後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「狂気のように軍備強化をしている北朝鮮の怖さ」

2021年09月29日 | 日記・エッセイ・コラム
隣の国、北朝鮮は狂気のように軍備を強化をしています。ミサイルを日本海に打ち込んでいます。食料不足で国民が飢えています。まるで飢えたオオカミのようです。貴方はそんな隣国が怖くありませんか?
今日はそんな北朝鮮の軍備の実態を見てみましょう。まず軍事力に関する写真をご覧下さい。
1番目の写真は例年、首都の平壌で大々的に挙行される軍事パレードの様子です。女兵士の軍楽隊が先頭を行進している場面です。
2番目の写真も軍事パレードの様子です。パレードには戦車などの大型軍備が誇らしげに参加します。
3番目の写真は潜水艦に乗って海軍の士気を高めている金正恩最高指導者です。
4番目の写真は軍事パレードで誇示されている大型ミサイルです。北朝鮮の軍備の特徴は奇襲のための強力なミサイルと潜水艦の隠密行動にあります。
5番目の写真は北朝鮮の潜水艦隊です。北朝鮮は航空母艦よりも隠密行動がとれる潜水艦を多く保有しているようです。

さて北朝鮮の軍事力をまとめてみます。(https://www3.nhk.or.jp/news/special/45th_president/articles/2017-1016-00.html より抜粋です)
核・ミサイル開発を加速させる北朝鮮は実際にどのくらいの軍事力を保有しているのでしょうか。以下に示します。
陸上兵力: 102万人 T62など戦車3500両 多連装ロケット砲や自走砲
およそ10万人の特殊部隊
艦艇: 780隻 10.4万トン
作戦機: スホイ25攻撃機 ミグ23戦闘機など560機

有力紙「ワシントン・ポスト」はことし8月、北朝鮮がICBM=大陸間弾道ミサイルに搭載できる小型化した核弾頭の製造に成功し、最大で60発の核兵器を保有していると伝えています。
そして、その運搬手段として、アメリカ本土に到達するICBMの開発のほか、中距離弾道ミサイルの「火星12型」や「ムスダン」、日本のほぼ全域を射程に収める「ノドン」など、射程の異なるミサイルの開発も進めているのです。
この北朝鮮の戦力に対して日本の戦力は以下のようになっています。
日本の陸上自衛隊員: 14万人
艦艇: 134隻 47.9万トン
作戦機: F15戦闘機、F2戦闘機など400機

素人の私には北朝鮮の戦力は日本より強大で戦争をしたら短期間で負けるように感じます。貴方はどのようにお考えでしょうか?
北朝鮮の怖さはさらにその軍備を強化しつつあることにあります。
以下の記事をご覧下さい。
「北朝鮮の軍備強化 高まる脅威に国際圧力を」、毎日新聞 2021/9/17 
(https://mainichi.jp/articles/20210917/ddm/005/070/084000c )
・・・ 北朝鮮は、日本のほぼ全土を射程に収める長距離巡航ミサイルを先週末に発射したばかりだ。
 懸念されるのは、北朝鮮が軍事技術の開発を加速させていることである。
 変則軌道の新型弾道ミサイルの発射を2年前から繰り返し、飛距離を着実に伸ばしてきた。日本のミサイル防衛システムでは対応が難しい。
 今回は、列車に搭載された発射台が初めて使用された。従来のトレーラー型に加え、発射方式を多様化させた。探知されにくくする狙いだろう。
・・・こうした新技術の脅威に直接さらされるのは日本だ。北朝鮮は、核兵器を小型化してミサイルに搭載する技術を既に有していると考えられている。原料となるプルトニウム生産用の原子炉を再稼働させたという情報もある。
 だが日本の危機感を、同盟国である米国はどれだけ共有しているのだろうか。米軍は声明で「米国の兵士や領土、同盟国にとって差し迫った脅威とはならない」との見解を示した。バイデン政権の対応に切迫感は感じられない。
中国の対応も問題だ。王毅外相は「他の国も軍事行動をしている」と北朝鮮をかばうような姿勢を見せている。中国は、地域の緊張を高めないよう自制を求めるべきである。
 国際社会が一致して圧力を強めて北朝鮮の動きに歯止めをかける必要がある。日本は各国への働きかけを強めなければならない。・・・

この記事は日本国民に北朝鮮の軍事力について警鐘を鳴らしているのです。
しかし平和ボケをしている国民は聞く耳を持っていません。日本のマスコミは自民党の総裁に岸田氏がなったことばかり大騒ぎをしています。常に日本を取り巻く国際的脅威に真剣に取り組むべきではないでしょぅか。

今日は狂気のように軍備を強化している北朝鮮の怖さについて私の感じたことを書いてみました。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)




「十和田湖の紅葉の風景写真です」

2021年09月28日 | 写真
生まれも育ちも東北地方の仙台でした。東北地方の有名な観光地と言えば日本三景の松島と十和田湖です。
特に十和田湖はこの時期に紅葉が美しいことで有名です。

そこで今日は十和田湖の紅葉の風景写真をお送りいたします。5枚の風景写真はインターネットで「十和田湖の紅葉の写真」を検索して出て来た多数の写真から美しいものを選びました。

皆様のお住まいの地方にも紅葉の名所がいろいろあると思います。この季節は紅葉の美しい季節ですね。皆様も紅葉を楽しんでいられることと思います。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と幸せをお祈り申し上げます。後藤和弘

====参考===================
十和田湖の生息魚介類、https://ja.wikipedia.org/.../%E5%8D%81%E5%92%8C%E7%94%B0...

火山火口にできたカルデラ湖であるため、人間が魚の放流を開始する以前に生息していた魚介類はサワガニのみと考えられている。従って、現在生息している魚類の全てが人為放流された物である。

記録に残る最初の放流は、1855年のイワナとされている。1960年代に行われた調査では、下記が確認されている。
魚類:ヒメマス、ニジマス、イワナ、サクラマス、コイ、フナ、ウナギ、カジカ、ヨシノボリ、ワカサギ

サクラマスは奥入瀬川の銚子大滝に作られた魚道を通って天然魚が遡上して定着したが、「ヒメマスが捕食され繁殖を阻害する」との理由で魚道は破壊された。

現在生息しているサクラマスは、その時に湖中に残された個体の子孫と考えられる。

ニジマスは、1900年と1919年に日光の中禅寺湖から移入された。

ウグイ、アユは定着に失敗した。

甲殻類:スジエビ、サワガニ
スジエビは、1905年に八郎潟から移植され定着した。
十和田湖湖畔の食堂のメニュー ヒメマスの塩焼き
ヒメマスなどは漁業や釣りの対象となっている。

ヒメマス養殖
1903年に和井内貞行らによりヒメマスの最初の放流が行われた。十和田湖へのヒメマスの定着以降は、本州各地の湖への移植用卵及び稚魚の供給源として中禅寺湖とともに重要な位置を占めている。

1960年或いは1967年の調査で、流入河川ではなく湖底に産卵床を形成し産卵していることが確認されている。また、1975年と1976年に行われた調査では「漁獲魚のほとんどが放流魚の可能性が高い」との結果が得られたが、1945年前後は放流が全くなかったにも拘わらず、相当量の産卵が行われていた時期もある。

湖畔の秋田県側の小坂町の生出(通称:和井内)地区には、ヒメマスの孵化場がある。






「世界の難民8240万人を助けている日本人たち」

2021年09月27日 | 日記・エッセイ・コラム
国連難民高等弁務官事務所(UNHCR:The Office of the United Nations High Commissioner for Refugees)は世界の難民や国内避難民が2021年6月 に過去最多の8240万人に増加したと発表しました。
一方、難民の総数は「難民」の定義を狭くすると1600万人くらいになります。
詳しくは、2021年09月23日掲載記事の「1600万人もの難民が溢れる地球、そして難民を助ける日本人」をご覧下さい。
この難民の内訳は以下の通りです。
最も多くの難民が出ているのは、内戦が続く中東シリアの670万人、また、政治的な混乱が続く南米ベネズエラから国外に逃れた人は400万人、ミャンマーから隣国バングラデシュなどに逃れたイスラム教徒の少数派ロヒンギャの人たちなどは110万人となっています。
去年は新型コロナウイルスの影響で一時、160を超える国が国境を閉鎖したことなどから、難民の移動は例年よりも大幅に減少した一方、世界的な感染で移動が制限される中であっても、なかでも国内避難民は内戦や混乱によって増え続けています。
故郷を追われた人の約42%が18歳未満の子どもです。
一方、UNHCRの支援対象者は約9190万人と発表しており、過去最高になりました。
今日はこれら難民を支援している日本政府の関係者や 民間団体の人々の支援活動を簡単にご報告します。
日本の難民支援の活動をしている組織や団体の一覧を以下にまとめました。
(1)政府機関
外務省
国際協力機構(JICA)
内閣府国際平和協力本部事務局(SPCH)

(2)難民の支援に携わっている民間のNGOや団体援活動
難民を助ける会 (AAR Japan)
アドラ・ジャパン(ADRA Japan)
緑のサヘル (AGS)
アムネスティ・インターナショナル日本 (AIJ)
アムダ(AMDA)/ AMDA社会開発機構 (AMDA MINDS)
ブリッジ エーシア ジャパン (BAJ)
BHNテレコム支援協議会 (BHN)
カリタスジャパン (Caritas Japan)
ケア・インターナショナル ジャパン (CIJ)
カトリック東京国際センター (CTIC)
名古屋難民支援室 (DAN)
なんみんフォーラム (FRJ)
日本国際社会事業団 (ISSJ)
難民支援協会 (JAR)
日本カトリック難民移住移動者委員会 (J-CaRM)
日本福音ルーテル社団 (JELA)
ジェン (JEN)
日本弁護士連合会 (JFBA)
日本UNHCR・NGO評議会 (J-FUN)
J-FUNユース (JFY)
日本イラク医療支援ネットワーク (JIM-NET)
全国難民弁護団連絡会議 (JLNR)
ジャパン・プラットフォーム (JPF)
日本赤十字社 (JRCS)
イエズス会難民サービス (JRS)
日本国際ボランティアセンター (JVC)
日本国際民間協力会 (NICCO)
ピースウィンズ・ジャパン (PWJ)
RAFIQ(在日難民との共生ネットワーク)
難民連携委員会 (RCCJ)
難民自立支援ネットワーク (REN)
国際難民支援会 (RIJ)
難民事業本部 (RHQ)
さぽうと21 (S21)
セーブ・ザ・チルドレン・ジャパン (SCJ)
無国籍ネットワーク (SN)
シャンティ国際ボランティア会 (SVA)
ワールド・ビジョン・ジャパン (WVJ)
難民・移住労働者問題キリスト教連絡会 (難キ連)

(3)事業パートナー(Operational Partners)
事業パートナーとは、難民保護の目的で協働する機関やNGOを指します。
日本国内においては、定期的な情報共有や研修の実施から、パートナー間の取り決めに基づいた長期的な事業まで多岐にわたります。

富士メガネ(Fuji Megane)
青山学院大学
アークアカデミー(ARC Academy)
関西学院大学
東京大学難民移民寄附講座(CDR)
鶴見大学
難民事業本部(RHQ)
なんみんフォーラム(FRJ)
明治大学
ファーストリテイリング(Fast Retailing) 

以上です。今日の記事で私が言いたいことを次に記します。
(1)高齢者の日本人は一般的に難民には無関心です。難民の支援に携わっている民間のNGOや団体援活動については殆ど無知です。戦前、戦後の苦しい生活の中で自分が生きることに夢中でした。他人の困窮にかまっていられなかったのです。
(2)難民の支援をしている人々は主に中年も含めた若い日本人たちです。若い日本人たちは海外で困っている人がいれば気軽に外国に行きます。国境を意識しないで世界的な視野で人間を見ています。これは高齢者には真似の出来ない素晴らしいことです。
(3)海外でのボンティア活躍は欧米諸国もしています。これら諸国の人々と日本人の難民支援者は協力しあいます。当然そこには戦友同士のような絆が生まれます。勿論、支援を受ける難民とも強い絆が生まれます。これが世界の真の平和を守るのです。素晴らしいことです。

高齢者の日本人は若い日本人をもっと高く評価すべきではないでしょうか。

古今東西いつの時代でも老人と若者には断絶があります。今日の記事の内容は私自身への戒めでもあるのです。

それはさておき、今日も皆様のご健康と幸せをお祈り申し上げます。後藤和弘

今日の挿絵代わりの写真はロヒィンギャ難民の写真です。




「徳島県の祖谷渓と大歩危・小歩危峡の紅葉と清流の絶景」

2021年09月26日 | 写真
写真の出典は、https://gurutabi.gnavi.co.jp/a/a_2177/ です。

 1番目の写真は大迫力の「大轟の滝」です。徳島県の西部にある「祖谷渓」 にあります。
大轟(おおとどろ)の滝は、落差約20mを3段に流れ落ちる、自然が作り出した芸術です。徳島ICから約70km、沢谷橋から国道193号線を車で約1分ほどのところにあります。
2番目の写真は祖谷渓の「奥祖谷二重かずら橋」です。
男橋(おばし)と女橋(めばし)、二本の橋の総称だそうです。
源平の戦いに敗れた平家一族が架設したと言われる橋は、紅葉を背景に一層の哀愁が感じられます。
3番目の写真は三好市、井川池田ICから約35分の「大歩危(おおぼけ)・小歩危(こぼけ)峡」です。
清流を挟む、迫り来るような奇岩。そこにモミジ、ウルシ、カエデなどが赤や黄色の色を添え、さらに青い水面にそれらが写り、なんとも趣深い装いです。
4番目の写真は.ゆったりと流れる紅葉の「大歩危・小歩危峡」です。
ここでは遊覧船に乗って紅葉を眺めることができます。水面から見る紅葉は、見下ろしたり、遠くから眺めたりするのとはまたひと味違い、鮮やかな色に頭上から囲まれ、自分自身も風景の一部になったような不思議な感覚を覚えます。

「今日の 年間第26日のミサの動画の紹介」

2021年09月26日 | 日記・エッセイ・コラム
2021年9月26日の10時から始まる年間第26主日のミサの、カトリック関口教会と聖イグナチオ教会の動画配信は以下の通りです。

カトリック関口教会、
9月26日10:00 
 年間第26主日ミサ 、https://www.youtube.com/watch?v=o7wH38RnpUo
司式 タルチシオ菊地功大司教,S.V.D


聖イグナチオ教会 、https://www.youtube.com/channel/UC-Zwcc_MbnyglsQdyOByc-Q  

今日教会に行かない信者の方々はこの動画配信のミサにご参加なられるのも良いと存じます。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)


挿絵代わりの油彩画はシスレーの作品です。

シスレーは1839年10月30日、裕福なイギリス人の両親のもとパリに生まれました。
1857年、18歳のときにロンドンに移り叔父のもとでビジネスを学ぶが、商業よりも美術に関心を持ちターナーやコンスタンブル等の作品に触れたのです。
4年後パリに戻り、マルク=シャルル=ガブリエル・グレールのアトリエで学び、クロード・モネ、ピエール=オーギュスト・ルノワールらと出会います。彼らは共に、スタジオで絵を描くことより戸外で風景画を制作することを選んだのです。・・・



「濃厚な美の秋の花の写真をお楽しみ下さい」

2021年09月25日 | 写真
秋も深くなってくると花の色も濃厚になってきます。そんな花の美しさをお楽しみ下さい。
順にサルビア、リンドウ、秋ダリア、マンジュシャゲです。
濃厚な美の秋の花の写真をお楽しみ下さい。
写真の出典は、https://www.google.co.jp/search?source=univ&tbm=isch... です。





「冗談、冗談です、本気にして怒らないで下さい」

2021年09月25日 | 日記・エッセイ・コラム
戦前生まれの小生は古い男女観を持っていました。しかし結婚以来我が妻によって随分と矯正されました。
今日は矯正されても変わらぬ女性への思いを書いてみたいと思います。読み方によっては女性差別と感じると思います。しかしこれから書くことは全て冗談です。本気にして怒らないで下さい。気楽に読み流して下さい。
まず女性がやってはいけないスポーツです。いろいろありますが女子プロレス、女子ボクシング、女子レスリング、それから柔道の寝技です。砲丸投げ、重量挙げなどもいけません。要するにテレビで見ると見苦しいのです。見苦しいだけでなく女性の魅力や尊厳を自ら傷つけているのです。見たくありません。
さて女性は政治音痴です。政治家にならない方が良いのです。勿論例外はあります。昔の英国のサッチャー首相や現在のドイツのメルケル首相などです。
しかし一般的には女性には政治的な駆け引きが出来ません。参政権を持っていることに疑問を感じます。スイスなどでは戦後まで女性の投票権が無かったのです。ただ女性は政治家の情報をよく知っています。私は投票する時、家内に聞いてそれも勘案します。
女性がもっと苦手なのは国際政治です。でも長くなるのでこの問題は割愛します。
最後にある女性の方向音痴ぶりを書いておきます。私はよく家内と一緒にドライブに行きます。行くところは大体決まっています。三鷹の花と緑の広場、神代植物公園、多摩の横山、奥多摩、相模湖、清瀬の金山緑地などです。
ところがドライブしていると家内が、「ここは何処かしら?」としょっちゅう聞くのです。ようするに完全な方向音痴なのです。
女性にはもっと多くの欠点があります。書きたいのですが長くなりますのでこれでお終いにします。
それにしても女性だけ子供を生めます。優しく育て上げます。楽しく幸せな家庭を作るのは女性です。やはり男性は降参です。

今日は冗談を書きました。冗談ですから本気にして怒らないで下さい。

それはそれとして、今日も皆様の安寧をお祈り申し上げます。後藤和弘

挿絵代わりの写真は以前に妻が撮った都立神代植物公園の風景です。







「勝手な呟きです・・読んで怒らないで下さい」

2021年09月24日 | 日記・エッセイ・コラム
これは私の勝手な呟きです。読んで怒らないで下さい。離婚のことです。内容は離婚を否定する文章です。離婚した人は不愉快になり怒るかもわかりません。でもまあ読んでみてください。
離婚を気楽にする人が増えてきました。しかし離婚は悲劇です。子供へ悲しい思いを与える事まで考えると離婚をすべきではありません。
離婚の増える原因は女性の経済力の向上が大きな理由と言われています。離婚を罪悪視する風潮が無くなった事も大きな原因の一つです。少し上手く行かないと簡単に別れるという考え方が広がったのです。
一般に離婚の大きな原因は結婚を恋愛の延長と考えている事にあります。
恋愛中は相手のいろいろな側面が見えなくなっている状態なのです。そんな混乱状態で、お互いに自分に適切な相手を選べるわけはありません。
若い男女には一緒になった後の40年、50年の間に2人の生活がどのように変わるのか考えもしません。
ここで離婚の多い国のアメリカの場合を考えてみましょう。
アメリカは恐ろしい社会です。全ての物事は自分の判断で決定し、決定の失敗は自分で責任を取らされる社会なのです。それを拒否すると間扱いをされます。アメリカ文化の始末の悪い事には選択肢が多ければ幸せと思う傾向がある事実です。
ところがアメリカでも結婚相手を選ぶ能力は若い者にはあまりありません。
一緒に長い間暮らしてみて初めて発見する良い性格、悪い性格、家庭をマネージする能力、家事を手際よく済ませる技術、子供達を優しく、しかし厳しく育てる能力、近所付き合いや他人との円満な関係を維持する能力、そして知的な側面も輝いていることなどなど沢山の要素が複雑に関係しているのです。勿論互いに相手を尊重し、愛する気持ちが重要です。
そのような数多くの要素を、「恋愛中で動転している若者」に冷静に判定し、結婚相手を選ぶ能力など若者にある筈が無いと私は思っています。
年齢のいった大人の親戚たちが見合い話を進めるほうが安全です。それが厭なら、「結婚は奇蹟」と信じて、結婚してしまうのも良いと思います。私も見合い結婚をしました。結婚は奇蹟と信じていました。
戦争中、写真結婚をして外地にいる男の所へ単身でお嫁に行った人々を思い返しています。案外それが良い結果を生むのかも知れないのです。
中近東や欧米に広がっているイスラム教、ユダヤ教、キリスト教などの一神教では人々の生活を具体的に教える「戒律」が厳しく存在しています。イスラム教の女性は全身を服やベールで覆い、顔は夫や家族以外に絶対に見せません。家の外にも出ないので日常の買い物は男性の仕事です。それほど厳しく戒律を守っている国々もあります。
それに比べ日本は男女平等で女性も何でも出来ます。外で活躍する女性も多いのです。
しかしイスラム圏の女性の方が幸多い人生を送っているのではないかと考え込むことが時々あります。現実はわかりませんが。
キリスト教でもカトリックでは離婚を禁止しています。
その一方、国家の法律で離婚を認め、その仕方まで法律で決めている国が多くなってきました。
それなのに何故、ローマ法王は離婚を禁止するのでしょうか?進歩的な人物がローマ法王になればこの戒律は削除されるのでしょうか?
答えは明快に、「否」です。キリスト教は離婚を禁止しているからです。もし進歩的な人がローマ法王になってそれを許すとしたならば、その前に彼自身の手で離婚を禁じている旧約聖書の創世記の1-2章と新約聖書のマタイ福音書の19章の1-12節とマルコ福音書の10章1-12節を聖書から削除しなければいけません。
人間であるローマ法王が神に遣わされたイエス様の教えを勝手に変える事は許されない事です。そのように考えるのがカトリックの流儀なのです。
カトリックは古い教えをそのまま信じているので旧教と呼ばれます。
それに対してプロテスタン教会は聖書を一切変更しないで重要視する部分と軽く考える部分に分け、世の中の潮流に合わせて強調する考えを変化させていきます。ですから新教と呼ばれています。
時代の流れで世の中も変わり人々の考え方も変わります。宗教は人それぞれです。どちらかが好きになれば信じれば良いのです。どちらもバカバカしいから信じないというのも個人の自由です。
私は人生の複雑さや悲しみを知れば知る程、完全な結婚の難しさを理解しています。
全ての結婚が正しいとか厳守すべきだと強弁するつもりは全然ありません。ただ時々この教義を思い出して一人つぶやいています。
「離婚するくらいなら結婚をもっと慎重にした方が良いのでは?」「夫婦喧嘩をしても離婚だけは避けよう!」とか。
このように古い、古い教えでも現代的な意味があります。その建設的な効果は永遠にあると私は信じています。
離婚はしてはいけません。全ては運なのです。

それはそれとして、今日も皆様の安寧をお祈り申し上げます。後藤和弘

挿絵代わりの写真は3年前に撮った国立昭和記念公園のコスモスの花です。



「我が町小金井の武蔵野公園のご紹介」

2021年09月23日 | 写真
我が町小金井の北には広大な都立小金井公園があります。
そして南には都立武蔵野公園があります。こちらは昭和時代そのままの素朴な野原です。武蔵野公園の真ん中を「野川」という名前の小川が流れています。

午後から写真を撮りに行きました。素朴な野原の風景をお楽しみ下さい。








「1600万人もの難民が溢れる地球、そして難民を助ける日本人」

2021年09月23日 | 日記・エッセイ・コラム
昨日、「この地球には戦争がいっぱいあるのに何故日本は平和なのか?」という記事を掲載し、世界には想像を超える数多くの戦争があったことをご紹介しました。戦争があれば難民が出ます。ですから現在地球上には1600万人もの難民が溢れているのです。詳しくは、「世界の難民と日本の私たち」公益社団法人 シャンティ国際ボランティア会の資料をご覧下さい。

今日はこの地球上の難民の概略を書いてみます。そして難民を助けている日本人の活躍ぶりをご紹介します。難民に関心の無い方々もご一読下さい。
難民などは遠い海外で起きているので、私には関係ない!このように思っている日本人が多いと思います。
しかし世界の難民問題を少し調べて考えてみると日本という国の有難さが身に沁みるのです。

1番目の写真は中東のある難民キャンプの光景です。
そこで例として200万人以上の難民が発生した ルワンダ紛争 - 自衛隊ルワンダ難民救援派遣 の様子を示す写真をお送りします。
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2番目の写真はアフリカのザイールのゴマ市郊外に広がる難民キャンプです。標高1500m程度の地域にあるため、アフリカといえども寒々としていました。
ここでは200万人以上の難民が発生しました。詳しくは、ルワンダ紛争 - 自衛隊ルワンダ難民救援派遣 をご覧下さい。
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3番目の写真もアフリカのゴマ市郊外に広がる難民キャンプです。
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4番目の写真は日本の自衛隊による難民救援活動の写真です。
1994年10月2日、ケニヤのナイロビ空港からゴマ空港へ陸上自衛隊の第一陣が
が到着しました。愛知県小牧を基地とする航空自衛隊のC-130H輸送機3機が派遣されました。
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5番目の写真はアフリカのザイールのキブ湖畔の浄水基地です。  1日1200立方メートルの水を難民やゴマ市民に供給していました。上の写真には自衛隊の給水車もが写っています。
こうしてあなたの収めた税金は世界中の難民支援、そしてシリア難民支援にも使われているのです。
日本政府は2010年に145億円の難民支援金を国連の難民高等弁務官事務所へ寄付しました。
その他に日本には数十以上の国際支援のための民間団体(多くはNGO)があり、それぞれが中東の難民やアフリカ難民を支援しています。
その活動費は大雑把にいうと半分は民間から寄付で、あとの半分は外務省から支払われる補助金です。

6番目の写真は中東のシリア難民です。

7番目の写真もシリア難民です。写真の出典は、http://www.japanplatform.org/ です。最後に日本にある40団体の国際支援活動の一覧を示します。
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国・地域プログラム名実施期間
アフガニスタンアフガニスタン・パキスタン人道支援(寄付受付中) 2010年7月-
アフガニスタンアフガニスタン人道支援                        2001年9月-2004年8月
イラクイラク人道支援                        2002年11月-2009年12月
イランイラン北西部地震被災者支援                        2012年9月-2012年11月
イランイラン南東部地震被災者支援                        2003年12月-2006年1月
インドインド北部水害被災者支援2013(寄付受付中)                        2013年7月-
インドインド水害被災者支援                        2008年9月-2009年3月
インドインド西部地震被災者支援                        2001年1月-2002年3月
インドネシアジャワ島地震被災者支援                        2006年5月-2009年11月
インドネシアスマトラ島沖地震被災者支援                        2004年12月-2006年2月
インドネシアスマトラ島西部 パダン沖地震被災者支援                        2009年10月-2010月8日
インドネシアスマトラ島南西沖地震被災者支援                        2007年9月-2008年3月
グアテマラ共和国グアテマラ地震被災者支援                        2012年11月-2013年3月
ザンビア南部アフリカ緊急農業復興支援                        2002年8月-2003年2月
シリアイラク難民人道支援(シリア)                        2007年7月-2009年3月
シリア周辺国、シリアシリア紛争人道支援(寄付受付中)                        2012年11月-
ジンバブエジンバブエ・コレラ被災者支援                        2009年3月-2009年8月
スリランカスリランカ人道支援                        2007年9月-2008年11月
スリランカ                            スリランカ洪水被災者支援                                                    2011年1月-2011年5月
スリランカスリランカ北部人道支援                        2009年3月-2012年11月
スワジランド・レソト南部アフリカ干ばつ支援                        2007年9月-2008年10月
スーダンスーダン・ダルフール人道支援                        2005年2月-2007年2月
ソロモン諸島ソロモン諸島地震被災者支援                        2007年4月-2007年6月
中国中国四川地震被災者支援                        2008年5月-2010年5月
中国中国四川地震被災者支援(2013)                        2013年4月-
チリチリ地震被災者支援                        2010年3月-2011年1月
東南アジア東南アジア水害被災者支援                        2011年10月-
トルコトルコ東部地震被災者支援                        2011年10月-2012年2月
南部スーダン                            スーダン南部人道支援                                                    2006年4月-2012年3月
西アフリカアフリカ・サヘル 地域食糧危機支援                        2012年7月-2012年11月
日本・新潟新潟県中越沖地震被災者支援                        2007年7月-2007年12月
日本・東日本東日本大震災被災者支援(寄付受付中)                        2011年3月-
ネパール・バングラディッシュ南アジア水害被災者支援                        2007年9月-2008年3月
ハイチハイチ地震被災者支援                        2010年1月-2012年12月
バングラデシュバングラデシュ・サイクロン「シドル」被災者支援                        2007年11月-2008年12月
パキスタンパキスタン水害(2010)被災者支援                        2010年8月-2011年8月
パキスタンパキスタン水害被災者支援                        2007年7月-2008年3月
パキスタンパキスタン南西部地震被災者支援                        2005年10月-2009年8月
パキスタンパキスタン北西部人道支援                        2009年1月-2009年6月
パキスタンパキスタン地震被災者支援                        2005年10月-2009年8月
パキスタン                            パキスタン水害被災者支援2011                                                    2011年10月-2012年1月
パレスチナパレスチ自治区ガザ人道支援                        2009年2月-2009年5月
東アフリカ(アフリカの角)アフリカの角支援                        2011年8月-
東ティモール東ティモール人道支援                        2006年7月-2007年10月
フィリピンフィリピン・ルソン島被災者支援2013(寄付受付中)                        2013年8月-
フィリピンフィリピン洪水被災者支援2012                        2012年8月-2012年9月
フィリピンフィリピン・台風ワシ被災者支援事業                        2011年12月-2012年9月
フィリピンフィリピン水害被災者支援                        2009年9月-2010年4月
フィリピンフィリピン・台風ボーファ被災者支援                        2012年12月-2013年3月
ブラジルブラジル洪水被災者支援                        2011年1月-2011年2月
ベトナム台風ソンティン被災者支援                        2012年11月-2013年2月
ベトナム                            ベトナム洪水被災者支援                                                    2010年11月-2010年12月
ペルーペルー地震被災者支援                        2007年8月-2008年9月
南スーダン南スーダン人道支援                        2012年4月-
ミャンマーミャンマー南東部水害被災者支援2013(寄付受付中)                        2013年8月-
ミャンマーミャンマー・サイクロン被災者支援                        2008年5月-2010年12月
ミャンマー                            ミャンマー・サイクロン・ギリ被災者支援                                                    2010年11月-2011年2月
ミャンマー、パレスチナ自治区、ヨルダン、シエラレオネ、ケニア平和構築支援パイロット事業                                                    2007年10月-2010年6月
ミャンマーミャンマー少数民族帰還民支援(寄付受付中)                        2013年4月-
モンゴルモンゴル雪害支援                        2001年1月-2001年2月
ヨルダンイラク避難民人道支援(ヨルダン)                        2007年7月-2010年5月
リベリアリベリア人道支援                        2004年2月-2006年5月
レバノンレバノン人道支援                        
2006年9月-2007年5月
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この一覧表を見ると世界中には本当に困っている地域がこんなにも存在していることが分ります。この多数の海外で活動している日本人たちは主に若い世代の日本人です。
私は若い日本人を誇りに思っています。

今日はこの地球上の1600万人の難民について書きました。そして難民を助けている日本人の活躍ぶりをご紹介しました。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

「この地球には戦争がいっぱいあるのに何故日本は平和なのか?」

2021年09月22日 | 日記・エッセイ・コラム
日本は1945年の終戦以来76年間も戦争の無い平和な時代が続いています。今日は何故こんなに長期間も日本が平和なのか考えてみたいと思います。そして私はこの日本の平和は将来数十年は続くと考えています。今日はその根拠も書いてみたいと思います。
さて日本人は平和にボケてしまいこの地球には戦争がいっぱいあることを知りません。そこでまず終戦後から1991年のソ連崩壊、そして現在までの世界の戦争一覧を示します。

東西冷戦時代の戦争一覧 (出典は、戦争一覧 - Wikipedia  です)
  • 1945年~1949年 - インドネシア独立戦争
  • 1945年~1954年 - 第一次インドシナ戦争
  • 1946年~1949年 - ギリシャ内戦
  • 1948年~1971年 - 印パ戦争
    • 1947年〜1949年 - 第一次印パ戦争
    • 1965年〜1966年 - 第二次印パ戦争
    • 1971年 - 第三次印パ戦争
  • 1948年~1973年 - 中東戦争・Category:イスラエル・アラブ戦争
    • 1948年 - 第一次中東戦争
    • 1956年 - 第二次中東戦争
    • 1967年 - 第三次中東戦争
    • 1973年 - 第四次中東戦争
  • 1948年~(継続) - パレスチナ紛争
  • 1948年~(継続) - ミャンマー紛争
  • 1949年~(継続) - 東トルキスタン紛争
  • 1950年~1951年 - チベット紛争
  • 1950年~- 朝鮮戦争
  • 1954年~1962年 - アルジェリア戦争
  • 1955年~1972年 - 第一次スーダン内戦
  • 1956年 - ハンガリー動乱(ハンガリー事件)
  • 1959年 - チベット動乱
  • 1959年~1962年 - 中印国境紛争
  • 1959年~1975年 - ラオス内戦
  • 1960年~1965年 - コンゴ動乱
  • 1960年~1996年 - グアテマラ内戦
  • 1960年~1975年 - ベトナム戦争(第二次インドシナ戦争)
  • 1961年 - ピッグズ湾事件
  • 1961年 - ゴア併合
  • 1961年~1962年 - 西イリアン紛争
  • 1962年 - (キューバ危機)
  • 1962年~1969年 - 北イエメン内戦
  • 1962年~1963年 - ベネズエラの反乱 
  • 1963年~1968年 - アルジェリア・モロッコ国境紛争
  • 1963年~1964年 - キプロス内戦
  • 1963年~1966年 - インドネシア・マレーシア紛争
  • 1964年~(継続) - コロンビア紛争
  • 1965年 - ドミニカ内戦
  • 1965年~1979年 - ローデシア紛争
  • 1965年~1984年 - チャド内戦
  • 1967年~1970年 - ビアフラ戦争
  • 1968年 - プラハの春(チェコ事件)
  • 1969年 - 中ソ国境紛争
  • 1969年 - サッカー戦争
  • 1969年~1998年 - 北アイルランド紛争
  • 1969年~(継続) - フィリピン紛争
  • 1970年 - ヨルダン内戦(黒い九月事件)
  • 1971年~1992年 - カンボジア内戦
  • 1971年~(継続) - カシミール紛争
  • 1974年 - キプロス紛争
  • 1975年~1989年 - ナミビア独立戦争
  • 1975年~1990年 - レバノン内戦
  • 1975年 - インドネシアの東ティモール侵攻
  • 1975年~2002年 - アンゴラ内戦
  • 1976年~(継続) - 西サハラ紛争
  • 1977年~1979年 - ウガンダ・タンザニア戦争
  • 1978年~1988年 - オガデン戦争
  • 1979年 - 中越戦争
  • 1979年~1989年 - ソビエト連邦のアフガニスタン侵攻
  • 1979年~1990年 - ニカラグア内戦
  • 1980年~1992年 - エルサルバドル内戦
  • 1980年~1988年 - イラン・イラク戦争
  • 1980年~(継続) - ペルー紛争
  • 1982年 - フォークランド紛争
  • 1983年~2004年 - 第二次スーダン内戦
  • 1983年 - グレナダ侵攻
  • 1983年~2009年 - スリランカ内戦
  • 1979年―1990年 - 中越国境紛争
  • 1986年~1987年 - トヨタ戦争
  • 1987年~(継続) - ブルンジ内戦
  • 1988年~1994年 - ナゴルノ・カラバフ戦争
  • 1989年~2001年 - アフガニスタン内戦
  • 1989年~1992年 - 第一次南オセチア紛争うるのです。
  • 1989年 - パナマ侵攻
    • 1989年~1990年 - エチオピア内戦
    • 1989年~1996年 - リベリア内戦
    • 1990年~1994年 - ルワンダ紛争
    • 1990年~1991年 - 湾岸戦争・Category:湾岸戦争
    • 1991年~2001年 - シエラレオネ紛争
    • 1991年~2000年 - ユーゴスラビア紛争
      • 1991年 - 十日間戦争(スロベニア独立戦争)
      • 1991年~1995年 - クロアチア戦争
      • 1992年~1995年 - ボスニア紛争
      • 1999年~2000年 - コソボ紛争
      • 2001年 - マケドニア紛争
    • 1991年~2001年 - ジブチ内戦
    • 1991年~2002年 - アルジェリア内戦
    • 1991年~(継続) - ソマリア内戦
    • 1991年~(継続) - カザマンス紛争
    • 1992年 - オセチア・イングーシ紛争
    • 1992年~1994年 - アブハジア紛争
    • 1994年 - イエメン内戦
    • 1994年~1996年 - 第一次チェチェン紛争
    • 1995年~1998年 - ハニーシュ群島紛争
    • 1996年〜1998年 - 第一次コンゴ戦争
    • 1998年~2000年 - エチオピア・エリトリア国境紛争
    • 1998年~2002年 - 第二次コンゴ戦争
    • 1998年~2001年 - ポソ宗教戦争
    • 1999年~2009年 - 第二次チェチェン紛争
    • 1999年 - 東ティモール紛争
    • 1999年 - カルギル紛争
    • 2000年~(継続) - インドネシア紛争
  • 2001年~
    • 2001年~(継続) - アメリカのアフガニスタン侵攻(対テロ戦争)
    • 2001年~(継続) - パキスタン紛争
    • 2002年~2003年 - コートジボワール内戦
    • 2003年 - リベリア内戦
    • 2003年~2011年 - イラク戦争
    • 2003年~(継続) - ダルフール紛争
    • 2004年~(継続) - サリン紛争
    • 2004年~(継続) - タイ紛争
    • 2004年~(継続) - ワジリスタン紛争
    • 2006年 - 東ティモール内乱
    • 2006年 - イスラエルのガザ侵攻・レバノン侵攻
    • 2006年 - エチオピアのソマリア侵攻
    • 2006年~2009年 - スリランカ内戦
    • 2008年 - 第二次南オセチア紛争(グルジア紛争)
    • 2008年~2009年 - イスラエルのガザ紛争
    • 2011年 - シナイ紛争
    • 2011年 - リビア内戦
    • 2011年~(継続) - シリア内戦
    • 2012年~(継続) - マリ北部紛争
    • 2013年 - スールー王国軍によるラハダトゥ侵攻
    • 2014年 - ISISによるイラク内戦
    • 2014年 - イスラエルのガザ侵攻
    • 2014年〜(継続) - クリミア危機・ウクライナ東部紛争
    • 2014年〜2020年 -2014年リビア内戦
    • 2015年〜(継続) - 2015年イエメン内戦
    • 2017年 - マラウィの戦い
    • 2020年 - 2020年ナゴルノ・カラバフ紛争
以上のような一覧表を見ているとこの世界には戦争が溢れるようにいっぱいあることが実感します。そして上の表と同じような状態が現在も続いているのです。
戦争がこんなにあったのに何故日本は平和だったのでしょうか?
答えは簡単です。世界一の軍事大国のアメリカと安保体制があったからです。アメリカの軍事力は敵国の日本侵入を防いで来たからです。日本は太平洋戦争で戦争の悲惨さをいやというほど骨身に沁みたのです。この民族の体験がアメリカとの安保体制を賢持させたのです。
その上で日本には平和憲法があります。その憲法に従って日本はどの国とも平和外交を進め信頼されるように努力して来たのです。
さてそれでは日本の将来は平和が続くでしょうか?
私は平和が少なくとも数十年は続くと考えています。
根拠はこれからの世界情勢はアメリカと中国の対立と抗争で推移すると考えられます。中国と日本は経済的に相互依存の関係にあります。ですから日本は米中抗争に巻き込まれる可能性があります。
しかしアメリカと中国も経済的に相互依存の関係にあります。
従って米中両国は軽率に軍事力を使うことが出来ません。アメリカと中国の抗争は戦争にならないのです。両国の経済的な相互依存が平和を守る保険のような役目をしているのです。
しかしこの保険はいつまでも続くものではありません。将来米中が経済的相互依存を脱したら軍事力の行使が起きます。戦争になります。現在アメリカは経済の中国依存を止めるように努力しています。しかしそれにはヨーロッパ諸国の中国依存も解消しなければなりません。簡単なことではありません。
ですから将来数十年は大規模な戦争は起きないと考えられます。

今日は日本が何故76年間の長期間も平和なのかその理由を書きました。そして私はこの日本の平和は将来数十年は続くと書き、その理由を説明しました。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)

今日の挿絵代わりの写真は仏教の平和的なタイ・中国・日本の光景です。
 





「笑い話です、本気にしないで下さい」

2021年09月20日 | 日記・エッセイ・コラム
今日は大雑把な笑い話を書きます。本気に信じないで下さい。
まず日本人が大好きなもの、大嫌いなもの、完全に無関心なものを書きます。
日本人と言ってもある種の一部の旧日本人と言い換えれば貴方は怒る必要がありません。感情的にならないでまあお読み下さい。
旧日本人が大好きなものは日本だけです。大嫌いなものは韓国です。完全に無関心なものアフリカ大陸の国々です。日本人は外国が嫌いなのです。東南アジアの国々も関心がありません。
私はこの欄に韓国や 中国や東南アジアの国々のことをよく書きます。韓国のことを好意的に書くと物凄く怒る人が多いのです。東南アジアの国々のことを書くと閲覧数が少ないのです。アメリカとヨーロッパのことを書くとほどほどに閲覧数があります。総じて言えば日本人は外国が嫌いなのです。好きなのは日本だけです。

さて話題を変えます。食べ物について考えてみましょう。
旧日本人が大好きなものは寿司、てんぷら 、刺身です。嫌いなものはマックのハンバーガーとケンタのフライドチキンです。完全に無関心なものは東南アジアの国々の料理です。東の日本人は蕎麦をよく食べます。西の日本人はうどんやソーメンを食べます。箸は好きですがナイフやフォークは嫌いです。
話題を宗教に変えます。
日本人が大好きなものは神社です。手を合わせれば済むのです。子供の頃は境内でよく遊んだのです。大嫌いなものはキリスト教です。いつまで経っても人口の3%しか信者がいません。完全に無関心なものはイスラム教です。
総じて言えば日本人は抹香臭いので宗教が嫌いなのです。人間だけで幸せな平和な国を作っているのです。この欄に私はよく仏教やキリスト教のことを書きます。すると閲覧数が少ないのです。
話題を政治のことに変えます。
まず日本人が大好きなものは自民党の総裁選のことです。旧日本人が好きな政治家は田中角栄です。嫌いなものは国際政治の話題です。完全に無関心なものは中東のイスラム教諸国の政治です。この欄に私はよく国際政治のことを書きます。すると閲覧数が少ないのです。日本人は外国の政治に関心が無いのです。

以上は笑い話です。以上で日本人と書いたところを「純粋な原日本人」と書き直したいのですが、それも大雑把過ぎるでしょうか?
ご自分の考えで、日本人が大好きなもの、大嫌いなもの、完全に無関心なものを書きコメントとしてお送り下さい。大歓迎します。

今日は旧日本人とはどういう人間か考えてみました。若い日本人は全く異なっています。

挿絵代わりの写真は京都の紅葉の風景写真です。
出典は、https://tripnote.jp/kyoto/autumn-leaves-osusume/photo/100238 です。「純粋な原日本人」はこいう風景が好きだと思います。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)
1番目の写真は高台寺です。豊臣秀吉の菩提を弔うため、妻・北政所(ねね)によって創建された高台寺。国の史跡・名勝に指定されている「高台寺庭園」はじめ、秋は境内が鮮やかな紅葉で彩られます。 
2番目の写真は青蓮院門跡です。代々皇室や公家が住職を務めてきた「門跡寺院」であり、天台宗の三門跡寺院の一つに数えられる青蓮院門跡。京都の紅葉名所の一つとしても知られており、秋は美しく整えられた庭園を中心に、境内が鮮やかな紅葉で彩られます。 
3番目の写真は詩仙堂です。江戸時代初期の文人、石川丈山の山荘として1641年に造営された建物で、現在は丈山寺という曹洞宗のお寺になっています。丈山本人が手がけた四季を感じられる庭園が評判で、特に秋は紅葉を求めて多くの参拝客が訪れます。 
4番目の写真は二尊院です。釈迦如来と阿弥陀如来の二尊をお祀りする二尊院は、嵯峨野の小倉山麓に立地しています。秋は二尊院の境内はもちろん、背後にそびえる小倉山のもみじも美しく色づきます。 
5番目の写真は 京都で一二を争う紅葉の人気スポット・東福寺です。境内には約2,000本ものもみじが植えられており、秋には紅葉の赤や黄色で境内が埋め尽くされます。