鬼家雅夫さのブログへKITAHOさんという方からコメントが投稿されてありました。そこでKITAHOさんを検索しましたところ美しい山荘と、そこに於けるいろいろな素晴らしい趣味のことが掲載されているのを見つけました。「BMWーM3と八ヶ岳南麓・秘密基地」(http://www.ne.jp/asahi/kitaho2/bmw-m3smg/ )です。
そこでKITAHOさんにお願いしその山荘を見せて頂きました。
山荘に着くと、そこからは甲斐駒岳や鳳凰三山の峰がパノラマのように見渡せる岡の上なのです。
まず山荘の周りのバラの栽培の様子や樹林のたたずまいをご説明して下さいました。その後、山荘の中に招いて下さいました。
中に坐っているだけで幸福感に包まれるのです。見事な内装です。材木の素材としてのぬくもりと木目の美しさが坐っている私に幸福感を与えてくれるのです。
その上、KITAHOさんは昔からランの蒐集と栽培に精通しているのです。アメリカのランの専門誌を長年読んで研究しています。専門用語の混じった原文を読んでいるのです。その延長として現在のバラの原種の研究と栽培の趣味につながったいるようです。とにかく草花については何でもご存知な方です。博識な方です。
入手困難な貴重なコーヒー豆を焙煎し、美味しいコーヒーを淹れて下さいました。
ドイツのスポーツカーのBMW-M3のお話もお聞きしました。
彼の暖かい親切に感謝しつつ、先日撮った写真を以下にご紹介いたします。尚、是非、。「BMWーM3と八ヶ岳南麓・秘密基地」(http://www.ne.jp/asahi/kitaho2/bmw-m3smg/ )をご覧下さい。もっと鮮明な写真が数多く掲載されています。
山荘の向こうに甲斐駒岳や地蔵岳が見える素晴らしいところです。
山荘のどの部屋からも南アルプスの山並みが見渡せます。
2階の和室の天窓を開けるとこの山荘のシンボル・ツリーの桜の木が見えます。
薪ストーブも外国製です。その上のケトルも見事な金工細工の作品です。兎に角、山荘の外装と内装が首尾一貫して良い趣味で出来ているのです。
KITAHOさん、山荘を隅から隅まで見せて下さいまして、有難う御座いました。(終わり)
国民の幸福度を考える場合にはいろいろな尺度を用いることが重要と思います。
その一つに国民の衣食住へ対する満足度もあります。それを尺度にするとブータン、ネパール、チベット自治区の3者のうち、ネパールは一番低いように思われて仕方がありません。
人口は2950万人程で、ヒンズー教徒が80%でチベット仏教の信者が10%ですからインド的社会と思えば大きな間違いが無いようです。
この国の政治は王、と国会の政治家の権力争いの連続で、その上、1996年からネパール共産党毛沢東派が人民解放戦争を各地で始め、それが2006年まで続いたのです。内戦で国土は荒れ、人々は困窮したに違いがありません。
何人かの日本人ボランティアがネパールの農村の生活改善に活躍してましたので、ネパールの事は日本でもかなり知られています。
そして2008年には王を排除してネパール民主共和国が成立しました。現在はネパール共産党毛沢東派が国会の第一多数政党として政権を握っています。
首都はカトマンズです。この町はエベレストなどの登山基地としても有名な観光地でもあります。
そこに故hikarunoさんという方が十数年住んでいました。ネパールの手織布を蒐集するためにです。
彼は、「インド ブータン アジアの布 染織美術館」:http://asiancloth.blog69.fc2.com/ という見事なブログを遺してくれました。
私は彼には何度もお会いし、その人生観を聞き、彼の撮った写真とともにこのブログの上で何度もご紹介して来ました。終いには、彼のブログにある写真はどれでも自由に使って良いと言って下さいました。
彼が肺ガンになり東京で亡くなってから、もう2年近くなります。
ネパールの人々の幸福度を考える時、彼の遺してくれた写真が助けになると思います。
謹んで彼の冥福を祈りながら以下にカトマンズの人々の風景や地方の人々の風景をご紹介します。皆様ご自身でネパールの人々の幸福度をご想像下さい。
今日はhikarunoさんのご冥福を心からお祈り申し上げます。藤山杜人
カトマンズのあちこちにはこのようなヒンズー教の神様があるそうです。
カトマンズの路上の物売り風景です。
共産党が政権を握った2008年から停電の時間が長くなり、水道が止まったために人々が昔の水汲み場に群がっている風景です。
洗濯は川でします。
カトマンズの子供達の様子です。
農家の様子を撮った写真です。
農村地域のチベット系の2人の少年です。
寺院だけは立派な様子です。日本でも昔は食べて生きるために少年達がお寺に入ったそうですが、ネパールでもそうなのかも知れません。
私は上の写真から政治の混沌と無力さを感じ、悲しい気分になります。ネパールが一日でも早く豊かになり人々が衣食住に困らない国になるようにとお祈りいたします。(続く)
チベット亡命政権は1959年から2012年の現在までインド北部に厳然と存在し続けています。最近、実権は渡したようですが、長い間ダライ・ラマ14世がその亡命政府の首班でした。
中国共産党軍は1949年にチベット全域を占領し、ラマ教の古い因習に束縛され、貧しい生活をしていた人民を開放したのです。
しかし中国共産党の統治に反発したチベット人は10年後の1959年3月10日に大規模な蜂起をします。中国軍は87000人の蜂起軍を殺しましたが、ダライラマ14世と80000人のチベット人はインド北部へ亡命し、そこに亡命政権を作り、定住したのです。
左の写真がその亡命政権の建物と亡命チベット人が住んで居るインドの北の風景です。
この亡命政権の正式の名前は、「中央チベット政権 CTA (Central Tibetan Administration)」と言います。その後ダライラマ法王はノーベル平和賞を受賞し、国際的にCTAの正当性を訴え続けています。
日本の新聞は中国政府の怒りを買わないようにと、チベット亡命政権の存在や組織図はほとんど報道しません。しかしインターネットには詳しく公開されています。そのURLは、http://www.tibethouse.jp/cta/index.htmlです。
宗教の重要性を認識しているキリスト教圏の欧米諸国ではダライラマ14世と亡命政権の動きは何時も関心を集めているようです。去年はオバマ大統領がダライラマ14世と会見しています。日本の総理大臣は中国に気がねして絶対に会いません。
さて、チベット自治区に住んで居るチベット人の幸福度を考えて見ましょう。中国は昨年、ラサまでの高速鉄道を完成し、外国の観光客へも自由にラサへ行けるようにしました。立派なホテルやレストランも出来たそうです。従ってラサに住んでいるチベット人は昔に比べれば格段に豊かな生活が送れるようになったのです。一例を挙げると、下の写真です。ポタラ宮の下の道路の上の乗用車や観光バスと人々の様子にご注目下さい。
観光バスが何台も停まり、乗用車が沢山走っています。人々は幸せそうに悠然と歩いて居ます。この平和的な光景を見ると中国の統治は成功したと言えます。(それにしても舗装された広場は後のポタラ宮とあまりにもチグハグです)
客観的に考えれば、ラマ教の因習から解放されて人々の幸福度が上がったのです。
従って、チベットが中国に領有されたお陰でチベット自治区に居る250万人以上のチべット人の幸福度が向上したと言えます。(下の資料をご覧下さい)
一方、北インドに定住している亡命チベット人は10万人前後です。その人々の幸福度はいか程でしょうか?仮に、完全に不幸だったとしても10万人だけの不幸です。
この不幸な10万人だけの亡命政権のお陰で巨大な中国が1959年以来、国際的に非難を浴びているのです。北京の政府は理不尽と感じます。憤懣やるかた無いのです。何故、欧米諸国が大騒ぎするのか理解出来ません。
共産党員には宗教の重要性が理解出来ないのです。
北京オリンピックの聖火ランナーが長野市を通過するとき、善光寺のお坊さん達が抗議の声を上げました。同じ仏教徒のダライラマ14世とその支持者を勇気づけるための抗議でした。皆様は忘れたかも知れませんが、私はとても安心しました。どの宗派にも属さない善光寺だから出来た義挙だったと高く評価しました。
チベット亡命政権の事は悩ましい問題なのです。自分の国の歴史を忘れれば、チベットを武力占領した中国は一方的に悪いと簡単に断罪できます。
しかし日本は明治維新の時、琉球王国を武力で威圧し領有してしまったのです。アイヌの邦、北海道を占有し、アイヌ民族とその文化を消滅してしまったのです。日本に中国を非難する資格が無いと感じるのです。まあ、私だけがそのように感じているのかも知れません。
チベット人の幸福度については続編で再考いたします。(続く)
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。
後藤和弘(藤山杜人)
参考資料:チベット仏教(ラマ教とも言う)はインド後期仏教の流れを汲むものです。観音菩薩や阿弥陀如来が高僧に化身したとされる活佛としてダイライ・ラマとパンチェン・ラマが信仰の中心になっています。2人居るのは宗派が大きく2つに分かれているからです。
チベット族はチベット自治区の総人口281万人(2006年)の9割以上と言われています。したがって250万人以上と推定されるのです。チベット族はチベット自治区の他に青海省や四川省にも住んでいます。
中国政府は1951年には本格的に大規模な軍隊を送り、仏教教団に支配された封建的な農奴制からチベット族を解放する方針を発表しました。1956年には「チベット自治区準備委員会」をつくり、社会主義的な改革に着手し始めます。チベット族はこれに反発して、各地で武力衝突が起きたのです。
その最大の武力衝突が1959年3月10日にラサで起きました。チベット動乱と呼ばれる大規模な蜂起です。しかしラサでの解放軍との戦いで負けたのは、ダライラマ14世とそれに同調した住民側だったのです。
インドに亡命したダライラマ14世と8万人のチベット人はすぐにインド北部のダラムサラにチベット亡命政権を作りました。1959年のことです。これが、「中央チベット政権 CTA (Central Tibetan Administration)」です。
それで終われば中国政府も安心出来たのですが、ラサ蜂起の30周年記念日の1989年3月10日を期して再びチベット独立のためのデモが起きたのです。デモ隊鎮圧の過程で多数の死傷者が出る激しい抗争になったのです。戒厳令もしかれたのです。
2002年になるとダライラマ14世側と中国共産党統一戦線工作部との交渉が始まります。しかし双方の主張は合意に至らず、現在でも対立が続いているのです。
この2008年には北京オリンピックがありました。「1959年のチベット動乱の記念日、」の2008年3月10日に再び騒乱が起きたのです。解放軍側の発表ではが18人のチベット人が鎮圧の過程で死んだと言います。一方インドにあるチベット亡命政権側の発表では死者が200人以上だったと主張しています。
中国政府がチベット族に譲歩すれば、他の地方に居るウイグル族へも譲歩せざるを得ず、頭の痛い問題なのです。(以上の情報は、田村宏嗣著、「中国の現代史」高文研社、2009年から引用いたしました。)
この中国の弱点を欧米側は外交上のカードとして時々使いますが、それはあまりにも刺激的な問題なので賢明な外交手段ではないように思います。日本は特にこの問題で中国を刺激しないようにしています。一般的に相手国の弱点を外交上のカードに使うのは紳士的でなく見苦しいものです。
1990年に日本人の崎山克彦さんがフィリッピンのカオハガン島という小島を、個人的に買い取りました。そして島の住民の経済を発展させ、現在は自然を大切にしながら簡単なホテルを建て、それを経営しています。
既に22年の月日が流れ、1935年生まれの崎山さんは現在77歳です。
出版社で偉くなって、引退して、第二の人生をカオダハン島で悠々と過ごしているのです。
私は1995年に出版された崎山克彦著「何もなくて豊かな島」という本を読みました。それ以来、17年が経過しました。
現在、カオハガン島の崎山さんはどうしているかなと心配になり調べてみました。「カオハガン島」で検索したところ、崎山さんはますますお元気に島の経済発展のために活躍しています。そのHPから現在の島の様子を下にご紹介いたします。詳しくは、「カオハガン島」で検索されると、いろいろな情報が出ています。
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最近、ブータン王国の国王夫妻が日本を訪問し、その礼儀正しい態度と王妃の美しさで人気が上がりました。その上、「国民幸福度」が世界一の国として日本人の興味を集めています。時あたかも、日本のGDPが中国に抜かれ、世界3位に落ちたのです。日本の国家目標を「国民幸福度」の増大にすべきという論も散見します。ブータン王国に関する話題は最近の日本の流行です。
流行に反発するのが私の悪い癖です。「本当にブータンの国民は幸せなのでしょうか?」という疑問を持ってしまいます。
この問題を考えるために私はブータン、ネパール、チベットを同じチベット仏教圏として比較検討することにしました。もっともネパールはインドのヒンズー教も仏教も優勢な宗教混在国です。
上の写真は現在は中国領のチベット自治区になっているラサにあるチベット仏教の本山のポタラ宮です。
ポタラ宮はこの3つの地方の人々の心のよりどころです。
日本の新聞にはこの3つの地方の実情を伝える報道が極端に少ないのです。人々の生活の実情がなかなか判りません。そこでネーパルに嘗て住んでいた、hikarunoさんの「カトマンズ・バンコック慕情~アジアの旅の徒然に」(http://blogs.yahoo.co.jp/hikaruno_season) から人々の生活の様子を撮った写真から、少し「幸福j度」というものを考えてみます。彼はブータンにも足しげく通ったので、ブータンのこともいろいろ書いてあります。hikarunoさんは東京でアジアの染織と手織り布の展示会を数回開催しました。2年前に東京厚生年金病院で肺がんで亡くなりました。まだ50歳前後の若さでした。アジアの布の展示会に何度か行き、病院にもお見舞にも行きました。
チベットの運命は皆様ご存知のように中国に1960年に併呑されました。その後チベット族の反乱や騒乱が時々起きています。
その事をこのブログで取り上げた途端、このブログは中国では開けられなくなりました。そこで今回は政治的な議論は避けて、宗教的な立場からチベット自治県の人々の「幸福度」を考えて見ようと思います。今日の記事は、「ブータン王国、ネパール共和国、チベット、それぞれの幸福度」と題する連載記事の導入文なので以下にブータンの写真とhikarunoさんの収集したブータンの手織りの布の写真を示して終わりとします。(続く)
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り致します。
後藤和弘(藤山杜人)
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この海は中近東のアラブ首長国連邦のアブダビの港外です。昨夜、NHK,BS101で放映された「世界一周ヨットレース」の一部の、アブダビ沖のインポートレースの様子です。広々した海です。5艇が出場して複雑な形のコースを回っていました。
ヨットにはナビゲーターを含めて10名位のクルーと一人のスキッパーが乗っています。ヨットの構造は私が以前、乗っていたクルーザーと同じですが、大きさがとても違います。全長が70フィート前後です。
上の写真のようにジブセールとメインセールの2枚で走ります。スピネーカーを上げないので不思議に思っていたら、ジェノアより巨大なジェネカーという帆を前に上げていました。風上に走るときはジブで、風下に走るときはジェネカーを使い分けていました。
このヨットは地元のアブダビ号です。アブダビでのインポートレースで見事優勝しました。しかしスキパーもクルーも大部分は西洋人でアラブ首長国連邦の人でない様子でした。
アブダビのインポートレースの後は中国、海南島の三亜へのインド洋横断レースでした。インド洋からマレー半島を回り込み、シンガポール沖を通過して、ベトナム沖から海南島、三亜という長いレースでした。海南島は出場艇、チーム三亜の地元の町です。三亜艇は最終の6着でしたが、地元の歓迎ぶりが凄かったです。
とにかく全てが最速の設計の大型艇で、それを操船しているのが有名なスキッパー達なのです。海が荒れても高速で突っ切る姿は豪快としか言いようのない光景でした。
梅と蝋梅しか咲いていない季節なので、花の代わりに海とヨットの写真をお送りします。晴れ晴れした気分になって頂けたら嬉しく思います。
昨年の11月から今年の7月にわたる世界一周の大規模なヨットレースが展開されています。アメリカズカップのような大型ヨットによる過酷なレースで全行程7万3千キロメートルに及びます。1970年代から、すでに8回も開催されていますが日本は参加出来ません。
もっともバブルの頃は日本もアメリカズカップに参加しましたが、不況になるとうたかたのように消えてしまいました。
日本の新聞にのっていないのでヨット愛好家以外の人々は知りません。しかし昨夜7時からBS101で2時間にわたりNHKが詳しく報道してくれました。空中からの撮影も含めて丁寧な紹介です。欧米諸国ではきっと大々的に報道されていると想像出来ます。上下の写真はそのNHKのテレビ番組をカメラで撮って、トリミングしたものです。
この大規模なヨットレースの詳細は末尾の参考資料にあります。
私がこの記事で書きたい事は、何故日本が参加できないかという理由です。
参加には、ものすごくお金がかかります。数十億円とも言われています。まず全長70フィート(23m)位の高性能のヨットを設計し、建造するのに数億円かかります。
10名前後の乗組員と船長を数ヶ月間雇う費用がかかります。途中の10ケ所以上の寄港地へ支援部隊を送り、故障の修理や食料の調達にお金がかかります。
ヘリコプターによる空撮と審判艇の費用も莫大です。
参加艇は6艇で、アメリカ、アラブ首長国連邦、フランス、スペイン、ニュージーランド、 中国(海南島、三亜)の6ケ国です。スポンサーはそれぞれの国の民間会社のようです。
日本が参加出来ない理由はその民間会社にお金の余裕が無いからです。
しかし、アメリカと、アラブ首長国連邦は別にして、フランス、スペイン、ニュージーランドの民間会社よりも日本には大きな利潤を上げている会社がある筈です。
ですから参加できない理由はお金の有る無しだけではないと思います。
「こんな役にも立たない無駄なレースに莫大なお金を使うのはいけない」と思う人々が多いからと思います。趣味にお金を使うのは倫理的にいけないと思う人が多いのかも知れません。「脇目もふらず仕事一筋に打ち込む人生が」が理想の人生と思っているのです。そのように思う人が現在でも結構、多いのではないでしょうか?
それは日本の良い伝統なのです。けっして悪い精神文化ではありません。
この記事で私の主張したい事は、欧米と日本の精神文化が決定的に違うということです。
一流の企業のサラリーマンが世界一周レースに参加するので8ケ月の休暇を下さいと言えますか?たとえ運良く休暇を貰えても、復職後の出世は困難になるでしょう。
日本では仕事は修業の道とよく言われました。一生修業しなさいとも言われます。修業ですから成果よりも努力に価値があります。日本の会社の中での人間の評価には成果だけでなく「努力の大小」がある程度考慮されると聞いています。
そんなことを考えると日本は世界一周ヨットレースに参加できない理由が納得できました。
ついでに書けば中国の海南島のチームです。船長も乗組員も欧米人です。乗組員の一部は中国人が居るかと映像を注意深く見ましたが、中国人らしい人が居ませんでした。国威発揚のために参加したのでしょうか?北京の共産党本部が許可しない限り国際レースには参加できないお国柄なのです。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。
後藤和弘(藤山杜人)
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・参考資料:ボルボ・オーシャンレースの経路
約9ヶ月間、39,270海里(約7万3千キロ)を10レグに分割して争います。第1レグは2011年11月5日にスペインのアリカンテをスタート。ケープタウン(南アフリカ)、アブダビ(アブダビ首長国連邦)、三亜(中国)、オークランド(ニュージーランド)、イタジャイ(ブラジル)、マイアミ(アメリカ)、リスボン(ポルトガル)、ロリアン(フランス)を経由し、2012年7月にアイルランドのゴールウエイにゴールする予定です。
参加する6チームのヨットが11月5日、スペイン・アリカンテを出港し、南アフリカ・ケープタウンに向けて第1レグがスタートします。レースは約9ヶ月間、39,270海里(約7万3千キロ)を10レグに分割して争います。
http://www.volvocars.com/jp/top/about/news-events/pages/default.aspx?itemid=83
今回の参戦6チーム
Groupama Sailing Team(フランス)
Abu Dhabi Ocean Racing Team(アラブ首長国連邦)
PUMA Ocean Racing powered by BERG Propulsion(アメリカ)
CAMPER with Emirates Team New Zealand (ニュージーランド)
Team Telefonica(スペイン)
Team Sanya (中国)
読売新聞に「人生案内」という欄があります。毎日、毎日、人生の悩み事を読者が相談するコーナーです。相談に乗ってくれる人はいろいろですが、作家や弁護士などのいわゆる人生の達人です。答えが面白いので時々読んでいます。
今日の相談は主婦からで、良い夫を持っているが絶対に許せないことがあるというです。散々自分の夫の自慢をした後で、折り畳み傘を使わないで、雨になると長い昔風のコーモリを持って行くのが許せないと言うのです。
何故、これが彼女にとって絶対に許せないか、あなたには想像がつきますか?
折り畳み傘を買えないほど貧乏だと他人から見られるのが恥ずかしい。顔から火が出るほど恥ずかしく、我慢出来ない。夫にその事を言っても取り合ってくれないという悩み事なのです。
ライターの最相葉月さんが丁寧にいろいろな例を並べて、夫に好きなようにさせなさい。長い昔風のコーモリの方がいろいろな理由で良いのです。小雨の時は傘をささないのも格好良いものですと誠心誠意答えていました。
私はア然として、考え込んでしまいました。「女性の見栄っ張りと虚栄心」の根源を考えて居ます。解答は見つかりませんが。 「女性の見栄っ張りと虚栄心」には私も身に沁みて経験しています。
日常のつまらない夫婦喧嘩の原因はいろいろですがが、その多くは家内の見栄っ張りぶりが原因になっています。
冠婚葬祭があると即座に多い金額を包みます。貧乏と思われたり、ケチと思われるのが恥かしいのです。多過ぎないかと意見をしてはいけません。言えば喧嘩になります。そして包み方まで細心の注意を払います。ご霊前なのか御仏前なのか御香料なのか厳密に考えて間違わないようにします。お葬式の時は古いお札を入れます。ピンピンの綺麗なお札は亡くなるの待って準備していたと思われるのでいけないそうです。反対に祝い事の時は綺麗なお札を準備して包みます。
要するに他人から貧乏だと思われたくない。礼儀を知らないと思われたくない。こういう動機で見栄を張るのです。自分の判断や気持ちは一切考慮に入れません。
そこで私は一つの原理原則を発見したのです。「女性にとって貧乏は一番恥ずかしい事だ」という原則です。私は心の中でこの原則を嗤っています。もっとはっきり書けば軽蔑しています。金持ちを軽蔑しているのではなく、金持ちのように見栄を張る精神を軽蔑しています。
下に私の秘かに自慢している山林の中の小屋から見た周囲の風景を示します。この風景を美しいと見るか、貧乏そうな風景と見るかは心次第です。
小屋そのものは小さくて貧乏そうに見えるからなるべく写真を出しません。
多くの夫婦喧嘩の原因は女性の虚栄心であるというのが今日の結論です。如何でしょうか?あなたは夫婦喧嘩をなさいませんか?
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。
後藤和弘(藤山杜人)
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イエス・キリストは、ローマ提督、ピラトによって十字架刑にされました。2000年程前の出来ごとです。しかし3日後に復活して生き返りました。そして弟子達と会い、話をして、天国へ登り、神の右の座に着きました。
このイエス様の復活を祝うのが復活祭です。春先の大きなお祭りです。今年は4月8日(日曜日)です。その前の40日間が四旬節として歌舞音楽を控え、断食や節食をしてイエス様の処刑を悼みます。カトリック圏では騒がしい音楽やお笑いがテレビやラジオから消えます。静かな番組になります。禁欲的な生活を送る40日間なのです。
その四旬節の始めの日が、「灰の水曜日」です。
この禁欲的な40日の前に大いに肉を食べ、ワインを飲み、バカ騒ぎをして断食や節食の期間へ突入する準備をします。それがカーニバル、あるいは謝肉祭と呼ばれるお祭りなのです。
この謝肉祭が行われるのはカトリックの国々です。特にスペインやポルトガルの植民地だった南米では大きなお祭りとして毎年行われます。
しかし、よくよく考えてみるとイエス様は飽食や、欲望のままに酒を飲むのを喜ぶでしょうか?「汝、肉慾に生きるな」と教えました。ですからカーニバルはキリスト教とは関係の無いお祭りだと私個人は理解しています。
しかし、たて前は建て前です。ですから全てのカーニバルのお祭り騒ぎは、「灰の水曜日」の前に終了しなければいけません。
一般的に、お祭り騒ぎは私も大好きです。ですからカーニバルも好きです。しかし私の言いたいことは、それはキリスト教と殆ど関係の無い観光事業なのだという事です。それで人々が幸せを感じるなら大いに祭りを盛りたてれば良いのです。
今年のリオのカーニバルは2月20日に終わりました。そのリオのカーニバルの写真をお送りいたします。南米の人々の熱気と歓気が感じられますね。ここまで手の込んだ、そして大規模なお祭りは一つの特色あるローカル文化になっています。
写真をお楽しみ頂ければ嬉しく思います。尚、写真の出典は、http://www.jiji.com/jc/d4?p=smb005&d=d4_int です。
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昔の日本には「インテリ」という知識階級が厳然として存在していました。分かり易く言えば、旧制の学校制度で大学を卒業した人々がインテリということになっていました。
そのインテリ達の宗教観によるとキリスト教は高等宗教で、神道やアイヌ民族の宗教は原始宗教だと言うのです。そして仏教は神の啓示を受けていないから宗教ではなく哲学の一つですと言うのです。そしていかにも日本人の宗教は原始的で、進歩が遅れていると言うのです。日本人の宗教は劣っているとも言いたげです。
私がキリスト教の信者になってみると上に書いたような宗教の理解は間違っているように感じられるのです。信仰を持たない無宗教のインテリ達の頭だけで考えるから間違ったのかもしれません。
私の感じ方を先に書けば、キリスト教にも原始宗教的な信仰が色濃く含まれているということです。土俗的な性質も含まれているのです。
そして原始宗教と高等宗教の優劣はありません。優劣を考えることほど愚かなことはありません。
その上、仏教も、それを信仰の対称とする人がいる限り、それは立派な宗教なのです。
明治維新以後の日本のインテリや知識階級は、なにやら西洋崇拝があまりにも強すぎたと私は感じています。
昨日夜は「灰の水曜日」のミサに行って来ました。そのミサの内容を実例にしてキリスト教に含まれる原始的な信仰内容をご説明したいと思います。
まず昨夜の教会の鐘楼の写真です。
ライトアップされた鐘楼を見て、私の信仰心が少し強くなりました。
一般的に言えば、鐘の音を聞かせ、高い塔を見せて信仰心を強めさせようというのは原始宗教的な感じがします。少なくとも私にはそのように感じるのです。高等宗教なら聖書だけで充分な筈です。
上の写真はベールを被った女性信者の頭に神父さんが灰をかけているところを写したものです。「人間は土から生まれて、土に返る」ことを体に刻み込んで、忘れさせないようにしているのです。このように何か特別の物質を体につけたり、振りかけたりして信仰心を強めるやり方は何故か土俗宗教的に感じられます。少なくとも私にはそのように感じられるのです。なお、「灰の水曜日」の意味は、桜花の華やかさと儚さ・・・そして今日は灰の水曜日という題目の記事で説明しました。
そして神父さんに灰をかけて貰って、「厄払いが出来た。悪霊が寄りつかなくなる」と感じたら、土俗信仰のようです。
灰の水曜日のミサでは、何時ものミサのように「イエスの体」(の一部)と神父さんが言いながら小さなパン片を信者一人一人は渡します。「イエスの体」(の一部)を食べた信者は、また一段と信仰心が強くなります。カトリックでは、「イエスの体」(の一部)を食べるのは冗談ではなく、本当にイエスの肉体の一部を食べる気分なのです。
話は飛びますが、ある未開部族では死んだ家族の骨を焼いて、粉にして食べてしまうという土俗的な風習があるそうです。時々、私はそれを思い出します。本当に愛していれば、そうするのです。
それはそれとして、キリスト教の原始宗教的に感じる部分がまだまだ沢山あります。数多くの守護聖人への信仰は多神教的な性格に感じられます。
最後に一つだけ例を書きます。それはマリア様の像を偶像崇拝のように崇拝する傾向があることです。南ヨーロッパの田舎道をドライブしていると、道端に小さな祠があってマリア様の像が立っています。道行く人々が拝んで、旅の安全をお願いするのです。私は車を走らせながらマリア様へ交通事故が起きませんようにとお祈りします。
日本にも道端に道祖神や御地蔵さんが立っています。昔は馬頭観音が立っていました。それと同じような感じがします。
さて上のように書くと、それはカトリックに限ったことでプロテスタント宗派には無いと主張する人がかならず居そうです。
プロテスタント宗派では聖書に書いてある奇蹟物語を軽視します。科学的に数式で証明できない事実は排除したいのです。しかし合理的に都合良く説明できる部分だけを信仰の対象にすれば、それは宗教でなくなります。
聖書には不思議な事、神秘的な事が沢山書いてあります。その全てを信ずるほうが良いような気がします。ですからカトリックとプロテスタント宗派の違いは50歩、100歩なのです。本質的な相違は無いと感じているのが私の立場です。
結論を言えば、キリスト教は高等宗教で神道は原始宗教だと峻別し、その優劣を考えることは間違っていると感じられるのです。この感じ方は信仰を持ってみないと理解出来ない感じ方かもしれません。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。
後藤和弘(藤山杜人)