺湖です。小さな島があり白樺林があります。白樺湖らしい景観なので白樺湖に来るたびにここで写真を撮ります。

2番目の写真は車山の方へ少し登った場所から見下ろした白樺湖です。曇り日なので晩秋の淋しい湖の風景になっていました。やがて白一色の冬景色になるのです。

3番目の写真は蓼科湖です。人影の無い静寂の世界でした。

4番目の写真はビーナスラインを降りて来て諏訪湖に出て撮った写真です。諏訪湖ヨットハーバーの風景です。1990年頃はこのハーバーにはヨットが所狭しと並んでいたものです。それがさびれてしまい、ヨットがほんの少しあるだけになりました。まさしく栄枯盛衰を感じる光景でした。

5番目の写真は諏訪湖の遠景です。ハーバーの突堤にポツリ、ポツリとモーターボートが係留されています。冬になると湖は一面に氷ります。船は全て陸に上げて台の上に並べます。冬の諏訪湖はワカサギ釣りで少しだけ賑わいます。そうして春を待つのです。

昨日は甲斐大泉から中央高速道路の長坂インターから入りました。諏訪・茅野インターを出て、茅野からビーナス・ラインに入りました。
麓の雑木林は素晴らしい紅葉でした。
しかし蓼科湖や白樺湖まで登ると樹々はすっかり落葉してしまい冬の山になっていました。
この蓼科湖や白樺湖は昔、子供連れで何度も泊まって遊んだ所です。
夏には蓼科山や横岳に登ったり、冬は白樺湖スキー場でスキーをしたものです。そしてスケートが上手だった家内は氷結した蓼科湖や白樺湖でスケートを楽しんでいました。当時は冬が寒くて諏訪湖も凍ったので一家でスケートを楽しみました。

そんなことを思い出しながら車を走らせていたら、新田次郎の「霧の孫たち」という小説を思い出しました。1960年代の終わり頃、「文芸春秋」という月刊誌に連載していた作品です。
この小説は、蓼科湖や白樺湖の奥で、八島ヶ原湿原、旧御射山遺跡を横断しようとしたビーナスライン建設に対し、反対運動を展開した人々のことを書いたものです。反対運動の結果でビーナスラインは八島ヶ原湿原、旧御射山遺跡を迂回し完成しました。
当時は環境保護という言葉すら無かった時代でした。私はそれまでに無かった新しい主題に興奮して毎月発刊される「文芸春秋」を待っていたものです。日本の自然保護の原点となる出来事をモデルにした作品でした。

諏訪市の角間新田に生まれた新田次郎は、連載した『霧の子孫たち』という小説を文藝春秋社から単行本として刊行しています。
その後書きの一部を下に抜粋します。
・・・自然破壊の問題は各地に起こっており、日に日に日本の自然と文化遺産が観光開発の名のもとに失われて行く中にあって、諏訪における、反対運動の成功はまことに珍しいことであった。
私はかねてから観光公害に対する抵抗のあり方を含めて、自然と人間の因果関係のようなものを、なんらかの形で書きたいと思っていた。たまたま郷里に持ち上ったビーナスライン問題は絶好な材料となった。
 霧ヶ峰のことはよく知っているつもりでも、遠く離れているので、思い違いや霧ケ峰自体の変貌もあって、いざ書き出すと、しばしば霧ケ峰を訪問しなければならなくなった。これが私の望郷の念と自然を破壊する者への怒りを煽る結果となった。・・・・

新田次郎のことを考えていたら、彼の妻の藤原ていの『流れる星は生きている』という本で感動したことを思い出しました。
彼女は県立諏訪高等女学校(現、諏訪二葉高等学校)を卒業しました。新田と結婚し、1943年に新京の気象台に赴任する夫と共に満州に渡ります。敗戦後の1945年、夫を一時残して三人の乳幼児を連れ満州より引き揚げ、帰国後しばらくして新田次郎も帰国しました。
帰国後、苦しい体験をもとに、小説として1949年に出版したのが『流れる星は生きている』でした。
この本は引き上げの苦しい出来事を美しい緻密な文章で書きあげた作品でした。多くの人の胸を打ち、当時のベストセラーになりました。その彼女も先日星になりました。

今回の蓼科湖や白樺湖や諏訪湖をめぐる小さな旅では昔若かった頃、家族と遊んだことを思い出しながら、新田次郎や藤原ていの作品を読んだときの感動がよみがえって来ました。
そんな晩秋の山の湖への旅でした。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

徳不孤、必有隣と狩猟の趣味、そして不羈の才

2016年11月21日 | 日記・エッセイ・コラム
趣味人倶楽部というSNSの会員に「でいしゅうさん」という方がいます。
この方は銃を使った狩猟を何十年も続けています。その彼の日記を読んで何故かひどく感動しましたので私のブログ(http://blog.goo.ne.jp/yamansi-satoyama)へ「狩猟の趣味の深さ」と題する連載記事を寄稿して下さいませんかとお願いしました。
書いて下さった記事は以下のように今年の10月4日から10月12日にわたって掲載いたしました。

でいしゅう著、「狩猟の趣味の深さ(1)品性の良い犬の訓練」、2016-10-04
でいしゅう著、「狩猟の趣味の深さ(2)猟犬への深い愛が狩猟の決め手」、2016-10-05
でいしゅう著、「狩猟の趣味の深さ(3)山間部集落の獣害とイノシシ猟」、2016-10-06
でいしゅう著、「狩猟の趣味の深さ(4)猟銃の種類と狩猟文化」、2016-10-08
でいしゅう著、「狩猟の趣味の深さ(5)勢子と撃手の緊迫した連携」、2016-10-09
でいしゅう著、「狩猟の趣味の深さ(6)猪と鴨を美味しく食べるこだわりの料理法」、2016-10-10
でいしゅう著、「猟犬、ココとの別れ」、2016-10-12

丁度、連載の終わった頃、でいしゅうさんが毎年のように道東にエゾシカ猟へ行くことになりました。
道東の別海町に数週間住んで四輪駆動車に乗って独りでエゾシカを探して撃つのです。
そこででいしゅうさんへ鹿肉を少々送って下さいとお願いしました。
「承知しました。美味しい鹿が獲れたら送ります」という返事でした。
2、3匹獲れたのですが美味しそうでなかったのでしょう。彼の言葉を信じて気長に待っていました。
ついに2、3才の雄鹿の大物が獲れました。
肩ロースとモモ肉を冷蔵宅急便で送ってくれました。教わった通リ濡れタオルで包んで冷蔵庫で3日間熟成してワインとローズマリーに漬けてステーキにして食べました。
美味でした。柔らかくて野生の香りがほのかにして奥深い味わいです。モモ肉の方が少し野生の風味が強いようです。

今迄、山梨県の甲斐駒岳の麓にいる日本鹿は何度も食べたことがあります。しかし不味いのです。
鹿肉は不味いという固定観念を持ってしまっていました。

美味しい鹿が獲れたら送る。獲れなかったら送らない。不味い鹿は幾ら獲れても送らない。これが彼の心なのです。
美味しい鹿と不味い鹿の違いは別稿で説明する予定なので、ここでは省略します。

さて今回、美味しいエゾシカ肉を送ってもらったので、彼の書いた連載記事をもう一度読み直してみました。
そうしたら、でいしゅうさんは若い時から「徳不孤必有隣」をモットーにして銃猟の趣味を続けていたことが分ったのです。
山に犬を連れて独りで入っても「徳不孤必有隣」という言葉を思い出して規則を守って撃つのです。他人が見ていないからと無法な猟は絶対にしないのです。
「徳不孤必有隣」という言葉は論語の言葉で、徳は孤ならず 必ず隣有りと読みます。
意味は本当に徳のある人は孤立したり、孤独であるということは無く、真に徳さえあれば必ず人はその徳をしたい教えを請う人たちが集まって来るという意味です。

ついでに言えば、でいしゅうさんは不羈の才に恵まれた趣味の人なのです。
不羈とは物事に束縛されないで行動が自由気ままであることですが、不羈の才とは才能などが並はずれていて、枠からはみ出すことも意味します。

でいしゅうさんは猟に関しては自由に行動します。大勢で追い出して撃つイノシシ猟でも一見自由のように行動しますが、一端、撃場に隠れたら絶対に動きません。仲間を誤って撃つような場所は絶対に選びません。

さてエゾシカは牧草を食べたいので道東の牧場に出ます。一撃で倒しても血が牧草地を汚します。でいしゅうさんはそれをティッシュペーパーで叮嚀にふき取り取り、汚れた紙も鹿と一緒に持ち帰ります。
湿地地帯にいるエゾシカは絶対に撃ちません。一撃で痛みも無く倒せますが、鹿の回収の為に重い四輪駆動車を湿地帯へ入れることができません。鹿を回収出来ないのです。
彼は撃った鹿は食べるという原則を持っているのです。それが鹿に対する礼儀だと思っているようです。

エゾシカを撃つためには牧場主の信頼が無ければ撃つことを許してくれません。「徳不孤必有隣」という言葉が重要なのです。
狩猟の場合の不羈の才とは射撃の名人ということです。今年の猟では380メートル離れたエゾシカの雄を一発で倒しました。道東に滞在している間にも射撃場に行って射撃の練習をしているのです。

このように折り目正しい品性の高い狩猟の趣味を持てたことは、一つには生まれつきの才能があったことですが、もう一つの理由は一番最初についた師匠の高い品性によったと思います。
その最初の師匠のことは、でいしゅう著、「狩猟の趣味の深さ(1)品性の良い犬の訓練」、2016-10-04 に丁寧に書いてあります。その一部だけを下に示します。
1、銃に弾を込めるのは、犬が鳥の隠れている場所をポイントをしてからしなさい。
2、撃つ前に周囲の安全を確かめる 。
3、偶然に歩いて居る雉や、突然飛び出した雉がいても、撃ってはダメだ。
4、雉撃ちに行くのだから、鴨を撃ってはいけない。
5、犬より前を歩くつもりで、歩きなさい。
その他いろいろありますが割愛します。

趣味はなんでもそうですが、自分の品性を高めてくれるような趣味が最高の趣味ではないでしょうか?
でいしゅうさんの狩猟の趣味を見るとしみじみそのように思います。

今日の挿し絵代わりの写真は先日、八王子市の「つどいの森公園」で撮った紅葉の写真です。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)





七五三のお祝いをするカトリック教会

2016年11月20日 | 日記・エッセイ・コラム
今日は日曜日です。しかし今日は用事があるのでミサに行くのは休みます。かならず行くべきという堅いことはありません。
そこで代わりに先週の日曜日のミサのご報告をいたします。
先週もいつもの式次第でしたが、一つだけ変わったことをしました。
それは子供の七五三のお祝いをしたことです。
ミサの間に七、五、三歳の子供とその親を祭壇の前に並べて神父さまがお祈りをして元気に育つようにするのです。そうして一人一人に千歳飴の長い袋を渡します。それが終わると子供と親を会衆の方へ向けて、一人一人を紹介します。会衆が一人一人へ拍手を送ります。
そのお祝いは10分ぐらいで終わりました。

このようにカトリックは日本の習慣を尊重します。車のお祓いも神父さんへ頼めばしてくれます。
元旦にはミサを上げてくれます。
お彼岸のような墓参りは11月にします。

カトリックはこのように現地の伝統や習慣を大切にしようとする宗派なのです。

さて今日はミサに行かないので朝食の前に家内と一緒に以下の主の祈りを唱えます。

天におられるわたしたちの父よ、

み名が聖とされますように。

み国が来ますように。

みこころが天に行われるとおり地にも行われますように。

わたしたちの日ごとの糧を今日も お与えください。

わたしたちの罪をおゆるしください。わたしたちも人をゆるします。

わたしたちを誘惑におちいらせず、

悪からお救いください。アーメン

今日の挿し絵代わりの写真は2011年11月10日に明治神宮で私が撮った七五三の祝いの風景です。先週、教会へカメラを持って行くのを忘れたので代わりにお送りいたします。私の子供の頃は戦争中だったので七五三の祝いなんかありませんでした。こんな光景を見ると平和の有り難さをしみじみと思います。ここに写っている子供たちももう5年もたつのですから、さぞ大きくなっていることでしょう。


それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)





日本の平和と防衛(2)日本防衛についてのアメリカ人の人情が変わってしまった

2016年11月19日 | 日記・エッセイ・コラム
よく義理人情はアメリカでは通用しないと言います。
しかしアメリカに住んで米国人と共同で仕事をした経験から、私はアメリカでも義理人情が重要だと信じています。ただ単に「義理人情」という言葉がアメリカには無いだけす。
分かり易く言えば彼等の行動も情に流される場合が非常に多いのです。
そこで今日はトランプさんの選挙運動でアメリカ人の人情がどのように変わってしまったかを書いてみたいと思います。勿論、アメリカ人に直接聞いた話ではありません。しかし長い間、彼等と共同で仕事をしてきた経験のある私の想像がそんなに間違っているとは思えません。
「アメリカ人の人情」と一言で言ってしまっては雑すぎます。
政権に参加するようなエリート層の人情と、トランプ氏を支持したと言われている白人労働者やもろもろの層の人たちの人情と分けて想像することが重要なのです。
エリート層の行動は理性的です。人情は持っていますがそれに流されないようにします。
その良い一例は共和党の有力な知日家のアーミテージ元米国務副長官です。今日の読売新聞の2ページ目に日米安保体制の将来について論陣を張っています。理路整然として成程と強く納得出来る論説です。
彼の主張は、「米軍、国防省、国務省が従来の同盟をガラリと変えることは考えにくい。ただトランプ氏がそのことを理解するのに時間がかかる」というものです。
ですから日米安保体制は将来も従来通り存続するでしょう。
しかし、と私は強調したいことがあります。
それはトランプ氏を支持したと言われている白人労働者やその他の諸々のマイノリティ層、そして格差にあえいでいる層の人々の日米安保体制に対する感じ方が変わってしまったことです。
彼等は従来は外国との同盟は、それも仕方が無いという諦観のような人情を持っていたのです。そのように想像出来る雰囲気があったのです。今まで彼等は安保廃止やNATO脱退のデモ行進をしたためしが無かったのです。
ところがトランプ氏は過去一年間、駐留費全額を出さない日本からは米軍の撤退の可能性がありうると叫び続けていたので。NATOからの脱退の可能性もあると言い続けたのです。
この言明はアメリカで格差にあえいでいる層の人々の安保体制やNATO体制に対しての感じ方を変えてしまったと考えるのが当然ではないでしょうか?
「人間は考える葦である」と言いますが、同時に「考える葦は風になびく」ものなのです。
多くのアメリカ人は日本を従順な弟のような親近感をもって接して来たのです。日本を家族の一員だという人情を持っていたのです。
それがトランプ氏の発言で「家族の一員ではなく、やっぱり他人なのだ!」と気がついたのです。
この人情の変化は「日本は他の独立国と同じような国であり、アメリカの属国ではない」という感じ方につながります。
彼等の日本に対する熱い感情がさめてしまったのです。日本人は普通の他人になってしまったのです。
一方日本には、「日本はアメリカからもっと独立べき」と主張する人々が多いのです。
その極端な考えの「米軍の完全撤退と自主防衛」を主張する人々もいます。
そこまで極端ではなくても、米軍には駐留してもらいながら軍備の強化を主張する人々もいます。
また平和憲法の改正は断固反対して従来通りの安保体制の維持を主張する人々もいます。
トランプ氏の出現は「日本はアメリカの属国ではない」と主張する日本人に歓迎されて来ました。
従ってトランプ氏は右翼的な人情を持つ日本人に歓迎されているのです。

しかし一国の将来の安全と平和を感情論で決めては間違います。あくまでも賢い理性で決めるべきです。
今日の元国務副長官のアーミテージ氏の論説も非常に理性的です。トランプ氏も少し時間はかかりますが従来の安保体制を維持すると思います。
しかしそれに対するアメリカ人の感じ方や人情は変わってしまったのです。「覆水盆に返えらざる」などです。
安保体制に対する日本人の感じ方も変わったのです。当然、安保協定の条文や駐留費の改正は必要になるでしょう。
今日の挿し絵代わりの写真は高尾山へのケーブルの登り口で昨日撮った紅葉の写真です。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)