共産主義は19世紀、20世紀の世界に非常に大きな惨禍をもたらしました。
この共産主義はキリスト教の西洋世界で生まれたのです。従ってキリスト教の鬼っ子とも呼ばれることがあります。
今日は何故共産主義がキリスト教のドイツやイギリスなどの国々で生まれ、1917年のロシア革命に繋がったか少し考えてみようと思います。
このロシア革命は強大なソ連を作り、1990年の解体まで世界に数多くの戦争の原因になったのです。20世紀の世界に数知れない悲劇の原因になったのです。
まず有名な『共産党宣言』(1847年)の結びの文章をお読み下さい。
・・・最後に、共産主義者はどこでも、あらゆる国の民主主義政党との同盟と協調に努める。共産主義者は、その見解や目的を隠蔽することを、軽侮する。共産主義者は、自分たちの目的が、これまでのいっさいの社会秩序の暴力的転覆によってしか達成されえないことを、公然と宣言する。(終り)
ドイツのマルクスとイギリスのエンゲルスは、1847年に次のように主張しています。
資本主義社会をブルジョワジー(資本家階級)とプロレタリアート(労働者階級)の階級対立によって特徴づけ、ブルジョワ的所有を廃止するためのプロレタリアートによる権力奪取を共産主義者の当面の目標とすべし。そうすると各人の自由な発展が、万人の自由な発展の条件となるような協同社会(共産主義社会)を形成するのです。
分かり易く言えば、共産主義とは、生産手段を企業などの私的所有から社会的所有を目指す思想です。それを実現した国家がソ連や中国や北朝鮮やベトナム、ラオス、カンボジア、キューバ、そして数多くの東欧、中央アジアの衛星国だったのです。
これらの国々の共産主義は、一党独裁と計画経済と個人崇拝などによって特徴づけられたのです。
さてこのような共産主義は何故キリスト教国で生まれたのでしょうか?
結論を先に書けば産業革命後に生まれた労働者たちの悲惨な状態をキリスト教の組織や教会がどうすることも出来なかったからです。
資本家階級と労働者階級の間の不平等の解決にはキリスト教は全く無力だったのです。
キリスト教は人間の平等と自由を盛んに叫びながら労働者たちの悲惨な状態を助けることが出来ません。
キリスト教を基盤にした西洋の国々の人は何か新しい考え方で資本家と労働者の不平等を解決しようとしました。
西洋の社会には自由民と奴隷、貴族と平民、領主と農奴、ギルドの親方と職人、のような差別が厳然と存在し、それをキリスト教が認めてきた歴史があります。
キリスト教は人間は平等で差別があってはいけないと教えています。その教えと現実の矛盾が産業革命で拡大したのです。
そこで、いっさいの社会秩序の暴力的転覆によって一挙に解決しようとしたのが共産主義だったのです。
私はカトリックの信者です。その立場の観点から考えると共産主義者は2つの大きな間違いをおかしています。
(1)人間の平等と自由とは、あくまでも神の前での平等と精神の自由を意味しているのです。この世で人間が社会生活をしている限り完全な平等がある筈がありません。職場での上下関係や貧富の差は常に存在します。
人間が完全に平等になれるのは神の前に並んで立った時だけなのです。
それだけではありません。共産国家でさえ大きな不平等が厳然と存在します。共産党員と一般人、党員の中の序列の上の者と下の者、汚職が出来る権力者と下級党員、都会に住む人と農民、上級軍人と兵士、などなど実に多くの不平等が存在するのです。
所詮、人間は神の前でしか平等になれないのです。
(2)共産主義では社会秩序の暴力的転覆、すなわち武力革命を実行します。
これはキリスト教の「汝殺すなかれ」という基本的な教えと完全に矛盾しています。どんなに目的が立派でも武力を用いてはいけないと教えているのです。
イエス・キリストは、彼の教えが分かり易く正しいものだったのでユダヤ社会で有名な人気者になりました。イエス・キリストを尊敬する人々の一部は彼がユダヤをローマの支配から解放してくれると期待しました。軍事的にローマの総督を追い払いユダヤの独立を達成してくれると期待した人もいたのです。
しかしイエスは言明します。私はユダヤの王ではない。そう言って自らすすんでピラト総督の裁判を受け、十字架の上で死んだのです。墓に葬られた後に生き返り人々へ永遠の命を与えようとしたのです。
イエスはこの世で革命を起こしユダヤをローマ支配から解放することなど考えてもいなかったのです。
共産主義医者はこの点を間違ったのです。共産主義はキリスト教の限界を取り除こうとしたのかもしれません。これが共産主義がキリスト教の鬼っ子と言われる所以です。
ソ連の長期独裁者、スターリンが少年の頃、神学生だったことに粛然とします。嗚呼。
今日の挿し絵代わりの写真は信州の蓼科湖の傍にある彫刻公園の風景です。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。後藤和弘(藤山杜人)
==参考資料、http://redmole.m78.com/bunko/kisobunken/sengen1.html より抜粋==
(1)共産主義の原理
――共産主義者の信条草案――
☆ 一 問 共産主義とはなにか?
答 共産主義とは、プロレタリアート解放の諸条件にかんする学説である。
☆ 二 問 プロレタリアートとはなにか?
答 プロレタリアートとは、ただその労働〔力〕を売ることにだけによって自分の生活をささえ、どんな種類の資本の利潤によってでも、自分の生活をささえていない、社会階級をいう。プロレタリアートの禍福、その生死、その全生存は、労働にたいする需要のあるなし、したがって景気のよしあしや、制御できない競争の変動によって左右されるのである。要するに、プロレタリアートまたはプロレタリア階級とは、一九世紀〔以後〕の労働する階級のことである。
☆ 三 問 では、プロレタリアートは、いつでもいたわけではないか?
答 そうだ。貧乏ではたらく階級は、いつでもいた。そしてまた、はたらく階級は、ほとんど貧乏であった。しかし、いまいったような状態でくらしていた貧乏人、労働者、すなわちプロレタリアというものは、いつでもいたわけではない。ちょうど、競争が、いつでも自由で、また無拘束であったわけでなかったのと同じことである。
☆ 四 問 プロレタリアートは、いかにして発生したか?
答 プロレタリアートは、産業革命によって発生した。その産業革命は、一八世紀の後半にまずイギリスにおこり、それから世界のあらゆる文明国で、つぎつぎにおこったものである。この産業革命は、蒸気機関や、さまざまな紡績機械や、力織機、その他あらゆる機械装置の発明によってひきおこされた。これらの機械は非常に高価で大資本家だけが調達できたのだが、いままでの生産様式全体をかえてしまい、これまでの労働者をおしのけた。機械はこの労働者がその不完全な紡ぎ車や機(ハタ)でつくるよりは安価な、良質な商品をつくることにより、それができたのだ。こうして、これらの機械は、工業をそっくり大資本家の手にひきわたし、労働者のわずかな財産(道具、織機、等々)をまったくがらくたにした。そのため、資本家は、まもなくすべてのものを自分の手におさめたのに、労働者の手にはなに一つのこらなかった。・・・以下省略。
(2)共産党宣言
序言
一 ブルジョアとプロレタリア
二 プロレタリアと共産主義者
三 社会主義的および共産主義的文献
四 種々の反政府党にたいする共産主義者の立場
共産主義の原理
共産主義者同盟への中央委員会の呼びかけ
序言
一つの妖怪がヨーロッパにあらわれている、――共産主義の妖怪が。旧ヨーロッパのあらゆる権力が、この妖怪にたいする神聖な討伐の同盟をむすんでいる。法王とツァーリ、メッテルニヒとギゾー、フランスの急進派とドイツの官憲も。
およそ反政府党で、その政敵たる政府党から、共産主義だといってののしられなかったものがどこにあるか、およそ反政府党で、より進歩的な反政府派にたいしても、また反動的な政敵にたいしても、共産主義という烙印をおす非難をなげかえさなかったものがどこにあるか?
この事実から二つのことがあきらかになる。
共産主義は、すでにヨーロッパのあらゆる権力から、一つの力としてみとめられている。
共産主義者がその見解、その目的、その傾向を全世界のまえに公表して、共産主義の妖怪談に党自身の宣言を対置すべき時が、すでにきている。
この目的のために諸民族の共産主義者がロンドンにあつまって、つぎの宣言を起草した。宣言は、英語、フランス語、ドイツ語、イタリア語、フランドル語およびデンマーク語で発表する。
第一章、ブルジョアとプロレタリア
ブルジョアジーとは、近代資本家、すなわち社会的生産の諸手段の所有者で、また賃金労働者の雇傭者の階級のことである。プロレタリアートとは、自分の生産手段をもたないので生きるためにその労働力を売るほかない、近代賃金労働者のことである。〔一八八八年英語版へのエンゲルスの注〕
すべてこれまでの社会の歴史は階級闘争の歴史である。
すなわち、すべての文書によってつたえられている歴史の。一八四七年には社会の前史、記録された歴史の以前にあった社会組織は、ほとんど知られていなかった。その後、ハクスタウゼンは、ロシアの土地共有制を発見し、マウラーは、土地共有制こそ、チュートン種族が歴史に出発した社会的基礎であったことを立証した。そしてしだいに、村落共同体が、インドからアイルランドまでのいたるところで、社会の原始形態であること、あるいはあったことがあきらかになってきた。この原始共産主義社会の内部的組織は、氏族の真の性質、およびそれの部族にたいする関係にかんする、モルガンの仕上げとなるべき発見によって、その典型的な形態においてあきらかにされた。この原生の共同体の解体とともに、社会は別々の諸階級、そしてついには相対立する諸階級へ分化しはじめる。私は『家族、私有財産および国家の起源』(第二版、一八八六年、シュトゥットガルト)のなかでこの解体過程をあとづける試みをした。〔一八八八年英語版へのエンゲルスの注〕
自由民と奴隷、貴族と平民、領主と農奴、ギルドの親方と職人、つまり抑圧するものと抑圧されるものとは、つねに対立し、ときには隠然と、ときには公然と、たえまない闘争をおこなってきた。そしてこの闘争は、いつでも全社会の革命的改造におわるか、さもなければ、あいあらそう階級のともだおれにおわった。
ギルドの親方とは、ギルドの正規の組合員、すなわちギルドに所属する親方のことで、ギルドのかしらではない。〔一八八八年英語版へのエンゲルスの注〕
以前の歴史上の諸時代には、ほとんどどこでも、社会はいろいろな身分に完全に区分されており、社会的地位はさまざまな段階にわかれていた。古代ローマには、貴族、騎士、平民、奴隷があった。中世には、封建領主、家臣、ギルドの親方、職人、《徒弟、》農奴があり、なおそのうえ、これらの階級のほとんどいずれにも、さらにいろいろの階層があった。
封建社会の没落からうまれた近代ブルジョア社会は、階級対立を廃棄しはしなかった。それはただ、新しい階級、新しい抑圧条件、新しい闘争形態を、古いものにおきかえたにすぎない。
けれども、われわれの時代すなわちブルジョアジーの時代の特徴は、階級対立を単純にしたことである。全社会は敵対する二大陣営に、直接相対立する二大階級にますます分裂しつつある。すなわち、ブルジョアジーとプロレタリアートに。
中世の農奴のなかから初期の諸都市の特許市民(プファールビュルガー)が出てきた。そして、この特許市民のなかから、ブルジョアジーの最初の分子が発展した。
アメリカの発見、アフリカの回航は、勃興しつつあるブルジョアジーのために新しい活動分野をひらいた。東インドや中国の市場、アメリカへの植民、植民地との貿易、交換手段および一般に商品の増加は、商業に、航海に、工業に、空前の飛躍をもたらし、そのことによって、崩壊しつつあった封建社会のなかの革命的な要素を急速に発展させた。
これまでの封建的な、すなわちギルド的な工業の経営方法では、新しい市場とともに増加する需要にもはや応じえなかった。マニュファクチュアがそれにかわった。ギルドの親方は、工業的中産身分におしのけられた。いろいろな同業組合間の分業は姿をけして、個々の作業場そのものの内部の分業があらわれた。
だが、市場はますますひろがり、需要はますますふえた。マニュファクチュアでも、もう不十分になった。そのとき、蒸気機関と機械とが工業生産を変革した。マニュファクチュアにかわって近代的大工業が、工業的中産身分にかわって工業的百万長者、全工業軍の指揮官たち、すなわち近代ブルジョアが、あらわれた。
大工業は世界市場をつくりだした。これは、アメリカの発見によってすでに準備されていたのである。世界市場は、商業に、航海に、陸上交通に、はかりしれない発展をもたらし、その発展がまた、工業の拡大に作用した。そして、工業、商業、航海、鉄道の拡大に比例して、ブルジョアジーは発展し、その資本をふやし、中世からうけつがれたすべての階級を背後におしやった。
これで知られるように、近代ブルジョアジー自身が、長い発展行程の産物、生産と交通との様式におけるかずかずの変革の産物なのである。
ブルジョアジーのこれらの発展段階は、いずれも、それに応じた政治的前進をともなっていた。ブルジョアジーは、封建領主の支配下にあっては被圧迫身分であり、コンミューンにおいては武装した自治団体であり、あるところでは独立の都市共和国、あるところでは君主制下の納税義務を負う第三身分であり、ついでマニュファクチュアの時代には身分君主制あるいは絶対君主制下の貴族の対抗勢力であり、また、一般に大君主国の主要な基礎であり、そして最後に、大工業と世界市場とが形成されてからは、近代代議制国家のなかで排他的な政治的支配をかちとった。近代の国家権力は、全ブルジョア階級の共同事務を処理する委員会にすぎない。
「コンミューン」とは、フランスでようやくうまれようとしていた都市が、まだ封建領主と親方から地方的自治と「第三身分」としての政治的権利とを獲得しない以前から、採用していた名であった。一般的にいって、本書では、ブルジョアジーの経済的発達についてはイギリスを、その政治的発達についてはフランスを、典型的な国として引例している。〔一八八八年英語版へのエンゲルスの注〕
イタリアとフランスの都市の市民は、彼らの封建領主から最初の自治権を買いとるか、うばいとったのちに、自分らの都市共同体をこう読んでいた。〔一八九〇年ドイツ語版へのエンゲルスの注〕
ブルジョアジーは、歴史上きわめて革命的な役割をはたした。
ブルジョアジーは、彼らが支配権をにぎったところでは、封建的な、家父長制的な、牧歌的な関係を、のこらず破壊した。人間をそのうまれながらの目上とむすびつけていた色とりどりの封建的なきずなを無慈悲にひきちぎり、人と人とのあいだに、ろこつな利害、無情な「金勘定」のほかには、なんのきずなをものこさなかった。ブルジョアジーは、敬虔(ケン)な法悦、騎士の感激、町人の感傷といった神聖な情熱を、利己的な打算の冷水におぼらせた。彼らは、個人の品位を交換価値に解消し、特許状でゆるされ、りっぱにかちえられたかずかずの特権を、ただ一つの非情な商業の自由ととりかえてしまった。一言でいえば、ブルジョアジーは、宗教的・政治的な幻想でおおわれた搾取のかわりに、公然たる、あつかましい、直接の、むきだしの搾取をおいた。
ブルジョアジーは、これまで貴いものとされ、敬虔なおそれをもってあおがれてきたいっさいの仕事から、その後光をはぎとった。彼らは、医者や法律家や僧侶や詩人や学者を、自分たちのおやといの賃金労働者にかえてしまった。
ブルジョアジーは、家族関係からその感動的な感傷のヴェールをはぎとって、ただの金銭関係に還元した。
ブルジョアジーは、反動がしきりに讃美する中世の蛮力の発揮が怠惰をきわめた安逸生活と格好な表裏一体をなしていたことを、暴露した。ブルジョアジーは、人間の活動がどれほどのことをやれるかを、はじめてあきらかにした。彼らは、エジプトのピラミッドやローマの水道やゴシックの大伽藍とはまったく類を異にした大事業を完成し、民族移動や十字軍とはまったくちがった種類の大遠征をおこなった。・・・以下省略。
そして最後の文章です。・・・最後に、共産主義者はどこでも、あらゆる国の民主主義政党との同盟と協調に努める。
共産主義者は、その見解や目的を隠蔽することを、軽侮する。共産主義者は、その目的があらゆる現存する社会条件を暴力的に打倒することによってだけ達成できることを、公然と宣言する。支配階級は、共産主義革命に恐れおののけばよいだろう。プロレタリアは束縛の鎖以外に失うものはありません。プロレタリアには勝ち取るべき世界がある。
すべての諸国の労働者は、団結しよう!