後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

横濱、ホテルニューグランドのロマン・・・その写真をお楽しみ下さい

2012年03月31日 | 写真

ホテルは文化です。ロマンがあります。私の若い時からの憧れでした。

帝国ホテル、上高地の帝国ホテル、箱根の富士屋ホテル、日光の金谷ホテル、軽井沢の万平ホテル、河口湖の富士ビューホテル、などなどです。日本の古き良き時代の香りが漂っています。

そしてもう一つ、横濱のホテルニューグランドです。窓の外には白い大きな船が見えます。

1960年代まで山中湖にニューグランドが経営する夏だけの山中湖ニューグランドがありました。家族とともに泊りました。その後、山中湖の夏のホテルは廃業してしまいました。

そんな思い出もあるので、横濱のホテルニューグランドに泊ってみたり、お茶だけを飲みに寄ったりします。

先日も久しぶりに寄って写真を撮ってきました。写真をご覧になって古き良き時代を偲んで頂ければ嬉しく思います。

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・海側から見たホテルの玄関です。そして下はその中庭です。

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・2階に上がると広いロビーがあり、あちこちにソファーがありのんびり出来ます。窓の外には氷川丸が見えます。

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・下は少し遠方の大桟橋に係留されている白い船です。コーヒーとケーキの気楽な観光コースや湾内一周のディナーコースなどがあります。乗ってみると古いヨーロッパの客船の雰囲気が漂っていました。昔は大西洋を渡る長距離の客船でした。

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そして下に「横浜の時を旅する ホテルニューグランドの魔法」と題する一冊の本をご紹介いたします。

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横浜の時を旅する ホテルニューグランドの魔法
山崎 洋子 (著)、大森 裕之 (写真)

関東大震災からの復興を期して建てられ、マッカーサー、チャップリン、裕次郎、大作家たちが泊まった一流ホテル。 ここには、横浜と近代日本の歴史を知るヒントがたくさん隠されている。
この街を愛するミステリー作家が、その魅力と楽しみ方を余すところなく教えます。
優雅でちょっと知的な横浜ぶらり旅へのいざない!

97848611029671 単行本:280ページ
出版社:春風社
定 価:1,680円 *ホテル本館1階サンドリーショップで好評販売中!
- プロローグ 時の扉を開けて
- 開港横濱の大パノラマ
- 日本の職人技・横浜家具
- 関東大震災復興のシンボル
- 横浜の洋食店に根付くサリー・ワイルの心
- ミスター・シェイクハンドが迎えたマッカーサー
- 明治の世界一周旅行―野村みち
- 犬を連れたロシア婦人
- 大仏次郎の部屋と二人の「おはな」
- 日本の命運を賭けたニューグランドの一夜
- 不思議な形―横浜中華街
- 文豪たちを魅了した元町
- ホテル・レストランの楽しみ方
 ―宇佐神茂ホテルニューグランド総料理長に聞く
- 中庭の美味―イル・ジャルディーノ
- ベテラン・バーテンダーは水先案内人
- 日本は絹の国だった
- アフタヌーンティーと横浜のお茶場
- 氷川丸の数奇な年月
- インド水塔が山下公園にあるわけ
- やっぱりジャズでしょ、横浜は
- 秘密のハッピー・スポット
- ホテル・スタッフの打明け話
- あとがき

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山崎 洋子(やまざき・ようこ)
1986年、第32回江戸川乱歩賞を「花園の迷宮」で受賞。小説家としてデビュー。
横浜を舞台にした著作が多い。 舞台の脚本・演出も手掛ける。
2010年、地域放送文化賞(NHK主催)受賞。
近著に、『横濱 唐人お吉異聞』(講談社2011)。


観光スポットとしての神社やお寺の楽しみ方1、2、3

2012年03月31日 | 日記・エッセイ・コラム

観光旅行に行くと名所旧跡や有名な神社仏閣があります。神社仏閣は楽しい観光スポットです。私は宗教に興味がないから嫌だと片意地はらずに気楽に訪ねて下さい。

その楽しみ方を伝授いたします。

(1)ご自分の家と神社やお寺の建物としての違いを眺めて、いろいろ想像して楽しみます。家は人間の住む所。神社は神様の居る所。お寺はご本尊様の住んでいる所。建物の構造、そして建材や建て方が非常に違います。

宮大工という特殊な大工さんが建てます。大体、釘を使わずに上手に木組みをして強度を出しています。五重の塔などは太い心柱に各階の床や屋根が柔らかく連結してあって地震があっても絶対に倒れないように出来ていると言います。

そんな古の人々の知恵を想像しながら建物を見ると面白いと思います。それにしても日本の住まいは簡素に出来ていると感心します。観光スポットは日本の神社仏閣に限りません。中国の道教の廟も面白いものです。

下にその実例として、横濱、中華街の関羽を祀った関帝廟の外観と本堂内の関羽様の写真を示します。

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・下の写真の関羽のお像の左右に1人ずつの副神さまが祀ってあります。その意味は後ほど説明します。

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(2)神社仏閣に観光に来る人々と拝むに来る人々の違いを眺めて納得します。ついでに自分もご挨拶がわりに少し頭を下げましょう。

この道教の廟は丁度日本の神社のようなものです。人々は商売繁盛、家内安全、交通安全、受験合格、縁結びなどなどを願います。横濱中華街の華僑の守り神です。下の左の写真では若い中国人の女性が本気で拝んでいます。右の写真は観光客の女性です。老人の私が観光写真をシキリに摂っている様子を見て笑っています。その楽しそうな表情が幸せそうです。

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神社仏閣に観光に行くと、何となく幸せな感じになります。お賽銭を入れて、本気で拝まなくても祖先、父母や家族のことを思い出して楽しくなるのです。そのお礼に私は帽子を取り、少しお賽銭を入れます。

(3)神社仏閣をみると民衆の本当の願いや本音が心に迫って来ます。民族は違っても人間の願いはまったく同じなことが確信できます。楽しくなります。

中国の道教の廟を見ると日本人はその派手過ぎる装飾に度肝を抜かれます。その悪趣味ぶりに嫌悪感を持つ人も居るでしょう。

その嫌悪感を我慢して道教の廟の役割を少しだけ勉強します。下に関帝廟の説明があります。

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中央の関聖帝君は商売繁盛、交通安全、家内安全、入試合格を担当します。右の関平は財の神様です。そして左の周蒼は長寿と健康を担当します。

人間の願いは家族が健康でお金に困らないことにつきるのです。権力を持たない大衆の願いは昔も今もまったく同じなのです。これは欧米でも同じなのです。

民族の違いはあっても人間の幸せはみな同じなのです。なにかほっとします。

ついでにこの説明板の関聖帝君の真下に観音菩薩と書いてあります。そうです関聖帝君は観音菩薩と一心同体なのです。

道教と仏教の習合なのです。中国文化の底辺には日本の神仏習合とまったく同じように佛教と道教の習合が厳然としてあるのです。こういう事を考えると神社仏閣の観光には興味がつきないのです。

欧米の観光旅行に行った折には古い教会や修道院を見物すると民衆の悲しみや喜びが想像できて楽しいものです。壮大な石造りの建物に圧倒されないで、そこに来る人々の祈りの姿を眺めると興味深いものです。

結論を言えば観光スポットとして宗教関連の場所は心の持ち方で非常に楽しくなります。あなたの気軽な姿勢が楽しくさせるのです。

それはそれとして、

今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)


十字架の道行きと14枚の絵の前での祈り

2012年03月30日 | 日記・エッセイ・コラム

四旬節の間の金曜日の夜に「十字架の道行き」の祈りがあります。

ローマ総督ピラトの死刑の判決の後、イエス様は重い十字架を背負わされ、刑場のゴルゴダの丘の上まで歩くのです。その道行きの間にいろいろな事がおきます。その出来事を14枚の絵画にしてカトリック教会の壁には必ず飾ってあります。

今夜7時からその14枚の絵の前に神父さまが立ってお祈りの先唱をしました。それに続けて信者一同がイエス様の苦しみを思い、イエス様への信仰の祈りを唱えたのです。

この祈りを終えると、いよいよ復活祭を迎える準備が進んだという気分になります。

この14枚の絵の全てを説明すると長すぎますので6枚についてだけ以下に説明いたします。6枚の写真は先程、カトリック小金井教会で撮って来ました。

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当時の死刑執行権は占領軍のローマ軍にしかありませんでした。そのローマ軍の命令で重い十字架を背負うのですが、あまりにも重いのでイエス様がころんでしまうのです。

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早く執行したいローマ兵がたまたま見物していたクレネの人のシモンという男に無理に十字架を持たせる場面です。左の男がシモンですが、彼は後にキリスト教の信者になります。

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シモンが背負ってくれたのでイエス様はまた元気になり十字架を再び背負って歩きます。汗が流れます。すると勇気のあるベロニカという女が汗を拭うようにと布を差し出します。イエス様は汗を拭います。そしてその布をまたベロニカへ返します。この写真はその場面です。「ベロニカの布」は後に有名な聖物になります。

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左のイエス様を十字架に釘で打ちつける前に、右のローマ兵が衣服を剥ぎ取っている場面です。そして上着は縫い目をほどいて4枚に分け、4人のローマ兵がぶんどりました。下半身の衣服は縫い目が無い1枚の布だったので、くじ引きをして1人のローマ兵が取りました。当時は衣服が貴重だったので死刑にする前に衣服を死刑執行人のローマ兵が取ったのです。

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十字架の上でイエス様が絶命した場面です。右下で女性が泣き悲しんでいます。

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絶命したイエス様を信者達が十字架から下ろし、横たえて、亜麻布をまいて墓へ葬る準備をしている場面です。この後、3日目に復活したイエス様が亜麻布を、丸めて捨てるのです。復活の重要な証拠になる亜麻布です。

重い十字架は全人類の罪の重さの象徴です。人々に代わって自分が背負い、苦しい道行きの果てに十字架の上で絶命するのです。神様の御意志に静かに従うのです。こうして自分を神へ捧げるのです。しかしイエス様は必ず復活し、人々を救うのです。

このような道行きの間の14の出来ごとを描いた絵や彫刻の前でイエス様の苦しみを思う出し、イエス様へお祈りするのが今夜の道行きの祈りでした。

この記事をお読み下さる皆様の平和をお祈りして来ました。後藤和弘


眺望絶佳な尾白の湯をご紹介いたします

2012年03月30日 | 写真

日帰り温泉の北杜市尾白の湯は眺めの良い場所にあります。甲斐駒岳、地蔵岳、八ヶ岳、金峯山が見えます。入浴料は700円で、露天風呂が2つに、内湯が4種類とサウナがあります。水曜日は定休日ですが、毎日10時から5時まで開いています。本州を横断しているフォッサマグマから湧いて来る温泉です。近辺を通る折があったら是非寄ってみて下さい。甲州街道20号線の白州の交差点から5分くらい入ったところにあります。詳しくは「尾白の湯」でご検索下さい。下に昨日行ったときの写真をお送りします。

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・入口の前に広い駐車場があり、寒い冬でも湯ざめがしません。

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・付属の広い食堂から見降ろした庭です。池や遊具があるのでいつも幼児が遊んでいます。

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・内湯の中で一番大きな湯船です。大きなガラスの外側には左右に露天風呂があります。

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・手前が透明な露天風呂で、その向こうに濃い赤い湯の露天風呂があります。赤い湯の方は源泉そのままで多量の鉱物質が溶けています。これと似た温泉は兵庫県の有馬温泉の赤湯だそうです。ドロドロとした感触の温泉はいかにも効能が強いように感じます。

露天風呂の向こうに雪がある山が見えますが、それが金峯山です。

館内はどこも良く掃除がされていて清潔です。機会があれば是非お寄りになって、温泉をお楽しみ下さい。(終り


小さな幸せを大切にして幸福になる(3)小さい清流を愛する幸せ

2012年03月30日 | 日記・エッセイ・コラム

小さい幸せを大切にし、それを幾つも持っていると大きな幸福になると私は信じています。ここで重要なことは、お金をあまり使わないことです。ほんの少しのお金で得られる「ささやかな幸せ」でなければいけません。

贅沢は大きな幸福には絶対つながりません。

私はささやかな幸せを幾つか持っていて、それらを大切にしています。その一つに山林の中の小屋の庭を流れる清流があります。1973年に山林の中の土地を買いに行った時、その清流がある場所を選んで買いました。格安の土地でしたが年中枯れない水が流れているのです。瞬間的に決断して、土地の代金をすぐに払いました。

岩魚も棲みついています。カエルもトンボの幼虫も棲みついています。その流れの水音が雑木林に木霊して美しく響いています。

その土地を探しに、小学校3年生の息子で2人で行きました。不動産業者が3ケ所の候補地を見せてくれました。最後に案内された所に小川があったのです。息子が喜びました。私もすっかり気に入りました。

すぐに6畳と4.5畳の2部屋の小屋を鉄筋コンクリートで作り、白いペンキで仕上げました。

それ以来、39年間、通っています。いつ行ってもこの清流が美しい水音で歓迎してくれます。小川の中の落ち葉や泥を流して綺麗な砂の川床にします。イノシシに荒らされた岸辺を整理します。小さな堰を作って岩魚が棲みやすくします。小さな橋をかけ向こう側にガーデン灯を一本だけ立てます。

自分の土地は小川の向こう側の5m位までです。でも小川は自分のものではありません。下流の水田農家のものです。水を汚さないように大切にしています。

この小川存在そのものが私を幸せにしています。小川を愛することが幸せを呼んでいます。ささやかな幸を感じるのです。

皆様もきっとささやかな幸せを幾つも持っていると信じています。その内容をお教え頂ければ嬉しく思います。

下に小川の写真をお送り致します。

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小屋の中から見た小川の写真です。

小川の堰のところにある赤いものは家内へのオミヤゲのバラの花束です。次の日帰るまで冷たい水に漬けておくのです。驚くべき格安な値段です。一束298円で国道ぞいの大型スーパーで何時も売っているバラの花束です。

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小川の中を掃除すると白い砂の川床になります。

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岩魚が棲みやすいように堰を作り、廣い池にしました。夕方になると木々の影が夕暮れの光でホノ暗く写ります。

これだけの小川の風景を39年間静かに眺めています。小川を大切にしています。愛しています。これも私の小さな幸せです。(続く)


素人の撮った写真は何故おもしろくない?、何故感動的でないか?

2012年03月30日 | 日記・エッセイ・コラム

近年、デジタルカメラが普及して誰でも鮮明で美しい写真が撮れるようになりました。その上、ブログを書いている人々も非常に増え、自分で撮った写真を掲載しています。その数多くの写真を見ると感動的なものが少ないのに気がつきます。

まあ、はっきり言えば面白くない写真が多いのです。写真そのものは鮮明で美しいのですが、興味が持てないのです。感動が伝ってきません。ようするに面白くないのです。

私自身も、皆様がご覧になって面白くない写真をこのブログに掲載してきました。膨大な数を掲載してきました。感動的な写真は無かったのではないかと思っています。

何故、素人の撮った写真はおもしろくないか?、何故感動的でないか?

その原因を昨日、写真を撮りまわりながら考えてみました。

思いついた原因は、写真に個人的な思い出や連想を入れるから、それが原因になっているのです。多くの人々の思い出は私の思い出と違います。私の連想には普遍性がありません。

ですから、素人の写真は結果的に「独りよがりの写真」にいなっているのです。他人が見て面白くもなんともないのです。

ブログは個人のものですから、それで良いのかも知れません。

しかしそれでは見て下さる方々へ申し訳ないと思います。そんな事を考えながら「面白くない写真」を下にお送りします。そして少しでも面白く感じて頂けるように数行の説明をつけました。皆様の豊かな想像力を加えて、お楽しみ頂けれな嬉しいかぎりです。

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この上下2枚の写真は清春白樺美術館の写真です。北を向いて撮った写真と、南を向いて撮った写真です。

大正時代から昭和初期に活躍した「白樺派」という一群の芸術家の絵画が多数展示してあります。

白樺派に興味の無い方々にとっては面白くもお可笑しくもない写真です。

私はこの美術館に家内と一緒に何度も行きました。その折の楽しかった思い出が詰まった写真です。ようするに独りよがりの写真なのです。

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次は白樺派美術館の近所にある農業用の溜め池の写真です。

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水面に枯れた葦とカラマツ林が写っています。静寂が感じられます。

しかしこのような風景はいたるところにあります。別に感動的な写真ではありません。しかし私は四季折々この溜め池の堤防の上から何度も写真を撮りました。昨年の秋にはカラマツの紅葉が池に写っている写真をこのブログにも掲載しました。

その折の楽しい思い出が詰まった写真です。

この貯水池を過ぎて「北の森ゴルフ倶楽部」の方へ行くと、下のような風景が広がっています。

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私は若い時から北海道の広い牧場とカラマツ林と大雪山連峰の風景に憧れていました。父親が札幌へ出張の折に買ってきた絵の図柄がそうだったのです。その絵は額に入っていて家の客間に常に掛けてありました。

ですから私にとってそれは憧れの風景になってしまったのです。その憧れの風景に似ているのです。何故か心楽しくなります。その上、この北の杜倶楽部のホテルにには家内と3回ほど泊りました。その思い出もつまった風景写真なのです。まさしく独りよがりの写真なのです。

次は上から順番に、甲斐駒岳とアサヨ峠と八ヶ岳の3枚の写真です。

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・山林の中の小屋の前の牧草地帯から見た風景がこの三枚の写真です。写真を撮っている私の背後では息子と3人の孫が元気にサッカーボールを蹴り合っています。それを背後に感じながら撮った写真です。私個人は楽しい思いをしながら撮った写真なので感動的な写真です。それこそ独りよがりの代表作です。

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上の八ヶ岳の手前の小さな山は「中山」といいます。家内と一緒に何度か登った山です。もう老齢で足が弱くなって登れなくなりました。ですからこそ私にとっては記念すべき写真なのです。しかし面白くも可笑しくもない独りよがりの写真ですね。

さて皆様は写真を撮る時、何を考えて撮っていらっしゃいますでしょうか?

何も考えないで美しいものを追求してる方々も多いと思います。それも立派な態度です。いろいろ考え過ぎるから、よくないのかも知れません。@@の考え休むに似たりと言いますから。

それはそれとして、

今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)


小さな幸せを大切にして幸福になる(2)崎陽軒の昔風シューマイをお土産に買う楽しみ

2012年03月29日 | 日記・エッセイ・コラム

ここ数年で16回も、大学のクラス会が横濱でありました。4ケ月に一度の昼食会です。茫々54年前に仙台の大学を卒業した同級生が集まって談論風発する会です。昔の仲間の元気な姿を見るとしみじみとした幸せを感じます。

皆の人生は、金属技術者として日本の高度成長を支えた人生です。鉄鋼会社や重工業会社やいろいろな金属関連会社の現場を指導し、一生を日本の技術力向上に捧げた人々です。充実感が顔にあふれています。

そのような同級生を眺めているだけで幸せを感じます。

そして散会した後はきまって横濱駅東口の「そごう」の地下で、崎陽軒の昔風シューマイを老妻へのお土産として買います。

家内は昔食べた崎陽軒のシューマイが美味しかった感動を絶対に忘れないのです。昔のままの材料で、昔のままの製法で作ったシューマイでなければいけません。

崎陽軒ではその古いお客を大切にしています。昔のままのシューマイを製造し、売っているのです。昔は真空パックが無かったので、パックしていません。すぐに傷むので、横濱の売店だけでです。その崎陽軒の気持ちが嬉しいのです。幸せを感じるのです。

昔の材料ですから安い値段がついています。はっきり言ってしまえば一番安いのです。高級なホタテやエビが入っていませんが、妙に美味なのです。

家内の喜ぶ顔を想像しながら今日も2箱買って帰って来ました。帰りの電車の中で、崎陽軒の昔の味を大切にする気持ちをあれこれ想像して幸せになります。家内の喜ぶ顔を想像して、楽しくなります。

このような小さな幸せを積み重ねて行けば、必ず大きな幸福がやって来るのです。私はそのように信じています。下に「そごう」の地下にある崎陽軒の売り場の写真と、550円の定価がついている昔風シューマイの写真を示します。

そして横濱の中華街を今日散歩していたら崎陽軒の前を通ったので写真を撮ってきました。崎陽軒の昔シューマイのお好きな方々へお送りする小文でした。

それはそれとして、

今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

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日本の全ての都市を射程内にした多数の中国の核弾頭ミサイルの実戦配備

2012年03月28日 | 日記・エッセイ・コラム

この地球上には核弾頭ミサイルが実戦配備されています。

その事実は一昨日、この地球上にあふれる核弾頭、原爆、そして原子力発電所 という題目の記事に書いた通りです。

その中で示した核弾頭ミサイルの数は1990年のデータだったので2011年ストックホルム国際平和研究所発表のデータに訂正いたします。2011年での各国の核弾頭保有数は、アメリカ2150、ロシア2427、イギリス225、フランス300、中国240、いんど80~100、パキスタン90~100、イスラエル80、その他に数不明のイランと北朝鮮となっています。

実戦配備とは敵性国家の軍事施設や都会に照準を合わせ、いつでも発射出来るようにしています。

中国や北朝鮮の核弾頭ミサイルやその他のミサイルは当然のことながら日本の主要都市を照準を合わせ、いつでも発射出来るようになっていると想定されます。

防衛省の平成20年度版の防衛白書:(http://www.clearing.mod.go.jp/hakusho_data/2008/2008/datindex.html (日本周辺の核弾頭ミサイル)
)には日本を射程にした中国の核弾道ミサイルとその他のミサイルの合計は836基になると書いてあるそうです。

この事は「タッチャンの散歩」というブログ、http://blogs.yahoo.co.jp/tatsuya11147/46873726.htmに詳しく紹介してあります。

特に恐ろしいのは北朝鮮の国境に近い吉林省通化に配備された24基の東風3型です。射程が2650kmと長いので札幌、東京、沖縄の全ての基地は射程内に入ります。その上、搭載する核弾頭は広島型原爆の132個分の爆発力のある水爆です。

発射されればわずか5分で東京まで飛んで来るといいます。

下にその東風3型長距離ミサイルの写真を、軍事パレード中のミサイル搭載車の写真を示します。

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私はこのようなブログ記事を書いて、いたずらに皆様の恐怖心を煽り立てるつもりはありません。

人間は天使になれるし悪魔にもなれるという事実を書いて、日本人は自分達の安全をもっと真剣に考えるようになって頂きたいと願っているのです。

地球上の多数の核弾頭ミサイルが敵性国を照準にして実戦配備されているのです。この美しい惑星の現実なのです。

その核兵器の削減をしようとするロシアとの交渉を、いよいよオバマ大統領が開始しました。昨日の読売新聞によると核軍縮の提案をプーチン大統領と本格的に始める準備を始めたのです。そして核軍縮交渉は中国とも進める準備をしているとも報じられています。

我々日本人は原爆被爆国として核軍縮が成功するように祈り、その交渉を支援すべきではないでしょうか?

下に長崎市の1945年投下された原爆が爆発した瞬間の写真をしめします。我々は辛い経験だからといって忘れ去るのではなく、核廃絶に努力すべきと思います。

忘れないようにこの写真を掲載いたします。

今日は地球上から全ての核兵器、そして原子力発電所が無くなるように強くお祈り致します。ご賛同の方々もご一緒にお祈りをして下さい。後藤和弘(藤山杜人)

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汽笛の響く山下公園の風景をお楽しみ下さい

2012年03月27日 | 写真

正午に横濱の山下公園を散歩していたら、突然、氷川丸と大桟橋にいた白い大きな船が太い汽笛を響かせました。

その音は低く、力強く、そして古色蒼然とした音でした。大正時代や昭和時代の音です。とたんに白く広がる公園に、昔風の黒い背広を着た男や春の和服を着た女性の群れがぞろぞろと歩きだしました。しかしその姿は汽笛の音が消えると見えなくなってしまいました。明るい春の日のまぼろしでした。

随分と長い間、碧い海を見ながら散歩してきました。そんな山下公園の風景をお楽しみ下さい。

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小さな幸せを大切にして幸福になる(1)庭の花とシイタケ

2012年03月27日 | 日記・エッセイ・コラム

よく幸せは心の持ち方でどこにでもあると言います。そして小さな幸せを大切にすれば大きな幸福がやって来ると言います。

そんな言葉がしみじみ分かるのは春先ではないでしょうか?

小さな花々が少しずつ狭い庭に咲きだします。春先の明るい太陽の光を浴びながら庭の花を見て時が流れます。

今朝も庭に出て、早咲きの桜の花に見入り、小さな水仙を見ました。

気がつくと4年前に山林の中に住んでいる友人から貰ってきたシイタケの原木からまたまたキノコが出ていました。丁寧に摘み取って、庭の葉ランを1枚とって写真を撮りました。原木5本から毎年の春秋にシイタケが出て来るのです。何故か満ちたりた幸福感が身を包みます。

今日は晴天です。お昼前に家を出て、横濱まで行きます。

54年前の1958年に仙台の大学の金属工学科を卒業した同級会へ出るために2時間かけて横濱へ行きます。その2時間もいろいろ昔のことを思い返して、楽しいのです。30名のクラスでしたが、東京近辺に住んでいる12名くらいが集まって昼食会をするのです。毎年3回ずつしています。

このようにして老いの時がゆっくり流れます。幸せな時が流れます。

小さな幸せを大切にしています。その積み重ねが大きな幸せになると信じています。

今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

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こういうコメントを頂けるからブログは面白いのです

2012年03月26日 | 日記・エッセイ・コラム

この記事の下に客船、飛鳥IIの内部の写真をご紹介しました。

すると名古屋でお医者さんをしている「デプチンおじさん」から飛鳥IIをヨットの上から見た時の感想をご投稿頂きました。熊野の花火大会の時の飛鳥IIの姿です。

こういうご投稿をすかさず頂けるからブログは面白いのです。そこで彼のブログから写真を3枚以下にご紹介いたします。彼の乗っているヨットは素晴らしい船型です。ホレボレするような美艇です。

デプチンおじさんのヨットの趣味の良さに敬意をお送り致します。

有り難う御座いました。後藤和弘

==デプチンおじさんからのコメント====

2010年8月の熊野大花火で遭遇しました。
レーダーに映る影の大きいこと!半島かと思いました。
花火が終わると、夜間航行して次の神戸とかに行くのですが、ライトアップされた姿もステキでしたよ。http://blog.livedoor.jp/kaiyuujinnmarina/archives/2010-08.html#20100819

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客船の小さな旅の風景(6)総トン数5万トンの飛鳥IIの広々した船内風景をお楽しみ下さい

2012年03月26日 | 写真

先日、相模湾周航で一夜乗船した飛鳥IIは総トン数5万トンでした。長さ約241メートル、幅30メートル、12階建て。流石に日本で一番大きな客船だけあって船内が広々としていました。レストランが数か所、劇場が2か所、図書室にコンピューター室、カジノ室、プール、テニス場、バーにダンスフロア、そして数々の洒落た店々があります。エレベーターが前後に10基以上です。

その広々した感じを写真に撮ってみました。お楽しみ頂ければ嬉しく思います。

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この地球上にあふれる核弾頭、原爆、そして原子力発電所

2012年03月26日 | 日記・エッセイ・コラム

この美しい地球には核弾頭や原爆、そして原子力発電所があふれるように存在しています。

少し古いデータですが、1990年に実戦配備されていた核弾頭はロシア(ソ連)が5,162発、アメリカが4,075発、フランスが300発、中国が240発、英国が185発、イスラエルが80発、パキスタンが60発、インドが50発、北朝鮮が10発射以下となっています。

この他に、ヨーロッパに駐留する米軍が以下のような数の核兵器を配備しています:

英国に160~120、ベルギーに10~20、オランダに10~20、ドイツに10~20、フランスに300、イタリアに70~90、トルコに50~90です。

(資料の出典は、http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/5218.html です)

さてこの他に戦略爆撃機が搭載する原爆もある筈です。そして原子力空母や原子力水潜艦には原発と同じような原子力タービンや発電機が積んであります。

さて日本には非核3原則があるので表面上は核兵器の持ち込みは無いことになっています。しかし米軍がヨーロッパ諸国に実戦配備している核兵器の数を考えると日本に20から30発くらいは配備していると想定できます。韓国にも20、30発の核兵器が配備されていると想定されます。その他に台湾にも配備されているかも知れません。

そして横須賀には原子力空母が出入りし、更に原子力潜水艦も寄港しています。

その上、日本、には原発が54基も存在しているのです。日本だけが例外ではありません。

今日の記事の題目は「この地球上にあふれる核弾頭、原爆、そして原子力発電所」となっています。「あふれる」とは大げさなようですが、これらの放射性核物質の危険性を考えれば当然な表現と信じています。放射能物質の恐ろしさは福島原発の爆発で我々は骨身に沁みています。

さて何故このような危険な物は地球上にあるのでしょうか?

もう一度、アメリカ軍の原子爆弾の多数の実験と、それ以後の多量生産を振り返って見ましょう。

下記の写真は、ビキニ環礁核爆弾実験場の様子を示しています。

アメリカ軍は1946年から1958年にかけて23回もの原爆実験を行ったのです。その故に2010年にはユネスコの「負の世界遺産」に登録されたのです。

アメリカの核兵器のその後の実験の回数は100回以上と言います。ロシア、英国、フランス、中国などの核兵器の実験回数を合計すると膨大な数にあるのです。

そのきっかけになった戦後すぐに始まったビキニ環礁での核実験の写真を見て、考えて見ましょう。

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もう皆様はお忘れになったでしょうか?2009年4月5日にオバマ大統領はポーランドのワルシャワで「核兵器削減と廃絶の名演説」をしたのです。アメリカは核兵器を使った唯一の国として行動を起こす道義的責任がある」という格調の高い台詞に感動した日本人は多かったと思います。

しかしその結果どのようになったのでしょうか?2009年から3年がたちましたが核兵器削減の行動がマスコミにニュースに出て来ません。

これが現実世界なのです。

ここで原発を54基も保有し、アメリカの核兵器が数十個配備されていると想定される日本として放射性物質の危険性をどの様に考えるべきでしょうか?

日本の安全を地球全体の安全という視点からも考える必要があるとおもいます。

今回の記事では、この地球上に核弾頭、原爆、そして原子力発電所があふれている現実を指摘して終わりとしたいと存じます。

これらの多量の放射性核物質の危険性については、今後いろいろな角度から考えて行きたいと思います。

次回の記事では核兵器と原子力発電所の安全性を考えてみたいと思います。

それはそれとして、

今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます、後藤和弘(藤山杜人)


サレジオ学園、ヨハネ・パウロII世の写真と復活祭

2012年03月25日 | 日記・エッセイ・コラム

武蔵野のおちこちに雑木林が少し残っています。どんどん歩いて行くと雑木林の向こうに人家が全然見えない所へ出ます。周りは木々だけです。山奥に入ったような神秘的な気分になります。

数日前に、そんな所を散歩していたら、フト今年も復活祭が近づいてきたと思いました。

そうしたら昔、偶然行ったサレジオ学園の教会のことを思い出しました。下がその教会の塔です。そこで学園の生徒達と一緒に参加した復活祭のミサのことを思い出しました。何故か印象深く、忘れられません。いろいろな事情で親と離れてサレジオ学園に住んで居る子供達です。

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キリスト教の根本は愛とよく言われます。ミサに出ていた子供達を神様が愛しています。イエス様が愛しています。サレジオ学園の神父様達が愛しています。そんな事を考えながら復活祭のミサに参加した事を思い出しました。

天におられる神様は地上にいる全ての人間が好きなのです。本物の神父様は近づいて来る全ての人々が大好きなのです。

宗派も洗礼にも関係なく大好きなのです。ですから私はそのような神父様が大好きです。その上にいるローマ法王もその上にいる神様も大好きです。これがカトリックの信仰というものです。自分の通っている教会の神父様に「愛されている」と確信出来るのです。

ですから本物の神父様は洗礼の有無に関係なく全ての人々に優しく、親切です。

洗礼を受けてない人々を差別する神父さんがいたら、それは本物では有りません。

信者は神父様の知識の広さは問題にしません。神父様が初対面の人をどれだけ大切にしているかを注意深く見ています。初対面の人をどれだけ好きになっているかを見ています。それこそが信仰の深さの尺度なのです。

皆様は、マザーテレサがインドの都会の街路で孤独に死にそうにしている人々を屋内へ運びこんで、優しく見とってあげていたことをご存じと思います。その崇高な働きはヒンズー教徒からも支援されて来ました。ノーベル平和賞も受賞しました。

マザーテレサはインドの貧民も大好きなのです。愛していなければ出来ないことです。

Papa0311 左の写真は1981年にローマ法王のヨハネ・パウロII世が日本に来た時の写真です。

キリシタン殉教の地、長崎へ巡礼に行きました。

その折に長崎教区の神学生を神父に叙階する式をしてくれたのです。神学生の頭の上に手を置いて、叙階をしている写真です。

ヨハネ・パウロII世は世界中を巡り、イスラム教や仏教との和解に努めました。

昔のカトリック教会の宗教裁判の間違いを反省しました。

数百年に一人しか出ないと言われた感動的なローマ法王でした。

残念ながら、2005年4月2日に84歳で亡くなりました。

そして、日本の仏教の偉大な僧侶を考えてみます。弘法大師は全国をめぐり歩き、井戸を掘ったり、温泉を見つけたりしました。全ての人々を愛し、助けようとしたのです。大師様の「慈悲の心」はお釈迦様の慈悲の心です。

ですから宗教の根本は全ての人々がお互いに愛することなのです。

少なくとも私はそのようにしたいと思います。出来る出来ないは別にして。

今日も皆様のご健康と平和をお祈り致します。後藤和弘(藤山杜人)