このブログではいろいろな分野の連載記事があります。一つ一つ読むのは大変ですのでこの辺でそれぞれの要約を書きます。そして、連載の結果から何が言えるか?などの整理をしたいと思います。
言い古されたことですが、「人生は旅路」といいます。このブログの本当の主題は自分の旅路を振り返っていろいろな随筆を連載することです。
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連載記事の「外国体験のいろいろ」(1)から(75)までと「人間が好きだから旅をする」(1)から(8)までは長期連載になりました。2007年11月11月12日から2008年12月20日まで83編続きました。その続編として、「外国の魅力にとりつかれて住み着く人々」5編を最近、連載しました。
私は73歳になる男性です。人間が好きです。それで外国や日本の人間を描いてきました。しかし今だに人間は分かりません。多分死ぬまで分からないでしょう。
しかし83編の連載記事と最近の「外国の魅力にとりつかれて住み着く人々」の5編を連載して、私自身の気分がすこし整理出来たような感じもしています。
今年の1月8日の記事ではハンガリーに住んでいる盛田常夫さんを紹介しました。1月9日にはタイやネパールに住んでいるHikarunoさんを描きました。1月12日はフランスの田舎に住んでお菓子を作っている女性の話です。そして1月12日はベルリンの中村真人さんの深い内容のブログを紹介しました。その後は心がいやされるほのぼのとしたShionさんのブログです。アメリカのカルフォルニア在住の主婦の方です。
若い頃、比較文化人類学の素人向けの本を読みあさり、外国の人々に興味を持ちました。「どんな少数民族の文化でも決して劣っていない」とか「文化には優劣は絶対に無い」というフレーズが好きになってしまいました。「外国体験のいろいろ」などの連載記事を、このフレーズを信じて書いてきました。しかし人間の弱さで自分を取り巻く文化が他より優れているという偏見をつい書いてしまったこともあります。
この連載記事を書いて幾つかの結論を得ました。結論というより個人的な感想ですが。
(1)日本人が個性的になり、その精神文化が実に豊かになった。
最近ご紹介した、盛田常夫さん、Hikarunoさん、parismidoriさん、中村真人さん、そしてShionさんの5人の記事をご覧頂ければ明白です。それぞれの魅力的な個性に感動すると思います。年齢、性別、職業、人生観の全てが違います。意図的にそういう人々を5人だけ選んだのです。
共通することもあります。人間を信じ、好きで文化の優劣が無いことを信じて生きています。書くのは易しいですが、それを実行している人生に感動しています。
(2)日本人が外国へ行く目的が時代によって変化してきたことが分かった。
私が1960年に初めてアメリカ留学へ行った目的は自分の立身出世に直接役に立つことを学ぶ為であった。自分の立身出世という狭い視野だけであった。
しかし上にあげた5人の日本人が外国へ行った目的は全く違う。大体において「立身出世」などという利己的な目的は微塵も感じられない。日本人の精神が個性的に、豊になった証拠と思う。時代の変化をしみじみと感じる。ブログに連載してみて初めてこのことを確信できた。時代は変わる。日本人が外国て行く目的も変わる。
(3)深く考える人は時代が変わっても考え方は変わらない。
中村真人さんは若い日本人です。メールの交換もしました。以下は彼からのメールの一部です。私が何故アウシュビッツへ行ったのでしょうか?という問いへ対する返事です。
ーーーーー中村さんからのメールの一部ーーーーーーーーー
過去の人々、文化、歴史というものと現在の自分はどのようにつながっているのだろう、その接点を見出すことに興味を持つようになりました。
あの戦争は自分の世代が引き起こしたものではありませんが、親や祖父母など自分の身近な人々は直接関わり、場合によっては大きな苦しみを体験したのですから、他人事とは思えません。
アウシュヴィッツを訪れたのは、なぜこんなことが起こりえたのかを知りたいという興味そして犠牲になったユダヤ人と同じ場所に身を置いて少しでも追悼したいという気持ちがあったからではないかと思います。ーーーーー以下略ーーーーー
この文章に解説も説明も不要です。時代がどんなに変わっても深く考える人々の考えは変わらないという確信が持てました。
連載記事の「外国体験のいろいろ」(1)から(75)までと「人間が好きだから旅をする」(1)から(8)までの83編、その続編として、「外国の魅力にとりつかれて住み着く人々」5編を振り返ってみて、結論的な感想を書きました。
尚、挿絵がわりに使用した冬景色の写真はベルリンのテアガルテンの写真で中村真人さんのブログから転載させて頂きました。(終わり)